ラベル 街道を遼かにゆく の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 街道を遼かにゆく の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年11月23日金曜日

1993年07月17日(9日目) シベリア鉄道

1993年07月17日(9日目) 晴れ

Jにシャーペンを借りる。朝から何もすることがなく、通路に出るとコワイにーちゃんもいるし、どーしようもなく、ひたすら経ゼミを読む。

食堂車に昼食をとりに行くと、何故か青シャツのおじさんと相席するようにウェイトレスに言われて、おじさんの前に座る。何とかボイルドチキンとサラダとジュースを頼んだが、このチキンがまだ生でかたくて味がない。フォークが曲がってしまうほどである。しばらくすると、コワイにーちゃんの1人、指なしの男がなぜかおじさんの隣に座る。Jがズドラーストビーチェをかますと、にーちゃんは3人に握手を求めてきた。日本人2人はわけが分からなかったが、おじさんは非常に嫌な顔をしていた。中途半端な昼飯を終え、コンパートメントに戻る。その後、お昼寝。

止まった駅でアイスクリームを買おうとするが、5万ルーブルで200ルーブルのアイスを買おうとするおっさんに阻まれて玉砕。腹を立てる。なんだかんだで晩飯のフライドエッグとボルシチを食った。あと、中国の予定を立てたりして討論会に入る。ガンの告知からマスコミのあり方まで幅広い議論であったが、結局、「悪いことはしない」ぐらいである。国連だってガリの思惑で動いたりするんだから、誰も信じられないではないか。一人ひとりが良く生きることが大事。そのことをみんなに知らせるべく生きる私だ。うーん、かっこいい。イェイ。


★食堂車のくだりを読み返しながら、「何が起こるのか」とドキドキしましたが、結局何も起こらないという衝撃展開でした。
★最後の部分は、何がかっこいいのが自分でも分かりません。

1993年07月16日(8日目) バイカル湖、イルクーツク、シベリア鉄道

1993年07月16日(8日目) 晴れ

今日はNにボールペンを借りる。今日、朝起きて飯を食った後、バイカル湖を眺めながら歌ったりする。総曲数6曲。Fool On The Planet, Wonderful Tonight, Winter Comes Around, Lovin' You, はだかの気持ち、カルアミルクという豪華メドレーである。部屋に戻って、しばらくしてからロビーで絵ハガキを書いたのだが、面倒くさい。しかも綺麗な絵なハガキは手元においておきたいというジレンマにはまってしまい苦労する。

一時間遅れのバスに乗り込み、イルクーツクに向かうが、寝てしまう。インツリーストホテルで絵ハガキを出して食料を買い込むつもりが、6時に閉まるはずのPOST OFFICEが6時前に閉まっていて出せない。ロシア人は実にいーかげんで、ホテル内のキヨスクの売り子がすぐにいなくなってしまい、なかなか買えない。困る。

JがFAXを送って、お釣りをなかなかもらえないでいるうちに鉄道の時間が迫り、私なんぞ小心者だからビビってしまう。困ったもんだ。

列車に乗り込んでから、ホテルで買ったポテトスティックを食べるが、バター臭い。どーもバリバリの日本人である私は外国の食事が向かないらしい。困る。

更に困るのは隣のコンパートメントのおっちゃんはコワイ人らしい。Nの話では、3人で大声で話ながら吸い終わったタバコを窓に投げつけるような人らしい。しかも、イレズミだの、ブレスレッドだの、やたらと腕がにぎやかだ。前の列車のあたたかさが懐かしい。困ったもんだ。


★わざわざバイカル湖まで行って、歌って帰ってきただけのようです。ただ、このとき歌っていて非常に気持ちよかったことは覚えています。

2012年10月29日月曜日

1993年07月15日(7日目) バイカル湖

1993年07月15日(7日目) 晴れ

朝目覚める。夢を見た。悲しいことだ。バイカル湖に向かうバスの中で窓の外を眺めながら、"Fool On The Planet"を思い出すと、思わず感動する。ホテルに着いてしばらくして昼食にする。その伝票に「15万ルーブル」とあるのか「1万5000ルーブル」とあるのかでモメるが、2万ルーブルを渡すとちゃんとお釣りがきた。半信半疑で店を出たが、晩飯が7000ルーブルぐらいだったので正しかったのだろう。

