2015年10月14日水曜日

"The Residence: Inside the Private World of the White House"

“The Residence: Inside the Private World of the White House”を読んだ。ブルームバークの記者のKate Anderson Browerさんがホワイトハウスで働くスタッフや大統領夫人や子供ら100人以上にインタビューして書いた、ホワイトハウスの内幕ものです。政治や外交の中心であるホワイトハウスの中で、大統領やその家族、スタッフたちがどんな私生活を送っているのかが描写されています。面白くて読みやすい。ただ、内容にまとまりはなくて、エピソードが羅列されているだけの感が強いです。

印象としては、

(気むずかしい人)
ジャクリーン・ケネディ、リンドン・ジョンソン、リチャード・ニクソン、ナンシー・レーガン、ヒラリー・クリントン

(優しい人)
ジェラルド・フォード、ジミー・カーター夫妻、ロナルド・レーガン、ジョージ・H・W・ブッシュ夫妻

(エロい人)
ジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン、ビル・クリントン

(よく分からない人)
バラク・オバマ夫妻

という感じ。ファースト・レディーはおおむね難しい人で、共和党の大統領はおおむね優しくて、民主党の大統領はおおむねエロいという感じでしょうか。そんななか、H.W.ブッシュ夫妻の評価が高い気がします。あと、ホワイトハウスと黒人スタッフの歴史も興味深かったです。


以下、面白エピソードを列記してみます。

・オバマ大統領が2009年に就任式を終えて初めてホワイトハウスに入った夜。大統領家族の生活スペースである2階に上がったスタッフは、オバマが”I got this, I got this. I got the inside on this now”と叫んでいるのを聞いた。その後、Mary J. Bligeの”Real Love”が流れて、オバマはワイシャツ姿で、ミシェルはTシャツにスウェットパンツといういでたちでダンスを始めた。

・オバマの家族は初めのうちは多くのスタッフに囲まれるホワイトハウスの生活になじめなかった。シカゴ時代は家政婦を1人雇っていたけど、ナニーは雇わず、マリアとサーシャはミシェルの母親のマリアンと過ごしていた。なのでオバマの家族はホワイトハウスでもプライバシーを求めた。マリアンもホワイトハウスの3階に住むことになった。ミシェルはマリアには自分の洗濯物は自分でするように教えた。マリアンも自分の洗濯は自分でやった。

・就任式の朝、大統領は退任する大統領と自らの安全保障スタッフからブリーフィングを受ける。このブリーフィングの最後に、核攻撃開始のために必要なコードについて知らされる。実際に大統領が就任式で宣誓すると、コードを運ぶブリーフケース「フットボール」は常に大統領の身の回りにおかれ、大統領は攻撃開始に必要なカードを渡される。

・裕福な家庭で召し使いに囲まれて育ったジャクリーン・ケネディは完璧主義者でホワイトハウスの日々の運営に口出しした。夜のうちにやらねばならないことを書き出したメモを作り、仕事を終えるとメモにチェックマークをつけていった。いつも持ち運んでいるノートには、チーフ・アッシャー(総支配人的な役職)への支持が書き連ねられていた。

・アイゼンハワー大統領は毎晩10時に就寝する規則正しい生活を送った。でもケネディ一家は就任式の夜、午前2時にセレモニーの会場から友人たちを連れてホワイトハウスに戻って、2階でパーティを始めた。最後のゲストが帰ったのは午前3時15分。その後、ケネディはドアマンにコーラを部屋まで持ってくることと、夜風を部屋に入れるために窓を開けることを頼んだ。ジャクリーンはドアマンに食前酒を持ってくるように頼んだ。ドアマンは午前4時まで帰れなかった。

・ホワイトハウスの家具はメリーランド州リバーデールの完全空調が施された倉庫に保管されている。新しくホワイトハウスに入る大統領の家族は、ここで自分の好きな家具を選んでホワイトハウスに持ち込む。

