2018年12月2日日曜日

正解は強攻策

No.90

私は様々な困難に直面したとき、あきらめるか、強行するかの判断で切り抜けようとする習性がある。

今日もそうだ。朝、起きると、通勤時に使っているiPodを充電するのを忘れていたことに気付いた。昨日の夜の段階で、「電池が少なくなっているから充電しなくちゃな」と思っていたのに、すっかり忘れていたのだ。

この時、私の頭に浮かんだ選択肢は2つ。「今日はiPodを使うのをあきらめる」と「気にせず使う。途中で電池が切れたら仕方ない」だ。私はほとんど強攻策をとる方向で決断を下しつつあった。

しかしそんなことを考えていると、ヨメが「今から家を出るまでの間、充電すれば?」と声をかけてくれた。そうだ。全く正しい意見だ。起きてから家を出るまでは1時間以上ある。今日1日分ぐらいの充電は可能だろう。「すぐにあきらめたり、強行したりしちゃだめだな」「ヨメもたまには良い事を言うな」と大いに感動して、iPodを充電器に差し込んだ。おかげで今、私のiPodの電池は満タンになっている。

ただ、惜しむらくは、私は家を出るときにiPodを持ち出すのを忘れてしまった。

強攻策が正解だったような気もするが、あえて結論は出さずにおきたい。


2005/11/10

あかなかyか

No.89

ひらがなの「あ」と「な」は似ている。

急いでメモした字をみて、「あ」か「な」か分からないことがよくある。文脈をみれば、大体どちらかか分かりそうなものだが、文末にあるなんだか不明瞭な二文字が、「あり」なのか「ない」なのかの判断はなかなか難しいものだ。どちらでも意味が通じるけれど、意味は正反対になるという恐ろしさがある。

そんなことを考えながら自分の字を見ていると、だんだん、その「あ」か「な」か分からない字が、筆記体の「y」にも見えてくるから不思議だ。

大事な話を聞くときは、メモなんか取らずにしっかり聞くことに専念するのが正解だと思う。


2005/11/9

持病

No.88

口内炎が持病になっている。

今年の夏ぐらいからだろうか。口内炎のできる数が増えた。昔はせいぜい1つか2つぐらいだったのに、今は3つぐらいできる。しかも治りは遅い。さらに治ったと思ったら、またすぐに新しい口内炎ができる。地味な症状だが、結構不愉快だ。

ただ、地味な症状なだけに、治療法とかも確立されていないと思う。ビタミンを採れとか言われるので、なるだけ食事に気をつけたりするが、結局、3日ぐらいは口内炎に悩まされる。別に食事に気をつけなくても、3日もあれば治るのではないか。

果たして、口内炎の特効薬とか、絶対に1日で治る治療法とかはあるのだろうか。このまま、口内炎に悩まされる人生を送ることになるのだろうか。

製薬会社には、風邪薬や水虫の薬もいいが、口内炎の薬についてもしっかり研究すべきだと言いたい。


2005/11/8

腕時計の価格

No.87

高級そうな腕時計をつけている人を見ると、ひいてしまう。

以前、仕事の相手先の人がブルガリの時計をつけていた。BVLGARIと書いてあった。多分、間違いない。イメージ的には数十万円するシロモノだ。それを見た瞬間、その人がすごく遠い存在に感じた。「あ。お金持ちなんだ」と。

きっとその人に腕時計について話を振れば、「いやいや。大したもんじゃないんですよ」とか、「思い切って買ったんですよ」とか何とか言ったのだと思う。実際、そうだろう。別にIT長者とか、超お金持ちの息子とかそういう人ではなかったので、そんなにお金持ちであるわけではないのだが、高級腕時計がもたらす印象は強い。ついつい卑屈な気分になる。

世の中の人はどのぐらいの価格の腕時計をしているものなのだろう。

サラリーマン社会において、「その時計いくらですか?」と尋ねることは、密かなタブーだと思うので、誰か代わりに調査してくれないだろうか。


2005/11/7

反ビッグバン

No.86

宇宙の起源はビッグバンにあるという。遠い昔、ある1点で起こった爆発から宇宙空間の膨張が進み、現在でもその膨張は続いているという説だ。

ただ、そんな説は何も説明していない。宇宙の起源はビッグバンだといわれても、次の瞬間にはビッグバンが起こる前には何があったのかという疑問が沸いて来ることは確実だからだ。あと、今でも宇宙の膨張が続いているなら、その膨張の外側には何があるのかも知りたくなる。でも、その疑問に答えが出たとしても、その次の瞬間には、「宇宙の外側にある何かの外側には何があるのか」という疑問が浮かんでくることも確実だ。当然、その次の疑問も想定されるわけで、そう考えていくと際限がない。

分かった。こんなことを考えるのはきっと無駄なんだ。

もし私が「宇宙の外側には何があるのか」と聞かれれば、「行けば分かる」と答えたい。


2005/11/4

自動改札機の悪魔

No.85

自動改札機には魔物が棲んでいる。

電車を降りた乗客が順番に自動改札機をすり抜けていく。私だって通常ならこの自動改札機に惑わされることはないが、問題は自分の前の人がひっかかった時だ。ひっかかった本人は、「あ。乗り越し分の清算を忘れていた」なんて思いながら、その場を立ち去ればいいが、すぐに切符を入れられない状態のままで放置された私には大きな問題が生じる。

「前の人に続いて、隣の自動改札機の列に割り込むべきか」
「否。それでは隣の列の秩序を乱してしまうことになる」
「その場で立ち尽くして、自動改札機が切符を入れられる状態になるのを待つか」
「否。それではまるで、私がトラブルを起こして後続に迷惑をかけているみたいではないか」

そんなことで悩んでいるうちに、後続の列から隣の列に移る輩が出てくる。そいつにつられて、私が並んでいる列は人が少なくなる一方だ。

「先頭で待ち続けている私は的確に状況を判断できない愚か者だと思われているのではないだろうか」
「否。こういう時こそ泰然自若であることを心がけて、静かに時を待つのが一番なのではないか」
「否。むしろこういう時こそスムーズに隣の列に移るのが大人のたしなみ」
「否。それでは、最初から隣の列に移ればよかったことになる。隣の列の秩序を乱さないという最初の心がけを尊重すべきだ」
「あぁっ。でも後続の視線に耐えられない」

悩んだ末に隣の列に移ろうと決めた瞬間、自動改札機が受け入れ可能な状態となる。

「ここで引き返して何食わぬ顔で元の自動改札機を通るか」
「否。それではあまりに自分勝手ではないか。自分の判断に責任をとるべきなのではないか」
「こんなどちらの列に並んでいるともいえない中途半端な場所で立ち止まっていては、混乱を拡大してしまう」
「早く決断しなければ。早く決断しなければ。視線が。視線がぁぁ」

この間3秒ぐらいだろうか。否。5秒?10秒? あぁ、また惑わされている。

悪魔め。


2005/11/2

海外でモテる方法

No.84

海外でモテる方法を思いついた。

日本人が外国人を見てカッコイイと思うのは、いかにも外国人だからだ。背が高くて金髪だったり、黒人でマッチョだったり、そういうところがカッコイイ。男からみても、「あぁ、外国人には敵わないな」と思わされるものだ。逆に日本人らしくなってしまった外国人はカッコよくない。デーブ・スペクターとか、ダニエル・カールとかはきっとモテないと思う。

だから日本人も外国に行ったら、いかにも日本人らしく振舞うことが大事だ。アメリカに行っても、アメリカ人のように、やたら自己主張したりせず、黙って人の話を聞いてにっこりと微笑む。そのうえでさりげなく意味深な言葉をひとつかふたつほど発して、決して「いてもいなくてもいい奴」とは思わせない。そんなことを続けているうちに、「オー、ジャパニーズ ゼン」とか言われて、モテるのではないだろうか。実際の日本人はどうだとかいう話ではない。外国人のなかにある「カッコイイ日本人像」にあわせてやることが大事だ。なかには騙される女性がいてもいいのではないか。

外国に行って、外国人と同じフィールドで戦うのは不利だ。海外で生活する予定がある人には、英語よりも「ゼン」や「カラテ」を習得してから行く方がいいと忠告したい。


2005/11/1

レジ選び

No.83

レジの選択が苦手だ。

スーパーなどでカゴに商品を入れた後、レジに並ぶ。どのレジに並べば、清算が早く終わるかを見極めることは買い手の腕の見せ所だ。レジ係の顔まで覚えて、どのレジ係が作業が早く、どのレジ係の作業が遅いかを見極めている主婦もいるという。

私の場合は全くこの手の才能がないと言っていい。一応は選ぶ。時には途中で判断を変更して、一度並んだ列から別の列に並び変えたりもするが、かなり高い確率で裏目に出る。いつだったかは、何かの切符を買おうときに慎重に選んで並んだ列で、3人前が外国人だったこともある。こんな分かりやすいヒントがあるのに見抜けないとは、つくづく見る目がないと、絶望的な気分になった。

そんな風だから、最近は一番近くにあるレジに並んだりもするが、やっぱり他より遅い気がする。もしかしたら、他の列の進み具合ばかり気にしている心に問題があるのかもしれない。


2005/10/31

クールビズ

No.82

小学生のころ、1年中ランニングシャツと半ズボンで過ごしている奴がいた。

冬場になれば、寒くないはずはないのだが、本人は決して寒いと言わない。おそらく、家庭の方針でそうやって育てられて来たのだろう。本人は1年中そんな格好をしていることを、少し誇らしく思っているようでもあった。一緒に遊んでいて明るく楽しい性格の奴でもあったし、友達としては何の問題もない。

ただ、なんとも言えない違和感はぬぐいきれない。子供ながらに「あいつは普通じゃない」と気付いていた。

10月も終わろうとしているなか、クールビスを貫いている私は周囲の目にどのように映っているのだろうか。ちょっと心配になってきた。


2005/10/27

ハロウィン

No.81

ハロウィンって、どう盛り上がればいいのだろう。

この季節になると、テーマパークとか飲食店とかでハロウィン的なイベントがある。スーパーなんかでもハロウィン的な飾りが置かれていたりして、「ああハロウィンだな」とは思う。

ただ、ハロウィンだと言われても、何をしたらいいか分からない。カボチャをくりぬいて飾りを作ったりするようだが、あんなタイプのカボチャは八百屋では売っていないのではないか。あと、仮装して近所の家にお菓子をもらいに行ったりもするようだが、いい大人がそんなことをしたら、警察に通報されてしまうのがオチだ。

私ができることといえば、晩御飯にカボチャの煮つけを食べるぐらいのような気がする。まったく盛り上がる気がしない。


2005/10/26

2018年11月18日日曜日

先が読めない全13話

No.80

連続ドラマに感情移入できない。

というか、連続ドラマを見続けることができない。全13話だとして13時間。しかも13週間もかかるのだ。それだけの時間をかけて、語られるストーリーといえば、男と女が出会って、好き同士になって、ケンカして、またくっつく。という程度のことだろう。そして最終回では、男か女かが必ず走る。走るための状況設定を作るために、誰かが余計な嘘をついたり、妙な勘違いをしたりする。そもそも連続ドラマを見ないので、よく分からないが、最終回で誰も走らない連続ドラマってあるのだろうか。

もし私が連続ドラマの脚本を書くなら、男と女が出会って、好き同士になって、ケンカして、男が出家して中国に渡り、女はアメリカに渡って米国籍を取得し、男は少林寺で武術の腕を磨き、女はアジア系女性として上院議員の座を射止め、男は武者修行のためにロシアに向かい、女も外交団の一員としてロシアに向かう。そんな二人が最終回でモスクワの赤の広場の東の端と西の端でお互いのことに気付かないままピロシキを食べ、男は「お茶漬け食べたい」
女は「あ。洗濯物取り込むの忘れた」とつぶやく。そんなストーリーにしたい。

全く先が読めない全13話。月曜9時のフジテレビで。


2005/10/25

電動ひげ剃り

No.79

電動ひげ剃りを使いこなせない。

買ったときの広告では、どんなひげでも一発できれいに剃れるという触れ込みだった。それなのに、私のあごの周りは剃り残しばかりだ。例えひげを剃った直後でも、あごをなでまわせばすぐにひげが見つかる。左手の中指と親指でつまんでピッと引っ張れば、面白いようにひげが抜ける。私が買った電動ひげ剃りは、使用者にひげ抜きの楽しみを提供するために開発されたのではと思えるほどだ。

