2015年5月12日火曜日

“Believer : My Forty Years in Politics”


“Believer : My Forty Years in Politics”を読んだ。オバマ大統領の補佐官を務めたDavid Axelrodさんの本です。2015年2月発売。アクセルロッドさんは広報戦略担当ということで、テレビなんかにもよく出演した有名人で、”Yes We Can”のスローガンを考えたのもアクセルロッドさんだそうです。528ページと長い本ですが、面白かった。

アクセルロッドさんが政治に関心を持ったのは5歳のころ。ケネディが地元の街で集会を開いたときに、家政婦のおばさんに連れられて住民たちがケネディを歓迎する様子を見たことがきっかけだそうです。それから子供のころから地元の選挙でビラくばりとかを手伝うようになって政治オタクの道へ。シカゴ大学入学後には、地元紙で政治コラムを書くようになる。当時としても異例の抜擢というか、本人も「よく雇ったなぁ」と振り返るような採用だったそうです。

で、大学卒業後はシカゴトリビューンに入社。トリビューンのインターンにはユダヤ人が2人いて、「採用されるのは1人だろう」とお互いに張り合っていたら、両方とも採用されたとのこと。事件や事故を追いかけながら、数年後には政治担当になります。こんな風にケネディの存在がきっかけとなって、政治にかかわるようになった人っていうのは沢山いるんだろうなと思います。

で、シカゴ市やイリノイ州の政治に関わっているうちに、シカゴトリビューンの株主が変わって編集方針なんかにも変化がでてきた。そんなタイミングで独立して、政治コンサルタントの事務所を開くことになります。

そんななかで得られた選挙の定石というのが、「候補者が直面するであろうあらゆる論点をピックアップして、世論調査を検討したうえで、そのなかからターゲットとする有権者層に最もアピールする2つか3つの論点を選び、それをより大きなストーリーのなかに組み込んでいって、候補者が立候補する理由として語っていく」ということだそうです。「勝てる選挙運動というのは、この選挙が何のための戦いなのかということを明確に定義して、有権者の支持を引きつけることができる選挙運動のことだ」とのこと。論点を絞って、対立軸を明確にするってことですかね。大都会で人種構成が複雑なシカゴの政界では、黒人らマイノリティーの有権者をうまく動員することで選挙戦を有利に運ぶことができたとのことで、こうした経験がオバマの選挙戦にも生かされているんだとのことです。

あと、「現職が引退するときは、いくらその現職が人気があったとしても、有権者はそのレプリカを求めることはない。有権者はいつでも現状からの変革を選ぶもので、後継者には現職が残した問題点に対応する強さを求めている」との解説もあります。ヒラリーのことですかね。

あと、この本のなかでは、政治にまつわる様々なディールも出てきます。例えば、

・イリノイ州選出の民主党上院議員、Alan Dixonは、父ブッシュ大統領が最高裁判事に指名したクラレンス・トーマスが上院で52対48で承認された際に賛成票を投じた。ホワイトハウスは次の選挙で強い対立候補を立てないことと引き替えに、ディクソンに賛成を迫った

なんていう話も出てくる。ホワイトハウスによる議会工作っていうのは、こんなやり方があるもんなんですね。

で、アーカンソー州知事だったクリントンが大統領選に出馬する際に「陣営に入らないか」というオファーがあったんだけど、てんかんを患っている長女や家族をサポートするためにオファーを断ります。その代わりにクリントン陣営に入ったのが、ジョージ・ステファノプロスだそうです。で、その後、2000年にも今度はゴア陣営から誘いがありますが、これも家族のケアを理由に断った。で、最終的にはオバマ陣営に入る。家族を優先させて政治コンサルタントとして2度の大きなチャンスを見送ったけど、結局はうまくいったっていう話。

オバマと最初に出会ったのは1992年。ハーバードのロースクールを卒業した直後で、「黒人として初めて、ハーバードのロースクールの学内誌の編集長になった」と話題になり、シカゴで弁護士として有権者登録活動を始めたころのことです。民主党の支持者の一人が「将来、黒人初の大統領になることだってあり得る人物だ」と紹介してくれたそうですが、アクセルロッドさんの印象としてはそこまですごいものではなかった。ただ、「傲慢さをみせずに知性的に語り、年長者のような自信を感じさせる」点や、「普通に弁護士として活動すれば高額な報酬を得られるにも関わらず、有権者登録活動を始めた」点に、高い能力と志の高さをみたとのこと。

