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2018年10月22日月曜日

The Sleepwalkers: How Europe Went to War in 1914

“The Sleepwalkers: How Europe Went to War in 1914”という本を読んだ。Christopher Clarkさんというケンブリッジ大学の教授が2013年に出した本です。超複雑かつ長い。どうも3月ごろに読み出したようなのですが、読了まで7カ月かかりました。

とあるブログで名著として紹介されていました。実は日本語訳も出ています。

第一次世界大戦のきっかけはセルビア人の青年がオーストリアの皇太子を暗殺したからだというのは中学校で習う話です。ただ、どうしてこの暗殺が前例のない大規模な戦争につながったのかについては、よく分かっていない人が多いと思います。これはこのあたりの事情を詳しく解説した本です。

でも、答えは簡単ではありません。

最後のConclusionの章はこんな書き出しです。

“I shall never be able to understand how it happened,” the novelist Rebecca West remarked to her husband as they stood on the balcony of Sarajevo Town Hall in 1936. It was not, she reflected, that there were too few facts available, but that there were too many.

要は分からんという結論ですね。

ちなみに前回読んだThe Shortest History of Europeでの説明はこんな感じです。

・ドイツを統一したビスマルクは欧州の安定を望んでいた
・当時の欧州は5つの勢力に分かれていた
・ドイツ帝国は今のドイツよりずっと大きかった
・イタリアも統一されたばかり
・ロシアやオーストリア・ハンガリーは経済的には西側よりも後れていた
・オスマン・トルコは衰退しつつあり、バルカン半島への影響力が弱まっていた
・バルカン半島の人々には独立の機運があった。
・オーストリアとロシアはトルコの衰退を喜んでいたけど、不安定化は嫌だった
・ロシアはトルコに代わってボスポラス海峡をコントロールしたかった
・オーストリアは北側をドイツに抑えられていて、南側までロシアに抑えられるのは嫌だった
・衰退するトルコ内で新国家が生まれると、ロシアやオーストリアも同じ機運が起きかねない
・ビスマルクは帝国同士、ロシアとオーストリアと仲良くしたかった
・フランスは普仏戦争で負けたドイツとは絶対に仲良くなれない
・英国は大陸とは関わりたくない
・オーストリアとロシアはバルカン半島をめぐって対立していた
・ドイツはバルカンでオーストリアの肩を持ちすぎると、ロシアがフランスに接近しかねない
・ドイツは戦争になったら、ロシアとフランスの両正面で戦うことになる
・でもビスマルクは上手く立ち回っていた
・でもウィルヘルム2世はオーストリアと仲良くした。ロシアはフランスと同盟を組んだ
・ロシアとフランスの同盟にはイギリスも加わった
・ドイツとオーストリアはイタリアを仲間に引き入れたが、大して力にならない
・ウィルヘルムは自信満々。戦争になったら、フランスを瞬殺してロシアと戦うつもりだった
・ドイツは貿易ルート維持のため海軍を強化していた。イギリスも対抗していた
・戦争がすぐに終わるのであれば、国家は強化されるという考え方もあった
・そんなときオーストリアの皇太子がセルビア人のナショナリストに暗殺された
・セルビアはもともとオーストリアの支援を受けてトルコから独立した
・でもセルビアはオーストリアの支配にも不満でロシアを頼るようになった
・皇太子を暗殺されたオーストリアはセルビアに強くでればロシアが出てくると分かっていた
・ドイツはオーストリアをたきつけて、絶対に一緒に戦ってやると約束した
・ドイツはロシアの軍事力が強くなる前に戦いたいと思っていた
・ロシアは先に動けば、侵略者とみなされることを嫌った
・ロシアはオーストリアを抑止する程度に軍を配備した
・ドイツはそのロシアの動きを侵略行為だとみなし、ベルギー経由でフランスに侵攻した

