ベネズエラでチャベス大統領が選挙戦で勝利しました。事前の報道では対立候補のカプリレスさんが結構いい闘いをするんじゃないかと言われていましたが、結局は得票率で10ポイントぐらいの差がつきました。で、米国なんかからは蛇蝎のごとく嫌われていて、国内でも不満が高まっているといわれているベネズエラで、なんでチャベス大統領が再選できたんでしょうっていうことで、ちょっとだけ数字をみてみた。世界銀行のdatabankというサイトが超便利です。
とりあえず名目GDPをみてみると、成長率は04~08年は20%台後半から30%台後半という猛烈な勢いです。ただしこれは、この期間のインフレ率が平均25%という事情がありまして、実質GDPでは5~18%という成長率になります。リーマンショック後の09、10年は実質GDPの成長がマイナス3.2%、マイナス1.5%となりますが、11年は4.2%成長。もちろん先行きには不安があるんでしょうが、チャベスの施政下で経済がボロボロになったとか、長期低迷から抜け出せないということではないように思います。ベネズエラは原油埋蔵量がサウジアラビアよりも多いということらしくって(参照)、問題はその富をどうやって分配するっていうことなんじゃないか。
で、チャベス大統領は貧困対策で大きな成果を上げているっていうことらしいので、そのあたりのデータもあるかと思って、Poverty headcount ratio at national poverty lineというデータをみてみた。National Poverty Lineっていうのは、こういうことらしい。この数字をみていると、チャベス就任前の1998年は人口の50.4%が貧困状態だったけど、この数字は09年には28.5%まで下がっている。Poverty headcount ratio at $2 a dayという数値でも、98年の20.4%が、06年に12.9%に下がっているので、まぁ、そういうことなんじゃないだろうか。
あとベネズエラは治安が悪化しているという記述もよく見かけたのでIntentional homicides(10万人あたり)というのも調べてみると、98年の19.4が、2000年以降に増加基調に入って、09年は49になっている。
っていうことで、原油がジャバジャバ出てくるベネズエラでは、経済はインフレ問題は抱えながらも実質ベースでも経済成長は続いているし、貧困対策では成果が出ているわけです。だからチャベスが当選するのはそんなに不思議な気もしない。ただまぁ、治安も悪くなっているし、反米路線は鮮明ですから、「アメリカとビジネスしたいな」なんて思っている人たちからすればチャベスは邪魔なんでしょう。それに「21世紀型の社会主義」を目指すということですから、民主主義とか資本主義を求める人たちからしてもチャベスは不都合。そんな人たちがベネズエラでも増えてきたけど、やっぱりチャベスを支持する人たちも多いってところですかね。
まぁ、ちょっと調べただけなんで、また機会があったら勉強しておきます。ベネズエラの歴史とか何も知りませんし。
2012年10月9日火曜日
2012年10月3日水曜日
2012年10月1日月曜日
米大統領選
アメリカの大統領選が11月6日にあります。RealClearPoliticsによるまとめでは、今のところ現職のオバマ大統領が共和党のロムニー候補を4.1ポイントリードしているそうです。ロムニーさんは金持ちすぎて嫌われているようで、なんとなく「オバマで決まりなんじゃないの」っていう雰囲気もあります。そんななか今さらなんですが、米大統領選のあれこれについて調べてみました。
まず「大統領選なんて現職が勝つに決まってんじゃないの?」と思ったもので、ちょっと調べてみたところ、第二次世界大戦後の米国の大統領選挙はこれまで16回ありまして、このうち現職が出馬したのは10回。で、現職がそのまま勝って2選を果たしたのが7回。つまり現職の勝率は7割ということで、基本的には現職は勝って当然ぐらいのイメージでいいんだと思います。
では今回の大統領選はオバマさんが勝って当然の情勢かというと、なかなかそうともいえない。再選を果たした7人の現職のうち5人は9月時点の世論調査で対立候補に10ポイント以上の差をつけている。つまり現職はぶっちぎりで勝つのが当たり前なんだけれど、9月時点で4.1ポイントしか差をつけられていないオバマさんは現職のわりには苦戦している。