このあとはオバマがらみのエピソードが中心です。大きなエピソードはオバマ自身の自伝とかで明らかになっているんでしょうけど、細かいものとしては、

・2004年の民主党党大会で、大統領候補として指名されるジョン・ケリーの指名を受けてスピーチをする際、当時上院議員候補だったオバマはイリノイ州議会の合間をぬって、懸命にスピーチの草稿を書き上げた。そのなかに”The pundits like to slice and dice our country into red states and blue states; red states for Republicans, blue states for Democrats. But I’ve got news for them,” “We are one people, all of us pledging allegiance to the stars and stripes, all of us standing up for the red, white and blues”という下りがあったけど、これがケリーのスピーチライターから「ケリーの演説とかぶっている」とクレームがついた。当然、オバマ側がスピーチからこのフレーズを削ることになったが、オバマは”You know they didn’t have that in Kerry’s speech. They saw it, they liked it, and now they’re stealing it! ”と怒った。

・Rahm EmanuelはペロシからDemocratic Congress Campaign Committeeの委員長への就任を要請されたとき、家族と過ごす時間を優先したいとして断っていたが、結局、2005年1月に就任した。その時の条件が、”coveted(誰もがほしがる)”下院歳入委員会委員長のポストと、民主党の下院指導部入りだった。

・ハリー・リードとチャック・シューマーは大統領選の2年前、2006年夏の段階で、オバマに対して直接、大統領選への出馬を要請していた。

・Valerie Jarrettはシカゴ市長だったRichard Daleyのdeputy chief of staffで、オバマと婚約中だった弁護士のミシェルを雇って、オバマとミシェルの側近になった。

・アクセルロッドは大統領選出馬を検討中のオバマに対して、「ヒラリーやジョン・エドワーズのような、大統領の座にかける執念が足りない」と諫言したことがある。そのときのオバマのリアクションは”Well, you’re right, I don’t need to be president” ”But I ‘ll tell you this. I am pretty damned competitive, and if I get in, I’m not getting in to lose. I’m going to do what’s necessary”だった。

・オバマは質疑応答やディベートなどで大事なことを最後まで話さず、くどくどと長い前振りを使って説明しようとする「悪い癖」がある。これは選挙の際にはいつでも陣営を悩ませた。

・ヒラリーとの予備選の最中、ニューハンプシャーでの選挙戦でヒラリー陣営に入っていたビリー・シャヒーン(ジーン・シャヒーンの夫)がオバマが自伝のなかで告白している大麻使用歴について「共和党から『最後に大麻を使ったのはいつだ』と追求されるおそれがある」と批判した。その後、デモインの空港でオバマとヒラリーのプライベートジェットが居合わせた際、ヒラリー陣営のスタッフがオバマ側に「ヒラリーがオバマに直接会って話したいことがある」と持ちかけ、オバマは「シャヒーンの行き過ぎた批判について謝罪してくるのだろう」と思ってヒラリーの元に向かった。アクセルロッドがジェットの窓から滑走路で話す2人の様子をみていたところ、最初は落ち着いていたヒラリーの態度は次第にエスカレートして、目の前にいるオバマを指さしたりするようになり、オバマがヒラリーを落ち着かせようと肩に手を置くと、ヒラリーはその手を払いのけたりした。ジェットに戻ってきたオバマによると、ヒラリーは最初は謝罪してきたのだが、オバマが「お互いに選挙戦の行動やトーンには責任をもってやりましょう」と話した途端、激怒してオバマ陣営によるヒラリー陣営への態度をあげつらって批判を始めた。オバマは「初めてヒラリーの目に恐怖の色をみた」と話した。

・ケリーは2008年の大統領選で、04年の自身の選挙で副大統領候補だったエドワーズを支持せずに、オバマを支持した。その理由は、ケリーがエドワーズを副大統領候補に選ぶ際、「もしも04年の選挙で勝てなかった場合、08年の選挙ではケリーが出馬の是非を判断するまでエドワーズは動かない」という約束をしていたにも関わらず、エドワーズが04年の選挙の後で08年の出馬に向けた動きをみせたから。ケリーは「エドワーズは裏切り者」とみていた。

