2017年7月21日金曜日

"An American Sickness"

"An American Sickness: How Healthcare Became Big Business and How You Can Take It Back"という本を読んだ。医師として働いたこともあるニューヨーク・タイムズの元記者、Elisabeth Rosenthalが米国の医療制度が抱える問題について書いた本です。2017年4月発売。


5月にニューヨーク・タイムズの書評で米国の医療制度を理解するための本として紹介されてたので、ちょっと読んでみた。聞き慣れない医療用語の多さとか、医療制度に関する基本的な知識の欠如もあって、なかなかスムーズには読めませんでした。でも考えさせられるところが多くて、面白かった。

米国の医療制度は悪名高いです。OECDのデータによると、2015年の米国の1人あたり医療費(実質、購買力平価ベース)は8748ドルで世界1位。2位のスイス(6493ドル)に大差をつけています。日本は4036ドルですから、米国は日本の2倍以上の医療費がかかっていることになります。

OECDのページ

医療費が高いと、医療保険の保険料は高くなります。そうなると医療保険に入れなかったり、入りたくなくなったりする人が出てきます。

そういう状況に対応しようとしたのが2010年に成立したオバマケアだったわけです。でもオバマケア後も米国の医療費は上がり続けています。オバマケアが2014年に個人に保険加入を義務づけるなどしてから無保険者は1900万人減っていますが、それは保険料を連邦政府として負担したからであって、米国の医療費が世界的にみて例外的に高いという根本的な問題を解決できたわけではありません。

で、この本はどうしてこんなことになっているのかを説明しようとした本です。ただ、話が話だけに事は単純ではありません。

エピローグの言葉を引用すると、

No one player created the mess that is the $3 trillion American medical system in 2017. People in every sector of medicine are feeding trough: insurers, hospitals, doctors, manufacturers, politicians, regulators, charities, and more.

とのことです。この本は医療費や保険料の高騰の背景を象徴するいろんなエピソードを紹介しながら進みます。だからまとまりはないです。ただし、ローゼンタールさんは冒頭で、米国の医療制度がまともに機能していないことを象徴する、米国の医療がこだわる10の原則なるものを示しています。

1.常に治療せよ。最初の選択肢は最も高価な治療法。
2.一生治療を続けることは、治癒することよりも好ましい。
3.治療そのものよりも、快適さやマーケティングが大切。
4.技術革新の時代において、医療価格は上がり続ける。
5.患者は常に言いなり。常に米国の医療を購入する。
6.医療では競合があっても価格はさがらず、むしろ上がる。
7.医療機関は規模が大きくなっても価格は下げない。ただ稼ぎを増やすだけ。
8.適正価格などない。無保険者が最も高い医療費を払う。
9.請求書に基準はない。あらゆるものにお金がかかる。
10.患者が負担するギリギリまで価格は上がる。

まぁ、なんとなく分かるような内容です。

そもそも医療というのは病気の人を相手にしているわけです。で、病気の人は働けないわけですから、お金なんかもっていない。だから本来、医者なんていう仕事は儲かるハズがない。ローゼンタールさんによると、100年ほど前には、そもそも医療というのは簡素なもので、安くて、多くの場合は宗教関係者によって運営されていました。病院というのは人々が死ぬための場所でもあったのです。

一方で、19世紀後半には、企業が従業員の医療費を負担する仕組みが生まれます。従業員が働けなくなることは、会社にとって損失だからです。1890年代、ワシントン州の木材会社は従業員が医師にかかる際に1カ月あたり50セントを負担したそうで、こうした仕組みが今の米国における企業負担型の医療保険のはしりだそうです。

現在の医療保険の元祖は1920年代までにテキサス州ダラスで生まれました。教職員組合の加入者を対象に、年間6ドルを払えば、21日分の入院治療が受けられるというものです。ただし保険の支払いは、最初に1日あたり5ドルの自己負担を1週間続けた後で発動されるという仕組みでした。21日という期間は、当時の医療水準では21日もあれば患者の多くは治るか、死ぬかのどちらになるという判断で決められました。

第二次世界大戦が終わると、企業は人手不足に陥ります。そこで企業は従業員に医療保険を提供することで人を集めようとします。連邦政府もこれを後押しして、従業員の医療費は非課税とすることにしました。すると1940年から1955年にかけて、米国の保険加入者は人口の10%から60%まで急増しました。保険を提供していたのはBlueCrossのようは非営利組織で、年齢や健康状態に関わらず、すべての加入者は同じ額の保険料を払っていました。

こんな風にして医療保険への需要が高まってくると、営利目的の保険会社が医療保険に参入してきます。こうした保険会社は年齢によって保険料を変えたり、カバーの範囲を変えたりして、より安い保険料を提示するようになります。1951年までにはAetnaやCignaがシェアを伸ばし、BlueCrossのようなすべての保険加入者を平等に扱う非営利組織は不利になっていきます。そして1994年、BlueCrossは営利組織になることを容認。社会的な使命を意識する保険会社が駆逐されてしまった形になりました。

