ラジオやテレビ番組の司会者で、ティーパーティー支持者から熱烈な支持を受ける(参照)ベストセラー作家でもあるグレン・ベッグが2009年に書いた本。米国は個人の自由を尊重した小さな政府であるべきだと主張する本です。タイトルは、米国独立戦争時に植民地を一方的に支配しようとする英国からの独立は「常識だ」と主張したトーマス・ペインの著書”Common Sense”にのっかっています。
ティーパーティー運動がリーマン・ショック後のオバマ政権による債務者救済策の表明をきっかけに火がついたことは知っていたのですが、それがどうして「妊娠中絶反対」とか「同性婚反対」といったキリスト教的な価値観と結びつくのがよく分からなかったので読んでみた。
で、この本のなかでは声高に「妊娠中絶反対!」とか「同性婚反対!」とか訴えているわけではなかったです。Abortionという言葉は2回、marriageという言葉は1回しか出てこない。ただ、割と最初の方から”Our Founding Fathers understood that our rights and liberties are gifts from God”なんていう言葉が繰り返し出てきます。要は、米国は神から与えられた個人の人権を大切にする国だという考え方ですね。で、政府であっても神から与えられた個人の人権を侵害してはいけないから、米国は小さな政府であるべきだっていうことだと思います。そう考えれば、妊娠中絶反対とか同性婚反対といった価値観とつながるのもうなずけます。「神はそんなこと許していない」っていうのが支持者の主張でしょう。
財政問題についても主張はシンプルです。世の中には良い借金もある。住宅ローンとか、みんな使っている。常識ですね。ただ、”what most people ignore is that debt works only in the context of an otherwise financially responsible lifestyle”というわけです。つまり謝金するんだったら、返済のために節度ある生活をせねばならないということ。これも常識。”the result of preventing failure in a country rooted in freedom is a country that is no longer rooted in logic”なんていう言葉も出てきて、「自分が失敗すれば自分の責任だ」っていう考え方にも肯定的なんだと思う。
そうなってくると、財政赤字が拡大するなかでさらに政府の規模を大きくしようなんていう考えや、サブプライムローンで借金を返せなくなった人たちを救済しようなんていう考えには納得できないことになる。Social Security is a great example of a “legal Ponzi scheme”. なんていう文章も出てきますし、その後にはメディケアも「コストなしでの国民皆保険」なんていうのも嘘っぱちだと位置づけられています。
グレン・ベックの批判の矛先は「大きな政府」を標榜する民主党だけでなく、財政赤字を拡大させてきたワシントン全体に向けられています。多くの議員がゲリマンダーで選挙区をガチガチに固めて再選を繰り返していることにも批判的で、「議員の任期を制限せよ」と主張したりもする。ワシントンの政治エリートの「個人の権利は政府の権力に従属するもので、公益よりも大切な個人の権利なんてない」という考え方を”Progressivism”と批判して、共産主義やファシズムや社会主義や帝国主義や国家主義と同じだとします。右のプログレッシビズムは米国の海外での軍事活動を拡大させ、左のプログレッシビズムは国連なんかの役割を拡大させる、という記述もある。もちろん、政府は銃を持っていいけど、個人は銃を持っちゃいけないなんていう考え方にも反対です。公的教育のなかで教師が子供たちの友達のように振る舞ったり、テストの点数よりも「みんな平等で仲良くしよう」なんていう考え方を教えたりすることにも否定的です。学校では建国以来の価値観である競争原理を教えなければ米国は弱くなってしまうという発想です。
とまぁ、ちょっと過激なところはあります。あと、ティーパーティーの人たちがよく批判されるように対案は示されていません。とにかく政府の拡大は問題なので国民は立ち上がるべきだというだけですね。
ただ、「あんまり政府をあてにするもんじゃないよ。自分のことは自分で守るのが常識だ」っていう感覚には納得できます。経済低迷で生活への不安が広がるなかで、増税や弱者救済のための負担増という考え方に反発する気持ちも分かる。さらに神を重視する人たちであれば、その他の社会問題にも過剰に反応したりするのでしょう。
なんとなくティーパーティーの気分が分かりました。要は不安なんだと思います。
2014年1月15日水曜日
2014年1月11日土曜日
Foreign Policy Begins at Home
The Despensable Nationを読んで、何か別の人の本でもと思って読んだ。米国の外交を立て直すにはまず内政問題への取り組みが大切だというちょっと変化球的な内容ですが、リチャード・ハースといえば、Foreign Affairsを出していることでおなじみの外交問題評議会のトップですので、そんな無茶苦茶なことを書いているわけでもないんだと思います。2013年4月出版。オバマ政権2期目に入ってからの本です。読み終わったのは11月の下旬ごろ。
