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2019年12月3日火曜日

“THE PRIZE: The Epic Quest for Oil, Money & Power”

“THE PRIZE: The Epic Quest for Oil, Money & Power”を読みました。Daniel Yerginが1990年に出した本です。日本でも「石油の世紀」のタイトルで1991年に出版されました。ピュリッツァー賞を取った超有名な本です。

ペーパーバックで928ページある長い本。以前、「長いなぁ」と思った”The Sleepwalkers”が736ページですから、おそらく英語の本として自己新記録です。読み終わるのに9カ月を要しました。

ただ、めちゃくちゃ面白いです。今まで読んでなかったのが恥ずかしくなるぐらい。未読の人は今すぐ読んだ方がいい。米国で初めて商業用途で石油の開発が始まった1850年代から、湾岸戦争が始まった1990年ごろまでの石油産業の歴史をたどった本です。それをただ単に時系列でたどるのではなく、石油産業の開発に関わった様々な人物の面白エピソードを交えながら綴っていくという形式で非常に読みやすい。

一言でまとめると、1850年代にアメリカで初めて見つかった原油が、インドネシアなんかでも開発されるようになり、灯りをとるための燃料から暖房や内燃機関に使われるようになり、そうした石油を運ぶための海運ルートが築かれ、それが第一次世界大戦の戦況を左右するにまでなって、中東やアフリカでの原油開発につながり、第二次世界大戦なんかでは日本なんかも原油を求めて南進したりして、戦後は原油ナショナリズムがますます強まり、原油を開発するメジャーと産油国政府の対立が激しくなり、北海での油田開発なんかが進んだり、OPECが作られたりしているうちに、Yom Kippur Warを機に第1次オイルショックが起こり、さらにはイラン革命きっかけで第2次オイルショックも起こり、そのうち資源保全とか環境とかの観点から脱原油を目指す動きも本格化してきて、原油価格が下がったりなんかもして、そんな中で、イラン・イラク戦争で勝ったサダム・フセインがアラブの盟主となるべくクウェートに侵攻したりなんかして、もうわやですわ、という話です。

で、こうしたストーリーの中で出てくる登場人物が滅茶苦茶多彩です。多彩すぎて書き出すのは無理なんですけど、日本のアラビア石油の創業者で「アラビア太郎」の異名で有名っちゃぁ有名な山下太郎も出てくるぐらいですから、かなりの範囲をカバーしているものと思われます。日本の満州進出から太平洋戦争に至るまでの経緯もかなり詳しく書かれています。

面白かったです。もう一度読みたい。



2019年2月24日日曜日

Churchill

"Churchill"という本を読んだ。ポール・ジョンソンという英国の作家が2010年に書いた本です。

このところ第一次世界大戦ごろからの欧州の歴史に関する本を読んできて、やはり英国のことを知っておいた方がいいだろうと、ひいてはチャーチルを中心として英国史を解説してくれる本があれば分かりやすいんじゃないかと思って読んでみました。

ただ、ちょっと弱気になって「チャーチルの本なんて山ほどあるだろうから、まずは初心者向けの短いやつでも」と思って選んだ本です。192ページ。そしたらイマイチでした。ちょっとあっさりしすぎという感じ。チャーチルの人柄なんかについては詳しいのですが、歴史的な経緯についてもうちょっと丁寧に解説してくれる本が良かったです。

でもまぁ、ざっとした話は分かりました。

チャーチルが初めて首相になったのは1940年5月10日。ドイツがフランス侵攻を始めた直後のことだったそうです。前任のチェンバレン首相は1938年のミュンヘン会議でズテーテン割譲を認めるなどドイツに宥和的な政策をとってきましたが、ドイツの軍事的な拡大を招いてしまったという状況でした。

英国議会で後任候補にあがったのは、First Lord of Admiralty(海軍大臣)だったチャーチルと、外務大臣だったハリファックス伯爵。しかしハリファックス伯爵は首相になることを辞退し、チャーチルが首相に選ばれたという経緯だったそうです。チャーチルはチェンバレン内閣の一員でしたが、ミュンヘン会議などの対独宥和策には反対してきました。

チャーチルは第一次世界大戦後の1919年にSecretary of State for Warに就任し、空軍力の強化を進めるなど軍事には詳しかった。チャーチルは首相としてもさらに空軍力にこだわり、1940年末には戦闘機の性能でも生産能力でもドイツを上回るようになった。ドイツは英国への空爆で英空軍の拠点を破壊しようと試みますが、英国の空軍はこれを阻止。この”Battle of Britain”が第二次世界大戦の重要な転換点になったそうです。

あと、チャーチルは第一次世界大戦当時にも海軍大臣を務めていて、艦船の燃料を石炭から石油に切り替えていくことにも注力した。軍事通だったんですね。

まぁ、そんな感じです。

雄弁で茶目っ気があって、国民に愛された政治家。さらに戦後には全6巻の”The Second World War”を書いて、ノーベル文学賞までとってしまう。この本は第二次世界大戦当時の機密文書をチャーチル個人の所有物として政府に認めさせて書いたそうです。ヒトラーもムッソリーニもFDRも死んでしまい、スターリンは回想録を残さなかった。こうした中、チャーチルは戦後生き残った唯一の指導者として「正史」を書き切ったということなんだそうです。

ジョンソンさんはこう書いています。

“By giving his version of the greatest of all wars, and his own role in it, he knew he was fighting for his ultimate place in history. What was at stake was his status as a hero. So he fought hard and took no prisoners. On the whole he won the war of words, as he had earlier won the war of deeds.”

とんでもないオッサンですね。

2019年2月10日日曜日

Israel: A Concise History of a Nation Reborn

“Israel: A Concise History of a Nation Reborn” という本を読んだ。Daniel Gordisというイスラエルの作家が書いた本です。Gordisさんはエルサレム・ポスト紙が選んだ、世界で最も影響力が強いユダヤ人50人に選ばれたことがあるそうです。そこそこ有名な人なんだと思います。

この本を読んだのは、前の本”The Sleepwalkers”を読んだ後、キンドルからお勧めされたからです。以前、行動経済学の基礎を築いた2人のユダヤ人心理学者のストーリーを描いた”Undoing Project”を読んだとき、イスラエルの歴史を知りたいなと思っていたもんですから、これはなかなかのナイスお勧め。即決で購入しました。

イスラエルの建国のきっかけとなった19世紀後半のジオニズム運動の始まりから、2015年ぐらいまでのイスラエルの歴史を追った本です。勉強になります。ユダヤ人の立場からの歴史ですから、ちょくちょく「イスラエルは平和を愛しているのにアラブの奴らときたら」的な話が入ります。ただ、完全に中立な本なんて読みにくくて仕方がないでしょうからね。まぁ許容範囲に収まっていると思います。

ユダヤ人といえばナチスドイツに迫害されたイメージが強いですが、欧州では19世紀後半からユダヤ人への迫害は始まっていました。”pogrom”というユダヤ人に対する攻撃を指す言葉がありまして、こうしたpogromは1860年代のルーマニアとか、1871年のオデッサとかですでに起きていた。東欧では「ユダヤ人はキリストを殺した」なんていう宗教上の理由がつけられ、中・西欧では宗教とは切り離して、ユダヤの民族性そのものが迫害の理由になりました。

1879年、ドイツでは「ユダヤ人は社会にassimilateすることができない」として、anti-Semitismと名付けられた運動が始まりました。1880年代のロシアでは、学校に入学できるユダヤ人の数が制限され、1891~92年にかけては2万人のユダヤ人がモスクワから追放されました。そんなわけで1882~1914年の間、250万人のユダヤ人がオーストリア、ポーランド、ルーマニアなどを去りました。ロシアからは、第一次世界大戦直前の15年間で、130万人のユダヤ人が脱出しました。

マイノリティーにすぎないユダヤ人がどうして迫害されるのかっていう背景には、このころのユダヤ人は社会の中で重要な役割を占めるようになっていたという事情があるらしい。”Jews, or people of Jewish origin, now played critical roles in economics, politics, science and the arts.”という感じだったんだそうです。

例えばドイツなんかでは、ユダヤ人は人口の1%以下にもかかわらず、特に金融や政治の世界で高い地位を占めるようになりました。それが多くのドイツ人の反感を買うようになります。新聞や本、雑誌などで、greedy, capitalist, and corrupt Jewというイメージが形作られるようになり、ナチスドイツの時代につながっていきます。ユダヤ人以外の人たちからすれば、王様や領主みたいな人たちも十分な金持ちなんですが、彼らはなんだかんだ言っても民衆のために統治してくれたり、戦ってくれたりする。でも、ユダヤ人はなんだよ、っていう雰囲気もあったようです。

これまでに読んだ本でも出てきましたが、18世紀ごろにイギリスで始まった産業革命が各地に伝わり、社会の構造が大きく変化していった時代の話です。そういう背景の中で、社会の現状に不満を持つ人たちが、なんとなく自分たちとは違う生活や文化を維持しているユダヤ人を目の敵にするような運動が出てきたんでしょう。想像ですが。


そんな中、1897年にスイスのバーゼルでThe First Zionist Congressが開かれます。各地からユダヤ人が集まって、自分たちの国を作るという目標を掲げた会議です。この会議を招集したのは、Theodor Herzl(ヘルツル)という人です。1860年にペスト(今のブダペストの一部)で生まれたそうですから、当時37歳。若い頃にハンガリーのナショナリストが、ユダヤ人は自分たちの国を作って出て行くべきだとして、”Jew, Go to Palestine!”と叫んでいるのを聞いて、そうすりゃいいんじゃないのって思ったのが会議を呼びかけるきっかけになったそうです。

そんなわけでヘルツルさんには、「みんながユダヤ人を嫌いなんだから、ユダヤ人の国を作って出て行くことにしたら、国際社会としても応援してくれるんじゃないか」という期待があった。なるほどある意味、理にかなっている。ヘルツルさんは1896年に”Jewish State”という本を出し、わずか1年後にZionist Congressの開催に成功しました。

会議では、“Zionism seeks to secure for the Jewish people a publicly recognized, legally secured homeland in Palestine.”と定め、その方法として、

・By fostering the settlement of Palestine with farmers, laborers, and artisans.
・By organizing the whole of Jewry in suitable local and general bodies, in accordance with the laws of their respective countries.
・By strengthening the national Jewish feeling and national consciousness.
・By taking preparatory steps to attain any Governmental consent which may be necessary to reach the aim of Zionism.

と定めます。

その一環として、Jewish National Fundなんていう構想も提起されました。みんなでお金をあつめてオスマントルコ帝国からパレスチナの土地を買っていこうぜ、っていうファンドです。

なかなかのもんですよね。

ここまでが第1章。


ここから先も長いお話が続きます。

ユダヤ人たちはこつこつオスマントルコ支配下のパレスチナへの入植を進めていきます。その数が増えてくると当然、地元のアラブ人たちからの反感が高まって、オスマントルコが入植を制限したりする動きが出ます。でも当時のオスマントルコは力が衰えてきていて、末端の組織まで十分にコントロールできない。そんなわけでユダヤ人は役人を買収したりして、さらに入植を進めていきます。こうした運動には、ロスチャイルド家が資金を出したりしていたそうです。おぉ。ロスチャイルドって、そういうことをしていたのか。

そんな中、1914年に第一次世界大戦が勃発。オスマントルコが敗北するという見立てのもと、パレスチナはヨルダンとかそのあたりと一緒にイギリスの統治下に入るんじゃないかという観測が浮上します。そこでユダヤ人たちはイギリスに対して、パレスチナの地にユダヤ人の国を作ることを認めるよう働きかけます。

そんな中、1916年にイギリスの首相になったロイド・ジョージは弁護士時代からZionismに大変な理解がある人でした。翌1917年、当時の外務大臣だったArthur Balfour がWalter Rothschildあての手紙で、パレスチナにおけるユダヤ人国家の建設を支持することを宣言します。いわゆるBalfour Declaration です。具体的には、以下のような記述があります。

”His Majesty’s Government view with favour the establishment in Palestine of a national home for the Jewish people.”

Gordisさんも認めるように、この文書は”astonishingly ambiguous document”でもあります。”national home for the Jewish people”の文言はあっても”Jewish state”という言葉はありませんし、いつまでにそれを作るのかというタイムラインも示されていません。さらに、”nothing shall be done which may prejudice the civil and religious rights of exsiting non-Jewish communities in Palestine”という文言もあって、アラブ側の立場を尊重するようなことも書かれています。

ただ、当時のイギリスの政治家の間で、Zionismを支持した方が良さそうだという機運が生まれていたこともまた確かです。ユダヤ人は第1回のZionist Congress(1897年)からわずか20年で当時最強の帝国に自分たちの主張を認めさせたわけですから、あまりに出来過ぎた展開。「いくらカネ使ったんだ」なんて勘ぐりたくもなりますが、実際問題として、ユダヤ人はある種のお墨付きを得たわけです。

第一次世界大戦終戦後の1920年、イタリアで開かれた、イギリス、フランス、イタリア、日本による会議(San Remo Conference)で、オスマントルコ支配地域をどのように分割するかが協議され、英国がパレスチナを統治することで一致します。この際、Balfour Declarationも決議の中に盛り込まれました。戦勝国によって、パレスチナがユダヤ人の戻るべき場所であることと認められたことになります。

で、アラブの人たちは怒ります。すでにパレスチナに入植しているユダヤ人に対する攻撃が始まり、それに対抗するため、ユダヤ人による自警組織も強化されます。こうした組織が後のイスラエル軍の始祖になったとのこと。なるほど。

ただまぁ、どこまでがパレスチナなんだという問題もありまして、ユダヤ人は当初はヨルダン川の西側一帯(今のヨルダンにあたる地域)もパレスチナだろうと受け止めていたのですが、1921年にイギリスは「ヨルダン川の西側一帯はTransjordanです」と決めて、パレスチナから切り離します(当時の責任者はチャーチル)。それでもアラブ側は納得せず、ユダヤ人入植者への攻撃は激化します。

ユダヤ人はZionismの理想を掲げる際、「国際社会はユダヤ人国家を支持してくれるだろう」と想定していたのですが、アラブ側の反発を全く計算に入れていなかったようです。ユダヤ人の指導者の一人、Ahad Ha’amは、こんなことを書いています。

“We are used to thinking of the Arabs as primitive men of the desert, as a donkey-like nation that neither sees nor understands what is going on around it. But that is a great error.”