・エドワーズは08年、サウスカロライナの予備選を前に大統領選からの撤退を検討していた。”南部”なサウスカロライナでエドワーズが撤退すれば、票はヒラリーに流れるとみられており、オバマにとっては不利な状況が生まれる。そういう状況を読んで、エドワーズ側はアクセルロッドに「エドワーズに選挙戦に残って欲しいんだったら、大統領になったときにエドワーズにポストを与えると約束して欲しい。ヒラリーは司法長官を約束してくれているんだけど、でもエドワーズが欲しいのは副大統領候補になることだ」と持ちかけてきた。この話を聞いたオバマのリアクションは”Seriously? Just tell them that I think highly of John, but that he’ll have to make his own decision”だった。

・ブッシュ政権の国防長官だったボブ・ゲイツを続投させることを進言したのはハリー・リード。

・マケインとの選挙戦の終盤、オバマ支持の盛り上がりをみて、オバマは”we may be the victims of our own success. The expectations are so high. It’s going to be reaaly hard to meet them”と漏らした。

・Rahm EmanuelをChief of Staffに引き抜く際、エマニュエルはシカゴでの生活を優先させたいとして固持したが、オバマは絶対に聞き入れなかった。政権からロビイストを排除し、高い倫理上のガイドラインをもうけたオバマ政権にとって、それでも議会を動かすにはエマニュエルの手腕が不可欠だったから。

・ラリー・サマーズが元財務長官という肩書きがあるにも関わらず、格下の国家経済会議(NEC)委員長の座を受けたのは、バーナンキがFRB議長を退く際には後任に据えるという約束があったから。結局、約束は守られなかった。

・オバマは最初の予算法案にあまりに多くのearmarkが付けられているので、拒否権を発動しようかと思ったが、エマニュエルに議会との対立激化を引き起こすといさめられて思いとどまった。エマニュエルは、拒否権を発動すれば、ハリー・リードは信頼関係が損なわれたとみなすだろうと説得した。

・オバマは選挙戦で超党派による政治を目指すとしてきたが、現実には就任直後に共和党からの協力を得ることは難しいと実感する。オバマは就任1週間後に共和党の下院の議員団と経済再生プランについて協議したが、オバマがホワイトハウスを出発しようとする直前、AP通信は「共和党指導部はすでに議員に対してプランへの反対を促した」と報じた。オバマはつるし上げ裁判に向かわされたかたちで、「こんなのってフェアーじゃないだろう」とこぼした。

・われわれが米国が緊急事態にさらされているのだから共和党は協力してくれるだろうと想定したのはナイーブだった。ヒラリーが選挙戦で「甘い観測」と批判したのはこのことだった。

・AIGのボーナスが問題になった際、ガイトナーとサマーズは契約上約束されたボーナスを取り下げさせるのは資本主義の原則に反すると主張した。アクセルロッドは”Capitalism isn’t trading high right now!”と言い返した。

・オバマ陣営は1年目に医療保険制度改革に取り組めば、共和党からの強い反発を招き、その後の政権運営が立ちゆかなくなることを心配し、議会を熟知したエマニュエルやバイデンらがより穏健なプランを目指すよう主張した。でも、改革の草案を立案したJean Lambewは「選挙戦での約束を守るべきだ」と主張。アクセルロッドは、選挙戦では個人の加入義務化なんかは約束していないと反論したが、オバマはすでに包括的な改革に取り組む腹を固めていた。オバマは後日、「リスクは分かっている」としたうえで、「8年間支持率を高く維持するために政権をとったわけじゃない。未来のために重要な変化をもたらすために政権をとったんだ」と話した。

・オバマ曰く、”Whenever I leave here, in four years or eight, I just want to leave knowing I did everything I could” “We may not solve all these problems, but I want to know that we tried”

・オバマケア関連法案が上院を通過する際、上院の民主党の議席は60でフィリバスターを回避できる状態だったが、ネブラスカのベン・ネルソンが造反する可能性があった。そこでメーンの共和党議員のオリンピア・スノウの説得工作が続けられていた。結局、スノウの寝返りは実現しなかったが、ネルソンも造反しなかったので上院を通過できた。2009年の年末のこと

