2018年11月18日日曜日

先が読めない全13話

No.80

連続ドラマに感情移入できない。

というか、連続ドラマを見続けることができない。全13話だとして13時間。しかも13週間もかかるのだ。それだけの時間をかけて、語られるストーリーといえば、男と女が出会って、好き同士になって、ケンカして、またくっつく。という程度のことだろう。そして最終回では、男か女かが必ず走る。走るための状況設定を作るために、誰かが余計な嘘をついたり、妙な勘違いをしたりする。そもそも連続ドラマを見ないので、よく分からないが、最終回で誰も走らない連続ドラマってあるのだろうか。

もし私が連続ドラマの脚本を書くなら、男と女が出会って、好き同士になって、ケンカして、男が出家して中国に渡り、女はアメリカに渡って米国籍を取得し、男は少林寺で武術の腕を磨き、女はアジア系女性として上院議員の座を射止め、男は武者修行のためにロシアに向かい、女も外交団の一員としてロシアに向かう。そんな二人が最終回でモスクワの赤の広場の東の端と西の端でお互いのことに気付かないままピロシキを食べ、男は「お茶漬け食べたい」
女は「あ。洗濯物取り込むの忘れた」とつぶやく。そんなストーリーにしたい。

全く先が読めない全13話。月曜9時のフジテレビで。


2005/10/25

電動ひげ剃り

No.79

電動ひげ剃りを使いこなせない。

買ったときの広告では、どんなひげでも一発できれいに剃れるという触れ込みだった。それなのに、私のあごの周りは剃り残しばかりだ。例えひげを剃った直後でも、あごをなでまわせばすぐにひげが見つかる。左手の中指と親指でつまんでピッと引っ張れば、面白いようにひげが抜ける。私が買った電動ひげ剃りは、使用者にひげ抜きの楽しみを提供するために開発されたのではと思えるほどだ。

そんなことを考えている間にも、家電メーカーは次々と新製品を開発する。電動ひげ剃りのCMでは、まるでこれまでの製品が全く役立たずであったかのように位置づけ、新製品に備えられた新機能の素晴らしさをアピールするのが常だ。そういうCMを見ると、「新しいひげ剃りなら、剃り残しがなくなるかもしれない」などという期待を抱きそうになるが、おそらく、そうした期待は甘いと言わざるをえないだろう。新製品を買っても、その半年後には「今までになかった剃り味」の新製品が発売されていることは間違いないからだ。

また、「自分が買った当時のCMに騙されたのでは」と考えるのも不毛だ。そんなことを言ったって、自分の持っている電動ひげ剃りを新製品に交換してもらえるわけではないからだ。そんな要望に応えるぐらいなら、家電メーカーは電動ひげ剃りの新製品を永遠に出すことはないと断言できる。

「自分は誰にも騙されていない」と自信を持ったうえで、今持っているひげ剃りを使いこなせない自分を責めることにしたい。


2005/10/24

理系顔

No.78

「理系顔」という表現があるが、あれは「眼鏡をかけている」というだけではないか。

同じように「文系顔」というのは、「丸顔」というのとほぼ同じ意味だと思う。「体育会系」というのは、体格ががっしりしているということと同じ意味で、「アキバ系」というのは、極端に太っているか、やせている人のことだ。

さらに考察を進めると、体格ががっしりしている人は丸顔だろうが、眼鏡をかけていようが、「体育会系」に分類される。極端に太っているか、やせている人も、丸顔だろうが、眼鏡をかけていようが、「アキバ系」に分類される。普通の体格の人は「文系顔」「理系顔」の分類対象となる。丸顔の人は眼鏡をかけていようがいまいが、「文系顔」。細面の人は眼鏡をかけていれば、間違いなく「理系顔」だ。

さて、「細面で眼鏡をかけていない人」はどう分類すればいいのだろう。意外と難しい課題のような気がする。


2005/10/21

軟らかいご飯

No.77

別の店でもカレーでショックを受けたことがある。

職場の近くに、喫茶店風のカレーの美味しい店があるのだが、そこのカレーを久しぶりに食べたら、ご飯が妙に軟らかく炊き上がっていた。ベトベトしているのだ。

「こんなはずじゃなかった」という困惑。「もうあのカレーは食べられないのか」という悲しみ。「ご飯を炊くときの水加減ぐらいしっかりやれよ」という情けなさ。「金返せ」という怒り。胸の奥から次々と湧き上がってくる、何ともいえない感情の数々に、自らのカレーに対する愛情の深さに気づかされたものだ。たかがカレーと言ってはならない。モノの価値というものは、失われた時に初めて気づくものなのだ。

あと、ウエイトレスの女性が代わっていたこともショック。なんというかこう、リアルな感じの、いい感じの可愛さだったのに。


2005/10/20

疑惑

No.76

密かに疑っているのだが、最近ココイチのカレーのルーが少ないのではないだろうか。

なんだかんだでココイチは10年ぐらい食べている。週に1回ぐらいのペースは保っているだろう。メニューも決まっている。昔は牛しゃぶ、きのこ、やさいのミックス、400グラムで辛さ普通。今は、ソーセージとやさいのミックス、400グラムで辛さ普通だ。ほぼ例外なくこのメニューだ。