そんなことを考えている間にも、家電メーカーは次々と新製品を開発する。電動ひげ剃りのCMでは、まるでこれまでの製品が全く役立たずであったかのように位置づけ、新製品に備えられた新機能の素晴らしさをアピールするのが常だ。そういうCMを見ると、「新しいひげ剃りなら、剃り残しがなくなるかもしれない」などという期待を抱きそうになるが、おそらく、そうした期待は甘いと言わざるをえないだろう。新製品を買っても、その半年後には「今までになかった剃り味」の新製品が発売されていることは間違いないからだ。

また、「自分が買った当時のCMに騙されたのでは」と考えるのも不毛だ。そんなことを言ったって、自分の持っている電動ひげ剃りを新製品に交換してもらえるわけではないからだ。そんな要望に応えるぐらいなら、家電メーカーは電動ひげ剃りの新製品を永遠に出すことはないと断言できる。

「自分は誰にも騙されていない」と自信を持ったうえで、今持っているひげ剃りを使いこなせない自分を責めることにしたい。


2005/10/24

理系顔

No.78

「理系顔」という表現があるが、あれは「眼鏡をかけている」というだけではないか。

同じように「文系顔」というのは、「丸顔」というのとほぼ同じ意味だと思う。「体育会系」というのは、体格ががっしりしているということと同じ意味で、「アキバ系」というのは、極端に太っているか、やせている人のことだ。

さらに考察を進めると、体格ががっしりしている人は丸顔だろうが、眼鏡をかけていようが、「体育会系」に分類される。極端に太っているか、やせている人も、丸顔だろうが、眼鏡をかけていようが、「アキバ系」に分類される。普通の体格の人は「文系顔」「理系顔」の分類対象となる。丸顔の人は眼鏡をかけていようがいまいが、「文系顔」。細面の人は眼鏡をかけていれば、間違いなく「理系顔」だ。

さて、「細面で眼鏡をかけていない人」はどう分類すればいいのだろう。意外と難しい課題のような気がする。


2005/10/21

軟らかいご飯

No.77

別の店でもカレーでショックを受けたことがある。

職場の近くに、喫茶店風のカレーの美味しい店があるのだが、そこのカレーを久しぶりに食べたら、ご飯が妙に軟らかく炊き上がっていた。ベトベトしているのだ。

「こんなはずじゃなかった」という困惑。「もうあのカレーは食べられないのか」という悲しみ。「ご飯を炊くときの水加減ぐらいしっかりやれよ」という情けなさ。「金返せ」という怒り。胸の奥から次々と湧き上がってくる、何ともいえない感情の数々に、自らのカレーに対する愛情の深さに気づかされたものだ。たかがカレーと言ってはならない。モノの価値というものは、失われた時に初めて気づくものなのだ。

あと、ウエイトレスの女性が代わっていたこともショック。なんというかこう、リアルな感じの、いい感じの可愛さだったのに。


2005/10/20

疑惑

No.76

密かに疑っているのだが、最近ココイチのカレーのルーが少ないのではないだろうか。

なんだかんだでココイチは10年ぐらい食べている。週に1回ぐらいのペースは保っているだろう。メニューも決まっている。昔は牛しゃぶ、きのこ、やさいのミックス、400グラムで辛さ普通。今は、ソーセージとやさいのミックス、400グラムで辛さ普通だ。ほぼ例外なくこのメニューだ。

これだけ食べ続けいたココイチのルーが最近、少なく感じる。400グラムを食べきるまでに、ルーを混ぜるペース配分を考えないとライスが余ってしまいそうなのだ。ついこの前まではこんなことはなかったのだ。ペース配分を考えながら食べるココイチはおいしさも3割減で、心から楽しむことができない。瑣末なことと思われるかもしれないが、私にとっては深刻な問題だ。

ココイチは経費削減のためにルーを減らしているのだろうか。それとも私が通っている店だけがそのような方針をとっているのか。もしかして私だけが店員さんに嫌われているのだろうか。

次回食べるときは、これまで通りの量だと思えることを切に願う。


2005/10/19

運転手さん

No.75

タクシーを降りるとき、運転手さんに「ありがとうございました」と言った。後になって思うのだが、なんで私が礼を言わねばならないのだろう。

金も払っているし、タクシーは儲けているわけだし、客商売なのだから本来は、タクシー側が「ありがとうございました」と言うべきところだろう。大体、この運転手さんは「この辺りの道はよく知らないんですよねぇ」とか「あ、ここは右折できないんですね。Uターンします」とか、決して能力が高かったわけではない。それなのにどうして、「ありがとうございます」なんて言ってしまったのか。別にお礼の一言を惜しむわけではないが、釈然としない。

あと、なんでこの文章でも「運転手さん」なんて「さん付け」にしているのか。

必要以上に運転手さんに卑屈になる自分。自分の中の新たなコンプレックスに気づいた。


2005/10/18

イェイイェイナイッ

No.74

昔は意味が分からなかった歌詞の意味が突然分かったりする。この間、分かったのは、昔は「イェイイェイナイッ」と思っていた歌詞だ。

ポンキッキで放送されていた、北極に住んでいるマッコウクジラが南の海を目指すという内容で、「可愛いイルカと踊るぜ イェイイェイナイッ」だとずっと思っていた。25年ぐらいは思い込んでいたのではないだろうか。で、ついこの間、ふとこの歌を思い出して歌ってみたところ、どうも「Day and Night」らしい。「可愛いイルカと踊るぜ Day and Night」。意味もぴったりだ。間違いない。

少なくとも25年前よりは英語力が増していると解釈して、自信を持ちたい。


2005/10/17

コインロッカーの前に

No.73

駅にあるコインロッカーの前に革靴が一組落ちていた。

スーツ姿のサラリーマンが履くような、なんの変哲もない黒の革靴。コインロッカーの方向につまさきを向けるようなかたちで転がっていた。きっちりと揃えられているわけではなく、「脱ぎ捨てられた」という感じだ。

何があったのか知らないが、この靴の持ち主が相当あわてていたことは確かだろう。スーツ姿で駅に着いたはいいが、突然何かが起こったか、思い出したかして、靴を脱ぎ、駅から去っていったということになる。コインロッカーの前ということを重視すれば、なんらかの都合でコインロッカーの中に入らなければならない事情が発生して、とりあえず靴を脱いでコインロッカーの中に身を潜めたのかもしれない。それなら、靴のつま先がコインロッカーの方向を向いていることの説明もつく。問題はそのサラリーマンに何が起こったかだが、私の頭ではさっぱり分からない。

当分の間、駅のコインロッカーを見るたびに、革靴を思い出すことになりそうだ。


2005/10/14

食い逃げ

No.72

食い逃げって簡単にできるのではないだろうか。

外食してレジでお金を払おうとして、誰もいないというケースは結構多い。ファミレスなんかでは、チャイムが置いてあったりもするが、そんなもの、鳴らさずに勝手に帰ってしまうことは十分可能だ。

例え顔を覚えられていたとしても、一度、食い逃げをした店には二度と行かなければいいだけだし、旅先とか、普段の生活範囲から遠く離れた場所であれば、何の支障もない。堂々と店に入って、堂々と注文して、堂々と食事をして、
タイミングを見計らって静かに帰る。それだけのことではないか。実はみんな結構やっているのではないか。きっとそうに違いない。

世の中の人々は、食い逃げをしないでいる私をもっと褒めるべきだ。


2005/10/13

第二の思春期

No.71

官能小説というジャンルがある。

「美人姉妹なんとかかんとか」とか、「女教師ほにゃららほにゃら」とかいったタイトルのやつだ。時代小説みたいなのもある。他のベストセラー小説の文庫本と一緒に「新作コーナー」に積まれていたりするし、結構数も多い。オフィス街にある本屋であるにも関わらずだ。店先を見る限りでは、官能小説に対する需要は相当あるのだと思う。

ただ、買っている人はおろか、立ち読みしている人すらみたことがない。私自身も買ったことがないし、週刊誌で連載されている官能小説的な読み物も読んだことがない。アダルトビデオを借りたり、ヌードグラビアを見るのは平気だが、官能小説を手にすることはためらわれる。

大体、官能小説とはいえ文庫本一冊の量があるのだから、読むのにはそれなりに時間がかかるだろう。スケベな気分になるのに、それだけの時間をかけることに何か理由でもあるのか。何か新しい世界でも見えてくるのか。

600円程度の本に翻弄される心。第二の思春期なのだろうか。


2005/10/12

2018年10月22日月曜日

The Sleepwalkers: How Europe Went to War in 1914

“The Sleepwalkers: How Europe Went to War in 1914”という本を読んだ。Christopher Clarkさんというケンブリッジ大学の教授が2013年に出した本です。超複雑かつ長い。どうも3月ごろに読み出したようなのですが、読了まで7カ月かかりました。

とあるブログで名著として紹介されていました。実は日本語訳も出ています。

第一次世界大戦のきっかけはセルビア人の青年がオーストリアの皇太子を暗殺したからだというのは中学校で習う話です。ただ、どうしてこの暗殺が前例のない大規模な戦争につながったのかについては、よく分かっていない人が多いと思います。これはこのあたりの事情を詳しく解説した本です。

でも、答えは簡単ではありません。

最後のConclusionの章はこんな書き出しです。

“I shall never be able to understand how it happened,” the novelist Rebecca West remarked to her husband as they stood on the balcony of Sarajevo Town Hall in 1936. It was not, she reflected, that there were too few facts available, but that there were too many.

要は分からんという結論ですね。

ちなみに前回読んだThe Shortest History of Europeでの説明はこんな感じです。

・ドイツを統一したビスマルクは欧州の安定を望んでいた
・当時の欧州は5つの勢力に分かれていた
・ドイツ帝国は今のドイツよりずっと大きかった
・イタリアも統一されたばかり
・ロシアやオーストリア・ハンガリーは経済的には西側よりも後れていた
・オスマン・トルコは衰退しつつあり、バルカン半島への影響力が弱まっていた
・バルカン半島の人々には独立の機運があった。
・オーストリアとロシアはトルコの衰退を喜んでいたけど、不安定化は嫌だった
・ロシアはトルコに代わってボスポラス海峡をコントロールしたかった
・オーストリアは北側をドイツに抑えられていて、南側までロシアに抑えられるのは嫌だった
・衰退するトルコ内で新国家が生まれると、ロシアやオーストリアも同じ機運が起きかねない
・ビスマルクは帝国同士、ロシアとオーストリアと仲良くしたかった
・フランスは普仏戦争で負けたドイツとは絶対に仲良くなれない
・英国は大陸とは関わりたくない
・オーストリアとロシアはバルカン半島をめぐって対立していた
・ドイツはバルカンでオーストリアの肩を持ちすぎると、ロシアがフランスに接近しかねない
・ドイツは戦争になったら、ロシアとフランスの両正面で戦うことになる
・でもビスマルクは上手く立ち回っていた
・でもウィルヘルム2世はオーストリアと仲良くした。ロシアはフランスと同盟を組んだ
・ロシアとフランスの同盟にはイギリスも加わった
・ドイツとオーストリアはイタリアを仲間に引き入れたが、大して力にならない
・ウィルヘルムは自信満々。戦争になったら、フランスを瞬殺してロシアと戦うつもりだった
・ドイツは貿易ルート維持のため海軍を強化していた。イギリスも対抗していた
・戦争がすぐに終わるのであれば、国家は強化されるという考え方もあった
・そんなときオーストリアの皇太子がセルビア人のナショナリストに暗殺された
・セルビアはもともとオーストリアの支援を受けてトルコから独立した
・でもセルビアはオーストリアの支配にも不満でロシアを頼るようになった
・皇太子を暗殺されたオーストリアはセルビアに強くでればロシアが出てくると分かっていた
・ドイツはオーストリアをたきつけて、絶対に一緒に戦ってやると約束した
・ドイツはロシアの軍事力が強くなる前に戦いたいと思っていた
・ロシアは先に動けば、侵略者とみなされることを嫌った
・ロシアはオーストリアを抑止する程度に軍を配備した
・ドイツはそのロシアの動きを侵略行為だとみなし、ベルギー経由でフランスに侵攻した

