2016年12月18日日曜日

Exorbitant Privilege

“Exorbitant Privilege”という本を読んだ。Barry Eichengreenというカリフォルニア大学バークリー校の教授(政治経済史)が書いた、米ドルが国際基軸通貨であることの意味と今後について書いた本です。非常に面白かった。

読み終わったのは10月のなかばごろです。とてもためになる本だったので、なるべく詳しく内容をまとめておこうと思ったのですが、書いているうちに膨大な量になることに気づいてほったらかしになっていました。とりあえず、途中までの内容を仕上げておきます。


国際基軸通貨というと、分かったような分からないような概念なわけですが、要は「世界中の人が安心して受け取ってくれる通貨」ということです。著者は冒頭で、このことを分かりやすい例を挙げて説明しています。

それは、

・1940年代を舞台にした映画で、ホロコーストの生還者がモンテカルロのカジノにスーツケース一杯の現金を持ち込むシーンがある。その現金は当時のモンテカルロの公式な通貨であったフランではなくて、米ドルだった。

・現在でもブラックマーケットで通用する通貨といえば米ドルでしかない。

分かりやすいですね。第二次世界大戦のころの欧州のような政治的にも経済的にも混乱している場所で、人々が安心して価値を認めるものといえば米ドルだった。また、ブラックマーケットのような公式な権威がない世界でもやはり米ドルが信頼される。そりゃそうでしょう。ブラックマーケットでドラッグを取引するとき、北朝鮮かなんかの通貨で支払いをするといったら怒られますよね。

で、なんで米ドルが信頼されるかというと、世界中のどこででも受け取ってもらえるからです。ドラッグを売ったギャングが受け取った米ドルでマシンガンを買おうと思ったら、やっぱり米ドルでの支払いを要求されるわけですね。米ドルの価値は他の通貨に比較的安定した価値で交換してもらえると信じられていることも理由です。ギャングがフランスのニースかなんかで別荘を買おうと思ったとき、米ドルをユーロに交換してもらうことは難しくない。それにギャングは為替レートがそんなに急激に米ドル安に触れることはないだろうとも考えているわけです。もちろん実際には米ドルが安くなることはあるわけですが、それでもユーロを含めた他の通貨よりも安定しているということですね。

で、著者は、

“What is true of illicit transaction is true equally of legitimate business.”

と続けます。米ドルが国際通貨であるこということは、世界中の政府や中央銀行や企業や消費者が、ギャングたちと同じように考えているということです。なるほど。

実際の話として、世界の中央銀行が保有している準備資産の多くは米ドルです。米ドルの価値が安定してると考えられているからですね。世界で行われている商取引の多くが米ドルなのも、米ドルを受け取れば、それを支払いにも使えるからです。

で、なんでそんな風になっているかというと、米国の経済が大きいからです。

米国企業はたくさんの製品や資源を輸入しています。このとき、米国は米ドル建てで支払いをしたい。なぜなら、米国企業は米国内での経済活動で米国の消費者からたくさんの米ドルを集めていて、手元にたくさん米ドルがあるからです。もちろん米ドルを他国の通貨に交換したうえで支払うことも可能ですが、それには手間がかかるし、金融機関に手数料もとられます。

一方、製品や資源を米国に輸出する側の国は、できれば自分たちの国の通貨でお金を受け取りたい。米ドルを受け取っても、自国で働いている従業員の賃金支払いには使えないし、自国の生産拠点の設備投資には使えないからです。そのためには、米ドルを自国通貨に交換しなければならないわけですが、それには手間もかかるし、金融機関に手数料もとられます。

で、どっちの主張が通るかというと、米国なのです。というのは、米国はたくさんの製品や資源やサービスを輸出している国でもあるからです。米国に製品や資源を輸出する側が米ドル建てで代金を受け取った場合、今度はその米ドルを米国から製品や資源やサービスを輸入するときに使える。だから、米ドルを受け取ることへの抵抗感が比較的少ないわけです。

つまり、米国にモノを売る国が米国から「米ドルで支払っていい?」と聞かれたら、「いいよ。受けとった米ドルは次に米国からモノを買うときに使えるからね」と答えることが多いということですね。

これが米ドルが国際基軸通貨であるという状況です。この結果、米国企業は米ドルを他国通貨に交換する手間やその際の手数料を省くことができます。これが著者のいう”exorbitant privilege”のひとつです。この言葉は、フランスのジスカール・デスダンが言い出した言葉だそうです。

こうした米国の特権はほかにもあります。それは米ドルが国際基軸通貨であることで、米国の政府や企業は安い金利で資金を調達できるということです。

どういうことかというと、米ドルは国際的に流通して、他の通貨との交換も容易で、すでに各国に蓄えられていますから、米国がドル建てでお金を借りたくなったとき、世界中から「貸してもいいよ」という人たちがたくさん現れます。だから、米国側はそのなかから一番安い金利で貸してくれる人をみつけることができるというわけです。

一方で米国は他国に対して投資もしていて、その結果として利子や配当などのリターンを得ています。つまりは米国は全体として、他国からお金を調達しながら、他国へお金を投資しているわけですが、調達するときのコストが安いために、全体としての勘定がプラスになります。著者によると、「米国が支払う利子は、米国が受け取る利回りよりも2~3%低い」とのことです。

著者はこの説明のあと、”The U.S. can run an external deficit in the amount of this difference, importing more than it exports and consuming more than it produces year after year without becoming more indebted to the rest of the world. Or it can scoop up foreign companies in the amount as the result of the dollar’s singular status as the world’s currency.”と続けています。

ここは国際収支統計上の、経常収支赤字=資本収支黒字+外貨準備増減っていう関係の話をしているように思います。でも、「米ドルは基軸通貨で調達コストが安いから、経常赤字を出すことができる」っていうロジックになるのかどうかはよく分かりません。大事なところですけどね。また勉強します。


とまぁ、こういう風に米国は米ドルが国際基軸通貨であることで、さまざまな特権を得ているということになります。ただ米ドルが国際基軸通貨である理由は、米国経済が大きいからです。だから、米国は何もズルをしているわけじゃなくて、強い国だから特をしているんだというわけですね。



では、この米ドル国際基軸通貨体制が今後も続いていくかということになるわけですが、それを判断するには歴史をひもとく必要があります。なぜなら米ドルは世界が始まったときから国際基軸通貨だったわけではないからです。



当たり前の話ですが、北米大陸に欧州から人々が移住し始めたころには米ドルという通貨はありませんでした。1600年代の初めごろは、先住民との交易には”wampum”(貝殻)を公式な通貨として使っていたそうです。

ところが貝殻が足りなくなってくると、トウモロコシやタバコが使われるようになります。そして、そうなると、入植者たちには低い品質のタバコをたくさん栽培し始めます。そうすると、タバコを受け取る方は「こんな低い品質のタバコはいらないな」なんていうことになって、タバコの価値が低下する。となると一部の入植者が他の人のタバコ畑を荒らしたりする。そんな時代だったそうです。

当時の英国は植民地で貨幣を鋳造することを禁止していました。だから入植者たちが貨幣を手に入れるには、英国などに農産品とか魚などを輸出するのが公式な手段でした。また海賊行為で貨幣を手に入れるというパターンもあった。こうして北米大陸ではスペインの通貨が流通するようになります。このスペインの通貨がロンドンでは”Spanish dollar”と呼ばれていて、これが米ドルの始まりです。さらに貨幣が足りなくなってくると、”bills of credit”つまりは支払手形も通貨の代わりとして流通するようになります。ただし、英国の議会は1751年、借用書を通貨として使うことを禁止。このことが米国の独立戦争につながっていきます。

ここは勝手な解釈ですけど、「貝殻が足りない」とか「貨幣が足りない」とかいう状況がどんなものかを考えてみます。

例えば、入植者たちが先住民にビーバーの毛皮が欲しいと話しを持ちかけたところ、先住民たちが「貝殻とだったら交換してもいい」と言ったとします。さらに入植者たちはトウモロコシなら持っているけど、貝殻は持っていないとします。となると、入植者たちはどこかでトウモロコシを貝殻に交換してこなければならないわけですが、近くにトウモロコシと貝殻を交換したいと思っている先住民や入植者がいないことだってある。そんな場合は、入植者が先住民に対して、「申し訳ないけど、貝殻はないんだ。でもトウモロコシならあるから、トウモロコシとビーバーの毛皮を交換してくれないか」と持ちかけるしかない。そこで先住民側が「いいよ。トウモロコシと貝殻を交換したがっている友達がいるからね」ということになれば、「貝殻が足りなかったけど、トウモロコシが貝殻の代わりになって取引が成立した」ということになる。こんな感じでしょうか。

貨幣が足りないという状況も勝手に解釈してみると、陶器作りが得意な入植者が別の入植者からパンを買おうと思ったけれど、手元に貨幣がない。でも、何日か前に陶器を売ったとき、買い手から「1週間後に払うよ」と約束してもらった際の支払い手形なら手元にある。そこでパンを売っている入植者に、「この支払い手形を受け取ってくれないか。貨幣は1週間後に陶器を買った人から回収してよ」ということになる。そこでパンの売り手が「いいよ。その陶器を買った人は信用できる人だからね」ということになれば、「支払い手形が貨幣の代わりになって取引が成立した」ということになる。こんな感じじゃないですかね。

でも、本来ならトウモロコシは貨幣じゃないし、支払い手形も貨幣じゃない。だから受け取る側が「そんなもの受け取れないよ」ということだってありえる。そうなると、ビーバーの毛皮を買おうと思った入植者や、パンを買おうと思った入植者は困ってしまうわけです。その結果、取引ができなくなるわけだから、入植地の経済活動全体が停滞してしまう。トウモロコシや支払い手形をすぐに貝殻や貨幣に交換してくれるだけの市場があればいいんですけどね。

で、そんなこんなしているうちに米国が1776年に独立。1785年に連邦議会が米国の通貨単位は「ドル」ですと宣言します。銀や金との交換比率も純度に応じて定められました。議会のみが貨幣を鋳造することができ、州政府がIOU(借用書)を紙幣として発行することは禁じられます。


そして当たり前の話ですが、当時の米ドルは国際通貨ではありません。


19世紀まで世界経済の中心はロンドンでした。英国人は世界各国に投資しています。外国の誰かがお金を借りたいと思ったら、ロンドンに行ってポンド建てでお金を借ります。外国政府がロンドンで資金を調達したいと思ったら、ロンドンの銀行に口座を開いて、借り入れや返済の手続きをすることになります。こうした口座は”reserve”と呼ばれるようになります。

英国は各国から綿花などさまざまな産品を輸入していました。あと、海運やそれに関連する保険業務などを行う会社もロンドンに拠点を置いています。こうした会社は決済のためにロンドンの銀行に口座を開きます。もちろんポンド建てです。

こうしたロンドン中心の商取引は米国の企業家にとっては不便なものでした。例えば、ニューヨークの企業家がブラジルからコーヒー豆を輸入しようと思ったら、ニューヨークの銀行とロンドンの銀行とブラジルの銀行の間で、ものすごく煩雑な手続きが必要になり、その度に手数料や何やらをとられてしまいます。しかも、これらの取引はポンド建てですから、ポンドの価値がドルに対して下がった場合には損が出る可能性もあります。また、米国の銀行や保険会社がこうした商取引に関連する業務に参入しようとしても、英国の銀行や保険会社には敵いません。取引はロンドンでポンド建てで行われているからです。

一方、米国は急速に経済力をつけていきます。1870年までに米国のモノやサービスの生産量は英国を追い抜き、1912年までには輸出量でも英国をしのぎます。でも、英ポンドは国際基軸通貨であり続けます。

その理由はいろいろありますが、金融サービスの業務が英国に集中し、資金を集めようとする人が投資をしようとする人たちがロンドンに集まっていること自体が、ロンドンの優位性を高めていたという事情が大きかった。つまり市場参加者が多いために、調達する側はより安い金利で調達できるし、投資する側も優良な投資先を見つけられるということです。「現役王者の強み」ですね。

また、米国は銀行が海外に支店を持つことを禁じていました。さらに米国では中央銀行すらないという状況だった。ロンドンでは銀行が現金を必要とするようになれば、手持ちの債券をBOEに引き受けてもらって現金を手にすることができましたが、米国ではそうしたことができなかったわけです。

米国では1791年、ハミルトンが主導してフィラデルフィアにthe Bank of the United Statesが設立されました。州をまたいで営業できる唯一の銀行で、連邦政府の財政も管理することになります。ハミルトンの狙いはBOEのような中央銀行を作ることでした。しかしジェファーソンやマディソンは、一部の銀行に特権的な地位を与えることについて、「エリートによる米国金融業界の独占支配」の危険を感じ取ります。The Bank of the United Statesが提示するレートが悪かったり、一部の銀行の独占的な地位に監視の目をきかせるようになると、「エリートによる介入だ」と不満を感じるようになったわけです。

