2016年9月29日木曜日

"American Immigration: a very short introduction"

"American Immigration: a very short introduction"という本を読んだ。David Gerverというニューヨーク州立大学バッファロー校の歴史学の教授が書いた本です。米国で何かと話題な移民問題について、歴史的な文脈をちゃんと調べておこうというつもりで読みました。簡潔で、分かりやすく、勉強になりました。

米国は1789年の建国後、3つの移民ブームがあったそうです。

1回目は1840年代から1850年代:欧州での食料危機をきっかけに、アイルランドやドイツからの移民が増える。400万人以上。農地開発が進んでいた北西部に向かう。多くはカトリック教徒だった。

2回目は1890年代から第一次世界大戦の時期:1890年代の不況をきっかけに、欧州からの移民が増える。1901年~1920年で1170万人。南欧、中欧、東欧からの移民の割合が急激に高まる。ユダヤ教とか、正教派、カトリックが含まれる。顔立ちもアングロ・アメリカンとは異なる。多くは独身の男性で、稼ぐだけ稼いで母国に帰ろうという意識が強かった。第一次大戦中は政府が移民たちに大して、米国債を買い、米軍に入隊するよう呼びかけた。

3回目は1965年の移民法の改正後の時代:第二次世界大戦後に移民の受け入れ割り当ての緩和が段階的に進められ、荒廃した欧州や共産主義化した国々から移民が増えた。西側唯一の超大国となった米国には移民への警戒も少なくなっていた。こうしたタイミングで1965年にImmigration and nationality Actが成立。各国別の移民受け入れ割り当てや人種の考慮を廃止した。東半球からの移民受け入れは年間17万人が上限(1カ国最大2万人)、西半球からは12万人が上限。ビザ発行は先着順。欧州以外からの移民が急増し、1980年代から1990年代の移民は13%が欧州からで、82%がアジアや南アメリカから。メキシコからの不法移民も増える。


もともと米国は広大な農地や資源を開発するため、大量の労働力を必要としています。産業化が始まると、工場で働く人たちも必要になる。一方、世界にはどの時代でも母国での生活に苦しんでいる人たちがたくさんいて、その人たちが米国での稼ぎや安定を夢見て自発的に米国に移り住むようになっていくわけです。日本だって、かつては大量の移民を送り出した時代がありました。そうすると次第に、米国内で出身地域別に働く業種に偏りが出てきます。アイルランド系は"ditch digger"、ポーランド系は鉄鋼業、スロバキア系は炭鉱、ユダヤ系は衣料、イタリア系は建設現場みたいな感じだったそうです。メキシコ系は農業、日本系はmarket farmer(青果とか野菜とか)、中国系は鉄道建設なんているイメージもあるみたいです。

どうしてこういう偏りが出るのかというと、各母国の重要産業みたいなものがあるのと、移民同士のネットワークがあるからです。例えば、米国で石炭を開発しようという事業家がいて、米国では人材が不足しているので労働力を海外から集めようとすれば、やはり炭鉱で働いたことがある人材を集めたいわけです。そうなると、欧州の石炭産業がある国から経験者を集めたくなる。またユダヤ人が不動産取引で差別された結果、小売りなどのビジネスに進出していったというようなパターンもあるらしい。そして、こうした移民が増えてくると、母国の仲間に手紙を出したりして、「米国なら稼げるぞ」みたいな話が広がって、さらにその国からの移民が増える。そのうち、働いている地域には移民のコミュニティーもできる。そのコミュニティーには、その国出身者向けの小売店もできたりする。そんな風にして、米国内に移民グループができてくるわけです。こうしたグループは移民の先輩から新人に対して、米国生活の習慣や文化などにについて教える「同化の教室」としての役割も果たしてきました。

そして、そうした移民グループの票を期待する政党ができたりもする。民主党は伝統的にアイルランド系やドイツ系の支持を受けてきたとのことです。1965年の移民制度改革を主導したのは、アイルランド系のケネディ大統領、ユダヤ系のEmanuel Celler下院議員、イタリア系のPeter Rodino下院議員、中国系のHiram Fong上院議員らだったとのこと。


その一方、米国にはいつの時代も反移民感情が存在します。移民は米国人の雇用を奪うとか、賃金水準を下げるとか、米国らしさを失わせるとか、そういった議論ですね。「米国は移民の国」といわれるわけですが、それだけに「反移民感情」の歴史も長いわけです。経営者たちは労働者がストライキを始めると、移民を雇うことでストライキに対抗したりします。移民たちは母国よりも条件が良ければ、喜んで働くわけです。でもそうなると労働組合は移民を敵視するようになる。やはり反移民感情が創出されるわけです。