みたいな説明ですね。

分かりやすいです。ドイツが悪い。

でも、クラークさんは、”The Germans were not the only imperialists and not the only ones to
succumb to paranoia.”としています。”The crisis that brought war in 1914 was the fruit of a shared political culture. But it was also multipolar and genuinely interactive - that is what makes it the most complex event fo modern times and that is why the debate over the origins of The First World War continues, one century after Gavrilo Princip fired those two fatal shots on Franz Joseph Street.”なんだそうです。

そんなクラークさんは、分かりやすさに配慮して、あえて細かな説明を省いて筋書きを作ったりなんかはしません。容赦なく全部説明しにかかります。「Aはこの時の判断の理由について回想録でこう書いている。でも、BはAの行動について、正反対の証言を当時のインタビューで残している。当時の状況から考えて、Bの証言の方が正しいと思われる」みたいな記述が延々と続く。さらには「Cはこのインタビューではこう証言しているが、別のインタビューでは異なった証言をしている」みたいな話も出てくる。「Dは自らの日記を焼いてしまっている」なんていうのも。しかも登場人物は滅茶苦茶に多いうえ、私にとってはほぼ全員が知らない名前であり、しかもどのように発音するかも怪しい。例えば”Peter Karadjordjevic”みたいな。読み進めるのに非常に骨が折れます。

でもね。面白いのは面白いんです。時間があればもう一度読んでみたいと思う。第一次世界大戦に関する知識がほぼゼロの状態から読み始めましたから、もう一度読んでみたら、もう少し理解が深まるだろうし、これ以上に詳しく説明している本もないんじゃないかと思えば、挑戦しがいもある。次は5カ月ぐらいで読めるかもしれない。

まぁ、結論としては「要素が多すぎて理解できない」というわけだから、結局は分からないんだろうけど。

2018年7月21日土曜日

なかんだかりさん

No.70

電話で話した相手の名前を確認したら、「なかんだかりさん」だった。

間違えて覚えると後でややこしいかなと思ったので、「どういう字を書くんですか」と確認したら、「説明しにくいんです。以前、送った書類に名前を書いたかもしれません」とだけの返事だった。あとで書類を確認したら、名前は書いていなかった。

きっとややこしい字なのだろう。相手に散々説明させて、結局、「分からないですね」という結論になることは目に見えている。そんな気まずいムードになるのは嫌だし、これだけ珍しい名前だと多少間違っても個人は特定できるだろうから、「なかんだかりさんですね」と念を押すだけにしておいた。

ある日、ふと、このことを思い出して、インターネットで検索してみた。「仲村渠」と書く沖縄にある苗字で、ヤフー検索で643件ヒットした。変わった苗字の中ではかなりメジャーらしい。こんなことなら、書き方を確認したときに、「ネットで検索して下さい」といってくれれば、良かったのにとも思うが、きっとあの人は苗字のことに触れられるのにあきあきしていたのだと思う。

今度、話す機会があっても、「なかんだかりさんですね」と聞き流して、「沖縄の苗字ですよね」なんて馬鹿な発言はしないようにしたい。


2005/10/11

面白い話などない

No.69

名刺を交換した相手が珍しい苗字だからといって、「珍しい苗字ですね」というのは止めにしてもらいたい。

私も少し珍しい苗字なのだが、「珍しい苗字ですね」と言われて嬉しかったことは一度もない。相手としては、そう一言いえば会話が弾むとでも思っているのかもしれないが、珍しい苗字を持っていれば、自分の苗字について薀蓄を語れるというわけではないのだ。

名前なら、由来とかなんとかを親から聞いたこともあるかもしれないが、苗字の由来なんて調べるのも大変だし、例え分かったとしても面白くともないケースがほとんどではないか。例え面白いエピソードがあったとしても、話す方は飽き飽きしているはずだ。ニコニコしながらも、心の中には「またかよ」と毒づいていると請け合う。

「珍しい苗字ですね」と話を振るからには、そちらの方で面白い話の一つや二つは用意しておいてもらいたい。そういう話が無いのなら、こちらにも無いと思っておいて欲しい。


2005/10/7

妄想が止まらない

No.68

ビール会社のキャンペーンに応募してしまった。シールを集めれて応募すれば、日本全国の「うまいもの」が当たるというやつだ。

昔はこの手のキャンペーンに全く興味がなかった。パソコンとか車とか海外旅行とか、そういう高額商品なら欲しいと思ったが、「食べ物なんてどうでもいい。どうせ1万円もあれば買えるんだから」なんていう感覚だった。

それが最近は「うまいもの」が「当たる」と聞かされるとぐっとくるものがある。別にグルメになったとかそういうわけではなく、「1万円を食べ物に使うことは勇気のいることだ」という事実を知ったからだ。

1万円あれば、何度昼飯が食べられるだろう。っていうか、毎日の昼飯のグレードをちょっとだけアップできるのではないだろうか。コーヒーセットにしてみたりとか。うなぎをダブルにしてみたりとか。

器の小ささを露呈していることは分かっているが、妄想が止まらない。


2005/10/6

ケチくさい奴

No.67

コンビニで、おにぎり2個と肉まんとお茶を買った。581円した。

なんだろう、この微妙な値段。どの商品も「100円程度」というイメージで買ったのだが、実は全部「150円程度」していたということだ。別に581円が高いというわけではないのだが、なんかこう「おにぎりと肉まん程度で600円かよ」という釈然としない気分になってしまう。

昨晩飲みすぎたせいで食欲がなかったのだが、こんなことならちゃんとした定食でも食べればよかった。例え750円とか800円といった値段を払ったとしても、こんな気分になることはなかっただろう。

明日の昼飯は慎重に吟味して決定したい。あと、コンビニでくよくよ悩んでいる男を見たら、「ケチくさい奴」と思わずに、暖かく見守って欲しい。


2005/10/5

大人になりたい

No.66

また、道を尋ねられた。

今度の質問は、「東京駅はどこですか?」。英語でいうなら、"Where is the Tokyo Station? " だ。これぐらいなら、私にでも分かる。自信を持って、「この道をまっすぐ行けば、右側に見える」と教えた。

ただ、教えたときの態度がまずかったな、と思う。声をかけられた瞬間、ちょっと緊張したせいもあって、「東京駅は・・・」と聞いた瞬間、思わず、くすっと笑ってしまったのだ。道を尋ねてきたのは、感じのいい若者二人組だった。それなのに、ちょっと「そんなことも知らないのか?」といったような態度だったかもしれない。

いや、そうじゃないんだ。決して、東京駅を知らないことを馬鹿にしているわけじゃないんだ。緊張していたから。緊張していたから、ちょっと笑ったような感じになってしまったんだよ、と言い訳したい気分だ。

道を教えることはかくも難しい。早く、立派に道を教えることができる大人になりたいものだ。


2005/10/4

ワカメちゃんのパンツ

No.65

スカートが滅茶苦茶に短い女子高生を見た。

遠くからしか確認していないが、ワカメちゃんレベルだったと言っていい。あそこまで短い女子高生がいることを知ってしまうと、女子高生のパンツの盗撮をしている人の気が知れなくなる。

これまでは盗撮犯に対しては、「出来心ってヤツだろうな」と比較的寛容だった私だが、あの女子高生を見てから、「見せる方も見せる方だが、見ようとする奴も見ようとする奴だ」と怒りすら感じるようになった。ワカメちゃんのパンツを見て欲情するようになったら、人間おしまいである。ちなみに私はマライヤ・キャリーの露出度の高い衣装にも怒りを感じる。本人に会ったら、アホかといいたい。

もしかしたら盗撮犯も、こんなパンツ見せ女子高生などには興味がないのかもしれない。

そうでなければ、彼らを許すわけにはいかない。


2005/10/3

器が小さい

No.64

大河ドラマとか歴史ドキュメントの番組で戦国時代がとり上げられることが多い。

あれは果たしてどうなのだろうか。信長がなんとかの戦いで大勝利を収めたとか、三成は最後まで徳川軍と戦い抜いたとか、まるで美談であるかのように語っている。でも、その戦で沢山の雑兵たちが死んでるじゃないか。大河ドラマなんかで大物俳優が迫真の演技で無念の表情を作っていたとしても、「お前より、その辺に転がっているおっさんたちの方が可哀想だよ」と思ってしまう。

そういえば、子供のころは秀吉とか信玄とかに感情移入できた。それが今となっては、思わず雑兵の視点に立ってしまっている。

こういうのを「器が小さい」というのだろう。


2005/9/30

息をしろ

No.63

息をするのが難しい。

もちろん普段は普通に呼吸している。ただ、ちょっとした瞬間に呼吸することを忘れていることはないだろうか。重いものを持ち上げる瞬間とか、床に落ちたものをかがんで拾う瞬間とか。こういう時は、作業を終えた後でひどく疲れる。ただ単に玄関先に座って靴のひもを結んでいるだけでも、体温が上がったような気になるものだ。

だから私は、日ごろから呼吸することを心がけている。自転車のスタンドを立てるときも、カバンを担ぐときも、階段を昇るときも、常に平常心で呼吸をする。是非、皆さんにも呼吸をすることの大切さを覚えておいてもらいたい。最近、疲れやすいなぁと思う人は、呼吸を忘れていることが多いに違いないのだ。

あ。もしかして私だけだろうか。


2005/9/29

エレベーターホールの紳士

No.62

エレベーターに駆け込む人が許せない。

だってそうだろう。長い時間待たされて、ようやくやってきたエレベーターに乗り込んで、ついにドアが閉まると思っていたのに、誰かが駆け込んで来たことで再びドアが開くのだ。誰だって怒りたくもなる。一緒に乗っている人たちも大抵の場合は平静を保っているが、私は結構、本気で腹が立つ。思わず舌打ちしてしまったりするぐらいだ。ものすごく小さい、自分にも聞こえないぐらいの音でだが。

そんな私だから、自分では決してエレベーターには駆け込まない。ぎりぎり間に合うかなと思っても、「あ、上じゃなくて、下に行くんです」というような顔をして、立ち止まる。エレベーターの中でボタンを操作している人から、あえて視線をそらす心配りも忘れない。そして、エレベーターが完全にその階を離れたことを確認してから、おもむろにボタンを押すのだ。それこそが男の美学。ダンディズムだと思っている。

エレベーターホールで紳士的な人物を見かけたら、私だと思ってくれて構わない。


2005/9/28

2018年6月25日月曜日

ラッセン

No.61

セールスといえば、クリスチャン・ラッセンだ。

街角で綺麗な女性が声をかけてきたら、まずそれはラッセンの手先だと思って間違いない。そうでなければ、シム・シメールか、ヒロ・ヤマガタか笹倉鉄平の手先だ。

絵に関心がありそうなそぶりを見せでもすれば、ビルの一角にある作品展示場に連れて行かれ、彼らのシルクスクリーンを前にして、長々と薀蓄を聞かされる。作品は数十万円もするのだが、「ローンを組めば、今すぐ買える」などと迫る彼女たちのセールストークの真剣さと力強さには、まさに洗脳の言葉がふさわしい。

ほかにも、ミッシェル・ドラクロワとか、トーマス・マックナイトとか、鈴木英人とか、様々な作家の作品を勧められる。彼女たちに展示場に連れてこられるのは男ばかりで、まず女性の姿を見かけることはない。

恐ろしいことだ。やはり男は女に騙される運命にあるのだ。男たちは女に導かれ、イルカやら、白いトラと月やら、無数の人間やら、夕暮れの建物の明かりやら、ノートルダム寺院やら、窓と月やら、わたせせいぞうのような車やら、そういった版画を自室の壁に飾り、至福の時を過ごす。そこには騙されたという自意識すらない。完璧な洗脳なのだ。完璧な洗脳こそ、人類に幸福をもたらすのだ。嗚呼。嗚呼。

あ、ちなみに私は買ってませんよ。流石に。


2005/9/27

セールス

No.60

服を買いに行ったら、店員のセールス攻勢がすごく激しかった。

店に入ってシャツを眺めているだけで、「それはシルエットがきれい」だとか、「内側にこんなシャツを着るとよく合う」とか、「上から羽織る感じでもいい」とか、なんだかんだと商品解説を始める。適当に話を合わせていると、ベルトも買えとか、バッグも買えとか際限がない。自分の店のセンスを客に押し付けようとするのかと、だんだん腹が立ってくる。

こういうセールスを喜ぶ人もいるのだろう。服装について店員に相談して、言われるがままに品物を買う。全部身につければ、それなりに見栄えは整うのだろう。

ただ、それが似合っているかどうかといえば、それもまた違うのではないか。なんせ店員は売ることが目的で話かけているのだし、その場で、その服装が似合っているかどうかを判断する人もまた、店員なのだ。これはもう洗脳商法ではないか。

