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2019年2月24日日曜日

Churchill

"Churchill"という本を読んだ。ポール・ジョンソンという英国の作家が2010年に書いた本です。

このところ第一次世界大戦ごろからの欧州の歴史に関する本を読んできて、やはり英国のことを知っておいた方がいいだろうと、ひいてはチャーチルを中心として英国史を解説してくれる本があれば分かりやすいんじゃないかと思って読んでみました。

ただ、ちょっと弱気になって「チャーチルの本なんて山ほどあるだろうから、まずは初心者向けの短いやつでも」と思って選んだ本です。192ページ。そしたらイマイチでした。ちょっとあっさりしすぎという感じ。チャーチルの人柄なんかについては詳しいのですが、歴史的な経緯についてもうちょっと丁寧に解説してくれる本が良かったです。

でもまぁ、ざっとした話は分かりました。

チャーチルが初めて首相になったのは1940年5月10日。ドイツがフランス侵攻を始めた直後のことだったそうです。前任のチェンバレン首相は1938年のミュンヘン会議でズテーテン割譲を認めるなどドイツに宥和的な政策をとってきましたが、ドイツの軍事的な拡大を招いてしまったという状況でした。

英国議会で後任候補にあがったのは、First Lord of Admiralty(海軍大臣)だったチャーチルと、外務大臣だったハリファックス伯爵。しかしハリファックス伯爵は首相になることを辞退し、チャーチルが首相に選ばれたという経緯だったそうです。チャーチルはチェンバレン内閣の一員でしたが、ミュンヘン会議などの対独宥和策には反対してきました。

チャーチルは第一次世界大戦後の1919年にSecretary of State for Warに就任し、空軍力の強化を進めるなど軍事には詳しかった。チャーチルは首相としてもさらに空軍力にこだわり、1940年末には戦闘機の性能でも生産能力でもドイツを上回るようになった。ドイツは英国への空爆で英空軍の拠点を破壊しようと試みますが、英国の空軍はこれを阻止。この”Battle of Britain”が第二次世界大戦の重要な転換点になったそうです。

あと、チャーチルは第一次世界大戦当時にも海軍大臣を務めていて、艦船の燃料を石炭から石油に切り替えていくことにも注力した。軍事通だったんですね。

まぁ、そんな感じです。

雄弁で茶目っ気があって、国民に愛された政治家。さらに戦後には全6巻の”The Second World War”を書いて、ノーベル文学賞までとってしまう。この本は第二次世界大戦当時の機密文書をチャーチル個人の所有物として政府に認めさせて書いたそうです。ヒトラーもムッソリーニもFDRも死んでしまい、スターリンは回想録を残さなかった。こうした中、チャーチルは戦後生き残った唯一の指導者として「正史」を書き切ったということなんだそうです。

ジョンソンさんはこう書いています。

“By giving his version of the greatest of all wars, and his own role in it, he knew he was fighting for his ultimate place in history. What was at stake was his status as a hero. So he fought hard and took no prisoners. On the whole he won the war of words, as he had earlier won the war of deeds.”

とんでもないオッサンですね。

2017年5月20日土曜日

"Courage to Soar: A Body in Motion, A Life in Balance"

"Courage to Soar: A body in Motion, A Life in Balance"という本を読んだ。リオ五輪の女子体操で団体と個人総合、跳馬、床で金メダル。平均台で銅メダルをとったシモン・バイルズの回想録です。まだ20歳。痛快なお話でした。

前のトレバー・ノアの本が大変な子供時代を過ごした話でした。シモン・バイルスも母親がドラッグ中毒で、子供のころに祖父母に引き取られたという話を聞いたことがあったもので、どんなサクセスストーリーなのかと思って読んでみた。

ただ、あまり子供時代に家族のことで苦労したというわけではなさそうです。というのも、シモンは実の母親との生活をよく覚えていないんだそうです。

実の母親のシャノンさんは祖父の前妻との間の子供。シャノンさんは前妻のもとで育ち、シモンの姉(7歳上)、兄(3歳上)、シモン、妹(2歳下)を生みました。しかしドラッグなどへの依存症で、行政から育児放棄と認定されてしまいます。で、シモンが3歳のとき4人の子供たちは保護施設を通じて、ボランティアの里親のもとに引き取られる。しばらくして、テキサス州に住む祖父母が4人のきょうだいを引き取ることになります。

その後、4人は一度、オハイオ州に住むシャノンさんのもとに戻りますが、シャノンさんはドラッグをやめられなかった。それでも姉と兄は実の母親であるシャノンさんと暮らしたがったので、結局、2人はオハイオ州に住む祖父の姉のもとに、シモンと妹は祖父母のもとに戻ることになります。2002年12月24日、シモンが5歳のときのことです。そして2003年11月に、祖父母は2人と正式に養子縁組みし、シモンと妹の両親となります。この日からシモンは祖父母のことを、"Dad"、"Mom"と呼ぶようになります。

オハイオ州の話ですから、ヒルビリー・エレジーを思い出してしまいますが、シモンはどうもこのシャノンさんという女性にシンパシーを感じられないみたいです。

こんな一文があります。

Shanon still calls Adria and me on birthdays and holidays, but we don't have much contact beyond that. Some days, I feel a little bit sad for her. It's not that I ever wanted to go back to live in Ohio, but I do wish she'd been able to make better decisions when she was younger.

笑っちゃうぐらい、あっさりしています。シャノンさんにもいろいろ事情があったんだろうと思いますけどね。まぁ、だからといってシモンに何ができるっていうわけじゃないでしょうけど。


祖母は一番最初に4人のきょうだいを引き受けるとき、かなり不安だったそうです。4人は自分とは血のつながりがない子供たちだし、上の2人は物心がついていてシャノンさんに懐いている。しかも自分自身の2人の息子がどちらも高校生になって、子育てが一段落ついたばかり。そんなところに、また複雑な事情を抱えた幼い子供たちの面倒をみなければならないわけで、尻込みする気持ちも分かります。

ただ、そのとき、祖母の相談に乗っていた養子を育てた経験がある女性が、祖母にこんなことを言ったそうです。

"the Lord doesn't make any mistakes. And he never gives you more than you can handle."

この言葉に勇気づけられて、祖母は4人の面倒を見ることを決意したんだとのこと。ベリーズ出身の祖母はなかなか信仰に篤い人みたいです。


そんなシモンが体操を始めるきっかけは、祖父母の家にトランポリンがあったからだそうです。最初の里親の家にもトランポリンがあったんですが、そのときはシモンがケガをすることを心配する里親がトランポリンで遊ぶことを許してくれなかった。でも、祖父母の家だと、高校生の兄2人が見守るなかで遊ばしてもらえた。そのトランポリンが大好きで、ピョンピョンピョンピョン跳んでいたそうです。

で、6歳のときの保育園の遠足の行き先が、雨のため、牧場から体操クラブがある体育館に変更になった。その体育館でシモンがピョンピョンピョンピョン飛び跳ねているのをみて、体操クラブのコーチがクラブにスカウトしたんだそうです。このとき、遠足の行き先を体操クラブに変更したのは、保育園でバイトをしていた兄たちだった。まぁ、なんかマンガみたいな展開があるもんです。


あとは怒濤のサクセスストーリーになります。もちろんジュニアの米国代表に僅差で入れなかったとか、プレッシャーがきつかったとか、高校に通うかホームスクーリングにするかで悩んだとか、段違い平行棒が苦手でトカチェフをマスターするのに7カ月かかったとか、ケガしたとか、トップアスリートならではの苦労はあります。それぞれがほんの数年前の出来事だったりするわけで、10台の女の子としての実感がこもっています。大変だったでしょう。

ただ、やっぱり超恵まれた展開もあります。

特に最初の世界選手権制覇の後の2014年2月、体操を始めてからずっとコーチをしてくれた女性が突然、体操クラブを辞めることになったときのエピソードはすごい。シモンはこの女性コーチのもとでずっと練習したいと思うわけですが、女性コーチの移籍先が決まっているわけじゃないし、移籍先が決まったところでシモンが通える場所になるかどうかは分からない。今の体操クラブに残留するのが一番の安全策ですが、やっぱりシモンのことを一番理解してくれいるのはこの女性コーチだというジレンマがあります。

子供のころから夢見てきたオリンピックまで2年あまりというなかでのこのピンチ。これを切り抜けた方法は、

「祖母(養母)が女性コーチのために新しい体育館と体操クラブを作る」

というもの。

祖母は看護師としてキャリアを積んできた人で、14カ所の老人ホームを共同経営するほどにまで成功した人だそうです。で、その持ち分を売却して資金を作り、体育館を建て、新しい体操クラブを作ってしまった。その名もワールド・チャンピオン・センターです。もちろん、すぐに体育館ができるわけじゃないですから、シモンは最初の半年は元の体操クラブの体育館に間借りして、その後は倉庫を改装した仮の体育館を使って練習を続けたんだそうです。マンガ的ですが、本当の話です。

ということで、期待していた苦労話ではなかったですが、小柄でも体操が大好きな天才少女がいろんな苦労をしながらも、優しい祖父母や兄や妹に支えられながらマンガ的な展開で連戦連勝を重ね、最後にはオリンピックでの勝利をつかみ取るという痛快なストーリーではあります。


これはこれで面白かった。

2017年5月6日土曜日

"Born A Crime: Stories from a south African childhood"

"Born A Crime: Stories from a south African childhood"という本を読んだ。南アフリカ出身のコメディアン、Trevor Noahが南アフリカでの少年時代を振り返った本です。2016年11月発刊です。

ノアさんは2015年9月から、アメリカのコメディセントラルというケーブルテレビ局で"The Daily Show"の司会をしています。政治風刺を売り物にしたコメディ番組です。前任のJon Stewartはとても人気があったのですが、引退することになって、その後任として米国では無名の南アフリカ出身のコメディアンが抜擢されたと話題になった人です。


番組はyoutubeで見ることができます。どれも面白いです。
https://www.youtube.com/channel/UCwWhs_6x42TyRM4Wstoq8HA/featured


で、そんな面白いノアさんの本ですから、面白いんじゃないかと思って読んでみました。そしたら、想像以上に面白かった。生涯最高の本に認定します。


まず、ノアさんの出自なんですが、1984年2月20日、南アフリカのヨハネスブルグで生まれています。つまり1990年のネルソン・マンデラ釈放前で、アパルトヘイトが続いていたころです。で、ノアさんの母親はXhosa(コサ)族の黒人女性ですが、父親は当時南アに駐在していたドイツ系スイス人。当時はアパルトヘイトのもとで、異人種間の性交渉は犯罪でしたから、ノアさんは存在自体が犯罪の証拠だったということになります。

もう設定からして、私が想像したことがなかった世界。もちろんアパルトヘイトがあったことは知っていたわけですが、そこでの生活がどんなものであったかということは考えたことがなかったし、そのアパルトヘイトの枠からはみ出た人たちがいることも想像したことなかった。

で、そんな話なので、実にしめっぽい話になるのかと思うところですが、そんなことはないです。どこを読んでも笑えてしまう。

ノアさんは両親が白人と黒人ですから、南アの人種的な分類では"ミックス"ということになります。ただ、異人種間の混血というのは何世代も前から起きていることですから、一口に黒人といっても肌の色の濃さは様々です。だから、真っ黒な肌でない人はノアさん以外にもいるわけで、そういう人たちはひとまとめにして「カラード」と分類されます。カラードでいることは犯罪ではありませんでした。また、このほか、アパルトヘイト下での南アにはインディアンという分類もあって、白人と黒人とカラードとインディアンは、それぞれ別の地区に住まねばなりませんでした。就くことができる仕事にも制限がありました。

で、どこまで肌が黒ければ黒人で、黒さが薄ければカラードになるかとか、どこまで肌が白っぽかったら白人になるのかというのは、人種登録を担当する役人のフィーリングで決まるそうです。両親がともに白人と分類されていても、肌の色が濃いめの子供が生まれてくることもあります。「鉛筆テスト」なんていうものもあったそうで、髪の毛に鉛筆をさして下に落ちたら白人、巻き毛のせいで下に落ちなかったらカラードと分類される。まぁ、そのぐらいのいい加減な基準です。

さらに馬鹿げた話ですが、アパルトヘイト下での南アでは日本人は白人に分類されていました。自動車や電子機器を南アに輸出するために駐在する日本人に不都合があれば、南ア経済に不利益が生じるからです。でも、中国人は黒人だったそうです。まだ経済力が強くなかったせいでしょう。

つまりアパルトヘイトなんていうものは、まったく何の根拠もないルールだったわけです。そしてノアさんの母親のパトリシアさんは意味のないルールに従うことが大嫌いで、なおかつおそろしく頑固な人でした。

パトリシアさんはコサ族の家庭に育ちましたが、一緒に住んでいた母親よりも、別居中だった父親に懐いて、9歳のときに母親に対して「お父さんと一緒に住めみたい」と申し出ます。で、父親が迎えにきたのですが、この父親が困った人で、何の説明もなしにパトリシアさんを妹の家に預けてしまいます。パトリシアさんは、父親と一緒に暮らすつもりが、おばさんと暮らすことになったわけです。

で、このおばさんはいろんなところから子供を預かって、畑仕事とかをさせて生活の糧をえている人でした。家には14人の子供がいたそうです。子供たちは十分な食事を与えられず、パトリシアさんは犬や豚のえさを食べて空腹を満たしたこともあった。なんかグリム童話みたいな話ですが、そんな現実もあるということです。

ただ、パトリシアさんにとって幸運だったのは、このおばさんの住む村には白人の牧師が運営するミッションスクールがあったのです。当時、黒人に白人と同等の教育を与えることは禁止されていましたが、使命感にかられた牧師たちがこうした学校を開くことがあったらしい。そこでパトリシアさんは英語を学びます。読み書きができるようになると、そのうち畑仕事ではなく衣料品の工場で働くことができるようになり、工場で食事にもありつけるようになります。そして21歳のとき、おばさんが病気になったことをきっかけに母親のもとに戻り、タイピングを学び、秘書の仕事でお金を稼げるようになります。パトリシアさんは一家の稼ぎ手として働き続けます。しかしいくら稼いでも家族のためにお金がなくなっていく生活に耐えられなくなって、母親の家から逃げ出します。22歳のときです。

パトリシアさんが逃げ出した先は、ヨハネスブルグのダウンタウンです。でも当時、黒人がヨハネスブルグに住むことは違法です。パトリシアさんは隠れるようにして暮らすしかありません。

そんなパトリシアさんを助けてくれたのがヨハネスブルグで暮らす同じコサ族の売春婦たちです。彼女たちの顧客は南アに駐在する外国人たちです。南アの法律を気にする必要もない立場ですし、彼らにとっては売春婦が身近で暮らしている方が都合がよかったようで、黒人の売春婦たちに住む場所を提供していました。パトリシアさんは秘書として稼いだお金で家賃を払い、住む場所を確保します。なんかグリム童話の世界から、なんかの近未来アニメみたいな雰囲気に移っていますが、やっぱりそんな現実もあるんでしょう。

そんな生活をするなかで知り合ったのが、ドイツ系スイス人のロバートさんです。パトリシアさん24歳、ロバートさん46歳。そこにどんな恋愛感情があったのか、なかったのかは分かりませんが、パトリシアさんは「子供を生むのを手伝って欲しい。生まれた子供に責任を持つ必要はないし、お金を払う必要もない。ただ精子が欲しいだけ」と切り出します。

そんな形で生まれたのがノアさんです。

"on February 20, 1984, my mother checked into Hillbrow Hospital for a scheduled C-section delivery. Estranged from her family, pregnant by a man she could no be seen in public, she was alone. The doctors took her up to the delivery room, cut open her belly, and reached in and pulled out a half-white, half-black child who violated any number of laws, statutes, and regulations--- I was born a crime. "


こんな話、面白いに決まっているでしょう。ただ、この本の面白さはこんなものじゃないです。とにかくめちゃくちゃ面白いのです。


まぁ、とにかくいろんなエピソードが出てきます。いちいち紹介するのはやめておきますが、

どんな苦難に見舞われても教会通いをやめないパトリシアさんに振り回されるノアさんの抵抗とか、

家のなかにトイレがない生活の悲しみとか、

いろいろあって出会う機会がなくなった父親との再会と喜びとか、

チョコレートの万引きでの退学を肌の色で免れた話とか、

生涯最高の美少女とのデートと意外な真実とか、

高校時代から音楽の違法ダウンロードでお金を稼いでいた話とか、

存在自体が違法なミックスとして黒人とも白人ともカラードともしっくりいかない感覚とか、

そうしたなかでもどのグループとも「面白いアウトサイダー」としてつきあえる術を身につけた話とか、

言葉ができることの大切さとか、

「ヒトラー」という名前のダンサーと巻き起こした騒動とか、

南アの闇市のなかで暮らす人々とお金を稼ぐ方法とか、

無登録車の運転で逮捕された話とか、


もうとにかく色々です。


面白いなかにも、シリアスなトーンは残ります。何しろアパルトヘイトの下で十分な教育を与えられなかった黒人たちの生活は、アパルトヘイトがなくなった後でも苦しい生活を続けざるをえないのです。パトシリアさんがお金を稼げるようになったのは幸運にも英語教育を受ける機会があったからですし、ノアさんの生活が違法ダウンロードでお金を稼げるようになったのは、たまたま白人の知り合いがCDライターをくれたからです。ノアさんはアパルトヘイト後の黒人の生活について、「魚の釣り方は教えてもらったけど、釣り竿が手に入らない状態だ」と説明します。貧困から這い上がれないでいる黒人たちの実態も実感をもって説明されています。

あと、最後の章はシャレになりません。パトリシアさんが後に結婚した男の家庭内暴力でノアさんたちの生活が危機にさらされたというエピソードで、結局、この男はパトリシアさんとの離婚後、パトリシアさんの頭を拳銃で撃つことになります。とんでもない話です。でも最後のシーンは笑えるのです。どう説明したって、この感覚は伝わりそうにないですけど、人間と神様と母親と子供と愛情とユーモアに関わるイメージが同時にぶわっと頭の中に広がるような感じです。


いろんな学びが得られる本です。それでいて説教くさくない、エンターテインメントとして読める本でもあります。

2017年2月8日水曜日

"The Undoing Project: A Friendship that Changed Our Mind"