すでに1798年にはAlien Eneimies Actが成立して、連邦政府が米国に敵対する国からの移民を逮捕し、強制送還することが認められたりしています。アイルランド系はカトリックなので、プロテスタントのアングロアメリカンからは敵視されたりもしたそうです。1864年から1917年にかけては、海外で働いたことがある労働者や犯罪者、売春婦、貧困者、乞食、結核患者、てんかん患者、精神病患者らの入国を禁じる法律が相次いで成立します。ただし、欧州からの渡航者のうち、実際に入国を拒否されたのは1%だけだったとのこと。

1921年と1924年には移民受け入れ数を各国別に割り当てる法律、Emergency Quota ActとJohson-Reed Actが成立します。ロシアで革命が起きると、移民たちの米国への愛国心が疑問視されたりもしました。あと、1930年代の世界恐慌下では数千人のメキシコ人やフィリピン人が米国人の雇用を優先させるとの理由で母国に帰されました。1954年のアイゼンハワー大統領による、"Operation Wetback"なんていうのもあります。不法移民が増えた1965年以降の反移民感情の高まりは、今のトランプ旋風の背景になるわけです。

アジア系への反発だけ抜き出してみると、1870年代にはゴールドラッシュが終息して景気が悪くなったカリフォルニアで、低賃金で働く中国人労働者への反感が高まりました。この運動を指揮したのはアイルランド生まれのDenis Kearneyという人物でWrokingmen's Partyを組織し、演説の最後は"And wahtever happens, the Chinese must go!"で締めるのが定番だったそうです。1882年には連邦政府がChinese Exclusion Actを成立させ、中国人労働者排斥の動きは1943年の同法の撤廃まで続きます。このころ、セオドア・ルーズベルトと日本政府との紳士協定で、日本からの米国本土への移民も3分の1にカットされました。日本は日露戦争後は大国として扱われていたので、中国人労働者のような一方的な法的規制にはならなかったとのこと。ただし第二次世界大戦が始まると、日系人11万人が収容所に入れられました。このうち62%は米国生まれの米国人だったそうです。ただ現在のアジア系には、教育水準が高く、倹約家で、家族やコミュニティーのつながりが強く、将来的な人種のヒエラルキーのトップには欧州系と並んでアジア系も加わるとの分析もあるそうです。

反移民感情は肌の色だけに基づくものではなく、欧州から来た白人の移民たちにも向けられます。移民たちがすでに米国にいる人たちの与える経済的な影響は肌の色には関係ないですからね。あと、移民たちがグループ化して、自分たちのコミュニティーを作るようになると、例え白人であっても「米国に馴染もうとしていない」という批判も出てくる。20世紀前半には、イタリア系移民が貧しい犯罪者の集団として蔑視されました。こういった反移民的なものの考え方は"nativism"と呼ばれます。現在でも、メキシコ系の移民が19世紀半ばに米国がメキシコから奪った領土を取り返そうとしているなんて考える人もいるらしい。

1894年に北東部の学者や政治家たちが設立したImmigration Restriction League(IRL)は、社会の不安定化の原因は野放図な移民の拡大が原因だと主張します。当時注目を集めていた優生学の影響も受けていたようです。IRLの活動は、移民への課税引き上げや、語学テストの実施、さらには移民受入数の制限につながります。また、反移民感情の裏側に人種差別があることも否定できません。筆者のGerberさんは1870年代のカリフォルニアでの反中国系移民運動の参加者たちは、中国系移民と同じ立場から経営側に賃金引き上げを求めるような運動に関わることはなかったと指摘しています。

ただ、nativistたちは全員が人種差別主義者というわけでなくて、既存の米国人たちの生活を守ろうとしているだけの人も多かったりするわけですね。だから、こうしたnativistたちの感情をくみ取ろうとする政治家が、移民の受け入れ数を制限したり、条件を厳しくするなんていう政策をとったりするわけです。そうなると、移民ブームが収束していく。でもやっぱり、労働力に対する需要は常にあって、、、、こうした繰り返しが米国の移民の歴史だということのようです。


現在の移民も経済的な理由で米国にわたってくる点では過去の移民と同じです。ただ、不法移民が多いという特徴もあります。あと非白人が多い。アジアとか南米とか、その他の途上国からの移民ですね。さらに移民が働く業種もかつての製造業から、サービス業にシフトしています。中国系ならチャイニーズレストランを始めたり、ソマリア系女性がホテルで働いたり、ジャマイカ系の看護婦とか、南アジア系のコンピューターサポートとか、そんな感じですね。結果、黒人奴隷の伝統から安価な労働力が豊富だった南部や、アッパー中西部、グレートプレーンのようなこれまで移民受け入れの経験が少なかった地域でも移民が増えています。

サミュエル・ハンチントンは、今の移民の傾向が続けば、"core Anglo-Protestant culture"が失われると懸念したそうです。ハンチントンはnativismと同一視されることを避けるため、これは人種的な意味合いではなくて米国の建国からこれまでの繁栄を支えてきた文化そのものだとしています。

