2014年7月17日木曜日

東京から一番遠い首都はモンテビデオ

グーグルマップで2つの地点の距離が調べられるようになったというので調べてみた。

東京からウルグアイの首都モンテビデオまでの距離は1万8500キロぐらいで、よく日本の裏側みたいに言われるアルゼンチンの首都ブエノスアイレスより200キロほど遠い。

ワシントンDCからだと、インドネシアの首都ジャカルタが1万6300キロぐらいで一番遠い。


多分です。

A Fighting Chance

"A Fighting Chance"を読了。エリザベス・ウォーレン(Elizabeth Warren)上院議員の自伝です。あんまり保守ものばかり読んでいてもあれなんで、やっぱりリベラルな人たちの話も読んだ方がいいんじゃないかと思って読んでみた。非常に面白かった。あと、読みやすい。

このウォーレンさんは長らく自己破産の問題に取り組んできた法律学者で、元ハーバード大学教授。金融危機の前から「銀行が消費者に十分な情報を提供しないまま、高金利になる可能性のあるローンを貸し付けているのは問題だ」と主張してきた人です。そうした実績を買われて、金融危機後に金融サービスにおける消費者保護を目的としたConsumer Financial Protection Bureauの設立にオバマ大統領のアドバイザーとして尽力して知名度を上げ、その後、2012年の上院議員選挙でマサチューセッツ州から立候補。ティーパーティ系の共和党現職、スコット・ブラウンを破って当選したという経歴の持ち主です。そんなわけで、リベラル層からの人気が高くて、2016年の大統領選挙に出馬するのではという観測もあります。まぁ、本人は出馬を否定しているし、民主党にはヒラリー・クリントンという大本命がいますから、そんなに可能性は高くないでしょうけどね。ただ、それぐらい人気があるということです。

で、これだけでもウォーレンさんは面白い人なんですが、これだと「超あたまのいいハーバード大学のスーパーエリートか」ってなもんです。でも、ウォーレンさんの面白いのはハーバード大教授になるまでの経緯にあります。というのも、ウォーレンさんはオクラホマ州の生まれで、父親は便利屋さん(handy man)といいますからエリート家庭の出身ではない。美人でもないし、学校の成績も良くないし、スポーツもできないし、歌もダメだし、楽器もできないという、さえない感じの高校生だったそうです。しかも高校生のときに父親が病気で倒れて、学費の面からも大学進学も難しい状態だった。ただ、このウォーレンさんはディベートが大の得意だったそうで、ディベートチームのアンカーだった。そこで、ディベートで奨学金を出してくれる大学を探して、ワシントンDCにあるジョージ・ワシントン大学に進学します。

で、ここからエリート街道が始まるのかというとそうではなくて、ウォーレンさんは大学2年生のとき、4歳年上でIBM勤務のジムさんにプロポーズされて「イエス」と即答。大学をやめてしまいます。1968年、ウォーレンさんが19歳のときの話ですが、後に上院議員になるほどの女性でも当時は「女性は結婚したら家庭に入るのが当たり前」という感覚があったのだと思います。ちなみにジムさんはオクラホマにいた13歳のころからデートしていた相手だったそうです。

で、ウォーレンさんはジムさんの勤務先であるニュージャージー州で障害者学級のセラピストとして働き始めて、21歳のときに長女を出産。当時、女性運動が盛り上がっていたそうですが、ニュージャージーの郊外ではそうでもなかった(The women's movement was exploding around the country, but not in our quiet New Jersey suburb and certainly not in our little family)ということで、ウォーレンさんは良き妻であり、良き母であろうとしてきた。ただ、やっぱり何かをやりたいという気持ちもあって、そういう気持ちに対して、"I felt deeply ashamed that I didn't want to stay home full-time with my cheerful, adorable daughter."と述懐しています。

ということでウォーレンさんは学校に行くことにします。ジムさんも消極的ながらOKしてくれました。それでニュージャージー州のラトガー大学のロースクールに通い始める。法律のことなんて何も知らないのにロースクールを選んだのは、テレビでみかける弁護士が困った人たちのために戦っている姿に感銘をうけたからだそうです。

でね、ロースクール2年目の夏休みにウォールストリートの法律事務所の夏季アシスタントの仕事の面接に行ったときのエピソードがあるんですが、これがかっこいいので紹介します。