1993年、保険会社は保険料の95%を医療費に使っていましたが、現在では80%近くまで下がっています。なかには64.4%なんていう保険会社もあるそうです。オバマケアは保険会社に対して、この比率(medical loss ratio)を80~85%にするよう求めました。ただ、高齢者向け公的医療保険のメディケアのmedical loss ratioは98%ですから、オバマケアは十分甘いともいえます。

つまり保険会社は公的な使命を忘れてしまっていて、オバマケアもそれを容認してしまったということです。

医療機関にも問題があります。そもそもほとんどの医療機関は非営利組織として運営されているため、利益を上げることができません。すると医療費として集めたお金が実際にかかったコストよりも大きくなると、余ったお金を無駄遣いする構造になっています。つまり節約するという意識がない。1960年代にメディケアが登場すると、65歳以下の世代でも保険加入が進みます。すると患者の方でも自分がいくら負担するかを気にしなくなってきて、医療機関は好き勝手な医療費を請求するようになります。1967年から1983年にかけて、メディケアの支払い額は30億ドルから370億ドルまで増えました。

メディケアも対応に乗り出します。1980年代の半ばにはdiagnosis related group (DRG)という仕組みを導入し、治療の種類に応じて支払い額を固定するよう決めました。一方、民間の保険会社はDRGでは医療費が高止まりする可能性があるとして、ケアマネジャーを雇って適正な医療費の価格をはじき出して、医療機関と交渉する仕組みを採用します。

すると、医療機関はメディケアや交渉力のある保険会社が手強くなってきたと判断し、小さな保険会社や無保険の患者に高い医療費を請求するようになります。さらに医療機関は収入を増やすためにコンサルタントを雇い、戦略的な医療費設定(strategic pricing)を始めます。コンサルタントは保険会社が支払いに応じないような品目での請求を止め、酸素吸入や処方薬のような保険会社が支払いに応じることが多い品目での請求を増やし、その結果、こうした品目として請求される医療費が実際の費用からかけ離れた高額になるといった事態が生じます。大手の医療コンサルタント企業は年間342億ドルもの売上を稼いでいるんだそうです。

さらに医療機関のなかには医師に対して固定給ではなく、行った治療の収益性に応じて報酬を払うケースもあります。治療や検査の複雑さを示すレベル1~5までの分類に応じて、医師が受け取る報酬が決まっているわけです。普通にひざの関節への注射をすれば1200ドルの収入になるけれど、その際に超音波で針を刺す場所を特定すればさらに300ドルの収入になる。ひざへの注射は特段難しいわけじゃないので、超音波による検査は必要ないんだけれど、医師は報酬を増やすために超音波を使うようになるといった具合で医療費が上がっていきます。

メディケアにまわされた請求を分析したところ、緊急治療室で治療を受けた患者のうちレベル4と5の治療を受けた患者の割合は2001年には4分の1ですたが、2008年には半分にまで増えていた。一方、レベル2の請求は15%まで半減。医療機関2400カ所のうち500カ所では、患者の60%に対してレベル4と5の治療が行われていました。

つまり医療機関は保険会社やメディケアなんかの監視の目をかいくぐるようにして、患者から医療費をむしりとっているという構図です。病院の経営者の収入は2011年から2012年にかけて24.2%増えました。オバマケア成立後のことです。医師の報酬も2009年以降、増え続けています。医師以外の職業ではみられない現象だそうです。ローゼンタールさんが医療現場で働いていた1990年台、医師たちは「時給で考えたら、配管工より給料が安い」なんて文句を言っていたそうです。でも、今はNBAのレブロン・ジェームズやゴールドマン・サックスの会長が比較の対象になっているようだと、ローゼンタールさんは書いています。

メディケアの方にも間抜けなところがあります。メディケアは地域ごとに支払い額を決めているのですが、その支払い額はその地域の医療機関による過去の請求額などを基準に決められています。しかし、ある地域で特定の治療を行う医療機関が少数であれば、それらの医療機関はお互いに競争するのではなく、そろって請求額を上げていこうという動機が生まれます。その結果、2014年段階で、ニューヨークのクイーンズでの胆嚢手術のコストは2000ドルであるにも関わらず、20マイル離れたロングアイランドのナッソー郡での胆嚢手術は2万5000ドルと計上される。そんなおかしな事態が起きています。

メディケアは1980年代に医療行為の時間や管理コスト、医師育成にかかるコスト、過誤によるコストをもとにしてrelative value units(RVUs)を算出。これをもとに医療機関への支払い額を決めるアルゴリズムを作ります。こうしたアルゴリズムは常にアップデートする必要があるわけですが、メディケアはこの任務をAmerican Medical Associationに委ねてしまします。医療行為の適正価格を医療機関自身に決めさせてしまうようなものです。AMAは3年に一度、Relative Value Scale Update Committeeを開いて見直しを進めるのですが、この委員会は各医療関連団体のロビーイング競争の場になっています。