さらに、ユダヤ人指導者の中でタカ派として知られるZe’ev Jabotinskyなんかは1923年の文書の中で、「アラブ人がパレスチナに愛着を抱いているからこそ、パレスチナにおいてユダヤ人とアラブ人が自発的な和平に達することは不可能だ」と論じました。そして、パレスチナに和平をもたらすためにはアラブ人がユダヤ人を排除することを諦めるぐらいの”the iron wall: a strong power in Palestine that is not amenable to any Arab pressure”が必要だと主張します。

ヨーロッパでユダヤ人が迫害されたこと自体が許されないことであることは明らかです。一方、そのユダヤ人がアラブの人たちを見下すような感情を持ったうえで、パレスチナに入植を進めていったとも言えるようです。そして、それに対するアラブ側からの反感が、ユダヤ人を軍事化の道に後押ししていった。なんか、おそろしい話です。

このあたりまでで第5章。第6章ではヒトラーが登場します。

ヒトラーが「わが闘争」を書いたのは1925年。ジャボティンスキーの文書から2年後です。”If… the Jew is victorious over the other peoples of the world, his crown will be the funeral wreath of humanity and this planet will, as it did thousands of years ago, move through the ether devoid of men.”なんていう風にユダヤ人に対して敵意むき出し。もちろんZionismに対しても全否定で、

“They have not the slightest intention of building up a Jewish State in Palestine so as to live in it. What they really are aiming at is to establish a central organization for their international swindling and cheating.”

ってな具合です。

そんなヒトラーが1933年にドイツの首相となります。

このころ、多くのユダヤ人は「ドイツとの直接交渉でヒトラーに路線変更を迫るべし」と考えていたそうです。タカ派の間ではドイツ製品のボイコット運動を支持する動きもありましたが、ボイコットにはかえってドイツを刺激するリスクがあります。1933年にユダヤ人とドイツの間で結ばれた”Ha’avarah (Transfer Agreement)”は、ドイツ内のユダヤ人が国外に亡命する際には資産をドイツに没収されなくて済むという内容。さらにユダヤ人は資産をパレスチナの銀行に預け、その資金でドイツ製品を買って、パレスチナに送ることができるという内容も含まれていました。ドイツ製品をボイコットすべきという動きがある中で、実際には移民拡大と引き換えにドイツ製品を買う動きが承認されたということです。また、こうした資金はアラブからパレスチナの土地を買うことにも使われました。

そんなわけでパレスチナにおけるユダヤ人の人口は1933年の23万4967人から、1936年には38万4078人に増えます。もちろんアラブのユダヤ人入植者に対する反感は高まり、改めてユダヤ人への攻撃が激しくなります。

このころパレスチナを統治しているイギリスが方針変更します。これまでは治安を悪化させるアラブ人を厳しく取り締まっていたのですが、アラブの不満を抑えるためにユダヤ人の入植を制限することにしたのです。イギリスは1936年後半のユダヤ人入植者の数を4500人に設定。前年の1935年は1年間で6万1000人でしたから、85%減少という計算になります。ところがアラブ側は「ゼロが当然だろう」ということで、イギリスの9000人案を蹴ります。治安はさらに悪化。イギリスは問題解決のため、William Robert Wellesley Peelを団長とする調査団(Peel Commission)を派遣。ユダヤとアラブの双方から言い分を聞くことにしました。

1937年に出たPeel Commissionの報告書は、ユダヤとアラブは両方とも同じ地域に対する主権を主張しているのだから双方が納得する解決策はないとして、パレスチナの分割案を提示します。

Balfour Declaration当時、ユダヤ人は現在のヨルダンまで含めた地域が自分たちのものになると解釈していました。しかしこのPeel Commissionの報告書でユダヤ人に割り当てられたのは、その20%にすぎません。しかもエルサレムとベツレヘムはアラブ側のものになります。1921年にチャーチルがTransjordanを切り離したときよりもさらに小さい範囲です。

当然、ジャボティンスキーら多くのタカ派はこの提案に反対しますが、David Ben-Gurionを初めとする現実路線の指導者たちは「どんな提案でもユダヤ人国家が認められるなら受け入れるべきだ」との立場をとります。そして1937年の第21回 Zionism Congressで、Peel Commissionの提案は受け入れられます。

でもアラブ側は拒否。ユダヤ人への攻撃が激しくなります。

1938年11月、イギリスなどがチェコのズデーテン地域をドイツに割譲することで合意。ヒトラーがノリノリになります。Ben-Gurionはこの決定を知り、「ヨーロッパ最悪の日」と評したそうです。イギリスがチェコをドイツに割譲するなら、次に引き渡されるのはパレスチナだと予見したのです。このころ、パリでユダヤ人がドイツ人の役人を殺害する事件があり、ドイツとオーストリアで反ユダヤ感情が爆発。各地でシナゴーグが焼かれ、2万6000人のユダヤ人が収容所に送られました。1939年9月、ドイツがポーランドに侵攻。イギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まります。

これはユダヤ人にとって悩ましい問題です。イギリスはBalfour Declarationに反してアラブの肩を持ち、ユダヤ人のイスラエルへの移民を制限しているという意味でユダヤ人にとって敵ですが、同時にドイツと戦ってくれる味方でもあります。ところがアラブはアラブでイギリスに敵意を抱いています。そもそもパレスチナにおけるユダヤ人国家なんていう話が現実味を増したのは、イギリスがある種のお墨付きを与えたことが発端です。こうした中、イギリスは1943年、正式にパレスチナのユダヤ人入植者による部隊をイギリス軍に加えることを決定。これらの部隊が独立後のイスラエル軍の基盤となります。


まぁ、ちょっと疲れましたんで、このあたりで終わります。話はまだまだ続くんですが。第二次世界大戦後は、周辺アラブ諸国との対立の話です。エジプトのナセル大統領とかPLOのアラファト議長なんかが敵役です。第二次世界大戦後のイスラエル人にとって、ホロコーストの時代にナチスに立ち向かわなかったことが口にはできない恥の意識としてすりこまれていたなんていう話とか、建国間もないころのイスラエルは今とは違って経済的にもひどく困窮していたという話とか、イスラエルの中でも「どこまでがユダヤ人なんだ」という論争がある(エチオピア系ユダヤ人: Beta Israel, Falasha なんていう概念もある)なんている話もあって、いろいろと興味深いです。

Balfour Declaration(1917年)は100年以上も昔の話ですが、中東和平交渉は今でも続いています。つまりは紛争は世代を超えて引き継がれているわけです。

面白い本でした。英語も読みやすいです。

2018年10月22日月曜日

The Sleepwalkers: How Europe Went to War in 1914

“The Sleepwalkers: How Europe Went to War in 1914”という本を読んだ。Christopher Clarkさんというケンブリッジ大学の教授が2013年に出した本です。超複雑かつ長い。どうも3月ごろに読み出したようなのですが、読了まで7カ月かかりました。

とあるブログで名著として紹介されていました。実は日本語訳も出ています。

第一次世界大戦のきっかけはセルビア人の青年がオーストリアの皇太子を暗殺したからだというのは中学校で習う話です。ただ、どうしてこの暗殺が前例のない大規模な戦争につながったのかについては、よく分かっていない人が多いと思います。これはこのあたりの事情を詳しく解説した本です。

でも、答えは簡単ではありません。

最後のConclusionの章はこんな書き出しです。

“I shall never be able to understand how it happened,” the novelist Rebecca West remarked to her husband as they stood on the balcony of Sarajevo Town Hall in 1936. It was not, she reflected, that there were too few facts available, but that there were too many.

要は分からんという結論ですね。

ちなみに前回読んだThe Shortest History of Europeでの説明はこんな感じです。

・ドイツを統一したビスマルクは欧州の安定を望んでいた
・当時の欧州は5つの勢力に分かれていた
・ドイツ帝国は今のドイツよりずっと大きかった
・イタリアも統一されたばかり
・ロシアやオーストリア・ハンガリーは経済的には西側よりも後れていた
・オスマン・トルコは衰退しつつあり、バルカン半島への影響力が弱まっていた
・バルカン半島の人々には独立の機運があった。
・オーストリアとロシアはトルコの衰退を喜んでいたけど、不安定化は嫌だった
・ロシアはトルコに代わってボスポラス海峡をコントロールしたかった
・オーストリアは北側をドイツに抑えられていて、南側までロシアに抑えられるのは嫌だった
・衰退するトルコ内で新国家が生まれると、ロシアやオーストリアも同じ機運が起きかねない
・ビスマルクは帝国同士、ロシアとオーストリアと仲良くしたかった
・フランスは普仏戦争で負けたドイツとは絶対に仲良くなれない
・英国は大陸とは関わりたくない
・オーストリアとロシアはバルカン半島をめぐって対立していた
・ドイツはバルカンでオーストリアの肩を持ちすぎると、ロシアがフランスに接近しかねない
・ドイツは戦争になったら、ロシアとフランスの両正面で戦うことになる
・でもビスマルクは上手く立ち回っていた
・でもウィルヘルム2世はオーストリアと仲良くした。ロシアはフランスと同盟を組んだ
・ロシアとフランスの同盟にはイギリスも加わった
・ドイツとオーストリアはイタリアを仲間に引き入れたが、大して力にならない
・ウィルヘルムは自信満々。戦争になったら、フランスを瞬殺してロシアと戦うつもりだった
・ドイツは貿易ルート維持のため海軍を強化していた。イギリスも対抗していた
・戦争がすぐに終わるのであれば、国家は強化されるという考え方もあった
・そんなときオーストリアの皇太子がセルビア人のナショナリストに暗殺された
・セルビアはもともとオーストリアの支援を受けてトルコから独立した
・でもセルビアはオーストリアの支配にも不満でロシアを頼るようになった
・皇太子を暗殺されたオーストリアはセルビアに強くでればロシアが出てくると分かっていた
・ドイツはオーストリアをたきつけて、絶対に一緒に戦ってやると約束した
・ドイツはロシアの軍事力が強くなる前に戦いたいと思っていた
・ロシアは先に動けば、侵略者とみなされることを嫌った
・ロシアはオーストリアを抑止する程度に軍を配備した
・ドイツはそのロシアの動きを侵略行為だとみなし、ベルギー経由でフランスに侵攻した

みたいな説明ですね。

分かりやすいです。ドイツが悪い。

でも、クラークさんは、”The Germans were not the only imperialists and not the only ones to
succumb to paranoia.”としています。”The crisis that brought war in 1914 was the fruit of a shared political culture. But it was also multipolar and genuinely interactive - that is what makes it the most complex event fo modern times and that is why the debate over the origins of The First World War continues, one century after Gavrilo Princip fired those two fatal shots on Franz Joseph Street.”なんだそうです。

そんなクラークさんは、分かりやすさに配慮して、あえて細かな説明を省いて筋書きを作ったりなんかはしません。容赦なく全部説明しにかかります。「Aはこの時の判断の理由について回想録でこう書いている。でも、BはAの行動について、正反対の証言を当時のインタビューで残している。当時の状況から考えて、Bの証言の方が正しいと思われる」みたいな記述が延々と続く。さらには「Cはこのインタビューではこう証言しているが、別のインタビューでは異なった証言をしている」みたいな話も出てくる。「Dは自らの日記を焼いてしまっている」なんていうのも。しかも登場人物は滅茶苦茶に多いうえ、私にとってはほぼ全員が知らない名前であり、しかもどのように発音するかも怪しい。例えば”Peter Karadjordjevic”みたいな。読み進めるのに非常に骨が折れます。

でもね。面白いのは面白いんです。時間があればもう一度読んでみたいと思う。第一次世界大戦に関する知識がほぼゼロの状態から読み始めましたから、もう一度読んでみたら、もう少し理解が深まるだろうし、これ以上に詳しく説明している本もないんじゃないかと思えば、挑戦しがいもある。次は5カ月ぐらいで読めるかもしれない。

まぁ、結論としては「要素が多すぎて理解できない」というわけだから、結局は分からないんだろうけど。

2018年3月13日火曜日

"The Shortest History Of Europe"

“THE SHORTEST HISTORY OF EUROPE”という本を読んだ。

John Hirstというオーストラリアの歴史学者が2009年に出した本です。ウィキペディアによると、9カ国語に翻訳されているとのこと。米国を離れたもので、ちょっと欧州のことでも勉強してみよう、そのためにはまずは歴史からということで、読んでみました。この本を選んだのは、アマゾンで星がたくさんついていたからです。

イントロダクションの冒頭が素晴らしいです。

If you like to skip to the end of a book to see what happens, you will enjoy this book. The endings start soon after it begins. It tells the history of Europe six times, each from a different angle.