・H.W.ブッシュはホワイトハウスをクリントン家に引き継ぐとき、ブッシュ家の飼い犬”Millie”をなでているチェルシーに対して”Welcome to your new house”と声をかけた。ブッシュは伝統に従って、オーバルオフィスのデスクにクリントンへのアドバイスを書いたメモを残した。クリントンが8年後にW.ブッシュにホワイトハウスを引き継ぐとき、自身のメモと一緒に、H.W.ブッシュのメモもデスクに残した。内容は公表されていない。

・クリントン一家はホワイトハウスのリフォームに40万ドルかけた。すべて個人としての寄付でまかなった。でもホワイトハウスの外部からは顰蹙の声もあがった。プライベートを重視するクリントン一家は、ホワイトハウスから電話をかけるのにオペレーターを通さなければならないことを不満に思って、ホワイトハウスの電話システムを完全に入れ替えた。

・ジョンソン大統領の娘のルーシーは、両親がディナーで不在の間に友達をホワイトハウスでのスリープオーバーに招待した。その夜、自分の部屋にある暖炉に火をつけてみたが、暖炉の使い方を知らなかったので、部屋の中に煙が充満。グラスやゴミ箱で水をかけて火を消そうとしたけれどうまくいかず、結局は机にのぼって窓を開けて煙を部屋から出した。結局、ホワイトハウスの警察官が部屋に駆けつける事態になった。

・フォーマルなスタイルの生活を好んだニクソンが辞任した後にホワイトハウスに入ったフォード一家はリラックスしたスタイルだった。フォードの4人の子供たちはジーンズ姿で暮らした。娘のスーザンは両親が不在の際、ホワイトハウスのフロアでローラースケートで遊んでいた。

・ホワイトハウスの食費などは大統領家族がプライベートで負担する。なので大統領家族は大抵の場合、スタッフに対してなるべく節約するように依頼する。例外はH.W.ブッシュのファーストレディーのバーバラ・ブッシュ。バーバラ曰く、食費やクリーニング代は個人として負担せねばならないけれど、電気代や空調、生花、執事、配管工などは負担しなくていいので、「ホワイトハウスに住むことはとてもお得。何の責任も負わなくていいのなら、また戻って暮らしたいぐらいだわ」

・ヒラリーが雇ったシェフのWalter Scheibはローラ・ブッシュに解雇された。Scheibはヒラリーが好んだ高級な米国料理を作ってきたが、ブッシュは正反対の好みだった。ヒラリーが”layered late-summer vegetables with lemongrass and red curry”のような料理が好きだとすれば、ブッシュはTex-Mex ChexとかBLTが好きだった。ちなみに、ビル・クリントン自身は遊説などでヒラリーの目が届かないときには、アンヘルシーな料理でも満足していた。

・H.W.ブッシュは副大統領、大統領を10年以上務めたので、退任したころは世間ずれしていた。バーバラ・ブッシュの回想録によると、当時、ピザの宅配を注文できることを知って大いに驚いたという。

・H.W.ブッシュはホワイトハウスのスタッフから心から好かれていた。ブッシュ家は何にでも喜んでくれたし、スタッフもリラックスできた。ある日、バーバラはChief Usherに対して、「ホワイトハウスで美味しくないものを食べたことがない。だからシェフには毎晩好きなものを作るように言って。私たちは毎晩、料理を楽しめると思うわ」と話した。Chief Usherが「でも、好きなものじゃなかったらどうしますか?」と尋ねると、バーバラは「そのときは次は出さないでってお願いします」と答えた。

・ホワイトハウスで使われる食材はStoreroom Managerが一般人として普通の食材店に買いに行く。その店は誰にも教えられていない。食材に毒物が混入されるなどのトラブルを避けるため。

・クリントン夫妻はホワイトハウス内で激しく口論しているところを何度か目撃されている。その後、ずっと口を聞かないこともあった。ただ、仲が良いときは、夜遅くまでおしゃべりを楽しむ睦まじさもみせた。

・カーターの3人の息子たちはホワイトハウスで大麻を吸っていたらしい。外で大麻を吸っているのが見つかれば逮捕されるが、ホワイトハウス内なら安心だったのだろう。

・ホワイトハウスでは仕事よりもプライベートを優先させるスタッフは解雇される。ファーストファミリーは理由を説明することなくスタッフを解雇する権限があるとされる。

・クリントン家は在任中、State Dinnerを29回開いたので、厨房のスタッフにとっては大変な負担だった。ミレニアル・ニューイヤーのイベントだけでも、1500人が招待され、Executive Pastry ChefのRoland Mesnierは翌朝7時まで帰宅できなかった。W.ブッシュのState Dinnerは6回だけ。

