2015年1月16日金曜日

U.S.-Chinise Relations: Perilous Past, Pragmatic Present (Second Edition)

“U.S.-Chinise Relations: Perilous Past, Pragmatic Present (Second Edition)”という本を読み終わりました。米国のアジア外交の研究者である、ジョージ・ワシントン大学のロバート・サター教授の本です。1968年~2001年までは議会調査局とかCIAとか国務省とか上院外交委員会で働いていたそうで、知人によると、事実関係を冷静に積み上げていく研究手法で知られている人だそうです。ニクソンの本を読んだときに、1972年のニクソン訪中の話が出てきたんで、米中関係の歴史を学んでおこうかというつもりで読みました。勉強になりました。長いですが。

米中関係の歴史は長いわけですが、19世紀の終わり以降の欧州の列強や日本が中国大陸に進出していたころには、米国は中国で目立った活動をしていませんでした。一部の外交官とかビジネスマンとか宣教師とかは中国にいたけど、欧州や日本のように領土を奪ってしまおうなどと画策するわけではなかった。日本の関東軍が満州事変を起こしたのは1931年ですが、そのころの米国の指導者たちは1929年からの大恐慌への対応に手をとられている時期だった。そのため、「中国の領土的統一を支持する」なんてコメントするに留めて、積極的に中国の見方をするわけでもなく、列強と一緒に中国大陸で領土を分捕ろうとするわけでもなかった。内向きだったんですね。

で、1941年の真珠湾攻撃で日米が開戦すると、米国の中国大陸での存在感も増していく。米国は中国での共産党と国民党の対立については国民党を支持する。共産党はソ連とつながっているわけだし、そもそも共産党軍ってそんなに強くないんじゃないのという見立てもあった。これに対して共産党内では「国民党を支持する米国はやっぱり悪い国だな」という印象が強まる。その後、米国の見立てが外れるかたちで、国共内戦は共産党の勝利で終結。共産党は1949年の中華人民共和国建国後もソ連と連携を続け、中国と米国は対立の道に進んでいく。冷戦の始まりです。

米国は冷戦期の最初のころ、中国を封じ込めようとした。1954年には台湾との間で相互防衛条約を締結して、台湾危機が起きる。ただし中国はスターリン死後のソ連が米中の対立に巻き込まれることに慎重になっていったこともあり、米国に対して強硬な態度をとれるような状態でもなかった。このため台湾危機は収束に向かいます。また中国とソ連の間では路線対立が激しくなって、ソ連が1960年に中国への援助を停止したり、中国が1962年のキューバ危機でソ連が米国との対決を避けたことを批判するといった応酬もあった。当時はソ連と中国の間では国境問題もあったそうです。そんななかで1972年のニクソン訪中が実現します。

ニクソン政権がどのような判断で中国との国交回復に向かったかもよく分からない。というのも多くの資料が非公開となっているうえ、関係者の証言が事実と食い違っていたりするんだそうです。ただし米国はベトナム戦争の失敗とソ連のアジアなどでの影響力拡大を懸念して、中国との関係強化を図ろうとしていたことははっきりしているし、ニクソンが米中関係の改善を米国内での支持固めに利用して、1972年の再選を確実にしようとしたことも明らか。実際、ニクソンの判断は国内で支持された。

またニクソン訪中のころ、中国側でどのような意志決定があったのかも不明だそうですが、文化大革命を生き延びた葉剣英が毛沢東に対して、米国との関係強化でソ連の脅威に対応するよう助言していたことは分かっている。1970年代はソ連が中ソ国境に核ミサイルを配置したり、中国沿岸での海軍活動を強化したり、ベトナムでの軍事的プレゼンスを強めていたりした時期。ニクソン政権やフォード政権がソ連とのデタントに向かっていることに中国は不満を抱いていたという状況だった。

で、その後、米中間で国交正常化に向けた協議が続けられた。カーター政権下の1978年に発表された米中共同声明は、米中の国交を樹立するとともに、米国は中華人民共和国が正式な中国政府で、台湾は中国の一部であることを認め、台湾との国交や防衛条約を終わらせるというものだった。一方で、米国は台湾への武器供与を続けるともしている。ただ、カーターとブレジンスキー補佐官は中国との交渉を秘密裏に進めており、共同宣言の内容には議会からは、「台湾との国交を断絶する必要はないじゃないか」といった強い批判が出た。で、議会は1979年に台湾関係法(Taiwan Relation Act)を通し、カーターもこれに署名する。台湾関係法はもともとカーター政権主導の法案だったが、議会が武器供与や経済関係や人権や議会による監視や武力行使への反対といった内容を付け加えた。