女性の秘書や事務員はたくさんいるけど、女性の弁護士はほとんどいない法律事務所だったそうですが、面接官の弁護士がウォーレンさんの履歴書をみて、"There's a typographical error on your resume. Should I take that as a sign of the quality of the work you do?"(あなたの履歴書にはタイプミスがあるけど、これはあなたの仕事の質のあらわれだと考えていいですか?)って尋ねたそうです。そしたら、ウォーレンさんはたじろぐことなく、"You should take it as a sign that you'd better not hire me to type."(私にタイプをさせるだけの仕事をさせるべきではないということのあらわれですね)と切り返したそうです。面接官の弁護士は笑って「君ならいい仕事をしてくれるだろう」と言って、ウォーレンさんを採用してくれたとのこと。帰りの電車で履歴書を見直したら、タイプミスはなかったそうです。わはは。ドラマみたい。

ウォーレンさんは27歳でロースクールを卒業。でもこれでウォーレンさんの法律家としての栄光のキャリアが始まるわけじゃない。実はウォーレンさんはこのとき、第2子の長男を妊娠中で、弁護士試験を受けたのは出産後。自宅に"Elizabeth Warren, Attorney-at-Law"という看板を出して開業します。依頼者が来たら、おもちゃをカウチの下に隠してリビングルームで会おうと思っていたそうです。でも実際には、ラトガース大学から「1週間に1晩だけ、法律文書の授業をもたないか」というオファーを受けて、大学で教鞭をとるようになる。で、1年ほどしたら、ジムさんの転勤先であるヒューストンに引っ越すことになって、またイチから職探しです。そこで、ヒューストン大学のロースクールに願書を出します。教職の空きがあるかどうかも分からない状態ですが、"I was now an experienced law teacher (sort of) and I'd be interested in teaching legal writing at the University of Huston (or anything else they needed), and so on"というノリでの職探しだったそうです。そしたら、しばらくして教授として採用されることが決まります。

で、順風満帆のキャリアが始まるかと思いきや、仕事と育児の両立に悩むことになる。大学での授業を終えた後、保育園に長男(Alex)を迎えいったときの様子が書かれていて、これがまぁリアルな感じです。長いですが、引用します。Ameliaは長女ですね。


"I picked him up. His diaper was soggy, and I tried to lay him down on the cot to change him, but he clung to me and cried. I gave up and carried him to the car. By now, he was going full force, crying louder and kicking. I had tears, pee, and baby snot on my blouse. By the time we got home, he was exhausted and so was I. I called our neighbor Sue and asked her to send Amelia home. I gave Alex a bath and started crumbling up hamburger in a skillet as I made dinner. I put in a load of laundry. When I was in law school, Amelia and I had been buddies. She allowed me to believe that a life that combined inside and outside --family and not family-- could actually work. But Alex cried for hours at a time, turning red and sweating and seeming to be furious at my inability to fix whatever was wrong. Once I started teaching, mornings were torture. Alex knocked his cereal bowl across the room and cried when I dressed him. He kicked me while I tried to fasten him in his car seat and clung to me when I needed to leave. I was outmatched. I was so tired that my bones hurt. Alex still woke up about three every morning. I'd stumble out of bed when he cried, afraid he'd wake Amelia or Jim. I'd feel around in the dark, wrap us together in a blanket, and then rock him back and forth in an old rocking chair I'd had since I was a kid. We held each other, and for a while each night while I drifted in and out of sleep, I prayed that he forgave me for my many shortcomings."

上手に訳すのは難しいですが、全米のワーキングマザーが泣いちゃうんじゃないかっていうぐらいのリアルな感じ。ウォーレンさんは叔母に自宅に住み込んでもらって生活を立て直そうとするのですが、そうした生活にジムさんは不満を抱いていました。で、離婚しちゃんです。

"One night I'd left the dishes until after I'd put both kids to bed, and I was cleaning up in the kitchen. Jim was standing in the doorway, smoking a cigarette, just looking at me. I asked him if he wanted a divorce. I'm not sure why I asked. It was as if the question just fell out of my mouth. I was shocked that I'd said it. Jim looked back at me and said, "Yes." No hesitation, just yes. He moved out the next weekend."