リストビアンカに向かう前に洗濯物を出すか出さないかで少し腹を立てる。しかし所詮、怒りを持続できる性格でもないのですぐ忘れる。4人でリストビアンカまでてくてく歩いたが、風光明媚であることと、牛がいたこと、小学校2年の女の子が描くゆおな三角屋根に窓とカーテンとお花、さらに煙突まであるような家ばかりであったことが印象に残り、特に街までは行かなかった。

帰り道に見つけたプライベート・ショップという看板にひかれて本道をそれて歩いていると、偶然、有名な教会にたどり着く。思わず写真をとったりする。どーせ暇なので夕陽になるまでバイカルのほとりにいようということで、石を投げたり、名前を彫ったりしながら時を過ごす。のんびりしたもんだ。どーもこの時にペンを落としたらしい。今、Jのシャーペンを借りている。

それからカメラのバッテリーが切れそうだ。おとんもいい加減なもんである。モスクワーのゴーリキー通りとマルクス通りの交差点にあるナショナルホテルの一階にだいたい売っているらしい。もしなければグム百貨店にもあるそーだ。

晩メシ食ってシャワーを浴びて星を見る。まだ少し空が明るいせいか淡路島のときのような満点の星空ではなかったが、まぁよく見えた。砂漠に期待をかけながら、寝たりしよっかな。

1993年07月14日(6日目) シベリア鉄道、イルクーツク

1993年07月14日(6日目) 曇り

電車の中は何も起こらず、またしてもだらだらと昼になる。でも遠くの山のふもとに一面霧がたちこめていて、何とも不思議な光景だったので写真を撮っておいた。経ゼミはますます難しく困ってしまう。

ウラン・ウデの前の駅でジャガイモを200ルーブルで買う。「スコーリカ・ストーイト」を使うことに成功。ウラン・ウデではアイスクリームを買おうとしたが、オレンジ・エード(600ルーブル)を買っているうちに売り切れてしまう。結局、野望を果たせないまま再び列車に乗る。

ウラン・ウデを過ぎてしばらくすると、隣のコンパートメントのお父さんがドアをノックして、バイカル湖が見えると教えてくれた。通路には人が鈴なりで、私は気分がすぐれないというSとコンパートメント内で待機。ほとぼりが醒めてから、ゆっくりと見ることにする。

しばらくして通路に出てみると、人も少なくなっていたので座ってバイカル湖が見えるのを待っていると、ちょうど湖が見える頃に隣のコンパートメントの女の子が出てきて窓の外をながめだした。絶好のシャッターチャンスと思ったが、すぐお母さんが手前に立ったので撮る気がうせてしまう。(しばらく後に似たような写真は撮れた)

再びコンパートメントにひっこんで、女の子の気をひこうと「ウサギ」「カエル」などとやっているうちに、Jのマジックショーが始まる。マジックはウケたらしく、Jは車掌室に呼ばれてしまう。残った3人で洋楽の話をしているうちにイルクーツクに着く。

夜のロシアは真っ暗で、なぜかみんな急ぎ足でホテルに到着。ジュースを900ルーブルで買い、シャワーを浴びて日記を書く。止まっている場所で寝るのは久しぶり。ぐっすり9時まで眠ろう。明日は一応、Jのアラームで起きることになっているのだが、彼はアラームもセットせずに眠っている。大丈夫だろうか。あと、このホテルには日本人の団体がいて興ざめだ。一応私たちも団体だが、気概が違う。

2012年10月12日金曜日

1993年07月13日(5日目) シベリア鉄道

1993年07月13日(5日目) 晴れのち曇って、ちょっと雨も降る

なんにも起こらないね。朝11時頃に目を覚まし、Сковоропино駅に降りる。別に何も売っていないし、することもなくて、外の空気を吸っただけで帰る。次の駅で降りたときはギョウザの変形版みたいなのにネギをまぶした様な、おそらくはマンタというやつであろうものを売っていたが、How much? がわからず断念する。帰ってから調べたが、また忘れた。再び調べ直さなければ。