"The Undoing Project: A Friendship that Changed Our Mind"という本を読んだ。今日、読み終わりました。

「マネー・ボール」で有名なマイケル・ルイスが2016年12月6日に出した本です。
マネー・ボールはメジャーリーグのオークランド・アスレチックスがこれまで注目されてこなかった、プレイヤーに関する統計上の数値を重視して、独自のチームを作り上げて強豪チームを育て上げるという話です。随分と前に日本語で読んだことがあります。とても面白い本でした。

マイケル・ルイスはその後もたくさんの本を出しているのですが、いずれも未読でした。でも、また新しいしい本を出したということで、買ってみた次第です。

マネー・ボールみたいな話を期待して読むとハズレの本だと思います。ただ、これはこれで面白いです。


この本も第1章こそは、NBAのヒューストン・ロケッツのGMになったDaryl Moreyがマネー・ボール的なチーム作りを目指すところから始まります。実際、いろんなデータを駆使して、そこそこの強豪チームを作り上げるわけですが、この本はそこで終わるわけではなくて、「それでもやっぱり、完璧なチーム作りは難しい」という結論に落ち着きます。というのも人間の心理というものは、「理論的に正しい選択肢が分かっているときでも、間違った判断をしてしまうような仕組みになっているから」だということです。

ニューヨーク・ニックスで2012年にブレークした、ジェレミー・リンがそうした例の一人です。リンはほとんどのNBAプレイヤーよりも素早くプレーできる選手でしたが、長らくスカウトやコーチたちの目にとまることはありませんでした。選手の素質を見極めるプロである彼らがリンのスピードに気づかないわけがないのですが、それでもやっぱり「リンを使ってみよう」という判断が出なかったのです。それは中国系アメリカ人であるリンの姿が、彼らの頭にある「良いプレイヤー」のイメージからかけ離れていたから。目の前に素晴らしいスピードの選手がいるのに、それを見落としてしまっていたというわけです。

で、こうした話が第2章以降も続くのかなと思ったら、いきなり話はイスラエルの心理学者、ダニー・カーネマン(Danny Kahneman)の話になります。で、第3章は同じくイスラエルの心理学者、エイモス・トベルスキー(Amos Tversky)の話になります。なぜかというと、この2人が「分かっていても間違えてしまう人間の心理」について研究した第一人者だからです。まぁ、言ってみれば、錯視の問題みたいなもんです。同じ長さの線でも、<ーーー>となっているのと、>ーーー<となっているのでは長さが違って見えます。「同じ長さだ」と分かっていても、やっぱり違う長さにみえる。こういった問題は、視覚以外の分野でも起きているんじゃないかということです。

ダニーとエイモスはいろんな実験をします。例えば、高校生を2つのグループに分けて、

グループAには、8×7×6×5×4×3×2×1=? という問題、
グループBには、1×2×3×4×5×6×7×8=? という問題を出して、

5秒以内に答えを出すようにお願いします。5秒ですから、カンで答えるしかありません。

するとグループAの答えの平均は2250で、グループBの答えの平均は512でした。冷静に考えれば2つは全く同じ問題ですから、カンで出した答えの平均は同じになってもよさそうなものです。でも前者の方が圧倒的に大きな数字になってしまうのです。(本当の答えは40320ですが)

これはグループAの問題は最初に大きい数字が出てくるために高校生たちが「大きな数字」のイメージに引っ張られてしまい、グループBではそれとは逆の効果が出たということです。

また、別の実験では、

あるグループに「100人の人がいて、このうち70人がエンジニアで、30人が弁護士です。ここから1人を選んだとき、その人が弁護士である確率は何%でしょう」と尋ねると、尋ねられた方は「30%」と正しい答えを出します。

しかし同じ状況を提示したあとで、「選ばれた1人はディックという30歳の男性です。ディックは結婚はしていますが、子供はいません。能力が高くて意欲も高いです。きっと仕事で成功するだろうと期待されて、みんなから好かれています。さて、ディックが弁護士である確率は何%でしょう」と尋ねると、回答者の反応にばらつきが出ます。ディックに関する説明の部分には、彼が弁護士かエンジニアかを示す情報は一切含まれていないにも関わらずです。

つまり、人間は全く関係のない情報が加わることで、当たり前の確率の計算ができなくなってしまうということです。


こうした研究は、こんな奇妙な質問を投げかける実験にもつながります。

選択肢A:50%の確率で1000ドルがあたるくじ引き
選択肢B:確実に500ドルがもらえる

あなたはどちらを選びますか?


この場合、多くの人が選択肢Bを選ぶそうです。どちらの選択肢でも期待値は同じなわけですが、人間の心理には不確実な大きな喜びよりも、確実な中程度の喜びを選ぶ傾向があるということです。つまり、失敗するリスクを避けるわけです。

では、次の場合はどうか。

選択肢A:50%の確率で1000ドルを失うくじ引き
選択肢B:確実に500ドルを失う

あなたはどちらを選びますか?


この場合、多くの人が選択肢Aを選びました。どちらの選択肢でも期待値は同じなわけですが、この場合、人々は「リスクテイカー」となるわけです。


こうした人間の心理の不合理性を示す出来事は「面白いなぁ」だけの話じゃなくて、現実の世界にも大きな変化をもたらしています。例えば、

病気の患者に手術のリスクを説明するとき「90%の確率で生存できます」と説明すると、82%の患者が手術を受けることを決断するが、「10%の確率で死にます」と説明すると、54%の患者しか手術を決断しないそうです。同じデータを説明しているのに、患者の反応は全然違うということです。

あと、結腸ガンの検診の際、肛門から内視鏡を入れて腸内を診察するわけですが、これがなかなか不愉快なもので、一度検査を受けた患者が次の検査を受けたがらないという問題があるそうです。で、ある病院で実験が行われます。一つのグループには一定時間の診察が終わったら、すぐに内視鏡を引き抜く。もう一方のグループには、同じ時間の診察が終わった後、内視鏡を直腸のあたりまで引き抜いたところで3分間ストップさせます。この3分間は、検診をしている間よりは不快感が少ないけれど、やっぱり不快であることには変わりがないということです。で、術後に患者に尋ねたところ、次回の検査を受けてもよいとの回答は2番目のグループの方が多かった。2番目のグループは、トータルでの検査時間は1番目のグループよりも3分間長いのですが、それでも「最後の3分間の不快感が1番目のグループよりも少なかった」ので、次回の検査への抵抗感が薄れたのだということです。"Last impressions can be lasting impression"なんだそうです。

とまぁ、こんな風なわけで、2人が切り開いた新しい心理学の分野は、心理学以外の分野にも影響を与えていったわけです。

ところが、そのうち、2人の間に亀裂が入ります。2人の共同研究は高く評価されたのですが、どういうわけかエイモスの方の名声ばかりが高まっていったからです。

エイモスという人は、話をした人なら誰でもすぐに「この人、めちゃくちゃ頭いいなぁ」と気づかせてしまうような天才肌で、数学や統計についても詳しかった。自分の専門外の分野の学者と話をしていても、30分もすれば相手の学者のほうがびっくりしてしまうような深い洞察を披露したり、的確な疑問点を提示してみせたりできた人だったそうです。そんなエイモスにとって、ダニーはかけがえのない、一緒にいて最も心が安らぐ友人でした。2人の研究室には2人以外の誰も入れず、周囲の人間たちは外で2人の笑い声を聞くしかなかったそうです。

しかしダニーの方は、エイモスのそばにいると、自分がエイモスの陰に隠されてしまったような気分になるのです。そんなわけで、ダニーは次第にエイモスとの共同研究を敬遠するようになります。


そうしたなかダニーは独自の発想で、さまざまな人間の心理が引き起こす不合理な行動とその法則を見つけ出していきます。そのなかのひとつが、"rules of undoing"というものです。

例えば、

AさんとBさんは同じ時間に出発する2つの飛行機に乗る予定でした。2人は同じリムジンに乗って空港に向かいましたが、渋滞につかまってしまって、結局、飛行機の出発時間よりも30分遅れて空港に到着しました。

Aさんは空港でこう言われました。「あなたの飛行機は定刻通りに出発しました。あなたは30分、間に合いませんでした」
Bさんは空港でこう言われました。「あなたの飛行機は遅延が出たんです。でも5分前に出発しちゃいました」


こういう状況の下では、Bさんの方がAさんよりも不満に思う度合いが大きい。AさんとBさんは同じ行動をとって、どちらも飛行機に乗り遅れたにも関わらずです。

ダニーは、こうした不満の大きさは、「実現しなかった現実の望ましさ」と「実現しなかった現実の可能性」の関数として定義できると考えました。さっきの飛行機のケースでは、「実現しなかった現実の可能性」をみてみると、Bさんの方がAさんよりも大きかった。あと5分だけでも渋滞を早く抜けられていたら、Bさんは飛行機に乗れていた可能性があったからです。

さらにダニーは、「後悔」と「不満」と「嫉妬」についての違いも定義します。

「後悔」は実現しなかった現実への道筋が「ありえる場合」、「自分が別の行動をとればよかった」と思う感情。

「不満」は実現しなかった現実への道筋が「ありえる場合」、「周りの環境が異なっていれば良かったのに」と思う感情。

「嫉妬」は実現しなかった現実への道筋が「ありえなくても」、実現しなかった現実のイメージがありありと描ける状況で起きる感情。

という具合です。


そして、

「人は元に戻さねばならない現実が多ければ多いほど、現実を元の戻そうとは思わなくなる。地震で知人を失った人は、落雷で知人を失った人よりも、あの人が生きていれば良かったのにと思う度合いは少ない。地震がもたらす被害は広範囲なので、『もしも地震がなければ』と思うことが難しくなる」

「出来事が起きてから時間がたてばたつほど、別の現実もあったのではないかと思う度合いは小さくなる」

といったルールを導き出します。


さらに「日常から非日常への心理的な距離は、非日常から日常への心理的な距離よりも遠い」というルールも発見します。

例えば、

ある銀行員がある日、いつもと「同じ」道を通って通勤したら、赤信号を無視して突っ込んできたドラッグ中毒の若者が運転する車にはねられて死んだ場合と、
ある銀行員がある日、いつもと「違う」道を通って通勤したら、赤信号を無視して突っ込んできたドラッグ中毒の若者が運転する車にはねられて死んだ場合では、

前者の方では「いつもと違う道を通っていれば良かったのに!」とは思いにくい。いつもと同じ状況から、いつもと違う状況に発想を移すことは難しい。
後者の方では「いつもと同じ道を通っていれば良かったのに!」と思いやすい。いつもと違う状況から、いつもと同じ状況に発想を移すことは簡単。

ということです。


ダニーはこうした独自の発想についてエイモスとの共同研究は避けていましたが、アイデアについてはダニーに話していました。そしてあるとき、エイモスと一緒に出席した発表会の場で、ダニーはこうしたルールについて講演して、聴衆から大いに関心を集めました。すると、ある参加者がダニーとエイモスに向かって、「こんな発想は、お二人のどちらから生まれるんですか?」と尋ねました。ダニーとエイモスは2人の間の亀裂については公にしていなかったので、この参加者は2人の共同研究の成果なのだと思い込んだわけです。

するとエイモスが答えました。「私とダニーは、そういったことについては話さないことにしているのです」

この一言がダニーにとってはエイモスと決別する決定的なきっかけになったそうです。この発表内容はダニーのものです。そしてエイモスは、この参加者から、ダニーを称える発言をするチャンスを与えられたようなものです。ところがエイモスはこのチャンスを無視した。それがダニーには許せなかった。そしてダニーは別の研究者との共同研究として、論文"The Undoing Project"を発表します。

とまぁ、だいたいこんなことが書かれている本です。この他にも様々な研究結果に関する実例が出てきて面白いです。


2人の研究に関しては、経済学者から強い反発を受けたことにもページが割かれています。ダニーとエイモスに言わせれば、「人間の心理は合理的ではない誤った選択肢をとらせる。しかもその誤り方には法則性がある」というわけです。となると、「人間はシステマチックに間違う。だから市場だってシステマチックに間違っている」という結論になります。経済学は「人間は合理的に行動する」ということを前提にして発展してきたわけですから、そりゃ経済学者にすれば面白くない話です。

しかし2人の研究を受け入れるべきだと考える経済学者も出てきて、「行動経済学」という分野を開拓していきます。2人の研究成果のうち"Prospect Theory"は、今では経済学の分野で2番目に引用されることが多い論文だそうです。

こうした経済学への貢献が評価されて、ダニーは2002年にノーベル経済学賞を受賞します。しかし共同研究者だったエイモスは受賞できませんでした。1996年にガンのために亡くなっていたからです。エイモスは亡くなる前、毎日のようにダニーと話していたそうです。


多分、心理学のパートの部分だけの話を知りたいのなら、ダニー・カーネマン自身の著作を読んだ方がいいのかもしれません。それはそれで面白いことは間違いなさそうです。そこにダニーとエイモスの人間ドラマを付け加えたところが、この本のキモなのだと思います。ただ、時系列が結構ぐちゃぐちゃなので、ドラマを追いにくいところがあります。時系列でたどっていくと、いろいろと筋書き的に矛盾が生じるのかなと推察します。

このほか、2人の研究とイスラエル軍の関わりとか、イスラエルにおける中東での立場とか国民が共有している危機感の話とかがあって、これはこれで興味深いです。イスラエルの歴史っていうのも勉強してみたいですね。


この本は大統領選後に出版された本です。だから人間が非合理的な判断をシステマチックにしてしまうということと、ドナルド・トランプが当選したことを重ね合わせて読んでしまうところもあります。行動政治学なんていう分野があったりするんでしょうか?

2016年7月14日木曜日

"The Long Game"

共和党のミッチ・マコネル上院院内総務の自伝”The Long Game”を読んだ。5月31日発売。以前、民主党のハリー・リード上院院内総務の自伝"The Good Fight: Hard Lessons from Searchlight to Washington"を読んだときから、マコネルさんの本も読んでみたいと思っていたので、待望の新刊だったわけです。マニアックな話ですが。

リードさんの本は、自分の子供時代の友人や学校の先生たちについて事細かな描写や分析があったり、弁護士時代のエピソードなんかはミステリ風にも読めたりして、なかなか楽しめました。上院院内幹事になってからの議会工作についても、「あの議員はこんなポストを要求した」なんていう話を盛り込んだり、法案に賛成した議員と反対した議員の名前を羅列したりしてあった。なんか冒険譚っていう感じです。ただ、その分、「このリードさんはどうして政治家になりたかったのだろう」とか「なんで民主党なんだろう」なんていう感じがしたのも事実で、全体的に「リードさんは根っからのケンカ屋で、政策云々よりは勝ちたいっていうだけの政治家なんじゃないか」という印象を持ちました。

これに対してマコネルさんの本は、比較的あっさりしています。他人に対する評価はそれほど多くなくて、基本的には自分の行動や政治の流れを時系列で追いながら、そのときの思いとか分析とか自分の理念とかを書き綴っていくという内容です。だから、面白くないっちゃぁ面白くないんですが、「共和党の本流の人たちっていうのはこういう者の考え方なのか」とか「リードさんとは随分違うな」と思うと、それはそれで面白いです。

ただ、このマコネルさんが口を極めて批判している対象が3つあります。一人目はオバマ大統領。次がオバマ大統領在任中にオバマケア撤廃を強硬に訴えるような共和党内の勢力。最後がリードさんです。

オバマさんについては、ほとんど生理的に嫌いといった印象を受けます。もう、何から何まで気に入らない。誰かからオバマ評を尋ねられた際には、いつでもこのように答えるそうです。

“He’s no different in private than in public. He’s like the kid in your class who exerts a hell of a lot of effort making sure everyone thinks he’s the smartest one in the room. He talks down to people, whether in a meeting room among colleagues in the White House or addressing the nation.”

政治上の立場的にも全く違います。

“He has a bold progressive agenda, and if he can’t get what he wants through the legislative branch, he’ll work to do so through the bureaucracy.”

“Knowing I could do little to change this perspective on things, my goal has been to stop him when I think he’s pushing ideas that are bad for the country.”

それだけに2010年にオバマケア関連法が上院共和党の40議員から1人の賛成も得ずに成立したことへの怒りは大きかったそうです。無念さに涙を流したとうい描写も出てくる。ただ、共和党議員が団結できたことには達成感もあったとのこと。

2011年の債務上限引き上げをめぐるオバマ大統領との噛み合わない感じも面白いです。2010年の中間選挙で下院を奪還した共和党としては債務上限引き上げをするなら、歳出削減とセットでなければならないという立場。マコネルさんは下院は共和党がとったんだから、それぐらいの歩み寄りは当然だろうと思うわけです。でも、オバマ大統領との協議は上手くいかない。オバマ大統領は協議の場でいかに自分の立場が正しくて、共和党の立場が間違っているかを長々と語り始めて、相手に自分の主張を受け入れさせようとするわけです。マコネルさんは「私だったら、民主党との交渉の場で、いかにリベラリズムに瑕疵があるかを語るようなことは生産的だとは思わない。そんなことは相手の立場を尊重していないだけでなく、ただの時間の無駄だ」としています。

ベイナー下院議長はオバマ氏からの電話を受けても、受話器を机に置いて、別の誰かと会話をしていたそうです。マコネルさんは「自分はそこまではしていないが、テレビで野球の試合をみていたことはあった」なんて書いています。

で、結局、オバマ大統領は交渉をバイデン副大統領に丸投げすることが多かった。バイデンさんといえば長話というエピソードはこの本でも面白おかしく書かれていて、「時間を尋ねたら、時計の作り方から話し出すような男」だとのこと。でもそのうえで「彼は話すだけの男ではなく、相手の話に耳を傾けることもできる男だ」とも評価しています。

“Joe, on the other hand, made no effort to convince me that I was wrong, or that I held an incorrect view of the world. He took my politics as a given, and I did the same, which was what allowed us to successfully negotiate when it came to our discussion on taxes in 2010.”