・でも年明けのマサチューセッツの補選で共和党のスコット・ブラウンが勝利して、上院の議席数は59になってしまった。もしも下院が独自のオバマケア関連法案を通せば、両院での協議が必要になって、今回はフィリバスターを回避できなくなる。同じ党内でも上院と下院の対抗関係は強いものだが、なんとかペロシを説得して上院の法案をそのまま下院でも通すことで上院に法案が戻ってくることを回避した

・オバマが就任後にサウジアラビアを初めて訪問した際、サウジ王家は各スタッフにお土産をもたせた。アクセルロッドが緑色のワニ皮のブリーフケースを開けると、宝石の詰め合わせやネックレス、イヤリング、時計なんかが詰まっていた。数十万ドルはするだろうという代物だった。でも国務省のプロトコルに従ってこれらのお土産は返却された。ジャレットは”Aww, can’t we keep a few?”と冗談を飛ばした


まぁ、細かいですね。自分用メモですが。どうでもいい話ですが、個人的には、いちいちジョン・エドワーズがディスられているのが気になります。奥さんも含めて、かなり悪い印象の人物として描かれています。おそらくはアクセルロッドさん的に、ここには駆けないようなすごく嫌な思いをした経験があるのでしょう。そうじゃなかったとしたら、エドワーズ的には「そんなに書かなくてもいいじゃん」っていう気分になると思います。あと、オバマとバイデンは良好な関係を維持しているみたいです。お互いにお互いを尊敬しあっているような記述がそこかしこに出てきます。エマニュエルもとびきり優秀で忠誠心のある人物として描かれている。ジャレットはミシェル・オバマとの距離の近さから煙たがられているような描写があります。

で、本の最終盤はアクセルロッドさんによるオバマ評になります。それによると、オバマは単なる理想主義者とみられがちだけれど、実際には理想と現実のバランスをとれる志が高く有能な政治家だとのこと。金融危機の際に巨大金融機関を救済したのも、GMなんかの自動車会社を支援したのも、オバマの理想からは離れているけれど現実を見据えて決断したんだということです。そのうえでオバマケアなんかではしっかりと理想を追求する。

ただし政治オタクとして生きてきたアクセルロッドさん的には、政治を上手く機能させるには”earmark”的な政治手法も必要だという思いもあるようです。大統領には議会を動かすツールはほとんどなく、議会の指導部は自分たちの目的を達成するために動かなければならない事情がある。そこで議会にearmarkの機会を与えているというのは政治的な知恵だというわけです。アクセルロッドさんは、そうした政治の仕組みがないままに、earmarkなシステムを否定してしまうことの有効性を確信するほど若くはないとしています。

あと、オバマが理想主義の立場をとったときの交渉力の弱さというのも指摘されています。オバマはオバマケアについて議会に行動を促そうとしているとき、「彼らは何を恐れているんだ」と言うわけですが、アクセルロッドさんにすれば「次の選挙で負けることに決まっているだろう」と言いたくなるわけです。アクセルロッドさんは”Obama has limited patience or understanding for officeholders whose concerns are more parochial----which would include most of Congress and many world leaders”としています。オバマは交渉相手に大胆に行動することが彼らの義務であるだけでなく、政治的な利益にもかなうことだと説教をたれて、熟練の政治家たちを怒らせることが何度かあったそうです。アクセルロッドさんは”Whether it’s John Boehner or Bibi Netanyahu, few practiced politicians appreciate being lectured on where their political self-interest lies ”として、こうしたオバマの態度はオバマのネゴシエイターとしての力量不足を示しているとします。そこをバイデンがフォローしていたとも付け加えています。


まぁ、そんなわけで面白い本でした。オバマ論のところも巷間言われているような話ですが、オバマ政権のインサイダーからの発言ということで「やっぱりそうなんだ」って感じだと思います。確かに金融危機はうまく乗り切って景気は良くなったし、オバマケアも実現したんだけれど、もうちょっと政治に対する理解があれば、もっと充実した8年間になったのかもしれません。超党派の政治を実現すると訴えた割には、オバマ政権下で党派対立が深まったようにみえるのは何とも残念な結果なような気もします。

あと、バイデンが退任後に回想録を書いたら絶対に読む。失言癖のある政治家らしい政治家だけに面白そう。