米国といえば超大国として国際社会への関与を続けて来たわけです。特に冷戦終結後は唯一の超大国となり、イラクのクウェート侵攻後の湾岸戦争(1991年)とか911後のアフガン戦争、2003年に始まったイラク戦争なんかではまさに「世界の警察官」としてふるまってきた。ところが最近の米国内には戦争疲れが広がって、2008年のリーマン・ショック後は財源的にも余裕がない。そんななかでオバマ大統領は「米国は世界の警察官ではない」と宣言しちゃう。
そういう現状のなかでハースは「米国は自らの影響力の限界を認識して、国際社会で何を成し遂げようとするかを考え直す必要がある。やることが望ましいこととやらねばならないこと、実現可能なことと実現不可能なことの区別をつけなければならない」としています。
ハースは911後のアフガン戦争は米国の安全を守るためには避けられない戦争だったとしています。まぁ、マンハッタンに旅客機で突っ込まれたんだから、やり返さないわけにはいかないということでしょう。ただ、2009年のアフガン増派は回避すべきだったとしています。米国はアフガン増派で911を実行したアルカイダだけでなく、タリバンも攻撃対象としますが、これは「タリバンの支配地域は自動的にアルカイダのものになる」という誤った想定に基づいたもので、増派しなくても無人機攻撃や特殊部隊の投入で対応できる可能性を無視していた。また米国が何をしようとも、アフガン南部でタリバンが勢力を拡大することは避けられないという現実問題も見落としていた。このアフガン増派の結果、米国はアフガン国内の戦闘の主体となってしまい、米国の安全保障とは関係のない戦いに巻き込まれたという分析です。また、歴史的に中央政府の力が弱いアフガンで強大な政府軍を作るという困難な目標をたてたことも間違いだったとしています。
あと、ハースはカーターやレーガンの時代は外交の目的を人権の拡大においたけれど、ブッシュ(子)は民主主義の拡大においた。ただ、民主主義の拡大っていうのは極めて難しい。安全保障の維持とか経済成長のためにはサウジアラビアとか中国とかも協力せねばならないわけです。「いろんな問題で協力を求めながら、同時に相手の体制を否定するというのは難しいことだ」というわけです。中東で民主主義を拡大することは米国にとって望ましいことではあるけれど、米国外交の唯一の目標ではない。もちろん民主主義の問題に口をつぐめというわけじゃないんだけれど、民主主義の拡大を目標にすえる際には「地域の現状や政策的に取り得るオプションや米国へのコストなんかを吟味することが必要」という主張です。「現実問題として考えれば、西側式の民主主義は世界的な価値ではないということを米国は認識すべきだ」とも言っています。
あと、米国はコソボ問題なんかでは「政権による虐殺を防ぐという人道的見地から軍事介入する」なんていうことをしたりするわけですが、こうした人道的見地からの軍事介入も「無制限のリソースが必要になる」と批判的です。こうした軍事介入も、きちんとコストとベネフィットを見極めたうえでやらねばならない。人道的軍事介入が認められる条件としては、「脅威が大きくて疑いのないもので、被害を受けている人たちからの要請があり、反体制派が妥当な目標のもとで機能していて、国際社会の支持と支援があって、資金的なコストを限定できる確実な見通しがあって、他の手段は不適切だと判断される場合」としています。
ハースは現在の米国がとるべき政策として、”Restoration”という言葉を使っています。米国をめぐる国際環境はかつてほど厳しいものではないという認識のもとで、まずは米国のリソースを国内問題に配分する。外交では中東への過剰な介入は控えて、アジア太平洋地域や西側地域にリソースを割く。あと軍事介入偏重を改め、経済や外交交渉といったツールをより重視するということだそうです。「米国は友好国への支持を示して、友好国を攻撃しようとする国を牽制しなければならないが、逆に友好国が挑発的になったり向こう見ずな行動に出たりしないように、無条件に友好国を支持するわけではないことも示すべきだ」なんてことも言っています。
とまぁ、外交パートはこんな感じ。まぁ、今のオバマ政権の外交方針はこんな感じなんでしょうね。昨年夏にオバマがシリアへの軍事行動を検討した際、「化学兵器使用の拡大を防ぐための人道的見地」を強調して「アサド政権の打倒」は否定したところとか、英国が軍事行動への参加を見送った後で、(結果的にせよ)外交交渉を通じた化学兵器全廃が進展したところなんかは、「ハースが後ろでささやいていたんじゃないの」って思えるほどです。日中関係への関わり方もそう。尖閣諸島が日本の施政下にあることは明確にするけれども、安倍首相が靖国参拝なんかをやれば「失望」を表明して、日本が行き過ぎることも防ごうとする。
そんなハースは、イランがもめた場合はミサイル攻撃などで対応できるが、北朝鮮がもめた場合は地上戦の「必要がある」としています。あと、この後、米国の内政を立て直すためには何が必要かという話も沢山出てくるのですが、まぁ、ハースは外交の人でしょうから割愛。
