"An American Sickness: How Healthcare Became Big Business and How You Can Take It Back"という本を読んだ。医師として働いたこともあるニューヨーク・タイムズの元記者、Elisabeth Rosenthalが米国の医療制度が抱える問題について書いた本です。2017年4月発売。
5月にニューヨーク・タイムズの書評で米国の医療制度を理解するための本として紹介されてたので、ちょっと読んでみた。聞き慣れない医療用語の多さとか、医療制度に関する基本的な知識の欠如もあって、なかなかスムーズには読めませんでした。でも考えさせられるところが多くて、面白かった。
米国の医療制度は悪名高いです。OECDのデータによると、2015年の米国の1人あたり医療費(実質、購買力平価ベース)は8748ドルで世界1位。2位のスイス(6493ドル)に大差をつけています。日本は4036ドルですから、米国は日本の2倍以上の医療費がかかっていることになります。
OECDのページ
医療費が高いと、医療保険の保険料は高くなります。そうなると医療保険に入れなかったり、入りたくなくなったりする人が出てきます。
そういう状況に対応しようとしたのが2010年に成立したオバマケアだったわけです。でもオバマケア後も米国の医療費は上がり続けています。オバマケアが2014年に個人に保険加入を義務づけるなどしてから無保険者は1900万人減っていますが、それは保険料を連邦政府として負担したからであって、米国の医療費が世界的にみて例外的に高いという根本的な問題を解決できたわけではありません。
で、この本はどうしてこんなことになっているのかを説明しようとした本です。ただ、話が話だけに事は単純ではありません。
エピローグの言葉を引用すると、
No one player created the mess that is the $3 trillion American medical system in 2017. People in every sector of medicine are feeding trough: insurers, hospitals, doctors, manufacturers, politicians, regulators, charities, and more.
とのことです。この本は医療費や保険料の高騰の背景を象徴するいろんなエピソードを紹介しながら進みます。だからまとまりはないです。ただし、ローゼンタールさんは冒頭で、米国の医療制度がまともに機能していないことを象徴する、米国の医療がこだわる10の原則なるものを示しています。
1.常に治療せよ。最初の選択肢は最も高価な治療法。
2.一生治療を続けることは、治癒することよりも好ましい。
3.治療そのものよりも、快適さやマーケティングが大切。
4.技術革新の時代において、医療価格は上がり続ける。
5.患者は常に言いなり。常に米国の医療を購入する。
6.医療では競合があっても価格はさがらず、むしろ上がる。
7.医療機関は規模が大きくなっても価格は下げない。ただ稼ぎを増やすだけ。
8.適正価格などない。無保険者が最も高い医療費を払う。
9.請求書に基準はない。あらゆるものにお金がかかる。
10.患者が負担するギリギリまで価格は上がる。
まぁ、なんとなく分かるような内容です。
そもそも医療というのは病気の人を相手にしているわけです。で、病気の人は働けないわけですから、お金なんかもっていない。だから本来、医者なんていう仕事は儲かるハズがない。ローゼンタールさんによると、100年ほど前には、そもそも医療というのは簡素なもので、安くて、多くの場合は宗教関係者によって運営されていました。病院というのは人々が死ぬための場所でもあったのです。
一方で、19世紀後半には、企業が従業員の医療費を負担する仕組みが生まれます。従業員が働けなくなることは、会社にとって損失だからです。1890年代、ワシントン州の木材会社は従業員が医師にかかる際に1カ月あたり50セントを負担したそうで、こうした仕組みが今の米国における企業負担型の医療保険のはしりだそうです。
現在の医療保険の元祖は1920年代までにテキサス州ダラスで生まれました。教職員組合の加入者を対象に、年間6ドルを払えば、21日分の入院治療が受けられるというものです。ただし保険の支払いは、最初に1日あたり5ドルの自己負担を1週間続けた後で発動されるという仕組みでした。21日という期間は、当時の医療水準では21日もあれば患者の多くは治るか、死ぬかのどちらになるという判断で決められました。
第二次世界大戦が終わると、企業は人手不足に陥ります。そこで企業は従業員に医療保険を提供することで人を集めようとします。連邦政府もこれを後押しして、従業員の医療費は非課税とすることにしました。すると1940年から1955年にかけて、米国の保険加入者は人口の10%から60%まで急増しました。保険を提供していたのはBlueCrossのようは非営利組織で、年齢や健康状態に関わらず、すべての加入者は同じ額の保険料を払っていました。
