2010年9月30日木曜日

叶姉妹

叶姉妹ってすごくないか。

もうかれこれ10年ぐらいはテレビでみかける。最初から「イロモノ」「一発屋」の雰囲気がプンプンしていただけに、意外感が強い。何をやっている人たちなのか未だによく分からないけれど、とにかく視聴者は叶姉妹を欲しているのだ。なかなかすごいことだと思う。

しかも、このままいけば、将来的にも芸能界で生き残っていけそうな気がする。何せ、誰も競合相手がいないのだ。あと今後、年を重ねていくにつれて、叶姉妹の武器である「いかがわしさ」は増していくような気がする。行き着く先は美輪明宏だ。姉妹そろって他人の前世について、ごちゃごちゃと言い出す日も近いのではないか。

お二人には是非とも長生きしてもらいたいと思う。

2010年9月29日水曜日

ディズニーチャンネル

ディズニーチャンネルがいいのではないか。

帰国してから英語の勉強を続けるためにケーブルテレビに加入している。当初はCNNとかを見ようと思っていたのだが、結局は「知っているニュースは分かるけれど、知らないニュースは分からない」といった事態になりがちだ。そこで「ディズニーチャンネル」でやっているアニメやドラマを見るのがいいんじゃないか。番組は子供向けなので難しい専門的な知識は必要ないし、分かるところは分かる。そのうえストーリーも複雑じゃないから、分からないところは想像力で補える。所詮は子供向けなのだ。さらに子供向け番組は見ているだけで楽しい。なので飽きにくい。

ということで最近、週末に長男(小1)と一緒に英語でドラマをみたりしている。長男が理解できなかった部分を説明してやったりすると、父親としての威厳を保つことができるというメリットもあるから、自分の英語の勉強と合わせて一石二鳥だ。しかも長男は慈悲深い性格なので、私が笑いどころで沈黙していると、「きっと父ちゃんは分かっていないんだろうな」と察して話しかけてこない。これが嫁(英語ができる)と一緒だと、頼みもしないのに説明されてしまって劣等感にさいなまれること確実だ。

大学院レベルの英語に接するのもいいけれど、小学生レベルの英語から始めることも大切な気がする。

2010年9月27日月曜日

親心

子供にゲーム機を買い与える親の気持ちが分かった。

子供がひとりでゲームで遊んでくれると楽なのだ。うちの長男(小1)は週末ともなるとヒマをもてあまし、「なんか楽しいことを考えろ」とやかましい。なんとか午前中にイベントを作ってやっても、「午後からは何をするのだ」とくる。そんなわけで、子供にDSでも買ってやればひとりで時間を潰してくれるから、楽だろうなと妄想する。

「子供を本好きにしたい」と思う気持ちも根っこでは同じだと思う。子供が本を読んでくれると親は楽なのだ。いや、「本は想像力をかきたてるから、ゲームなんかよりもずっと素晴らしい」とかいう人もいるかもしれないけれど、そんなこと言い出したらゲームだって十分に想像力をかきたててくれる。「ゲームは目が悪くなるから」なんていうかもしれないが、本だって読みすぎれば目が悪くなる。それだったら子供に本を買い与えるつもりでゲームを買い与えてもいいんじゃないか。ちょっビックカメラを覗いてみたら、任天堂のWiiは2万円ぐらいで売っていた。安いじゃん。2万円で休日の自由が買えるのなら安いじゃないか。

今のゲーム業界を支えているのは、楽をしたいという親心なんだと思う。

2010年9月21日火曜日

恐ろしい話

カネに汚い。

母親が入院中の家族の面倒をみるために家を空けている間、おばあちゃんが孫の面倒をみていた。そんなある日、孫が突然、「おばあちゃん、僕、今日は幼稚園に行かない」と言い出した。なんでも、幼稚園に持って行くはずの道具が見つからないからだという。おばあちゃんはなんとか孫を説得して幼稚園に行かせようとするのだが、孫はさも当たり前のことのように「行かない」と繰り返すばかり。困り果てたおばあちゃんは「ねぇ、1000円あげるから幼稚園行って」ともちかける。孫はすぐに答えた。「うん、僕、幼稚園行くよ」。

