2012年9月29日土曜日

こうなのか尖閣

サンフランシスコ平和条約から沖縄返還協定までの流れを中国側の主張に沿ってみると、

1951年9月のサンフランシスコ平和条約では釣魚島は米国の委託統治地域に含まれていなかった。
1952年2月の68号令、1953年12月の27号令で、琉球列島米国民政府は勝手に委任管理の範囲を拡大し、釣魚島を管轄下に組み込んだ。
1971年6月の沖縄返還協定で釣魚島が日本に返還された際、中国は抗議した。

となります。

で、ちょっと疑問に思ったのですが、中国は1952、53年に米国が尖閣諸島を管轄下に組み入れた際に何の抗議もしなかったのかという点。白書では「1958年に領海に関する声明を発表し、台湾およびその周辺諸島は中国に属すると宣言した」とは書いてありますが、随分と時間があいている。中国が本当に尖閣諸島を自国領土だと認識していたのだったら、68号令、27号令が出た時点ですぐに猛烈に抗議していたはずじゃなかったのか。

あと、中国は下関条約で日本に割譲された尖閣諸島はカイロ宣言やポツダム宣言で中国に返還されたという立場のようですが、それだったら、その時点で尖閣諸島への実効支配を進めるような手段をとっているはずではなかったのか。

まぁ、そんなことを考えていると、外務省サイトのQ&Aのなかにある「1968年秋、日本、台湾、韓国の専門家が中心となって国連アジア極東経済委員会(ECAFE:UN Economic Commission for Asia and Pacific)の協力を得て行った学術調査の結果、東シナ海に石油埋蔵の可能性ありとの指摘がなされ、尖閣諸島に対し注目が集まった」ことを背景として、1971年の沖縄返還協定を機に中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めたのかなという気がします。

一方、昔の話については、14、15世紀ごろに尖閣諸島を実効支配していたのは中国だったんだけれど、その後、誰も利用していない無人島になっちゃって、それを1895年1月に日本政府が管轄下においたということなんだと思う。ただ、この手続きが国際法上有効なのかどうかは分りません。でも、有効じゃなかったからといって、「尖閣は中国のもの」という結論になるわけでもない気がする。そんなこと言い出したら、世界中の国境がガタガタになっちゃうんじゃないのか。


ただ、領土をめぐる問題というのは今に始まったことではないわけです。にもかかわらず、日中間の経済的、文化的な交流は拡大してきたわけで、まぁ、しばらくすれば仲直りの機運が出てくるんじゃないですかね。中国人だって日本車や日本企業の建物を壊したところで何のメリットもないことは気づくでしょう。あんな映像みせられたら、どんな外国企業だって「中国に投資することのリスク」を再認識するだろうし、「最近、中国の賃金も高くなってきたこともあるから、次の工場はベトナムかミャンマーに建てようかな」と思うかもしれない。

日本としては政治的には闘いつつ、あと中国の暴動のひどさを国際社会に訴えつつ、ユニクロ着て中華料理を食っていればいいんだと思います。

どうなんだ尖閣

尖閣問題についての日本の主張を調べてみました。まぁ、外務省のサイトをみただけですけど。

ちなみに前回、中国側の主張をまとめるために読んだ「釣魚島は中国固有の領土である白書」は、人民日報日本語版のサイトにあります。

で、日本側の主張なんですが、

・日本は国際法の手続きに則って尖閣諸島が無主地であることを確認し、1895年1月に尖閣諸島を領土に編入した。(←中国は「釣魚島は古来から中国の領土だった」「日本は釣魚島編入の手続きを秘密裏に進めており、国際法上の効力はない」と主張)

・なので1895年5月の下関条約(馬関条約)によって、中国から日本に割譲されたものではない。(←中国は「馬関条約で中国から日本に割譲された」「(馬関条約を否定した)『カイロ宣言』『ポツダム宣言』『日本降伏文書』に基づき、釣魚島は台湾の付属島嶼として台湾といっしょに中国に返還されるべきもの」と主張)

・1951年のサンフランシスコ平和条約で日本が放棄した領土に尖閣諸島は含まれておらず、南西諸島の一部としてアメリカの施政下に置かれた。(←中国は「アメリカの施政下におかれた南西諸島に釣魚島は含まれていない」「アメリカは52年2月の68号令、53年12月の27号令で、釣魚島を管轄下に組み込んだ」と主張)