こんな風にして医療保険への需要が高まってくると、営利目的の保険会社が医療保険に参入してきます。こうした保険会社は年齢によって保険料を変えたり、カバーの範囲を変えたりして、より安い保険料を提示するようになります。1951年までにはAetnaやCignaがシェアを伸ばし、BlueCrossのようなすべての保険加入者を平等に扱う非営利組織は不利になっていきます。そして1994年、BlueCrossは営利組織になることを容認。社会的な使命を意識する保険会社が駆逐されてしまった形になりました。
1993年、保険会社は保険料の95%を医療費に使っていましたが、現在では80%近くまで下がっています。なかには64.4%なんていう保険会社もあるそうです。オバマケアは保険会社に対して、この比率(medical loss ratio)を80~85%にするよう求めました。ただ、高齢者向け公的医療保険のメディケアのmedical loss ratioは98%ですから、オバマケアは十分甘いともいえます。
つまり保険会社は公的な使命を忘れてしまっていて、オバマケアもそれを容認してしまったということです。
医療機関にも問題があります。そもそもほとんどの医療機関は非営利組織として運営されているため、利益を上げることができません。すると医療費として集めたお金が実際にかかったコストよりも大きくなると、余ったお金を無駄遣いする構造になっています。つまり節約するという意識がない。1960年代にメディケアが登場すると、65歳以下の世代でも保険加入が進みます。すると患者の方でも自分がいくら負担するかを気にしなくなってきて、医療機関は好き勝手な医療費を請求するようになります。1967年から1983年にかけて、メディケアの支払い額は30億ドルから370億ドルまで増えました。
メディケアも対応に乗り出します。1980年代の半ばにはdiagnosis related group (DRG)という仕組みを導入し、治療の種類に応じて支払い額を固定するよう決めました。一方、民間の保険会社はDRGでは医療費が高止まりする可能性があるとして、ケアマネジャーを雇って適正な医療費の価格をはじき出して、医療機関と交渉する仕組みを採用します。
すると、医療機関はメディケアや交渉力のある保険会社が手強くなってきたと判断し、小さな保険会社や無保険の患者に高い医療費を請求するようになります。さらに医療機関は収入を増やすためにコンサルタントを雇い、戦略的な医療費設定(strategic pricing)を始めます。コンサルタントは保険会社が支払いに応じないような品目での請求を止め、酸素吸入や処方薬のような保険会社が支払いに応じることが多い品目での請求を増やし、その結果、こうした品目として請求される医療費が実際の費用からかけ離れた高額になるといった事態が生じます。大手の医療コンサルタント企業は年間342億ドルもの売上を稼いでいるんだそうです。
さらに医療機関のなかには医師に対して固定給ではなく、行った治療の収益性に応じて報酬を払うケースもあります。治療や検査の複雑さを示すレベル1~5までの分類に応じて、医師が受け取る報酬が決まっているわけです。普通にひざの関節への注射をすれば1200ドルの収入になるけれど、その際に超音波で針を刺す場所を特定すればさらに300ドルの収入になる。ひざへの注射は特段難しいわけじゃないので、超音波による検査は必要ないんだけれど、医師は報酬を増やすために超音波を使うようになるといった具合で医療費が上がっていきます。
メディケアにまわされた請求を分析したところ、緊急治療室で治療を受けた患者のうちレベル4と5の治療を受けた患者の割合は2001年には4分の1ですたが、2008年には半分にまで増えていた。一方、レベル2の請求は15%まで半減。医療機関2400カ所のうち500カ所では、患者の60%に対してレベル4と5の治療が行われていました。
つまり医療機関は保険会社やメディケアなんかの監視の目をかいくぐるようにして、患者から医療費をむしりとっているという構図です。病院の経営者の収入は2011年から2012年にかけて24.2%増えました。オバマケア成立後のことです。医師の報酬も2009年以降、増え続けています。医師以外の職業ではみられない現象だそうです。ローゼンタールさんが医療現場で働いていた1990年台、医師たちは「時給で考えたら、配管工より給料が安い」なんて文句を言っていたそうです。でも、今はNBAのレブロン・ジェームズやゴールドマン・サックスの会長が比較の対象になっているようだと、ローゼンタールさんは書いています。
メディケアの方にも間抜けなところがあります。メディケアは地域ごとに支払い額を決めているのですが、その支払い額はその地域の医療機関による過去の請求額などを基準に決められています。しかし、ある地域で特定の治療を行う医療機関が少数であれば、それらの医療機関はお互いに競争するのではなく、そろって請求額を上げていこうという動機が生まれます。その結果、2014年段階で、ニューヨークのクイーンズでの胆嚢手術のコストは2000ドルであるにも関わらず、20マイル離れたロングアイランドのナッソー郡での胆嚢手術は2万5000ドルと計上される。そんなおかしな事態が起きています。