恐ろしい話である。何が恐ろしいって、この孫というのが30数年前の私のことらしいのだ。同じような事情で我が家に来てくれている自分の母親から聞いたんだから間違いない。そう言えば、我が家には昔の家族の会話を録音したテープというのがあって、その中に「僕、おばあちゃん、好き。おこづかいくれるから」と言っている私の声が入っていたのを覚えている。「おはよう!こどもショーが好き」とか言っていたから、放送時期から考えて最高でも7歳。なんともいやはや。一言でいうと、「下品」だ。

今のところ長男(小1)からは、ここまで下品な発言は聞かれない。良い子に育ってくれていると思う。

2010年9月17日金曜日

拡散の法則

美人は拡散していくのだろうか。

職場の最寄り駅周辺はちょっとした飲み屋街だ。だから夜中に歩いていると、「マッサージいかがですか」と声をかけられる。おそらくは中国とか東南アジアの女性だと思うが、まぁなかなかの妙齢であることもあって無視してやり過ごしている。でも今後もこのままの状態が続くとは限らないのではないか。伝え聞くところによると、最近のアダルトビデオにはものすごく若くて可愛い女の子が出ているという。この「美人拡散の法則」に従うならば、10年後、20年後になって、職場近くの路上でものすごく若くて可愛い女の子から「マッサージいかがですか」と声をかけられないとも限らない。

いや、もしかしたら美人の拡散はもう路上にも到達しているのかもしれない。私の職場近くの飲み屋街はおじさんのたまり場だけど、もうちょっと若者が集まる街に行けばすでに美人拡散の最先端が到達している可能性もある。あと、なんかインターネット上ではいろいろとけしからん話もあるというではないか。そういうけしからん話が私の職場近くの飲み屋街にまで到達する可能性だってあるんじゃないだろうか。

世の中には危険がいっぱいだ。気を強くもって生きていこうと思う。

2010年9月15日水曜日

ここは日本

仕事で外国の団体が主催するシンポジウムに出かけた。

外国の団体のイベントだから聴衆も外国人が多いかと思っていたら、日本人の方が多かった。最初に日本人の偉い人がスピーチしたのだけれど、あいさつだけ英語であとは日本語だった。パネルディスカッションの司会は外国人だったけど、パネリストは日本人。司会は英語で質問して、パネリストは日本語で答えていた。聴衆の外国人が同時通訳のイヤホンをつけていた。

日本に住んでいて良かったと思う。

2010年9月14日火曜日

栄養のバランス

吉野家でいいんじゃないだろうか。

健康のためには栄養のバランスがとれた食事が重要だ。炭水化物とタンパク質とビタミンとなんやかやを食べることが大切なのだそうだ。だったら、吉野家に行って、牛丼並とタマゴとサラダを頼めば問題ないんじゃないか。吉野家といえば早い安い美味い遅くまでやっているの4拍子がそろっている。そのうえ注文の仕方によっては栄養のバランスまで加わってしまうのだ。最高じゃないか。

毎日吉野家を食べたら飽きるだろうか。いや、意外に飽きないんじゃないか。マクドナルドだったら3日が限界かもしれないけれど、吉野家ならいける気がする。どうしても吉野家に飽きてしまうんだったら、「すき家も吉野家に含める」というルールにしたらいい。すき家はメニューの種類が豊富だし、早くて安くて美味いことには変わりがないわけだから、毎日吉野家を食べているということにしてもいいはずだ。

実は特にそんなことにチャレンジする必要性を感じていないのだけれど、何かきっかけがあったらやってみたいと思う。

2010年9月13日月曜日

天使たち

顔で選んでるんじゃないだろうか。

訳あって次男(11カ月)が入院している。で、そのお見舞いというか付き添いをしている嫁さんのサポートのために病院に行ったりしているのだが、そこで見かける看護婦さんがそろって可愛いのだ。みんな若くて、赤ちゃん相手にニコニコしていることが多いというのもあるのだろうけど、それにしたって粒ぞろいだ。なんだったら私が入院したい。