列車に戻ると少しばかり経ゼミを読んでお昼寝である。この頃まで他の人間とはほとんど口をきかない。Sなんぞは1時頃まで寝ていた。ウラジオで買った時計が遅れていて、まだ10時ぐらいだと思っていたらしい。実にのんびりした生活である。

駅に止まって目を覚まし、ちょっと外の空気を吸って戻ってくると、流石にみんな元気が出てきたらしい。会話も交わされる。下ネタ、スカトロネタに続き、ノスタルジーネタも加わる。あまりにも暇なもんだから、虹が見えると盛り上がる。こうしてしげしげと虹を眺めるのも久しぶり。ロシアの虹は色濃くでっかく、力強い。虹を見ながら"Still love her"なんぞを口ずさむと思わずセンチメンタルな気分になってしまい腹が立つ。ロシアに来ても考えることはたいして変わらない。

暇ついでに白い馬がいただけで野良馬だと盛り上がる。川が見えると川だといって盛り上がる。日本にいると考えもしないだろうが、どれもこれも綺麗である。その綺麗な風景がごく当たり前に続いている。日本にいても綺麗な風景はごく当たり前に存在するのである。人工的に作られたビルだって高速道路だって、きっと綺麗だろう。でもそんな綺麗なものがごく当たり前に存在することに気づかせてくれるのは、日常と時間と義務から我々を解放してくれるこの鉄道の効用であろう。きっと日本も捨てたもんじゃない。

食堂車でチキンとサラダとボルシチを食べて満足である。経ゼミも肝心なところでもうひとつ納得ができない。まぁ、読むことに意義がある。意外と当たり前のことを見落としているのかもしれない。理解しようという義務感からはなれて、シベリア鉄道的にのんびり読もう。



★冒頭の駅名はキリル文字で書かれているのですが、アルファベットではSkovorodinoと表記するようです。

★ご存知かもしれませんが、"Still love her"というのは、あのTM Networkの名曲です。(参照)

1993年07月12日(4日目) シベリア鉄道

1993年07月12日(4日目) 晴れだけど途中ちょっと雨

さすがに電車の中では何も起こらない。朝起きたのは10時すぎ。だらだらパンを食べたり、ジュースを飲んだり、本を読んだりして過ごす。いくつかの駅に止まったが、別に降りるつもりもなく、だらだらする。

窓から見える風景はハバロフスクまでは湿原みたいな感じであったが、ハバロフスクをすぎてしばらくすると、ふつーの草原というかなんというか。夕方頃見えた景色はきれいであった。

食堂車でも食事をしたが、まずまず美味である。キャビア+ゆで卵とボルシチ、更にハンバーグがついて2800ルーブルぐらい。でも、オレンジジュースはまずかった。

4人の会話は下ネタからスカトロネタに移り、ますます男臭さを増している。今、夜の11時ぐらいだが、まだ太陽の光でほの明るい。下手したら星が見れないのでは。

電車の揺れや狭さにも慣れ、車内にも危険な雰囲気もなく、可愛らしい子供と太ったおばちゃんを視界の端に入れながら、通路の外をながめていると、たっぷりと異国情緒にひたれる。明日もこんなだらだらした1日であることを嬉しく思いながら、便所に行くことにする。

2012年10月1日月曜日

1993年07月11日(3日目) ウラジオストク

1993年07月11日(3日目) 曇り、晴れとみせかけて雨

なんだか知らんが、今日は疲れた。まず朝、あのモジャオが向かいのコンパートメントであったことに気づく。話が筒抜けだったのではという話もあったが、結局無視してしゃべり続ける。

ウラジオに着くと、上陸までに2時間程待ったのでは? やはり入国手続きに時間をかけるのかと思っていると、一発で終わる。さて、いよいよウラジオ観光と思っていると、両替をする場所が見つからない。困っているうちん、1ドル700ルーブルという現地人が現れ、そのレートで手をうつ。このときJはちょとだけしか両替しなかった。レートが気に入らなかったらしい。