読む気になります。つまり、科学の発展について古代から現代まで、宗教の広がりについて古代から現代まで、政治制度の発展について古代から現代まで、といった具合に、個別のテーマにそって歴史を簡潔に振り返っていきますよということです。

で、その前に、欧州の歴史や文化を形づくる重要な3つの要素についての説明や、おおざっぱな古代と近代と現代の区別についての説明がついています。

欧州の歴史や文化を形づくる重要な3つの要素というのは、古代ギリシャ・ローマの文化、キリスト教、ゲルマン民族の戦士たちです。

古代ギリシャ・ローマの文化は、論理を重ねていけばシンプルな答えがみつかるはずだという信念に基づいています。こうした思考法は現在に至るまで、科学の発展の礎になっています。アリストテレスやプラトン、ソクラテスといった哲学者が積み重ねた思考であるとか、アルキメデスやピタゴラスが生み出した数学の基礎となる考え方は、ローマ帝国のもとでも絶対的な教養として受け継がれていきました。

キリスト教は、その前にあったユダヤ教の一神教という形式を受け継ぎつつ、ユダヤ人以外でも入信できるスタイルをとりました。それにキリスト教というのは「隣人を愛せよ」「頬を打たれたら、反対側の頬を差し出せ」といった風に、基本的には平和的な宗教というのも特徴的です。ひとつの神のもとで人々が平和に暮らすことが理想だというわけで、欧州で多くの人に信じられるようになりました。

そしてゲルマン民族の戦士たちは、ローマ帝国を侵略します。で、面白いのは、ゲルマン民族は侵略して略奪することはしても、統治するという能力には欠けていたということ。このためローマ帝国後の欧州には中国のように巨大な帝国が生まれることはありませんでした。

欧州の歴史は、この3つの要素がからみあって、展開していきます。

最初のころ、ローマ帝国はキリスト教を弾圧します。ローマ皇帝は各国が帝国に従う限りは各国の自治に寛容でしたが、キリスト教徒は神にしか従いません。これがユダヤ教であればユダヤ人だけの話で済むわけですが、キリスト教は万人に対して開かれているので放っておくと、どんどん信者が広がっていくやっかいな存在です。

ところが313年、ローマ皇帝のコンスタンチンが自らキリスト教徒になるという、奇跡が起きます。キリスト教はローマ帝国の国教になりました。ローマ帝国の庇護のもとで、キリスト教は法王をトップとして各地の教区に司教や神父を配置するヒエラルキー型の統治システムを築きあげていきます。キリスト教のルールは結婚や相続といった生活上の問題にも適用されるようになり、さらにお布施のような形での徴税システムもつくられていきます。

で、このローマ帝国がゲルマン民族の進入を受けて分裂し、西ローマ帝国が滅びます。でもゲルマン民族は統治には関心がないですから、キリスト教の統治システムは生き残る。一方、ローマ帝国のもとで発展したキリスト教の統治システムは、古代ギリシャ・ローマの文化の影響も強く受けています。例えば、キリスト教の正当性を示すための説明は、古代ギリシャで発達した論理的な考え方に基づいてなされています。こうした古代ギリシャ・ローマの思考法は、キリスト教を通じて、ローマ帝国が滅んだ後も欧州に広がっていきます。

で、ゲルマン民族の戦士たちなんですが、自分たちの力では税金を集めることもできません。なので各地を侵略したゲルマン民族のリーダーたちは王となったうえで、侵略した土地を仲間たちに分け与えます。そのうえで、戦争の必要があれば、兵隊を出すことを約束させます。ゲルマン民族の戦士たちというのは、戦うことが好きで戦士であることに誇りを感じているけれど、それ以外のことはどうでもいいのです。こうした約束をした仲間たちは、分け与えられた土地を統治して、貴族になっていきます。彼らは土地を私有財産のように扱うようになり、王の統治を絶対的なものとは受け止めないようになっていきます。こうした「支配者の力は限定されるべきだ」というものの考え方は、欧州の政治文化のバックボーンとなりました。

そして当然ながら、ゲルマン民族の戦士たちはキリスト教徒になります。統治のためにはキリスト教のシステムに頼るしかないのです。平和的な宗教であるはずのキリスト教も少しずつ変質します。戦うことに誇りを感じるゲルマン民族の戦士たちは、キリスト教のもとで良い行いのために戦う騎士になり、異教徒から聖地を取り戻すため、騎士団がつくられたりします。騎士は弱い者、特に高貴な女性を守ることにも誇りを持ちます。これも欧州文化のひとつの要素として受け継がれていきます。

西ローマ帝国の滅亡(476年)から1400年ごろまでを中世というそうです。

まぁ、このあたりが第1章ですね。

こうしたバックグラウンドを頭に入れたうえで、この後に続く、ルネサンスとか宗教革命とか産業革命とかフランス革命とかロシア革命とか、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの流れとかについての説明を読んでいくと、「なるほど」と思わせられるという仕掛けの本です。いずれも簡潔に大変面白く書かれているのですが、それでもいちいち紹介していると大変な分量になるので割愛。

こうした内容は日本でも高校の世界史なんかで習ったりするのかもしれませんが、私には新鮮でした。ギリシャ・ローマの文化は絶対的な教養、ゲルマン民族は野蛮な人たち、キリスト教の権威というのは統治システムに基づいたもの、といったイメージも、この本を読まなければ持つことがなかったように思います。いちいち説明するまでもない常識なのかもしれません。

これからは個別のテーマについての本を読んでいきたいと思います。

2018年1月23日火曜日

How To Be Black

"How To Be Black"という本を読んだ。Baratunde Thurstonという黒人のブロガーが、黒人のあるべき生き様についてユーモアを交えて書いたエッセイです。前に読んだ"Let's Pretend This Never Happened (A Mostly True Memoir)"のJenny Lawsonが、面白い本だとして言及していたので読んでみた。

まぁ、面白いですが、説教くさいです。ローソンさんの本の方が純粋にバカで面白い。

ちょっと長い中断を挟んで読んだので、内容を正確に記憶しているわけじゃないですが、この本は"the ideas of blackness, how those ideas are changing, and how they differ from the popular ideas promoted in mainstream media and often in the black community itself"について書いた本です。面白い内容ではあります。

例えば、黒人には「熱狂的なオバマ支持者」というイメージを持ちがちですが、黒人の側からすればそういうステレオタイプなイメージをもたれること自体がなんか不愉快だったりするんだそうです。職場で白人の同僚から「オバマ大統領って素晴らしいよね」なんて話かけれたりすると、「お前、俺が黒人だから当然オバマを支持しているっていう前提で話かけているだろう?」なんて思うわけです。この同僚は白人に対しては不用意にそんな問いかけはしないはず。白人のなかにはオバマ嫌いな人もいることはよく知られた事実だからです。でも、この同僚は「黒人は全員オバマ支持者」だと決めつけている。もちろんオバマ支持の黒人は多いわけですが、黒人からすればオバマ支持者だと決めつけられるのもなんか嫌っていうわけですね。

また、サーストンさんはこの本で、自分以外の黒人の視点も紹介するため、複数の友人にもインタビューして体験談を集めています。黒人が子供時代に初めて黒人であることを意識する瞬間なんていうエピソードとか具体的で面白いです。

黒人の間でも「いかに黒人であるか、あるべきか」という問題について意識の温度差があることについても、たくさんのエピソードが出てきます。黒人の人権運動の指導者なんかは「黒人が歴史的に負わされてきた重荷」について語るわけですが、そこまで熱くなれない黒人もいる。でも、そういう態度をとっていると「勉強不足だ」と糾弾されかねない雰囲気もあったりするらしい。あと、母親のことを"mother"と表現したりすると、親戚のおじさんから「どうして白人みたいな話し方をするんだ」と言われたりする。以前読んだ"Please Stop Helping US"にも似たようなエピソードがありました。

さらにややこしいのは黒人の間での出自に関する連帯感というか阻害意識といったものです。サーストンさんのファーストネームの「Baratunde(バラトゥーンデイ)」というのはナイジェリア系の名前なんですが、ナイジェリアでよくある"Babatunde"とはちょっと違う。そんなわけで生粋のナイジェリア系の黒人から、「ナメた名前してんじゃねーぞ」ぐらいの雰囲気でからまれることもあるそうです。われわれ部外者は「黒人は黒人同士でみんな仲良し」ぐらいに思っているわけですが、意識の違いはいくらでもあるわけです。

ちなみに著者のサーストンさんはワシントンDCで育ち、父親はドラッグがらみの犯罪で射殺されたそうです。でも、チェルシー・クリントンやオバマ大統領の娘たちも通っていた(る)私立学校Sidwell Friends Schoolからハーバードに進学した高学歴の持ち主でもあります。そんな白人社会での育った経験から、「黒人と白人の相互理解を深めるには、黒人は白人の友人を作ることが大切だけど、あまり白人と仲良くなりすぎると黒人から批判されるので微妙なバランス感覚が重要だ」とか「二人目の黒人大統領を目指すなら、人種問題を強調しすぎると白人からの支持は得られない。黒人の経済問題は『都市部の経済問題』と言い換えるぐらいの気配りが必要」なんてことも書いてある。

そして「二人目の黒人大統領こそ実際は最初の黒人大統領だ!」とも言っている。その理由は、オバマが大統領になったことで多数派である白人の「黒人に支配されることへの恐れ」が顕在化して、二度と黒人大統領が誕生しない可能性だってあるからです。二人目の黒人大統領が誕生しなければ、オバマ大統領誕生は「単なるまぐれ」だったってことになりかねない。

とまぁ、そんなことが書いてある本です。基本的には黒人の読者を想定しているようなので、私のような東アジア人からすれば「世の中には黒人と白人しかないような世界観で話してんじゃねーよ」っていう気分にもなりますが、まぁそれは、この本を選んだ私の責任だとも思います。

2017年9月26日火曜日

TOEFL(11回目)結果

TOEFL11回目の結果が出ました。

Reading29, Listening28, Speaking19, Writing24で、100点。一応、目標達成です。

今年6月に受験した前回(10回目)の点数は
Reading29, Listening30, Speaking17, Writing22で、98点でした。

受験時の手応えとしては、Rがダウン、Lがやや減、Sがアップ、Wがダウンで、100点はいかないという予想でした。結果としては、Rで踏みとどまり、Wが予想外にアップした結果、合計で100点を超えたという結果です。

Rは1問目が難しいと感じました。ただし2,3問目を早めに終わらせて、最後の10分ぐらいで1問目も見直しにあてたのがよかったと思います。確か、ひとつ解答を修正しました。

Lは前回が30点ですから、2回連続の満点は難しかった。ただ、リスニングのスキルは昔に比べて格段に上がっている気はします。

課題として取り組んだSは2点アップどまり。1カ月ちょっとのDMM英会話で「話し慣れ」しただけでは大幅な得点アップはならなかったという結果です。20点あれば嬉しかったけど。うちわけとしては、1,2問目がFiar。3,4問目もFair。5,6問目がLimitedです。DMM英会話でも感じていた、複雑な事柄を説明しようとすると、ちょっと自信がなくなるという感じの現れでしょうか。ただし、DMM英会話を続けているうちに、少しずついろんな構文を使って話せるようになってきた実感はありましたから、もうちょっと長い期間やっていれば、5,6問目もFairにできるような気はします。

Wはよく分かりません。2問目で「やっちまった」と思ったわけですが、実際はそうでもなかったのでしょうか。過去最高の24点です。1問目がGoodで、2問目がFairというのは前回と変わりません。ちなみに語数は300語ちょっとです。

2007年1月にアルクのヒアリングマラソンを始めてから(参照)、94点までは2年で到達。そこから100点まで上げるのに、8年以上の年数を要したことになります。ただし94点のときと今の状態を比べると、英語力は格段に上がっている気はしています。まぁ、それでも「英語が少しできます」というぐらいでしょうか。あと10年ぐらいすれば、「英語できます」と自信を持っていえるようになるかもしれません。ならないかもしれないけど。


ちなみに、
2010年6月に受験した9回目は、
Reading26, Listening27, Speaking15, Writing22 で、90点

2007年3月から2008年12月にかけて受験した8回目以前は、
8回目が Reading29, Listening27, Speaking17, Writing21 で、94点
7回目が Reading26, Listening24, Speaking19, Writing20 で、89点
6回目が Reading26, Listening26, Speaking15, Writing21 で、88点
5回目が Reading23, Listening26, Speaking15, Writing20 で、84点
4回目が Reading25, Listening21, Speaking15, Writing18 で、79点
3回目が Reading14, Listening19, Speaking17, Writing15 で、65点
2回目が Reading20, Listening21, Speaking13, Writing17 で、71点
1回目は Reading10, Listening18, Speaking10, Writing14 で、52点

でした。

2017年9月19日火曜日

"Let's Pretend This Never Happened"

"Let's Pretend This Never Happened (A Mostly True Memoir)"という本を読んだ。Jenny Lawsonという女性ブロガーが2012年4月に出した本です。

J.A. Konrathの小説のユーモアが好きでもっと読んでみたいと思うのですが、この人の小説はユーモアかつグロなところがあるので、あんまり沢山読むものでもありません。そこで何かユーモアだけの本はないものかと思って、ファミリーガイで有名なSeth MacFarlanの小説を読んでみたりもしたのですが、なんかイマイチな感じでありました。そんなことを考えているころ、出張で出かけたとある地方空港の本屋さんで「読んだことがある本が置いてあるかなぁ」なんてぶらぶらしていたら、"Humor"をいうコーナーがあるのを見つけました。なるほど、"Humor"でひとつのジャンルになっているのか。

そんなわけでアマゾンで"Humor"と検索してみたら、一番上に出てきたのがこの本でした。4000件近くもレビューがついているので、よく売れた本なのでしょう。で、読んでみました。かなり面白かったです。

内容を説明するのは難しいので、第1章の冒頭部分をそのまま引用します。

Call me Ishmael. I won't answer to it, because it's not my name, but it's much more agreeable than most of the things I've been called. "Call me 'that-weird-chick-who-says-"fuck"-a-lot'" is probably more accurate, but "Ismael" seems classier, and it makes a way more respectable beginning than the sentence I'd originally written, which was about how I'd just run into my gynecologist at Starbucks and she totally looked right past me like she didn't even know me. And so I stood there wondering whether that's something she does on purpose to make her clients feel less uncomfortable, or whether she just genuinely didn't recognize me without my vagina. Either way, it's very disconcerting when people who've been inside your vagina don't acknowledge your existence. Also, I just want to clarify that I don't mean "without my vagina" like I didn't have it with me at the time. I just meant that I wasn't, you know... displaying it while I was at Starbucks. That's probably understood, but I thought I should clarify, since it's the first chapter and you don't know that much about me. it's like my American Express card. (In that I don't leave home without it. Not that I use it to buy stuff with.)