・ナンシー・レーガンも要求が高かった。オランダの女王を招いたState Dinnerの準備をしている際、ナンシーはMesnierが提案したデザートのオプションを3度却下して、最終的に自分でデザートのアイデアを提案。非常に手の込んだ時間のかかるデザートだったので、Mesnierが「とても素晴らしいのですが、ディナーまでtwo daysしかありません」と意見を述べると、ナンシーは”You have two days and two nights before the dinner”と応じた。

・1987年12月8日、ソ連のゴルバチョフ書記長がフルシショフ以来のワシントン訪問を行ったとき、ナンシーはホワイトハウス内の生花を、朝の到着時とランチ時とディナー時で、すべて取り替えさせた。

・Mesnierはゴルバチョフのディナーの際、ソ連ロシアでは「キャビアと同じぐらい高価」とされるラズベリーをふんだんにつかったデザートを出した。ゴルバチョフが帰ったあと、ソ連からホワイトハウスの厨房に届けられた小包には7ポンドもの最高級キャビアが入っていた。

・H.W.ブッシュは気さくな人柄で、馬蹄投げをしているときスタッフに虫除けスプレーを持ってくるように頼んだ。ところがスタッフが誤って業務用の強力な殺虫剤を使ってしまい、大統領の顔が赤くなり、シャワーで殺虫剤を洗い流さなければならない事態になった。スタッフは真っ青になったが、大統領は「大丈夫、大丈夫。馬蹄投げを続けよう!」と問題視せず、誰も解雇しなかった。

・あるホワイトハウスのスタッフは父親が亡くなった際、キャンプデービッドにいたH.W.ブッシュから直接お悔やみの電話を受けた。それだけでも信じられないほどなのに、H.W.ブッシュの後にはバーバラも電話口に出て、お悔やみの言葉をかけた。

・ジョンソン大統領は荒々しい性格で何事にも満足しなかった。いつでも”Move it, Damn it, move your ass,”と叫んでいた。

・高校教師だったこともあるジョンソンは、ホワイトハウスのスタッフ1人1人にグレードをつけていた。突然、電気工事技師の事務所に顔を出して、「お前は今日、Fを取ったぞ」と言い放ったりした。

・ジョンソンは水圧の強いシャワーが好きだった。就任前、DCの自宅のシャワーは、あらゆる方向に取り付けられた複数のノズルから針のような刺激の水が吹き出て、そのノズルのひとつは自身の性器(自分で「ジャンボ」とあだ名をつけていた)に当たるようにしつらえられていた。ジョンソンは就任後、同じタイプのシャワーをホワイトハウスに取り付けた。配管やポンプの取り付けで数万ドルの費用がかかり、警護費用として支出された。ジョンソンの後任のニクソンは就任後、このシャワーをみて、「外せ」と命じた。

・ジョンソンは自分の周囲の人に子供が生まれると、自分の名前「リンドン」を付けるように説得しようとした。断られると、ひどく残念そうな表情をみせた。

・ナンシー・レーガンはジョンソン大統領と同じぐらい奇妙な振る舞いが目立った。ナンシーはスタッフの女性にロングヘアーを許さず、家政婦に対しては自分の衣類に購入した日付と最後に着た日を記したラベルを取り付けるように命じた。

・ヒラリー・クリントンには「仕えるのが難しい」という評判もあるが、「家政婦のような働く女性にはとても共感してくれるし、どのスタッフの強みや弱みも知っている」という評価もある。「男性に対しては、女性に対してよりも厳しい」との評価も。

・クリントン家には「彼ら自身も何が欲しいのか分かっていない」という評判もある。あるとき、ヒラリーがある鶏肉料理が頻繁に出てくるので出さないで欲しいというのでメニューから外したら、数カ月後に、「どうして私たちの大好きなあの鶏肉料理を出さないの?」と言われたりした。