なんたる。なーんたる。ひどい話だと思いますが、ウォーレンさんはジムさんを責めるような心境でもないようです。「ジムは19歳の女の子と結婚したけど、その私は本人さえも予想しなかったような女性になってしまった。このことはとても申し訳なく思うけど、もう引き返すことはできない。私は料理上手な主婦にならねばならなかったのかもしれないけれど、ダメにしてしまった。私は100%を家庭と子供に捧げるべきだったかもしれないけれど、私たちの生活は、私もジムも予想しなかったようなものになってしまった。私はこの大冒険が大好きだったけど、ジムは違った」としています。1970年代後半ごろの話ですね。

ウォーレンさんはこの後、両親も呼び寄せて子育てをサポートしてもらって、自分は大学教授の仕事に集中します。で、法律の歴史を専門にしている大学教授のブルースさんと再婚して、全米屈指のロースクールがあるテキサス大学オースティン校に転籍して、自己破産の増加について関心を持つようになった。自己破産というのは借金が返せなくなった人たちが家とか自動車とかいったほとんど全ての資産を放棄することと引き替えに、返済しきれなかった借金を帳消しにしてもらって再スタートを切るという法的な制度なわけですが、ウォレンさんは「どうして、人々は金銭的にそこまで追い込まれてしまうのか?」ということを研究のテーマとして、「自己破産に至るのは、病気とか解雇といった突然の出来事で、事業のための借金や住宅ローンなどの返済が滞るようになった、ごく普通のまじめで勤勉な人たちだ」という結論に至ります。さらにウォーレンさんはその背景には、1980年代に貸し出し金利の上限が撤廃されたことで、銀行業が大きく変質したことがあると主張します。それまでは決められた上限金利のなかで、借り手が返済可能かどうかを見極めたうえで融資を実行するのがバンカーの手腕だったわけですが、上限金利がなくなったことで返済できないような借り手にも高い金利で貸し出せば銀行ビジネスが成り立つという構図ができた。その結果として、自己破産が増えているといわけです。

自由市場主義に基づいた保守派なんかは「自分が返済可能かどうかは自分で判断すべき問題だ。自己破産を銀行の責任にするな」という反論もあるわけですが、ウォーレンさんは「銀行が融資の際に貸し出し条件を十分に説明していない」と批判します。また、借金返済に苦しんでいる人たちは何も借りたお金で放蕩三昧の生活をしているわけじゃないともしています。

例えば、こういうパターンですね。自分の収入はそれほど高くないけれど、子供にはいい教育を受けさせてやりたいから、少しでもレベルの高い学校の学区に住みたい。そうした学区の家は値段が高いけど、ちょっと無理して住宅ローンを組む。金利は高めだけれど、銀行もOKしてくれたし、しばらくは順調に返済もできていた。でも、そのうちに自分が病気になってしまって、家族の収入が激減してしまった。家を売却してローンを返済しようにも、住宅市場が悪化していて返済仕切れない。それで自己破産するしかなかった。

ウォーレンさんの研究は、実際にこうした経験をした人たちへのインタビューをもとにしているんだそうです。ウォーレンさんは自己破産の専門家として銀行への規制強化の必要性を主張。その間、ハーバードに移籍したり、議会と接触をもって自己破産の際の借り手の負担を少なくするための法律改正などにも取り組んだりもします。

もういい加減、長すぎるんでこのあたりにしますけど、この本の中には、法改正をめぐってマサチューセッツ州選出のエドワード・ケネディ上院議員に直談判したり、金融業界のロビイストたちと対立したり、スコット・ブラウン氏との上院選挙での激しい戦いといったいった面白エピソードも盛りだくさん。銀行にとって有利な法律改正を支持していたとして、バイデン副大統領(当時は上院議員)がさりげなくディスられたりもします。そんななかで、冒頭に書いたようにオバマ大統領のアドバイザーになって、上院議員になる。ちなみにスコット・ブラウン氏は、ケネディ上院議員の死後の補選で、リベラルの牙城であるマサチューセッツ州でティーパーティの支援をうけて勝利したという人ですね。ケネディ家の遺産を取り返したというドラマなわけです。


オクラホマのディベートだけが得意なさえない女子高生が、子育てと仕事の両立に悩みながらシングルマザーになった末に、学問の世界でキャリアを築きあげ、真面目に働く中間層のために立ち上がって大銀行と対決し、ついにはケネディ家の遺産を取り返して上院議員になった。そりゃ、人気も出ますわな。ウォーレンさんに出馬を促す勝手連もできているようですし、ヒラリーさんには「銀行業界からも沢山の献金を受けている」という批判もあります。

まぁ、要注目ってことで。