メディケアは1980年代に医療行為の時間や管理コスト、医師育成にかかるコスト、過誤によるコストをもとにしてrelative value units(RVUs)を算出。これをもとに医療機関への支払い額を決めるアルゴリズムを作ります。こうしたアルゴリズムは常にアップデートする必要があるわけですが、メディケアはこの任務をAmerican Medical Associationに委ねてしまします。医療行為の適正価格を医療機関自身に決めさせてしまうようなものです。AMAは3年に一度、Relative Value Scale Update Committeeを開いて見直しを進めるのですが、この委員会は各医療関連団体のロビーイング競争の場になっています。
もちろん製薬会社も無茶苦茶です。最近でも、安い値段で売られている薬の販売に関わる権利を買い集めて、一気に大幅に値上げするといった悪行がニュースになります。
かつて医薬品を開発した研究者は特許をとろうとはしませんでした。ポリオワクチンの開発に力を尽くしたJonas Salkeは「誰がポリオワクチンの特許を持っているのか」と問われて、"Well, the people, I would say. There is no patent. Could you patent the sun?"と答えたそうです。実際、当時の法制度では、多くの研究者が関わったポリオワクチンは特許をとることができないと判断されていたそうです。
しかし1980年のBayh-Dole Actで政府の資金援助を受けた研究から得られた成果でも特許を取ることが認められるようになりました。今ではひとつの医薬品に対して3.5件の特許がかかっています。1984年の別の法律改正(Hatch-Waxman)ではジェネリック医薬品の導入促進のための規制緩和が実現しましたが、同時に大手製薬会社を納得させるために、一部のケースで特許期間の延長を認めました。こうしたジェネリック企業と大手製薬会社の軋轢が法廷闘争に発展すると、その間はジェネリック医薬品の導入が遅れるケースも出ることになります。米国は欧州に比べて特許の力が強く、医薬品の価格にも規制がかかっていないため、多くの製薬企業が米国に投資するようになっています。
大手製薬会社は自社の医薬品が特許切れに寸前になると、わずかに仕様や成分を変えた医薬品を開発して新たに特許を取り直すという戦略も採ります。例えばワーナーチルコットは経口避妊薬Loestrin24 Feが特許切れになる前に、「噛めるタイプ」のMinastrin24 Feを販売。Loestrin24 Feの販売を取りやめます。新薬の方は旧薬よりも3割ほど高い価格設定ですが、まだジェネリックは出ていないので、利用者は新薬に乗り換えざるを得ません。
1994年に特許を得たスプレータイプの処方薬Flonaseの場合、2006年にジェネリック版が登場。Flonaseを販売していたグラクソスミソクラインは訴訟を起こすなどして抵抗しましたが、2010年にはジェネリック版が市販薬として20ドルの価格でドラッグストアの店頭に並ぶようになりました。処方薬であるFlonaseは医療保険の対象となる分、価格は高く設定されていますから、ジェネリック版に市場を奪われることは必至です。しかしそこでグラクソスミソクラインはFlonaseを市販薬に変更し、市場に投入。すると米国法では、同じ医薬品がひとつの市場で同時に売られることを禁じているため、ジェネリック版のメーカーは在庫を売り切って工場を閉鎖するよう要求されることになりました。さらに米国では、処方薬を市販薬に変更した場合には、3年間の市場独占期間が保障されていて、新規の参入もブロックすることができます。グラクソスミソクラインはこの市販薬版のFlonaseを40ドルで売ったとのことです。
とまぁですね、こんなややこしいエピソードが山ほど書かれている本です。ややこしいので、ここまでに書いた文章にも誤解があるかもしれません。このほか患者の側のかわいそうな話も満載です。
本の後半では、医療の消費者である患者の側はどのように対応すればいいかといった話も出てくるのですが、正直、これだけ根深い問題を見せられた後ではなかなか明るい希望は抱けません。多分、政策上とか理論上ではできることはいくらでもあるのでしょう。でも、政治の状況を考えれば、なんか絶望的です。
オバマケア(Affordable Care Act)についてこんな記述があります。
The ACA did little directly, however, to control run-away spending. President Obama had initially included several ideas in the bill that would have done so ---like national negotiation for pharmaceutical prices. To get a healthcare bill passed and to win support from powerful groups like PhRMA, the AMA, the American Hospital Association, and America's Health Insurance Plans, the administration had to cave on anything that would directly limit the industry's ability to profit.