何を言っているんでしょうかね、この人は。

とまぁ、こんな風に、ついついおかしなことばかり考えてしまうローソンさんの妄想日記みたいな趣の本です。
なので、学ぶべきこととか、そういうものはありません。ただ、若い頃にLSDを使ったときのエピソードとかは面白かったです。

A guy I knew had a house on the outskirts of town and offered to host a small LSD party for me and several other people in our group who'd never done acid before either. So we called Travis and asked him to bring over enough acid for six of us that night. Travis arrived and told us the drugs were on their way, and about fifteen minutes later a pizza delivery car pulled up. The delivery guy came to the door with a mushroom pizza and an uncut sheet of acid. The delivery guy was in his late teens, about two feet shorter than me, and very, very white, but he did have a piercing and a pager (which was very impressive, because this was still back in the early nineties, although probably the pager was just used for pizza orders). His name was Jacob. Travis told me later that anyone could by acid from Jacob if they knew the "secret code" to use when you called the pizza place. At the time I thought it was probably something all cloak-and dagger, like "One pepperoni pizza, hold the crust," or "A large cheesy bread and the bird flies at midnight," but in reality it was probably just "And tell Jacob to bring some acid," because honestly neither of them was very imaginative.

Jacob sold Travis the acid for four dollars a hit, and then Travis turned around and sold it to us for five dollars a hit, which was awkward and also a poor profit margin. We each took a hit and Travis said that for another ten bucks he'd stay and babysit us to make sure we didn't cut our hand off. This wasn't something I was actually worried about at all until he mentioned it, but now that the thought was implanted in our heads I became convinced that we would all cut our hands off as soon as he left, so I handed him a ten. Travis cautioned us that if we thought the house cats next door were sending us threatening messages, they probably weren't. And he warned us not to stare at the sun because we'd go blind (which might have been great advice if it hadn't been ten o'clock at night). "Ride the beast... don't let the beast ride you," our wise sage advised us.

このあと、実際にLSDを使ってみて、なんだかんだとバタバタとした展開があります。

ローソンさんのことですから、全部が全部本当というわけじゃないと思いますけど、こんな感じの軽いトーンでドラッグパーティーが開かれるもんなんだなという点が興味深い。知り合いの知り合いみたいな距離感の交友関係から、ドラッグを使うことを目的としたパーティーを開くというお誘いがあって、ちょっと不安だななんて思いながらも、値段もそんなに高くないし、友達もやるっていうし、ちゃんとした「保護者役」もいてくれるというから、ちょっと使ってみようかっていうノリですね。

米国では薬物依存が大きな問題になっているわけですが、今の若者の間でもこんな雰囲気のパーティーが開かれているのだとすれば、好奇心の方が勝ってしまうというのも分からんでもないです。ローソンさんはことのきのLSDでみた幻覚から醒めた後で、幻覚中に自分がとった行動を知って、もうLSDはやらないと思ったそうです。だからまぁ実際の話、一度使えば絶対に後戻りできないというものでもないんじゃないかとも思います。もちろん「ダメ、絶対」ですけどね。最初のLSDの経験が良い記憶として残ってしまえば、常習化していくでしょうし、常習化すれば依存にもつながるのでしょう。でも、「ダメ、絶対」にも関わらず、「ダメ、絶対」になっていない事情の裏には、こんな雰囲気があるんだなということです。

いや「ダメ、絶対」ですからね。ダメですよ、本当に。

2017年9月17日日曜日

TOEFL(11回目)受験

TOEFL11回目を受験してきました。

今年6月に受験した前回(10回目)の点数は
Reading29, Listening30, Speaking17, Writing22で、98点でした。

今回の手応えとしては「やっちまったなぁ」という感じです。

とりあえずReadingの1問目が難しいと感じた。得意種目でつまづいた形で、前回より1、2点は下がっているかも。

Listeningは前回とさほど変わらない手応え。でもまぁ前回が満点ですから、1点マイナスぐらいは覚悟せねば。

問題のSpeakingですが、6問中2問は回答の時間配分をミスして「タイムアップギリギリで回答を詰め込む」形になってしまいました。一応、この1カ月ちょっとDMM英会話に取り組んで「話し慣れ」はしたつもりなんですが、どこまで点が上がるかは分からない。前回のスコアを見直してみたところ、1,2問目がFair。3,4問目がLimited。5、6問目がLimitedでした。これがすべてのセクションでFiarになってくれていると嬉しいんですがね。

で、Writingなんですが、2問目の設問が「それとそれを比較するの?」っていうようなテーマで、回答の内容に自信が持てない。ここが一番「やっちまった」と感じているところなんですが、これは自分のスキルというよりは出題に振り回された感じがする。1問目はまぁ、できたと思います。前回は、1問目がGoodで、2問目がFair。今回も同じようなものじゃないでしょうか。でも点数的には下がっている予感がプンプンします。

トータルで考えると、Speaking以外で3,4点は下がっていると覚悟しています。それでも100点に到達しようと思えば、Speakingで5,6点上げなければならないわけですが、せいぜい3点アップぐらいが関の山じゃないかと。ということは最終的な点数は98点とか97点あたりで、残念ながらミッション達成ならずってことになります。


これほど結果が出るのが楽しみじゃないTOEFLも珍しい。


ちなみに、
2010年6月に受験した9回目は、
Reading26, Listening27, Speaking15, Writing22 で、90点

2007年3月から2008年12月にかけて受験した8回目以前は、
8回目が Reading29, Listening27, Speaking17, Writing21 で、94点
7回目が Reading26, Listening24, Speaking19, Writing20 で、89点
6回目が Reading26, Listening26, Speaking15, Writing21 で、88点
5回目が Reading23, Listening26, Speaking15, Writing20 で、84点
4回目が Reading25, Listening21, Speaking15, Writing18 で、79点
3回目が Reading14, Listening19, Speaking17, Writing15 で、65点
2回目が Reading20, Listening21, Speaking13, Writing17 で、71点
1回目は Reading10, Listening18, Speaking10, Writing14 で、52点

となっております。

2017年8月30日水曜日

"The Curse of Cash"

"The Curse of Cash: How Large-Denomination Bills Aid Crime and Tax Evasion and Constrain Monetary Policy"という本を読んだ。2016年にハーバード大学のケネス・ロゴフ教授が出した、100ドルとか1万円みたいな高額紙幣がいかに犯罪や脱税に使われていて、金融政策の足かせにもなっているかということを解説した本です。タイトルそのまんまですね。

ロゴフ教授といえば、"This Time is Different"という国家の財政破綻の歴史について書いた本で有名になった人です。留学中にとった授業で教科書に指定されていたことと、その授業でBをとってしまったことが懐かしい。バーマン教授には心から御礼申し上げます。

で、この本でいわんとすることはさきほど書いた通りです。実際には高額紙幣がどのぐらい使われていて、それがどのぐらい犯罪や脱税に関わっているかなんていうことはオフィシャルな統計で示せるわけではないのですが、ロゴフ教授は入手可能なデータを駆使して、さらにそこに色んな仮定を重ねて、自説を補強していきます。現金がいかに闇経済で使われているかというのは、以前に読んだExorbitant Privilegeでも触れられていました。まぁ、具体的な規模は分かりませんが、そりゃそうだろうなという気はします。

あと、金融政策については、マイナス金利政策の効果が高額紙幣によって損なわれると主張します。中央銀行は景気を刺激するために金利を引き下げるわけですが、政策金利がゼロにまで到達してしまうと、そこから先は金利を引き下げることはできない。そこで量的緩和政策なんていうのが発案されたわけですが、それがどのぐらい景気を刺激する効果があったかどうかはよく分からないわけです。そこで、日本や欧州はマイナス金利を採用するようになりました。ところが中央銀行がマイナス金利をかけて景気を刺激しようとしても、預金者が銀行口座のお金を現金化してしまえば、そこにはマイナス金利の影響は及ばないわけです。だから、大きなお金の金額の現金化のツールである高額紙幣が金融政策のあしかせになっているといえるという主張です。

ロゴフ教授はここから、だから高額紙幣は廃止するべきだ。各種カードによる電子決済が普及している先進国だったら十分に可能だし、それで犯罪を抑え込み、金融政策の効果も大きくなるんだったら、いいことじゃないかと話を進めます。

こういう主張をすると、中央銀行の通貨発行益(シニョレッジ)が失われるからだめだとか、低所得者はカードなんて持っていないんだから困るだろうとか、犯罪者は高額紙幣が廃止されたって別の抜け道を見つけるだろうとか、マイナス金利みたいな銀行から強制的にお金を巻き上げるようなことをしていいのかとか、いろんな反論が出るそうです。で、ロゴフ教授は、そうした反論の有効性をひとつひとつ検証して、やっぱり高額紙幣廃止によるメリットの方が大きいですよね、と結論づけます。

まぁ、それだけの本です。ハーバードの教授が高額紙幣を廃止したらいいんじゃないのと思いついて、自説の正しさを証明するために反論を丁寧につぶしていく。ただ、個人的には高額紙幣廃止で犯罪が抑制できるんだからそれでいいじゃないかと思うんですが、別にそこまで説明してくれなくてもいいよっていう感じもします。「電子決済が普及しているんで、高額紙幣はなくてもいいですよね」って一言だけ言ってくれれば、みんなそれで納得するんじゃないか。

ただしシヨレッジについて丁寧に説明してくれるのはありがたかったです。中央銀行は通貨を発行することで利益を得られるっていうのはいろんなところで見聞きするんですが、具体的にはどういうことが行われているのかよく分からなかったからです。「何か物が欲しいときに印刷機を動かして好きなだけ紙幣を作っているの?」なんていう風にも思えるわけですが、実際には以下のような手順を踏んでいるそうです。

1.政府が収入以上にお金を使って、それを賄うために債券(debt)を発行する
2.中央銀行が市中からdebtを買い取る。この際、electric bank reserve (which are the electric equivalent of cash)を発行する
3.bank reserveに対して中央銀行が払う利息よりも、debtから得られる利息の方が大きいので中央銀行には長期的に利益が出る

2のところがミソなんでしょうけど、中央銀行は市中からdebtを買い取るときに売り手である銀行に現金を渡すわけじゃなくて、銀行の当座預金の残高の数字を変更するだけなわけですね。これが現代における通貨の発行だというわけです。で、いつでも引き出し可能な当座預金につく利息は、政府が発行した債券につく利息よりも小さい。だから3のところで中央銀行に利益が出る。これがいわゆるシニョレッジ(通貨発行益)というわけです。

だから、高額紙幣が廃止されて、印刷機を動かせなくなっても、中央銀行は利益を出すことができます。ロゴフ教授は"even if paper money revenue disappeared completely, the central bank would still earn money from electronic reserves"と明言しています。

ちなみにこの通貨発行益は中央銀行から政府に納められます。結局、政府は一切損をしていないようにも思ってしまいそうですが、実際には当座預金についた利息分は政府の負担が生じているのだと思います。ここは私の勝手な理解です。


また、ロゴフ氏は高額紙幣を廃止する際には、政府・中央銀行は債券を発行して高額紙幣を買い取らねばならない(it will have to issue ordinary interest-bearing debt to buy back the currency it is retiring)と書いています。

ここのところは直感的によく分からなかったのですが、多分、こういうことです。

1.「高額紙幣を廃止するぞ」とのお達しに従って、銀行が金庫に入っている大量の1万円札を中央銀行に持ち込む
2.中央銀行は銀行から受け取った金額を銀行の当座預金に電子的に記入する
3.でも、この受け取った大量の1万円札は無効になったただの紙切れだから、現金としてはもう使えない
4.だから、中央銀行の損失を埋めるために、政府は債券を発行して資金を調達せねばならない

どうでしょう。これで正しいんでしょうか?