面白かったです。
米国といえば超大国として国際社会への関与を続けて来たわけです。特に冷戦終結後は唯一の超大国となり、イラクのクウェート侵攻後の湾岸戦争(1991年)とか911後のアフガン戦争、2003年に始まったイラク戦争なんかではまさに「世界の警察官」としてふるまってきた。ところが最近の米国内には戦争疲れが広がって、2008年のリーマン・ショック後は財源的にも余裕がない。そんななかでオバマ大統領は「米国は世界の警察官ではない」と宣言しちゃう。
そういう現状のなかでハースは「米国は自らの影響力の限界を認識して、国際社会で何を成し遂げようとするかを考え直す必要がある。やることが望ましいこととやらねばならないこと、実現可能なことと実現不可能なことの区別をつけなければならない」としています。
ハースは911後のアフガン戦争は米国の安全を守るためには避けられない戦争だったとしています。まぁ、マンハッタンに旅客機で突っ込まれたんだから、やり返さないわけにはいかないということでしょう。ただ、2009年のアフガン増派は回避すべきだったとしています。米国はアフガン増派で911を実行したアルカイダだけでなく、タリバンも攻撃対象としますが、これは「タリバンの支配地域は自動的にアルカイダのものになる」という誤った想定に基づいたもので、増派しなくても無人機攻撃や特殊部隊の投入で対応できる可能性を無視していた。また米国が何をしようとも、アフガン南部でタリバンが勢力を拡大することは避けられないという現実問題も見落としていた。このアフガン増派の結果、米国はアフガン国内の戦闘の主体となってしまい、米国の安全保障とは関係のない戦いに巻き込まれたという分析です。また、歴史的に中央政府の力が弱いアフガンで強大な政府軍を作るという困難な目標をたてたことも間違いだったとしています。
あと、ハースはカーターやレーガンの時代は外交の目的を人権の拡大においたけれど、ブッシュ(子)は民主主義の拡大においた。ただ、民主主義の拡大っていうのは極めて難しい。安全保障の維持とか経済成長のためにはサウジアラビアとか中国とかも協力せねばならないわけです。「いろんな問題で協力を求めながら、同時に相手の体制を否定するというのは難しいことだ」というわけです。中東で民主主義を拡大することは米国にとって望ましいことではあるけれど、米国外交の唯一の目標ではない。もちろん民主主義の問題に口をつぐめというわけじゃないんだけれど、民主主義の拡大を目標にすえる際には「地域の現状や政策的に取り得るオプションや米国へのコストなんかを吟味することが必要」という主張です。「現実問題として考えれば、西側式の民主主義は世界的な価値ではないということを米国は認識すべきだ」とも言っています。
あと、米国はコソボ問題なんかでは「政権による虐殺を防ぐという人道的見地から軍事介入する」なんていうことをしたりするわけですが、こうした人道的見地からの軍事介入も「無制限のリソースが必要になる」と批判的です。こうした軍事介入も、きちんとコストとベネフィットを見極めたうえでやらねばならない。人道的軍事介入が認められる条件としては、「脅威が大きくて疑いのないもので、被害を受けている人たちからの要請があり、反体制派が妥当な目標のもとで機能していて、国際社会の支持と支援があって、資金的なコストを限定できる確実な見通しがあって、他の手段は不適切だと判断される場合」としています。
ハースは現在の米国がとるべき政策として、”Restoration”という言葉を使っています。米国をめぐる国際環境はかつてほど厳しいものではないという認識のもとで、まずは米国のリソースを国内問題に配分する。外交では中東への過剰な介入は控えて、アジア太平洋地域や西側地域にリソースを割く。あと軍事介入偏重を改め、経済や外交交渉といったツールをより重視するということだそうです。「米国は友好国への支持を示して、友好国を攻撃しようとする国を牽制しなければならないが、逆に友好国が挑発的になったり向こう見ずな行動に出たりしないように、無条件に友好国を支持するわけではないことも示すべきだ」なんてことも言っています。
とまぁ、外交パートはこんな感じ。まぁ、今のオバマ政権の外交方針はこんな感じなんでしょうね。昨年夏にオバマがシリアへの軍事行動を検討した際、「化学兵器使用の拡大を防ぐための人道的見地」を強調して「アサド政権の打倒」は否定したところとか、英国が軍事行動への参加を見送った後で、(結果的にせよ)外交交渉を通じた化学兵器全廃が進展したところなんかは、「ハースが後ろでささやいていたんじゃないの」って思えるほどです。日中関係への関わり方もそう。尖閣諸島が日本の施政下にあることは明確にするけれども、安倍首相が靖国参拝なんかをやれば「失望」を表明して、日本が行き過ぎることも防ごうとする。
そんなハースは、イランがもめた場合はミサイル攻撃などで対応できるが、北朝鮮がもめた場合は地上戦の「必要がある」としています。あと、この後、米国の内政を立て直すためには何が必要かという話も沢山出てくるのですが、まぁ、ハースは外交の人でしょうから割愛。
面白かったです。
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