こんなことを書いてはいるが、結局、そのシャツを買ってしまっている。鏡の前に立つのが若干怖い。


2005/9/26

特盛

No.59

昔はよく晩御飯として吉野家の特盛を食べた。

牛丼特盛とタマゴとゴボウサラダで900円かかった。当時の上司からは、「900円もあったらもっといいもんが食えるやないか」と笑われたが、深夜に食べることができる食事としては最適だったし、味も好きだ。確かに900円は高いかなという気もするが、なんの問題もなかった。

いつからだろう、豚丼の並とタマゴの370円で済んでしまうようになったのは。

上司からは別の意味で笑われると思う。


2005/9/22

高級車

No.58

車の乗り心地が分からない。

この前、仕事で某国産メーカーの高級車に乗ったのだが、ありがたみは今ひとつだ。確かに広いのは分かるのだが、高速道路を走れば、やはりそれなりにガタガタするし、ブレーキを踏めば、体に抵抗を感じる。友人が手に入れたピカピカの新車の助手席に乗せてもらったときも、座席が革張りであることや、SF映画の宇宙船の操縦席を思わせるようなカーナビが付いていることには素直に感動したが、乗り心地に関しては「普通」としか言いようがない。申し訳ないが。

高級車というからには、どんな道を走っても全く揺れないとか、止まるときは自然にフェイドアウトするように止まるとか、なんか車に乗っているとは思えないぐらいの感覚を期待してしまう。手塚治虫のマンガに出てくるような、地面から浮かんでいて、ジェットエンジンみたいなのでスーーーッと移動しているような乗り物のイメージだ。広いとか革張りというのは、自動車の本質的な性能とは関係がないじゃないか。

ここまで書いて、自分が高級車に幻想を抱きすぎであることに気づいた。

いい年をして、高級車をマンガのイメージでしか捉えられない自分に反省を促したい。


2005/9/21

スキップ

No.57

スキップは難しい。

「スキップ」を辞書でひくと、「片足で交互に軽く跳びながら進むこと」となっている。多分、そうだろう。さらに正確に説明するならば、右足で踏み切り、右足で着地し、今度は左足で踏み切って、左足で着地する。これを次々と繰り返していくということだ。

ただ、そんなことを頭で考えているとスキップはできなくなる。なんだか脚がもつれるうえ、弾もう弾もうとする上半身との間にギャップができて、不自然さが高まっていく。そんなところを人に見られでもしたら、「なんと運動神経の悪い人だ」との評価を受けることは避けられない状況だ。

難しいことを考えずに、自然と体を動かせば難しくない。恥ずかしがって動きを小さくしようとしたり、「右足で踏み切って、右足で着地して」と理屈を考え出せば、難しくなる。

これからの人生に役立つかのような教訓も引き出せそうな文脈になったが、スキップごときで人生を語るのはやめておきたい。


2005/9/20

巨泉の気持ち

No.56

昔、大橋巨泉が世界まるごとHOWマッチの司会をしているとき、アシスタントの女性がノースリーブを着ているのを見て、「肩出しのおねえちゃん。いいねぇ」とかなんとか言ったことがある。

当時、小学生か中学生だった私はそれを聞いて、「肩なんか何が楽しいんだ。やっぱり、オッパイかお尻だろう。おっさんの考えることは分からんな」と思った。肩なんてものは、骨の上に筋肉と皮がはっているだけのもので、面白くともなんともない。第一、ゴツゴツしているし、男の肩も女の肩もそれほど変わるものでもないだろう。肩なんてものは、腕を動かすという機能を果たすためのものだ。そんなに肩が好きならば、ケンタッキーフライドチキンでも買ってきて関節の動きを堪能すればいい、という発想だ。

最近、ノースリーブの女性をみると、自分がおっさんになったことに気づく。

こんなところばっかり大人になっていく。


2005/9/16

2018年6月13日水曜日

ちっちゃい玉

No.55

ボールペンを買うと、ペン先にちっちゃい玉が付いていることがある。あれは何のために付いているのだろう。

売り場に並んでいるうちに、ペン先が乾くのを防ぐためだろうか。そうだとすると、あの玉が付いていないボールペンもあることが分からなくなってくる。玉がないとペン先が乾いてしまうのならば、
玉が付いていないボールペンは何故、乾かないのだろうか。

あと、あれは、誰がどうやって付けているのだろう。あの玉を付けるための機械でもあるのだろうか。何のためにあるのか分からないような玉を付けるために、わざわざ機械を開発したということだ。

あの小さい玉を手作業で付ける職人がいるという可能性もある。何のためにあるのか分からないような玉を付けるために、超絶の技巧を持った職人が黙々と仕事をこなしているとしたら、是非とも現場をのぞいてみたい。

だれか、ボールペン業界に知り合いのいる人はいないだろうか。


2005/9/15

サンマを見習え

No.54

タチウオってどうなのだろうか。

あの魚はひどく食べにくくはないか。背骨ががっしり通っているうえに、なんか体の縁から内側に向かっても骨みたいななんかが通っている。面倒だから骨まで一緒に食べてしまえと思ってかぶりつくと、口のなかが
骨だらけになって取り出すのに一苦労する。そのうえ身が少なくて、食べるのに手間がかかるわりに満足感は得られない。さらには、そんなに美味しいとも思えない。一体、何なんだ。

この前、タチウオの南蛮漬けを食べたとき、「南蛮漬けだから大丈夫だろう」と思って注文したら大失敗だった。残念なことこのうえない。

その点、サンマは偉い。食べ易くて、美味しくて、安くて。最高ではないか。

今度タチウオに会ったら、同じ細長い魚としてサンマを見習えと言いたい。


2005/9/14

ミッキーマウス不信

No.53

ミッキーマウスの態度のデカさは、一体何なのだろうか。

東京ディズニーランドに行くとよく分かるのだが、あそこはミッキーマウスがヒーローとして崇め奉られている。誰もがミッキーマウスのことが大好きで、ミッキーマウスの登場を待ち望んでいるという設定を強要されるわけだが、
私としては「ドナルドダックの方が好きだ」と強く主張したい。

大体、ミッキーマウスっていい奴なのか? 映画とかアニメとかは何一つ見たことはないけれど、なんか周りのキャラクターにいたずらをして、相手のことをケタケタ笑ったり、なんだかんだで最後には一人だけ大成功を収めているというイメージがある。そのうえ、「僕らのヒーロー」みたいな扱いをされているわけだから、ロクでもない育ち方したボンボンのような性格ではないだろうか。全くの誤解かもしれないけど。

東京ディズニーランドに行っても、ミッキーマウスのことだけは許さずにいたい。


2005/9/13

日本語もままならない

No.52

よくよく考えたら、日本語すらままならない。

科学とか経済とかの難しい話題になると、例え日本語で話されていても、内容をはっきりと理解することは難しい。そのうえ、小難しいカタカナの言葉をたくさん使われたりすれば、ほとんど理解することは不可能だし、そうなるともう、内容を理解するよりも、眠気と闘う方に必死になってしまう。

ただ逆に、話を聞かなくても分かるというケースもある。「おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」と聞けば、そこから先は眠っていても分かるだろう。相手の言っていることを理解できるかどうかは、語学力だけでなく、知識量にも左右される。つまり、私だって「桃太郎」なら英語で話されたとしても理解できる可能性が高いということだ。

そう考えると自分の英語力に絶望する必要はないような気がしてくる。「知っている話題以外理解できないようでは、語学を学ぶ理由はない」という指摘は、この際、却下しておく。


2005/9/12

飛び降り自殺

No.51

飛び降り自殺をする人がいる。

どうしてそんな死に方を選ぶのだろう。私なら絶対に飛び降りてから、地面に激突するまでの間、激しく後悔すると思う。体にものすごい加速度がかかるのと、それに伴う恐怖を感じながら、「ああ、飛び降りなければよかった」と考えるに決まっている。加速の後には、全身が砕けんばかりの激痛が待っているのが確実なのだ。

自殺しようと思うぐらいだから、正常な判断能力は失っているのだとは思うが、それにしたって他に方法はいくらでもあるだろう。睡眠薬とかガスとか。なるべく痛くなくて、怖くない方法を選ぶのが人の常ではないだろうか。
もしかしたら、「自分は空を飛べる」と思っているのかもしれないが、もうしそうなら、その行動は自殺ではなく、勘違いということになる。

高いところから飛び降りようとしている人を見かけたら、「ものすごく怖いから止めとけ」と声をかけるか、「人間は空を飛べないんだよ」と諭してあげたい。


2005/9/9

2018年5月31日木曜日

420円ちょうど

No.50

コンビニで418円の買い物をして420円を払ったら、「420円ちょうど頂きます」と言われた。

反射的に「あ、2円」と言ったのだが、心の中にやってきたのは微妙な後ろめたさと恥ずかしさ。そのままの勢いで「418円ですよね」とも言ったが、自分で自分に「たかだか2円ぐらいで必死になるなよ」と突っ込んでしまう。

店員さんは、しばらく自分の間違いに気づかずに、きょとんとした表情をしていたのだが、その間にも、恥ずかしさが募る。「お前が間違えて、なんで俺が恥ずかしがらなきゃならんのだ」と怒りも沸くが、ここで語気を強めるようなことをしてしまえば、ますます2円ごときで必死になっている男の姿が浮かび上がることになる。

時間にすればわずか数秒のことだったろう。おそらく、周りの人もそれほど気にはしていなかっただろう。それでも自分の度量の狭さをさらけ出したショックは大きい。


2005/9/8

シコ名

No.49

「琴欧州」というシコ名は大雑把すぎやしないだろうか。

力士のシコ名に出身地の地名をつける慣習があるのは分かるが、果たして彼の出身地を欧州と言ってしまっていいのか。ブルガリア出身なのだから、琴武流牙とかなんとかもうちょっと考えてやっていいのではないか。ブルガリアを代表する山の名前とか川の名前とかいろいろあるだろうに。本人だって、親方から初めて「お前のシコ名は琴欧州だ」と言われたときは、心の中で「もうちょっと絞り込んでくれよ」と思ったはずだ。

海外に行けば日本人も中国人も韓国人も一緒にされてしまうという話を聞いたこともあるが、そこはやはり、出身国別に認識してあげるのが人情というものだと思う。

バラエティ番組で見かけた琴欧州が人の良さそうな好青年だっただけに、「本当はシコ名が気に入っていないんだろうな」と思えてならない。


2005/9/7

歩き方

No.48

すごいガニ股で歩いている女性の後姿を見た。

赤いスーツの上下を着ているので、目だって仕方がない。隣を男性が歩いているのだが、この男性は女性のガニ股に気づいているのだろうか。別に恋仲という感じではなさそうだが、隣を歩いている女性がこれだけガニ股だと、
何か思うところがあるではと心配してしまう。

そんなことを言っている私も、歩き方ではよく注意される。「肩で風を切って歩いている」とか「ひょこひょこ歩いている」とか。大学時代には「高校時代に会ってたら、絶対に殴っていた」とまで言われたぐらいだ。なんせ自分の歩いている姿を客観的に見たことがないので、なんとも反応に困るのだが、私は私で変わった歩き方をしているのだろう。そういえば、信号待ちをしているとき、後ろからやってきた先輩に、「ものすごくうつむいて立っている人がいると思ったら、君だった」と指摘されたこともある。

いろいろ思い出したら、女性のガニ股にも寛容な気分になってきた。歩き方についてつべこべ文句を言う人は、心が狭いと思う。


2005/9/6

ビズ アイス

No.47

職場で口にするものとしては、どこまでが許されるのだろうか。

コーヒーとかはもちろんOKだろう。ジュースぐらいもいいのではないだろうか。でも、ビールは許されない。おそらく、ノンアルコールビールもだめだろう。食べ物でいうなら、クッキーとかせんべいは大丈夫。おにぎりとかでも、「ああ、忙しいんだろうな」というぐらいで許してもらえると思う。スナック菓子については微妙なところだが、女性ならOK、男性ならアウトという感じだ。

ここで微妙なのは、アイスクリームの存在である。別に、仕事に差し障りがあるわけではないのだろうけど、なんとなく不謹慎な印象はぬぐえない。「大人の職場でアイスかよ」という感じだ。アイスクリームの楽しげなイメージが、職場にはそぐわないというような気がして、私は職場でアイスクリームを食べる勇気がない。