医療業界によるロビイングは共和党だけでなく、もちろん民主党にも浸透しています。ハリー・リードとかチャック・シューマーのようないかにも悪そうな人たちだけならまだしも、エリザベス・ウォレンやエイミー・クローブシャーのような、いかにも「庶民の味方」といったイメージの議員まで医療業界の世話になっているようです。そんなことになっていたら、オバマ大統領だって法律を通そうと思えば、妥協せざるをえなかったということなのかもしれません。
トランプ大統領だったら、医療業界ごとぶっとばしてくれる。そんな期待もあるかもしれません。でもトランプ大統領だって法律を通すには議会の協力を得ねばなりません。予算編成で強い影響力を持つ上院財政委員会の委員長は医薬品業界とのつながりで有名なオリン・ハッチです。他の共和党議員だって、医療業界にお世話になっているだろうことは想像に難くありません。
まぁ、病気にならないように気をつけるしかないですかね。100年前と同じですね。
2017年7月21日金曜日
2017年6月16日金曜日
"The Ax"
"The Ax"という小説を読んだ。Donald Westlakeが1997年に書いた作品です。ウエストレイクはエドガー賞を3度獲ったほどの著名作家です。私は全然知りませんでしたが。
私はもともとミステリーが好きで、これまでJ.A. Konrathの本を読んでいたのですが、どうもこの人の本はジョーク満載で面白いんだけど、描写がグロいところがあって、なんか食傷気味になってきたところでした。
そこで、以前読んだ本のなかで、Konrath自身が好きだと書いていた作家をピックアップして、そのなかから、私が気に入るような作家を捜してみようと思ったのです。
Konrathが好きだと書いていた作家は6人。
Janet Evanovich
Rovert Parker
Lawrence Block
Robert Crais
Donald Westlake
Ridley Pearson
一人も読んだことがないので「このミステリーがすごい!」の過去のランキングを調べてみたところ、このうち、ローレンス・ブロックと、ウエストレイクは過去に何度もトップ10に入っています。
2013年10位のローレンス・ブロック「償いの報酬」A Drop of the Hard Stuff (Matthew Scudder 17)
2004年5位のドナルド・ウエストレイク「鉤」The Hook(2000, シリーズなし)
2002年4位のドナルド・ウエストレイク「斧」The Ax(1997, シリーズなし)
1998年9位のドナルド・ウエストレイク「天から降ってきた泥棒」Good Behavior (1985, Dortmunder)
1995年3位のドナルド・ウエストレイク「踊る黄金像」Dancing Aztecs(1976, シリーズなし)
1994年6位のローレンス・ブロック「倒錯の舞踏」A Dance at the Slaughterhouse (Matthew Scudder 9)
1993年2位のローレンス・ブロック「墓場への切符」A Ticket to the Boneyard (Matthew Scudder 8)
じゃぁ、このなかからどれを読むかということですが、シリーズものじゃない、比較的新しいという基準で"The Ax"を選んだ。"The Hook"を選ばなかった理由は忘れた。
で、肝心の読んでみた感想ですが、Konrathの作品とは正反対で「ジョークは一切無く、グロさもほとんどない」といった作風です。1990年台半ばのコネチカット、ニューヨーク、マサチューセッツを舞台にして、製紙メーカーをリストラされた男が殺人を繰り返すという話。一貫して犯人の視点で書かれているので、ミステリーではありません。本当に淡々と話が進んでいきます。