そんなわけで、1810年に迎えたThe Bank of the United Statesの認可の更新は、ジェファーソンが主導する民主党の反対で否決されました。

しかしその結果、各州の銀行が勝手に紙幣を発行したりして空前の貸出ブームとなり、インフレが起き、景気はクラッシュします。で、1816年になって、Second Bank of the United Statesがフィラデルフィアに設立されることになりました。しかしこのSecond Bankもジャクソン大統領と金融業界の反対で1836年に認可の更新に失敗。米国は再び中央銀行がない時代に入ります。1907年に起きた金融危機の収束に際して、民間銀行のトップだったJ. Pierpont Morganが大きな役割を果たしたのには、こうした米国の事情がありました。

で、やっぱり中央銀行が必要だろうという機運が盛り上がり、中央銀行支持のNelson Aldrich上院議員らのグループがドイツ生まれのPaul Warburgに計画策定を託します。一部の銀行にだけ特権を与えるような制度には反対が強いことを考慮して、ウォーバーグは1911年、それぞれが債券引き受けの権限を持った15の地域銀行で構成されるNational Reserve Associationの設立計画を発表。各銀行のトップは地域の民間銀行によって選ばれるという仕組みを公表しました。

ただ、Aldrichの娘がロックフェラー家に嫁いでいたことから、この計画には「ロックフェラーを利するだけのものだろう」という印象を持たれてしまいます。また計画を策定したグループのなかにNational City Bank(シティグループの前身)のトップが含まれていたことも疑念をかきたてました。しかしその後、約2年間の審議を経て、トップが民間銀行によって選ばれる地区銀行の連合体を作り、それにFederal Reserve Boardが監視の目を光らせるという体制が作られることになりました。1913年のことです。同時に米国の銀行が海外に支店を持つことも認められるようになりました。

その後、第一次世界大戦が始まると、米国の輸出は急増。世界経済における米国の存在感は急速に大きくなって、米国は債務国から債権国に転じます。戦争で現金が足りなくなったドイツや英国は債券の引き受けをニューヨークの銀行に頼むようになります。この取引はドル建てで行われるようになりました。1915年ごろにはポンドと金の交換レートが不安定になる一方で、米ドルは金との交換レートが強く固定されていました。すると世界中の市場参加者が「ビジネスをするにはドル建てが一番だ」と考えるようになります。

米国政府はとりあえずはドル・ポンドレートの維持に協力しますが、英国の戦費拡大やインフレを背景にポンドに対する信頼は失墜。戦後になって米国がレート維持への協力を取り下げると、ポンドのレートは弱くなっていきます。こうしたなかで、National City Bankなど米国の銀行が海外業務を拡大していきます。

ただ、それでもニューヨークの債券市場の深みは、現役王者のロンドンには敵いません。そこでニューヨーク連銀の総裁だったBenjamin Strongが各地区連銀に対して債券を活発に引き受けるように指示。海外の中央銀行などからも債券を引き受けるようになります。こうした取り組みの結果、ドル建て取引の人気は高まり、1920年代後半には米国の輸出入の半分以上がドル建てとなり、米国を介さない第三国同士での取引でもドル建ての比率が増していきます。

また米国は欧州の復興資金を供給するようになります。英国は欧州各国に「米国ではなく、国際連盟(米国は非加盟)を通じて資金を調達しよう」と呼びかけますが、ストロングは欧州への貸出を積極的に推進することで対抗し、ドルの国際化がどんどん進んでいくことになりました。

しかし経験不足の米国の銀行は欧州の質の悪いプロジェクトにも資金を供給してしまい不良債権化が進行。1920年代の終わりには借り換えも続けられないようになって、世界恐慌につながっていくことになります。

世界恐慌の時代、各国政府は関税引き上げなどの保護主義的な政策をとり、世界の貿易量が減っていきます。貸し付けを回収できなくなった銀行は世界中で破綻。世界中というのは、アルゼンチン、メキシコ、オーストリア、ベルギー、フランス、ドイツ、ハンガリー、ルーマニア、バルト各国、エジプト、トルコ、英国っていうことですから、本当に世界中です。

英国なんかは資金流出を防ぐために利上げをしたいところでしたが、利上げをすると景気に悪影響が出ます。英国のためらいを察した投資家はポンド売りを加速させ、英国は1931年9月にポンドの金兌換を停止します。一方、ニューヨーク連銀はドル防衛のため、利上げを実施。結果、ドルの資金流出の危機は収まりますが、調達コストが増した金融機関は数多く破綻することになります。

英米の異なる金融政策の結果、1ポンド=4.86ドルだったレートは、1931年12月には1ポンド=3.25ドルまでポンド安が進みました。すると英国にとっては輸出が楽になるわけで、英国で緩やかな景気回復が始まります。英国はこれを好機とみて、利下げに踏み切って"cheap money"政策をとります。米国も1933年に金兌換を停止。1936年までには各国も同様の政策をとります。世界恐慌のダメージは英国よりも米国の方が大きく、長かったため、国際経済におけるドルの地位は後退しました。

しかし第二次世界大戦後の世界は別です。世界の主要国のなかで強さを維持できたのは米国だけだったからです。米国は金1オンスを35ドルで売ると約束したため、価値が保証されたドルは世界中の取引で使用されることになります。また、各国の中央銀行は金を蓄えるという選択肢もありましたが、当時の主な金の産出国はソ連と南アフリカで、金は十分に供給されていませんでした。


で、ここがキモですが、著者は

American consumers and investors could acquire foreign goods and companies without their government having to worry that the dollar used in their purchases would be presented for conversion into gold. Instead those dollars were hoarded by central banks, for which they were the only significant source of additional international reserves. America was able to run a balance-of-payments deficit "without tears," in the words of the French economist Jacques Rueff. This ability to purchase foreign goods and companies using resources conjured out of thin air was the exorbitant privilege of which French Finance Minister Valery Giscard d'Estaing so vociferously complained.

と書いています。

訳しますと、

米国の消費者や投資家が外国の製品や企業を買った場合でも、米国政府は(海外の売り手から)支払いに使われたドルを金に交換するように要求されることを心配する必要もなかった。むしろ、支払いに使われたドルは海外の中央銀行に蓄えられた。こうした取引は海外の中央銀行にとって、準備資金を調達するための唯一の手段だった。フランスの経済学者、ジャック・ルエフの言葉を借りるなら、米国は「涙を流すことなしに」貿易赤字を出すことができる。空気のなかから魔法のように取り出された資金を使って外国の製品や企業を買うことができる能力は、フランスのジスカール・デスタン財務相が強く不満を示した途方もない特権だった。

ということですね。

つまり、米国だけが自国通貨であるドルを発行しさえすれば、自由に他国から物資を買うことができるという状況です。

ただし第二次世界大戦後の各国は米国に売るような製品を作ることはできない状況です。なので米国はマーシャルプランやドッジプランのようなかたちで、欧州や日本の復興のための資金を拠出します。マーシャルプランは1年目、米国の連邦予算の10%を占める規模でしたから、とんでもない大盤振る舞いでした。この結果、1950年代の終わりには「ドル不足」は解消されます。

それと並行して、1960年には、各国が保有するドルの額は米国が保有する金の量を超えました。各国のドル保有者が一斉に金への兌換を求めれば、米国は対応しきれない状況で、このままでは各国が保有するドルの価値が値下がりする恐れがあります。一方、だからといって米国がドルの供給を止めてしまえば、ドル不足が再燃して世界の経済活動が停滞してしまう。いわゆる「トリフィンのジレンマ」です。

こうしたなか、各国には「米国はドルの金への兌換に応じられるように、先手を打って金の価格を引き上げる(ドル金レートを引き下げる)のではないか」という観測が生じます。そうなると各国は「今のうちにドルを金に交換してしまおう」という誘惑にかられます。

つまり、米国が1オンス=35ドルでの交換を保証しているなか、ロンドン市場での金の取引価格は1オンス=35ドルで推移しています。しかし将来的に米国が金の価格を引き上げるのであれば、今のうちにロンドン市場で金を買っておいて、後になって金を米国に持ち込めば利益を出すことができます。こうした思惑のなかで、ロンドン市場では金の価格が値上がりします。ウィキペディアによると、大統領選があった1960年の終わりにはロンドン市場の金価格は1オンス=40ドルを超えました。

そこで米国は1961年に「金プール」を提案します。各国が金をプールに拠出し、金を買う動きが強まった場合に「金売りドル買い」を浴びせることで、市場での金とドルの交換レートを維持しようという狙いです。こうしたプールを作るだけで、各国の「金買いドル売り」の誘惑を抑え込むこともできます。

しかし1965年になってソ連や南アフリカによる金の供給が落ち込むと、金買いの圧力が強まり、各国は実際に金売りを始めざるをえなくなります。となると、値下がりが続くドルを買い続けることになるわけですから、各国は厳しい状況に追い込まれ、1967年にはフランスがプールから脱退します。

また1967年には第三次中東戦争が起きて、スエズ運河が閉鎖される事態に発展。アラブ各国はイスラエルを支援していた英国への報復としてポンド売りを始め、英国はポンドの14%切り下げに追い込まれます。するとドルへの不安も高まり、ドルを売って金を買う動きが進みます。金プール参加国はドルの防衛を続けることができず、米国は1968年3月、英国に対してロンドンの金市場を閉鎖するように提案。金市場を自由に取引できる市場と、各国の中央銀行が1オンス=35ドルでの交換を保証する市場に分けることになります。ただ、これは単なる弥縫策にすぎません。

一方、1969年にニクソン大統領が就任した米国は、ドル危機は欧州各国が米国の防衛費を負担し、米国に市場を開放することで解消されるべきだという立場をとります。

いまいち、よく分からない理屈ですが、「第二次世界大戦後、米国が世界にドルを供給してきたことがドルの信任低下につながったのだから、ドルを米国に環流させればドル危機も解消される」ということだったのでしょうか。

さらに米国は、欧州が要求に応じない場合には、次の手段をとると脅迫します。すると、こうした米欧の対立は投資家の不安をあおり、米国の思惑とは裏腹にドルを売って金を買う動きが加速。この結果、1971年8月、米国はドルの金兌換停止を発表しました。ニクソン・ショックです。

このとき、ニクソンは同時に米国企業を守るために10%の関税引き上げを発表します。米国が通貨防衛に敗れたとの印象を避ける効果も狙っていました。

ニクソンは1971年12月のスミソニアン協定で、この上乗せ関税を取り下げることと引き替えに、各国に対してドル安水準での固定相場を維持することを約束させます。さらにニクソンは1972年の大統領選前に景気を浮揚させることを狙って、FRBに対して金融緩和するよう圧力をかけます。この結果、米国でインフレが始まり、ドル売り圧力も高まります。スミソニアン体制は1973年に終焉を迎え、各国は変動相場制に移行していきます。

こうなると、「ドルの信頼はガタ落ちじゃないか。ドルは国際基軸通貨の座を追われてしまうの?」っていう気もしますが、実際にはそうはなりませんでした。ゴルのレートは引き下げられたものの、各国の中央銀行に占めるドルの割合は大きく変化しませんでした。変動相場になったといっても、一方的にずーっとドルが値下がりを続けたわけではなかったからです。

ただし、1970年代後半になると、米国でインフレが始まります。ドル安要因です。一方、カーター政権のブルーメンソール財務長官は1977年夏に「ドルが強すぎる」と発言。ドル安を望んでいることを示唆しました。つまり、ドル安を容認するということです。すると、欧州から「ドル安になったら、欧州の輸出が苦しくなる。米国はドル安容認を止めろ」という声があがり、ブルーメンソールは一転して「強いドル」の支持を表明します。

1978年3月にFRB議長になったウィリアム・ミラーはとにかく雇用の増大を重視すべきだという人で、中央銀行がインフレを抑制する能力は乏しいと考えている人でした。FRB外のアラン・グリーンスパンやチャールズ・シュルツらはインフレを抑えるために金融を引き締めるべきだとの声が上がっていましたが、ミラーは抵抗します。すると、当然ながら、ドルが安くなっていきます。ドルが安くなると、欧州に駐留する米軍の負担が大きくなるという問題が起きますし、もちろん米国外のドル保有者にも損が出ます。