もちろん製薬会社も無茶苦茶です。最近でも、安い値段で売られている薬の販売に関わる権利を買い集めて、一気に大幅に値上げするといった悪行がニュースになります。

かつて医薬品を開発した研究者は特許をとろうとはしませんでした。ポリオワクチンの開発に力を尽くしたJonas Salkeは「誰がポリオワクチンの特許を持っているのか」と問われて、"Well, the people, I would say. There is no patent. Could you patent the sun?"と答えたそうです。実際、当時の法制度では、多くの研究者が関わったポリオワクチンは特許をとることができないと判断されていたそうです。

しかし1980年のBayh-Dole Actで政府の資金援助を受けた研究から得られた成果でも特許を取ることが認められるようになりました。今ではひとつの医薬品に対して3.5件の特許がかかっています。1984年の別の法律改正(Hatch-Waxman)ではジェネリック医薬品の導入促進のための規制緩和が実現しましたが、同時に大手製薬会社を納得させるために、一部のケースで特許期間の延長を認めました。こうしたジェネリック企業と大手製薬会社の軋轢が法廷闘争に発展すると、その間はジェネリック医薬品の導入が遅れるケースも出ることになります。米国は欧州に比べて特許の力が強く、医薬品の価格にも規制がかかっていないため、多くの製薬企業が米国に投資するようになっています。

大手製薬会社は自社の医薬品が特許切れに寸前になると、わずかに仕様や成分を変えた医薬品を開発して新たに特許を取り直すという戦略も採ります。例えばワーナーチルコットは経口避妊薬Loestrin24 Feが特許切れになる前に、「噛めるタイプ」のMinastrin24 Feを販売。Loestrin24 Feの販売を取りやめます。新薬の方は旧薬よりも3割ほど高い価格設定ですが、まだジェネリックは出ていないので、利用者は新薬に乗り換えざるを得ません。

1994年に特許を得たスプレータイプの処方薬Flonaseの場合、2006年にジェネリック版が登場。Flonaseを販売していたグラクソスミソクラインは訴訟を起こすなどして抵抗しましたが、2010年にはジェネリック版が市販薬として20ドルの価格でドラッグストアの店頭に並ぶようになりました。処方薬であるFlonaseは医療保険の対象となる分、価格は高く設定されていますから、ジェネリック版に市場を奪われることは必至です。しかしそこでグラクソスミソクラインはFlonaseを市販薬に変更し、市場に投入。すると米国法では、同じ医薬品がひとつの市場で同時に売られることを禁じているため、ジェネリック版のメーカーは在庫を売り切って工場を閉鎖するよう要求されることになりました。さらに米国では、処方薬を市販薬に変更した場合には、3年間の市場独占期間が保障されていて、新規の参入もブロックすることができます。グラクソスミソクラインはこの市販薬版のFlonaseを40ドルで売ったとのことです。

とまぁですね、こんなややこしいエピソードが山ほど書かれている本です。ややこしいので、ここまでに書いた文章にも誤解があるかもしれません。このほか患者の側のかわいそうな話も満載です。

本の後半では、医療の消費者である患者の側はどのように対応すればいいかといった話も出てくるのですが、正直、これだけ根深い問題を見せられた後ではなかなか明るい希望は抱けません。多分、政策上とか理論上ではできることはいくらでもあるのでしょう。でも、政治の状況を考えれば、なんか絶望的です。

オバマケア(Affordable Care Act)についてこんな記述があります。

The ACA did little directly, however, to control run-away spending. President Obama had initially included several ideas in the bill that would have done so ---like national negotiation for pharmaceutical prices. To get a healthcare bill passed and to win support from powerful groups like PhRMA, the AMA, the American Hospital Association, and America's Health Insurance Plans, the administration had to cave on anything that would directly limit the industry's ability to profit.

医療業界によるロビイングは共和党だけでなく、もちろん民主党にも浸透しています。ハリー・リードとかチャック・シューマーのようないかにも悪そうな人たちだけならまだしも、エリザベス・ウォレンやエイミー・クローブシャーのような、いかにも「庶民の味方」といったイメージの議員まで医療業界の世話になっているようです。そんなことになっていたら、オバマ大統領だって法律を通そうと思えば、妥協せざるをえなかったということなのかもしれません。

トランプ大統領だったら、医療業界ごとぶっとばしてくれる。そんな期待もあるかもしれません。でもトランプ大統領だって法律を通すには議会の協力を得ねばなりません。予算編成で強い影響力を持つ上院財政委員会の委員長は医薬品業界とのつながりで有名なオリン・ハッチです。他の共和党議員だって、医療業界にお世話になっているだろうことは想像に難くありません。

まぁ、病気にならないように気をつけるしかないですかね。100年前と同じですね。