ソ連が1979年にアフガンに侵攻して米ソ間のデタントが崩壊すると、中国はソ連が米国と仲良くなって、余裕をもって中国にプレシャーをかけるという事態を心配しなくてもよくなった。で、1981~82年ごろには、ソ連と関係を改善して、米国に厳しい態度を取るという方向性が模索された。一方、レーガンは1980年の大統領選挙戦でカーターの台湾政策を批判し、当選後も基本的には台湾関係法に軸足を置いた対中国外交をとるんだと主張した。しかし実際には、ヘイグ国務長官は米中関係を重視し、台湾への武器供与に反対したりした。1982年8月の第三次米中共同声明では、米国は台湾への武器供与を段階的に減らし、中国は台湾との平和的な統一を目指すとされた。共同声明は玉虫色の内容で、レーガン政権はその後も台湾へのサポートを続けたんだけど、ヘイグ国務長官時代は対中融和路線が強かったということです。

ただ、共同声明発表直前に就任したシュルツ国務長官は、ポール・ウォルフォビッツ、リチャード・アーミテージらを起用して対中強硬外交に転じ、日本や他の東アジア諸国との関係強化を重視していく。

シュルツらが方針を転換した理由には、

○中国が米ソデタント崩壊後に米国に厳しい態度をとるようになったのをみて、中国は米国と協力する気がないのだと見切りをつけた
○中国は国内経済の改革に忙しくて、東アジアで無茶をすることはないとの判断もあった
○レーガン政権は軍事力を強化したので、中国なしでソ連と対決することへの自信が出ていた
○中曽根内閣下の日本との同盟関係強化が進んでいた

なんていうものがあったそうです。こうした米国の強硬な態度をみて、中国は米国に厳しい態度をとる方向性を改めて米国との関係強化に乗り出し、台湾のことでやかましく言うのを控えるようになる。中国は経済成長のためには欧米との関係強化が重要だという事情もあった。レーガンが1984年に訪中した際には温かく迎えられた。

で、1989年に天安門事件が起きる。この結果、米国の中国に対する印象は大幅に悪化した。さらに1991年にはソ連が崩壊。米国がソ連への対抗のために中国と連携する必要は薄れる。一方で台湾では民主化が進んでいて、米国内で台湾の人気が高まる。米中関係にとって良い材料がなくなった時期です。それでも父ブッシュは中国との現実的な関係維持を図りますが、議会から弱腰批判を受けて、1992年の再選に失敗していまいます。

一方の中国は国内の安定化に力を注ぎつつ、米国など西側が共産党体制や台湾、チベット、香港などの問題に介入することを批判した。ただ、鄧小平が1992年に南巡講和を行って、1993年からの経済成長が始まると、米国もそれに注目するようになる。中国も経済成長のためには米国との決定的な対立は避ける方針をとる。

1993年に就任したクリントンは中国の人権問題と米中貿易をリンクさせる姿勢をとって支持されたが、議会や産業界からは反発が強まった。その結果、クリントンは1994年に人権問題と米中貿易のリンクを終わらせる。一方で米国内の台湾支持派は台湾の李登輝総統が私人として米国を訪問するよう認めるよう要求。米政府はビザ発行を認めない方針を示したが、その後、クリントンが訪問を容認し、1995年に李登輝の訪問が実現した。これに反発する中国が台湾海峡で大規模な軍事演習を行い、クリントンは空母を同海域に派遣し、第三次台湾海峡危機に至った。でも、クリントンとしても決定的な対立は避けたいので、1997年と1998年に米中首脳会談がもたれ、1999年に中国がWTOに加盟することが承認される。クリントンは、中国に対するPermanent Normal Trade Relations(PNTR)を認める法律が2000年に成立することも確約。大統領が議会に諮ることなく、最恵国待遇が毎年更新されることになった。このあたりの米国の対応は腰が定まっていない感じです。

一方の中国側では1999年に米国がユーゴスラビアの首都、ベオグラードで中国大使館を誤爆したことへの反発が出たが、やはり米国との対立は避ける方針が採られた。米国は世界で唯一の超大国で、米国との関係維持は中国の経済発展にとって不可欠。観光や日本、南シナ海、台湾などに影響力がある米国との良好な関係を維持せねばならないとの判断だった。

2001年に就任した子ブッシュは対中関係よりも日本などとの関係を重視したうえ、ロシアやインドとも関係を強化しようとした。中国に対しては人権や台湾の問題を積極的に取り上げたし、中国が大量破壊兵器を拡散させたとして経済制裁も打ち出した。シュルツ国務長官のもとで働いたアーミテージが国務次官補になったことは偶然ではない。このため2001年4月に南シナ海上空で米軍機と中国軍の戦闘機が衝突する事件(海南島事件)が起きた際は米中関係が悪化すると予想された。でも、双方は冷静に対応し、この時期の米中関係は良好だった。もちろん2001年9月の米中枢同時多発テロで中国の重要性が薄れたことも要因です。また中国が政権移行期前の国内問題が難しい時期にあったことも影響している。しかしサターさんは、子ブッシュ政権が中国に対する厳しい姿勢を打ち出していたことが最も重要な要因だとします。