そんなわけで1979年8月、ポール・ボルカーがFRB議長に就任します。利上げを行って、ドル高が始まります。やはりドルは基軸通貨であり続けます。そもそも、ドル以外の通貨に、基軸通貨となるような実力がないのが実情です。



で、ここまでが第3章です。この本は第7章まであります。非常に長くなってきたので、このあたりで止めます。



第4章以降では、欧州でユーロが創設される話やリーマン・ショックの話、ユーロや円がドルを凌駕する基軸通貨になりきれない理由などです。SDRの話も結構出てきます。

中国の人民元については第3章までも折に触れて言及されていますが、「国際通貨としての存在感を増してはいるし、中国政府も基軸通貨にしようと努力を続けている。このあたりはかつての米国とよく似ている。ただし、ドルがポンドをしのぐ基軸通貨となれたのは、第二次世界大戦後の英国経済の失墜という要因があった。米国経済が健全さを保ち続けることができれば、現役王者であるドルが人民元に完全に負けてしまうことはない」という話です。


あと、今になってざっとチェックしてたところ、レーガン政権下での1985年のプラザ合意の話が出てきません。日本にとっては非常に大事な話なので残念ですけど、また別の機会に勉強します。


いずれにしろ大変勉強になりました。

2016年9月29日木曜日

"American Immigration: a very short introduction"

"American Immigration: a very short introduction"という本を読んだ。David Gerverというニューヨーク州立大学バッファロー校の歴史学の教授が書いた本です。米国で何かと話題な移民問題について、歴史的な文脈をちゃんと調べておこうというつもりで読みました。簡潔で、分かりやすく、勉強になりました。

米国は1789年の建国後、3つの移民ブームがあったそうです。

1回目は1840年代から1850年代:欧州での食料危機をきっかけに、アイルランドやドイツからの移民が増える。400万人以上。農地開発が進んでいた北西部に向かう。多くはカトリック教徒だった。

2回目は1890年代から第一次世界大戦の時期:1890年代の不況をきっかけに、欧州からの移民が増える。1901年~1920年で1170万人。南欧、中欧、東欧からの移民の割合が急激に高まる。ユダヤ教とか、正教派、カトリックが含まれる。顔立ちもアングロ・アメリカンとは異なる。多くは独身の男性で、稼ぐだけ稼いで母国に帰ろうという意識が強かった。第一次大戦中は政府が移民たちに大して、米国債を買い、米軍に入隊するよう呼びかけた。

3回目は1965年の移民法の改正後の時代:第二次世界大戦後に移民の受け入れ割り当ての緩和が段階的に進められ、荒廃した欧州や共産主義化した国々から移民が増えた。西側唯一の超大国となった米国には移民への警戒も少なくなっていた。こうしたタイミングで1965年にImmigration and nationality Actが成立。各国別の移民受け入れ割り当てや人種の考慮を廃止した。東半球からの移民受け入れは年間17万人が上限(1カ国最大2万人)、西半球からは12万人が上限。ビザ発行は先着順。欧州以外からの移民が急増し、1980年代から1990年代の移民は13%が欧州からで、82%がアジアや南アメリカから。メキシコからの不法移民も増える。


もともと米国は広大な農地や資源を開発するため、大量の労働力を必要としています。産業化が始まると、工場で働く人たちも必要になる。一方、世界にはどの時代でも母国での生活に苦しんでいる人たちがたくさんいて、その人たちが米国での稼ぎや安定を夢見て自発的に米国に移り住むようになっていくわけです。日本だって、かつては大量の移民を送り出した時代がありました。そうすると次第に、米国内で出身地域別に働く業種に偏りが出てきます。アイルランド系は"ditch digger"、ポーランド系は鉄鋼業、スロバキア系は炭鉱、ユダヤ系は衣料、イタリア系は建設現場みたいな感じだったそうです。メキシコ系は農業、日本系はmarket farmer(青果とか野菜とか)、中国系は鉄道建設なんているイメージもあるみたいです。

どうしてこういう偏りが出るのかというと、各母国の重要産業みたいなものがあるのと、移民同士のネットワークがあるからです。例えば、米国で石炭を開発しようという事業家がいて、米国では人材が不足しているので労働力を海外から集めようとすれば、やはり炭鉱で働いたことがある人材を集めたいわけです。そうなると、欧州の石炭産業がある国から経験者を集めたくなる。またユダヤ人が不動産取引で差別された結果、小売りなどのビジネスに進出していったというようなパターンもあるらしい。そして、こうした移民が増えてくると、母国の仲間に手紙を出したりして、「米国なら稼げるぞ」みたいな話が広がって、さらにその国からの移民が増える。そのうち、働いている地域には移民のコミュニティーもできる。そのコミュニティーには、その国出身者向けの小売店もできたりする。そんな風にして、米国内に移民グループができてくるわけです。こうしたグループは移民の先輩から新人に対して、米国生活の習慣や文化などにについて教える「同化の教室」としての役割も果たしてきました。

そして、そうした移民グループの票を期待する政党ができたりもする。民主党は伝統的にアイルランド系やドイツ系の支持を受けてきたとのことです。1965年の移民制度改革を主導したのは、アイルランド系のケネディ大統領、ユダヤ系のEmanuel Celler下院議員、イタリア系のPeter Rodino下院議員、中国系のHiram Fong上院議員らだったとのこと。


その一方、米国にはいつの時代も反移民感情が存在します。移民は米国人の雇用を奪うとか、賃金水準を下げるとか、米国らしさを失わせるとか、そういった議論ですね。「米国は移民の国」といわれるわけですが、それだけに「反移民感情」の歴史も長いわけです。経営者たちは労働者がストライキを始めると、移民を雇うことでストライキに対抗したりします。移民たちは母国よりも条件が良ければ、喜んで働くわけです。でもそうなると労働組合は移民を敵視するようになる。やはり反移民感情が創出されるわけです。

すでに1798年にはAlien Eneimies Actが成立して、連邦政府が米国に敵対する国からの移民を逮捕し、強制送還することが認められたりしています。アイルランド系はカトリックなので、プロテスタントのアングロアメリカンからは敵視されたりもしたそうです。1864年から1917年にかけては、海外で働いたことがある労働者や犯罪者、売春婦、貧困者、乞食、結核患者、てんかん患者、精神病患者らの入国を禁じる法律が相次いで成立します。ただし、欧州からの渡航者のうち、実際に入国を拒否されたのは1%だけだったとのこと。

1921年と1924年には移民受け入れ数を各国別に割り当てる法律、Emergency Quota ActとJohson-Reed Actが成立します。ロシアで革命が起きると、移民たちの米国への愛国心が疑問視されたりもしました。あと、1930年代の世界恐慌下では数千人のメキシコ人やフィリピン人が米国人の雇用を優先させるとの理由で母国に帰されました。1954年のアイゼンハワー大統領による、"Operation Wetback"なんていうのもあります。不法移民が増えた1965年以降の反移民感情の高まりは、今のトランプ旋風の背景になるわけです。

アジア系への反発だけ抜き出してみると、1870年代にはゴールドラッシュが終息して景気が悪くなったカリフォルニアで、低賃金で働く中国人労働者への反感が高まりました。この運動を指揮したのはアイルランド生まれのDenis Kearneyという人物でWrokingmen's Partyを組織し、演説の最後は"And wahtever happens, the Chinese must go!"で締めるのが定番だったそうです。1882年には連邦政府がChinese Exclusion Actを成立させ、中国人労働者排斥の動きは1943年の同法の撤廃まで続きます。このころ、セオドア・ルーズベルトと日本政府との紳士協定で、日本からの米国本土への移民も3分の1にカットされました。日本は日露戦争後は大国として扱われていたので、中国人労働者のような一方的な法的規制にはならなかったとのこと。ただし第二次世界大戦が始まると、日系人11万人が収容所に入れられました。このうち62%は米国生まれの米国人だったそうです。ただ現在のアジア系には、教育水準が高く、倹約家で、家族やコミュニティーのつながりが強く、将来的な人種のヒエラルキーのトップには欧州系と並んでアジア系も加わるとの分析もあるそうです。

反移民感情は肌の色だけに基づくものではなく、欧州から来た白人の移民たちにも向けられます。移民たちがすでに米国にいる人たちの与える経済的な影響は肌の色には関係ないですからね。あと、移民たちがグループ化して、自分たちのコミュニティーを作るようになると、例え白人であっても「米国に馴染もうとしていない」という批判も出てくる。20世紀前半には、イタリア系移民が貧しい犯罪者の集団として蔑視されました。こういった反移民的なものの考え方は"nativism"と呼ばれます。現在でも、メキシコ系の移民が19世紀半ばに米国がメキシコから奪った領土を取り返そうとしているなんて考える人もいるらしい。

1894年に北東部の学者や政治家たちが設立したImmigration Restriction League(IRL)は、社会の不安定化の原因は野放図な移民の拡大が原因だと主張します。当時注目を集めていた優生学の影響も受けていたようです。IRLの活動は、移民への課税引き上げや、語学テストの実施、さらには移民受入数の制限につながります。また、反移民感情の裏側に人種差別があることも否定できません。筆者のGerberさんは1870年代のカリフォルニアでの反中国系移民運動の参加者たちは、中国系移民と同じ立場から経営側に賃金引き上げを求めるような運動に関わることはなかったと指摘しています。

ただ、nativistたちは全員が人種差別主義者というわけでなくて、既存の米国人たちの生活を守ろうとしているだけの人も多かったりするわけですね。だから、こうしたnativistたちの感情をくみ取ろうとする政治家が、移民の受け入れ数を制限したり、条件を厳しくするなんていう政策をとったりするわけです。そうなると、移民ブームが収束していく。でもやっぱり、労働力に対する需要は常にあって、、、、こうした繰り返しが米国の移民の歴史だということのようです。


現在の移民も経済的な理由で米国にわたってくる点では過去の移民と同じです。ただ、不法移民が多いという特徴もあります。あと非白人が多い。アジアとか南米とか、その他の途上国からの移民ですね。さらに移民が働く業種もかつての製造業から、サービス業にシフトしています。中国系ならチャイニーズレストランを始めたり、ソマリア系女性がホテルで働いたり、ジャマイカ系の看護婦とか、南アジア系のコンピューターサポートとか、そんな感じですね。結果、黒人奴隷の伝統から安価な労働力が豊富だった南部や、アッパー中西部、グレートプレーンのようなこれまで移民受け入れの経験が少なかった地域でも移民が増えています。

サミュエル・ハンチントンは、今の移民の傾向が続けば、"core Anglo-Protestant culture"が失われると懸念したそうです。ハンチントンはnativismと同一視されることを避けるため、これは人種的な意味合いではなくて米国の建国からこれまでの繁栄を支えてきた文化そのものだとしています。

ただ、筆者のGerberさんは、米国の文化は絶えず変化を続けてきたのであって、ひとつの文化によって米国の今の繁栄が成し遂げられたわけではないとします。また移民のなかに悪い人間がいることは確かですが、米国でお金を稼いで豊かになろうという移民たちが勤勉さという美徳をあわせもっていることを見過ごしてはならないとも主張しています。また米国自身も二重国籍を認めたり、資金の移動をしやすくしたりして、移民を積極的に受け入れてきたという歴史があります。そして移民たちが子供を産んで、定住するようになれば、何世代かにわたる時間をかけてでも同化が進んでいくことも明らかです。だから、こうした同化を支援するような政策をとることが重要であって、いたずらに移民を敵視するような態度は建設的ではないということです。


なんかJapanese LoverとかKen Liuの小説で読んだような話もあって面白かった。もちろん現在の米国におけるトランプ支持者の心情が何も特別なものではないということも分かります。

あと、移民を制限しようという運動は米国だけのものではなく、歴史的には豪州やニュージーランド、南アフリカ、カナダ、アルゼンチン、ブラジルなんかでもみられたという指摘もなるほどという感じです。日本だって人種的な差別感情から中国や朝鮮半島からの移民を禁止したりしています。

移民が外交政策に影響を与えたりするというのも面白いですね。何も今のイスラエル・ロビーだけの話じゃなくて、かつてはアイルランド系や東欧系が母国の独立を支援を求めたり、アラブ系がパレスチナ支援を求めたり、キューバ系がキューバ制裁を支持するよう求めたりといった歴史があるようです。第二次世界大戦中に中国系が日本への抗戦を支持し、日本製品のボイコットをしたりもした。台湾系の動きは、以前、Robert Sutterの本で出てきました。

最後にちょっと気になるのが本の終盤で出てきた、

"Yet such findings also suggest the depths of an ongoing crisis that is not sufficiently addressed: the stagnant position of members of America's largest domestic racial minority, African Americans, many of whom are being overtaken and passed by, as immigrants move into the mainstream. It remains a bitter irony in the midst of celebrations of immigrant achievements that programs, such as affirmative action in hiring or in college admissions, which were developed in the mid-twentieth century following civil rights protests to address long-standing institutional racism and to assist African Americans, have been utilized more successfully by non-white immigrants to speed their own entrance into the mainstream. The government has allowed the application of such programs to immigrants of color and their children in the service of the laudable goals of immigrant assimilation and multicultural diversity in workplaces and educational institutions. But the ongoing neglect of their original intentions is no credit to American policy."