とまぁ、こんなことをつらつらと説明している本です。
This time is differentのときは「そうか。やっぱり政府が負債を積み上げすぎるのは問題だな」という気がしましたが、今回は「知らんがな」という感は否めません。

2017年8月17日木曜日

"The Healing of America"

"The Healing of America: A Global Quest for Better, Cheaper, and Fairer Health Care"という本を読んだ。T. R. Reidという、慢性的な肩の痛みを抱えるジャーナリストが世界各国の医者にかかりながら、各国の医療制度について探求し、米国の医療保険制度の問題点をあぶり出すという内容です。2010年8月出版。オバマケア関連法案成立して間もないころですね。

とても面白かった。American Sicknessよりも格段に読みやすい。米国医療がいかにしてダメになっていったかということはAmerican Sicknessでこれでもかと言わんばかりに書かれていたわけですが、こちらのThe Healing of Americaでは、他の国はどうしてダメになっていないのかということが書かれています。さらに、かつてはダメな制度だったのに改革に成功した、台湾とスイスのケースも紹介しています。なのでAmerican Sicknessよりも救いがあります。

書かれていることは単純。米国の医療制度をまともなものにするには、国民が「全員が医療保険に加入できるべきだ」という考え方で一致できるかどうかがキモだということです。世界の医療保険制度はいろんな仕組みがありますが、米国以外の先進国はすべてこの考え方に基づいています。

ところが米国ではこういう主張をすると、必ず「社会主義化された医療制度だ! ムダだらけで、革新も生まれない。国民の医療への選択肢も狭められる。自由を尊ぶ米国の理念に反する」という反発が出ます。そういった主張に、現在の医療保険制度で恩恵を受けている医療保険会社や医療機関、製薬会社が乗っかってロビー活動を展開するので、議会は動きがとれなくなります。オバマ大統領に上院60議席、下院過半数の議席を与えたって、問題は解決できなかったわけですからなかなか根深い問題です。

そこでリードさんは、こうした「社会主義化された医療制度だ!」という批判は的外れだと繰り返し説明します。

まず、他の先進国の医療制度は別に社会主義化されているわけではないという点です。

リードさんは先進国の医療制度を以下のように分類します。

ビスマルク型(ドイツ、日本など)=医療保険提供者が民間、医療サービス提供者も民間
ベバリッジ型(英国、北欧など)=医療保険提供者が国、医療サービス提供者も国
国民健康保険型(カナダ、韓国など)=医療保険提供者は国、医療サービス提供者は民間

まぁ、ベバレッジ型は国が全面的に関与していますから、バリバリの自由経済主義者からみれば「社会主義的」といえるかもしれません。でも英国を社会主義国だと思う人は多くはないです。あとビスマルク型や国民健康保険型は民間が関与していますから、社会主義ってわけじゃないですよね。

ただし、こうした民間が関与する仕組みでも規制はきついです。例えばビスマルク型として取り上げられている日本は、医療保険は主に企業別の医療保険組合が提供していて、医療サービスも民間がやっているわけですが、医薬品の価格なんかは政府がコントロールしているわけです。それは「すべての国民が医療保険に加入できるべきだ」との考え方から正当化されます。こうした厳しい規制のおかげで日本の医療費は国際的にみて安いですし、しかも患者は自由に医療機関を選べる。

ベバレッジ型は医療保険も医療サービスも国が主体です。そのおかげで患者は病院に行っても請求書を受け取ることはありません。それだったら患者が好きなだけ病院に行くことになって医療費が高騰しそうなものですが、「国はすべての人を保険でカバーするけれど、すべての医療行為をカバーするわけじゃない」という立場をとっているため、たいしたことのない病気であったりすれば病院にかかる前に行くことになる"general practitioner"のオフィスの段階で「病院に行かなくていいですよ。様子をみましょう」ということになる。また、すべての医療費は国民の税金で負担することになりますから、有権者や政治家も医療費の無駄遣いには敏感です。「94歳の女性への人工関節手術を認めるべきか」「50歳以上の男性すべてに前立腺がんの検査を認めるべきか」といった問題が、医学的なエビデンスの基づいて議論されたりします。

国民健康保険型も医療保険を国が提供するわけですから、どんな治療に対しても費用を払うというわけではないです。医療サービスは民間ですから、民間同士の競争がありますし、国がいくらでも医療費を払ってくれるわけじゃないので、コスト意識が働きます。

もちろん、それぞれの制度には問題点があります。日本なんかは「医療従事者の報酬が低い」なんていう問題点も指摘されます。ベバレッジ型の英国や北欧は米国に比べて税金が高いです。国民健康保険型のカナダなんかは、緊急性がない治療の場合は、受診までに数カ月~1年以上も待たねばならないという問題があります。

ただ、それだって米国の医療制度よりは格段にいいわけです。一人あたり医療費は安いし、健康を維持できる年齢も高い。どこの国だって「米国みたいにはなりたくない」と思っています。それなのに、どうして米国が現在の米国の医療制度にこだわる必要があるのかというわけです。


リードさんはさらに、米国内の「他の国の医療制度は自由を尊ぶ米国の理念に反する」という意見も的外れだとします。それは米国の医療制度のなかには、すでにこれらの仕組みが根を張っているからです。

例えば、高齢者向け公的医療保険のメディケアは国が医療費を負担して民間が医療サービスを提供していますから国民健康保険型です。退役軍人向けには専門の病院もありますから、これは医療保険も医療サービスも国が提供するベバリッジ型です。そのほかの企業が提供する医療保険に加入している米国人にとっては、ビスマルク型の医療保険制度が存在しているわけです。

ただ、米国には「全員が医療保険に加入できるべきだ」という理念がないために、どの制度からもこぼれてしまっている人たちがいます。メディケアに入れるほど年寄りではないし、低所得者向けのメディケイドに入れるほど所得が低いわけでもないし、医療保険を提供してくれる会社に勤めているわけでもないし、退役軍人でもないという人たちですね。この人たちは行き所がないです。利益目的の保険会社に高い保険料や高い自己負担額を強いられ、病院からも高い医療費を請求されて、生活を維持できなくなってしまうような人たちです。さらに医療保険を提供してくれる会社に勤めていたけど、病気で仕事を続けられなくなって退職したら、医療保険がなくなったなんていう事態も起きるわけです。

また、こうした医療保険制度のパッチワーク状態が余計なコストを生みます。オバマケアはこのパッチワークに拍車をかけました。

リードさんはこう書いています。

Facing an entrenched army of well-financed and powerful interests determined to preserve the status quo, Obama declared from the start that he would not seek to replace the existing health care system with a simpler, cheaper model. "We have to build on what we've got already," Obama said. The result was an enormously expensive and complicated piece of legislation ---the "Obamacare" bill runs to 2,400 pages of legalese ---that retains most of the structure of the U.S. system ....

もちろんリードさんはオバマケアが結果的に無保険者を大幅に減らすであろうことや、保険会社が病歴のある人の加入を断ることを禁じる制度を作ったことは高く評価しているわけですが、根本的な問題解決にはほど遠いということなんでしょう。

あと、リードさんは医療保険制度の抜本的な改革に成功した台湾やスイスの取り組みも詳しく取り上げています。どちらも、まず最初にリベラル側が「全員が医療保険に加入できるべきだ」と声を上げ、それを国民が熱狂的に支持し、保守側が人気とりのためにそれを受け入れたという展開だったようです。あと、どちらも経済が好調だったという背景もあるそうです。

米国では2016年に民主党の大統領候補指名争いで健闘したバーニー・サンダース上院議員が"single-payer"のシステムを目指しています。これは医療保険を国が提供するという意味です。オバマケアの失敗を踏まえたうえで、より抜本的な改革を実現させるということなのでしょう。

じゃあ、2020年の大統領選で79歳になったサンダース氏が当選。そのときには2018年の中間選挙と大統領選と同時に行われる議会選挙で、上下両院ともに民主党が過半数を握っていて、サンダース氏が訴える抜本的な医療保険制度改革をトランプ政権にこりた共和党も受け入れる。そんなシナリオはどうでしょうか。

どうでしょうか。米国人のみなさん。

2017年7月21日金曜日

"An American Sickness"

"An American Sickness: How Healthcare Became Big Business and How You Can Take It Back"という本を読んだ。医師として働いたこともあるニューヨーク・タイムズの元記者、Elisabeth Rosenthalが米国の医療制度が抱える問題について書いた本です。2017年4月発売。


5月にニューヨーク・タイムズの書評で米国の医療制度を理解するための本として紹介されてたので、ちょっと読んでみた。聞き慣れない医療用語の多さとか、医療制度に関する基本的な知識の欠如もあって、なかなかスムーズには読めませんでした。でも考えさせられるところが多くて、面白かった。

米国の医療制度は悪名高いです。OECDのデータによると、2015年の米国の1人あたり医療費(実質、購買力平価ベース)は8748ドルで世界1位。2位のスイス(6493ドル)に大差をつけています。日本は4036ドルですから、米国は日本の2倍以上の医療費がかかっていることになります。

OECDのページ

医療費が高いと、医療保険の保険料は高くなります。そうなると医療保険に入れなかったり、入りたくなくなったりする人が出てきます。

そういう状況に対応しようとしたのが2010年に成立したオバマケアだったわけです。でもオバマケア後も米国の医療費は上がり続けています。オバマケアが2014年に個人に保険加入を義務づけるなどしてから無保険者は1900万人減っていますが、それは保険料を連邦政府として負担したからであって、米国の医療費が世界的にみて例外的に高いという根本的な問題を解決できたわけではありません。

で、この本はどうしてこんなことになっているのかを説明しようとした本です。ただ、話が話だけに事は単純ではありません。

エピローグの言葉を引用すると、

No one player created the mess that is the $3 trillion American medical system in 2017. People in every sector of medicine are feeding trough: insurers, hospitals, doctors, manufacturers, politicians, regulators, charities, and more.

とのことです。この本は医療費や保険料の高騰の背景を象徴するいろんなエピソードを紹介しながら進みます。だからまとまりはないです。ただし、ローゼンタールさんは冒頭で、米国の医療制度がまともに機能していないことを象徴する、米国の医療がこだわる10の原則なるものを示しています。

1.常に治療せよ。最初の選択肢は最も高価な治療法。
2.一生治療を続けることは、治癒することよりも好ましい。
3.治療そのものよりも、快適さやマーケティングが大切。
4.技術革新の時代において、医療価格は上がり続ける。
5.患者は常に言いなり。常に米国の医療を購入する。
6.医療では競合があっても価格はさがらず、むしろ上がる。
7.医療機関は規模が大きくなっても価格は下げない。ただ稼ぎを増やすだけ。
8.適正価格などない。無保険者が最も高い医療費を払う。
9.請求書に基準はない。あらゆるものにお金がかかる。
10.患者が負担するギリギリまで価格は上がる。

まぁ、なんとなく分かるような内容です。

そもそも医療というのは病気の人を相手にしているわけです。で、病気の人は働けないわけですから、お金なんかもっていない。だから本来、医者なんていう仕事は儲かるハズがない。ローゼンタールさんによると、100年ほど前には、そもそも医療というのは簡素なもので、安くて、多くの場合は宗教関係者によって運営されていました。病院というのは人々が死ぬための場所でもあったのです。

一方で、19世紀後半には、企業が従業員の医療費を負担する仕組みが生まれます。従業員が働けなくなることは、会社にとって損失だからです。1890年代、ワシントン州の木材会社は従業員が医師にかかる際に1カ月あたり50セントを負担したそうで、こうした仕組みが今の米国における企業負担型の医療保険のはしりだそうです。

現在の医療保険の元祖は1920年代までにテキサス州ダラスで生まれました。教職員組合の加入者を対象に、年間6ドルを払えば、21日分の入院治療が受けられるというものです。ただし保険の支払いは、最初に1日あたり5ドルの自己負担を1週間続けた後で発動されるという仕組みでした。21日という期間は、当時の医療水準では21日もあれば患者の多くは治るか、死ぬかのどちらになるという判断で決められました。

第二次世界大戦が終わると、企業は人手不足に陥ります。そこで企業は従業員に医療保険を提供することで人を集めようとします。連邦政府もこれを後押しして、従業員の医療費は非課税とすることにしました。すると1940年から1955年にかけて、米国の保険加入者は人口の10%から60%まで急増しました。保険を提供していたのはBlueCrossのようは非営利組織で、年齢や健康状態に関わらず、すべての加入者は同じ額の保険料を払っていました。

こんな風にして医療保険への需要が高まってくると、営利目的の保険会社が医療保険に参入してきます。こうした保険会社は年齢によって保険料を変えたり、カバーの範囲を変えたりして、より安い保険料を提示するようになります。1951年までにはAetnaやCignaがシェアを伸ばし、BlueCrossのようなすべての保険加入者を平等に扱う非営利組織は不利になっていきます。そして1994年、BlueCrossは営利組織になることを容認。社会的な使命を意識する保険会社が駆逐されてしまった形になりました。

1993年、保険会社は保険料の95%を医療費に使っていましたが、現在では80%近くまで下がっています。なかには64.4%なんていう保険会社もあるそうです。オバマケアは保険会社に対して、この比率(medical loss ratio)を80~85%にするよう求めました。ただ、高齢者向け公的医療保険のメディケアのmedical loss ratioは98%ですから、オバマケアは十分甘いともいえます。

つまり保険会社は公的な使命を忘れてしまっていて、オバマケアもそれを容認してしまったということです。

医療機関にも問題があります。そもそもほとんどの医療機関は非営利組織として運営されているため、利益を上げることができません。すると医療費として集めたお金が実際にかかったコストよりも大きくなると、余ったお金を無駄遣いする構造になっています。つまり節約するという意識がない。1960年代にメディケアが登場すると、65歳以下の世代でも保険加入が進みます。すると患者の方でも自分がいくら負担するかを気にしなくなってきて、医療機関は好き勝手な医療費を請求するようになります。1967年から1983年にかけて、メディケアの支払い額は30億ドルから370億ドルまで増えました。