良好な関係を築いた米中は北朝鮮の核問題で連携し、子ブッシュは台湾の陳水扁総統に独立に向けたステップを採らないように戒めた。一方では、中国の経済発展に伴って米国内には、中国との貿易赤字、知的財産権の取扱い、為替レートの水準、中国による米国債購入、中国によるユノカル買収なんかの問題が意識されるようになった。2006年の中間選挙で民主党が勝利し、議会が子ブッシュ政権に対中政策の変更を迫るとの観測もあった。でも、子ブッシュ政権は中国を為替操作国と認定することを拒否。中国の人権問題に対する懸念も、中国でのビジネスチャンスへの期待で相殺された。

2006年ごろの中国の要人発言や文書にみられる外交方針は、

○国際社会で超大国を目指す
○中国の経済発展の基盤となる安定的な外交環境を追及する
○中国の発展を阻害するような国際的な公約は避ける
○中国の国内外での成功は中国に応分の責任を求める国際社会との緊密な関係にかかっていることを認識する

といったようなものだったそうです。

2009年に発足したオバマ政権はブッシュ政権の対中政策から大きな変化をみせていない。大統領選の最中でも、最近の大統領選挙ではめずらしく対中政策を争点にしなかった。オバマの外交方針は、経済危機とか気候変動、核拡散、テロとかいったグローバルな問題に対応するため、中国も含めた国際社会全体と協調するというものです。

ただ、中国はオバマの期待に応えていない。国際的な責任を果たすことは中国の経済発展を損なうとの懸念があるためだそうです。それどころか中国は2009年から2010年にかけて、攻撃的な行動をとるようになる。南シナ海に哨戒船を出したり、EEZ内の航行の自由を制限できるんだと主張したり、黄海での米韓軍事演習に反対したり、台湾への武器供与やオバマとダライラマとの面会にこれまで以上に反発したり、米国債への投資をやめて決済通貨でもドルを減らすと言ったり、尖閣諸島が日米安保条約の対象となっているとの見解に激しく反発したりした。こうした態度はアジア各国の中国への警戒感を強め、米国への期待を高めることになる。

一方でオバマ政権は中国の軍事力増強に対して軍事的な対応をとる用意があることを表明し、北朝鮮の問題は米国に対する直接的な脅威だとして中国に対応を求めた。2011年1月に胡錦濤国家主席が訪米した際には、中国からの米国批判は影を潜めていた。中国は北朝鮮に挑発をやめさせ、イランへの制裁緩和を求めず、人民元の切り上げに応じ、2010年12月のカンクンでのCOP16では気候変動問題で協力的になった。

またオバマ政権は2011年にアジア重視戦略を打ち出して、アジア太平洋地域で中国と影響力を競い合う姿勢を示すとともに、中国との関係強化も重要であるとの立場を示す。しかしこれに対しては、一度は攻撃的な態度を改めたかにみえた中国で、再び米国に対してより強硬な立場をとるべきだとのムードが盛り上がる。2012年から2013年にかけて、南シナ海で中国漁船がフィリピン当局に拿捕されたことを機に、南シナ海での活動を強化し、九断線に基づく領海の主張をしたり、尖閣諸島にかんする論戦を展開したりした。中国はこうした強硬路線は成功したとみなしている。

まぁ、ここまでで半分ぐらいです。大体の流れはあたっているはずです。間違いがないという自信はありませんが。

サターさんはこの後、米中関係の行く末について考察を進めますが、結論としては「楽観視できるものではないので、気をつけてウォッチしていかなきゃいけないよね」っていうことでした。

こうやって米中関係の歴史を振り返ってみると、米中関係っていうのは台湾問題がキモであることがよく分かります。サターさんは「米中国交正常化の歴史は、米国が対中関係から利益を得ることと引き替えに、米国と台湾の関係を弱める方向で譲歩していくことだった」としています。2008年に台湾で馬英休総統が就任して親中国路線をとっているので、現在のところは台湾をめぐる米中の対立は大きくなっていないですが、台湾で政権交代があったりして独立路線に切り替わったりすると、米中対立に火がつく可能性がある。

あと、サターさんはレーガン政権下のシュルツ国務長官時代や子ブッシュ政権下での対中強硬路線が中国からの融和を引き出したという点を強く主張しています。サターさん自身が「他にもいろんな見方があるけれど、私はこう思う」というかたちで書いているので、異論があることは間違いないのですが、中国に対して毅然とした態度を取らねばならないぞという立場の人たちはこうした歴史上の経緯を論拠にしているんだなと思った次第です。

サターさんは米国は中国を国際関係のロープで縛り付けて、勝手な行動を取らせないようにする「ガリバー戦略」は上手く機能しているとする一方で、相互不信に基づいたものであるという弱みはあると指摘します。中国が今後も友好的な態度を維持するかどうかは不明。中国は成熟した大人の国になったとみる向きもあるが、中国の指導者はしばしば揺らぎやすく、予想外の動きをみせるとのこと。

中国の経済力が米国を上回る時代になれば、中国を国際関係のロープで縛り付けるどころか、中国が米国などを国際関係のロープで縛り付けるという状態にもなったりするんでしょうか。台湾とか共産党一党支配とかに文句を言わなければ、めったなことは起こらないのかもしれませんが、中国の南シナ海とか東シナ海とかでの領有権の主張をみたりすると、あんまりいい予感はしないですよね。