次に手荷物をあずけることにしたのだが、いくらかかるのか、何時まで引き取りができるのか、全くわからない。しかし、ここはさすが旅慣れたJである。ペンと言葉を巧みに用いて情報を仕入れ、無事に預けることができた。

ウラジオの街に出ると小雨。この悪天候の中、展望台にのぼり、雨にけむったウラジオベイを見下ろす。情緒がないこともない。雑多な船の甲板がいとをかし。

それから博物館の前にゆくと、物売りの少年が寄ってくる。私はレーニンのバッヂと絵はがきを買ったのだが、Nの買ったマカロフバッヂがうらやましい。その後、Sの強い主張でウラジオホテルでリッチなランチ。ウェイトレスのお姉ちゃんは親切で、我々にとても評判が良かった。

しかしそれよりも、ここでは謎の日本人、カメ田とアレックスがいたのである。カメ田はモスクワに自費留学している人で、ロシア語が上手い。アレックスは正に謎。何を考えているのか私にはわからない。最初は物売りかと思ったが、そうでもなく、ボートに乗ろうと言ったり、泳ぎだしたり、わけがわからない。親切なのは結構なのだが、行動の主導権を握り、時に友人とわけのわからん事を話したりするので、私はあまり快く思っていなかった。2時間ほど一緒にいたのだろうか、ついに我々はウラジオ駅でアレックスを振り切り、再び4人での行動に戻った。

まず念願のシベリア鉄道に備えるための買出しである。あっさりジャイケンで負けた私とNがが買いに行くことになった。しかし実際は私は荷物持ち程度で、交渉はほとんどNがやった。私などはロシア語で数も数えられないのである。旅行前の不勉強を深く恥じる。

でもなんとかパンも買え、ひたすら鉄道の時間を待つ。8時から12時半までの長丁場であったが、Sの下ネタ作戦や地べたに座りむ同化作戦でなんとかしのぐ。

私とNで列車を捜し(これも実際はNだけの活動である)、列車に乗り込むが、この列車がまた、狭い、暑い、きたないと三拍子そろったうえに、縦横の激しい揺れ、更にはシーツが濡れているという条件である。みんな怒りでテンションが高くなるが、疲れのせいか皆、寝つきが早い。今、起きているのは私だけか?

そうそう、Jがルーブルを手に入れるとき、トリックにひっかかり、30ドルを2ドルにして返されてしまった。あの旅人でマジシャンのJでさえトリックにひっかかるのである。恐るべきロシア人。私などトリックにひかっかっても気づいてないだけかもしれない。

この列車の揺れの中、書くのはしんどい。もう便所に行ってねる。


★天気のところの「みせかけて雨」というのは、愛読していた「がんばれタブチくん」に出てくるクワタのキャラクターを意識したものです。

★「雨にけむったウラジオベイ」というのは、アルフィーの曲「ふたりのGraduation」に出てくる「雨にけむる TOKYO-BAY」という歌詞を意識したものですが、別にアルフィーのファンというわけではないです。

★いろいろと分かりにくいところの多い文章ですが、おつきあい頂ければ幸いです。

1993年07月10日(2日目) 船中

1993年07月10日(2日目) 曇のちちょっと晴と思ったら少し雨も降ったらしい

ロシア人は大量の食事をとるらしい。朝食から異常に量が多いのである。おまけにお茶の時間まであるから、私は生まれて初めてではないかというぐらい大量の食物を摂取した。こんな食事をするからロシア人はでっかいのだろう。踊っていたおねーさんもデカイ。水夫のオヤジもでかい。

そうそうデカイといえば、謎の美女(レイナというらしい)の父にして、木彫り職人、更には宗教活動も行い、一説にはホモだとも噂されるモジャイスキーもでかい。船の上では運動不足になってしまうので私もモジャイスキーの様になってしまうのではないだろうか。しかし明日ウラジオに上陸すれば、あの荷物を持って半日以上活動せねばならない。おそらくモジャイスキーになっている暇は無いであろう。