という記述。

最後の一文は「米国の公共政策にとって名誉なことではない」という意味だと思うのですが、なんでこうした政策がもたらす影響が黒人と移民の間で差があるんですかね。「文化の違いだ」と言ってしまうと、なかなかギリギリな感じもしますけど、どうなんでしょう。今の米国では"Black Lives Matter"なんていう運動もあるわけですが、こちらもなかなか根深い問題ですね。また勉強します。

2016年9月24日土曜日

"The Old Man and the Sea"

"The Old Man and the Sea"を読んだ。アーネスト・ヘミングウェイの「老人と海」です。とっさに読む本が思いつかなかったのですが、最近ネットフリックスで観ているドラマの登場人物が「俺はヘミングウェイになる」と言って小説を書き始めていたのを思い出して、読んでみた。ヘミングウェイなんて、これまで読もうと思ったこともなかったので、勉強になりました。

ヘミングウェイの小説のなかでも短いものを選んだので、わりとすぐに読み終わりました。英語もそんなに難しいものじゃないかったです。ただ、舟や釣りに関する細かな用語は意味がつかみにくかったです。このあたりは日本語で読んでも同じことかもしれません。

まぁ、戦い続けることこそが尊いんだという話でしょうか。主人公の老人が愚痴っぽいところがあったりするのも、普通の人っぽくてよかったです。

2016年9月3日土曜日

ヒラリーとジャネット

ヒラリー・クリントンとジャネット・イエレンは同時期にイェール大学に通っていた。有名な話なんでしょうか。

ウィキペデイアによると、

イエレンがイェールで博士号を取ったのは1971年。この年の春、ヒラリーはイェールのロースクールでビル・クリントンと知り合った。

イエレンは1946年08月13日生まれ。
ヒラリーは1947年10月26日生まれ。

"Hillbilly Elegy"でイェールのエリートコネクションについてのエピーソードが出てきたんですが、具体的な人名で考えるとやっぱりすごい。
女性の社会進出がそれほどでもなかった時代に、米国初の女性FRB議長になる人と、初の女性大統領になろうかという人が学んでたってことですからね。


ちなみにイエレンの夫は2001年にノーベル経済学賞を取ったジョージ・アカロフ。1962年にイェールで学士。博士号はMIT。

2016年8月31日水曜日

Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis

"Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis"という本を読んだ。J.D. Vanceさんという31歳の白人男性弁護士が、自らの半生を振り返った本です。

これだけだと、だからどうしたという話ですが、バンスさんはオハイオ州のミドルタウンというかつては鉄鋼業で栄えたものの、今はさびれつつある街で育ち、劣悪な家庭環境のなかから這い上がり、イエール大学のロースクール卒のエリート弁護士になったという経歴の持ち主です。そのアメリカン・ドリームの体現者が、かつては劣悪な環境を経験した者として、米国に存在する貧困の背景や、そうしたコミュニティーに育ったものたちが今の米国社会をどのようにみているのか、問題を解決するためには何が必要なのかという問題を論じています。

2016年6月28日に出版された本で、「多くの白人がドナルド・トランプ氏を支持する背景にはこういった事情がある」という文脈でたくさんのメディアで紹介されていました。インタビューに答えたバンスさんは、「私自身はトランプ氏を支持するわけではないが、支持している人たちの気持ちは理解できる」としています。

で、話はケンタッキー南東部の石炭の産地、ジャクソンから始まります。非常に緊密なコミュニティーで、見知らぬ人が雪道で車を動かせなくなっていると、住民たちがこぞって助けだそうとするような地域です。バンスさんの祖父母はこのジャクソンで育ちました。非常に心優しい人たちです。

ただし、こうしたアパラチア山脈のコミュニティーに住む人たちには、荒くれ者という一面もあります。祖母の兄の1人は建設業を営んでいたのですが、ビジネスの相手が"son of a bitch"と生意気な口をきいたときは、車のなかにいた相手を引きずり下ろしてチェーンソーで切りつけ、病院送りにしてしまうような人です。「家族に対する侮辱は絶対に許さない」という掟に従った行動だとのこと。別の兄は、自宅の裏庭でマリファナを育てています。祖母自身も、家族で育てている牛を盗もうとした男を見つけたときに、ライフルを持ち出して発砲し、脚をケガした相手の頭に向かってライフルをかまえ、とどめを刺そうとしたことがあるそうです。

祖母の家だけが荒くれ者だらけだったというわけではありません。ジャクソンがあるBrethitt Countyという地域は"Bloddy Breathitt"という異名があるほどで、とある強姦犯は裁判の数日前、背中に16発の銃弾を受けて殺されました。地元の警察はまともに捜査せず、新聞も「犯罪」があったようだと報じただけでした。真相は明らかではありませんが、被害者の家族が裁きを下したということのようです。祖母が少女時代にある男に侮辱された際にも、兄たちがその男を懲らしめたことがあったそうです。

で、子供のころにこうした話を親戚たちから聞いたバンスさんは、「家族のためなら法律でも犯す」といったカルチャーを誇りに感じていたそうです。親戚一同がこんなエピソードを面白おかしく話したりしていたら、「これが男というものだ」と思っていたということなのでしょう。


祖父母は1947年に17歳と14歳で結婚しました。そして第二次世界大戦での勝利に対する興奮がさめていくなかで、よりよい生活を求めて、オハイオ州ミドルタウンに引っ越します。ミドルタウンにはArmcoという鉄鋼会社が工場を構えていて、大量の労働者を雇うようになっていたからです。というと美しい話のようですが、実はできちゃった婚で、祖母の兄たちから懲らしめられることを恐れてミドルタウンに逃げていったという事情もあったようです。ちなみにこのときの子供は生後すぐに亡くなったとのこと。

ミドルタウンにはケンタッキー出身者が多く、"Middletucky"なんて呼ばれたりした。だから、ミドルタウンには、荒くれ者のカルチャーも持ち込まれて、元からオハイオにいた人たちとの間でトラブルも多かったそうです。祖母は、"You can take the boy out of Kentucky, but you can't take Kentucky out of the boy."なんて言っていた。アパラチアン魂百までってことでしょうか。

ただし生活が順調だったというわけではありません。祖父はジャクソンから離れたミドルタウンでの生活に馴染みきれないところがあったのか、バーから泥酔して帰宅したり、手にした給料を見栄をはるために浪費したりして、祖母を怒らせることも度々だった。祖母が泥水してソファーで眠っている祖父にガソリンをかけて、火をつけるということもあったらしい。バイオレントすぎるエピソードですが、家族の間ではそう伝えられているそうです。

で、そうした環境で育ったバンスさんの母親は、18歳で妊娠。19歳で離婚してシングルマザーになります。これが1980年ぐらいの話。母親の妹(バンスさんのおばさん)もその2年ほど前に16歳で高校を退学して、結婚しています。やはり結婚生活は厳しいものだったようです。こうした状況をなんとかせねばならないと決意したのか、祖父は1983年に禁酒し、別居状態だった祖母とも関係を修復するようになります。祖父は53歳、祖母は50歳ぐらいの計算ですね。祖父母は孫のケアや金銭的な援助を買って出るようになります。母親は1983年に再婚して、翌1984年にバンスさんが生まれます。

で、ここから先はバンスさん自身の話ですが、それはそれはなかなか過激なエピソードが満載です。

19歳でシングルマザーになってその4~5年後にバンスさんを生んだ母親は、その後も離婚と結婚を繰り返し、バンスさんが高校を卒業するまでに6人の男性と一緒に生活しています。バンスさんは、母親としては「子供たちに父親が必要だ」という思いで結婚相手を探していたのではないかと推測していますが、バンスさん自身の思いとしては「全く見知らぬ男が家の中に入ってきて、ようやく好きになったかなと思い始めたころに、離婚して家から出て行く」という状況が繰り返されることは子供時代の自分の心を深く傷つけていたとしています。また母親は看護師として働いてはいましたが、お酒におぼれ、バンスさんたちと大げんかをしては「ごめんなさい。もう二度とこんなことはしない」と謝罪するような生活を続けて来ました。バンスさんたちはそのたびに謝罪を受け入れるのですが、数日後には同じ状態に戻ってしまう。

バンスさんが12歳のときには、母親が反省の証としてバンスさんにフットボールカードを買ってくれると約束するのですが、車で高速道路を走っている最中にけんかになって、母親は「このまま車をクラッシュさせて、死んでやる」と言い出します。バンスさんは助手席から後部座席に移って、シートベルトを2つつければ生き延びられるんじゃないかと考えたりしましたが、母親はそうしたバンスさんの行為に怒りを増幅させて、車を止めてバンスさんに殴りかかります。止まった車から逃げ出したバンスさんは近くの民家にかけこんで、そこにいた女性に警察を呼ぶように依頼。母親は駆けつけた警察に逮捕されます。バンスさんはその後の裁判で、裁判官から日頃の母親の状況を聞かれ、「こうしたことは初めてのことです」と嘘をつききます。母親を刑務所には行かせたくないという思いからの嘘だったそうです。この後、バンスさんは、母親の家と祖父母の家の両方で暮らすようになります。自分の好きなときに、好きな方の家で暮らすことで、生活の安定と母親とのつながりを実現しようという狙いでした。

その後、バンスさんは実の父親と会うようになります。バンスさんは母親たちから父親が酒浸りになったから離婚したと聞かされて育ちましたが、実際にあった父親は敬虔なクリスチャンとして生活を立て直していました。ただ、既存の科学を否定するような極端なところもある信仰で、バンスさんも「2007年には世界が終わる」といった終末思想を信じるようになり、信仰と現実の狭間で悩んだりしたそうです。ただ、教会や父親のことも好きになったとのこと。信仰が人々の生活にあたえるポジティブな影響の大切さを感じるようになったといいます。

バンスさんが13歳のときには、心の支えの一人だった祖父が急死します。母親は動揺します。このころには看護師として働いていた病院にあった薬物に手を出したようで、奇行も目立つようになり、リハビリセンターの世話になるようになりました。バンスさんは実の父親と暮らそうとしたこともありましたが、母親に懇願されて家に戻ります。そこでは母親と当時の恋人とと一緒に暮らすのですが、「世界の終わりの最前線に座っている」ようなものだったそうです。2人の間のけっかは絶えません。しかも母親はこうした生活を続けるなかで、病院の上司の男性と結婚することを決めます。もうなんのこっちゃよく分かりません。

一方、いつもバンスさんを支えてくれた姉は祖父の急死の直後に結婚し、幸せな生活を送るようになります。しかしバンスさんは、荒れた母親と見知らぬ上司が暮らす家のなかに閉じ込められ、将来を見通すことができません。高校生になったころには、勤務先の病院から薬物検査のための尿の提出を求められた母親から、バンスさんの尿を提出することを頼まれます。自分の尿からは薬物が検出されるおそれがあるということのようでした。このときバンスさんは指示に従いましたが、「この朝、私のなかで何かが壊れた」と回想しています。高校2年生のとき、母親とバンスさんは上司の家を追い出されます。バンスさんは母親から離れて、祖母と一緒に暮らすことにします。

このころまでバンスさんの学校での成績は落第寸前でした。しかし祖母と暮らす生活を始めてからは、学校の宿題にも取り組むようになり、成績は上向くようになります。もともと祖父母は教育熱心なところがあったそうです。学校で良い先生とも出会い、SATで高得点をあげたりします。"I was happy --- I no longer feared the school bell at the end of the day, I knew where I'd be living the next month, and no one's romantic decisions affected my life. And out of that happiness came so many opportunities I've had for the past twelve years"という心境だったそうです。祖母の勧めでつきあう友達も変わり、大学進学も意識するようになり、オハイオ州立大学とマイアミ大学から合格通知を受け取ります。これまでの生活からの出口が見えたというわけですね。