ただ、今の職場にはアイスを食べている人もいる。うらやましくって仕方がない。

環境庁かどっかが、「ビズ アイス」とかなんとか提唱してくれないだろうか。


2005/9/5

新しい定理

No.46

夕方になるとやたらとビールが飲みたくなる。クールビズのせいだ。

職場がクールビズを導入したころは、実際はそれほど冷房の温度は上げてなかったと思う。ところが最近になって本気で冷房温度を上げたらしく、午後になるとうちわが手放せない。パタパタやりながら仕事をしていると、どうしても午後6時ぐらいをすぎると、「あーーーっ。ビール飲みてぇーーーっ」ということになるのだ。

きっと、クールビズを導入した職場なら、どこでも事情は同じだろう。同僚同士で、「ちょっと飲みに行くか?」なんていう会話も増えたはずだ。今や死語となった「飲みニケーション」の復活である。職場の風通しもよくなり、会社の活力も増し、飲み屋街にも人通りが戻って、いいことだらけではないか。

職場が暑いと職場の連帯感が強まる。新しい定理として、ここに発表したい。


2005/9/2

2018年5月22日火曜日

落ち着いて用を足したい

No.45

ウォシュレットの使い方が分からない。

自宅のトイレも職場のトイレにもウォシュレットがついている。実家に帰ったら、実家のトイレまでもウォシュレットになっていた。私は特にウォシュレットの必要性は感じないので使わないでいるが、ここまでウォシュレットが普及すると、使わなければいけないものなのかと思えてくる。

実は一度試しに使ってみたことがあるのだが、便座の背中側がびしょぬれになった。そのままにしておけば次の人に悪いので、トイレットペーパーでふき取ったのだが、なんだか面倒臭いなぁと思った覚えがある。乾かすのに時間がかかって、うるさいのも不満だ。「ちゃんとウォシュレット使えるかな」なんて不安に思っていたら、トイレの中で緊張しっぱなしということになってしまう。

時代遅れだとか、不潔だとか、そんなことはどうでもいい。私は落ち着いて用を足したいだけだ。


2005/9/1

荒木経惟のノブ

No.44

荒木経惟という問題もある。

有名な写真家なのだが、名前の読み方が分からない。仕方がないので、活字でこの名前を見かけると、心のなかでは「アラーキー」と読む。音読せよと言われればごまかしようがないのだが、これでなんとか乗り切ることができる。
言い訳のように心の中で、「あぁ、あの写真家ね。変な髪形で、サングラスかけた。奥さんが病気かなんかで亡くなったんだよね」なんて確認はするが、名前の読み方を知らないという現実には背を向けたままだ。

そんなわけで、普段の会話のなかでこの人が話題になることはない。新聞とか雑誌では割と頻繁に見かけるのに話題にのぼらないのは、名前の読み方の難しさが一因だと思う。「アラーキーがね、」なんて話を切り出す奴がいたら、
名前の読み方も知らないくせに知ったかぶりをしようとしている奴とみていい。

調べてみて分かったのだが、「あらきのぶよし」らしい。難しいにもほどがある。

せっかくなので今後、「経」という字を「荒木経惟のノブ」と説明して、優越感を味わいたい。


2005/8/31

志賀直哉のヤ

No.43

「哉」という字を「志賀直哉のヤ」と説明することが多い。

でも、志賀直哉ってそんなに有名だろうか。昔、国語の授業で習ったことは確かだ。「暗夜行路」とか「城の崎にて」の人だということは覚えている。でも、そもそも暗夜行路なんて読んだことないし、城の崎にてだって、「なんか変な話だったな」という程度の印象だ。夏目漱石とか太宰治とかに比べれば、はるかに知名度は低いだろう。

「哉」を使う有名人といえば、小室哲哉の方が知名度は高いと思うが、それでも、世の中の人は「小室哲哉のヤ」と言わない。やっぱり「哉」は「志賀直哉のヤ」だ。

今、思いついたのだが、「小室哲哉のヤ」と言わないのは、小室哲哉の微妙なイメージに原因があるような気がする。確かにヒットメーカーではあったのだろうが、微妙にB級。やっぱり坂本龍一には追いつけていない。「小室哲哉のヤ」と言われたら、思わず、「コムロテツヤって」と突っ込みたくなるだろう。多分、言っている方も半笑いだと思う。

漢字の説明で名前が引用されるようになるには、ステータスが必要なんだと思う。


2005/8/30

スパムメール

No.42

スパムメールの数が尋常じゃない。

この週末は、64通届いたメールのほとんどがスパムメールだった。「マジで会えるんです!!」とか「愛人契約成立しました」とかいったものがほとんどだ。誰がひっかかるんだろうと思うけれど、なかには、「お問い合わせの
件です」とか「青木です」とかいったのもあって、少し手が込んでいる。こういうタイプにもまずひっかかることはないのだけれど、これをスパムだと判断する習慣がつくと、本当に仕事関連のメールを削除してしまうこともある。

こうして日々、スパムメールの削除を続けていると、その多さに驚くと同時に、実際に意味のあるメールの少なさにも気づかされる。

誰も私に対して連絡をとろうと思ってくれないのだろうか。不安だ。


2005/8/29

アネックス

No.41

「アネックス」という言葉は、微妙にうさんくさい。

大型電気店なんかの名前によく使われるような印象がある。「なんとか電気本館アネックス」という感じだ。おそらく「別館」という意味なのだろう。なんとなく知っているのだが、何語なのかと聞かれると全く自信がない。

英語だろうか。でも、「アネックス」って、なんだか変身ヒーローみたいな語感だ。「ウルトラマンアネックス」とかいそうじゃないか。本当は英語でなくて、どっかの電気屋が考えた和製英語というような気もする。もしくはラテン語とか。フランス語とかイタリア語ではないだろうけど、なんとなく英語ではないような気もする。

そう思って調べてみたら、「ANNEX」と綴るちゃんとした英語だった。意味は「別館」で、間違っていない。

ただ、「《おどけて》…を横領する,盗む」という意味もあるところをみると、やっぱりちょっとうさんくさい。


2005/8/26

SFの世界

No.40

100歳まで生きたらどうしよう。

大体60歳で定年退職になったとして、そこから40年もある。何をして楽しめばいいだろう。ワクワクするような気もするし、「40年もやることねぇよ」というような気もする。そもそも、現段階でも40年もは生きていないのだから、想像つかないのも当たり前だろう。

やっぱりお腹もすくんだろうな。これってすごいことだ。100年も毎日、同じことをするなんて。一日3食食べるとすると、3×365×100=109500だから、10万9500食である。そんなに献立を考えるのも大変だ。困っちゃうな。

1日7時間寝ているとしたら、7×365×100=25万5500時間! SFだ。SFに出てくるような時間だ。

100年生きると、SFの世界に入るんだと思うことにする。


2005/8/25

英語コンプレックス

No.39

英語に関してはあきらめの境地にある。

英語が使えれば便利だとは思うが、特段、使えなければ困るような状況にはない。昔は英語で書かれた本とか、洋楽の歌詞が分かればいいなと思ったりもしたが、日本の本や歌詞でも十分に素晴らしい。所詮は日本人なのだから、日本の生活や文化を背景にした作品の方が楽しめるのは当然だ。

それに日本発の作品がいくつもハリウッド映画になったりしているのをみると、洋画見るヒマがあったら邦画を見たほうが良いとも思える。大体、ハリウッド映画なんてワンパターンだし、出演者を見ただけで展開と結末が分かるケースも多い。面白い映画もあるにはあるだろうが、エンターテイメントを求めるのなら、日本の小説を読んだほうが充実度は高いだろう。読みたいと思いながら読めていない本なんてものは、数えきれないほどある。

ただ、そんなことを考えながらも、年に何回か英語教材を買ってしまう。

コンプレックスとはこういうことだなと、しみじみ思う。


2005/8/24

2018年4月12日木曜日

ABCの歌

No.38

ABCの歌に自信が持てない。

子供のころには何の疑問もなく、
 ABCDEFG(きらきらひかる)
 HIJKLMN(おそらのほしよ)
 OPQRSTU(またたきしては)
 VWUandXYZ(みんなをみてる)
と歌っていた。

ところが、最近、子供(1歳)と一緒に歌のビデオを見ていたら、
 ABCDEFG(きらきらひかる)
 HIJKLMNOP(おそらのほしよ)
 QRSandTUV(またたきしては)
 WandXYZ(みんなをみてる)
と歌われている。

「えー? 本当かぁ?」と叫びたい気分だ。

「ほしよ」の部分に、「LMNOP」を当てはめるのは早口すぎないか? 「みんなを」の部分が、「W」だけというのはのんびりしすぎじゃないか?

しかし、そういえば、海外生活経験のあるヨメがビデオみたいな歌い方をしているのを聞いたことがある。これまでは「ヨメがいちびって、難しい歌い方をしているだけだ」と思っているのだが、最近では、日本育ちの子供までがいちびった歌い方をしている のだろうか。

もう、子供の前でABCの歌は歌えない。仲間はずれにされた気分だ。


2005/8/23

エアタオル

No.37

スーパーとかのトイレに設置してある「エアタオル」は役に立っているのだろうか。

手を洗った後に使うと、ブーンと暖かい風が吹き出てきて「手についた水が乾く」というアレだ。しかしまぁ実際の話、乾いているとは思えない。いつまでたっても手は濡れたままだし、あんまり長く使っていると、うるさくて仕方がなくなる。申し訳程度にちょっとだけ手をかざした後、髪の毛をいじるふりをして水気をなくしてしまうのがいつものパターンだ。

はっきり言ってしまえば、手だってそれほど真剣に洗っていない。ちょっと指先を濡らしているだけだ。どうせエアタオルで手が乾かないことが分かっているのだから、手がびしょ濡れになるほどまで手を洗うと、いつまでたってもトイレから出られないことになる。そんなことをしてトイレの洗面台を混雑させるぐらいなら、手を洗うのは適当に済まして、さっさと出てしまった方がましだと思う。

「エアタオルが役に立たない」と書き出してはみたが、実はそれほど困っていないことを告白してしまった。

ちなみに、私だって、トイレの中で何らかのトラブルに見舞われた場合は、きちんと念入りに手を洗うことを付記しておく。


2005/8/22

エビの世界

No.36

あ。ザリガニみたいな感じだろうか。

ザリガニは怒らせると、ハサミをふりあげて上半身をぐぐっと起こす。あの姿はエビ反りのイメージに近い。調べてみると、「エビ」とは、十脚目長尾亜目の甲殻類の総称。ザリガニは十脚目ザリガニ科だそうで、ザリガニを「エビの一種」といっても間違いなさそうだ。もしかしたら、イセエビなんかもザリガニみたいに、ぐぐっと上半身を起こしたりするのかもしれない。

エビといえば、ブラックタイガーとかクルマエビを思い出しがちだが、ザリガニも立派なエビの一つ。ちなみにクルマエビは十脚目クルマエビ科、イセエビは十脚目イセエビ科。かなり細分化が進んでいるようだ。

エビの世界は意外に奥が深いということを確認しておきたい。


2005/8/12

エビ反り

No.35

「エビ反り」という言葉があるが、あれはあれでいいのだろうか。

私の頭の中にあるエビは、背中を丸めるようにして曲がっている。いわゆる「エビ反り」とは逆だ。エビを、いわゆる「エビ反り」の方向に曲げようとすると、カラの部分がペキペキして 曲がらないのではないだろうか。

ヤフーの辞書検索で「エビ反り」を調べてみると、歌舞伎の演技の一。相手の威力に圧倒されるさまを様式的に表現するもので、片手または両手をかざして、からだを海老のように反らせる。「関の扉」の黒染、「太功記」十段目の操などに用いる。とある。「からだを海老のように反らせる」と書いてあるが、これでは何の説明にもなって いない。その「海老のように」の部分に自信が持てないのだ。

考えれば考えるほど不安になってくる。実は「エビ反り」は「エビ反り」ではないのか。それとも私が知らないエビの姿が存在するのか。


2005/8/11

鼻毛

No.34

鼻毛が出ている人がいた。出ているというか、溢れているという感じだ。

とある会社のエライさんなのだが、誰も注意してあげないのだろうか。左の鼻の穴だけで、右の穴から出ていないあたりが盲点になっているのだろうか。というか、そもそも本人は気づかないのか。左の鼻の穴から鼻毛が溢れているというのに。

なんてことを言っているが、私も鼻毛を抜くことがある。数年前からだ。昔は鼻毛が鼻の穴からはみだすなんてことは考えられなかったが、これも大人になった証なのだろう。1本だけだなと思って抜くと、2本だったことだってある。本人の予想を超えて存在し、周囲にアピールしているのが鼻毛の恐ろしいところだ。

もしも私が鼻毛を出していたら、迷うことなく指摘して欲しい。


2005/8/10

虹の七色

No.33

虹の七色が分からない。

春の七草なら分かる。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロだ。

中国の歴代王朝も分かる。夏殷周秦前漢後漢三国晋南北朝隋唐五代北宋南宋元明清中華民国中華人民共和国だ。

数字の位もわかる。一十百千万億兆京垓抒壌溝澗正載極恒河沙阿僧祇那由他不可思議無量大数だ。

でも虹の七色は分からない。赤、青、黄、緑、紫、えーと、オレンジ? あとーー、水色?