しかも現職が負けた3つの選挙戦は、いずれも大統領選段階(11月)の失業率が7%を超えているという共通点がある。つまり「失業率を7%未満にできない現職大統領」は再選できないというわけです。現在の米国の失業率は8%超という状態ですから、オバマさんが悪いジンクスを踏襲してしまう可能性もある。
では、失業率を7%未満にできない現職大統領を相手にして、ロムニーさんは健闘しているのかというと、実はそんな感じでもない。11月の失業率が7%超で現職が破れた3回の選挙では、対立候補は9月時点の世論調査で悪くともポイント差なしにまで現職に迫っている。ロムニーさんは失業率を7%未満にできない現職大統領に対して、9月時点で4.1ポイントのリードを許しているわけで、大して強い候補ではないということだと思います。
ちなみに現職大統領を破った3人の候補というのは、1976年にフォード大統領を破ったカーターさん、1980年にカーター大統領を破ったレーガンさん、1992年に父ブッシュ大統領をやぶったクリントンさんです。1976年のフォード大統領は、74年のウォーターゲート事件で辞任したニクソン大統領の後任として副大統領から昇格した人ですから、人気がなかったのは当然。このフォード大統領が敗れた選挙を例外とするならば、現職大統領を破ったのはレーガンさんとクリントンさんだけということになります。では、ロムニーさんがレーガンさんやクリントンさんに匹敵するほどの対立候補といえるかどうかというと、これはもう甚だ疑問だというしかありません。
つまり今回の大統領選は「失業率を7%未満にできない大統領」対「大したことない対立候補」という図式。まぁ、なんか盛り上がりに欠けるのもうなずけますけど、弱弱対決で接戦になるんじゃないですかね。
あと、大統領選と失業率について調べて気づいたんですが、大統領選からの4年間で失業率を下げた大統領というのは、トルーマン(2期目)、ケネディ+ジョンソン(1期目)、ジョンソン(2期目)、カーター、レーガン(1期目)、レーガン(2期目)、クリントン(1期目)、クリントン(2期目)となりまして、レーガンの2回以外はすべて民主党です。
逆に任期中に失業率を上げた大統領というのは、アイゼンハワー(1期目)、アイゼンハワー(2期目)、ニクソン(1期目)、ニクソン(2期目)+フォード、父ブッシュ、子ブッシュ(1期目)、子ブッシュ(2期目)で、例外なくすべて共和党。ただしオバマ大統領は民主党として初めてこのリストに名前を連ねることになるかもしれません。前回大統領選時(2008年11月)の失業率は6.8%でしたから、ちょっとハードルは高い。
まず「大統領選なんて現職が勝つに決まってんじゃないの?」と思ったもので、ちょっと調べてみたところ、第二次世界大戦後の米国の大統領選挙はこれまで16回ありまして、このうち現職が出馬したのは10回。で、現職がそのまま勝って2選を果たしたのが7回。つまり現職の勝率は7割ということで、基本的には現職は勝って当然ぐらいのイメージでいいんだと思います。
では今回の大統領選はオバマさんが勝って当然の情勢かというと、なかなかそうともいえない。再選を果たした7人の現職のうち5人は9月時点の世論調査で対立候補に10ポイント以上の差をつけている。つまり現職はぶっちぎりで勝つのが当たり前なんだけれど、9月時点で4.1ポイントしか差をつけられていないオバマさんは現職のわりには苦戦している。
しかも現職が負けた3つの選挙戦は、いずれも大統領選段階(11月)の失業率が7%を超えているという共通点がある。つまり「失業率を7%未満にできない現職大統領」は再選できないというわけです。現在の米国の失業率は8%超という状態ですから、オバマさんが悪いジンクスを踏襲してしまう可能性もある。
では、失業率を7%未満にできない現職大統領を相手にして、ロムニーさんは健闘しているのかというと、実はそんな感じでもない。11月の失業率が7%超で現職が破れた3回の選挙では、対立候補は9月時点の世論調査で悪くともポイント差なしにまで現職に迫っている。ロムニーさんは失業率を7%未満にできない現職大統領に対して、9月時点で4.1ポイントのリードを許しているわけで、大して強い候補ではないということだと思います。