でも、バンスさんは大学進学をとりやめます。「自分はまだ準備ができていない」と感じていたからです。成績は上向いていたけれど、十分だとはいえず、奨学金のための書類を理解するだけでも膨大な時間がかかるほどの世間知らずでもあります。結局、バンスさんが決断したのは海兵隊への入隊でした。1年前の米中枢同時テロも理由のひとつ。海兵隊のリクルーターはお金は稼げないだろうし、戦争に行かされるかもしれないと断りながらも、"They'll teach you about leadership, and they'll turn you into a disciplined young man."と説明したそうです。海兵隊で任務についた後で大学に入れば、学費の面でも大幅な援助が受けられることも魅力でした。

海兵隊でのエピソードもいろいろ紹介されていますが、ある海兵隊の教官はバンスさんに初めて3マイルを走らせた後、"If you're not puking, you're lazy! Stop being fucking lazy!"と怒鳴りつけて何度もダッシュをするように命じ、バンスさんが意識を失うんじゃないかと思ったころあいに、"That's how you should feel at the end of every run!"と怒鳴ったそうです。バンスさんは常に全力を尽くさなければならないことや、全力を尽くせば自分が思っている以上の成果を生み出せることを体で覚えるわけです。バンスさんは、白人の貧困層にもたらすべき変化について問われると、"The feeling that our choice don't matter"と答えるようにしているそうです。バンスさんはイラクにも派遣されました。海兵隊勤務中の2005年には最愛の祖母を喪っています。


この後は順風満帆な感じのエピソードです。2007年にオハイオ州立大学に入学したバンスさんは猛勉強して1年11カ月で2つの学位を優秀な成績で取得。その後、イエール大学のロースクールに進学します。そこで自分が育った環境と多くの同級生が育った環境の違いや認識のズレに驚いたりしながらも、楽しい生活を送ります。のちに結婚する彼女とも出会いました。一般の人たちが仕事を見つけようとしたら履歴書を埋めて会社に送るのに、彼らエリートたちは一流の企業や法律事務所で働いている家族や親戚、友人、先輩たちの紹介で面接を設定してもらい、高い給料の仕事についているといった社会の仕組みも学びます。就職の際には、イエール大教授のAmy Chuaからたくさんのアドバイスをもらったそうです。例の"The battle Hymn of the Tiger Mother"の著者ですね。もうこのころには、バンスさんは生まれ育ったミドルタウンを故郷だとは思えなくなります。


本の中でバンスさんはミドルタウンの経済状況や人々の感情についても描写しています。

バンスさんが大人になっていった時期はミドルタウンの経済を支えてきたArmcoの経営が悪化していった時期です。Armcoは1989年に川崎製鉄に吸収されて、Armco Kawasaki Steelと名称を変更。第二次世界大戦の敵国だった日本の企業に地元経済が救われたかたちで、米国の製造業の厳しい現実が明らかになっていきます。バンスさんの祖父は、かつては子供たちに「日本車を買ったら勘当する」と言っていたそうですが、川崎製鉄による救済後は「今となっては日本は友人だ。もしも戦う相手があるとすれば、それは中国の奴らだ」とバンスさんに話すようになったそうです。

最近、バンスさんがミドルタウンの高校の先生に話を聞いたところ、子供たちは自分たちがプロ野球選手になれないことに気づくと、「それならArmcoで働くよ。おじさんも働いているし」といったような返事をするそうです。実際には、Armcoはかつてのような安定的な職場ではないにも関わらず、子供たちはこうした厳しい現実に気づいていない。それでいて、勉強して生活をステップアップできるような仕事に就こうとも考えない。「成功できるのは幸運な人間か、生まれつき頭がいい人間だ」といったセンチメントが蔓延していて、まともに働こうという意識もないまま製造業が衰退していくミドルタウンに閉じ込められていく。

これは本の冒頭で紹介されているエピソードですが、バンスさんが数年前に学費を稼ぐためにミドルタウンの企業で重たいタイルを扱う仕事をしていたとき、経営者は人手不足で困っていたそうです。数年働けば時給は16ドルまで上がって、年収3万2000ドルにはなるような仕事で、景気が悪くなっていくミドルタウンでは悪い額じゃない。経営者が19歳の若者に仕事を与え、妊娠していた恋人にも事務職を割り当ててあげたことがあったそうですが、恋人の方は3日に1度は無断欠勤し、数カ月で辞めてしまった。若者の方も1週間に1度は欠勤し、遅刻も常習的で、1日に3度も4度も30分ほどのトイレ休憩をとるような態度だった。その結果、最終的には解雇を言い渡されるのですが、そのときこの若者は"How could you do this to me? Don't you know I've got a pregnant girlfriend?"と食ってかかったそうです。ダメな感じですよね。こういう、自分が怠け者であることにも気づかないようなムードが、米国の一部には存在するということです。

バンスさんは高校時代、祖父母から勧められてスーパーで働くようになり、そこで貧しい人から豊かな人までさまざまな人が暮らす社会の現実を目の当たりにします。貧しい人たちがフードスタンプで炭酸飲料を大量に買い込んで、ディスカウントストアで売って現金を手にする様子や、食品はフードスタンプで買って、現金で酒やタバコを買うといった様子も目撃します。バンスさんの給料からは税金が引かれていますが、フードスタンプでバンスさんには手が届かないようなステーキを買うような生活をしている「貧困層」もいます。一方で、こうした貧困層と自分たちの生活が似ていることにも気づきます。政府の補助を得て隣家に引っ越してきた家族は、バンスさんの一家と同じように、ケンタッキーからオハイオに移り住み、ケンタッキーなまりの英語を話し、夜中になれば家の中からケンカの声が聞こえてくるような家庭です。バンスさんの祖母は「あの女は怠け者の売女だ。強制的に仕事に就かせれば、あんな女にはならなかったろうに。政府があの女にカネを渡して、我が家の隣に引っ越させたと思うと腹がたって仕方がない」「私たちは懸命に働いても生活を切り詰めなければならないのに、ろくでなしどもが我々の税金で酒を買って、携帯電話を使っているのは許せない」と毒づいていたそうです。

一方で、バンスさんの内面にはこうした貧困層は自分の母親の姿であり、かつての自分でもあることを自覚しています。職が一切ないわけじゃないけれど、ひどい勤務態度で解雇される。子供がしっかりと勉強できるような家庭環境を与えず、「自分たちが働かないのは社会が不公平だからだ。オバマのせいで炭鉱は閉鎖され、工場の仕事は中国に行ってしまった」と言い訳する。朝ご飯にシナモンロールを食べ、昼ご飯にタコベルを食べ、晩ご飯にマクドナルドを食べるような生活を続け、ケンタッキーの一部での平均寿命は67歳でしかない地域もあるそうです。バンスさんには祖父母や姉という心の支えがあり、高校2年からは安定した生活が送れるようになった。でも、そうした環境が得られなかったら、どうなっていたか分かりません。

バンスさんはイエールに入った後も、自分が子供のころに負ったトラウマを背負っていることに気づきます。恋人との意見の違いに過剰に反応したり、運転中に割り込んできた車の運転手にケンカをふっかけようとしたり。自分の身を守るために、他人からの攻撃に身構えてしまうという生活習慣がついてしまっているわけです。こうした問題を克服していけているのも、恋人の存在があったからだとのことです。そして、バンスさんの母親も、子供のころは生活が乱れていた祖父母に育てられてきました。母親はバンスさんがイエール在学中、ヘロインに手を出し、今も薬物依存との戦いを続けているようです。


バンスさんは現在の政治状況について「ヒーローのいない時代だ」と指摘します。オバマ大統領は期待されたけど、多くの人からは懐疑的にみられている。ブッシュ前大統領の支持者は少なく、クリントン元大統領も倫理的な腐敗のシンボルだとみられている。レーガンは亡くなって久しい。米国は2つの戦争に多くの兵士を送り込んだけど、経済は安定した賃金を確保することもままならないとみられています。亡くなったとき72歳だったバンスさんの祖母が最も誇りにしていたのは、自分の家族が第二次世界大戦で戦ったことだったそうです。祖母にとっての神はイエス・キリストとアメリカ合衆国でした。しかしそのアメリカ合衆国は、多くの人からアメリカンドリームを体現する存在ではなくなってきているとみなされています。

多くの米国人はオバマ大統領に違和感を感じています。肌の色だけが原因ではなく、一流大学を優秀な成績で卒業し、聡明で、裕福で、憲法の教授のような完璧な英語を話す。親戚のなかに大卒者は一人もいない貧乏な家庭で、ケンタッキーなまりの英語を話し、酒や薬物におぼれる家族と暮らしているような生活を送っている人たちには何の共感もできない存在なのです。こうした人々は今の米国の社会は自分たちのための社会ではないと感じているし、自分たちの生活がうまくいっていないことも自覚しています。オバマ大統領はこうした人々の複雑な心情をかき乱します。

バンスさんはオバマ大統領について、こう書いています。

"He is a good father while many of us aren't. He wears suits to his job while we wear overalls, if we're lucky enough to have a job at all. His wife tells us that we shouldn't be feeding our children certain foods, and we hate her for it ---not because we think she's wrong but because we know she's right."

こうした人々は主要メディアも信用していません。保守系のFOXニュースでさえ、オバマ大統領はハワイ生まれだと言っているのに、世論調査では保守層の間では「オバマ大統領は外国生まれだ」との回答が32%に達し、19%は「定かではない」と答えています。一方で、インターネット上や保守系ラジオから流れる拠のない情報は信じ込みます。米中枢同時テロは米国政府の企み、オバマケアは米国民にマイクロチップを埋め込もうとしている、ニュータウンの乱射事件は銃規制に関心を向けるための政府の陰謀、オバマ大統領は戒厳令を発動して3期目を務めようとしている、といった情報です。どれだけの人がこうした情報を信じているかは定かでないですが、多くの人々がオバマ大統領が米国生まれでないと信じているなかでは、相当な数の人たちがこれらの情報を信じている可能性はあります。

一方で、保守系の政治家たちも、生活に苦しんでいる人々に一生懸命勉強して、真面目に働き、新しい生活を築くように訴えかけたりはしません。彼らの言説は"It's not your fault that you're a loser; it's the government fault."といったものです。

バンスさんは今の米国社会の仕組みや、貧しい人々が暮らす生活環境が厳しいものであることを否定するわけではありません。ただ、自身や姉のように生活を改善できる人もいることを踏まえて、"No person's childhood gives him or her a perpetual moral get-out-of-jail-free-card"だとしています。重要なのは身近にロールモデルがいることで、宗教上のコミュニティーがそうした役割を果たすことも指摘しています。またバンスさんのような家族にとっては、祖父母や親戚の役割が非常に大きともしています。そして、政府はコミュニテイーの問題を解決できるほど力があるわけではないとして、"Studies now show that working-class boys like me do much worse in school because they view schoolwork as a feminine endeavor. Can you change this with a new law or program? Probably not"とも疑問を投げかけます。

バンスさんは、自身の子供時代と同じような境遇にあるブライアンという15歳の少年について、このように考えたといいます。

"There are many cards left to deal: whether his community empowers him with a sense that he can control his own destiny or encourages him to take refuge in resentment at forces beyond his control; whether he can access a church that teaches him lessons of Christian love, family, and purpose; whether those people who do step uo to positively influence Brian find emotional and spiritual support from their neighbors"

まぁ、そうなんでしょうな。



このストーリーはあくまでバンスさん個人が経験した内容で、どこまで一般化できるかどうかは分かりません。バンスさんもこのことは冒頭で断っています。でも、実際にこうした生活を経験した本人が書いている話で、外部の人間はなかなか家庭内の事情までは踏み込んで知ることはできないだけに、傾聴に値する話なんだと思います。

家庭は大事だよね。

2016年8月28日日曜日

Bootlegeer's Daughter

"Bootlegger's Daughter"という本を読んだ。ミステリです。

この本を選んだきっかけは、英語で好きなジャンルである推理小説でも読んでみようかということだったのですが、英語圏の有名作家が誰なのかも知らないもので、どの本を選んでよいのか分からない。そこで「伝統的なミステリ」を対象とするアガサ賞受賞作から選んでみた次第です。

ウィキペディアによると、アガサ賞が対象とする伝統的なミステリとは、

あからさまな性描写や過激な流血、暴力シーンがないミステリ作品と緩やかに定義されていて、たいていは、警察官や私立探偵ではない一般の人が主人公となり、狭い地域を舞台として、お互い顔見知りの人々の中で起きる事件や謎を解決するミステリ

とのこと。映画化されるような「サスペンス+アクション」みたいなのではなく、プロット重視の「謎解き」みたいな感じなのではないでしょうか。

作者のMargaret Marronはアガサ賞の常連で、ほかにもいろんな賞をとっています。2013年には、Mystery Writers of Americaが授与する最高賞であるGrand Master Awardを取っています。そうそうたる面々が受賞している賞ですから、なかなか立派な作家なのでしょう。