調べてみたら、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫だった。「藍色も紫も同じじゃねーか」とか、そういうことを言っていけない。 胸に刻むべきは、基本を疎かにしてはいけない、ということだと思う。


2005/8/9

2018年3月31日土曜日

自己PR

No.32

料理の元祖を名乗っている店がある。

親子丼とかカツカレーとかハヤシライスとか、元祖と名乗られると、なんとなく美味しいような気がしてくる。「創業者の○○が大正○年に…」といったようなうんちくが店内で紹介されていたりすると、美味しい気分がプラスされる。多少値段が高くても許せる気になるものだ。

そう思って「元祖焼き鳥」という看板を掲げた店に入ったら、実に普通の焼き鳥屋だった。味はそれなりに美味しいが、店内にうんちくはない。そもそも、鳥肉を串に刺して焼くだけの料理なんだから、大昔からあったって不思議じゃないのに、「元祖」を名乗っているあたりが胡散臭い。店員の対応がやたらと遅いこともあって、どんどん不信感が高まる。普通の焼き鳥屋なら許せるような、ちょっとしたことでも気にさわる。

自己PRの看板が逆効果になるケースがあることをふまえ、謙虚に暮らしていこうと思う。


2005/8/8

眼鏡かぶり

No.31

電車のなかで、かっこいい眼鏡をかけている男の人が座席に座っているを見た。

金属のフレームが青っぽい色で、耳にかける部分が微妙な感じにうねっている。「おお、かっこいいな。こだわりがあるんだな」と思って、ふと、隣を見ると、隣に座ってる男性も、同じような眼鏡をしている。青っぽい金属のフレームで耳にかける部分が微妙な感じにうねっていた。

どちらもスーツ姿なのだが、服装や髪型にもちょっとしたこだわりがある。ひょっとしたら、ファッション関連の業種で働いているのではと思わせるようなたたずまいだ。でも、かけている眼鏡が隣とカブっている。せっかくのお洒落ムードも台無し。

その二人は座席に座ったまま寝ていた。もしもどちらかがこの状況に気付いたら、ちょっとうつむき気味になって、静かに席を立つのだと思う。


2005/8/5

かゆいところをかく

No.30

子供のころ、蚊に刺されたり、あせもになったりした場所をかいていると、親から「余計にかゆくなるからかくな」と怒られた。

なんとなく分かるような気もするが、よく考えれば、理不尽極まりない。「かゆくなるからかくな」というだけでは、今のかゆみに対する解決策はどうなる。「かくな」というのなら、かゆみを止めるための代案を示してもらいたい。

あと、咳をしていたら、「余計に咳がでるから、咳をするな」と言われたこともある。こちらはさらに理不尽。咳を止められるぐらいなら、最初から咳などしていない。

かゆい場所をかいている時、大人になって良かったと思う。


2005/8/5

カネの問題

No.29

背が低くて体が小さいので、ちょうどいいサイズの服が見つからない。

最近になって、SサイズとかXSといったサイズもよく見かけるようになったが、以前は少し大きめのサイズの服を着て、「仕方ない」と思っていることが多かった。どうせ仕方なく着る服なのだから、それほど真剣に選ぶこともない。着るものに大してこだわってこなかったのは、体が小さいことも理由のひとつだと思う。

と、思っていたら、先日、誰だったか体が小さいという人が、「子供のころから体が小さくて、いつもあつらえの服を着ていた。それで服装へのこだわりができた」という文章を書いているのを読んだ。

どうやらカネの問題らしい。


2005/8/3

クールビズ

No.28

クールビズに否定的な人と話したことがある。

お上がクールビズと言い出しただけでネクタイを外すのはよくない、とか、ネクタイを外しただけでお洒落になったような気になっているのはカッコ悪い、どうせやるなら、服装をトータルに見直さなければならない、というのが否定的な立場を取る理由らしい。

私は今年になってネクタイを外したクチだが、そんなことを言われても困る。暑いから「ネクタイを外したいな」と思っているところに、「ネクタイを外してもいい」というムードが盛り上がってきたから、便乗して外しただけだ。それに、ネクタイを外したから、お洒落になるわけじゃないという意見には賛成だが、だからといってネクタイをしていればお洒落だというわけでもあるまい、とも思う。どちらにしても大してお洒落じゃないのなら、暑くない分、ネクタイを外した方がましだ。

ただ、私は通勤途中にスーツの上着を着ていて、職場につくと上着を脱ぐ。職場ではまずウチワを使って、汗だくになった体を冷やすのが日課といってもいい。

自分でも何を考えているのか分からない。


2005/8/2

2018年3月13日火曜日

"The Shortest History Of Europe"

“THE SHORTEST HISTORY OF EUROPE”という本を読んだ。

John Hirstというオーストラリアの歴史学者が2009年に出した本です。ウィキペディアによると、9カ国語に翻訳されているとのこと。米国を離れたもので、ちょっと欧州のことでも勉強してみよう、そのためにはまずは歴史からということで、読んでみました。この本を選んだのは、アマゾンで星がたくさんついていたからです。

イントロダクションの冒頭が素晴らしいです。

If you like to skip to the end of a book to see what happens, you will enjoy this book. The endings start soon after it begins. It tells the history of Europe six times, each from a different angle.

読む気になります。つまり、科学の発展について古代から現代まで、宗教の広がりについて古代から現代まで、政治制度の発展について古代から現代まで、といった具合に、個別のテーマにそって歴史を簡潔に振り返っていきますよということです。

で、その前に、欧州の歴史や文化を形づくる重要な3つの要素についての説明や、おおざっぱな古代と近代と現代の区別についての説明がついています。

欧州の歴史や文化を形づくる重要な3つの要素というのは、古代ギリシャ・ローマの文化、キリスト教、ゲルマン民族の戦士たちです。

古代ギリシャ・ローマの文化は、論理を重ねていけばシンプルな答えがみつかるはずだという信念に基づいています。こうした思考法は現在に至るまで、科学の発展の礎になっています。アリストテレスやプラトン、ソクラテスといった哲学者が積み重ねた思考であるとか、アルキメデスやピタゴラスが生み出した数学の基礎となる考え方は、ローマ帝国のもとでも絶対的な教養として受け継がれていきました。

キリスト教は、その前にあったユダヤ教の一神教という形式を受け継ぎつつ、ユダヤ人以外でも入信できるスタイルをとりました。それにキリスト教というのは「隣人を愛せよ」「頬を打たれたら、反対側の頬を差し出せ」といった風に、基本的には平和的な宗教というのも特徴的です。ひとつの神のもとで人々が平和に暮らすことが理想だというわけで、欧州で多くの人に信じられるようになりました。

そしてゲルマン民族の戦士たちは、ローマ帝国を侵略します。で、面白いのは、ゲルマン民族は侵略して略奪することはしても、統治するという能力には欠けていたということ。このためローマ帝国後の欧州には中国のように巨大な帝国が生まれることはありませんでした。

欧州の歴史は、この3つの要素がからみあって、展開していきます。

最初のころ、ローマ帝国はキリスト教を弾圧します。ローマ皇帝は各国が帝国に従う限りは各国の自治に寛容でしたが、キリスト教徒は神にしか従いません。これがユダヤ教であればユダヤ人だけの話で済むわけですが、キリスト教は万人に対して開かれているので放っておくと、どんどん信者が広がっていくやっかいな存在です。

ところが313年、ローマ皇帝のコンスタンチンが自らキリスト教徒になるという、奇跡が起きます。キリスト教はローマ帝国の国教になりました。ローマ帝国の庇護のもとで、キリスト教は法王をトップとして各地の教区に司教や神父を配置するヒエラルキー型の統治システムを築きあげていきます。キリスト教のルールは結婚や相続といった生活上の問題にも適用されるようになり、さらにお布施のような形での徴税システムもつくられていきます。

で、このローマ帝国がゲルマン民族の進入を受けて分裂し、西ローマ帝国が滅びます。でもゲルマン民族は統治には関心がないですから、キリスト教の統治システムは生き残る。一方、ローマ帝国のもとで発展したキリスト教の統治システムは、古代ギリシャ・ローマの文化の影響も強く受けています。例えば、キリスト教の正当性を示すための説明は、古代ギリシャで発達した論理的な考え方に基づいてなされています。こうした古代ギリシャ・ローマの思考法は、キリスト教を通じて、ローマ帝国が滅んだ後も欧州に広がっていきます。

で、ゲルマン民族の戦士たちなんですが、自分たちの力では税金を集めることもできません。なので各地を侵略したゲルマン民族のリーダーたちは王となったうえで、侵略した土地を仲間たちに分け与えます。そのうえで、戦争の必要があれば、兵隊を出すことを約束させます。ゲルマン民族の戦士たちというのは、戦うことが好きで戦士であることに誇りを感じているけれど、それ以外のことはどうでもいいのです。こうした約束をした仲間たちは、分け与えられた土地を統治して、貴族になっていきます。彼らは土地を私有財産のように扱うようになり、王の統治を絶対的なものとは受け止めないようになっていきます。こうした「支配者の力は限定されるべきだ」というものの考え方は、欧州の政治文化のバックボーンとなりました。

そして当然ながら、ゲルマン民族の戦士たちはキリスト教徒になります。統治のためにはキリスト教のシステムに頼るしかないのです。平和的な宗教であるはずのキリスト教も少しずつ変質します。戦うことに誇りを感じるゲルマン民族の戦士たちは、キリスト教のもとで良い行いのために戦う騎士になり、異教徒から聖地を取り戻すため、騎士団がつくられたりします。騎士は弱い者、特に高貴な女性を守ることにも誇りを持ちます。これも欧州文化のひとつの要素として受け継がれていきます。

西ローマ帝国の滅亡(476年)から1400年ごろまでを中世というそうです。

まぁ、このあたりが第1章ですね。

こうしたバックグラウンドを頭に入れたうえで、この後に続く、ルネサンスとか宗教革命とか産業革命とかフランス革命とかロシア革命とか、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの流れとかについての説明を読んでいくと、「なるほど」と思わせられるという仕掛けの本です。いずれも簡潔に大変面白く書かれているのですが、それでもいちいち紹介していると大変な分量になるので割愛。

こうした内容は日本でも高校の世界史なんかで習ったりするのかもしれませんが、私には新鮮でした。ギリシャ・ローマの文化は絶対的な教養、ゲルマン民族は野蛮な人たち、キリスト教の権威というのは統治システムに基づいたもの、といったイメージも、この本を読まなければ持つことがなかったように思います。いちいち説明するまでもない常識なのかもしれません。

これからは個別のテーマについての本を読んでいきたいと思います。

2018年3月4日日曜日

耳が大きくない

No.27

動物園でゾウを見た。耳が大きくない。

せっかくテレビでゾウを見て「耳がでかい」とはしゃいでいたのに。結構ショックだ。どうやら、アフリカゾウの耳は大きいが、インドゾウの耳はそれほどでもないらしい。

ほかにも、トラだって、アムールトラとかベンガルトラとかの種類がある。ライオンだって、アフリカライオンとインドライオンがいるようだ。ちなみに、アムールトラはベンガルトラより大きい。インドライオンはアフリカライオンより小さく、たてがみも短い。ゾウとかトラとかライオンとか、ひとくくりにされがちなメジャーな動物にも差がある。きっとそれぞれにこだわりもあるのだろう。「アムールと一緒にすんじゃねぇよ」とか。