メディケアも対応に乗り出します。1980年代の半ばにはdiagnosis related group (DRG)という仕組みを導入し、治療の種類に応じて支払い額を固定するよう決めました。一方、民間の保険会社はDRGでは医療費が高止まりする可能性があるとして、ケアマネジャーを雇って適正な医療費の価格をはじき出して、医療機関と交渉する仕組みを採用します。

すると、医療機関はメディケアや交渉力のある保険会社が手強くなってきたと判断し、小さな保険会社や無保険の患者に高い医療費を請求するようになります。さらに医療機関は収入を増やすためにコンサルタントを雇い、戦略的な医療費設定(strategic pricing)を始めます。コンサルタントは保険会社が支払いに応じないような品目での請求を止め、酸素吸入や処方薬のような保険会社が支払いに応じることが多い品目での請求を増やし、その結果、こうした品目として請求される医療費が実際の費用からかけ離れた高額になるといった事態が生じます。大手の医療コンサルタント企業は年間342億ドルもの売上を稼いでいるんだそうです。

さらに医療機関のなかには医師に対して固定給ではなく、行った治療の収益性に応じて報酬を払うケースもあります。治療や検査の複雑さを示すレベル1~5までの分類に応じて、医師が受け取る報酬が決まっているわけです。普通にひざの関節への注射をすれば1200ドルの収入になるけれど、その際に超音波で針を刺す場所を特定すればさらに300ドルの収入になる。ひざへの注射は特段難しいわけじゃないので、超音波による検査は必要ないんだけれど、医師は報酬を増やすために超音波を使うようになるといった具合で医療費が上がっていきます。

メディケアにまわされた請求を分析したところ、緊急治療室で治療を受けた患者のうちレベル4と5の治療を受けた患者の割合は2001年には4分の1ですたが、2008年には半分にまで増えていた。一方、レベル2の請求は15%まで半減。医療機関2400カ所のうち500カ所では、患者の60%に対してレベル4と5の治療が行われていました。

つまり医療機関は保険会社やメディケアなんかの監視の目をかいくぐるようにして、患者から医療費をむしりとっているという構図です。病院の経営者の収入は2011年から2012年にかけて24.2%増えました。オバマケア成立後のことです。医師の報酬も2009年以降、増え続けています。医師以外の職業ではみられない現象だそうです。ローゼンタールさんが医療現場で働いていた1990年台、医師たちは「時給で考えたら、配管工より給料が安い」なんて文句を言っていたそうです。でも、今はNBAのレブロン・ジェームズやゴールドマン・サックスの会長が比較の対象になっているようだと、ローゼンタールさんは書いています。

メディケアの方にも間抜けなところがあります。メディケアは地域ごとに支払い額を決めているのですが、その支払い額はその地域の医療機関による過去の請求額などを基準に決められています。しかし、ある地域で特定の治療を行う医療機関が少数であれば、それらの医療機関はお互いに競争するのではなく、そろって請求額を上げていこうという動機が生まれます。その結果、2014年段階で、ニューヨークのクイーンズでの胆嚢手術のコストは2000ドルであるにも関わらず、20マイル離れたロングアイランドのナッソー郡での胆嚢手術は2万5000ドルと計上される。そんなおかしな事態が起きています。

メディケアは1980年代に医療行為の時間や管理コスト、医師育成にかかるコスト、過誤によるコストをもとにしてrelative value units(RVUs)を算出。これをもとに医療機関への支払い額を決めるアルゴリズムを作ります。こうしたアルゴリズムは常にアップデートする必要があるわけですが、メディケアはこの任務をAmerican Medical Associationに委ねてしまします。医療行為の適正価格を医療機関自身に決めさせてしまうようなものです。AMAは3年に一度、Relative Value Scale Update Committeeを開いて見直しを進めるのですが、この委員会は各医療関連団体のロビーイング競争の場になっています。

もちろん製薬会社も無茶苦茶です。最近でも、安い値段で売られている薬の販売に関わる権利を買い集めて、一気に大幅に値上げするといった悪行がニュースになります。

かつて医薬品を開発した研究者は特許をとろうとはしませんでした。ポリオワクチンの開発に力を尽くしたJonas Salkeは「誰がポリオワクチンの特許を持っているのか」と問われて、"Well, the people, I would say. There is no patent. Could you patent the sun?"と答えたそうです。実際、当時の法制度では、多くの研究者が関わったポリオワクチンは特許をとることができないと判断されていたそうです。

しかし1980年のBayh-Dole Actで政府の資金援助を受けた研究から得られた成果でも特許を取ることが認められるようになりました。今ではひとつの医薬品に対して3.5件の特許がかかっています。1984年の別の法律改正(Hatch-Waxman)ではジェネリック医薬品の導入促進のための規制緩和が実現しましたが、同時に大手製薬会社を納得させるために、一部のケースで特許期間の延長を認めました。こうしたジェネリック企業と大手製薬会社の軋轢が法廷闘争に発展すると、その間はジェネリック医薬品の導入が遅れるケースも出ることになります。米国は欧州に比べて特許の力が強く、医薬品の価格にも規制がかかっていないため、多くの製薬企業が米国に投資するようになっています。

大手製薬会社は自社の医薬品が特許切れに寸前になると、わずかに仕様や成分を変えた医薬品を開発して新たに特許を取り直すという戦略も採ります。例えばワーナーチルコットは経口避妊薬Loestrin24 Feが特許切れになる前に、「噛めるタイプ」のMinastrin24 Feを販売。Loestrin24 Feの販売を取りやめます。新薬の方は旧薬よりも3割ほど高い価格設定ですが、まだジェネリックは出ていないので、利用者は新薬に乗り換えざるを得ません。

1994年に特許を得たスプレータイプの処方薬Flonaseの場合、2006年にジェネリック版が登場。Flonaseを販売していたグラクソスミソクラインは訴訟を起こすなどして抵抗しましたが、2010年にはジェネリック版が市販薬として20ドルの価格でドラッグストアの店頭に並ぶようになりました。処方薬であるFlonaseは医療保険の対象となる分、価格は高く設定されていますから、ジェネリック版に市場を奪われることは必至です。しかしそこでグラクソスミソクラインはFlonaseを市販薬に変更し、市場に投入。すると米国法では、同じ医薬品がひとつの市場で同時に売られることを禁じているため、ジェネリック版のメーカーは在庫を売り切って工場を閉鎖するよう要求されることになりました。さらに米国では、処方薬を市販薬に変更した場合には、3年間の市場独占期間が保障されていて、新規の参入もブロックすることができます。グラクソスミソクラインはこの市販薬版のFlonaseを40ドルで売ったとのことです。

とまぁですね、こんなややこしいエピソードが山ほど書かれている本です。ややこしいので、ここまでに書いた文章にも誤解があるかもしれません。このほか患者の側のかわいそうな話も満載です。

本の後半では、医療の消費者である患者の側はどのように対応すればいいかといった話も出てくるのですが、正直、これだけ根深い問題を見せられた後ではなかなか明るい希望は抱けません。多分、政策上とか理論上ではできることはいくらでもあるのでしょう。でも、政治の状況を考えれば、なんか絶望的です。

オバマケア(Affordable Care Act)についてこんな記述があります。

The ACA did little directly, however, to control run-away spending. President Obama had initially included several ideas in the bill that would have done so ---like national negotiation for pharmaceutical prices. To get a healthcare bill passed and to win support from powerful groups like PhRMA, the AMA, the American Hospital Association, and America's Health Insurance Plans, the administration had to cave on anything that would directly limit the industry's ability to profit.

医療業界によるロビイングは共和党だけでなく、もちろん民主党にも浸透しています。ハリー・リードとかチャック・シューマーのようないかにも悪そうな人たちだけならまだしも、エリザベス・ウォレンやエイミー・クローブシャーのような、いかにも「庶民の味方」といったイメージの議員まで医療業界の世話になっているようです。そんなことになっていたら、オバマ大統領だって法律を通そうと思えば、妥協せざるをえなかったということなのかもしれません。

トランプ大統領だったら、医療業界ごとぶっとばしてくれる。そんな期待もあるかもしれません。でもトランプ大統領だって法律を通すには議会の協力を得ねばなりません。予算編成で強い影響力を持つ上院財政委員会の委員長は医薬品業界とのつながりで有名なオリン・ハッチです。他の共和党議員だって、医療業界にお世話になっているだろうことは想像に難くありません。

まぁ、病気にならないように気をつけるしかないですかね。100年前と同じですね。

2017年6月16日金曜日

"The Ax"

"The Ax"という小説を読んだ。Donald Westlakeが1997年に書いた作品です。ウエストレイクはエドガー賞を3度獲ったほどの著名作家です。私は全然知りませんでしたが。

私はもともとミステリーが好きで、これまでJ.A. Konrathの本を読んでいたのですが、どうもこの人の本はジョーク満載で面白いんだけど、描写がグロいところがあって、なんか食傷気味になってきたところでした。

そこで、以前読んだ本のなかで、Konrath自身が好きだと書いていた作家をピックアップして、そのなかから、私が気に入るような作家を捜してみようと思ったのです。

Konrathが好きだと書いていた作家は6人。

Janet Evanovich
Rovert Parker
Lawrence Block
Robert Crais
Donald Westlake
Ridley Pearson


一人も読んだことがないので「このミステリーがすごい!」の過去のランキングを調べてみたところ、このうち、ローレンス・ブロックと、ウエストレイクは過去に何度もトップ10に入っています。

2013年10位のローレンス・ブロック「償いの報酬」A Drop of the Hard Stuff (Matthew Scudder 17)

2004年5位のドナルド・ウエストレイク「鉤」The Hook(2000, シリーズなし)

2002年4位のドナルド・ウエストレイク「斧」The Ax(1997, シリーズなし)

1998年9位のドナルド・ウエストレイク「天から降ってきた泥棒」Good Behavior (1985, Dortmunder)

1995年3位のドナルド・ウエストレイク「踊る黄金像」Dancing Aztecs(1976, シリーズなし)

1994年6位のローレンス・ブロック「倒錯の舞踏」A Dance at the Slaughterhouse (Matthew Scudder 9)

1993年2位のローレンス・ブロック「墓場への切符」A Ticket to the Boneyard (Matthew Scudder 8)

じゃぁ、このなかからどれを読むかということですが、シリーズものじゃない、比較的新しいという基準で"The Ax"を選んだ。"The Hook"を選ばなかった理由は忘れた。


で、肝心の読んでみた感想ですが、Konrathの作品とは正反対で「ジョークは一切無く、グロさもほとんどない」といった作風です。1990年台半ばのコネチカット、ニューヨーク、マサチューセッツを舞台にして、製紙メーカーをリストラされた男が殺人を繰り返すという話。一貫して犯人の視点で書かれているので、ミステリーではありません。本当に淡々と話が進んでいきます。

じゃぁ、面白くないかというと、そうではなくて、なかなか読ませます。リストラされた男が殺人を始めるまでの屈折した心理とか、家族との関係とか、ターゲットに対する心情とか、だんだんと犯罪慣れしていく様子とかが詳細に描かれていきます。描写がグロいわけじゃないですが、犯人の身勝手な理屈はなかなかにグロテスクです。また、この男をリストラした会社はコネチカットの工場を閉めて、カナダに製造拠点を移したという設定になっています。NAFTA(1994年発効)なんかも言及されていて、今日的な話題である「米国における製造業の衰退」なんていうテーマも重ね合わせてしまいますね。

淡々と話は進みますが、ラストにどうなるかは最後まで分かりません。そういった意味でも面白い。


ウエストレイクは多作な人みたいなので、しばらく楽しめそう。

2017年6月13日火曜日

TOEFL(10回目)結果

TOEFL10回目の結果が出ました。

Reading29, Listening30, Speaking17, Writing22で、98点

9回目が Reading26, Listening27, Speaking15, Writing22 で、90点
8回目が Reading29, Listening27, Speaking17, Writing21 で、94点
7回目が Reading26, Listening24, Speaking19, Writing20 で、89点
6回目が Reading26, Listening26, Speaking15, Writing21 で、88点
5回目が Reading23, Listening26, Speaking15, Writing20 で、84点
4回目が Reading25, Listening21, Speaking15, Writing18 で、79点
3回目が Reading14, Listening19, Speaking17, Writing15 で、65点
2回目が Reading20, Listening21, Speaking13, Writing17 で、71点
1回目は Reading10, Listening18, Speaking10, Writing14 で、52点


わはは。これはつまり、SpeakingとWritingが全然上がっていない、というやつです。
Speakingで過去最高点(19)が出ていれば、100点に届いたのに。
まぁ、最高点が19点っていうのは、なかなかに情けない話ですけど。

受験時の予想が100点前後だったので、予想通りの結果といえます。(本当は100点超期待していたけど)
インプット系のReadingとListeningに自信があったのは間違いじゃないかった。
アウトプット系(特にSpeaking)に不安があったのも間違いじゃなかった。

そしてインプットの向上がアウトプットの点を後押ししてくれるというのは幻想だった。

ということで、TOEFLで100点超をとろうと思ったら、アウトプットの向上が不可欠ということです。
そのためにはアウトプットを意識的に練習することが必要だということです。
7年ぶり10回目の受験にして、当たり前の知見を得ることになりました。


ただ、ちょっと言い訳させてもらうと、2015年11月に英検1級には合格しているんですよ。
このときの2次試験(面接形式)は100点中82点。
内訳は、short speech 27/30、 interaction 27/30、grammar and vocabulary 16/20、pronunciation 12/20。
ネイティブスピーカーとコミュニケーションを取れるだけの能力がないわけじゃないんだと思うんですよね。っていうか、そう信じたい。