・クリントン家はいつ食事をするのかも予測できなかった。就任当初、クリントン家はディナーの席について「今から食事を出して」と頼んで厨房を困惑させた。ブッシュ家は事前に「12時半から2人分の昼食をお願い」などと連絡を入れていた。

・モニカ・ルインスキーのスキャンダルが発覚したのは1998年1月だが、2人の関係が継続していた1995年11月~1997年3月の時点からホワイトハウスのスタッフは気づいていた。

・スキャンダル発覚後の1998年の3~4カ月間、ヒラリーの怒りを買ったクリントン大統領は個人の書斎のソファーで寝ていた。ホワイトハウスの女性スタッフのほとんどは「当然の報いだ」と思っていた。

・UsherのSkip Allenはクリントン家のことを”the most paranoid people I’d ever seen in my life”と評している。

・レーガン大統領はスタッフに対してとてもフレンドリーだったので、スタッフたちは大統領との長話につかまってしまうことがしばしばあった。なのでスタッフたちは忙しいときは、大統領に会わないようなルートで移動することを覚えた。

・オバマ大統領はプライベートを大切にするので、レジデンスのエリアにはValerie Jarrettら数人の側近しか立ち入らせない。

・ホワイトハウスのスタッフはかつては奴隷的な身分の者でしめられていた。ミシェル・オバマの家系は奴隷の血筋を引いていて、母方の祖父はシカゴのハンディーマンで、叔母の1人はメイドをしていた。オバマ家は、ホワイトハウスでスタッフにかしづかれるようにして暮らすのが心地よくないのかもしれない。

・カーター大統領夫妻はジョージア州知事時代、殺人罪による終身刑判決を受けたMary Princeという女性の無罪を信じて恩赦を与え、知事公邸のナニーとして雇った。プリンスはカーターの大統領就任後もナニーとしてホワイトハウスで働き、シンデレラストーリーとして話題になった。

・1961年当時、ホワイトハウスで働いていた黒人スタッフの給料は白人スタッフよりも大幅に低かった。

・1967年当時、ホワイトハウスのドアマンは名字だけで呼び捨てにされていた。

・アイゼンハワー大統領はホワイトハウスを軍隊のように規律正しく運営しようとした。

・公民権運動のころ、黒人のスタッフのなかには白人と同等の権利を要求するものもいたが、職を失うことを恐れて不満を口にしない者もいた。古い世代の黒人は、白人に対して”mouthy”にならないように教え込まれて育っていた。

・レディ・バード・ジョンソンは黒人の女性家政婦と一緒にホテルに泊まろうとして断られたとき、怒りをあらわにしてホテルを出た。レディ・バードは公民権法の成立に熱心で、ジョンソン大統領自身も自ら主導した公民権法で自らの友人の人生に影響を与えたことを誇りとしていた。

・ただ、ジョンソンは一部の黒人の指導者がより大胆な改革を求めていたことについては、差別用語を使って怒りをあらわにした。議会の同意を得るには現実的な策をとる必要があったが、それでも不満を示す黒人指導者に納得がいかなかったようだ。

・ケネディはホワイトハウスで働いていた女性たちとも愛人関係にあった。ジャクリーンが不在のとき、ケネディはやりたい放題で、あるスタッフは裸の女性がキッチンから出てくるところを見たこともある。

・ジョンソンはパーティー会場でかわいい女性をみつけると部屋の隅に連れて行ってキスしようとせまった。顔にキスマークをつけていることもよくあった。

・ケネディは世間知らずで、缶切りの使い方すら知らなかった。

・レーガン大統領はホワイトハウスのスタッフに裸をみせても気にしないほど親しく接していたが、息子のロン・レーガンは「両親のスタッフに対する態度は、スタッフを同等の人間として扱っていなかったといえるかもしれない」としている。H.W.ブッシュとバーバラ・ブッシュのスタッフへの態度は、スタッフに対する尊敬をともなったものだった。

・カーター大統領は子供をDCの公立学校に通わせた。

・ヒラリーは娘のチェルシーに対しては非常に心優しい。


過去の回想録などで周知の事実というような内容もあるのでしょうけど、なかなか勉強になりました。