これからゾウの特徴を尋ねられることがあれば、「アフリカゾウ? それともインドゾウ?」と聞き返したい。


2005/8/1

男前

No.26

男前も大変だと思う。

男前だとやっぱり目立つし、普通にしていてもカッコつけてるように思われる。だらしない姿をしていると、それはそれでマイナスポイントとして目立つだろう。年を取って、ハゲたり太ったりしたら、「昔はカッコよかったのに」と残念がられる。本人としてはどうしようもないのに、勝手に評価が下がっていくのだ。

あと、男前にも色々ある。やや太めの眉毛がきりっと伸びていて、目も大きくて、鼻筋もシュッと通っているような、「昔の映画スター」的な顔は今どき流行らない。女性の場合より、男前の基準は大きく変化するような気がするだけに、男前の方々には、心よりお見舞い申し上げたい気持ちで一杯だ。

これからも世間の視線に負けずに頑張ってもらいたい。


2005/7/29

小銭を落とす

No.25

お釣りをもうらうとき、よく小銭を落とす。

落とさないようにと思って手を大きく開いたりすると、指の間から小銭が落ちる。店員さんは「あっ。すみません」などと謝ってくれるが、謝らなければならないのはこっちだ。心の中で「私が指の間を大きくあけていたばっかりに」と恐縮する。

小銭を落とすのは、なるべく早くスムーズに支払いを済ませたいと思って、すぐに手を引っ込める傾向があることが原因なような気がする。しかし、そんな「格好つけたい」という思惑の結果は、しゃがんで小銭を一枚一枚拾い上げるという格好悪い姿。

小銭を落としても無視して店を出るぐらいになれれば、本当に格好よくなれる気がする。


2005/7/28

ゾウの耳

No.24

テレビで見ていて思ったのだが、ゾウの耳はでかい。

ゾウのいえば、鼻の長さばかりが注目されがちだが、耳の大きさも半端じゃない。見れば見るほど大きな耳だ。なんだかテンションが上がってくる。

すごいぞ、すごいぞ。顔よりも大きな耳だ。しかも2枚もあって、パタパタしている。これは大発見ではないのか。「ゾウの耳はでかい」。

これからゾウの特徴を尋ねられることがあれば、「耳がでかい」と答えることにしたい。


2005/7/27

刑事コロンボ

No.23

時折、職場のどこからか流れる携帯電話の着メロが気になる。

どうやら「刑事コロンボ」のテーマ曲のようだ。ただ、着メロはすぐに止められてしまうので、確信はもてない。しかも私の背中側の席から流れてくるので、誰の携帯が鳴っているのかも分からない。昔の水曜ロードショーで刑事コロンボを放送するときに流れていたテーマ曲は、特徴のある音とメロディーなので間違いないとは思うのだが、絶対とは言い切れない。

刑事コロンボは大好きだ。もしもそんな着メロがあるのなら、私だって使いたい。それに、そんなシブい着メロを使っているのは一体誰なのかにも興味がある。

もしかしてすごい美人だったりして。その彼女とコロンボの話題でものすごく盛り上がったりしたらどうしよう。それがきっかけで仲良くなったりして、あんなことになったり、こんなことになったりしたらどうしよう。どうすればいいんだろう。確認したい。でも確認できない。もどかしくてたまらない。

仕方がないので、着メロが止められた後、自分で続きを小声で口ずさんだりしている。とびっきりの美人が話しかけたりしてくれないだろうか。


2005/7/26

2018年2月25日日曜日

メダル

メダルの数を増やしたらどうだろう。

オリンピックのメダルは金、銀、銅だ。4位の人は何ももらえない。でも、世界で4位だって相当すごい。なにせ銅メダルの次にすごいのだ。なのに世界で4番の人は残念そうな表情になる。なんとも気の毒だ。

だから4位にも5位にも6位にもメダルをあげたらいいと思う。4位には「ステンレスメダル」、5位には「鉄メダル」、6位には「アルミメダル」なんてどうだろう。7位は「木メダル」、8位は「布メダル」だ。

でも、これだと9位の人が残念がるかもしれない。ならばもう、参加者全員にシールをあげたらどうか。1枚1枚デザインが違って、なかにはマスコットキャラに眉毛がついたレアなシールがあるのだ。意外と金メダリストの方が「あっ。そのシールいいなぁ」なんてことを言うかもしれない。

誰に迷惑をかけるわけでもない。2020年に向けて賛同者が現れてくれることを期待したい。

吉幾三

No.22

朝から「俺ら東京さ行ぐだ」が頭の中で流れ続けている。

仕事の相手先と話をしていても、「俺らこんな村イヤだぁ~」。
相手先からやんわりと抗議されても、「東京へ出るだぁ~」。
上司に仕事のやり直しを命じられても、「銀座に山買うだぁ~」。
緊張感がないことこの上ない。

何がきっかけだったのかは思い出せない。
朝、読んだ新聞に原因があったような気もするが、それほど直接的な記事はなかったと思う。

どうやら私の心の中に、「内なる吉幾三」がいるようだ。なんだか悲しい。


2005/7/25

名刺入れ

No.21

古い名刺入れを使っている。

と、言っても別に骨董品というわけじゃない。会社に入ったときに無印良品で
買った600円ぐらいの名刺入れ。アルミっぽい金属のやつだ。もう10年使って
いるので、日ごろ使っている道具のなかで、最も長い期間使っているモノではないか。
未だに使えなくなるような気配はなく、これからも使っていきたい。

と、思っていたら、自宅にあるブラシは、確か中学生のころから使っているような気がしてきた。
こちらは、そろそろ買い換えた方がよいのではないか。まだ使えるけど。


2005/7/22

エスカレーター

No.20

エスカレーターの上りと下りはどうにかならないものいか。

スーパーなどで買い物をしているとき、上の階にあがろうとしてエスカレーターの前まで
歩いていくと、そこに下りのエスカレーターがある。下の階に降りようとして、エスカ
レーターにたどり着くと、そこにあるのは上りのエスカレーターだ。

店内にはちゃんと「上り」「下り」を示した看板がぶら下がっていることが多い。
しかしそれは大抵の場合、極めて小さいものであるうえ、同じような図柄で有る場合が
大半だ。小さい活字の「上」か「下」か、矢印が上に向かっているか下に向かっているか、
そんな細かな違いでしか判別できない。眼鏡をかけている私の場合は、看板を判別する
にも、えっちらおっちらと看板の近くまで歩いていって、「あ。逆…」と思うことになる。

「正しいエスカレーターの見分け方」。こんな本があれば、ベストセラーになると思う。


2005/7/21

不意打ち

No.19

わりとよく道を尋ねられる。

今朝もヘッドホンを聞きながら信号待ちをしていたら、通りかかったおばちゃんに
「カナスギ橋はどちらの方ですか」と聞かれた。周りにたくさんの人がいるのに、
どうして私に声をかけてくるのだろう。私がヘッドホンを使って、外に漏れている
だろうぐらいの大きな音で音楽を聴いているにもかかわらずである。

イギリスを旅行中、駅の構内をうろうろしていたときも、現地人らしいおばちゃんの
グループに「○○行の列車はどのホームから出るのか」と尋ねられた。
他に利用客もいるし、駅員もいるし、すぐそこには案内用掲示板も出ている。なのに、
どうして明らかに英語が話せなさそうなムードをかもし出しているアジア人に声を
かけるのか。

そもそも私は方向音痴だ。職場の近くで、地図を手にもった20歳そこそこの男性に
道を尋ねられ、ちょうど持っていた地図を出して説明を試みたが、結局、その男性の
目的地が地図上のどこにあるかが分からず、「とりあえずあっちの方」などと答えた
こともある。だから私に道を尋ねられても困るのだ。

親切にしたいのはやまやまだが、すばやく的確に教えようとすればするほど焦ってしまう。
自分で道をちゃんと調べてないくせに、路上で人を不意打ちするような真似は慎んでもらいたい。


2005/7/20

担々麺

No.18

体調が良くないので、とりあえず栄養のあるものを食べようと思った。

でも、何が「栄養がある食べ物」なのかが分からない。
うなぎとかトンカツとか、なんとなくカロリーの高そうな食べ物なら思いつく。
でも、カロリーが高いのと、栄養があるのとでは、違うのではないだろうか。

もっと、ビタミンとかカルシウムとか、そういうものが豊富だった方がいい。
だからといって、野菜サラダを食べていたのでは、体力がつきそうにない。
それに、サラダを大量に食べても、摂取できるビタミンの量は大したことないという
話も聞いたことがある。カルシウムにいたっては、牛乳と煮干しか知らない。

悩んだあげく、昼飯は坦々麺にした。結局、食べたいものを食べてしまった気がする。


2005/7/19

2018年2月11日日曜日

週刊漫画ゴラク

No.17

朝の電車のなかで、「週刊漫画ゴラク」を読んでいる人をみた。

朝から読むような雑誌じゃない気がする。
別の方向には、携帯電話でロールプレイングゲームをしている人がいた。
ちっちゃい画面を真剣に見つめて、ちっちゃいボタンを操作している。
今日は、車両内の床に座り込んでいる女性もいた。三角座りをして、うつむいて寝ている。
かばんも床に置いてしまっていて、「もうどうでもいいや」という気分が伝わってくる姿だ。
電車の中にはいろんな人がいる。

車内でやたらとキョロキョロしている私も同類なのだろう。
週刊プレイボーイの中吊り広告を見て、ニヤニヤしていることだってある。

見出しの面白さに笑っているだけなのだが、周りがそうは見ていないのは確実だ。


2005/7/15

名古屋コーチン

No.16

名古屋コーチンという問題もある。

「名古屋コーチンを使っています」と謳っている店に入って、料理を食べてみたら、
胸肉を使っていたというケースだ。しかもまた、妙に値段が高かったりする。1150円とか。

名古屋コーチンは美味しい。名古屋コーチンの焼き鳥を食べれば、焼き鳥感が変わる。
しかしその一方で、名古屋コーチンの胸肉を食べれば、名古屋コーチン感が変わる。

やっぱり、もも肉じゃないとダメだ。もも肉。
結局はケンタッキーフライドチキンが美味しい。

そんな結論になってしまうあたりで、私の味覚なんて大したもんじゃないことが分かる。


2005/7/14

地鶏

No.15

地鶏の価値が分からない。

「地鶏を使用しております」などという店で食事をしても、それほど美味しいと思えない。
「地鶏焼き定食」(950円)といった具合に、やけに値段が高かったりすれば、なおさらだ。

それに引き換え、「鶏の唐揚げ定食」(550円)は、なんとも美味しいと思える。
1皿に5つ乗った唐揚げのひとつずつを、慈しむかのようように食べたくなる。
どんなに小さい唐揚げでも、二口に分けて食べたくなる。

大体、地鶏って何だ。定義が広すぎやしないか? ぼったくろうとしてるんじゃないのか?