・1971年の沖縄返還協定で尖閣諸島は日本に返還された。(←中国は「沖縄返還協定には声明を発表して抗議している」と主張)

・中国は1970年後半に尖閣諸島周辺で石油開発の動きが出てきたことを受けて、尖閣諸島の領有権を問題とし始めた。(←中国は「中国はサンフランシスコ平和条約に反対。1958年には領海に関する声明を発表して、釣魚島の領有を主張している」と主張)

ということです。意見があいませんなぁ。


まず「日本は尖閣諸島は無主地であることを確認のうえで領土に編入した」という日本の主張が正しいかどうかですけど、中国は「順風相送」「中山世鑑」とかいった古い文献を持ち出したり、手続きの正当性に疑問を投げかけて否定しています。これに対して、日本側はさっきの外務省サイトからリンクされているQ&Aで、「(中国の指摘は)いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とは言えません」とだけ反論しています。でも、これだけじゃ日本の主張が正しいのかどうかよく分りません。

次は「尖閣諸島は下関条約で中国から日本に割譲されたものではない」という日本の主張について。下関条約第2条では「奉天省南部」「台湾と付属島嶼」「澎湖列島」が日本に割譲されることになっています。で、中国は魚釣島は白書で「台湾の付属島嶼としてともに日本に割譲された」と主張している。下関条約は台湾の付属島嶼がどの島であるかは明示していなくて、細かい範囲は両国から選出した境界共同画定委員が決めるとなっています。この画定委員がどんな判断を下したかは、ちょっとインターネットで検索してみたぐらいでは分りません。多分。ちなみに下関条約はこちら

「サンフランシスコ平和条約で日本が放棄した領土に尖閣諸島は含まれていない」という日本の主張については、サンフランシスコ平和条約を読めば分るんじゃないか。で、読んでみると、放棄する地域について定めた第2条に「台湾および澎湖諸島」が含まれている。中国的には釣魚島は台湾の付属島嶼なわけだから、「台湾と書いてあるんだから、その付属島嶼である釣魚島も含まれているに決まっている」と言いたいのかもしれません。日本にすれば「付属島嶼なんてどこにも書いていないじゃんかよ」ということでしょう。で、アメリカが委託統治する地域を定めた第3条には「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)」というのが入っている。尖閣諸島は北緯25~26度ぐらいですから、まぁ、尖閣は南西諸島に含まれているのかなという気もします。サンフランシスコ平和条約はこちら

沖縄返還協定で尖閣諸島が日本に返還されたことについては、中国も認めています。白書によると、1971年12月30日に「米日両国政府が沖縄『返還』協定で、中国の釣魚島などの島嶼を『返還地域』に組み入れたことは、まったく不法なことであり、これは中華人民共和国の釣魚島などの島嶼に対する領土主権をいささかも改変し得るものではない」と抗議したとしています。つまり、1951年のサンフランシスコ平和条約で米国に統治委託された地域に魚釣島は含まれていなかったので抗議しなかったけど、71年の沖縄返還協定の範囲には魚釣島が含まれていたので抗議したということじゃないでしょうか。

このあたりの経緯が日本からすれば、「中国は尖閣周辺で石油が出るかもという話になったので急に領有権を主張し始めたのではないか」という主張につながるんだと思います。


長いので、続きます。

2012年9月27日木曜日

なんなんだ尖閣

尖閣問題がよく分らないので、中国政府が9月25日に発表した「釣魚島は中国固有の領土である白書」というのを読んでみた。中国の基本的な立場をまとめたものらしい。

それによると、

1)釣魚島は中国固有の領土である
2)日本は釣魚島を窃取した
3)米日が釣魚島をひそかに授受したことは不法かつ無効である
4)釣魚島の主権に対する日本の主張にはまったく根拠がない
5)中国は釣魚島の主権を守るために断固として闘う

ということのようです。

それぞれのポイントを簡単に要約してみると、

1)釣魚島は中国固有の領土である
明代の1403年に完成した「順風相送」という本に釣魚島などの地名が記載されている。また1372~1866年にかけて明、清の朝廷が琉球王国に使節(冊封使)を派遣する際、釣魚島は中継地点として使われていた。1650年の琉球王国最初の正史「中山世鑑」には、「久米島が琉球王国の西端である」という趣旨の記述があり、釣魚島は琉球王国の領土に含まれていない。明代、清代の地図では釣魚島が海防範囲に組み入れられており、1871年の「重纂福建通史」は、釣魚島が台湾府クバラン庁(現・宜蘭県)に属していたとしている。また、日本で最も早く釣魚島について記述した1785年の「三国通覧図説」では、釣魚島は中国大陸と同じ色で表示されている。