で、このマコネルさんとバイデンさんのディールがBudget Control Act of 2011につながる。裁量的歳出を10年間で900ビリオンドル削減し、共和党6人、民主党6人の”super committee”を作って、追加的な1.2トリリオンドルの昨年についても協議するという内容です。で、債務上限は引き上げる。これこそが「ディール」だというマコネルさんのドヤ顔が浮かびます。


一方、共和党強硬派に対する批判も、オバマ氏への怒りと表裏一体な気がします。「現実を無視したような主張をして、アメリカを混乱に陥れるなよ」っていう感じですね。2013年の財政の崖や政府機関閉鎖をめぐる協議に臨む際の心境については、

“Speaker Boehner and I were prepared to fight for the Bush-era tax cuts to extend to all Americans on a permanent basis, but we also had to be realistic. A cornerstone of Obama’s reelection campaign was the promise to increase taxes on the wealthy. It was not possible that the Democratic-controlled Senate would pass the bill we wanted --- a bill that was in direct opposition to Obama’s promise --- or that Obama would sign it.”

と振り返ります。

こういうとき共和党の強硬派は「指導部は生ぬるい」なんて批判して、予備選で現職候補に対抗馬を立てたりする。でも、その対抗馬は例え予備選に勝ったとしても、本選では民主党候補に勝てる見込みがないことも多く、そんなことしたって共和党の不利に働くだけだったりするわけです。そもそもオバマ大統領が拒否権をもっているのに、「オバマケアを撤廃する」なんていう公約を掲げたって、それは有権者をミスリードするだけじゃないかというわけですね。

“These groups convinced people that the only acceptable outcome was getting exactly what they wanted, when those things were, at a time when Democrats held the White House and at least one house of Congress, impossible to get.”

“So telling Republican primary voters they should settle for nothing less than ensuring that Obamacare is repealed was selling an impossible idea.”

なかでもサウスカロライナ州選出のJim DeMint議員への批判は厳しいです。一方で、テッド・クルーズ上院議員の名前は一度も出てきません。つまんないの。


あと、リードさんについては「好きだし、個人的に憎しみを抱いているわけじゃない」としています。ただ、

“But Harry is rhetorically challenged. If a scalpel will work, he picks up a meat-ax. He also has a Dr. Jekyll and Mr. Hyde personality. In person, Harry is thoughtfull, friendly and funny. But as soon as the cameras turn on or he’s offered a microphone, he becomes bombastic and unreasonable, spouting things that are both nasty and often untrue, forcing him to then later apologize.”

と評しています。わはは。分かるような気がしますね。やっぱりケンカ屋のイメージです。

でも、リードさんが上院院内幹事時代の大勝利として生々しく描写した2000年の選挙で民主党と共和党の議席が50対50になったけど、共和党の上院議員が無所属に寝返った結果、民主党が多数派になった件については、

“Democrat Tom Daschle, who had become majority leader the previous June as a result of Jim Jeffords’s switch from Republican to Independent, announced that the Senate would convene the next day.”

とほんの一言触れているだけです。

2013年にリードさんが行使した核オプションについても、事実関係を述べているだけ。舞台裏の描写とかはないです。つまんないの。まぁ、マコネルさんにすれば大敗ですから、無理もないですけど。


“The Long Game”というタイトルは、従軍経験があるお父さんがアイゼンハワー支持者だったことをきっかけに、14歳だった1956年の共和党党大会の様子をみて共和党の理念に共感するようになって、高校時代、大学、ロースクールと学生代表を務め、インターンとして仕えたことがあるJohn Sherman Cooper上院議員に憧れて上院議員を志し、準備に準備を重ねて上院議員になった1985年に多数派の上院院内総務になると決意し、辛抱に辛抱を重ねて2014年になってようやくその夢を実現させたというマコネルさんの生き様を表しているものです。

院内幹事や院内総務に立候補したときは、ポケットに全議員の名前を書いたカードをしのばせて、「あなたに投票する」と確約した議員にチェックを入れていって票を固めていったそうです。「あなたは良い院内総務になるでしょうね」なんていう返事をする議員には、「じゃぁ、私に投票してくれますか」と詰める。そこで「イエス」と答えなければ、固めた票としてはカウントしないとのこと。渋い。マコネルさんは政治マンガでは「カメ」として描かれることが多いですが、まさにそういう粘りが信条の政治家なんでしょう。


その他のエピソードもいろいろとあります。

ゴールドウォーターについては大学時代の1962年に一緒に撮った写真を今でも執務室に飾っているほどで「政治的なヒーロー」の一人だそうです。ただ、ゴールドウォーターが1964年の公民権法案に反対票を投じたことに失望して、その年の大統領選ではリンドン・ジョンソンに投票したとのこと。

現職を僅差で破って上院議員に初当選した1984年の選挙ではロジャー・アイルズの世話になったそうです。効果的なテレビ広告を作ってくれた。

政治資金規制については、有権者の表現の自由を奪うものだとして徹底的に反対してきたそうです。

“Despite the argument offered by the Left, limiting a candidate’s speech does not level the playing field, it does the opposite. Like trying to place a rock on Jell-O, pushing down on one type of speech just raises that speech elsewhere, allowing someone else to control the discourse --- the press, the billionaire, the special interests, the incumbent. On more personal level, my first run for the Senate brought these issues to light in a concrete way. I never would have been able to win my race if there had been a limit on the amount of money I could raise and spend. ”

わはは。なるほど。

あと、第二次世界大戦当時、子供だったマコネルさんの日本に対する原爆投下時の感慨が面白い。マコネルさんのお父さんは欧州戦線から戻ってきて、次は太平洋戦線に向かう予定だったタイミングでの原爆投下だったそうで、

“But to the substantial relief of our family, President Truman dropped the A-bomb on Japan. Knowing the potential suffering this saved my dad, and the great number of lives spared by bringing an end to the war, there’s never been any second thoughts in our family about the wisdom of that decision.”

と振り返っています。そりゃ、そうだわな。戦争なんてやるもんじゃないですね。

それとどうでもいい話ですが、マコネルさんが子供時代、何度も近所の大柄な子供にいじめられているのを目撃したお父さんから「殴り返せ」と言われて、勇気を振り絞ってケンカしたら、勝ったというエピソードが出てきます。

この手のエピソードは、これまでに読んだ米国人のほとんどの自伝に出てくるような気がします。だから真偽のほどは眉唾な気もするのですが、米国人としては大好きな類いの逸話なんでしょうね。


ということで、結構面白かったですね。マコネルさんはいい人だと思います。

2016年4月7日木曜日

Crippled America: How to Make America Great Again

“Crippled America: How to Make America Great Again”という本を読んだ。共和党の大統領候補選びでトップを走っている不動産王のドナルド・トランプさんの本です。昨年11月に出た本で、一応読んでおいた方がいいのかと思って読んだ。200ページほどのボリュームで、すぐに読めます。まぁ、演説や討論会で話している内容と同じなわけですが、本なので一応のまとまりがあります。思いのほか面白かった。

本は全体で17章構成。最初のうちは1章ごとにひとつの政策課題について書いています。不法移民、外交、教育、医療保険といった感じですね。そのうち自己紹介的な内容になってきて、「俺は実はいいヤツなんだ」とか「俺こそ愛国者なんだ」みたいな話になります。

いわんとすることは、「俺は成功したビジネスマンだから、交渉の仕方を知っているし、妥協の仕方も知っている。政治家は政治献金をしてくれる企業の顔色ばかりをうかがっているけど、俺はそうじゃない。自分の考えで動くし、いつも米国全体のことを考えている。大統領にふさわしいのは俺だし、俺を批判するメディアの連中は偏向している」ということですね。

トランプさんの問題意識は一般国民と違うわけじゃないです。「貧乏人は勝手に苦労してろ!」みたいなことは言わない。共和党のエスタブリッシュメントみたいな人は「大企業寄り」みたいなイメージがありますが、そうした立場とは一線を画しているんだと思います。ただ、解決の方法は具体的じゃない。ひたすら「俺はビジネスマンだから、同じことをやらしても、政治家よりはうまくやれる」という論法を繰り返すだけです。既存の政策は全否定。どんな政策だって、「俺がやったら、もっとうまくいっていたはずだ」と言ってしまう。

こんな論法のトランプさんが支持されるのは、今のワシントンの政治が「オバマ対議会」「共和党対民主党」「共和党穏健派対ティーパーティー」なんていう対立がこじれちゃって、どこにも妥協が成立しない状況が続いてきたからだと思います。2008年にオバマが大統領に初当選したとき、オバマは「ひとつの米国」を訴えたし、国民もそれを期待した。でも実際はそうはならなかった。下院議長になったばかりのポール・ライアンが仕切った昨年12月の予算協議はようやく出てきた前向きな動きだったわけですが、米国民はちょっと待たされすぎたわけです。だから、「政治家じゃないトランプさんだったら、なんとか上手くやってくれるかも」というムードがあるのだと思います。

自分が大金持ちで成功者であることをアピールするのも、そういった期待を高めるためなんでしょう。あと、自分の子供たちが立派な大人になっていることをアピールするのも、自分が父親としても成功していることを強調しているのだと思います。実際、トランプの子供たちの悪い評判は聞きません。

ただ、こうした論法はオーナー企業のトップとしては成立するかもしれませんが、政治の世界ではどうなんでしょうという疑問もあります。トランプさんが自分の会社で決断したことは、例え妥協の産物で不満を抱く人がいたとしても、異議を挟む人はいません。株主は自分ですしね。でも大統領が現実的な妥協をすれば、あらゆる方向から異議が出てくる。そもそも大統領は独裁者じゃないから、なんでも自分の思い通りの決断ができるわけじゃないし。このあたりのことをトランプさんはどう考えているのか。自分の資金と弁舌とメディア操縦術をもってすれば、政治家たちを黙らせることが出来ると思っているんでしょうか。それともオーナー企業のトップと大統領は同じようなものだと思っているのか。

ちなみにトランプさんは高い手腕をもった大統領として、レーガンとジョンソンの名前を挙げています。ジョンソンについては、公民権法を成立させたときの交渉手腕を評価しているみたいですね。”he took on the far left and the far right and threatened them in order to get his way”なんて書いています。あと、自分は1990年代の失敗から学んでいるとしているのも印象的です。こんなトランプさんでも、辛かったんでしょうね。


そのほかの語録としては、

“I’m a practical businessman who has learned that when you believe I something, you never stop, you never quit, and if you get knocked down, you climb right back up and keep fighting until you win”

“I learned a long time ago that if you’re not afraid to be outspoken, the media will write about you or beg you to come on their show”

(移民排斥主義者だとの批判について)“The next thing you heard was that Trump said all immigrants were criminals. That wasn’t what I said at all, but it made a better story for the media

“It’s not fair to everyone else, including people who have been waiting on line for years to come into our country legally”

“Most important is ending or curtailing so-called birthright citizenship, or anchor babies”

“If fact, I would like to reform and increase immigration in some important ways…..This country is a magnet for many of the smartest, hardest-working people born in other countries, yet we make it difficult for these bright people who follow the laws to settle here ”

(現在の外交政策を批判して)“When you’re digging yourself deeper and deeper into a hole, stop digging”

“The best way not to have to use your military power is to make sure that power is visible. When people know that we will use force if necessary and that we really mean it, we’ll be treated differently. With respect”

(イラクが1991年にクウェートを侵攻した際、クウェートの富裕層は避難先のパリで贅沢な暮らしを続けていたとして)”They were watching TV in the best hotel rooms in Paris while our kids were fighting for them”

“We can’t be afraid to use our military, but sending our sons and daughters should be the very last resort”

“Unfortunately, it may require boots on the ground to fight the Islamic State. I don’t think it’s necessary to broadcast our strategy”

“The side that needs the deal the most is the one that should walk away with the least”

“I know the best negotiators in this country, and a lot of them would be ready to go to work creating a fair balance of trade”

“I don’t want people to know exactly what I’m doing ---or thinking. I like being unpredictable”

(教育問題について)“You know what makes a kid feel good? Winning. Succeeding”

“We need to get a lot tougher on trouble makers. We need to stop feeling sorry for them. They are robbing other kids of time to learn. I’m not saying we should go back to the days when teachers would get physical with students, but we need to restore rules about behavior in the classroom and hire trained security officers who can help enforce those rules”

(気候変動問題について)”We have even had ice ages. I just don’t happen to believe they are man-made”

(オバマケアについて)”And it was only approved because President Obama lied 28 times saying you could keep your doctor and your plan --- a fraud and the Republicans should have sued --- and meant it”

“To succeed in business, you have to be flexible and you have to change with the realities of the world”

“There is no question we need real health care reform. We can’t let Americans go without health care because they don’t have the right resources”

“We should hire the most knowledgeable people in the world on this subject and lock them in a room --- and not unlock the door until they’ve agreed on the steps we need to take”

“During the Recession of 1990 many of my friends went bankrupt, and never recovered. I never went bankrupt. I survived, and learned so much about how to deal with bad times”

“In the 1990s, the government changed the real estate tax laws and made those changes retroactive. It was very unfair, but I fought through it and thrived. It absolutely killed the construction industry. It put a lot of people out of business”

“We should not touch Social Security”

“I’m a nice guy. I really am”

“A great leader has to be flexible, holding his ground on the major principles but finding room for compromises that can bring people together”

“By nature, I’m a conservative person. I believe in a strong work ethic, traditional values, being frugal in many ways and aggressive in military and foreign policy. I support a tight interpretation of the Constitution, which means judges should stick to precedent and not write policy”

(火星に人類を送るミッションについて)”I think it’s wonderful. But I want to rebuild our infrastructure first on Earth…I don’t understand how we can put a man on the moon but we can’t fix the potholes on the way to O’Hare International Airport”

“There is nothing, absolutely nothing, that stimulates the economy better than construction”

“I’m not going to pretend that being rich doesn’t offer a lot of wonderful opportunities, but it doesn’t necessarily make you happy. I’ve learned that wealth and happiness are two completely different things. I know the riches people in the world. Many of them are great negotiators and great businesspeople. But they’re not necessarily nice people, nor are they the happiest people”

“It’s not fun being a landlord. You have to be tough”

“My two oldest sons claim they’re the only sons of a billionaire who know how to run a Caterpillar D10”

“Honestly, I was a bit of a troublemaker. My parents finally took me out of school and sent me upstate to the New York Military Academy”

“Stand behind your word, and make sure your word stands up”

“The way you dress and the way you act is an important way of showing respect for the people you are representing and the people you are leading with. Impressions matter”

(税制改革案について)“It also eliminate the death tax, because you earned that money and already paid taxes on it. You saved it for you family. The government already took its bite; it isn’t entitled to more of it”

“The Democrats want to make inversions illegal, but that isn’t going to work. Whatever laws they pass, with literally billions of dollars at stake, corporations will find methods to get around them. It makes a lot more sense to create an environment that welcomes business”

(1970年代に手がけたグランドハイアットの改装事業について)”During the years it took me to put this deal together, I learned a lot about working with the city and the banks, the construction industry and the unions”

(トランプタワーの建設事業について)”One of the things I’m most proud of about that building is that the person I put in charge of overseeing construction was a 33-year-old woman. I made that decision in 1983, when the fight for gender equality in business was really beginning”


政治や外交、経済の専門家からすれば笑止千万な内容なのかもしれませんが、一般庶民の目線に立てばうなずける部分も多いと思います。問題はここに書かれていることが、どれだけ本当か分からないところでしょうか。

2015年10月14日水曜日

"The Residence: Inside the Private World of the White House"

“The Residence: Inside the Private World of the White House”を読んだ。ブルームバークの記者のKate Anderson Browerさんがホワイトハウスで働くスタッフや大統領夫人や子供ら100人以上にインタビューして書いた、ホワイトハウスの内幕ものです。政治や外交の中心であるホワイトハウスの中で、大統領やその家族、スタッフたちがどんな私生活を送っているのかが描写されています。面白くて読みやすい。ただ、内容にまとまりはなくて、エピソードが羅列されているだけの感が強いです。

印象としては、

(気むずかしい人)
ジャクリーン・ケネディ、リンドン・ジョンソン、リチャード・ニクソン、ナンシー・レーガン、ヒラリー・クリントン

(優しい人)
ジェラルド・フォード、ジミー・カーター夫妻、ロナルド・レーガン、ジョージ・H・W・ブッシュ夫妻

(エロい人)
ジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン、ビル・クリントン

(よく分からない人)
バラク・オバマ夫妻

という感じ。ファースト・レディーはおおむね難しい人で、共和党の大統領はおおむね優しくて、民主党の大統領はおおむねエロいという感じでしょうか。そんななか、H.W.ブッシュ夫妻の評価が高い気がします。あと、ホワイトハウスと黒人スタッフの歴史も興味深かったです。


以下、面白エピソードを列記してみます。

・オバマ大統領が2009年に就任式を終えて初めてホワイトハウスに入った夜。大統領家族の生活スペースである2階に上がったスタッフは、オバマが”I got this, I got this. I got the inside on this now”と叫んでいるのを聞いた。その後、Mary J. Bligeの”Real Love”が流れて、オバマはワイシャツ姿で、ミシェルはTシャツにスウェットパンツといういでたちでダンスを始めた。

・オバマの家族は初めのうちは多くのスタッフに囲まれるホワイトハウスの生活になじめなかった。シカゴ時代は家政婦を1人雇っていたけど、ナニーは雇わず、マリアとサーシャはミシェルの母親のマリアンと過ごしていた。なのでオバマの家族はホワイトハウスでもプライバシーを求めた。マリアンもホワイトハウスの3階に住むことになった。ミシェルはマリアには自分の洗濯物は自分でするように教えた。マリアンも自分の洗濯は自分でやった。

・就任式の朝、大統領は退任する大統領と自らの安全保障スタッフからブリーフィングを受ける。このブリーフィングの最後に、核攻撃開始のために必要なコードについて知らされる。実際に大統領が就任式で宣誓すると、コードを運ぶブリーフケース「フットボール」は常に大統領の身の回りにおかれ、大統領は攻撃開始に必要なカードを渡される。

・裕福な家庭で召し使いに囲まれて育ったジャクリーン・ケネディは完璧主義者でホワイトハウスの日々の運営に口出しした。夜のうちにやらねばならないことを書き出したメモを作り、仕事を終えるとメモにチェックマークをつけていった。いつも持ち運んでいるノートには、チーフ・アッシャー(総支配人的な役職)への支持が書き連ねられていた。