ただ、筆者のGerberさんは、米国の文化は絶えず変化を続けてきたのであって、ひとつの文化によって米国の今の繁栄が成し遂げられたわけではないとします。また移民のなかに悪い人間がいることは確かですが、米国でお金を稼いで豊かになろうという移民たちが勤勉さという美徳をあわせもっていることを見過ごしてはならないとも主張しています。また米国自身も二重国籍を認めたり、資金の移動をしやすくしたりして、移民を積極的に受け入れてきたという歴史があります。そして移民たちが子供を産んで、定住するようになれば、何世代かにわたる時間をかけてでも同化が進んでいくことも明らかです。だから、こうした同化を支援するような政策をとることが重要であって、いたずらに移民を敵視するような態度は建設的ではないということです。


なんかJapanese LoverとかKen Liuの小説で読んだような話もあって面白かった。もちろん現在の米国におけるトランプ支持者の心情が何も特別なものではないということも分かります。

あと、移民を制限しようという運動は米国だけのものではなく、歴史的には豪州やニュージーランド、南アフリカ、カナダ、アルゼンチン、ブラジルなんかでもみられたという指摘もなるほどという感じです。日本だって人種的な差別感情から中国や朝鮮半島からの移民を禁止したりしています。

移民が外交政策に影響を与えたりするというのも面白いですね。何も今のイスラエル・ロビーだけの話じゃなくて、かつてはアイルランド系や東欧系が母国の独立を支援を求めたり、アラブ系がパレスチナ支援を求めたり、キューバ系がキューバ制裁を支持するよう求めたりといった歴史があるようです。第二次世界大戦中に中国系が日本への抗戦を支持し、日本製品のボイコットをしたりもした。台湾系の動きは、以前、Robert Sutterの本で出てきました。

最後にちょっと気になるのが本の終盤で出てきた、

"Yet such findings also suggest the depths of an ongoing crisis that is not sufficiently addressed: the stagnant position of members of America's largest domestic racial minority, African Americans, many of whom are being overtaken and passed by, as immigrants move into the mainstream. It remains a bitter irony in the midst of celebrations of immigrant achievements that programs, such as affirmative action in hiring or in college admissions, which were developed in the mid-twentieth century following civil rights protests to address long-standing institutional racism and to assist African Americans, have been utilized more successfully by non-white immigrants to speed their own entrance into the mainstream. The government has allowed the application of such programs to immigrants of color and their children in the service of the laudable goals of immigrant assimilation and multicultural diversity in workplaces and educational institutions. But the ongoing neglect of their original intentions is no credit to American policy."

という記述。

最後の一文は「米国の公共政策にとって名誉なことではない」という意味だと思うのですが、なんでこうした政策がもたらす影響が黒人と移民の間で差があるんですかね。「文化の違いだ」と言ってしまうと、なかなかギリギリな感じもしますけど、どうなんでしょう。今の米国では"Black Lives Matter"なんていう運動もあるわけですが、こちらもなかなか根深い問題ですね。また勉強します。

2016年9月24日土曜日

"The Old Man and the Sea"

"The Old Man and the Sea"を読んだ。アーネスト・ヘミングウェイの「老人と海」です。とっさに読む本が思いつかなかったのですが、最近ネットフリックスで観ているドラマの登場人物が「俺はヘミングウェイになる」と言って小説を書き始めていたのを思い出して、読んでみた。ヘミングウェイなんて、これまで読もうと思ったこともなかったので、勉強になりました。

ヘミングウェイの小説のなかでも短いものを選んだので、わりとすぐに読み終わりました。英語もそんなに難しいものじゃないかったです。ただ、舟や釣りに関する細かな用語は意味がつかみにくかったです。このあたりは日本語で読んでも同じことかもしれません。

まぁ、戦い続けることこそが尊いんだという話でしょうか。主人公の老人が愚痴っぽいところがあったりするのも、普通の人っぽくてよかったです。

2016年9月3日土曜日

ヒラリーとジャネット

ヒラリー・クリントンとジャネット・イエレンは同時期にイェール大学に通っていた。有名な話なんでしょうか。

ウィキペデイアによると、

イエレンがイェールで博士号を取ったのは1971年。この年の春、ヒラリーはイェールのロースクールでビル・クリントンと知り合った。

イエレンは1946年08月13日生まれ。
ヒラリーは1947年10月26日生まれ。

"Hillbilly Elegy"でイェールのエリートコネクションについてのエピーソードが出てきたんですが、具体的な人名で考えるとやっぱりすごい。
女性の社会進出がそれほどでもなかった時代に、米国初の女性FRB議長になる人と、初の女性大統領になろうかという人が学んでたってことですからね。


ちなみにイエレンの夫は2001年にノーベル経済学賞を取ったジョージ・アカロフ。1962年にイェールで学士。博士号はMIT。