英検の2次は面接形式だから、こちらの発言の趣旨がうまく伝わらなくても、面接者が追加質問してくれるので、それに答えることで考えを伝えられます。
あと、周りに人もいないし、制限時間もシビアではないので、ゆっくりとハキハキと話すことができます。

でもTOEFLの場合は、制限時間1分の枠内で、マイクに向かって話すという形式ですから、より高度なスピーキングのスキルが求められる。
周りに他の受験者がいるので、なんかこっぱずかしい感じもある。他の受験者がリスニングしているのに、下手な発音で話すのって何かアレじゃないですか。


くっそぉ。悔しいなぁ。でも「取りこぼし」があったわけじゃないから、すぐに再チャレンジしても成果は期待できない。
100点超めざすなら、TOEFLのスピーキング対策をとる必要があるんだと思います。
それと、やっぱり発音をもうちょっと向上させないとダメなんだろうな。練習してないからな。


このあたりが向上した自信がつけば、再受験するかも。でも、どうやったら自信をつけられるかは分からない。

2017年6月4日日曜日

TOEFL(10回目)受験

TOEFLを受けてみた。前回は2010年6月。7年ぶり10回目。

これまでの結果は以下の通り。

9回目が Reading26, Listening27, Speaking15, Writing22 で、90点
8回目が Reading29, Listening27, Speaking17, Writing21 で、94点
7回目が Reading26, Listening24, Speaking19, Writing20 で、89点
6回目が Reading26, Listening26, Speaking15, Writing21 で、88点
5回目が Reading23, Listening26, Speaking15, Writing20 で、84点
4回目が Reading25, Listening21, Speaking15, Writing18 で、79点
3回目が Reading14, Listening19,Speaking17,Writing15 で、65点
2回目が Reading20, Listening21, Speaking13, Writing17 で、71点
1回目は Reading10, Listening18, Speaking10, Writing14 で、52点

8回目が留学前の最後。9回目は留学の最終盤に受けたものです。
留学の最終盤の方が留学前より点が下がっています。スピーキングが悪くなってんのね。


9回目の受験時のブログ
9回目の結果のブログ


受験の感想としては、リスニングの精度はこれまで以上に上がっていると思うんですね。
全部分かる。「うんうん、分かった、分かった。もういいよ。で、何が聞きたいの?」って思うぐらい分かる。
もっと言えば、「どうせ、こういうことを聞くんでしょ」っていうぐらいまで思う。

リスニングパート自体の点はもう27点とかになっているから、それほど上積みは期待できません。
でも、スピーキングとライティングのパートでも、出題には会話や講義の音声が含まれるわけだから、
このリスニングの精度の高さは大きな前進だと思います。

ただ、問題はアウトプットですよね。

そりゃ、最高点だった8回目(留学前)と比べても、さらに合計5年の米国生活が積み重なっていますから、
アウトプットの点でもレベルは上がっているんだとは思う。そう思いたい。

でもスピーキングとかね。やっぱね。ダメだね。
一応、答えるべきことは分かっているけど、スムーズにペラペラと話せるわけじゃない。
とりあえず言葉は口から出てくる。でも、それを文章として完成させようとすると、
ちょっと考える時間が必要だったり、文法的にねじれが生じてしまったりといった感じです。
制限時間があるので、このあたりはなかなか難しい。
会話の要約する部分で時間を使いすぎて、自分の意見を述べる部分が早口になってしまうこともあった
まぁ、実生活では制限時間付で英語を話す機会はあまりないですどね。

発音は普通です。特に練習したことないですし、ネイティブみたいに話すつもりもない。

ライティングも、出題が終われば、書くべきことが頭に浮かんで、すぐに書き出すことができた。
単語数も、意識しなくても、出題時に示される適切な語数をちょっと超えるぐらいになった。
ざっと書いて、読み直したら、ちょうど時間が終わるぐらいの感覚です。


ということで、そんなにひどい点ではないと思う。

それぞれのセクションで自己新がでれば、Reading29、Listening27、Speaking19、Writing22で、97点。
ここから、SpeakingとWritingがどのぐらい上乗せされていて、
ReadingとListeningでどれぐらい取りこぼしているかっていう感じでしょうか。

プラスマイナスが同じぐらいであれば97点ですが、
受験してみた感覚としては、100点前後っていう予想。
スピーキングやライティングのアウトップットのスキルが上がっているわけじゃないですけど、
出題時のインプットの精度があがっていることが点数を後押ししてくれていると信じたい。

まぁ、赤っ恥をかくことは覚悟のうえです。


受験前は、これで100点超えてなければ、もう一度チャレンジしようかと思いましたが、
まぁ、今回以上のパフォーマンスが出ることもないでしょうから、100点未満でも受け入れます。

受験時間は3時間半ぐらい。長い。疲れる。受験料は195ドル。昔より高くなっていないか?

2017年5月31日水曜日

"A Million Ways To Die In The West"

"A Million Ways To Die In The West"という本を読んだ。"Family Guy"で有名なSeth MacFarlaneの同名の映画の小説版です。

ちょっと前にシンプソンズの脚本に参加したことがあるというライターのエッセイを読んだのですが、これが面白くかつ読みやすかった。

https://www.wsj.com/articles/the-prom-a-survival-guide-for-parents-1494593931?tesla=y

で、このライターが何か本を出していないかと思って探してみたけど見つからなかったもので、それならファミリー・ガイのセス・マクファーレンの本だったら面白いんじゃないかと思って読んでみた次第です。


まぁ、面白かったことは間違いないですが、「お勧め!」っていうほどのものでもないです。


1882年のアリゾナを舞台に繰り広げられるコメディです。主人公はアルバートという男で、ヒツジ牧場を経営する気の優しい男。このアルバートと、美人の彼女ルイーズ、親友のエドワードとその恋人のルス、金持ちのフォイ、お尋ね者のクリンチ、その妻のアナたちが主要な登場人物で、まぁ、なんだかんだとドタバタするという話です。


ストーリーは単純です。まぁ、ちょっと凝った昔話みたいなもんです。だから話の筋道というよりは、主人公たちのキャラとか会話とかを楽しむタイプの本です。

例えば、エドワードとルスは実に仲の良いカップルなのですが、ルスは売春婦でエドワードもそのことを知っています。しかもルスとエドワードはそういった関係には至っていない。エドワードはなんとかそういう関係に持ち込みたいと思わないでもないのですが、ルスから「私たちはクリスチャンだから、婚前交渉は持つべきじゃない」と言われると、「そんなもんかなぁ」と思ってしまう。まぁ、そんなおかしなシチュエーションが面白いっていう本です。


だから面白いんです。でも、2時間ほどの映画と本にまとめたわけだから、映画で見た方が面白いんだと思います。
本を読むときに期待するほどの面白さではないと思います。


すぐに読める点はよかったです。

2017年5月20日土曜日

"Courage to Soar: A Body in Motion, A Life in Balance"

"Courage to Soar: A body in Motion, A Life in Balance"という本を読んだ。リオ五輪の女子体操で団体と個人総合、跳馬、床で金メダル。平均台で銅メダルをとったシモン・バイルズの回想録です。まだ20歳。痛快なお話でした。

前のトレバー・ノアの本が大変な子供時代を過ごした話でした。シモン・バイルスも母親がドラッグ中毒で、子供のころに祖父母に引き取られたという話を聞いたことがあったもので、どんなサクセスストーリーなのかと思って読んでみた。

ただ、あまり子供時代に家族のことで苦労したというわけではなさそうです。というのも、シモンは実の母親との生活をよく覚えていないんだそうです。

実の母親のシャノンさんは祖父の前妻との間の子供。シャノンさんは前妻のもとで育ち、シモンの姉(7歳上)、兄(3歳上)、シモン、妹(2歳下)を生みました。しかしドラッグなどへの依存症で、行政から育児放棄と認定されてしまいます。で、シモンが3歳のとき4人の子供たちは保護施設を通じて、ボランティアの里親のもとに引き取られる。しばらくして、テキサス州に住む祖父母が4人のきょうだいを引き取ることになります。

その後、4人は一度、オハイオ州に住むシャノンさんのもとに戻りますが、シャノンさんはドラッグをやめられなかった。それでも姉と兄は実の母親であるシャノンさんと暮らしたがったので、結局、2人はオハイオ州に住む祖父の姉のもとに、シモンと妹は祖父母のもとに戻ることになります。2002年12月24日、シモンが5歳のときのことです。そして2003年11月に、祖父母は2人と正式に養子縁組みし、シモンと妹の両親となります。この日からシモンは祖父母のことを、"Dad"、"Mom"と呼ぶようになります。

オハイオ州の話ですから、ヒルビリー・エレジーを思い出してしまいますが、シモンはどうもこのシャノンさんという女性にシンパシーを感じられないみたいです。

こんな一文があります。

Shanon still calls Adria and me on birthdays and holidays, but we don't have much contact beyond that. Some days, I feel a little bit sad for her. It's not that I ever wanted to go back to live in Ohio, but I do wish she'd been able to make better decisions when she was younger.

笑っちゃうぐらい、あっさりしています。シャノンさんにもいろいろ事情があったんだろうと思いますけどね。まぁ、だからといってシモンに何ができるっていうわけじゃないでしょうけど。


祖母は一番最初に4人のきょうだいを引き受けるとき、かなり不安だったそうです。4人は自分とは血のつながりがない子供たちだし、上の2人は物心がついていてシャノンさんに懐いている。しかも自分自身の2人の息子がどちらも高校生になって、子育てが一段落ついたばかり。そんなところに、また複雑な事情を抱えた幼い子供たちの面倒をみなければならないわけで、尻込みする気持ちも分かります。

ただ、そのとき、祖母の相談に乗っていた養子を育てた経験がある女性が、祖母にこんなことを言ったそうです。

"the Lord doesn't make any mistakes. And he never gives you more than you can handle."

この言葉に勇気づけられて、祖母は4人の面倒を見ることを決意したんだとのこと。ベリーズ出身の祖母はなかなか信仰に篤い人みたいです。


そんなシモンが体操を始めるきっかけは、祖父母の家にトランポリンがあったからだそうです。最初の里親の家にもトランポリンがあったんですが、そのときはシモンがケガをすることを心配する里親がトランポリンで遊ぶことを許してくれなかった。でも、祖父母の家だと、高校生の兄2人が見守るなかで遊ばしてもらえた。そのトランポリンが大好きで、ピョンピョンピョンピョン跳んでいたそうです。

で、6歳のときの保育園の遠足の行き先が、雨のため、牧場から体操クラブがある体育館に変更になった。その体育館でシモンがピョンピョンピョンピョン飛び跳ねているのをみて、体操クラブのコーチがクラブにスカウトしたんだそうです。このとき、遠足の行き先を体操クラブに変更したのは、保育園でバイトをしていた兄たちだった。まぁ、なんかマンガみたいな展開があるもんです。


あとは怒濤のサクセスストーリーになります。もちろんジュニアの米国代表に僅差で入れなかったとか、プレッシャーがきつかったとか、高校に通うかホームスクーリングにするかで悩んだとか、段違い平行棒が苦手でトカチェフをマスターするのに7カ月かかったとか、ケガしたとか、トップアスリートならではの苦労はあります。それぞれがほんの数年前の出来事だったりするわけで、10台の女の子としての実感がこもっています。大変だったでしょう。

ただ、やっぱり超恵まれた展開もあります。

特に最初の世界選手権制覇の後の2014年2月、体操を始めてからずっとコーチをしてくれた女性が突然、体操クラブを辞めることになったときのエピソードはすごい。シモンはこの女性コーチのもとでずっと練習したいと思うわけですが、女性コーチの移籍先が決まっているわけじゃないし、移籍先が決まったところでシモンが通える場所になるかどうかは分からない。今の体操クラブに残留するのが一番の安全策ですが、やっぱりシモンのことを一番理解してくれいるのはこの女性コーチだというジレンマがあります。

子供のころから夢見てきたオリンピックまで2年あまりというなかでのこのピンチ。これを切り抜けた方法は、

「祖母(養母)が女性コーチのために新しい体育館と体操クラブを作る」

というもの。

祖母は看護師としてキャリアを積んできた人で、14カ所の老人ホームを共同経営するほどにまで成功した人だそうです。で、その持ち分を売却して資金を作り、体育館を建て、新しい体操クラブを作ってしまった。その名もワールド・チャンピオン・センターです。もちろん、すぐに体育館ができるわけじゃないですから、シモンは最初の半年は元の体操クラブの体育館に間借りして、その後は倉庫を改装した仮の体育館を使って練習を続けたんだそうです。マンガ的ですが、本当の話です。

ということで、期待していた苦労話ではなかったですが、小柄でも体操が大好きな天才少女がいろんな苦労をしながらも、優しい祖父母や兄や妹に支えられながらマンガ的な展開で連戦連勝を重ね、最後にはオリンピックでの勝利をつかみ取るという痛快なストーリーではあります。


これはこれで面白かった。

2017年5月6日土曜日

"Born A Crime: Stories from a south African childhood"

"Born A Crime: Stories from a south African childhood"という本を読んだ。南アフリカ出身のコメディアン、Trevor Noahが南アフリカでの少年時代を振り返った本です。2016年11月発刊です。

ノアさんは2015年9月から、アメリカのコメディセントラルというケーブルテレビ局で"The Daily Show"の司会をしています。政治風刺を売り物にしたコメディ番組です。前任のJon Stewartはとても人気があったのですが、引退することになって、その後任として米国では無名の南アフリカ出身のコメディアンが抜擢されたと話題になった人です。


番組はyoutubeで見ることができます。どれも面白いです。
https://www.youtube.com/channel/UCwWhs_6x42TyRM4Wstoq8HA/featured