・アイゼンハワー大統領は毎晩10時に就寝する規則正しい生活を送った。でもケネディ一家は就任式の夜、午前2時にセレモニーの会場から友人たちを連れてホワイトハウスに戻って、2階でパーティを始めた。最後のゲストが帰ったのは午前3時15分。その後、ケネディはドアマンにコーラを部屋まで持ってくることと、夜風を部屋に入れるために窓を開けることを頼んだ。ジャクリーンはドアマンに食前酒を持ってくるように頼んだ。ドアマンは午前4時まで帰れなかった。

・ホワイトハウスの家具はメリーランド州リバーデールの完全空調が施された倉庫に保管されている。新しくホワイトハウスに入る大統領の家族は、ここで自分の好きな家具を選んでホワイトハウスに持ち込む。

・H.W.ブッシュはホワイトハウスをクリントン家に引き継ぐとき、ブッシュ家の飼い犬”Millie”をなでているチェルシーに対して”Welcome to your new house”と声をかけた。ブッシュは伝統に従って、オーバルオフィスのデスクにクリントンへのアドバイスを書いたメモを残した。クリントンが8年後にW.ブッシュにホワイトハウスを引き継ぐとき、自身のメモと一緒に、H.W.ブッシュのメモもデスクに残した。内容は公表されていない。

・クリントン一家はホワイトハウスのリフォームに40万ドルかけた。すべて個人としての寄付でまかなった。でもホワイトハウスの外部からは顰蹙の声もあがった。プライベートを重視するクリントン一家は、ホワイトハウスから電話をかけるのにオペレーターを通さなければならないことを不満に思って、ホワイトハウスの電話システムを完全に入れ替えた。

・ジョンソン大統領の娘のルーシーは、両親がディナーで不在の間に友達をホワイトハウスでのスリープオーバーに招待した。その夜、自分の部屋にある暖炉に火をつけてみたが、暖炉の使い方を知らなかったので、部屋の中に煙が充満。グラスやゴミ箱で水をかけて火を消そうとしたけれどうまくいかず、結局は机にのぼって窓を開けて煙を部屋から出した。結局、ホワイトハウスの警察官が部屋に駆けつける事態になった。

・フォーマルなスタイルの生活を好んだニクソンが辞任した後にホワイトハウスに入ったフォード一家はリラックスしたスタイルだった。フォードの4人の子供たちはジーンズ姿で暮らした。娘のスーザンは両親が不在の際、ホワイトハウスのフロアでローラースケートで遊んでいた。

・ホワイトハウスの食費などは大統領家族がプライベートで負担する。なので大統領家族は大抵の場合、スタッフに対してなるべく節約するように依頼する。例外はH.W.ブッシュのファーストレディーのバーバラ・ブッシュ。バーバラ曰く、食費やクリーニング代は個人として負担せねばならないけれど、電気代や空調、生花、執事、配管工などは負担しなくていいので、「ホワイトハウスに住むことはとてもお得。何の責任も負わなくていいのなら、また戻って暮らしたいぐらいだわ」

・ヒラリーが雇ったシェフのWalter Scheibはローラ・ブッシュに解雇された。Scheibはヒラリーが好んだ高級な米国料理を作ってきたが、ブッシュは正反対の好みだった。ヒラリーが”layered late-summer vegetables with lemongrass and red curry”のような料理が好きだとすれば、ブッシュはTex-Mex ChexとかBLTが好きだった。ちなみに、ビル・クリントン自身は遊説などでヒラリーの目が届かないときには、アンヘルシーな料理でも満足していた。

・H.W.ブッシュは副大統領、大統領を10年以上務めたので、退任したころは世間ずれしていた。バーバラ・ブッシュの回想録によると、当時、ピザの宅配を注文できることを知って大いに驚いたという。

・H.W.ブッシュはホワイトハウスのスタッフから心から好かれていた。ブッシュ家は何にでも喜んでくれたし、スタッフもリラックスできた。ある日、バーバラはChief Usherに対して、「ホワイトハウスで美味しくないものを食べたことがない。だからシェフには毎晩好きなものを作るように言って。私たちは毎晩、料理を楽しめると思うわ」と話した。Chief Usherが「でも、好きなものじゃなかったらどうしますか?」と尋ねると、バーバラは「そのときは次は出さないでってお願いします」と答えた。

・ホワイトハウスで使われる食材はStoreroom Managerが一般人として普通の食材店に買いに行く。その店は誰にも教えられていない。食材に毒物が混入されるなどのトラブルを避けるため。

・クリントン夫妻はホワイトハウス内で激しく口論しているところを何度か目撃されている。その後、ずっと口を聞かないこともあった。ただ、仲が良いときは、夜遅くまでおしゃべりを楽しむ睦まじさもみせた。

・カーターの3人の息子たちはホワイトハウスで大麻を吸っていたらしい。外で大麻を吸っているのが見つかれば逮捕されるが、ホワイトハウス内なら安心だったのだろう。

・ホワイトハウスでは仕事よりもプライベートを優先させるスタッフは解雇される。ファーストファミリーは理由を説明することなくスタッフを解雇する権限があるとされる。

・クリントン家は在任中、State Dinnerを29回開いたので、厨房のスタッフにとっては大変な負担だった。ミレニアル・ニューイヤーのイベントだけでも、1500人が招待され、Executive Pastry ChefのRoland Mesnierは翌朝7時まで帰宅できなかった。W.ブッシュのState Dinnerは6回だけ。

・ナンシー・レーガンも要求が高かった。オランダの女王を招いたState Dinnerの準備をしている際、ナンシーはMesnierが提案したデザートのオプションを3度却下して、最終的に自分でデザートのアイデアを提案。非常に手の込んだ時間のかかるデザートだったので、Mesnierが「とても素晴らしいのですが、ディナーまでtwo daysしかありません」と意見を述べると、ナンシーは”You have two days and two nights before the dinner”と応じた。

・1987年12月8日、ソ連のゴルバチョフ書記長がフルシショフ以来のワシントン訪問を行ったとき、ナンシーはホワイトハウス内の生花を、朝の到着時とランチ時とディナー時で、すべて取り替えさせた。

・Mesnierはゴルバチョフのディナーの際、ソ連ロシアでは「キャビアと同じぐらい高価」とされるラズベリーをふんだんにつかったデザートを出した。ゴルバチョフが帰ったあと、ソ連からホワイトハウスの厨房に届けられた小包には7ポンドもの最高級キャビアが入っていた。

・H.W.ブッシュは気さくな人柄で、馬蹄投げをしているときスタッフに虫除けスプレーを持ってくるように頼んだ。ところがスタッフが誤って業務用の強力な殺虫剤を使ってしまい、大統領の顔が赤くなり、シャワーで殺虫剤を洗い流さなければならない事態になった。スタッフは真っ青になったが、大統領は「大丈夫、大丈夫。馬蹄投げを続けよう!」と問題視せず、誰も解雇しなかった。

・あるホワイトハウスのスタッフは父親が亡くなった際、キャンプデービッドにいたH.W.ブッシュから直接お悔やみの電話を受けた。それだけでも信じられないほどなのに、H.W.ブッシュの後にはバーバラも電話口に出て、お悔やみの言葉をかけた。

・ジョンソン大統領は荒々しい性格で何事にも満足しなかった。いつでも”Move it, Damn it, move your ass,”と叫んでいた。

・高校教師だったこともあるジョンソンは、ホワイトハウスのスタッフ1人1人にグレードをつけていた。突然、電気工事技師の事務所に顔を出して、「お前は今日、Fを取ったぞ」と言い放ったりした。

・ジョンソンは水圧の強いシャワーが好きだった。就任前、DCの自宅のシャワーは、あらゆる方向に取り付けられた複数のノズルから針のような刺激の水が吹き出て、そのノズルのひとつは自身の性器(自分で「ジャンボ」とあだ名をつけていた)に当たるようにしつらえられていた。ジョンソンは就任後、同じタイプのシャワーをホワイトハウスに取り付けた。配管やポンプの取り付けで数万ドルの費用がかかり、警護費用として支出された。ジョンソンの後任のニクソンは就任後、このシャワーをみて、「外せ」と命じた。

・ジョンソンは自分の周囲の人に子供が生まれると、自分の名前「リンドン」を付けるように説得しようとした。断られると、ひどく残念そうな表情をみせた。

・ナンシー・レーガンはジョンソン大統領と同じぐらい奇妙な振る舞いが目立った。ナンシーはスタッフの女性にロングヘアーを許さず、家政婦に対しては自分の衣類に購入した日付と最後に着た日を記したラベルを取り付けるように命じた。

・ヒラリー・クリントンには「仕えるのが難しい」という評判もあるが、「家政婦のような働く女性にはとても共感してくれるし、どのスタッフの強みや弱みも知っている」という評価もある。「男性に対しては、女性に対してよりも厳しい」との評価も。

・クリントン家には「彼ら自身も何が欲しいのか分かっていない」という評判もある。あるとき、ヒラリーがある鶏肉料理が頻繁に出てくるので出さないで欲しいというのでメニューから外したら、数カ月後に、「どうして私たちの大好きなあの鶏肉料理を出さないの?」と言われたりした。

・クリントン家はいつ食事をするのかも予測できなかった。就任当初、クリントン家はディナーの席について「今から食事を出して」と頼んで厨房を困惑させた。ブッシュ家は事前に「12時半から2人分の昼食をお願い」などと連絡を入れていた。

・モニカ・ルインスキーのスキャンダルが発覚したのは1998年1月だが、2人の関係が継続していた1995年11月~1997年3月の時点からホワイトハウスのスタッフは気づいていた。

・スキャンダル発覚後の1998年の3~4カ月間、ヒラリーの怒りを買ったクリントン大統領は個人の書斎のソファーで寝ていた。ホワイトハウスの女性スタッフのほとんどは「当然の報いだ」と思っていた。

・UsherのSkip Allenはクリントン家のことを”the most paranoid people I’d ever seen in my life”と評している。

・レーガン大統領はスタッフに対してとてもフレンドリーだったので、スタッフたちは大統領との長話につかまってしまうことがしばしばあった。なのでスタッフたちは忙しいときは、大統領に会わないようなルートで移動することを覚えた。

・オバマ大統領はプライベートを大切にするので、レジデンスのエリアにはValerie Jarrettら数人の側近しか立ち入らせない。

・ホワイトハウスのスタッフはかつては奴隷的な身分の者でしめられていた。ミシェル・オバマの家系は奴隷の血筋を引いていて、母方の祖父はシカゴのハンディーマンで、叔母の1人はメイドをしていた。オバマ家は、ホワイトハウスでスタッフにかしづかれるようにして暮らすのが心地よくないのかもしれない。

・カーター大統領夫妻はジョージア州知事時代、殺人罪による終身刑判決を受けたMary Princeという女性の無罪を信じて恩赦を与え、知事公邸のナニーとして雇った。プリンスはカーターの大統領就任後もナニーとしてホワイトハウスで働き、シンデレラストーリーとして話題になった。

・1961年当時、ホワイトハウスで働いていた黒人スタッフの給料は白人スタッフよりも大幅に低かった。

・1967年当時、ホワイトハウスのドアマンは名字だけで呼び捨てにされていた。

・アイゼンハワー大統領はホワイトハウスを軍隊のように規律正しく運営しようとした。

・公民権運動のころ、黒人のスタッフのなかには白人と同等の権利を要求するものもいたが、職を失うことを恐れて不満を口にしない者もいた。古い世代の黒人は、白人に対して”mouthy”にならないように教え込まれて育っていた。

・レディ・バード・ジョンソンは黒人の女性家政婦と一緒にホテルに泊まろうとして断られたとき、怒りをあらわにしてホテルを出た。レディ・バードは公民権法の成立に熱心で、ジョンソン大統領自身も自ら主導した公民権法で自らの友人の人生に影響を与えたことを誇りとしていた。

・ただ、ジョンソンは一部の黒人の指導者がより大胆な改革を求めていたことについては、差別用語を使って怒りをあらわにした。議会の同意を得るには現実的な策をとる必要があったが、それでも不満を示す黒人指導者に納得がいかなかったようだ。

・ケネディはホワイトハウスで働いていた女性たちとも愛人関係にあった。ジャクリーンが不在のとき、ケネディはやりたい放題で、あるスタッフは裸の女性がキッチンから出てくるところを見たこともある。

・ジョンソンはパーティー会場でかわいい女性をみつけると部屋の隅に連れて行ってキスしようとせまった。顔にキスマークをつけていることもよくあった。

・ケネディは世間知らずで、缶切りの使い方すら知らなかった。

・レーガン大統領はホワイトハウスのスタッフに裸をみせても気にしないほど親しく接していたが、息子のロン・レーガンは「両親のスタッフに対する態度は、スタッフを同等の人間として扱っていなかったといえるかもしれない」としている。H.W.ブッシュとバーバラ・ブッシュのスタッフへの態度は、スタッフに対する尊敬をともなったものだった。

・カーター大統領は子供をDCの公立学校に通わせた。

・ヒラリーは娘のチェルシーに対しては非常に心優しい。


過去の回想録などで周知の事実というような内容もあるのでしょうけど、なかなか勉強になりました。

2015年7月11日土曜日

"UNINTIMIDATED"

“UNINTIMIDATED: A GOVERNOR’S STORY AND A NATION’S CHALLENGE”を読みました。ウィスコンシン州のスコット・ウォーカー知事(共和党)が2011年に成立させた、公務員制度の大幅な改革などを盛り込んだ州法、Act 10の成立までの経緯と、その後の顛末をつづった本です。ウォーカーさんは13日に大統領選へ出馬を表明するとみられているので、ちょうど良いタイミングでの読了。これまであまりウォーカーさんのことは知らなかったのですが、なかなか魅力を感じさせる内容でした。

ウォーカーさんは1967年11月2日生まれの46歳。2010年11月の知事選で当選し、2011年1月に就任。いきなりAct 10の成立を目指します。Act 10では公務員の労働組合の団体交渉権を制限したり、医療保険や年金の負担率を現状よりも高くすることなどを定めています。自治体職員といえどもサラリーマンですから、民間の組合と同じように団体交渉権が認められて当然という気もしますから、Act 10の内容を発表すると、民主党や労働組合から轟轟たる批判が沸き上がりました。反対運動は次第にエスカレートしていき、数万人のデモ隊が州庁舎を取り囲んだり、中になだれ混んだり、はては議事堂を占拠してそのなかで生活を始めたりして、大変な混乱に陥りました。

これと並行して民主党議員はAct 10の成立を阻むためにそろってイリノイ州まで出て行って、予算がからむ法案としての定足数に到達できない状況を作って審議を拒否します。ウォーカーさんと共和党は民主党側に説得工作を展開し、妥協案を提示したりもしますが、民主党側は受け入れず。そこでウォーカーさんと共和党はAct 10を二つの法案に分割して、予算がからまない法案に仕立て直します。予算がからまない法案だと定足数が低くなるので、共和党単独でもAct 10を成立させることが可能。というわけで、Act 10は2011年3月に議会を通過し、ウォーカーさんが署名することになります。

でも民主党と労働組合はこの後も、「Act 10は無効だ」という訴訟を起こしたり、議員のリコール選挙をやったりした後、ウォーカー知事のリコール選挙にこぎつけます。ただ、こうした試みはいずれも失敗。この本は、こうした経緯のなかで、いかに民主党とか過激な労働組合が理屈にあわない滅茶苦茶な行動をとってきたかとか、いかにウォーカーさんや共和党が勇敢に立ち向かったかということが、何度も何度も語られます。

で、問題はどうしてウォーカーさんはそんなAct 10を実現したかったのかということですが、根っこのところにあるのは財政の健全化です。州政府の財政悪化を食い止めるためには、郡や学区に対する補助金を削減せねばならない。でもそんなことしたら、住民サービスの最前線に立っている郡や学区の運営がまわらなくなってしまう。だから行政を効率化させるための武器を郡や学区に与える必要がある。その武器というのがAct 10による公務員制度改革だという論法です。

で、なんで公務員制度を改革すれば行政が効率化できると考えたかというと、ウォーカーさん自身、2002年から2010年のミルウォーキー郡知事の時代に、いろいろと行政の効率化を目指そうとしたのですが、公務員組合の反対で満足のいく結果が得られなかったそうなんです。それで行政改革のためにはAct 10で公務員のリストラなんかを効率的に進められるようにするべきだというわけですね。

分かりやすい弊害として挙げられているのが、公立学校教職員の解雇の際に適用される”last in, first out”ルール。リストラをするときは一番キャリアが浅い職員から解雇するルールだそうで、財政難からリストラせねばならないときには、たとえ優秀であっても若い先生は真っ先に解雇されることになる。逆にやる気はないけど、年だけはとっている先生は地位が安泰なわけですね。こういうルールを変えようとしても、教職員組合との団体交渉で退けられてしまう。公立学校を効率化するには、団体交渉権をなくさなければならないという話になります。

あと、公営バスの運転手の年収が最高約16万ドルに達していて、交通局のトップよりも高かったなんていうケースも出てきます。労働組合が最も年功の高い運転手により多くの残業を認めるというルールがあるからだそうで、これもまぁフェアーな話じゃないよねという話ですね。さらに公務員は医療保険や年金の負担率が民間よりもかなり低くて、その分、自治体側の負担が大きいという問題もあった。

ちなみにAct 10反対派が州庁舎を占拠した際には、州都マディソンの教職員の40%が病欠をとって、多くの学校が休校に追い込まれたそうです。反対派のなかには医師がいて、州庁舎のなかで病気であることを証明する診断書を書いていたとのこと。こりゃいくらなんでも、ひどいっていう話ですが、そんなことがまかり通るような状態だったということです。

で、Act 10では公務員の労働組合の団体交渉権を制限して、リストラを能力ベースで行えるようにする。年功が高いからといって、残業を独占できるような制度も止めさせる。あと、医療保険や年金の負担率も引き上げる。ただ、それだと公務員の人たちは生活が苦しくなってしまうので、労働組合が組合費を強制的に徴収する制度も止めにする。そうすれば公務員は組合費を負担しなくても済むので、その分、医療保険や年金の負担増を受け入れられるという仕組みですね。そりゃ、労働組合は猛烈に反対するというわけです。