2)日本は釣魚島を窃取した
日本は1879年に琉球を併呑して、沖縄県と改名。さらに甲午戦争(日清戦争)の最中である1895年1月に釣魚島を沖縄県の管轄下に編入した。しかし日本が釣魚島の調査を始めた1885年から95年の編入までの過程は秘密裏に行われており、釣魚島の主権に対する日本の主張は国際法に定められた効力をもたない。95年4月の馬関条約(下関条約)で「台湾と付属島嶼」が日本に割譲されたが、釣魚島はこの付属島嶼に含まれていた。

3)米日が釣魚島をひそかに授受したことは不法かつ無効である
1941年12月に中国政府は日本に宣戦布告し、43年12月の「カイロ宣言」で、日本が窃取した東北四省や台湾などを中華民国に返還すると定めた。45年7月のポツダム宣言は、「カイロ宣言の条件は必ず実施されなければならない」としている。日本はこのポツダム宣言は45年9月に受諾した。45年10月、台湾が中国政府に回復され、72年9月に中日共同声明で日本は台湾が中国の不可分の一部であることを理解し、尊重することに合意した。1951年9月に日本が米国と結んだサンフランシスコ講和条約では、米国が委任管理する南西諸島のなかに釣魚島は含まれていない。しかし琉球列島米国民政府は52年2月、53年12月に公布した68号令(琉球政府章典)と27号令(琉球列島の地理的境界に関する布告)で、釣魚島を管轄下に組み込んだ。71年6月、米国は日本と沖縄返還協定を結び、琉球諸島と釣魚島の施政権を日本に返還したが、これに対して中国は「釣魚島などの島嶼を返還地域に組み入れたことは全く不法なことだ」と指摘。台湾当局も断固たる反対の意を示した。71年11月、米国務省は声明で、中日双方の相反する領土権の主張においては、米国は中立的な立場をとることを表明した。

4)釣魚島の主権に対する日本の主張にはまったく根拠がない
日本は72年3月の「尖閣諸島の領有権についての基本見解」で、釣魚島は元々「無主地」であって、馬関条約で清国から割譲されたわけではなく、サンフランシスコ講和条約で南西諸島の一部として米国の施政下におかれ、沖縄返還協定で日本に返還されたとしている。また、中国はサンフランシスコ講和条約で米国の施政下に釣魚島が含まれていた事実になんら異議を唱えてこなかったとしている。しかし、これらは間違いだ。

5)中国は釣魚島の主権を守るために断固として闘う
中国は1951年8月、サンフランシスコ講話会議が開催される前に、「その内容と結果のいかんに関わらず、すべて不法であり、無効であるとみなす」との声明を発表している。71年の沖縄返還協定の採択に際しても、釣魚島は昔から中国の領土であるとの声明を出した。58年、中国は領海に関する声明を発表し、釣魚島が中国に属することを宣言。92年の「中華人民共和国領海および隣接区法」では、「台湾および釣魚島を含むその付属諸島」が中国の領土であると定めている。2000年代に入ってからも、主張を続けている。1970年代の中日国交正常化の際には、両国の先代の指導者たちは「釣魚島の問題を棚上げし、将来の解決にゆだねる」ことについて共通認識に達した。


ということなんだそうです。


つまり、中国は、

・釣魚島は14、15世紀ごろから中国の領土として認識され、使用されてきた
・それが1895年の馬関条約で日本に割譲された
・しかし1945年に日本がポツダム宣言を受諾したことで、馬関条約は無効となり、釣魚島は中国に返還されたはずだ
・51年のサンフランシスコ平和条約によって米国が委任管理した南西諸島のなかに釣魚島は含まれていなかった(釣魚島は中国に返還されているのだから、当然ということか?)
・琉球列島米国民政府は52~53年の布告で釣魚島を管轄下に組み込み、71年の沖縄返還協定で釣魚島も日本に返還したというが、中国は反対の意を示してきた。米国も領土問題に関しては中立であることを認めている

との主張のようです。


日本の主張はまた調べてみます。