で、そんな面白いノアさんの本ですから、面白いんじゃないかと思って読んでみました。そしたら、想像以上に面白かった。生涯最高の本に認定します。


まず、ノアさんの出自なんですが、1984年2月20日、南アフリカのヨハネスブルグで生まれています。つまり1990年のネルソン・マンデラ釈放前で、アパルトヘイトが続いていたころです。で、ノアさんの母親はXhosa(コサ)族の黒人女性ですが、父親は当時南アに駐在していたドイツ系スイス人。当時はアパルトヘイトのもとで、異人種間の性交渉は犯罪でしたから、ノアさんは存在自体が犯罪の証拠だったということになります。

もう設定からして、私が想像したことがなかった世界。もちろんアパルトヘイトがあったことは知っていたわけですが、そこでの生活がどんなものであったかということは考えたことがなかったし、そのアパルトヘイトの枠からはみ出た人たちがいることも想像したことなかった。

で、そんな話なので、実にしめっぽい話になるのかと思うところですが、そんなことはないです。どこを読んでも笑えてしまう。

ノアさんは両親が白人と黒人ですから、南アの人種的な分類では"ミックス"ということになります。ただ、異人種間の混血というのは何世代も前から起きていることですから、一口に黒人といっても肌の色の濃さは様々です。だから、真っ黒な肌でない人はノアさん以外にもいるわけで、そういう人たちはひとまとめにして「カラード」と分類されます。カラードでいることは犯罪ではありませんでした。また、このほか、アパルトヘイト下での南アにはインディアンという分類もあって、白人と黒人とカラードとインディアンは、それぞれ別の地区に住まねばなりませんでした。就くことができる仕事にも制限がありました。

で、どこまで肌が黒ければ黒人で、黒さが薄ければカラードになるかとか、どこまで肌が白っぽかったら白人になるのかというのは、人種登録を担当する役人のフィーリングで決まるそうです。両親がともに白人と分類されていても、肌の色が濃いめの子供が生まれてくることもあります。「鉛筆テスト」なんていうものもあったそうで、髪の毛に鉛筆をさして下に落ちたら白人、巻き毛のせいで下に落ちなかったらカラードと分類される。まぁ、そのぐらいのいい加減な基準です。

さらに馬鹿げた話ですが、アパルトヘイト下での南アでは日本人は白人に分類されていました。自動車や電子機器を南アに輸出するために駐在する日本人に不都合があれば、南ア経済に不利益が生じるからです。でも、中国人は黒人だったそうです。まだ経済力が強くなかったせいでしょう。

つまりアパルトヘイトなんていうものは、まったく何の根拠もないルールだったわけです。そしてノアさんの母親のパトリシアさんは意味のないルールに従うことが大嫌いで、なおかつおそろしく頑固な人でした。

パトリシアさんはコサ族の家庭に育ちましたが、一緒に住んでいた母親よりも、別居中だった父親に懐いて、9歳のときに母親に対して「お父さんと一緒に住めみたい」と申し出ます。で、父親が迎えにきたのですが、この父親が困った人で、何の説明もなしにパトリシアさんを妹の家に預けてしまいます。パトリシアさんは、父親と一緒に暮らすつもりが、おばさんと暮らすことになったわけです。

で、このおばさんはいろんなところから子供を預かって、畑仕事とかをさせて生活の糧をえている人でした。家には14人の子供がいたそうです。子供たちは十分な食事を与えられず、パトリシアさんは犬や豚のえさを食べて空腹を満たしたこともあった。なんかグリム童話みたいな話ですが、そんな現実もあるということです。

ただ、パトリシアさんにとって幸運だったのは、このおばさんの住む村には白人の牧師が運営するミッションスクールがあったのです。当時、黒人に白人と同等の教育を与えることは禁止されていましたが、使命感にかられた牧師たちがこうした学校を開くことがあったらしい。そこでパトリシアさんは英語を学びます。読み書きができるようになると、そのうち畑仕事ではなく衣料品の工場で働くことができるようになり、工場で食事にもありつけるようになります。そして21歳のとき、おばさんが病気になったことをきっかけに母親のもとに戻り、タイピングを学び、秘書の仕事でお金を稼げるようになります。パトリシアさんは一家の稼ぎ手として働き続けます。しかしいくら稼いでも家族のためにお金がなくなっていく生活に耐えられなくなって、母親の家から逃げ出します。22歳のときです。

パトリシアさんが逃げ出した先は、ヨハネスブルグのダウンタウンです。でも当時、黒人がヨハネスブルグに住むことは違法です。パトリシアさんは隠れるようにして暮らすしかありません。

そんなパトリシアさんを助けてくれたのがヨハネスブルグで暮らす同じコサ族の売春婦たちです。彼女たちの顧客は南アに駐在する外国人たちです。南アの法律を気にする必要もない立場ですし、彼らにとっては売春婦が身近で暮らしている方が都合がよかったようで、黒人の売春婦たちに住む場所を提供していました。パトリシアさんは秘書として稼いだお金で家賃を払い、住む場所を確保します。なんかグリム童話の世界から、なんかの近未来アニメみたいな雰囲気に移っていますが、やっぱりそんな現実もあるんでしょう。

そんな生活をするなかで知り合ったのが、ドイツ系スイス人のロバートさんです。パトリシアさん24歳、ロバートさん46歳。そこにどんな恋愛感情があったのか、なかったのかは分かりませんが、パトリシアさんは「子供を生むのを手伝って欲しい。生まれた子供に責任を持つ必要はないし、お金を払う必要もない。ただ精子が欲しいだけ」と切り出します。

そんな形で生まれたのがノアさんです。

"on February 20, 1984, my mother checked into Hillbrow Hospital for a scheduled C-section delivery. Estranged from her family, pregnant by a man she could no be seen in public, she was alone. The doctors took her up to the delivery room, cut open her belly, and reached in and pulled out a half-white, half-black child who violated any number of laws, statutes, and regulations--- I was born a crime. "


こんな話、面白いに決まっているでしょう。ただ、この本の面白さはこんなものじゃないです。とにかくめちゃくちゃ面白いのです。


まぁ、とにかくいろんなエピソードが出てきます。いちいち紹介するのはやめておきますが、

どんな苦難に見舞われても教会通いをやめないパトリシアさんに振り回されるノアさんの抵抗とか、

家のなかにトイレがない生活の悲しみとか、

いろいろあって出会う機会がなくなった父親との再会と喜びとか、

チョコレートの万引きでの退学を肌の色で免れた話とか、

生涯最高の美少女とのデートと意外な真実とか、

高校時代から音楽の違法ダウンロードでお金を稼いでいた話とか、

存在自体が違法なミックスとして黒人とも白人ともカラードともしっくりいかない感覚とか、

そうしたなかでもどのグループとも「面白いアウトサイダー」としてつきあえる術を身につけた話とか、

言葉ができることの大切さとか、

「ヒトラー」という名前のダンサーと巻き起こした騒動とか、

南アの闇市のなかで暮らす人々とお金を稼ぐ方法とか、

無登録車の運転で逮捕された話とか、


もうとにかく色々です。


面白いなかにも、シリアスなトーンは残ります。何しろアパルトヘイトの下で十分な教育を与えられなかった黒人たちの生活は、アパルトヘイトがなくなった後でも苦しい生活を続けざるをえないのです。パトシリアさんがお金を稼げるようになったのは幸運にも英語教育を受ける機会があったからですし、ノアさんの生活が違法ダウンロードでお金を稼げるようになったのは、たまたま白人の知り合いがCDライターをくれたからです。ノアさんはアパルトヘイト後の黒人の生活について、「魚の釣り方は教えてもらったけど、釣り竿が手に入らない状態だ」と説明します。貧困から這い上がれないでいる黒人たちの実態も実感をもって説明されています。

あと、最後の章はシャレになりません。パトリシアさんが後に結婚した男の家庭内暴力でノアさんたちの生活が危機にさらされたというエピソードで、結局、この男はパトリシアさんとの離婚後、パトリシアさんの頭を拳銃で撃つことになります。とんでもない話です。でも最後のシーンは笑えるのです。どう説明したって、この感覚は伝わりそうにないですけど、人間と神様と母親と子供と愛情とユーモアに関わるイメージが同時にぶわっと頭の中に広がるような感じです。


いろんな学びが得られる本です。それでいて説教くさくない、エンターテインメントとして読める本でもあります。

2017年4月14日金曜日

"Rusty Nail"

ちょっと仮説を立ててみました。テンポ良く読める本を読んでいる時期の方が、音声で英語を聞いたときの理解度が上がるというものです。
頭のなかに単語ごとに入ってくる英語を文章としてとらえて、意味をとらえるスピードが上がるといってもいいかもしれません。

込み入った内容の本を読んでいるときは、やっぱり「ん?」と引っかかってしまいます。じっくりと読めば理解できるんですけどね。
こういう本ばかりを読んでいると反射神経が衰えてしまって、音声で英語を聞いたときの理解のスピードが落ちるような気がします。

逆に、テンポ良く読める本を読んでいるときは、文章の意味がスラスラ分りますから、頭がそのスピードになれる。
そうすると、音声で聞いた英語を処理するスピードも上がるということです。

込み入った内容の英語を音声できいたときは、なかなか理解することは難しいです。ただ、これは英語でも日本語でも同じな気もします。


ということで、スラスラ読める本として、これまでに2作読んだ、J.A. KonrathのJack Danielsシリーズの第3作目"Rusty Nail"を読んでみました。
Konrathさんは「読者にストレスなく理解させることが重要だ」と考えている人で、しかもユーモアーを交えた文章なので楽しめます。


Konrathさんのサイトで掲載された紹介文を引用すると、内容はこんな感じです。


Lt. Jacqueline "Jack" Daniels of the Chicago Police Department is back, and once again she's up to her Armani in murder.

Someone is sending Jack snuff videos. The victims are people she knows, and they share a common trait—each was involved in one of Jack's previous cases. With her stalwart partner hospitalized and unable to help, Jack follows a trail of death throughout the Midwest, on a collision course with the smartest and deadliest adversary she's ever known.

During the chase, Jack jeopardizes her career, her love life, and her closest friends. She also comes to a startling realization—serial killers have families, and blood runs thick.

Rusty Nail features more of the laugh-out-loud humor and crazy characters that saturated Whiskey Sour and Bloody Mary, without sacrificing the nail-biting thrills. This is Jack Daniels's third, and most exciting, adventure yet.


確かにその通りの内容です。面白かったです。英語理解のスピードへの影響も仮説通りな感じもします。
ただ、ちょっと犠牲者についてのグロい描写の頻度が高くて、ちょっとしんどい部分もある本です。

印象に残ったフレーズがあったので引用しておきます。Alexという登場人物と精神科医の会話です。

"That's an interesting question, Doctor. Can you ever truly know if love is being returned? You wear a wedding ring, so I assume you're married, and I assume you love your wife. But even if she says she loves you, you can't crawl around in her head and feel it for yourself. You can't ever truly know."

"I feel loved, and that's reassurance enough."

なんか、かっこいいよね。


あと、シリーズにレギュラーとして登場しているHarry McGladeという人物がいるのですが、エキセントリックさが京極夏彦の小説に出てくる榎木津礼二郎に似ていることに気づきました。まぁ、榎木津の方がメチャクチャですけど、このHarryもなかなかのものです。

2017年3月21日火曜日

"The End of The Asian Century: War, Stagnation, and the Risks to the World's Most Dynamic Region"

"The End of The Asian Century: War, Stagnation, and the Risks to the World's Most Dynamic Region"という本を読んだ。American Enterprise InstituteのMichael Auslinが2017年1月に出版した本です。

アジアは長いこと経済成長が続いてきて、米国なんかでも「これからはアジアの時代だ」なんて言われたりして、オバマ政権も"Pivot to Asia"なんていう戦略を打ち出したりしたわけですけど、このオースリンさんの本は「アジアの未来は明るいばかりじゃないよね」っということを指摘した本です。アジアでの軍事的な緊張は高まっているし、中国経済は維持可能かどうか分らないし、日本はグダグダな状態が長期化しているし、ベトナムにしてもインドネシアにしてもマレーシアにしても政治的に安定しているとは言い難いし、っていうようなことを紹介する内容です。

で、そのうえでオースリンさんはアジアの安定と発展は米国にとっても重要だから、米国はアジアのために積極的に関与していくべきだとしています。だからといって、ものすごいウルトラCでアジアを支えるっていうわけじゃなくて、安全保障でも外交でも文化交流でも現在の取り組みを着実に拡大してくべきだっていう感じですね。南シナ海で中国がアグレッシブになっているから、各国による共同パトロール体制を作ろうとか、ASEANと米国の経済連携を深めようとかそういったことです。

でもまぁ「アジアがグダグダだ」っていうのは大体知っている話ですし、提言の部分もびっくりするような話でもありません。

ただ、最大の短期的なリスクとして「軍事的な衝突」を挙げているところは、それほどにまで警戒すべき事柄とみられているのかという気がしました。もちろんオースリンさんは軍事的な衝突が起こると予想しているわけじゃなくて、「軍事的な衝突が起こりえるリスクがあることは認識せねばならない」と言っているわけですけどね。中期的なリスクとしては「経済の停滞」を挙げています。あと、各国の政治体制のぐらつきとか。

まぁ、最悪のシナリオはいくらでも描けるわけですから、まったくもってアジアがダメになると考えるのもどうかと思いますけど、「これからはアジアの時代だ!」なんていう雰囲気は薄らいできているのかもしれません。