で、読んでみた感想としては、面白かったです。派手なアクションもないうえ、不可能犯罪的なトリックもありませんが、きちんと意外な人物が犯人ですし、その動機も納得できるように思えました。オープニングもショッキングです。同性愛者が出てきます。あまりストーリーとは関係ないですが、双子も出てきます。

主人公はノースカロライナ州のDeborah Knottという女性弁護士で、民主党からDistrict Judgeに立候補しているという設定。その予備選で、Luther Parkerという黒人の弁護士と、候補者の座を争っています。その最中、18年前の未解決殺人事件の被害者の娘から、「18年前に母親が死んだときの真相を探ってほしい」と依頼されます。その調査の過程で、新たな殺人事件も発生します。つまり、選挙の話と、謎解きの話の2本立てでストーリーが進行するわけですね。だから、登場人物はやたらと多いです。ミステリなので、このやたらと多い登場人物の全員が怪しいように思えます。だから、最初のうちはやたらと読むのに時間がかかるのですが、だいたい「この人は悪い人じゃないな」とか「どう考えたって仲間だな」というのが分かってくると、スムーズに読めるようになりました。

正直、ミステリが読みたくで選んだ本ですから、選挙の話はややこしいばかりで面白くないようにも思えます。ただ、Deborahの父親のKezzie Knottという人が魅力的で、もともとは密造酒とかマリファナ栽培なんかに手を染めていた悪い人なうえ、脱税で起訴されて、8カ月ほど刑務所に入っていたこともあったけど、知事や上院議員の動きによって、この起訴と収監の記録は抹消されているという設定です。この本では、すべての謎が解決した後で、このお父さんがいろいろとなんやかんやして、選挙の話で、先に続くような展開が出てきます。この本は1992年に出版されたDeborah Knottシリーズの第1作で、2015年8月までに20作出ているみたいなので、今後は政治の方の話も大河ドラマ的な展開になっていくんじゃないでしょうか。間違っているかもしれませんけど。

次作も読んでみたいと思います。

2016年7月14日木曜日

"The Long Game"

共和党のミッチ・マコネル上院院内総務の自伝”The Long Game”を読んだ。5月31日発売。以前、民主党のハリー・リード上院院内総務の自伝"The Good Fight: Hard Lessons from Searchlight to Washington"を読んだときから、マコネルさんの本も読んでみたいと思っていたので、待望の新刊だったわけです。マニアックな話ですが。

リードさんの本は、自分の子供時代の友人や学校の先生たちについて事細かな描写や分析があったり、弁護士時代のエピソードなんかはミステリ風にも読めたりして、なかなか楽しめました。上院院内幹事になってからの議会工作についても、「あの議員はこんなポストを要求した」なんていう話を盛り込んだり、法案に賛成した議員と反対した議員の名前を羅列したりしてあった。なんか冒険譚っていう感じです。ただ、その分、「このリードさんはどうして政治家になりたかったのだろう」とか「なんで民主党なんだろう」なんていう感じがしたのも事実で、全体的に「リードさんは根っからのケンカ屋で、政策云々よりは勝ちたいっていうだけの政治家なんじゃないか」という印象を持ちました。

これに対してマコネルさんの本は、比較的あっさりしています。他人に対する評価はそれほど多くなくて、基本的には自分の行動や政治の流れを時系列で追いながら、そのときの思いとか分析とか自分の理念とかを書き綴っていくという内容です。だから、面白くないっちゃぁ面白くないんですが、「共和党の本流の人たちっていうのはこういう者の考え方なのか」とか「リードさんとは随分違うな」と思うと、それはそれで面白いです。

ただ、このマコネルさんが口を極めて批判している対象が3つあります。一人目はオバマ大統領。次がオバマ大統領在任中にオバマケア撤廃を強硬に訴えるような共和党内の勢力。最後がリードさんです。

オバマさんについては、ほとんど生理的に嫌いといった印象を受けます。もう、何から何まで気に入らない。誰かからオバマ評を尋ねられた際には、いつでもこのように答えるそうです。

“He’s no different in private than in public. He’s like the kid in your class who exerts a hell of a lot of effort making sure everyone thinks he’s the smartest one in the room. He talks down to people, whether in a meeting room among colleagues in the White House or addressing the nation.”

政治上の立場的にも全く違います。

“He has a bold progressive agenda, and if he can’t get what he wants through the legislative branch, he’ll work to do so through the bureaucracy.”

“Knowing I could do little to change this perspective on things, my goal has been to stop him when I think he’s pushing ideas that are bad for the country.”

それだけに2010年にオバマケア関連法が上院共和党の40議員から1人の賛成も得ずに成立したことへの怒りは大きかったそうです。無念さに涙を流したとうい描写も出てくる。ただ、共和党議員が団結できたことには達成感もあったとのこと。

2011年の債務上限引き上げをめぐるオバマ大統領との噛み合わない感じも面白いです。2010年の中間選挙で下院を奪還した共和党としては債務上限引き上げをするなら、歳出削減とセットでなければならないという立場。マコネルさんは下院は共和党がとったんだから、それぐらいの歩み寄りは当然だろうと思うわけです。でも、オバマ大統領との協議は上手くいかない。オバマ大統領は協議の場でいかに自分の立場が正しくて、共和党の立場が間違っているかを長々と語り始めて、相手に自分の主張を受け入れさせようとするわけです。マコネルさんは「私だったら、民主党との交渉の場で、いかにリベラリズムに瑕疵があるかを語るようなことは生産的だとは思わない。そんなことは相手の立場を尊重していないだけでなく、ただの時間の無駄だ」としています。

ベイナー下院議長はオバマ氏からの電話を受けても、受話器を机に置いて、別の誰かと会話をしていたそうです。マコネルさんは「自分はそこまではしていないが、テレビで野球の試合をみていたことはあった」なんて書いています。

で、結局、オバマ大統領は交渉をバイデン副大統領に丸投げすることが多かった。バイデンさんといえば長話というエピソードはこの本でも面白おかしく書かれていて、「時間を尋ねたら、時計の作り方から話し出すような男」だとのこと。でもそのうえで「彼は話すだけの男ではなく、相手の話に耳を傾けることもできる男だ」とも評価しています。

“Joe, on the other hand, made no effort to convince me that I was wrong, or that I held an incorrect view of the world. He took my politics as a given, and I did the same, which was what allowed us to successfully negotiate when it came to our discussion on taxes in 2010.”

で、このマコネルさんとバイデンさんのディールがBudget Control Act of 2011につながる。裁量的歳出を10年間で900ビリオンドル削減し、共和党6人、民主党6人の”super committee”を作って、追加的な1.2トリリオンドルの昨年についても協議するという内容です。で、債務上限は引き上げる。これこそが「ディール」だというマコネルさんのドヤ顔が浮かびます。


一方、共和党強硬派に対する批判も、オバマ氏への怒りと表裏一体な気がします。「現実を無視したような主張をして、アメリカを混乱に陥れるなよ」っていう感じですね。2013年の財政の崖や政府機関閉鎖をめぐる協議に臨む際の心境については、

“Speaker Boehner and I were prepared to fight for the Bush-era tax cuts to extend to all Americans on a permanent basis, but we also had to be realistic. A cornerstone of Obama’s reelection campaign was the promise to increase taxes on the wealthy. It was not possible that the Democratic-controlled Senate would pass the bill we wanted --- a bill that was in direct opposition to Obama’s promise --- or that Obama would sign it.”

と振り返ります。

こういうとき共和党の強硬派は「指導部は生ぬるい」なんて批判して、予備選で現職候補に対抗馬を立てたりする。でも、その対抗馬は例え予備選に勝ったとしても、本選では民主党候補に勝てる見込みがないことも多く、そんなことしたって共和党の不利に働くだけだったりするわけです。そもそもオバマ大統領が拒否権をもっているのに、「オバマケアを撤廃する」なんていう公約を掲げたって、それは有権者をミスリードするだけじゃないかというわけですね。

“These groups convinced people that the only acceptable outcome was getting exactly what they wanted, when those things were, at a time when Democrats held the White House and at least one house of Congress, impossible to get.”

“So telling Republican primary voters they should settle for nothing less than ensuring that Obamacare is repealed was selling an impossible idea.”

なかでもサウスカロライナ州選出のJim DeMint議員への批判は厳しいです。一方で、テッド・クルーズ上院議員の名前は一度も出てきません。つまんないの。


あと、リードさんについては「好きだし、個人的に憎しみを抱いているわけじゃない」としています。ただ、

“But Harry is rhetorically challenged. If a scalpel will work, he picks up a meat-ax. He also has a Dr. Jekyll and Mr. Hyde personality. In person, Harry is thoughtfull, friendly and funny. But as soon as the cameras turn on or he’s offered a microphone, he becomes bombastic and unreasonable, spouting things that are both nasty and often untrue, forcing him to then later apologize.”

と評しています。わはは。分かるような気がしますね。やっぱりケンカ屋のイメージです。

でも、リードさんが上院院内幹事時代の大勝利として生々しく描写した2000年の選挙で民主党と共和党の議席が50対50になったけど、共和党の上院議員が無所属に寝返った結果、民主党が多数派になった件については、

“Democrat Tom Daschle, who had become majority leader the previous June as a result of Jim Jeffords’s switch from Republican to Independent, announced that the Senate would convene the next day.”

とほんの一言触れているだけです。

2013年にリードさんが行使した核オプションについても、事実関係を述べているだけ。舞台裏の描写とかはないです。つまんないの。まぁ、マコネルさんにすれば大敗ですから、無理もないですけど。


“The Long Game”というタイトルは、従軍経験があるお父さんがアイゼンハワー支持者だったことをきっかけに、14歳だった1956年の共和党党大会の様子をみて共和党の理念に共感するようになって、高校時代、大学、ロースクールと学生代表を務め、インターンとして仕えたことがあるJohn Sherman Cooper上院議員に憧れて上院議員を志し、準備に準備を重ねて上院議員になった1985年に多数派の上院院内総務になると決意し、辛抱に辛抱を重ねて2014年になってようやくその夢を実現させたというマコネルさんの生き様を表しているものです。

院内幹事や院内総務に立候補したときは、ポケットに全議員の名前を書いたカードをしのばせて、「あなたに投票する」と確約した議員にチェックを入れていって票を固めていったそうです。「あなたは良い院内総務になるでしょうね」なんていう返事をする議員には、「じゃぁ、私に投票してくれますか」と詰める。そこで「イエス」と答えなければ、固めた票としてはカウントしないとのこと。渋い。マコネルさんは政治マンガでは「カメ」として描かれることが多いですが、まさにそういう粘りが信条の政治家なんでしょう。


その他のエピソードもいろいろとあります。

ゴールドウォーターについては大学時代の1962年に一緒に撮った写真を今でも執務室に飾っているほどで「政治的なヒーロー」の一人だそうです。ただ、ゴールドウォーターが1964年の公民権法案に反対票を投じたことに失望して、その年の大統領選ではリンドン・ジョンソンに投票したとのこと。

現職を僅差で破って上院議員に初当選した1984年の選挙ではロジャー・アイルズの世話になったそうです。効果的なテレビ広告を作ってくれた。

政治資金規制については、有権者の表現の自由を奪うものだとして徹底的に反対してきたそうです。

“Despite the argument offered by the Left, limiting a candidate’s speech does not level the playing field, it does the opposite. Like trying to place a rock on Jell-O, pushing down on one type of speech just raises that speech elsewhere, allowing someone else to control the discourse --- the press, the billionaire, the special interests, the incumbent. On more personal level, my first run for the Senate brought these issues to light in a concrete way. I never would have been able to win my race if there had been a limit on the amount of money I could raise and spend. ”

わはは。なるほど。

あと、第二次世界大戦当時、子供だったマコネルさんの日本に対する原爆投下時の感慨が面白い。マコネルさんのお父さんは欧州戦線から戻ってきて、次は太平洋戦線に向かう予定だったタイミングでの原爆投下だったそうで、

“But to the substantial relief of our family, President Truman dropped the A-bomb on Japan. Knowing the potential suffering this saved my dad, and the great number of lives spared by bringing an end to the war, there’s never been any second thoughts in our family about the wisdom of that decision.”