Act 10成立後、補助金を払わなくて済むようになった州政府の財政は黒字化し、資産税の減税なんかができるようになります。また、補助金を受け取る側の郡や学区でも効率化が進んで、かえって教職員の数を増やすことができるようになったりした。団体交渉権がなくなったことで、学区は自由に医療保険の契約先を選べるようになり、その結果、保険料が大幅に下がったことが大きな要因だったようです。2010年の時点で、ウィスコンシン州の労働者なかで「州が正しい方向に進んでいる」と回答したのは10%でしかなかったけど、2014年の時点では95%にまで増えたとのこと。いろんな要因があるんでしょうけど、95%というのはちょっとすごい数字です。

で、本の最後ではリーダーシップの重要性が語られます。過去2回の大統領選でオバマ大統領にやられてしまった保守層には「社会はリベラル化している。中間層を取り込むためには共和党はリベラル寄りにフトした方がいいんじゃないか」という悩みがありますが、ウォーカーさんは「中間層を取り込むためにリベラルにシフトするのは間違いだ」と断じています。ウォーカーさんは2012年のリコール選挙で勝利しましたが、同じ年の大統領選ではオバマ大統領がウィスコンシン州をとりました。有権者はウォーカーさんとオバマ大統領の両方を同時に支持したというわけです。

ウォーカーさんとオバマ大統領では政治理念は正反対なわけですが、「有権者は候補者が保守かリベラルかという問題よりも、指導力があるかどうかを見ている」とのこと。中間層を取り込むために必要なのは理念で妥協することではなく、大胆で前向きな改革を打ち出し、それをやり遂げる勇気をみせるかどうかだとしています。

共和党は「弱者に冷たい」というイメージをもたれてきましたが、ウォーカーさんは弱者に冷たいのではなくて、「政府に依存する人を減らしたい」だけだとしています。例えば、ウォーカーさんは健康で子供のいない大人のフードスタンプ受給には職業訓練を受けることを義務付けました。フードスタンプ受給の要件が厳しくなるわけですから、「弱者に冷たい」と批判されそうですが、その分、職業訓練のプログラムは充実させています。「働くためのスキルを磨かなくてもフードスタンプが受給できますよ。安心して下さいね」と呼びかけるよりは、「働くためのスキルを磨いて、フードスタンプに頼らなくても済むようになろう」と呼びかける方が前向きだというわけです。しかもこうした職業訓練プログラムで政府に依存する人が減っていけば、財政も安定する、減税もできる、国民が自由に使えるお金が増える。共和党はこうした自らの理念を曲げることなく、堂々と主張すれば、国民を引っ張っていくことができるというのがウォーカーさんの主張です。

ウォーカーさんについては「リコール選挙に勝った」「ティーパーティーの支持を受けている」「組合を攻撃した」「大学を中退している」というぐらいのイメージしかなかったのですが、こういう「改革志向」の人だったんですね。しかも実績があるわけですから、なかなか有権者にアピールしそうです。

2015年6月16日火曜日

"God, Guns, Grits, and Gravy"

2016年の大統領選に立候補しているマイク・ハッカビー元アーカンソー州知事の”God, Guns, Grits, and Gravy”を読んでみた。ハッカビーさんはサザンバプティスト派の牧師で、アーカンソー州知事を10年半務め、2008年に共和党の予備選に出馬するも撤退。その後、フォックス・ニュース・チャンネルでトーク番組をもったりしている、知名度がある人です。いわゆるキリスト教系保守。歯に衣着せぬ物言いで人気な政治家らしく、面白い本でした。2015年1月発売。

本の内容を簡単にまとめてしまえば、「南部のことは南部にまかせてくれ。ニューヨークやカリフォルニア、ワシントンDCのような一部のプログレッシプな地域の奴らが、われわれの信仰や文化についてとやかく言うんじゃない」というもの。

この本の最初のエピソードは同性婚がらみの内容です。Chick-fil-AというチキンチェーンのCEOが2012年6月に「伝統的な結婚を支持する」という趣旨の発言をしたところ、シカゴのエマニュエル市長とかボストンのメニーノ市長とかが、Chick-fil-Aを市から追い出すと発言。そこでハッカビーさんは、Chick-fil-Aへの連帯を示そうと、自分のラジオ番組やフォックスの番組で「8月1日にChick-fil-Aの店舗でチキンを買おう」と呼びかけたところ、全米のChick-fil-Aの店舗で早朝から行列ができたそうです。ハッカビーさんのフェイスブックのページには1900万アクセスがあり、60万人が「参加する」という意思表明した。この日のChick-fil-Aの売上高はこれまでの最高額を200%以上も上回り、2012年の売上高は前年比12%増だったそうです。アップルとかスターバックスとかアマゾンのCEOが自分の個人的な信条を述べても責められないのに、なんでChick-fil-Aだけが責められなければならないのかというわけですね。

同性婚については別のパートでも触れられていて、聖書の教えを信じる立場からすれば同性婚はどうしても容認できないものだとのことです。ハッカビーさん自身は「同性婚を容認すれば社会が崩壊するという主張は言い過ぎだ」と認めているのですが、「男性と女性の体は肉体的に補完しあうように神によってデザインされている」ものであるとしています。キリスト教徒じゃない人には説得力のない説明かもしれませんが、「私は神を中心とする価値観をもっているので、ここにはこだわる」ということなんで、譲れないところなんでしょう。

また、セックスには夫婦の間の感情的なつながりを強めるという価値があり、同性同士でも同様のつながりを持つことはできるんだけれど、「私が神が意図しているのだと信じるような、男女のつながりに相当する自然な肉体的な感情の表現にはなりえない」とのこと。同性婚の支持派からは「別に同性婚を承認したって、誰も困らないじゃないか」との主張もありますが、ハッカビーさんは「何とも言えない」という立場です。異性愛者だった人が同性愛者になったり、同性愛者が異性愛者になったりするケースもあるし、性的な嗜好には様々な要素がからんでいるわけで、「将来、今の時代を振り返って、『われわれは何て無知だったのだろう』と思う日がくるかもしれない」としています。

あと銃規制の強化についても絶対反対の立場です。ハッカビーさんが初めて本物の銃を買ったのは9歳のころ。その数年後にはショットガンを手に入れたそうです。日本人の感覚からすればなんというバカな話かと思いますけど、南部の子供たちは親から銃の扱いについて厳しくしつけられているから問題ないということです。

具体的には、

「例え弾が込められていない銃でも、弾が込められているものとして扱え」
「撃つつもりがないのなら、銃を人や動物や物に向けてはいけない」
「引き金を引く前に、撃とうとしている物が何か、その背後に何があるのかを把握せよ」
「何を撃とうとしているのか確信がなければ、撃つな」
「常に銃がどこにあるのかを把握し、使い終わったら元の場所に戻せ」
「食べるつもりがないのなら、動物を撃つな」

というようなことです。

こんなこと日本の子供が教わることはないですが、南部の子供にとっては常識だとのこと。ハッカビーさんはこんな地域の価値観は、決してプログレッシブな価値観に劣るものではないんだという立場なわけです。「銃の乱射事件の多くは銃の持ち込みが禁止されている施設で起きている」とか「ドイツでのユダヤ人の強制連行の前には、ユダヤ人による銃の保有が禁止されていた」とかいうエピソードを持ち出して、自分たちの身を悪党から守るために銃を持つことが必要だと主張しています。そこから「都会の人間は銃を持ったこともないくせに、銃が危ないとかぐちゃぐちゃ言うんじゃない」といった趣旨の主張があったりして、南部の人たちにとっては立場を代弁してくれているという気分になるんだろうなという気がします。

ハッカビーさんは個人の自由を最大限に尊重して、政府による規制は最小限にすべきだという立場です。じゃぁ、どんなことだったら規制があってもいいのかというと、国民の間で規制が必要だというコンセンサスがある場合だということのようです。政府が価値観を押しつけるような規制じゃなくて、国民の側から持ち上がってくるような規制ですね。政治家が何かの問題について規制が必要だと考えるならば、いきなり規制を持ち出すんじゃなくて、問題を提起して、意識を高め、解決策を話し合ってから行動を起こす。シートベルトに関する規制とか、タバコに関する規制とかは、こういった経緯でできたそうです。ちなみに”Live free or DIE”をモットーとするニューハンプシャー州にはシートベルトに関する規制はない。ハッカビーさんは「もちろんそれでOK」としています。ハッカビーさん自身、知事時代にレストランでの喫煙を規制する法律を作ったそうですが、これは喫煙が自身や周囲に与える有害性が十分に認識されてからのことで、「人気のある規制」だったとのこと。

とまぁ、こんな感じでハッカビーさんいろんな世の中の事柄にモノ申していくという本です。最近のテレビのリアリティ番組はやりすぎじゃないかとか、でも「ダック・ダイナスティー」は素晴らしいとかいったどうでもいい話から、アル・ゴアは気候変動を憂いているわりには900万ドルもする豪華な家に住んでいるとか、カリフォルニア、ニューヨーク、イリノイはビジネスに適さない州のトップ3に選ばれているとか、貧困の実態についてテッド・ケネディーとかジェイ・ロックフェラーとかジョン・ケリーみたいな連中に説教される筋合いはないといったリベラル批判まで盛りだくさんです。あと、IRSは廃止すべきだとか、オバマ大統領は国民を盗聴するような真似はやめるべきだとか、ティーパーティーの人たちが言いそうなこともでてきますが、「共和党はお互いを批判しあうようなことはやめて、ひとつにまとまるべきだ」といった主張もあって、独立志向の強いティーパーティーとは一線を画している部分もあります。

ちなみに、ジョン・エドワードのことは”the serial adulterer, notorious liar, and all-around con man”と評しています。なんなんでしょうね。このエドワードって人は。

ハッカビーさんは単にご意見番的なだけの人なわけじゃなくて、副知事から知事の辞任にともなって知事に昇格し、その後、2度の選挙で勝っているわけですから、ちゃんとした政治家でもあるんだと思います。個人的にはこういう面白いおじさんは好きです。ただ、別にUnited States of Americaの大統領になる必要もない気もしますが、どうなんでしょう。

そういえば、石原慎太郎っぽい気もする。違う気もするけど。

2015年5月12日火曜日

“Believer : My Forty Years in Politics”


“Believer : My Forty Years in Politics”を読んだ。オバマ大統領の補佐官を務めたDavid Axelrodさんの本です。2015年2月発売。アクセルロッドさんは広報戦略担当ということで、テレビなんかにもよく出演した有名人で、”Yes We Can”のスローガンを考えたのもアクセルロッドさんだそうです。528ページと長い本ですが、面白かった。

アクセルロッドさんが政治に関心を持ったのは5歳のころ。ケネディが地元の街で集会を開いたときに、家政婦のおばさんに連れられて住民たちがケネディを歓迎する様子を見たことがきっかけだそうです。それから子供のころから地元の選挙でビラくばりとかを手伝うようになって政治オタクの道へ。シカゴ大学入学後には、地元紙で政治コラムを書くようになる。当時としても異例の抜擢というか、本人も「よく雇ったなぁ」と振り返るような採用だったそうです。

で、大学卒業後はシカゴトリビューンに入社。トリビューンのインターンにはユダヤ人が2人いて、「採用されるのは1人だろう」とお互いに張り合っていたら、両方とも採用されたとのこと。事件や事故を追いかけながら、数年後には政治担当になります。こんな風にケネディの存在がきっかけとなって、政治にかかわるようになった人っていうのは沢山いるんだろうなと思います。

で、シカゴ市やイリノイ州の政治に関わっているうちに、シカゴトリビューンの株主が変わって編集方針なんかにも変化がでてきた。そんなタイミングで独立して、政治コンサルタントの事務所を開くことになります。

そんななかで得られた選挙の定石というのが、「候補者が直面するであろうあらゆる論点をピックアップして、世論調査を検討したうえで、そのなかからターゲットとする有権者層に最もアピールする2つか3つの論点を選び、それをより大きなストーリーのなかに組み込んでいって、候補者が立候補する理由として語っていく」ということだそうです。「勝てる選挙運動というのは、この選挙が何のための戦いなのかということを明確に定義して、有権者の支持を引きつけることができる選挙運動のことだ」とのこと。論点を絞って、対立軸を明確にするってことですかね。大都会で人種構成が複雑なシカゴの政界では、黒人らマイノリティーの有権者をうまく動員することで選挙戦を有利に運ぶことができたとのことで、こうした経験がオバマの選挙戦にも生かされているんだとのことです。

あと、「現職が引退するときは、いくらその現職が人気があったとしても、有権者はそのレプリカを求めることはない。有権者はいつでも現状からの変革を選ぶもので、後継者には現職が残した問題点に対応する強さを求めている」との解説もあります。ヒラリーのことですかね。

あと、この本のなかでは、政治にまつわる様々なディールも出てきます。例えば、

・イリノイ州選出の民主党上院議員、Alan Dixonは、父ブッシュ大統領が最高裁判事に指名したクラレンス・トーマスが上院で52対48で承認された際に賛成票を投じた。ホワイトハウスは次の選挙で強い対立候補を立てないことと引き替えに、ディクソンに賛成を迫った

なんていう話も出てくる。ホワイトハウスによる議会工作っていうのは、こんなやり方があるもんなんですね。

で、アーカンソー州知事だったクリントンが大統領選に出馬する際に「陣営に入らないか」というオファーがあったんだけど、てんかんを患っている長女や家族をサポートするためにオファーを断ります。その代わりにクリントン陣営に入ったのが、ジョージ・ステファノプロスだそうです。で、その後、2000年にも今度はゴア陣営から誘いがありますが、これも家族のケアを理由に断った。で、最終的にはオバマ陣営に入る。家族を優先させて政治コンサルタントとして2度の大きなチャンスを見送ったけど、結局はうまくいったっていう話。

オバマと最初に出会ったのは1992年。ハーバードのロースクールを卒業した直後で、「黒人として初めて、ハーバードのロースクールの学内誌の編集長になった」と話題になり、シカゴで弁護士として有権者登録活動を始めたころのことです。民主党の支持者の一人が「将来、黒人初の大統領になることだってあり得る人物だ」と紹介してくれたそうですが、アクセルロッドさんの印象としてはそこまですごいものではなかった。ただ、「傲慢さをみせずに知性的に語り、年長者のような自信を感じさせる」点や、「普通に弁護士として活動すれば高額な報酬を得られるにも関わらず、有権者登録活動を始めた」点に、高い能力と志の高さをみたとのこと。

このあとはオバマがらみのエピソードが中心です。大きなエピソードはオバマ自身の自伝とかで明らかになっているんでしょうけど、細かいものとしては、

・2004年の民主党党大会で、大統領候補として指名されるジョン・ケリーの指名を受けてスピーチをする際、当時上院議員候補だったオバマはイリノイ州議会の合間をぬって、懸命にスピーチの草稿を書き上げた。そのなかに”The pundits like to slice and dice our country into red states and blue states; red states for Republicans, blue states for Democrats. But I’ve got news for them,” “We are one people, all of us pledging allegiance to the stars and stripes, all of us standing up for the red, white and blues”という下りがあったけど、これがケリーのスピーチライターから「ケリーの演説とかぶっている」とクレームがついた。当然、オバマ側がスピーチからこのフレーズを削ることになったが、オバマは”You know they didn’t have that in Kerry’s speech. They saw it, they liked it, and now they’re stealing it! ”と怒った。

・Rahm EmanuelはペロシからDemocratic Congress Campaign Committeeの委員長への就任を要請されたとき、家族と過ごす時間を優先したいとして断っていたが、結局、2005年1月に就任した。その時の条件が、”coveted(誰もがほしがる)”下院歳入委員会委員長のポストと、民主党の下院指導部入りだった。

・ハリー・リードとチャック・シューマーは大統領選の2年前、2006年夏の段階で、オバマに対して直接、大統領選への出馬を要請していた。

・Valerie Jarrettはシカゴ市長だったRichard Daleyのdeputy chief of staffで、オバマと婚約中だった弁護士のミシェルを雇って、オバマとミシェルの側近になった。

・アクセルロッドは大統領選出馬を検討中のオバマに対して、「ヒラリーやジョン・エドワーズのような、大統領の座にかける執念が足りない」と諫言したことがある。そのときのオバマのリアクションは”Well, you’re right, I don’t need to be president” ”But I ‘ll tell you this. I am pretty damned competitive, and if I get in, I’m not getting in to lose. I’m going to do what’s necessary”だった。

・オバマは質疑応答やディベートなどで大事なことを最後まで話さず、くどくどと長い前振りを使って説明しようとする「悪い癖」がある。これは選挙の際にはいつでも陣営を悩ませた。

・ヒラリーとの予備選の最中、ニューハンプシャーでの選挙戦でヒラリー陣営に入っていたビリー・シャヒーン(ジーン・シャヒーンの夫)がオバマが自伝のなかで告白している大麻使用歴について「共和党から『最後に大麻を使ったのはいつだ』と追求されるおそれがある」と批判した。その後、デモインの空港でオバマとヒラリーのプライベートジェットが居合わせた際、ヒラリー陣営のスタッフがオバマ側に「ヒラリーがオバマに直接会って話したいことがある」と持ちかけ、オバマは「シャヒーンの行き過ぎた批判について謝罪してくるのだろう」と思ってヒラリーの元に向かった。アクセルロッドがジェットの窓から滑走路で話す2人の様子をみていたところ、最初は落ち着いていたヒラリーの態度は次第にエスカレートして、目の前にいるオバマを指さしたりするようになり、オバマがヒラリーを落ち着かせようと肩に手を置くと、ヒラリーはその手を払いのけたりした。ジェットに戻ってきたオバマによると、ヒラリーは最初は謝罪してきたのだが、オバマが「お互いに選挙戦の行動やトーンには責任をもってやりましょう」と話した途端、激怒してオバマ陣営によるヒラリー陣営への態度をあげつらって批判を始めた。オバマは「初めてヒラリーの目に恐怖の色をみた」と話した。

・ケリーは2008年の大統領選で、04年の自身の選挙で副大統領候補だったエドワーズを支持せずに、オバマを支持した。その理由は、ケリーがエドワーズを副大統領候補に選ぶ際、「もしも04年の選挙で勝てなかった場合、08年の選挙ではケリーが出馬の是非を判断するまでエドワーズは動かない」という約束をしていたにも関わらず、エドワーズが04年の選挙の後で08年の出馬に向けた動きをみせたから。ケリーは「エドワーズは裏切り者」とみていた。