ちなみに現職大統領を破った3人の候補というのは、1976年にフォード大統領を破ったカーターさん、1980年にカーター大統領を破ったレーガンさん、1992年に父ブッシュ大統領をやぶったクリントンさんです。1976年のフォード大統領は、74年のウォーターゲート事件で辞任したニクソン大統領の後任として副大統領から昇格した人ですから、人気がなかったのは当然。このフォード大統領が敗れた選挙を例外とするならば、現職大統領を破ったのはレーガンさんとクリントンさんだけということになります。では、ロムニーさんがレーガンさんやクリントンさんに匹敵するほどの対立候補といえるかどうかというと、これはもう甚だ疑問だというしかありません。
つまり今回の大統領選は「失業率を7%未満にできない大統領」対「大したことない対立候補」という図式。まぁ、なんか盛り上がりに欠けるのもうなずけますけど、弱弱対決で接戦になるんじゃないですかね。
あと、大統領選と失業率について調べて気づいたんですが、大統領選からの4年間で失業率を下げた大統領というのは、トルーマン(2期目)、ケネディ+ジョンソン(1期目)、ジョンソン(2期目)、カーター、レーガン(1期目)、レーガン(2期目)、クリントン(1期目)、クリントン(2期目)となりまして、レーガンの2回以外はすべて民主党です。
逆に任期中に失業率を上げた大統領というのは、アイゼンハワー(1期目)、アイゼンハワー(2期目)、ニクソン(1期目)、ニクソン(2期目)+フォード、父ブッシュ、子ブッシュ(1期目)、子ブッシュ(2期目)で、例外なくすべて共和党。ただしオバマ大統領は民主党として初めてこのリストに名前を連ねることになるかもしれません。前回大統領選時(2008年11月)の失業率は6.8%でしたから、ちょっとハードルは高い。
1993年07月11日(3日目) ウラジオストク
1993年07月11日(3日目) 曇り、晴れとみせかけて雨
なんだか知らんが、今日は疲れた。まず朝、あのモジャオが向かいのコンパートメントであったことに気づく。話が筒抜けだったのではという話もあったが、結局無視してしゃべり続ける。
ウラジオに着くと、上陸までに2時間程待ったのでは? やはり入国手続きに時間をかけるのかと思っていると、一発で終わる。さて、いよいよウラジオ観光と思っていると、両替をする場所が見つからない。困っているうちん、1ドル700ルーブルという現地人が現れ、そのレートで手をうつ。このときJはちょとだけしか両替しなかった。レートが気に入らなかったらしい。
次に手荷物をあずけることにしたのだが、いくらかかるのか、何時まで引き取りができるのか、全くわからない。しかし、ここはさすが旅慣れたJである。ペンと言葉を巧みに用いて情報を仕入れ、無事に預けることができた。
ウラジオの街に出ると小雨。この悪天候の中、展望台にのぼり、雨にけむったウラジオベイを見下ろす。情緒がないこともない。雑多な船の甲板がいとをかし。
それから博物館の前にゆくと、物売りの少年が寄ってくる。私はレーニンのバッヂと絵はがきを買ったのだが、Nの買ったマカロフバッヂがうらやましい。その後、Sの強い主張でウラジオホテルでリッチなランチ。ウェイトレスのお姉ちゃんは親切で、我々にとても評判が良かった。
しかしそれよりも、ここでは謎の日本人、カメ田とアレックスがいたのである。カメ田はモスクワに自費留学している人で、ロシア語が上手い。アレックスは正に謎。何を考えているのか私にはわからない。最初は物売りかと思ったが、そうでもなく、ボートに乗ろうと言ったり、泳ぎだしたり、わけがわからない。親切なのは結構なのだが、行動の主導権を握り、時に友人とわけのわからん事を話したりするので、私はあまり快く思っていなかった。2時間ほど一緒にいたのだろうか、ついに我々はウラジオ駅でアレックスを振り切り、再び4人での行動に戻った。
まず念願のシベリア鉄道に備えるための買出しである。あっさりジャイケンで負けた私とNがが買いに行くことになった。しかし実際は私は荷物持ち程度で、交渉はほとんどNがやった。私などはロシア語で数も数えられないのである。旅行前の不勉強を深く恥じる。
でもなんとかパンも買え、ひたすら鉄道の時間を待つ。8時から12時半までの長丁場であったが、Sの下ネタ作戦や地べたに座りむ同化作戦でなんとかしのぐ。
私とNで列車を捜し(これも実際はNだけの活動である)、列車に乗り込むが、この列車がまた、狭い、暑い、きたないと三拍子そろったうえに、縦横の激しい揺れ、更にはシーツが濡れているという条件である。みんな怒りでテンションが高くなるが、疲れのせいか皆、寝つきが早い。今、起きているのは私だけか?