と振り返っています。そりゃ、そうだわな。戦争なんてやるもんじゃないですね。

それとどうでもいい話ですが、マコネルさんが子供時代、何度も近所の大柄な子供にいじめられているのを目撃したお父さんから「殴り返せ」と言われて、勇気を振り絞ってケンカしたら、勝ったというエピソードが出てきます。

この手のエピソードは、これまでに読んだ米国人のほとんどの自伝に出てくるような気がします。だから真偽のほどは眉唾な気もするのですが、米国人としては大好きな類いの逸話なんでしょうね。


ということで、結構面白かったですね。マコネルさんはいい人だと思います。

2016年6月17日金曜日

"Stories of Your Life and Others"

"Stories Of Your Life and Others"を読んだ。テッド・チャンのSF短編集です。随分と前に日本で話題になったころ、日本語で読んだことがあります。ケン・リュウさんが"The Paper Menagerie and other stories"の後書きで、"The Man Who Ended History: A Documentary"は、テッド・チャンの"Liking What You See: A Documentary"を読んで着想を得たと書いていたので、「どんな話だったかなぁ」と思って読み直してみることにしました。

SFはあまり読まないので、日本語で読んだとき「SF作家っていうのはすごいことを考えるもんだなぁ」と感心したのを覚えています。なかなか難解なところもあったので、英語できちんと読めるものかどうか不安だったのですが、英語でも楽しむことができました。まぁ、日本語で一度読んだことがあるから、当たり前っちゃぁ当たり前ですが。

収録作品は、

Tower of Babylon(バビロンの塔)
Understand(理解)
Division by Zero(ゼロで割る)
Story of Your Life(あなたの人生の物語)
Seventy-Two Letters(七十二文字)
The Evolution of Human Science(人類科学の進化)
Hell is the Absence of God(地獄とは神の不在なり)
Liking What You See: A Documentary(顔の美醜について:ドキュメンタリー)

の8本。日本語版と同じです。

いずれも面白いですが、やっぱり"Story of Your Life"が面白いですね。「SF作家っていうのはすごいことを考えるもんだなぁ」と思ったのはこの作品で、異星人との交流、人類とは全く異なる思考方法といったテーマを言語学の知識を元にして書かれています。あと、信仰を扱った"Hell is the Absence of God"も好きです。"Seventy-Two Letters"は遺伝子とかオートマタとかを扱った作品ですが、これはフィクション上の設定を理解するのが難しかった。"Understand"は特殊なホルモンの効果で頭脳がめちゃくちゃハイスペックになった男性の話。最終的にはサイキックバトルになります。"Liking What You See: A Documentary"は顔の美醜を判断できなくなる脳への措置が現実になった世界の話。外見至上主義"Lookism"への批判から、こうした技術が導入されようとしているっていう設定で、面白いんですが、「まぁ、そんなに真剣に考えるほどのことでもないかな」とも思いました。

チャンさんはニューヨーク州生まれの中国系米国人。中国生まれのリュウさんとはバックグラウンドが違います。リュウさんのような漢字とか東アジアの歴史をモチーフにした作品はありません。本業はテクニカルライターだそうです。書くべき題材が見つからなければ小説は書かない主義で、寡作だとのこと。そりゃ、面白い話ばかりになりますわな。

"Story of Your Life"は"Arrival"というタイトルで映画化が進んでいます。英国では11月に公開。米国は未定なのでしょうか。(参照)例の"Heptapod B"をどう表現するんでしょうかね。

2016年5月13日金曜日

"The Paper Menagerie and other stories"

"The Paper Menagerie and other stories"を読んだ。中国出身のSF・ファンタジー作家、Ken Liu(ケン・リュウ)の短編集です。米国版は2016年3月出版。日本版の短編集「紙の動物園」は2015年4月に出ています。短編集ですから、それぞれの作品はそれより先に発表されていて、日本の方で先に短編集が出たってことなんでしょうね。

表題作の"The Paper Menagerie"は2011年発表。この年のヒューゴー賞ショート・ストーリー部門、ネビュラ賞ショート・ストーリー部門、世界幻想文学大賞短編部門賞の三冠を獲得しました。これが日本のSFマガジン2013年3月号に掲載されています。

いつもチェックしている前川淳という折り紙作家のブログで2014年6月と2015年5月に「紙の動物園」が紹介されていて、読んでみたいなと思っていました。そしたら英語の短編集も最近になって出たということで、早速購入してみた次第です。

日本語版、英語版とも15編の収録ですが、作品は異なっています。同じなのは7作品。

The Paper Menagerie(紙の動物園)
Good Hunting(良い狩りを)
Mono No Aware(もののあわれ)
A Brief History of The Trans-Pacific Tunnel(太平洋横断海底トンネル小史)
The Waves(波)
The Bookmaking Habits of Select Species(選抜宇宙種族の本づくり習性)
The Literomancer(文字占い師)

英語版だけに載っている8作品は以下の通り。

State Change
The Perfect Match
Simulacrum
The Regular
An Advanced Readers' Picture Book of Comparative Cognition
All the Flavors
The Litigation Master and the Monkey King
The Man Who Ended History: A Documentary


どの作品も面白いです。

日本語版と共通作品のなかでは、「紙の動物園」「もののあわれ」「波」「文字占い師」、

英語版のみの作品のなかでは、

インターネットの検索を牛耳る企業による情報統制が常態化した社会を描く"The Perfect Match"

サイボーグ化した中国系米国人の女性のアクション活劇"The Regular"、

19世紀のゴールドラッシュで西海岸にやってきた中国人労働者の集団と三国志の関羽雲長のストーリーをごちゃませにした"All the Flavors"、

不都合な歴史を押し隠そうとする清王朝とそれに抵抗する詭弁家の男の話を西遊記で味付けした"The Litigation Master and the Monkey King"、

意識だけをタイムトリップさせて過去を観察する技術を開発した日系女性物理学者と、その夫で第二次世界大戦中の日本の731部隊の実体を世に知らしめようとする歴史家の男性の行動をとりあげながら、歴史と現在の関係性について考察した"The Man Who Ended History: A Documentary"

なんかが印象的です。

ケン・リュウさんは中国の甘粛省蘭州市生まれで11歳で渡米したということです。中国、台湾、日本の文化や歴史にも詳しいのでしょう。「もののあわれ」では典型的な日本人観に基づいた日本人を描いています。一方、"The Man Who Ended History: A Documentary"では、第二次世界大戦中の日本人による残虐な行為を中国視点で描きつつ、日本としての「歴史的な過ちは認めるんだけれど、過去の行為を否定しきってしまうこともできない」という悩ましい内面も描いています。


また別の本も読んでみたい。

2016年4月20日水曜日

How I Met Your Mother

10日ほど前に"How I Met Your Mother"を見終わった。ネットフリックスで1~9シーズンまで。非常に面白かったです。すべての日本人が見るべき。
「ママと恋に落ちるまで」の邦題で日本でもケーブルテレビで放送されていたらしいです。今でも放送されているのかもしれません。

CBSが2005年から2014年、足かけ10年かけて放送したシットコムです。CM抜きで1話20分ぐらいで、全208エピソード。つまり4160分=約69時間半。基本的にはドラマを観ることはほとんどないのですが、日本での放送を見たことがあった嫁さんが「面白い」と言っていたので、英語の勉強になると思って見始めてハマった。

物語は主人公のテッド・モズビーが2030年時点で、ティーンネージャーの子供2人対して「自分がどうやって君たちの母親(ママ)と出会ったか」と語るという設定です。実際の物語自体は2005年から2013年5月25日の2人の出会いの場面まで。ただし登場人物たちの学生時代のエピソードや、ママと出会った後のエピソードもところどころに挟まれます。

各ストーリーの内容は、いってしまえばテッドたち仲良し男女5人組がマンハッタンを舞台に繰り広げる恋愛模様と面白エピソードということになります。ウィキペデイアで、"Known for its unique structure and eccentric humor, How I Met Your Mother has gained a cult following over the years"とされているように、各エピソードのシナリオはよく練られていて、洒落たセリフや思いがけない展開が満載です。で、ジョークは8割が下ネタ。だからと言ってはなんですが、日本人でもよく分かります。子供に説明を求められたら、返答に窮するようなものばかりですが。このほかのジョークは、男女交際あるある、学生生活あるある、酔っ払いあるある、親子あるある、社会人あるある、子育てあるある、夫婦あるある、カナダあるある、懐かしのテレビ番組あるある、スターウォーズあるあるって感じですかね。懐かしのテレビあるあるは、正直よく分からないですが、ある意味勉強になります。

最初の設定では5人のうち幼稚園の先生のリリー・オールドリンと弁護士志望のマーシャル・エリクソンが鉄板のカップル。バーニー・スティンソンはバーでナンパを繰り返す遊び人。テッドはカナダからニューヨークに来たばかりのロビン・シュバツキーに一目惚れします。ここにサブキャラクターたちが加わって、くっついたり、はなれたり、くっついたり、はなれたり、くっついたり、はなれたりして、テッドとママとの出会いまで物語が続きます。

観る側の関心は「結局、テッドと結婚するママって誰なの?」っていうところなんですが、2030年の時点のテッドは子供たちに対してロビンのことを「ロビンおばさん(Aunt Robin)」と呼んでいるので、どうも「ロビン=ママ」ではないようです。じゃぁ、誰なんだってことですよね。物語が進展していくと、やっぱり「テッドとロビンが結婚するしかしかありえなんじゃないか」と思える展開もあるし、「テッドとロビンが結ばれることはありえないな」と思えるような展開も出てきます。

こうしたシリーズ全体の構成上、私なんかは「ママと出会った瞬間に物語は終わってしまうから、テッドとママの間のドラマが十分に描かれないんじゃないか」なんて心配していたんですが、そんなことは心配しなくて良かったです。ママとの出会いのシーンへの複線はシーズン3ぐらいから少しずつ引かれ始め、シーズン6ぐらいからはあからさまに引かれ出して、シーズン9では複線を見事に回収していきます。出会いのシーンなんてね、悶絶ものですよ。この構成は最初から決められていたんでしょうか。それとも適当に引いた複線を強引に改修したんでしょうか。いずれにしても悶絶ものであることに変わりはないですが。

エンディングには賛否両論あったようですが、あれは観る側が好きなように納得すればいいんじゃないでしょうか。作品の評価を落とすものではないと思います。

私のような40代のおっさんがマンハッタンを舞台にした男女5人の恋愛ドラマをみるなんていうのは気持ちが悪いかもしれませんが、テッドたちとほぼ同世代であるだけに楽しめる部分が多かったと思います。

2016年4月7日木曜日

Crippled America: How to Make America Great Again

“Crippled America: How to Make America Great Again”という本を読んだ。共和党の大統領候補選びでトップを走っている不動産王のドナルド・トランプさんの本です。昨年11月に出た本で、一応読んでおいた方がいいのかと思って読んだ。200ページほどのボリュームで、すぐに読めます。まぁ、演説や討論会で話している内容と同じなわけですが、本なので一応のまとまりがあります。思いのほか面白かった。

本は全体で17章構成。最初のうちは1章ごとにひとつの政策課題について書いています。不法移民、外交、教育、医療保険といった感じですね。そのうち自己紹介的な内容になってきて、「俺は実はいいヤツなんだ」とか「俺こそ愛国者なんだ」みたいな話になります。

いわんとすることは、「俺は成功したビジネスマンだから、交渉の仕方を知っているし、妥協の仕方も知っている。政治家は政治献金をしてくれる企業の顔色ばかりをうかがっているけど、俺はそうじゃない。自分の考えで動くし、いつも米国全体のことを考えている。大統領にふさわしいのは俺だし、俺を批判するメディアの連中は偏向している」ということですね。

トランプさんの問題意識は一般国民と違うわけじゃないです。「貧乏人は勝手に苦労してろ!」みたいなことは言わない。共和党のエスタブリッシュメントみたいな人は「大企業寄り」みたいなイメージがありますが、そうした立場とは一線を画しているんだと思います。ただ、解決の方法は具体的じゃない。ひたすら「俺はビジネスマンだから、同じことをやらしても、政治家よりはうまくやれる」という論法を繰り返すだけです。既存の政策は全否定。どんな政策だって、「俺がやったら、もっとうまくいっていたはずだ」と言ってしまう。

こんな論法のトランプさんが支持されるのは、今のワシントンの政治が「オバマ対議会」「共和党対民主党」「共和党穏健派対ティーパーティー」なんていう対立がこじれちゃって、どこにも妥協が成立しない状況が続いてきたからだと思います。2008年にオバマが大統領に初当選したとき、オバマは「ひとつの米国」を訴えたし、国民もそれを期待した。でも実際はそうはならなかった。下院議長になったばかりのポール・ライアンが仕切った昨年12月の予算協議はようやく出てきた前向きな動きだったわけですが、米国民はちょっと待たされすぎたわけです。だから、「政治家じゃないトランプさんだったら、なんとか上手くやってくれるかも」というムードがあるのだと思います。