・エドワーズは08年、サウスカロライナの予備選を前に大統領選からの撤退を検討していた。”南部”なサウスカロライナでエドワーズが撤退すれば、票はヒラリーに流れるとみられており、オバマにとっては不利な状況が生まれる。そういう状況を読んで、エドワーズ側はアクセルロッドに「エドワーズに選挙戦に残って欲しいんだったら、大統領になったときにエドワーズにポストを与えると約束して欲しい。ヒラリーは司法長官を約束してくれているんだけど、でもエドワーズが欲しいのは副大統領候補になることだ」と持ちかけてきた。この話を聞いたオバマのリアクションは”Seriously? Just tell them that I think highly of John, but that he’ll have to make his own decision”だった。

・ブッシュ政権の国防長官だったボブ・ゲイツを続投させることを進言したのはハリー・リード。

・マケインとの選挙戦の終盤、オバマ支持の盛り上がりをみて、オバマは”we may be the victims of our own success. The expectations are so high. It’s going to be reaaly hard to meet them”と漏らした。

・Rahm EmanuelをChief of Staffに引き抜く際、エマニュエルはシカゴでの生活を優先させたいとして固持したが、オバマは絶対に聞き入れなかった。政権からロビイストを排除し、高い倫理上のガイドラインをもうけたオバマ政権にとって、それでも議会を動かすにはエマニュエルの手腕が不可欠だったから。

・ラリー・サマーズが元財務長官という肩書きがあるにも関わらず、格下の国家経済会議(NEC)委員長の座を受けたのは、バーナンキがFRB議長を退く際には後任に据えるという約束があったから。結局、約束は守られなかった。

・オバマは最初の予算法案にあまりに多くのearmarkが付けられているので、拒否権を発動しようかと思ったが、エマニュエルに議会との対立激化を引き起こすといさめられて思いとどまった。エマニュエルは、拒否権を発動すれば、ハリー・リードは信頼関係が損なわれたとみなすだろうと説得した。

・オバマは選挙戦で超党派による政治を目指すとしてきたが、現実には就任直後に共和党からの協力を得ることは難しいと実感する。オバマは就任1週間後に共和党の下院の議員団と経済再生プランについて協議したが、オバマがホワイトハウスを出発しようとする直前、AP通信は「共和党指導部はすでに議員に対してプランへの反対を促した」と報じた。オバマはつるし上げ裁判に向かわされたかたちで、「こんなのってフェアーじゃないだろう」とこぼした。

・われわれが米国が緊急事態にさらされているのだから共和党は協力してくれるだろうと想定したのはナイーブだった。ヒラリーが選挙戦で「甘い観測」と批判したのはこのことだった。

・AIGのボーナスが問題になった際、ガイトナーとサマーズは契約上約束されたボーナスを取り下げさせるのは資本主義の原則に反すると主張した。アクセルロッドは”Capitalism isn’t trading high right now!”と言い返した。

・オバマ陣営は1年目に医療保険制度改革に取り組めば、共和党からの強い反発を招き、その後の政権運営が立ちゆかなくなることを心配し、議会を熟知したエマニュエルやバイデンらがより穏健なプランを目指すよう主張した。でも、改革の草案を立案したJean Lambewは「選挙戦での約束を守るべきだ」と主張。アクセルロッドは、選挙戦では個人の加入義務化なんかは約束していないと反論したが、オバマはすでに包括的な改革に取り組む腹を固めていた。オバマは後日、「リスクは分かっている」としたうえで、「8年間支持率を高く維持するために政権をとったわけじゃない。未来のために重要な変化をもたらすために政権をとったんだ」と話した。

・オバマ曰く、”Whenever I leave here, in four years or eight, I just want to leave knowing I did everything I could” “We may not solve all these problems, but I want to know that we tried”

・オバマケア関連法案が上院を通過する際、上院の民主党の議席は60でフィリバスターを回避できる状態だったが、ネブラスカのベン・ネルソンが造反する可能性があった。そこでメーンの共和党議員のオリンピア・スノウの説得工作が続けられていた。結局、スノウの寝返りは実現しなかったが、ネルソンも造反しなかったので上院を通過できた。2009年の年末のこと

・でも年明けのマサチューセッツの補選で共和党のスコット・ブラウンが勝利して、上院の議席数は59になってしまった。もしも下院が独自のオバマケア関連法案を通せば、両院での協議が必要になって、今回はフィリバスターを回避できなくなる。同じ党内でも上院と下院の対抗関係は強いものだが、なんとかペロシを説得して上院の法案をそのまま下院でも通すことで上院に法案が戻ってくることを回避した

・オバマが就任後にサウジアラビアを初めて訪問した際、サウジ王家は各スタッフにお土産をもたせた。アクセルロッドが緑色のワニ皮のブリーフケースを開けると、宝石の詰め合わせやネックレス、イヤリング、時計なんかが詰まっていた。数十万ドルはするだろうという代物だった。でも国務省のプロトコルに従ってこれらのお土産は返却された。ジャレットは”Aww, can’t we keep a few?”と冗談を飛ばした


まぁ、細かいですね。自分用メモですが。どうでもいい話ですが、個人的には、いちいちジョン・エドワーズがディスられているのが気になります。奥さんも含めて、かなり悪い印象の人物として描かれています。おそらくはアクセルロッドさん的に、ここには駆けないようなすごく嫌な思いをした経験があるのでしょう。そうじゃなかったとしたら、エドワーズ的には「そんなに書かなくてもいいじゃん」っていう気分になると思います。あと、オバマとバイデンは良好な関係を維持しているみたいです。お互いにお互いを尊敬しあっているような記述がそこかしこに出てきます。エマニュエルもとびきり優秀で忠誠心のある人物として描かれている。ジャレットはミシェル・オバマとの距離の近さから煙たがられているような描写があります。

で、本の最終盤はアクセルロッドさんによるオバマ評になります。それによると、オバマは単なる理想主義者とみられがちだけれど、実際には理想と現実のバランスをとれる志が高く有能な政治家だとのこと。金融危機の際に巨大金融機関を救済したのも、GMなんかの自動車会社を支援したのも、オバマの理想からは離れているけれど現実を見据えて決断したんだということです。そのうえでオバマケアなんかではしっかりと理想を追求する。

ただし政治オタクとして生きてきたアクセルロッドさん的には、政治を上手く機能させるには”earmark”的な政治手法も必要だという思いもあるようです。大統領には議会を動かすツールはほとんどなく、議会の指導部は自分たちの目的を達成するために動かなければならない事情がある。そこで議会にearmarkの機会を与えているというのは政治的な知恵だというわけです。アクセルロッドさんは、そうした政治の仕組みがないままに、earmarkなシステムを否定してしまうことの有効性を確信するほど若くはないとしています。

あと、オバマが理想主義の立場をとったときの交渉力の弱さというのも指摘されています。オバマはオバマケアについて議会に行動を促そうとしているとき、「彼らは何を恐れているんだ」と言うわけですが、アクセルロッドさんにすれば「次の選挙で負けることに決まっているだろう」と言いたくなるわけです。アクセルロッドさんは”Obama has limited patience or understanding for officeholders whose concerns are more parochial----which would include most of Congress and many world leaders”としています。オバマは交渉相手に大胆に行動することが彼らの義務であるだけでなく、政治的な利益にもかなうことだと説教をたれて、熟練の政治家たちを怒らせることが何度かあったそうです。アクセルロッドさんは”Whether it’s John Boehner or Bibi Netanyahu, few practiced politicians appreciate being lectured on where their political self-interest lies ”として、こうしたオバマの態度はオバマのネゴシエイターとしての力量不足を示しているとします。そこをバイデンがフォローしていたとも付け加えています。


まぁ、そんなわけで面白い本でした。オバマ論のところも巷間言われているような話ですが、オバマ政権のインサイダーからの発言ということで「やっぱりそうなんだ」って感じだと思います。確かに金融危機はうまく乗り切って景気は良くなったし、オバマケアも実現したんだけれど、もうちょっと政治に対する理解があれば、もっと充実した8年間になったのかもしれません。超党派の政治を実現すると訴えた割には、オバマ政権下で党派対立が深まったようにみえるのは何とも残念な結果なような気もします。

あと、バイデンが退任後に回想録を書いたら絶対に読む。失言癖のある政治家らしい政治家だけに面白そう。

2014年10月12日日曜日

The Greatest Comeback

“The Greatest Comeback: How Richard Nixon Rose from Defeat to Create the New Majority”という本を読んだ。

ウォーターゲート事件によるニクソン大統領辞任から40年の節目に出ているニクソン本のひとつで、側近だったパット・ブキャナンさんが1960年の大統領選でケネディに負けたニクソンがどんな道筋をたどって1968年の大統領選に勝利したかを書いた本です。面白いことは面白いんですが、米国の政治、社会状況に対するニクソン陣営の分析や裏話を集めたような内容なんで、そもそも表舞台で何が起こっていたかという事実関係がしっかりと頭に入っていないと理解が追いつかない部分が出てしまいます。ニクソン本や60年代に関する本なんていうのは無数に出ているでしょうから、まずは基礎知識を身につけてからの方が良かったかもしれません。

というわけでなかなか内容を紹介するのは難しいのです。ただ、ブキャナンさんが言わんとすることは、ニクソンは、ジョンソン大統領らがマイノリティや学生の一部が暴動や大学の占拠事件を起こすような事態になった際に毅然とした態度をとらなかったことで失った「普通の米国人」の支持と、当時の米国内に残っていた人種差別を容認するような古いタイプの人たちの支持を上手にすくい上げて、選挙戦で勝利したんだということだと思います。「普通の米国人」というのは低所得、中所得の白人たちで、公民権運動の流れのなかで忘れられた存在になっていたとのことです。

で、ニクソンがどうやってこの両方の層をまとめたかという話なんですが、まずニクソンはマイノリティや学生の暴動に対しては”law and order”の重要性を訴えます。暴動などを起こす側には差別撤廃などの理由があるわけですが、「どんな理由があろうとも法と秩序は守らねばならない」という立場を明確にするわけですね。そうすることで、「俺たちだって苦労しているんだよ」という普通の米国人の不満をすくいあげることに成功します。

一方、米国には古いタイプの人たちもいた。公民権法に反対票を投じて、1964年の大統領選で大敗したバリー・ゴールドウォーターを支持するような人たちですね。ニクソンはこの人たちとも連帯する。1964年の大統領選でニクソンは、共和党候補として正式に選出されたゴールドウォーターをきちんと応援していた。ゴールドウォーターはこのことを大変感謝し、恩義に感じていたそうです。共和党内のリベラル派であるネルソン・ロックフェラーとかジョージ・ロムニーのような人たちはゴールドウォーターから距離をとったりしたわけですが、そういう態度で共和党を分裂させるような真似は止めるべきだということですね。

ただ、もちろん、人種差別を肯定するような立場をとるわけではありません。ブキャナンによると、ニクソンはリベラルな家庭で育ったそうで、副大統領時代には1957年の公民権法の成立に力を尽くしてキング牧師から感謝の手紙をもらったりもしたそうです。ただ、公民権法に反対するような人たちを共和党から追い出すようなマネはしない。選挙で民主党に勝つためには、こうした人たちからの支持が重要であることを知っていたからです。人種差別撤廃には賛成しながらも、反対する人を批判しないというのはなかなか難しいポジション取りですけど、大統領選に勝つにはそのぐらい難しい配慮が必要だということですね。

1968年の大統領選では、民主党のヒューバート・ハンフリー副大統領と共和党のニクソンが出馬。さらに独立党のジョージ・ウォレスも立候補します。このウォレスという人は元は民主党なんですが、アラバマ州知事として人種差別を支持してきた人で、ニクソンにとってはリベラルのハンフリーと、古いタイプのウォレスから挟み撃ちを受けたようなかたちになります。ただ、ゴールドウォーターとしっかり連帯してきたこともあって、ディープサウスの5州(アーカンソー、ルイジアナ、ミシシッピー、アラバマ、ジョージア)はウォレスにもっていかれましたが、バージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、フロリダ、テネシーは確保できた。このあたりが勝因だったとのことです。

あとベトナム戦争に対する分析も面白いです。南北ベトナムの間での戦争はアイゼンハワー時代からあったわけですが、ケネディの時代までの米国の介入は軍事顧問団の派遣にとどまっていた。ところがジョンソンは1965年から北爆を始めて、さらには地上軍の投入に突き進んでいきます。ところが思うような成果が上がらず、米国内では厭戦ムードが高まっていた。で、ジョンソンは停戦の道を探り始めて、1966年のマニラ会議で「もしも北ベトナムが兵を引くなら、米国もベトナムから兵を引く」ことに合意します。これに対してニクソンは強く反発してみせます。もしもベトナムから兵を引けばベトナムが共産圏に落ちることを容認することになるし、さらに「撤兵してもいいよ」なんて弱気を見せようなことをすれば、北ベトナム側を「粘れば勝てるぞ」と勢いづかせることになるという判断があったようです。

ニクソンは大統領就任後の1972年にハノイ空爆、ハイフォン港への機雷封鎖などを行なって北ベトナムに壊滅的な打撃を与え、パリ和平会議のテーブルにつかせ、米兵捕虜の解放などと引き替えに、ベトナムからの撤退を約束します。南北ベトナムの戦闘はその後も続き、最終的には北ベトナムが勝利してベトナムは共産圏となる。ニクソンは大統領を辞めた後、ブキャナンさんに対して「ジョンソン大統領がハノイ空爆や機雷封鎖を1965年か66年にやっておくべきだった」と話したそうです。ニクソンは米国がベトナム戦争で負けたときの大統領なわけですが、負けた原因はジョンソンにあるというわけですね。なるほど、こんな理屈もあるのかという感じです。

現在の共和党指導部がティーパーティーみたいな極端な人たちの言動で支持を落としながらも、ティーパーティーを切り捨てるわけでもないのはニクソンがゴールドウォーターと連帯して党をまとめたことが頭にあるのかなという気もします。共和党の候補者としては予備選でティーパーティー系と対立するようなことが避けたいのはもちろんですけど、ティーパーティー系の機嫌を損ねて大統領選で候補者を立てられたりなんかしたら、共和党的には目もあてられない状況になりますからね。

あと、オバマ政権がイラクやアフガンから撤退してきたにも関わらず、ここにきてISIS相手に空爆を始めているところなんかも、あまりいいやり方ではないんだろうなという気もする。今のところは米国が地上軍を投入することはないということですが、うまくいくはずもないような気が。

ニクソンは思想的にはウィルソンを尊敬するような理想主義者なんだけれど、行動は現実主義に基づいていたということです。共産中国との国交を回復に手をつけ、長年の友人であった台湾の蒋介石との関係を切ったのも、ロシアを孤立させることがための判断だったとのこと。あと、「現実主義に基づいた妥協は人々にはアピールしない。現実的な妥協をとらなければならないんだけど、語るときは原則について語らなければならない」という言葉もあるんだそうです。

つまり心のなかに理想主義をもって、人々にはその原則を語るんだけど、行動は現実主義に則って妥協にも応じなければならないということですね。理想主義の原則を語り、理想主義で行動するのもだめだし、現実主義にのっとって行動する際に現実主義を語ってもいけない。ちなみにニクソンは1972年の大統領選では歴史的な大勝利を収めています。

深い。深いな、ニクソン。

でもウォーターゲート事件で失脚するんだけどね。この人のドラマはまだまだ続いていたんだと思います。

2014年8月19日火曜日

The Good Fight

"The Good Fight: Hard Lessons from Searchlight to Washington"という本を読んだ。民主党のハリー・リード上院院内総務が2008年5月に書いた自伝です。民主党が2006年の中間選挙で上院を奪還した後、2008年の大統領選ではまだオバマ対ヒラリーの候補者争いが続いているという段階ですね。ウォーレンさんの自伝が面白かったので、あまりよく知らないリードさんの自伝も読んでみたという次第です。面白かった。

この本、いきなり"I AM NOT A PACIFIST."という一文で始まったり、リードさんが生まれ育ったネバダ州サーチライトについて「メインの産業は売春だった。誇張しているわけじゃない」なんていう言及があったりして、なかなかパンチが効いています。あと、ラスベガスがあるネバダ州のギャンブル産業を監督する公職についていた際、自身や家族がマフィアたちから度重なる脅迫を受けた経験から、いつも銃を手元に置いているなんていうエピソードも出てくる。リベラル層を支持基盤とする民主党の上院院内総務といえども、お上品なだけの理想主義者じゃないぞということなんだと思います。

ただ、こうした言及は「そんな俺でもブッシュ(子)大統領の対イラク政策は我慢がならない」という主張へのフリみたいなもんです。リードさんは2003年のイラク戦争開戦には賛成した。フセイン大統領が大量破壊兵器を持っているなら、それを取り除かなければならないということだったわけですが、その後、2007年の春の段階では米軍に3200人の死者、数万人の負傷者を出しながらも、大量破壊兵器はみつからないうえ、シーア派とスンニ派の対立も鮮明になり、イラクは内戦状態に陥ってしまった。ブッシュ政権は増派を検討しているけれど、それは1965年にジョンソン大統領が勝てる見込みのないベトナム戦争への増派を決めたようなもんだというわけです。議会は「増派は妨げないが、無期限に認めるわけではない」という予算案を通して、リードさんも大統領に直接会って妥協を迫りますが、大統領は「自分の個人的なレガシー作りのためにやっているのではない。これは正しいことだ」と反論して、議会の予算案に拒否権を行使。結局、大統領の意向を反映した予算案が成立することになります。リードさんはこれが許せないというわけですね。ちなみに、ブッシュ(父)のことについては結構褒めています。で、ブッシュ(父)の夫人については他の上院議員の発言を印象するかたちで、「ビッチだ」と書いたりしています。

この本が書かれた後に就任したオバマ大統領はイラクから撤退期限を宣言して、2010年8月に約束通り戦闘部隊の撤退を完了。11年12月には完全撤退を終えます。で、今になってISILが勢力を拡大して再び空爆を始めたりしている。そう思うとブッシュ政権の判断もあながち間違いじゃなかったんじゃないかという気もしますが、どうなんでしょう。オバマ大統領がイラクから撤退しなければ、イラクの状況はもっとマシになっていたかも。まぁ、歴史に「もしも」はないっていいますから、よく分かりませんがね。