これはもしかして顔採用なんじゃないだろうか。もちろん看護師の資格はもっているのだろうけど、病院の経営者が「美人が多い方が病院が華やぐ」と考えたっておかしくはない。それに、看護婦さんは若手医師の結婚相手になるかもしれない。粒ぞろいの美人看護婦をそろえることで、優秀な若手医師を集めることだって可能になるのかもしれない。

次男が退院するまでには、なんとか記念写真の1枚でも撮ってみたいと思う。

2010年9月7日火曜日

ミニスカート開放

ミニスカートって涼しいんじゃないか。

今までミニスカートを見ると、脚をみせつけようとしているのかとか、大した美脚でもないくせにミニスカートをはいているんじゃないとか、思っていた。「ミニスカート=脚をみせるためのもの」という固定観念に捕らわれていたのだ。でもあれは実際は、暑いからはいているという可能性もある。「ミニスカート=涼むための服」という発想だ。

確かにミニスカートというのはかなり涼しい衣服だと思う。ヒラヒラしたようなタイプのやつだと、事実上、パンツ一丁で歩いているのと同じような感覚なのではないか。そりゃぁ、快適だろう。男でも、夏場にサンダルをはきだすと、馬鹿馬鹿しくってスニーカーなんて履いていられなくなる。女性もきっとそうなのだ。脚に自信があるとか、脚を見せつけたいとかいう動機とは関係なく、純粋に「暑いから」という理由でミニスカートを選んでいるのだ。

そう思うと俄然、女性がうらやましくなってくる。男性にもミニスカートを開放すべきだと思う。

2010年9月6日月曜日

河野さん

河野さんは河野さんのことをどう思っているのだろうか。

普通、河野さんは「こうの」さんと呼ばれると思う。「かわの」さんと呼ばれるのは川野さんだ。だから、河野さんは「俺の名前は『こうの』に決まっている。『かわの』のはずがない」と思っているような気がする。ただ実際には、世の中には「河野」と書いて「かわの」と呼ばせる人もいるのだ。そんな河野(かわの)さんたちは、「すみません、紛らわしいんですけど、『かわの』なんです」と肩身の狭い思いをしているのではないか。

ただ、私は、河野(かわの)さんは恐縮する必要はないと思うのだ。変則的な呼び方をしているのはむしろ河野(こうの)さんの方だろう。そのことに気づいている一部の河野(かわの)さんは、河野(こうの)さんのことを苦々しく思っているはずだ。「ちょっと有名な政治家がいるからって、本流ヅラしてるんじゃねーよ」とか考えたりはしていないだろうか。

河野さんと河野さんの確執についてはもっと語られてもいい。全国の河野(かわの)さんよ、胸を張れと訴えたい。

2010年9月3日金曜日

お年寄り

お年寄り相手に商売をすればいいんじゃないか。

日本は少子高齢化だから市場が縮小していくらしい。あと、お金を持っているのは高齢者ばかりで、あまりお金を使いたがらないものだから、あまり景気が良くないらしい。でもそれだったら、お年寄り相手に商売をすればいいのだ。高齢者人口はこれから増加する一方で、しかもお金をたくさん持っているのだから、ものすごく景気がいい話じゃないか。

お話聞き屋さんなんてどうだろう。一人暮らしのお年寄りのところを訪ねていって、お話を聞いてあげるのだ。「ピンポーン。お話聞き屋ですけど、聞いてもらいたい話はないですか?」なんて飛び込み営業してもいい。1時間1500円ぐらい。そのうちお得意さんもついてくるだろう。1日に5軒回って、7500円の稼ぎ。月に20日働いて15万円。うーん。もうちょっと欲しいな。

じゃぁ、お買い物サービスもつけちゃおう。訪問したときに買ってきて欲しいものを聞いておいて、次回の訪問時に持ってきてあげる。これで手数料500円とか貰っちゃう。一人暮らしのお年寄りはお金持ちだから、500円ぐらい払ってくれるんじゃないか。これで1訪問あたり2000円だから、1日5軒の月20日で20万円。だめか。やっぱりもうちょっと欲しいな。