自分が大金持ちで成功者であることをアピールするのも、そういった期待を高めるためなんでしょう。あと、自分の子供たちが立派な大人になっていることをアピールするのも、自分が父親としても成功していることを強調しているのだと思います。実際、トランプの子供たちの悪い評判は聞きません。

ただ、こうした論法はオーナー企業のトップとしては成立するかもしれませんが、政治の世界ではどうなんでしょうという疑問もあります。トランプさんが自分の会社で決断したことは、例え妥協の産物で不満を抱く人がいたとしても、異議を挟む人はいません。株主は自分ですしね。でも大統領が現実的な妥協をすれば、あらゆる方向から異議が出てくる。そもそも大統領は独裁者じゃないから、なんでも自分の思い通りの決断ができるわけじゃないし。このあたりのことをトランプさんはどう考えているのか。自分の資金と弁舌とメディア操縦術をもってすれば、政治家たちを黙らせることが出来ると思っているんでしょうか。それともオーナー企業のトップと大統領は同じようなものだと思っているのか。

ちなみにトランプさんは高い手腕をもった大統領として、レーガンとジョンソンの名前を挙げています。ジョンソンについては、公民権法を成立させたときの交渉手腕を評価しているみたいですね。”he took on the far left and the far right and threatened them in order to get his way”なんて書いています。あと、自分は1990年代の失敗から学んでいるとしているのも印象的です。こんなトランプさんでも、辛かったんでしょうね。


そのほかの語録としては、

“I’m a practical businessman who has learned that when you believe I something, you never stop, you never quit, and if you get knocked down, you climb right back up and keep fighting until you win”

“I learned a long time ago that if you’re not afraid to be outspoken, the media will write about you or beg you to come on their show”

(移民排斥主義者だとの批判について)“The next thing you heard was that Trump said all immigrants were criminals. That wasn’t what I said at all, but it made a better story for the media

“It’s not fair to everyone else, including people who have been waiting on line for years to come into our country legally”

“Most important is ending or curtailing so-called birthright citizenship, or anchor babies”

“If fact, I would like to reform and increase immigration in some important ways…..This country is a magnet for many of the smartest, hardest-working people born in other countries, yet we make it difficult for these bright people who follow the laws to settle here ”

(現在の外交政策を批判して)“When you’re digging yourself deeper and deeper into a hole, stop digging”

“The best way not to have to use your military power is to make sure that power is visible. When people know that we will use force if necessary and that we really mean it, we’ll be treated differently. With respect”

(イラクが1991年にクウェートを侵攻した際、クウェートの富裕層は避難先のパリで贅沢な暮らしを続けていたとして)”They were watching TV in the best hotel rooms in Paris while our kids were fighting for them”

“We can’t be afraid to use our military, but sending our sons and daughters should be the very last resort”

“Unfortunately, it may require boots on the ground to fight the Islamic State. I don’t think it’s necessary to broadcast our strategy”

“The side that needs the deal the most is the one that should walk away with the least”

“I know the best negotiators in this country, and a lot of them would be ready to go to work creating a fair balance of trade”

“I don’t want people to know exactly what I’m doing ---or thinking. I like being unpredictable”

(教育問題について)“You know what makes a kid feel good? Winning. Succeeding”

“We need to get a lot tougher on trouble makers. We need to stop feeling sorry for them. They are robbing other kids of time to learn. I’m not saying we should go back to the days when teachers would get physical with students, but we need to restore rules about behavior in the classroom and hire trained security officers who can help enforce those rules”

(気候変動問題について)”We have even had ice ages. I just don’t happen to believe they are man-made”

(オバマケアについて)”And it was only approved because President Obama lied 28 times saying you could keep your doctor and your plan --- a fraud and the Republicans should have sued --- and meant it”

“To succeed in business, you have to be flexible and you have to change with the realities of the world”

“There is no question we need real health care reform. We can’t let Americans go without health care because they don’t have the right resources”

“We should hire the most knowledgeable people in the world on this subject and lock them in a room --- and not unlock the door until they’ve agreed on the steps we need to take”

“During the Recession of 1990 many of my friends went bankrupt, and never recovered. I never went bankrupt. I survived, and learned so much about how to deal with bad times”

“In the 1990s, the government changed the real estate tax laws and made those changes retroactive. It was very unfair, but I fought through it and thrived. It absolutely killed the construction industry. It put a lot of people out of business”

“We should not touch Social Security”

“I’m a nice guy. I really am”

“A great leader has to be flexible, holding his ground on the major principles but finding room for compromises that can bring people together”

“By nature, I’m a conservative person. I believe in a strong work ethic, traditional values, being frugal in many ways and aggressive in military and foreign policy. I support a tight interpretation of the Constitution, which means judges should stick to precedent and not write policy”

(火星に人類を送るミッションについて)”I think it’s wonderful. But I want to rebuild our infrastructure first on Earth…I don’t understand how we can put a man on the moon but we can’t fix the potholes on the way to O’Hare International Airport”

“There is nothing, absolutely nothing, that stimulates the economy better than construction”

“I’m not going to pretend that being rich doesn’t offer a lot of wonderful opportunities, but it doesn’t necessarily make you happy. I’ve learned that wealth and happiness are two completely different things. I know the riches people in the world. Many of them are great negotiators and great businesspeople. But they’re not necessarily nice people, nor are they the happiest people”

“It’s not fun being a landlord. You have to be tough”

“My two oldest sons claim they’re the only sons of a billionaire who know how to run a Caterpillar D10”

“Honestly, I was a bit of a troublemaker. My parents finally took me out of school and sent me upstate to the New York Military Academy”

“Stand behind your word, and make sure your word stands up”

“The way you dress and the way you act is an important way of showing respect for the people you are representing and the people you are leading with. Impressions matter”

(税制改革案について)“It also eliminate the death tax, because you earned that money and already paid taxes on it. You saved it for you family. The government already took its bite; it isn’t entitled to more of it”

“The Democrats want to make inversions illegal, but that isn’t going to work. Whatever laws they pass, with literally billions of dollars at stake, corporations will find methods to get around them. It makes a lot more sense to create an environment that welcomes business”

(1970年代に手がけたグランドハイアットの改装事業について)”During the years it took me to put this deal together, I learned a lot about working with the city and the banks, the construction industry and the unions”

(トランプタワーの建設事業について)”One of the things I’m most proud of about that building is that the person I put in charge of overseeing construction was a 33-year-old woman. I made that decision in 1983, when the fight for gender equality in business was really beginning”


政治や外交、経済の専門家からすれば笑止千万な内容なのかもしれませんが、一般庶民の目線に立てばうなずける部分も多いと思います。問題はここに書かれていることが、どれだけ本当か分からないところでしょうか。

2016年3月22日火曜日

The Maze Runner

"The Maze Runner"という小説を読んだ。アメリカには「ヤング・アダルト向け小説」というジャンルがあります。だいたい14~21歳ぐらいの世代に向けた小説らしいのです。ただ、実際に読んだことがなかったもので、ちょっと読んでみました。

舞台は四方を巨大な迷路に囲まれた"Glade"と名付けられた場所。ここに送り込まれた数十人の少年たちがGladeから脱出を試みるという話です。少年たちは最年長で16歳ぐらいで、地下につながっている坑道に設置されたエレベーターでGladeに送り込まれてきたのですが、記憶を失っているのでどうして自分がこんな場所にいるのか分からないし、どうやったら脱出できるかも分からない。坑道を通って地下に行けばいいんじゃないかと思うのですが、その坑道に身を投じると、なんか体が切り刻まれることになるそうです。ということで迷路の中を走って、出口を見つけ出そうとするわけですね。ちなみに迷路のなかには、Greiverという機械じかけのモンスターがいます。主人公はこのGladeに新たに送り込まれてきたトーマスという少年と、その翌日に送り込まれてきたテレサという少女。2人は少年たちのリーダーグループとケンカしたり協力したりしながら、迷路からの脱出に力を目指します。

まぁ、マンガみたいな話ですね。私が読んだことがある本のなかでは「バトル・ロワイヤル」とか「新世界より」とかに近い雰囲気なんだと思います。マンガだったら「進撃の巨人」ですかね。ただ、バトル・ロワイヤルとか新世界よりは、大興奮のすえに読み終わったときにときに「このストーリーを映画にしても、2時間ちょっとの枠では面白さを伝えることはできないだろうなぁ」なんて思ったものですが、このMaze Runnerの場合は「ふーん」って思いながら読んで、読み終わった後に「2時間の映画にすればちょうどいいかな」ってぐらいの感じです。実際に映画化されてますしね。言ってしまえば、設定がありきたりで、かつ雑ですよね。まぁ、14~21歳向けですから、43歳のおじさんが読んじゃいけないのかもしれません。

ヤング・アダルトについてひとつ勉強しました。

2016年2月6日土曜日

The Japanese Lover

"The Japanese Lover"という小説を読んだ。「昨年の秋ごろに有名作家の待望の新刊がでます!」みたいな感じで話題になっていて、タイトルがJapanese Loverということなので、どんな本なのだろうと思って、昨年末ごろから読み始めたものです。ラブストーリーはほとんど読んだことがないので何とも比較のしようがないですが、別に面白くもない小説でした。

カリフォルニアの高齢者施設で暮らすアルマ・ベラスコさんという女性のストーリーです。アルマさんは子供のころ、第二次世界大戦中のポーランドからユダヤ人迫害を逃れて、親戚にあたるカリフォルニアの資産家の一家であるベラスコ家で暮らすようになって、そこで出会った庭師の息子で、同じ年頃の日系2世の男性、イチメイ・フクダさんと恋に落ちる。で、まぁ、いろいろあって2人は結ばれなかったわけだけれど、それでも2人の愛は永遠に続いているのだっていう筋立てですね。典型的なラブストーリーなんでしょうか。終盤になって何人かの登場人物の以外な過去が明らかになったりもするのですが、「あぁ、そうだったのね」というぐらいの話です。「実はイチメイ・フクダはアルマの想像のなかでしか存在しない、戦争でトラウマを背負った少女が現実逃避のために生み出した架空の人物像だったのだ!」なんていう話ではありません。

で、私の個人的な関心は、こういう小説に登場する日系人っていうのがどんな風に描かれるのかということなわけですが、これが驚くほどにステレオタイプでした。

・子供のころのイチメイは細身で小柄。でも重い荷物でも軽々運べる
・目は離れ気味で、笑うとなくなってしまう
・父親から空手と柔道を教わっている。気の弱いベラスコ家の長男に手ほどきをしたところ、その長男はいじめっこを投げ飛ばすことができるようになった
・大人になってからも、身長はアルマさんより頭半分低い。でも知的で、アルマが戦争の悲しみを引きずっているときは、いつでも気を紛らわせてくれる
・イチメイの父親のタカオは英語が上手くないが、庭師としての腕は一流で、ベラスコ家の当主、アイザックの厚い信頼を得る
・タカオは日系人として強制収容されたときも「仕方がない」と受け入れた。家宝として大切にしていた日本刀をアイザックに託した
・イチメイの母親はヒデコは明るく、しっかりとした働き者。
・イチメイの姉のメグミもしっかりとした働き者。勉強して医者になろうとしている
・イチメイは手先が器用で、収容所のなかで木製のヨットを作って遊んだりした
・イチメイの兄のひとり、チャールズは日系人部隊に志願して戦死。
・もうひとりの兄、ジェームズは日系人の収容への抵抗運動を続けて、行方知れずになった
・タカオは戦後に収容所を出た後、アイザックとの共同事業として花卉栽培のビジネスを始めるが、タカオ自身は金儲けには興味がない
・イチメイはタカオの仕事を引き継ぐことになるが、やはり商売っ気はない

チャールズとジェームズは日本人のステレオタイプからは離れている気もしますが、まぁ名前がチャールズとジェームズですからね。作者が大して愛着をもっていないことは明らかです。あと、イチメイはベッドのなかでは情熱的らしいですよ。これはどうなんでしょう。ステレオタイプなんでしょうか。

ニューヨーク・タイムズの書評でも「登場人物がステレオタイプ」をされていますね。
http://www.nytimes.com/2015/12/13/books/review/the-japanese-lover-by-isabel-allende.html?_r=0

まぁ、感想としてはそのぐらいです。

あと、キンドルで本を読んでいると、下の方に「このチャプターを読み終えるのに約20分かかります」なんていう表示がでるのですが、実際に読んでみると本当に20分ぐらいで終わったりしました。読むのが早くなったのかもしれません。まぁ、そんなに難しい英語でもないし、難しい筋立てでもないですけどね。