それから今日は入門経ゼミを読んだ。私は勉強家であるなーとつくづく感心する。シャワーも浴びた。おそらくイルクーツクまで浴びることはないだろう。狭かったが、結構さっぱりした。

さっぱりと言えば、あの宮沢りえ主演の豪姫がビデオルームで流れていた。ラストシーンだけみると実につまらない映画であったことが想像される。映画館で見た人は気の毒なことだ。

昼間にナースと話をした。別にこれといった話もしてないが、彼女は夜勤明けにカバンに水をつめて、富山県内から伏木港に行き、この船に乗り、昔バレーボールをやっていたそーだ。連れの友達は船酔いがひどいらしい。

明日はいよいよ本土上陸。まずシベリア鉄道のチケットをつつがなくもらえるかという不安を抱いている今日このごろである。

それにしてもJはよく寝る。

1993年07月09日(初日) 船中

1993年07月09日(初日) 晴れのち曇、夜には小雨

伏木まではひどく暑い。出国手続きする人も、手続きを待っている人も、船の中の人も皆、不慣れである。アントニーナなんたら号の甲板に、阪神の帽子を被った謎の美女を発見。我々の話題の中心となるが、MUSIC HALLで話しかけてきたのは、伏木で会った一瞬遠目にはみゆきちゃん似かと思ったが、実際にはそうでもなかったピンクのリュックの女性であった。

この船にはMUSIC HALLなるものがあって、夜毎宴が繰り広げられているらしい。この船には酒の入ったおっちゃんが多く、我々の部屋のトイレを借りて、我々を困らせる者も現れる。海外旅行では現地人より、日本人に気をつけた方がよいようだ。まぁ、我々も似たようなものかもしれないが。

あと書くことといえば、Jがよく寝る。しかも寝起きはよくない。また、船中の食事は質、量ともにまずまず。ただし、パンはカスカスであまりうまくない。シベリア鉄道内でもこんな感じのパンを食うことになるのだろうか。少し不安であるが、まぁ、旅とはこんなものであろう。何でも食べなければ世界には出れないと、宇治の木幡から来たという内装屋のおっちゃんも言っていた。

このおっちゃんによると、我々は30歳まで頑張れば楽な暮らしができるそーだ。一理あるようだが、別に楽な暮らしをするために生きているのではないと考えるのは、若さゆえであろうか。

あと、私はロシア語の会話が全く覚えることができない。完璧に覚えたのはスパシーバぐらいで、これも明日になれば覚えているかどーか疑わしい。ズトラストヴィーチェ(?)やスパコーイナイノーチやオーチェニ・フクスーナは極めて怪しい。

最後に例の阪神美女はアイヌ系と噂されるヒゲオヤジと、ロシアの人らしいオカンが一緒にいる。

夜になって船の揺れが激しく、Nが苦しそうである。にもかかわらず、隣の部屋のロシア人グループは日本オヤジに負けず騒々しい。最初のうちは許せたが、ちょっぴり腹をたてつつある自分がいる。あー、揺れが激しい。これ以上書くと、Nの二の舞である。では、スパコーイナイノーチ。

街道を遼かにゆく

今は2012年なわけですが、今からさかのぼること19年前、大学3年生だった私は友人3人と一緒にウラジストクからシベリア鉄道でモスクワに行って、そこから飛行機てタジキスタンだかカザフスタンだかに入って、そこから鉄道で中国新疆ウイグル自治区のウルムチに入って、さらに鉄道で上海まで行って、そこから船に乗って神戸まで戻るという旅行をしたことがある。

で、そのときつけていた日記が手元にある。せっかくなので、「街道を遼かにゆく」のタグで公開していこうと思います。私も内容は全然覚えていないのでドキドキなんですが、ほぼ20周年なんでまぁやってみようかなと。

基本的には原文ママです。文体は「である」調になっています。ただ、同行した友人の名前は、イニシャル(SとNとJ)でごまかします。