じゃぁ、あれだな。オプションでマッサージのサービスもつけちゃおう。お年寄りは腰が痛かったりするだろうから、そうした疲れをもみほぐしてあげるのだ。マッサージは10分1000円が相場だとどこかで読んだことがある。一気に1訪問あたり6000円アップだ。でも、すべてのお客さんがマッサージをしてもらっているわけじゃない。マッサージを注文する客は1日に1軒ぐらいかもしれない。そしたら、1日1万5000円の月20日で30万円。むー、もうちょっと欲しいなぁ。

仕方ない。チラシも配っちゃおう。同じように高齢者向けのビジネスを考えている会社の広告を配って、その会社から手数料を取るのだ。向こうだって顧客基盤を拡大できるのだから、WIN-WINだ。ほれ、住宅のリフォームとか白アリ駆除とか、そういうのだったら単価も大きいから沢山稼げるんじゃないか。こっちは話し相手になってるんだから、お年寄りがどのぐらいお金を持っているかは見当がつく。どうせ使い道のないお金なんだから、気前よく使えるようにアドバイスしてあげたっていいじゃないか。うん、それがいい。そうしよう。

なんか犯罪のにおいがしてきたので、このあたりで妄想は止めておこうと思う。

2010年9月2日木曜日

卒業証書

卒業証書が届いています。

先週末ぐらいだったでしょうか、学校から卒業証書が届いていました。


Kumosuke has honorably completed the studies and duties prescribed by the Faculty; therefore, the Trustees of the University by the authority vested in them have conferred the degree of

MASTER OF PUBLIC ADMINISTRATION

upon the candidate together with all the rights, privileges, honors, and marks of distinction which everywhere pertain thereto.

なんだそうです。

いやまぁ、よかったよかった。おめでたい。


1年間、勉強したことを忘れないように額に入れて飾っておきたいものです。意義深い1年間だったのですが、忘れてしまっては意味がないので。

2010年9月1日水曜日

17年遅い


"What I Wish I Knew When I Was 20"を読んだ。

本屋にたまたま置いてあったので。英語は簡単でまぁ普通にスラスラ読めた。タイトルが示すようにティーンネージャー向けに書かれたものかもしれない。

著者はスタンフォードの先生です。そこでの講義の内容やら自分自身の経験を紹介しながら、「何事にもチャレンジしろ」とか「運をつかみとるには日頃の努力が重要だ」とか「交渉ごとのときは相手のことも考えろ」とかいった、成功のためのコツを書き連ねていくというものです。「分かっちゃいるけど、実行できない」っていう話ばかりですね。

ところで、どのぐらいの人が「成功したい」とか「成長したい」って思っているんでしょうね。私の場合は、「楽して大過なく過ごしたい」って感じですけど。「アップル創業者のスティーブ・ジョブズを手本にせよ」みたいなことを言われても、「いやいや、そんな大それたことは考えていません」と答えるしかない。英語の勉強という理由がなければ、こんな本は手に取らないでしょうし。

まぁ、そんな本です。

ちなみに東京駅前の丸善では、英語版が2千数百円しました。日本語版は1400円ぐらい。

3人理論

3人いれば十分なんじゃないだろうか。

もしも私が死んだとして、誰かが私の人生を振り返る文章を書くとする。その時、大体3人ぐらいが「あの人は立派だった」とコメントしてくれたら、私の人生はなかなか立派だったように見せることができるのではないか。父親と母親とおばあちゃんとかだったらあんまりだけど、家族と友人たちと職場の同僚たちから1人ずつぐらいだったら問題ないと思う。

ということは、死んだ後で立派な人だったと思われるためには、まず自分の周りにいる3人に対して親切にすることから始めるべきだと思う。生きているうちに親切にしておけば、きっと私が死んだときに褒めてくれるだろう。どうしてもそれが難しいのなら、誰かと「どちらかが先に死んだときは、必ず相手を褒めることにしよう」と約束してもいい。嘘だって何だっていい。要はコメントしてくれることが大事なのだ。

私が死ぬときは必ず3人の名前を書き記しておくので、私の人となりを知りたいひとはその人たちに連絡を取るようにしてもらいたい。