そうそう、Jがルーブルを手に入れるとき、トリックにひっかかり、30ドルを2ドルにして返されてしまった。あの旅人でマジシャンのJでさえトリックにひっかかるのである。恐るべきロシア人。私などトリックにひかっかっても気づいてないだけかもしれない。
この列車の揺れの中、書くのはしんどい。もう便所に行ってねる。
★天気のところの「みせかけて雨」というのは、愛読していた「がんばれタブチくん」に出てくるクワタのキャラクターを意識したものです。
★「雨にけむったウラジオベイ」というのは、アルフィーの曲「ふたりのGraduation」に出てくる「雨にけむる TOKYO-BAY」という歌詞を意識したものですが、別にアルフィーのファンというわけではないです。
★いろいろと分かりにくいところの多い文章ですが、おつきあい頂ければ幸いです。
なんだか知らんが、今日は疲れた。まず朝、あのモジャオが向かいのコンパートメントであったことに気づく。話が筒抜けだったのではという話もあったが、結局無視してしゃべり続ける。
ウラジオに着くと、上陸までに2時間程待ったのでは? やはり入国手続きに時間をかけるのかと思っていると、一発で終わる。さて、いよいよウラジオ観光と思っていると、両替をする場所が見つからない。困っているうちん、1ドル700ルーブルという現地人が現れ、そのレートで手をうつ。このときJはちょとだけしか両替しなかった。レートが気に入らなかったらしい。
次に手荷物をあずけることにしたのだが、いくらかかるのか、何時まで引き取りができるのか、全くわからない。しかし、ここはさすが旅慣れたJである。ペンと言葉を巧みに用いて情報を仕入れ、無事に預けることができた。
ウラジオの街に出ると小雨。この悪天候の中、展望台にのぼり、雨にけむったウラジオベイを見下ろす。情緒がないこともない。雑多な船の甲板がいとをかし。
それから博物館の前にゆくと、物売りの少年が寄ってくる。私はレーニンのバッヂと絵はがきを買ったのだが、Nの買ったマカロフバッヂがうらやましい。その後、Sの強い主張でウラジオホテルでリッチなランチ。ウェイトレスのお姉ちゃんは親切で、我々にとても評判が良かった。
しかしそれよりも、ここでは謎の日本人、カメ田とアレックスがいたのである。カメ田はモスクワに自費留学している人で、ロシア語が上手い。アレックスは正に謎。何を考えているのか私にはわからない。最初は物売りかと思ったが、そうでもなく、ボートに乗ろうと言ったり、泳ぎだしたり、わけがわからない。親切なのは結構なのだが、行動の主導権を握り、時に友人とわけのわからん事を話したりするので、私はあまり快く思っていなかった。2時間ほど一緒にいたのだろうか、ついに我々はウラジオ駅でアレックスを振り切り、再び4人での行動に戻った。
まず念願のシベリア鉄道に備えるための買出しである。あっさりジャイケンで負けた私とNがが買いに行くことになった。しかし実際は私は荷物持ち程度で、交渉はほとんどNがやった。私などはロシア語で数も数えられないのである。旅行前の不勉強を深く恥じる。
でもなんとかパンも買え、ひたすら鉄道の時間を待つ。8時から12時半までの長丁場であったが、Sの下ネタ作戦や地べたに座りむ同化作戦でなんとかしのぐ。
私とNで列車を捜し(これも実際はNだけの活動である)、列車に乗り込むが、この列車がまた、狭い、暑い、きたないと三拍子そろったうえに、縦横の激しい揺れ、更にはシーツが濡れているという条件である。みんな怒りでテンションが高くなるが、疲れのせいか皆、寝つきが早い。今、起きているのは私だけか?