そんな疑心暗鬼が美味しさを半減させるのだと思う。


2005/7/13

No.14

他人の傘だけでなく、他人の襟も気になる。

クールビズ導入を機に、自分でワイシャツにアイロンをかけるようになって、
想像以上の難易度の高さを実感しているからだ。アイロンがけをなめていた。

アイロンがけに苦闘していると、だんだん「これはシャツの縫製が悪いのでは」と思えてくる。
きれいにアイロンがかかったシャツを着ている人をみると、きっと高級なシャツを着ているのだと妬む。

ここにもダークサイドに落ちていく自分がいるような気がする。


2005/7/12

傘がない

No.13

先日、職場の傘立てに置いておいた傘がなくなった。

このことを職場の先輩に話すと、「自分だったら、他の傘を持って帰る。傘は天下の回りモノだ」との返事。
世の中そんなもんかとも思うが、気の小さい私には、なかなかそのような豪胆なことはできない。

それ以来、晴れの日も雨の日も傘立てを覗き込んでいる。戻されている様子はない。
なくなったのと同じ色の傘を持っている人がいると、傘を凝視している自分に気づく。
「こいつが傘を盗ったのではないか」。どんどん人を疑う心が染み付いていっている。
コンビニで買った1000円の傘に、自分の心の狭さを証明されたかのようだ。

こんなことなら、他の傘を持って帰ってしまった方がいさぎよかったかもしれない。

ダークサイドに落ちてしまいそうだ。


2005/7/11

2018年2月2日金曜日

豚丼

No.12

吉野家の豚丼は美味しいと思う。積極的に美味しい。

もうすっかり、牛丼の味を忘れてしまったぐらいだ。
個人的には牛丼に復活してもらわなくても構わない。

それでも牛丼が復活したときに食べてみたら、「あぁ、この味だ」と思うのだろうか。

それを確かめてみたいという意味では、牛丼の復活は楽しみだ。


2005/7/8

思いがけない男前

No.11

思いがけない人が、「男前」に見えることがある。

最近では、中川経済産業大臣が堤真一に見えることがある。
上司がリチャード・ギアに見えたこともある。もちろん日本人だ。
どんぐりみたいな顔をした人なのだが、目が小さくてつぶらなのと、
髪の毛が白髪まじりであることが効いているいるのだろう。

こうした出来事はどんどん本人に伝えた方がいい。
どうせ人間の顔なんて似たようなものだから、嘘をついているわけではない。
何の罪もなくいい気分になってもらえるわけだから、間違いなく善行だ。

ただ、人選には注意を要する。
私は唐沢寿明に似ていると言われたことがあるが、勘違いしているとしか思えない。
坂東玉三郎に似ていると言われたこともあるが、感想は微妙だ。


2005/7/7

トイレで歯を磨くな

No.10

歯磨きとえいば、職場で昼食の後、歯を磨いているヤツが許せない。
歯を磨くこと自体には問題はない。ただ、トイレで磨くのは止めてもらいたいのだ。

昼食の後、大をしようとトイレに入ったとき、歯を磨いている人がいたときのショック。
気にせずに個室に入ってしまってもいいのだが、外には歯を磨いている人がいるのだ。
きっと清潔好きな人なのだろう。1日3回、食後に歯を磨いているに違いない。
それに引き換え、大をしようとしてる自分。もしかしたら音も聞こえるかもしれない。
「不愉快な気分にさせるのではないか」。そんな気分で、私はいつも個室に入るのをあきらめる。

ただトイレは本来、用を足す場所である。その意味において私の方が正当だ。
歯を磨いている方が、「清潔好きでごめんなさい」と思うべきなのだ。

「トイレで歯を磨くな」。声を大にして主張したい。


2005/7/6

口が臭い

No.9

そんなことを気にしている私だが、ヨメに「口が臭い」と言われたことがある。
動揺していると、「たまにやで」とフォローしてくれたが、心に受けた傷は深い。

それを機に夜にしかしていなかった歯磨きを朝もするようになった。
今では、朝起きてすぐ歯を磨かないと、どうも口の中に不愉快な感覚を覚える。

これでもう「口が臭い」などと指摘されることはないと思っていたら、
ヨメから先日、「歯槽膿漏になってるで」と言われた。

私は一体どうすればいいのだろう。


2005/7/5

2018年1月23日火曜日

How To Be Black

"How To Be Black"という本を読んだ。Baratunde Thurstonという黒人のブロガーが、黒人のあるべき生き様についてユーモアを交えて書いたエッセイです。前に読んだ"Let's Pretend This Never Happened (A Mostly True Memoir)"のJenny Lawsonが、面白い本だとして言及していたので読んでみた。

まぁ、面白いですが、説教くさいです。ローソンさんの本の方が純粋にバカで面白い。

ちょっと長い中断を挟んで読んだので、内容を正確に記憶しているわけじゃないですが、この本は"the ideas of blackness, how those ideas are changing, and how they differ from the popular ideas promoted in mainstream media and often in the black community itself"について書いた本です。面白い内容ではあります。

例えば、黒人には「熱狂的なオバマ支持者」というイメージを持ちがちですが、黒人の側からすればそういうステレオタイプなイメージをもたれること自体がなんか不愉快だったりするんだそうです。職場で白人の同僚から「オバマ大統領って素晴らしいよね」なんて話かけれたりすると、「お前、俺が黒人だから当然オバマを支持しているっていう前提で話かけているだろう?」なんて思うわけです。この同僚は白人に対しては不用意にそんな問いかけはしないはず。白人のなかにはオバマ嫌いな人もいることはよく知られた事実だからです。でも、この同僚は「黒人は全員オバマ支持者」だと決めつけている。もちろんオバマ支持の黒人は多いわけですが、黒人からすればオバマ支持者だと決めつけられるのもなんか嫌っていうわけですね。

また、サーストンさんはこの本で、自分以外の黒人の視点も紹介するため、複数の友人にもインタビューして体験談を集めています。黒人が子供時代に初めて黒人であることを意識する瞬間なんていうエピソードとか具体的で面白いです。

黒人の間でも「いかに黒人であるか、あるべきか」という問題について意識の温度差があることについても、たくさんのエピソードが出てきます。黒人の人権運動の指導者なんかは「黒人が歴史的に負わされてきた重荷」について語るわけですが、そこまで熱くなれない黒人もいる。でも、そういう態度をとっていると「勉強不足だ」と糾弾されかねない雰囲気もあったりするらしい。あと、母親のことを"mother"と表現したりすると、親戚のおじさんから「どうして白人みたいな話し方をするんだ」と言われたりする。以前読んだ"Please Stop Helping US"にも似たようなエピソードがありました。

さらにややこしいのは黒人の間での出自に関する連帯感というか阻害意識といったものです。サーストンさんのファーストネームの「Baratunde(バラトゥーンデイ)」というのはナイジェリア系の名前なんですが、ナイジェリアでよくある"Babatunde"とはちょっと違う。そんなわけで生粋のナイジェリア系の黒人から、「ナメた名前してんじゃねーぞ」ぐらいの雰囲気でからまれることもあるそうです。われわれ部外者は「黒人は黒人同士でみんな仲良し」ぐらいに思っているわけですが、意識の違いはいくらでもあるわけです。

ちなみに著者のサーストンさんはワシントンDCで育ち、父親はドラッグがらみの犯罪で射殺されたそうです。でも、チェルシー・クリントンやオバマ大統領の娘たちも通っていた(る)私立学校Sidwell Friends Schoolからハーバードに進学した高学歴の持ち主でもあります。そんな白人社会での育った経験から、「黒人と白人の相互理解を深めるには、黒人は白人の友人を作ることが大切だけど、あまり白人と仲良くなりすぎると黒人から批判されるので微妙なバランス感覚が重要だ」とか「二人目の黒人大統領を目指すなら、人種問題を強調しすぎると白人からの支持は得られない。黒人の経済問題は『都市部の経済問題』と言い換えるぐらいの気配りが必要」なんてことも書いてある。

そして「二人目の黒人大統領こそ実際は最初の黒人大統領だ!」とも言っている。その理由は、オバマが大統領になったことで多数派である白人の「黒人に支配されることへの恐れ」が顕在化して、二度と黒人大統領が誕生しない可能性だってあるからです。二人目の黒人大統領が誕生しなければ、オバマ大統領誕生は「単なるまぐれ」だったってことになりかねない。

とまぁ、そんなことが書いてある本です。基本的には黒人の読者を想定しているようなので、私のような東アジア人からすれば「世の中には黒人と白人しかないような世界観で話してんじゃねーよ」っていう気分にもなりますが、まぁそれは、この本を選んだ私の責任だとも思います。

ワキの臭い

No.8

この季節になるとテレビでよく制汗剤のCMがよく流れる。
登場するのは、女子高生やOLといったうら若き女性ばかりだ。

そんな彼女たちはいつもワキの臭いを気にしている。
部活をしていても、オフィスで仕事をしていても気にしているのはワキのことばかり。
そんなCMを見るたびに、「君たちのワキはそんなに臭いのか」という疑念というか、
不安というか、とにかく「本当にそうなのか?」という思いが頭をよぎる。

男だって、そうワキの臭い奴がいるわけじゃない。
それなのに女のワキはとんでもないことになっているのではないか。大丈夫なのか。

女性が少ない職場にいると、訳の分からない想像がふくらむ。大丈夫だろうか。


2005/7/4

惜しい人

N0.7

世の中には「惜しい」人がいる。

先日電車のなかで見かけた女性は、なかなかの美人でスタイルもよかった。
年齢はそれほど若くなかったけれど、いい感じにキャリアを積み重ねてきた
「できる女性」のオーラを醸し出していた。

でも、髪の毛に何かくっついている。ガムみたいだ。

その女性は座席に座っていたのだが、目の前に立っている私は気になって仕方ない。
思わず髪の毛に手を伸ばそうかとも考えたが、車両内での変態行為は慎むことにした。

もしかしたらガムじゃないのかもしれない。何か事情があるのかもしれない。
でも、どうしても髪の毛に付着した何かが気になる。オーラも台無し。


2005/7/1

N0.6

泣き虫という言葉がある。勉強の虫とかいう言い回しもある。
「虫」には、「~ばかりしている人物」という意味あいがあるようだ。

なぜ、虫なのだろう。

虫ってなんだか変じゃないか。骨無いし。複眼だし。サナギになるし。頭悪そうだし。
昆虫はもともと地球外生命体だ、という主張をする人もいるらしい。
ちょっと納得できるではないか。人間とバッタがどこかでつながっているとは思えない。

それなのに人間に対して「虫」という表現を使うのは如何なものか。
「象」とかの方が親しみやすくていい。泣き象とか、勉強の象とか。


2005/6/30

ローストビーフ

N0.5

ローストビーフの気取り方が気に食わない。なんか高級ぶってる。

立食形式のパーティなんかでも、偉そうに扱われている。
それなのに食べてみると、薄くて冷たい。
味だってなんとなく美味しい、といった程度だ。感動するほどのものではない。
世の中に「好きな食べ物はローストビーフ」という人がいるのだろうか。

今日、食べたローストビーフのサンドイッチは399円した。
ハムカツサンドにすればよかった。


2005/6/29

じいさん化

N0.4

先日、本屋を歩いているとき、自分が両手を腰の後ろあたりで組んでいることに気づいた。
じいさんがのんびり散歩しているみたいなポーズだ。マンガ的ですらある。

太ったり、ハゲたりしているわけではないのに、思わぬところで気づかされた自らの老い。
体の老化を気にするよりも、精神面の老化に気をつけた方がいいかもしれない。


2005/6/28

再放送のお知らせ

10年ほど前に書いていた「どうしようもない下り坂」という雑文サイトをずっと維持してきたのですが、そのためだけにヤフーに毎月1000円ほど払うのが嫌になってきたので書いた文章をこちらに移そうかと思います。ちょうど使ってきたクレジットカードがサービスを停止するタイミングで、新しいカードを登録しなければならないこともきっかけです。

まぁ、わざわざ移し替えるほどの内容もないのですが、ちょっと思い入れもあるもんで。ヒマなときにでも読んでみて下さい。全部で887本の雑文です。

2018年1月19日金曜日

巨乳

No.3

かつて巨乳ブームがあった。今はないような気がする。
「ボイン」という言葉は大橋巨泉が朝丘雪路に対して使ったというのが最初だそうだ。
1970年前後のことらしい。

永井豪のハレンチ学園の連載が少年ジャンプで始まったのが1968年。
河合奈緒子と柏原芳恵のデビューが1980年。野田義治の堀江しのぶが1985年。
以降は野田氏の尽力で、ずっと芸能界に「巨乳枠」があった気がする。意外と歴史がある。

巨乳が異形であることに気づかせてくれたのは2000年ごろに出てきた叶姉妹だと思う。

いや、だからどうってわけじゃないんですが。


2005/06/27

おはぎ

No.2

出張で京都に行っていた先輩がお土産におはぎを買ってきてくれた。
その先輩は結構味にこだわるタイプで、そのおはぎはお気に入りの一品とのこと。
せっかくなので1個もらった。

ところが私はおはぎなどほとんど食べたことがなく、その美味しさが分からない。
先輩が何かコメントを欲しがっているのは分かるのだが、思いつく感想は
「やわらかいですね」ぐらいのもの。最後に「うまかったです」とだけ言ったものの、
本当は「中のおもちが小さすぎる。あんこばかりだ」と思っていた。

なんとなく流れる気まずい雰囲気。おはぎなんて買ってきた、あんたが悪いと言いたい。

こんなことを書いている間も先輩は隣で仕事をしている。ドキドキものだ。


2005/6/23

はじまり

No.1

ちょっと文章を書いてみることにしました。
モットーは「どうでもいい」「目立たない」「疲れない」の3つ。
ヒマな人はのぞいてみてください。


2005/6/22