政治ドラマも満載。2000年の大統領選にあわせた議会選挙で上院の勢力が50対50になった際、共和党のジム・ジェフォーズ(Jim Jeffords)上院議員を民主党側に寝返らせて民主党の多数を獲るくだりなんかでは議会の勢力争いの裏舞台も披露されています。当時、上院院内幹事だったリードさんの寝返り候補リストには、リベラルが強い州選出のLincoln Chafee上院議員とか、穏健派のArlen Specter上院議員、Olympia Snowe上院議員、一匹狼のマケイン上院議員なんかの名前もあったようですが、結局、リードさんはジェフォーズ議員から出された「乳製品農家への価格維持政策の継続」「自らのスタッフに影響がでないこと」「民主党側についた後の序列では、共和党議員時代のキャリアも考慮すること」をのんで、ジェフォーズ議員を自陣に迎え入れた。その後、ジェフォーズ議員は上院環境委員会の委員長になります。こういった工作を、民主党から共和党への裏切りを阻止しながら、やっているわけですね。

2004年の大統領選でブッシュ大統領に再選を許し、議会選挙でも上院で45議席しかとれなかった後、民主党の上院院内総務に立候補したくだりでは、当時、いちはやく自分を支持してくれた議員の名前を列挙しています。対抗馬はコネチカット州のクリス・ドッドでテッド・ケネディの支持を受けていたようですが、そんななかでもRobert Byrd, Jim Jeffords, Chuck Schumerなんかはいち早く、リード支持に回ったようです。あと、Ron Wydenは金融委員会に入れて欲しいと要望したとか、Jack Reedが歳出委員会への残留を希望したとか。当時のヒラリー・クリントン上院議員や、バラク・オバマ上院議員もリードを支持したということのようです。で、結局、クリス・ドッドは院内総務選挙に立候補せず、リードの就任が決まる。こういうところで名前を挙げていくっていうのも、なかなか嫌らしい感じがします。

2005年に共和党が判事の任命に関するフィリバスターの廃止をねらった「核オプション(nuclear option)」を検討したことに対する怒りっぷりも印象的です。上院はフィリバスターのおかげで多数派と少数派の妥協が図られる仕組みなのに、それを無効にするとは何事だというわけですね。で、超党派の議員団"Gang of Fourteen"を組織して、核オプションによるフィリバスター廃止を阻止します。共和党から7人、民主党から7人が参加して、民主党側は焦点となっている3人の判事の任命については容認する一方で、共和党側はフィリバスター廃止はやらないと約束するという手法です。少数とはいえ超党派の議員が妥協しあうことで、どちらの側も過半数をとれない状況を作り上げ、妥協を旨とする上院の伝統を守ったというわけですね。

で、リードさんは2013年11月に、民主党が上院の55議席を占めている状態から、核オプションを実行して「最高裁判所判事をのぞく大統領任命人事の承認」に関するフィリバスターを廃止する事実上の規則改正をやってしまいます。2005年の怒りっぷりは何だったんだという話ですが、リードさんは相当なケンカ上手ということなのでしょう。ケンカ上手といえば、2005年11月にイラク戦争についての調査の開始を抜き打ちのクローズド・セッションで決めてしまうという場面も出てきます。これもなかなかドラマチック。弁護士らしくというか何というか、ルールの抜け穴を突くのが得意みたいです。

あとこの本には子供のころのエピソードとかがふんだんに盛り込まれています。金鉱の街であるサーチライトに集まってきた労働者たちの死と隣り合わせの生活とか、シアーズのショッピングカタログが年に1度届くことが一大イベントだったとか、子供のころは無免許で運転するのが当たり前だったとか、友達が自宅の窓から核実験の光を眺めたことがあるとか、ユダヤ教徒の娘だった奥さんと駆け落ちしてモルモン教の教会で結婚式を挙げるとか、DCで警察官として働きながらジョージワシントン大学のロースールで勉強したら死ぬほど大変だったとか。弁護士時代のエピソードでは、妙にミステリー小説っぽい展開だったりもします。1969年ごろのワイオミング州ではヒッピーは犯罪者扱いされていたとか、ジャクソンの街では毎晩、公開絞首刑のまねごとが毎晩行われていたらしい。文脈から察するに観光客にワイルドウェストらしさをアピールするための出し物のようなものだったみたいですが、米国のディープさを感じさせます。ワイオミングといえば、チェイニー前副大統領の地元ですね。ディープ。

多分、語られていない部分の方がたくさんあると思うのですが、勉強になりました。議員の自伝は面白い。

2014年7月17日木曜日

A Fighting Chance

"A Fighting Chance"を読了。エリザベス・ウォーレン(Elizabeth Warren)上院議員の自伝です。あんまり保守ものばかり読んでいてもあれなんで、やっぱりリベラルな人たちの話も読んだ方がいいんじゃないかと思って読んでみた。非常に面白かった。あと、読みやすい。

このウォーレンさんは長らく自己破産の問題に取り組んできた法律学者で、元ハーバード大学教授。金融危機の前から「銀行が消費者に十分な情報を提供しないまま、高金利になる可能性のあるローンを貸し付けているのは問題だ」と主張してきた人です。そうした実績を買われて、金融危機後に金融サービスにおける消費者保護を目的としたConsumer Financial Protection Bureauの設立にオバマ大統領のアドバイザーとして尽力して知名度を上げ、その後、2012年の上院議員選挙でマサチューセッツ州から立候補。ティーパーティ系の共和党現職、スコット・ブラウンを破って当選したという経歴の持ち主です。そんなわけで、リベラル層からの人気が高くて、2016年の大統領選挙に出馬するのではという観測もあります。まぁ、本人は出馬を否定しているし、民主党にはヒラリー・クリントンという大本命がいますから、そんなに可能性は高くないでしょうけどね。ただ、それぐらい人気があるということです。

で、これだけでもウォーレンさんは面白い人なんですが、これだと「超あたまのいいハーバード大学のスーパーエリートか」ってなもんです。でも、ウォーレンさんの面白いのはハーバード大教授になるまでの経緯にあります。というのも、ウォーレンさんはオクラホマ州の生まれで、父親は便利屋さん(handy man)といいますからエリート家庭の出身ではない。美人でもないし、学校の成績も良くないし、スポーツもできないし、歌もダメだし、楽器もできないという、さえない感じの高校生だったそうです。しかも高校生のときに父親が病気で倒れて、学費の面からも大学進学も難しい状態だった。ただ、このウォーレンさんはディベートが大の得意だったそうで、ディベートチームのアンカーだった。そこで、ディベートで奨学金を出してくれる大学を探して、ワシントンDCにあるジョージ・ワシントン大学に進学します。

で、ここからエリート街道が始まるのかというとそうではなくて、ウォーレンさんは大学2年生のとき、4歳年上でIBM勤務のジムさんにプロポーズされて「イエス」と即答。大学をやめてしまいます。1968年、ウォーレンさんが19歳のときの話ですが、後に上院議員になるほどの女性でも当時は「女性は結婚したら家庭に入るのが当たり前」という感覚があったのだと思います。ちなみにジムさんはオクラホマにいた13歳のころからデートしていた相手だったそうです。

で、ウォーレンさんはジムさんの勤務先であるニュージャージー州で障害者学級のセラピストとして働き始めて、21歳のときに長女を出産。当時、女性運動が盛り上がっていたそうですが、ニュージャージーの郊外ではそうでもなかった(The women's movement was exploding around the country, but not in our quiet New Jersey suburb and certainly not in our little family)ということで、ウォーレンさんは良き妻であり、良き母であろうとしてきた。ただ、やっぱり何かをやりたいという気持ちもあって、そういう気持ちに対して、"I felt deeply ashamed that I didn't want to stay home full-time with my cheerful, adorable daughter."と述懐しています。

ということでウォーレンさんは学校に行くことにします。ジムさんも消極的ながらOKしてくれました。それでニュージャージー州のラトガー大学のロースクールに通い始める。法律のことなんて何も知らないのにロースクールを選んだのは、テレビでみかける弁護士が困った人たちのために戦っている姿に感銘をうけたからだそうです。

でね、ロースクール2年目の夏休みにウォールストリートの法律事務所の夏季アシスタントの仕事の面接に行ったときのエピソードがあるんですが、これがかっこいいので紹介します。

女性の秘書や事務員はたくさんいるけど、女性の弁護士はほとんどいない法律事務所だったそうですが、面接官の弁護士がウォーレンさんの履歴書をみて、"There's a typographical error on your resume. Should I take that as a sign of the quality of the work you do?"(あなたの履歴書にはタイプミスがあるけど、これはあなたの仕事の質のあらわれだと考えていいですか?)って尋ねたそうです。そしたら、ウォーレンさんはたじろぐことなく、"You should take it as a sign that you'd better not hire me to type."(私にタイプをさせるだけの仕事をさせるべきではないということのあらわれですね)と切り返したそうです。面接官の弁護士は笑って「君ならいい仕事をしてくれるだろう」と言って、ウォーレンさんを採用してくれたとのこと。帰りの電車で履歴書を見直したら、タイプミスはなかったそうです。わはは。ドラマみたい。

ウォーレンさんは27歳でロースクールを卒業。でもこれでウォーレンさんの法律家としての栄光のキャリアが始まるわけじゃない。実はウォーレンさんはこのとき、第2子の長男を妊娠中で、弁護士試験を受けたのは出産後。自宅に"Elizabeth Warren, Attorney-at-Law"という看板を出して開業します。依頼者が来たら、おもちゃをカウチの下に隠してリビングルームで会おうと思っていたそうです。でも実際には、ラトガース大学から「1週間に1晩だけ、法律文書の授業をもたないか」というオファーを受けて、大学で教鞭をとるようになる。で、1年ほどしたら、ジムさんの転勤先であるヒューストンに引っ越すことになって、またイチから職探しです。そこで、ヒューストン大学のロースクールに願書を出します。教職の空きがあるかどうかも分からない状態ですが、"I was now an experienced law teacher (sort of) and I'd be interested in teaching legal writing at the University of Huston (or anything else they needed), and so on"というノリでの職探しだったそうです。そしたら、しばらくして教授として採用されることが決まります。

で、順風満帆のキャリアが始まるかと思いきや、仕事と育児の両立に悩むことになる。大学での授業を終えた後、保育園に長男(Alex)を迎えいったときの様子が書かれていて、これがまぁリアルな感じです。長いですが、引用します。Ameliaは長女ですね。


"I picked him up. His diaper was soggy, and I tried to lay him down on the cot to change him, but he clung to me and cried. I gave up and carried him to the car. By now, he was going full force, crying louder and kicking. I had tears, pee, and baby snot on my blouse. By the time we got home, he was exhausted and so was I. I called our neighbor Sue and asked her to send Amelia home. I gave Alex a bath and started crumbling up hamburger in a skillet as I made dinner. I put in a load of laundry. When I was in law school, Amelia and I had been buddies. She allowed me to believe that a life that combined inside and outside --family and not family-- could actually work. But Alex cried for hours at a time, turning red and sweating and seeming to be furious at my inability to fix whatever was wrong. Once I started teaching, mornings were torture. Alex knocked his cereal bowl across the room and cried when I dressed him. He kicked me while I tried to fasten him in his car seat and clung to me when I needed to leave. I was outmatched. I was so tired that my bones hurt. Alex still woke up about three every morning. I'd stumble out of bed when he cried, afraid he'd wake Amelia or Jim. I'd feel around in the dark, wrap us together in a blanket, and then rock him back and forth in an old rocking chair I'd had since I was a kid. We held each other, and for a while each night while I drifted in and out of sleep, I prayed that he forgave me for my many shortcomings."

上手に訳すのは難しいですが、全米のワーキングマザーが泣いちゃうんじゃないかっていうぐらいのリアルな感じ。ウォーレンさんは叔母に自宅に住み込んでもらって生活を立て直そうとするのですが、そうした生活にジムさんは不満を抱いていました。で、離婚しちゃんです。

"One night I'd left the dishes until after I'd put both kids to bed, and I was cleaning up in the kitchen. Jim was standing in the doorway, smoking a cigarette, just looking at me. I asked him if he wanted a divorce. I'm not sure why I asked. It was as if the question just fell out of my mouth. I was shocked that I'd said it. Jim looked back at me and said, "Yes." No hesitation, just yes. He moved out the next weekend."

なんたる。なーんたる。ひどい話だと思いますが、ウォーレンさんはジムさんを責めるような心境でもないようです。「ジムは19歳の女の子と結婚したけど、その私は本人さえも予想しなかったような女性になってしまった。このことはとても申し訳なく思うけど、もう引き返すことはできない。私は料理上手な主婦にならねばならなかったのかもしれないけれど、ダメにしてしまった。私は100%を家庭と子供に捧げるべきだったかもしれないけれど、私たちの生活は、私もジムも予想しなかったようなものになってしまった。私はこの大冒険が大好きだったけど、ジムは違った」としています。1970年代後半ごろの話ですね。

ウォーレンさんはこの後、両親も呼び寄せて子育てをサポートしてもらって、自分は大学教授の仕事に集中します。で、法律の歴史を専門にしている大学教授のブルースさんと再婚して、全米屈指のロースクールがあるテキサス大学オースティン校に転籍して、自己破産の増加について関心を持つようになった。自己破産というのは借金が返せなくなった人たちが家とか自動車とかいったほとんど全ての資産を放棄することと引き替えに、返済しきれなかった借金を帳消しにしてもらって再スタートを切るという法的な制度なわけですが、ウォレンさんは「どうして、人々は金銭的にそこまで追い込まれてしまうのか?」ということを研究のテーマとして、「自己破産に至るのは、病気とか解雇といった突然の出来事で、事業のための借金や住宅ローンなどの返済が滞るようになった、ごく普通のまじめで勤勉な人たちだ」という結論に至ります。さらにウォーレンさんはその背景には、1980年代に貸し出し金利の上限が撤廃されたことで、銀行業が大きく変質したことがあると主張します。それまでは決められた上限金利のなかで、借り手が返済可能かどうかを見極めたうえで融資を実行するのがバンカーの手腕だったわけですが、上限金利がなくなったことで返済できないような借り手にも高い金利で貸し出せば銀行ビジネスが成り立つという構図ができた。その結果として、自己破産が増えているといわけです。

自由市場主義に基づいた保守派なんかは「自分が返済可能かどうかは自分で判断すべき問題だ。自己破産を銀行の責任にするな」という反論もあるわけですが、ウォーレンさんは「銀行が融資の際に貸し出し条件を十分に説明していない」と批判します。また、借金返済に苦しんでいる人たちは何も借りたお金で放蕩三昧の生活をしているわけじゃないともしています。

例えば、こういうパターンですね。自分の収入はそれほど高くないけれど、子供にはいい教育を受けさせてやりたいから、少しでもレベルの高い学校の学区に住みたい。そうした学区の家は値段が高いけど、ちょっと無理して住宅ローンを組む。金利は高めだけれど、銀行もOKしてくれたし、しばらくは順調に返済もできていた。でも、そのうちに自分が病気になってしまって、家族の収入が激減してしまった。家を売却してローンを返済しようにも、住宅市場が悪化していて返済仕切れない。それで自己破産するしかなかった。

ウォーレンさんの研究は、実際にこうした経験をした人たちへのインタビューをもとにしているんだそうです。ウォーレンさんは自己破産の専門家として銀行への規制強化の必要性を主張。その間、ハーバードに移籍したり、議会と接触をもって自己破産の際の借り手の負担を少なくするための法律改正などにも取り組んだりもします。

もういい加減、長すぎるんでこのあたりにしますけど、この本の中には、法改正をめぐってマサチューセッツ州選出のエドワード・ケネディ上院議員に直談判したり、金融業界のロビイストたちと対立したり、スコット・ブラウン氏との上院選挙での激しい戦いといったいった面白エピソードも盛りだくさん。銀行にとって有利な法律改正を支持していたとして、バイデン副大統領(当時は上院議員)がさりげなくディスられたりもします。そんななかで、冒頭に書いたようにオバマ大統領のアドバイザーになって、上院議員になる。ちなみにスコット・ブラウン氏は、ケネディ上院議員の死後の補選で、リベラルの牙城であるマサチューセッツ州でティーパーティの支援をうけて勝利したという人ですね。ケネディ家の遺産を取り返したというドラマなわけです。


オクラホマのディベートだけが得意なさえない女子高生が、子育てと仕事の両立に悩みながらシングルマザーになった末に、学問の世界でキャリアを築きあげ、真面目に働く中間層のために立ち上がって大銀行と対決し、ついにはケネディ家の遺産を取り返して上院議員になった。そりゃ、人気も出ますわな。ウォーレンさんに出馬を促す勝手連もできているようですし、ヒラリーさんには「銀行業界からも沢山の献金を受けている」という批判もあります。

まぁ、要注目ってことで。

2014年3月27日木曜日

The Loudest Voice in the Room

“The Loudest Voice in the Room”を読了。

Fox News Channel(FNC)のPresidentであるロジャー・エールス(Rodger Ailes)の人生を勝手に振り返って、いかにゴリゴリの保守派として米国政治に影響力を及ぼしてきたかを語る本です。ティーパーティーのことを調べていたら、ティーパーティー支持者の多くがFNCを「信頼できるメディア」と評価しているという指摘を見つけたもので、「ところでFNCってどういうメディアなんだろう」と思って読んでみた。ちなみにFNCは視聴率の面では、CNNとMSNBCが束になっても敵わないほど人気があります。著者はジャーナリストのGabriel Sherman。

長いです。キンドルで読んでいるんで気軽にポチってしまいましたが、今、調べてみたら、最近読んだ”The Dispensable Nation”の1.8倍、”The Right Path”の2.5倍の長さがある。あと登場人物が多すぎ。米国人にとっては有名な人も混じっているんでしょうけど、私なんかはすぐに混乱してしまいます。ちょっと辛い。エールスにかなり批判的な内容なんで、慎重を期して書いているのだと思います。ただ、もうちょっと読みやすくコンパクトにまとめてくれてもいいんじゃないか。