これだけ食べ続けいたココイチのルーが最近、少なく感じる。400グラムを食べきるまでに、ルーを混ぜるペース配分を考えないとライスが余ってしまいそうなのだ。ついこの前まではこんなことはなかったのだ。ペース配分を考えながら食べるココイチはおいしさも3割減で、心から楽しむことができない。瑣末なことと思われるかもしれないが、私にとっては深刻な問題だ。

ココイチは経費削減のためにルーを減らしているのだろうか。それとも私が通っている店だけがそのような方針をとっているのか。もしかして私だけが店員さんに嫌われているのだろうか。

次回食べるときは、これまで通りの量だと思えることを切に願う。


2005/10/19

運転手さん

No.75

タクシーを降りるとき、運転手さんに「ありがとうございました」と言った。後になって思うのだが、なんで私が礼を言わねばならないのだろう。

金も払っているし、タクシーは儲けているわけだし、客商売なのだから本来は、タクシー側が「ありがとうございました」と言うべきところだろう。大体、この運転手さんは「この辺りの道はよく知らないんですよねぇ」とか「あ、ここは右折できないんですね。Uターンします」とか、決して能力が高かったわけではない。それなのにどうして、「ありがとうございます」なんて言ってしまったのか。別にお礼の一言を惜しむわけではないが、釈然としない。

あと、なんでこの文章でも「運転手さん」なんて「さん付け」にしているのか。

必要以上に運転手さんに卑屈になる自分。自分の中の新たなコンプレックスに気づいた。


2005/10/18

イェイイェイナイッ

No.74

昔は意味が分からなかった歌詞の意味が突然分かったりする。この間、分かったのは、昔は「イェイイェイナイッ」と思っていた歌詞だ。

ポンキッキで放送されていた、北極に住んでいるマッコウクジラが南の海を目指すという内容で、「可愛いイルカと踊るぜ イェイイェイナイッ」だとずっと思っていた。25年ぐらいは思い込んでいたのではないだろうか。で、ついこの間、ふとこの歌を思い出して歌ってみたところ、どうも「Day and Night」らしい。「可愛いイルカと踊るぜ Day and Night」。意味もぴったりだ。間違いない。

少なくとも25年前よりは英語力が増していると解釈して、自信を持ちたい。


2005/10/17

コインロッカーの前に

No.73

駅にあるコインロッカーの前に革靴が一組落ちていた。

スーツ姿のサラリーマンが履くような、なんの変哲もない黒の革靴。コインロッカーの方向につまさきを向けるようなかたちで転がっていた。きっちりと揃えられているわけではなく、「脱ぎ捨てられた」という感じだ。

何があったのか知らないが、この靴の持ち主が相当あわてていたことは確かだろう。スーツ姿で駅に着いたはいいが、突然何かが起こったか、思い出したかして、靴を脱ぎ、駅から去っていったということになる。コインロッカーの前ということを重視すれば、なんらかの都合でコインロッカーの中に入らなければならない事情が発生して、とりあえず靴を脱いでコインロッカーの中に身を潜めたのかもしれない。それなら、靴のつま先がコインロッカーの方向を向いていることの説明もつく。問題はそのサラリーマンに何が起こったかだが、私の頭ではさっぱり分からない。

当分の間、駅のコインロッカーを見るたびに、革靴を思い出すことになりそうだ。


2005/10/14

食い逃げ

No.72

食い逃げって簡単にできるのではないだろうか。

外食してレジでお金を払おうとして、誰もいないというケースは結構多い。ファミレスなんかでは、チャイムが置いてあったりもするが、そんなもの、鳴らさずに勝手に帰ってしまうことは十分可能だ。

例え顔を覚えられていたとしても、一度、食い逃げをした店には二度と行かなければいいだけだし、旅先とか、普段の生活範囲から遠く離れた場所であれば、何の支障もない。堂々と店に入って、堂々と注文して、堂々と食事をして、
タイミングを見計らって静かに帰る。それだけのことではないか。実はみんな結構やっているのではないか。きっとそうに違いない。

世の中の人々は、食い逃げをしないでいる私をもっと褒めるべきだ。


2005/10/13

第二の思春期

No.71

官能小説というジャンルがある。

「美人姉妹なんとかかんとか」とか、「女教師ほにゃららほにゃら」とかいったタイトルのやつだ。時代小説みたいなのもある。他のベストセラー小説の文庫本と一緒に「新作コーナー」に積まれていたりするし、結構数も多い。オフィス街にある本屋であるにも関わらずだ。店先を見る限りでは、官能小説に対する需要は相当あるのだと思う。

ただ、買っている人はおろか、立ち読みしている人すらみたことがない。私自身も買ったことがないし、週刊誌で連載されている官能小説的な読み物も読んだことがない。アダルトビデオを借りたり、ヌードグラビアを見るのは平気だが、官能小説を手にすることはためらわれる。

大体、官能小説とはいえ文庫本一冊の量があるのだから、読むのにはそれなりに時間がかかるだろう。スケベな気分になるのに、それだけの時間をかけることに何か理由でもあるのか。何か新しい世界でも見えてくるのか。

600円程度の本に翻弄される心。第二の思春期なのだろうか。


2005/10/12