そうそう、Jがルーブルを手に入れるとき、トリックにひっかかり、30ドルを2ドルにして返されてしまった。あの旅人でマジシャンのJでさえトリックにひっかかるのである。恐るべきロシア人。私などトリックにひかっかっても気づいてないだけかもしれない。
この列車の揺れの中、書くのはしんどい。もう便所に行ってねる。
★天気のところの「みせかけて雨」というのは、愛読していた「がんばれタブチくん」に出てくるクワタのキャラクターを意識したものです。
★「雨にけむったウラジオベイ」というのは、アルフィーの曲「ふたりのGraduation」に出てくる「雨にけむる TOKYO-BAY」という歌詞を意識したものですが、別にアルフィーのファンというわけではないです。
★いろいろと分かりにくいところの多い文章ですが、おつきあい頂ければ幸いです。
1993年07月10日(2日目) 船中
1993年07月10日(2日目) 曇のちちょっと晴と思ったら少し雨も降ったらしい
ロシア人は大量の食事をとるらしい。朝食から異常に量が多いのである。おまけにお茶の時間まであるから、私は生まれて初めてではないかというぐらい大量の食物を摂取した。こんな食事をするからロシア人はでっかいのだろう。踊っていたおねーさんもデカイ。水夫のオヤジもでかい。
そうそうデカイといえば、謎の美女(レイナというらしい)の父にして、木彫り職人、更には宗教活動も行い、一説にはホモだとも噂されるモジャイスキーもでかい。船の上では運動不足になってしまうので私もモジャイスキーの様になってしまうのではないだろうか。しかし明日ウラジオに上陸すれば、あの荷物を持って半日以上活動せねばならない。おそらくモジャイスキーになっている暇は無いであろう。
それから今日は入門経ゼミを読んだ。私は勉強家であるなーとつくづく感心する。シャワーも浴びた。おそらくイルクーツクまで浴びることはないだろう。狭かったが、結構さっぱりした。
さっぱりと言えば、あの宮沢りえ主演の豪姫がビデオルームで流れていた。ラストシーンだけみると実につまらない映画であったことが想像される。映画館で見た人は気の毒なことだ。
昼間にナースと話をした。別にこれといった話もしてないが、彼女は夜勤明けにカバンに水をつめて、富山県内から伏木港に行き、この船に乗り、昔バレーボールをやっていたそーだ。連れの友達は船酔いがひどいらしい。
明日はいよいよ本土上陸。まずシベリア鉄道のチケットをつつがなくもらえるかという不安を抱いている今日このごろである。
それにしてもJはよく寝る。
ロシア人は大量の食事をとるらしい。朝食から異常に量が多いのである。おまけにお茶の時間まであるから、私は生まれて初めてではないかというぐらい大量の食物を摂取した。こんな食事をするからロシア人はでっかいのだろう。踊っていたおねーさんもデカイ。水夫のオヤジもでかい。
そうそうデカイといえば、謎の美女(レイナというらしい)の父にして、木彫り職人、更には宗教活動も行い、一説にはホモだとも噂されるモジャイスキーもでかい。船の上では運動不足になってしまうので私もモジャイスキーの様になってしまうのではないだろうか。しかし明日ウラジオに上陸すれば、あの荷物を持って半日以上活動せねばならない。おそらくモジャイスキーになっている暇は無いであろう。
それから今日は入門経ゼミを読んだ。私は勉強家であるなーとつくづく感心する。シャワーも浴びた。おそらくイルクーツクまで浴びることはないだろう。狭かったが、結構さっぱりした。
さっぱりと言えば、あの宮沢りえ主演の豪姫がビデオルームで流れていた。ラストシーンだけみると実につまらない映画であったことが想像される。映画館で見た人は気の毒なことだ。
昼間にナースと話をした。別にこれといった話もしてないが、彼女は夜勤明けにカバンに水をつめて、富山県内から伏木港に行き、この船に乗り、昔バレーボールをやっていたそーだ。連れの友達は船酔いがひどいらしい。
明日はいよいよ本土上陸。まずシベリア鉄道のチケットをつつがなくもらえるかという不安を抱いている今日このごろである。
それにしてもJはよく寝る。
1993年07月09日(初日) 船中
1993年07月09日(初日) 晴れのち曇、夜には小雨
伏木まではひどく暑い。出国手続きする人も、手続きを待っている人も、船の中の人も皆、不慣れである。アントニーナなんたら号の甲板に、阪神の帽子を被った謎の美女を発見。我々の話題の中心となるが、MUSIC HALLで話しかけてきたのは、伏木で会った一瞬遠目にはみゆきちゃん似かと思ったが、実際にはそうでもなかったピンクのリュックの女性であった。
この船にはMUSIC HALLなるものがあって、夜毎宴が繰り広げられているらしい。この船には酒の入ったおっちゃんが多く、我々の部屋のトイレを借りて、我々を困らせる者も現れる。海外旅行では現地人より、日本人に気をつけた方がよいようだ。まぁ、我々も似たようなものかもしれないが。