エールスは1960年ごろに地元のオハイオ大学在学中から学内のラジオ局の運営に参加してメディア人としてのキャリアをスタートさせたそうで、その後、オハイオ州やフィラデルフィア州のテレビ局で頭角を現します。人気番組「マイク・ダグラス・ショー」にプロデューサーなどとして関わり、テレビ向け演出のノウハウを蓄積したらしい。当時のテレビ人は、レニ・リーフェンシュタールが監督したナチスのプロパガンダ映画なんかでの演出も研究したそうです。で、そうした手腕を生かして、エールス氏は政治家のプロモーションを手がけるビジネスを始める。なかでもニクソン、レーガン、ブッシュ(父)の歴代大統領の選挙戦や政権のメディア戦略に深く関わったとのこと。カメラの配置はこうした方がいいとか、テレビの候補者討論でこんな質問をされたら、こう言い返してやれとかいったアドバイスをしたりするんだそうです。「複雑な事柄を、感情に訴えかける短いセンテンスで表現する」というのがキモらしいですね。あと、対立候補を批判する政治CMの作成を実質的に指揮していたとも。建前上は候補者陣営がこうしたCMを作ってはいけないらしいんですが、エールスは元部下なんかを利用して過激な対立候補批判CMを作らせて、大きな効果を上げていたんだそうです。

で、そんなエールスはブロードウェーのミュージカルのプロデュースもやったりしながら、1990年代になってNBC系のCNBCのトップになって、1996年にルパート・マードックがFNCの設立を決めた際にトップに就任。この頃は、24時間ニュースチャンネルはCNNしかなかったわけですが、視聴者の間には「今のメディアはバイアスがかかっている」という不満があった。そこでマードックやエールスは「より米国的の価値観に基づいた保守系のテレビメディアを立ち上げたら、絶対に支持される」と思ったらしい。FNCは実際に、陣容ではCNNに劣るにも関わらず、クリントン大統領のモニカ・ルインスキースキャンダルや911といった事件を追い風にして、あっという間に視聴率でCNNを追い越してしまう。ブッシュ(子)政権時代のイラク戦争なんかも開戦を強く後押しした。その後のオバマ政権の誕生と再選は阻止できなかったものの、ティーパーティー運動をバックアップしたりして、現在でも保守系メディアの代表として存在感を発揮しているというわけです。

で、まぁ、これがあらすじというわけですけど、この本のなかにはエールス氏がいかにして米メディア内での権力闘争を勝ち抜いてきたかとか、現場のディレクターや記者に圧力をかけて自分の意にかなった報道をさせてきたかとか、いかに人気キャスターのセクハラ訴訟のもみ消しを図ってきたかとか、いかに自分が住んでいる地元の新聞社を買収して地元の政敵に嫌がらせをしてきたかとか、そういったエピソードがふんだんに盛り込まれています。傲慢で臆病な大金持ちといったキャラクター付けですね。もちろんこの本の内容について、エールス側は猛反発して、出版させないように著者に圧力をかけたそうです。その圧力の経緯も後書きで詳述されています。このあたりは私なんかには「なるほど、ドロドロした世界なんだな」というぐらいの印象ですけど、好きな人にはたまらなく面白かったりするんでしょう。

エールスっていう人は一般的な家庭から自らの才覚で身を立てた人で、父親からも「自分を助けられるのは自分だけだ」といった保守思想をたたきこまれてきた。それがマードックに気に入られて、米メディア界に強い影響力を及ぼすようになった。米国ではこういった保守思想には根強い支持があるうえ、エールスの面白い番組を作る才覚とそれを会社全体に浸透させる腕力もあって、FNCは人気を保っているのかなんていう風に思います。

あと、グレン・ベックの話もちらっと出てきますけど、この人は別にエールスが目をかけて育てたというわけじゃなくて、突然現れ、FNCで大暴れして、その後、去っていったということのようです。

面白いんですが、長い。

2013年4月25日木曜日

スーチーさんがやってきた。

この前、ミャンマーのアウンサンスーチーさんが来日して、東京大学で講演していました。(動画)

スーチーさんは言わずと知れたミャンマー民主化運動の指導者で、1991年にはノーベル平和賞も受賞した人です。自宅軟禁されたり、開放されたりといったことを繰り返してきた人ですね。そうしたなかで、ミャンマーの軍事政権は2010年11月にスーチーさんを解放し、11年3月には民政移行もやってしまった。長年にわたるスーチーさんの戦いは実を結びつつあるわけです。

私はそんなニュースを聞く度に、「スーチーさん、これから何するんだろう」って思っていたわけです。「民主化しろ!」って言い続けてきた人ですから、実際に民主化が実現したら、やることなくなっちゃうんじゃないかって。それに日本なんかじゃ、ずっと野党だった政党が政権についたら期待されたほどの仕事をできないなんていうことがあるわけですけど、スーチーさんもそんな風になっちゃうんじゃないかと。

で、この講演をちょっと前に聴いた。うろ覚えのところもありますが、のっけから「自由には責任が伴う」なんていう硬派な発言しています。しまいにはケネディの有名な言葉を引用して、「国家が何を与えてくれるのかを問うのではなく、国家にどんな貢献ができるかを問うべきだ」なんていうことまで言う。こういったことは、何も日本の東京大学の学生を対象とした講演だから言っているわけじゃなくて、ミャンマーの若い人たちにも言っているんだそうです。へぇ。なんかイメージ違いますね。もっと、「軍政反対! なんでも反対! だめなものはだめー! 援助ちょーだーい!」みたいな人かと思っていました。失礼な話ですね。いや、まぁ、なんの根拠もなく思っていたんですけどね。

あと、聴衆から「軍との関係をどうするのか?」と問われて、「そう尋ねられるといつも戸惑うんですが、」とかなんとか切り出していたのが印象的。スーチーさんは民主化運動を始めた当初から、「国民が軍を愛していた時代に戻る」ということを目標としていたということで、何も「軍を追い出せ!」と言っているわけじゃないんだそうです。長年、軍事政権に拘束・軟禁されてきた人ですから、もっと軍自体を嫌悪しているのかと思っていましたが、理想とするのは、「軍と国民がともに国の安全のために行動できる」という状況なんだとのこと。だから軍との関係については、「良い関係を築きたい」ということになるんですね。まぁ、アウンサン将軍の娘ということですから、当然かも知れませんが。

そういえば、スーチーさんがミャンマー中部の銅鉱山開発を支持して、地元の住民から怒号を浴びるなんていうニュースもありました。(参照)

この記事の最後に出てくるスーチーさんの言葉は、

“I have never done anything just for popularity,” she said. “Sometimes politicians have to do things that people dislike.”

です。

かっこいー。


あと、ミャンマーの民主化っていってもまだまだなんですね。スーチーさん自身が講演で説明していますけど、ミャンマーの憲法は議席の4分の1を軍人に割り当てることが決まっているんですね。なんかよく分からん制度ですが。で、この憲法改正には4分の3以上の賛成が必要。ということで、軍の同意を得られなければ、議席の4分の1を軍に割り当てるという軍優位の規定を変えることができない。

しかもスーチーさん解放直前の軍政下で行われた2010年11月の総選挙は、スーチーさんの政党である国民民主連盟(NLD)のメンバーの多くが立候補を禁止されたため、NLDは選挙をボイコット。その結果、軍の支援を受ける連邦団結発展党(USDP)が上下院の選挙議席の8割近くを占める大勝を収めました。(参照) NLDはスーチーさんも立候補した2011年4月の補選で大勝して、上下院あわせて44議席を獲得していますけど、軍人割り当て分も考慮した全議席に占める割合は10%程度です。(参照) それでも「最大野党」って呼ばれるわけですから、民主化への道のりはまだ始まったばかりという感じでしょう。

どうなるんですかね。ミャンマーとスーチーさん。

画像はどっかで拾ったスーチーさん。綺麗な人ですね。

2013年4月7日日曜日

ランド・ポールって誰?

ちょっと古い話なんですが、3月に米国でConservative Political Action Conference 2013というイベントがありました。米国の保守系の人たちが集まって盛り上がろうっていうイベントで、その一貫としてstraw pollっていう参加者を対象にしたアンケートが名物企画になっています。で、そのアンケートで「次の共和党の大統領候補は誰がいい?」と聞いたところ、ケンタッキー州選出のランド・ポール(Rand Paul)上院議員がトップになった。(参照)

毎年恒例のこのアンケートでトップに選ばれた人には、大統領就任前のロナルド・レーガンやジョージ・ブッシュ(子)、昨年の大統領選挙で共和党候補となったミット・ロムニーなんかがいるわけで、これはランド・ポールについても調べておかねばならないなと。

ランド・ポールは、有名なロン・ポール前下院議員の息子です。この親父さんは2008年や2012年の大統領選での共和党候補に名乗りを上げたり、2大政党が浸透している米国で「リバタリアン党」として活動したりといった何かと騒がしい人。私はなんとなく「ドン・キホーテ」的なイメージを持っていたりしたのですが、2010年、2011年にはCPACのstraw pollでトップ候補に選ばれたりもしている。割とちゃんとした人気がある人みたいです。

で、私はこの「リバタリアン」っていう考え方についてよく知らないもので、ウィキペディアでもうちょっと調べておきますと、とにかく「小さな政府を目指す」っていうことを徹底させた考え方のようです。増税には反対、歳出削減には賛成、公的な健康保険の拡大を目指すオバマケアには反対って感じですかね。それだったら共和党と変わらないんじゃないかっていうことにもなりそうなもんですが、徹底的に小さな政府を志向するわけですから、米国が海外紛争に介入することにも反対するし、同性婚についても「自由にやれば?」ってな感じで容認姿勢をとっている。小さい政府好きの人にとっては、分かりやすい主張です。

ただ、ロン・ポール自身については、過去に「黒人の95%は犯罪者予備軍か、犯罪者だ」とか「ホモは日陰で暮らしていた方が幸せなんだ」なんていう趣旨の過激な文章を書いていたようです。本人は「ゴーストライターが書いたんだ。内容については知らなかった」なんて言い訳しているようですけどね。まぁ、77歳ですから、若い頃にはいろいろと書いちゃったりもしていたんでしょう。

で、ようやくランド・ポールの話なんですが、この方は50歳。ウィキペディアによると、大学では薬学を勉強して、卒業後も医療関係の仕事をしていたわけですが、その一方で1994年にケンタッキーで反課税運動を組織したりして政治活動も行ってきた人です。親父さんの選挙選に参加したりしながら、2010年のケンタッキー州の上院選挙に満を持して立候補して、当選。そして今では「共和党大統領候補」の呼び声も高いというわけです。自分の政治信条について「小さな政府がいいと思うけれど、完全なリバタリアンではない」としているようで、親父さんとは違って米軍が海外に介入することには賛成らしい。あと、ブレナンCIA長官の承認に関しては、13時間のフィリバスター演説をやったりもしている。

ランド・ポールのCPACでのスピーチを聞いてみると(参照)、こんなことを言っています。

・自由を拡大させるなら、政府は小さくならねばならない
・経済を成長させるには、政府は手を引かねばならない
・エジプトにくれてやる金なんてない。奴らは米国の旗を燃やして、「アメリカに死を」と叫ぶような奴らだ
・唯一の景気刺激策は、稼いだお金を稼いだ本人の手に留めておくことだ
・法人税は半分にする
・所得税は一律17%
・規制緩和で企業活動を活性化
・教育省(Department of Education)は廃止する
・銃を持つ権利は守るべき

なかなか過激なことを言っています。連邦政府は縮小して、細かいことは州政府にまかせればいいって感じなんでしょうか。


まぁ、要注目っていうことで。

2013年1月15日火曜日

ジャック・ルーって誰?

2期目のオバマ政権の財務長官にジャック・ルー大統領首席補佐官が就くことになりました。おかしなサインをすることが話題になってますが(参照)、他のことも調べておいた。

この記事ウィキペディアホワイトハウスのページによると、ニューヨーク出身のルーさんはミネソタ州のチャールトン大学在学中にニューヨーク州選出のベラ・アブザグ下院議員(民主党)のもとで1年間働いた後で大学をやめ、1974年からはマサチューセッツ州選出のジョー・モークリー下院議員(民主党)のもとで働き、さらに23歳のとき(1973年ごろ)、同じくマサチューセッツ州選出のティップ・オニール下院議長(民主党)の政策アドバイザーになります。その後、クリントン大統領時代の行政管理予算局(OMB)ディレクターとして財政均衡の実現に貢献。オバマ政権下では、クリントン国務長官の国務副長官をやり、2010年11月からは再びOMBのディレクターを勤め、さらに2012年1月から大統領首席補佐官をしています。

ちなみに最終学歴がチャールトン大学中退っていうわけではなく、その後、働きながらハーバードとジョージタウンで学位をとっているみたいです。あとシティグループなど民間で働いていたこともある。

つまりはバリバリの民主党員で、普通の家庭に対して政府が果たすべき役割を重視しているっていう人ですね。若いころには低所得者用住宅の建設や、国際的な飢餓問題のためのファンド設立に奔走したこともあるらしい。そのうえ数字に強く、タフなネゴシエイターでもある。敬虔なユダヤ教徒で金曜日は日が沈む前に仕事を切り上げてしまうそうです。あと、12弦ギターも弾く。ギター以外は見た目通りって感じ。

ただ、オニール下院議長の政策アドバイザーだった当時、グリーンスパン委員会との連絡役として、Social Securityの健全性を維持するために、支給年齢を65歳から67歳に引き上げるなどする法律の成立に貢献したそうです。民主党員の中にはこの法律を不本意に思う人もいたようですが、ルーさんはこの法律が議会を通過したときに使われた小槌をオフィスに飾っているらしい。あと、ルーさんはメディケアの支給年齢を65歳から67歳に引き上げることについても、賛成しているとの証言もある。バリバリの民主党員なんだけど、プラグマティストでもあるということです。

そんなルーさんの財務長官就任に対して、共和党の一部では反発があります。(参照) 理由は要するにルーさんが頑固な民主党員で、交渉で数字を並べ立てて煙に巻こうとするような奴だからっていうことみたいですけど、まぁ、気に入らないんでしょうね。

2013年1月10日木曜日

チャック・ヘーゲルって誰?

2期目のオバマ政権の国防長官はチャック・ヘーゲルに決まりました。たれ目で一重まぶたの普通のおじさんです。ネブラスカ州出身でベトナム戦争に従軍。下院議員のスタッフをしたり、ファイヤーストーン社のロビイストをしたり、携帯電話会社を起業して成功した後、1996年に上院議員に初当選し、外交畑を歩んできた人です。

共和党ですが、ブッシュ政権をおおっぴらに批判したりもしている。イラク戦争の決議には賛成したものの、 “Actions in Iraq must come in the context of an American-led, multilateral approach to disarmament, not as the first case for a new American doctrine involving the preemptive use of force.”なんて言ったりしている。(参照) あと、イラク増派に反対したり、対イラン制裁に反対したり、アンチ・イスラエルな言動をみせたりすることでも知られている。(参照)

このページによると、 “We are each a product of our experiences, and my time in combat very much shaped my opinions about war. I’m not a pacifist; I believe in using force, but only after following a very careful decision-making process.”なんていう言葉もあって、なんかカッコイイです。ただ、共和党からのウケはよくないらしい。

で、このページに、ヘーゲル自身が寄稿したForeign Affairs誌の記事というのが紹介されていたので読んでおいた。8年ほど前に書かれたものですが、参考になるんだと思います。(参照)

まず目に付くのは、軍事力だけじゃなくて、その軍事力で何を達成しようとしているのかという理念が大事なんだという主張ですね。米国が他国から信頼されるような国であることが重要だということです。

A wise foreign policy recognizes that U.S. leadership is determined as much by our commitment to principle as by our exercise of power. Foreign policy is the bridge between the United States and the world, and between the past, the present, and the future. The United States must grasp the forces of change, including the power of a restless and unpredictable new generation that is coming of age throughout the world. Trust and confidence in U.S. leadership and intentions are critical to shaping a vital global connection with this next generation.

そのためには現実を直視することが大事で、「神から与えられた使命だ」的な教条主義的な考え方では失敗しますよと。ひとりよがりになっちゃいけないということですね。

a Republican foreign policy for the twenty-first century will require more than traditional realpolitik and balance-of-power politics. The success of our policies will depend not only on the extent of our power, but also on an appreciation of its limits. History has taught us that foreign policy must not succumb to the distraction of divine mission. It must inspire our allies to share in the enterprise of making a better world.

ただ、軍事力の行使を否定するわけでもない。アメリカだもの。

Traditionally, a Republican foreign policy has been anchored by a commitment to a strong national defense. The world's problems will not be solved by the military alone, but force remains the first and last line of defense of U.S. freedom and security. When used judiciously, it is an essential instrument of U.S. power and foreign policy. Terrorists or states that attack the United States should expect a swift and violent response.

そのうえでヘーゲルは、外交で守るべき7つの原則というのを列挙していきます。

・法治国家、所有権の尊重、科学技術の開発、自由貿易、人的資本への投資といった理念を大事にして、世界経済のリーダーであり続けること。

・エネルギー安全保障の重要性を確認すること。たとえ原油の中東依存度が下がったとしても、中東の不安定化は原油価格の上昇と通じて米国経済に影響する。

・国連やNATOを重視する。国連には問題も多いけれど、昔よりはマシになっている。米国が主導権を握らねばならないときもあるが、権限やコストやリスクを分担することも必要だ。

・中東の民主化、経済改革を支援する。理念での勝負で負けるわけにはいかない。イスラエルとパレスチナの紛争も解決せねばならなし。中東の安定は米国とイランの対話や、イランのテロ支援や核開発といった問題へのアプローチとなる。リビアのカダフィ大佐が核開発を放棄したことは良い例だ。

・NAFTAなど西半球諸国との経済連携の重視。

・世界中の貧困や病気と戦っていく。途上国の安定につながる。

・public diplomacyの強化。

さらに重要な連係相手として、EU、ロシア、インド、中国を挙げています。ロシアについてはエネルギー調達での連係を強化することが必要だとし、インドは人口を背景とした潜在力があるが、パキスタンとのカシミール問題の解決を進めねばならないと指摘。あと中国との関係は、北朝鮮の核開発問題への影響力、ミサイル技術やdual-use technology(軍事、民生の両方に使える技術)の拡散、中台問題の解決において、特に重要だとしています。


外交政策に詳しいわけじゃないですが、まぁ、普通の穏健な内容って感じなんでしょうか。ただ、どうしてもイランが核開発を止めないっていうことになって、イスラエルが怒り始めたりしたとき、どんな対応をとろうとするのか分りませんけど。