みたいな説明ですね。

分かりやすいです。ドイツが悪い。

でも、クラークさんは、”The Germans were not the only imperialists and not the only ones to
succumb to paranoia.”としています。”The crisis that brought war in 1914 was the fruit of a shared political culture. But it was also multipolar and genuinely interactive - that is what makes it the most complex event fo modern times and that is why the debate over the origins of The First World War continues, one century after Gavrilo Princip fired those two fatal shots on Franz Joseph Street.”なんだそうです。

そんなクラークさんは、分かりやすさに配慮して、あえて細かな説明を省いて筋書きを作ったりなんかはしません。容赦なく全部説明しにかかります。「Aはこの時の判断の理由について回想録でこう書いている。でも、BはAの行動について、正反対の証言を当時のインタビューで残している。当時の状況から考えて、Bの証言の方が正しいと思われる」みたいな記述が延々と続く。さらには「Cはこのインタビューではこう証言しているが、別のインタビューでは異なった証言をしている」みたいな話も出てくる。「Dは自らの日記を焼いてしまっている」なんていうのも。しかも登場人物は滅茶苦茶に多いうえ、私にとってはほぼ全員が知らない名前であり、しかもどのように発音するかも怪しい。例えば”Peter Karadjordjevic”みたいな。読み進めるのに非常に骨が折れます。

でもね。面白いのは面白いんです。時間があればもう一度読んでみたいと思う。第一次世界大戦に関する知識がほぼゼロの状態から読み始めましたから、もう一度読んでみたら、もう少し理解が深まるだろうし、これ以上に詳しく説明している本もないんじゃないかと思えば、挑戦しがいもある。次は5カ月ぐらいで読めるかもしれない。

まぁ、結論としては「要素が多すぎて理解できない」というわけだから、結局は分からないんだろうけど。

2018年3月13日火曜日

"The Shortest History Of Europe"

“THE SHORTEST HISTORY OF EUROPE”という本を読んだ。

John Hirstというオーストラリアの歴史学者が2009年に出した本です。ウィキペディアによると、9カ国語に翻訳されているとのこと。米国を離れたもので、ちょっと欧州のことでも勉強してみよう、そのためにはまずは歴史からということで、読んでみました。この本を選んだのは、アマゾンで星がたくさんついていたからです。

イントロダクションの冒頭が素晴らしいです。

If you like to skip to the end of a book to see what happens, you will enjoy this book. The endings start soon after it begins. It tells the history of Europe six times, each from a different angle.

読む気になります。つまり、科学の発展について古代から現代まで、宗教の広がりについて古代から現代まで、政治制度の発展について古代から現代まで、といった具合に、個別のテーマにそって歴史を簡潔に振り返っていきますよということです。

で、その前に、欧州の歴史や文化を形づくる重要な3つの要素についての説明や、おおざっぱな古代と近代と現代の区別についての説明がついています。

欧州の歴史や文化を形づくる重要な3つの要素というのは、古代ギリシャ・ローマの文化、キリスト教、ゲルマン民族の戦士たちです。

古代ギリシャ・ローマの文化は、論理を重ねていけばシンプルな答えがみつかるはずだという信念に基づいています。こうした思考法は現在に至るまで、科学の発展の礎になっています。アリストテレスやプラトン、ソクラテスといった哲学者が積み重ねた思考であるとか、アルキメデスやピタゴラスが生み出した数学の基礎となる考え方は、ローマ帝国のもとでも絶対的な教養として受け継がれていきました。

キリスト教は、その前にあったユダヤ教の一神教という形式を受け継ぎつつ、ユダヤ人以外でも入信できるスタイルをとりました。それにキリスト教というのは「隣人を愛せよ」「頬を打たれたら、反対側の頬を差し出せ」といった風に、基本的には平和的な宗教というのも特徴的です。ひとつの神のもとで人々が平和に暮らすことが理想だというわけで、欧州で多くの人に信じられるようになりました。

そしてゲルマン民族の戦士たちは、ローマ帝国を侵略します。で、面白いのは、ゲルマン民族は侵略して略奪することはしても、統治するという能力には欠けていたということ。このためローマ帝国後の欧州には中国のように巨大な帝国が生まれることはありませんでした。