あと書くことといえば、Jがよく寝る。しかも寝起きはよくない。また、船中の食事は質、量ともにまずまず。ただし、パンはカスカスであまりうまくない。シベリア鉄道内でもこんな感じのパンを食うことになるのだろうか。少し不安であるが、まぁ、旅とはこんなものであろう。何でも食べなければ世界には出れないと、宇治の木幡から来たという内装屋のおっちゃんも言っていた。
このおっちゃんによると、我々は30歳まで頑張れば楽な暮らしができるそーだ。一理あるようだが、別に楽な暮らしをするために生きているのではないと考えるのは、若さゆえであろうか。
あと、私はロシア語の会話が全く覚えることができない。完璧に覚えたのはスパシーバぐらいで、これも明日になれば覚えているかどーか疑わしい。ズトラストヴィーチェ(?)やスパコーイナイノーチやオーチェニ・フクスーナは極めて怪しい。
最後に例の阪神美女はアイヌ系と噂されるヒゲオヤジと、ロシアの人らしいオカンが一緒にいる。
夜になって船の揺れが激しく、Nが苦しそうである。にもかかわらず、隣の部屋のロシア人グループは日本オヤジに負けず騒々しい。最初のうちは許せたが、ちょっぴり腹をたてつつある自分がいる。あー、揺れが激しい。これ以上書くと、Nの二の舞である。では、スパコーイナイノーチ。
伏木まではひどく暑い。出国手続きする人も、手続きを待っている人も、船の中の人も皆、不慣れである。アントニーナなんたら号の甲板に、阪神の帽子を被った謎の美女を発見。我々の話題の中心となるが、MUSIC HALLで話しかけてきたのは、伏木で会った一瞬遠目にはみゆきちゃん似かと思ったが、実際にはそうでもなかったピンクのリュックの女性であった。
この船にはMUSIC HALLなるものがあって、夜毎宴が繰り広げられているらしい。この船には酒の入ったおっちゃんが多く、我々の部屋のトイレを借りて、我々を困らせる者も現れる。海外旅行では現地人より、日本人に気をつけた方がよいようだ。まぁ、我々も似たようなものかもしれないが。
あと書くことといえば、Jがよく寝る。しかも寝起きはよくない。また、船中の食事は質、量ともにまずまず。ただし、パンはカスカスであまりうまくない。シベリア鉄道内でもこんな感じのパンを食うことになるのだろうか。少し不安であるが、まぁ、旅とはこんなものであろう。何でも食べなければ世界には出れないと、宇治の木幡から来たという内装屋のおっちゃんも言っていた。
このおっちゃんによると、我々は30歳まで頑張れば楽な暮らしができるそーだ。一理あるようだが、別に楽な暮らしをするために生きているのではないと考えるのは、若さゆえであろうか。
あと、私はロシア語の会話が全く覚えることができない。完璧に覚えたのはスパシーバぐらいで、これも明日になれば覚えているかどーか疑わしい。ズトラストヴィーチェ(?)やスパコーイナイノーチやオーチェニ・フクスーナは極めて怪しい。
最後に例の阪神美女はアイヌ系と噂されるヒゲオヤジと、ロシアの人らしいオカンが一緒にいる。
夜になって船の揺れが激しく、Nが苦しそうである。にもかかわらず、隣の部屋のロシア人グループは日本オヤジに負けず騒々しい。最初のうちは許せたが、ちょっぴり腹をたてつつある自分がいる。あー、揺れが激しい。これ以上書くと、Nの二の舞である。では、スパコーイナイノーチ。
街道を遼かにゆく
今は2012年なわけですが、今からさかのぼること19年前、大学3年生だった私は友人3人と一緒にウラジストクからシベリア鉄道でモスクワに行って、そこから飛行機てタジキスタンだかカザフスタンだかに入って、そこから鉄道で中国新疆ウイグル自治区のウルムチに入って、さらに鉄道で上海まで行って、そこから船に乗って神戸まで戻るという旅行をしたことがある。
で、そのときつけていた日記が手元にある。せっかくなので、「街道を遼かにゆく」のタグで公開していこうと思います。私も内容は全然覚えていないのでドキドキなんですが、ほぼ20周年なんでまぁやってみようかなと。
基本的には原文ママです。文体は「である」調になっています。ただ、同行した友人の名前は、イニシャル(SとNとJ)でごまかします。
で、そのときつけていた日記が手元にある。せっかくなので、「街道を遼かにゆく」のタグで公開していこうと思います。私も内容は全然覚えていないのでドキドキなんですが、ほぼ20周年なんでまぁやってみようかなと。
基本的には原文ママです。文体は「である」調になっています。ただ、同行した友人の名前は、イニシャル(SとNとJ)でごまかします。
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