欧州の歴史は、この3つの要素がからみあって、展開していきます。

最初のころ、ローマ帝国はキリスト教を弾圧します。ローマ皇帝は各国が帝国に従う限りは各国の自治に寛容でしたが、キリスト教徒は神にしか従いません。これがユダヤ教であればユダヤ人だけの話で済むわけですが、キリスト教は万人に対して開かれているので放っておくと、どんどん信者が広がっていくやっかいな存在です。

ところが313年、ローマ皇帝のコンスタンチンが自らキリスト教徒になるという、奇跡が起きます。キリスト教はローマ帝国の国教になりました。ローマ帝国の庇護のもとで、キリスト教は法王をトップとして各地の教区に司教や神父を配置するヒエラルキー型の統治システムを築きあげていきます。キリスト教のルールは結婚や相続といった生活上の問題にも適用されるようになり、さらにお布施のような形での徴税システムもつくられていきます。

で、このローマ帝国がゲルマン民族の進入を受けて分裂し、西ローマ帝国が滅びます。でもゲルマン民族は統治には関心がないですから、キリスト教の統治システムは生き残る。一方、ローマ帝国のもとで発展したキリスト教の統治システムは、古代ギリシャ・ローマの文化の影響も強く受けています。例えば、キリスト教の正当性を示すための説明は、古代ギリシャで発達した論理的な考え方に基づいてなされています。こうした古代ギリシャ・ローマの思考法は、キリスト教を通じて、ローマ帝国が滅んだ後も欧州に広がっていきます。

で、ゲルマン民族の戦士たちなんですが、自分たちの力では税金を集めることもできません。なので各地を侵略したゲルマン民族のリーダーたちは王となったうえで、侵略した土地を仲間たちに分け与えます。そのうえで、戦争の必要があれば、兵隊を出すことを約束させます。ゲルマン民族の戦士たちというのは、戦うことが好きで戦士であることに誇りを感じているけれど、それ以外のことはどうでもいいのです。こうした約束をした仲間たちは、分け与えられた土地を統治して、貴族になっていきます。彼らは土地を私有財産のように扱うようになり、王の統治を絶対的なものとは受け止めないようになっていきます。こうした「支配者の力は限定されるべきだ」というものの考え方は、欧州の政治文化のバックボーンとなりました。

そして当然ながら、ゲルマン民族の戦士たちはキリスト教徒になります。統治のためにはキリスト教のシステムに頼るしかないのです。平和的な宗教であるはずのキリスト教も少しずつ変質します。戦うことに誇りを感じるゲルマン民族の戦士たちは、キリスト教のもとで良い行いのために戦う騎士になり、異教徒から聖地を取り戻すため、騎士団がつくられたりします。騎士は弱い者、特に高貴な女性を守ることにも誇りを持ちます。これも欧州文化のひとつの要素として受け継がれていきます。

西ローマ帝国の滅亡(476年)から1400年ごろまでを中世というそうです。

まぁ、このあたりが第1章ですね。

こうしたバックグラウンドを頭に入れたうえで、この後に続く、ルネサンスとか宗教革命とか産業革命とかフランス革命とかロシア革命とか、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの流れとかについての説明を読んでいくと、「なるほど」と思わせられるという仕掛けの本です。いずれも簡潔に大変面白く書かれているのですが、それでもいちいち紹介していると大変な分量になるので割愛。

こうした内容は日本でも高校の世界史なんかで習ったりするのかもしれませんが、私には新鮮でした。ギリシャ・ローマの文化は絶対的な教養、ゲルマン民族は野蛮な人たち、キリスト教の権威というのは統治システムに基づいたもの、といったイメージも、この本を読まなければ持つことがなかったように思います。いちいち説明するまでもない常識なのかもしれません。

これからは個別のテーマについての本を読んでいきたいと思います。