じゃぁ、面白くないかというと、そうではなくて、なかなか読ませます。リストラされた男が殺人を始めるまでの屈折した心理とか、家族との関係とか、ターゲットに対する心情とか、だんだんと犯罪慣れしていく様子とかが詳細に描かれていきます。描写がグロいわけじゃないですが、犯人の身勝手な理屈はなかなかにグロテスクです。また、この男をリストラした会社はコネチカットの工場を閉めて、カナダに製造拠点を移したという設定になっています。NAFTA(1994年発効)なんかも言及されていて、今日的な話題である「米国における製造業の衰退」なんていうテーマも重ね合わせてしまいますね。
淡々と話は進みますが、ラストにどうなるかは最後まで分かりません。そういった意味でも面白い。
ウエストレイクは多作な人みたいなので、しばらく楽しめそう。
私はもともとミステリーが好きで、これまでJ.A. Konrathの本を読んでいたのですが、どうもこの人の本はジョーク満載で面白いんだけど、描写がグロいところがあって、なんか食傷気味になってきたところでした。
そこで、以前読んだ本のなかで、Konrath自身が好きだと書いていた作家をピックアップして、そのなかから、私が気に入るような作家を捜してみようと思ったのです。
Konrathが好きだと書いていた作家は6人。
Janet Evanovich
Rovert Parker
Lawrence Block
Robert Crais
Donald Westlake
Ridley Pearson
一人も読んだことがないので「このミステリーがすごい!」の過去のランキングを調べてみたところ、このうち、ローレンス・ブロックと、ウエストレイクは過去に何度もトップ10に入っています。
2013年10位のローレンス・ブロック「償いの報酬」A Drop of the Hard Stuff (Matthew Scudder 17)
2004年5位のドナルド・ウエストレイク「鉤」The Hook(2000, シリーズなし)
2002年4位のドナルド・ウエストレイク「斧」The Ax(1997, シリーズなし)
1998年9位のドナルド・ウエストレイク「天から降ってきた泥棒」Good Behavior (1985, Dortmunder)
1995年3位のドナルド・ウエストレイク「踊る黄金像」Dancing Aztecs(1976, シリーズなし)
1994年6位のローレンス・ブロック「倒錯の舞踏」A Dance at the Slaughterhouse (Matthew Scudder 9)
1993年2位のローレンス・ブロック「墓場への切符」A Ticket to the Boneyard (Matthew Scudder 8)
じゃぁ、このなかからどれを読むかということですが、シリーズものじゃない、比較的新しいという基準で"The Ax"を選んだ。"The Hook"を選ばなかった理由は忘れた。
で、肝心の読んでみた感想ですが、Konrathの作品とは正反対で「ジョークは一切無く、グロさもほとんどない」といった作風です。1990年台半ばのコネチカット、ニューヨーク、マサチューセッツを舞台にして、製紙メーカーをリストラされた男が殺人を繰り返すという話。一貫して犯人の視点で書かれているので、ミステリーではありません。本当に淡々と話が進んでいきます。
じゃぁ、面白くないかというと、そうではなくて、なかなか読ませます。リストラされた男が殺人を始めるまでの屈折した心理とか、家族との関係とか、ターゲットに対する心情とか、だんだんと犯罪慣れしていく様子とかが詳細に描かれていきます。描写がグロいわけじゃないですが、犯人の身勝手な理屈はなかなかにグロテスクです。また、この男をリストラした会社はコネチカットの工場を閉めて、カナダに製造拠点を移したという設定になっています。NAFTA(1994年発効)なんかも言及されていて、今日的な話題である「米国における製造業の衰退」なんていうテーマも重ね合わせてしまいますね。
淡々と話は進みますが、ラストにどうなるかは最後まで分かりません。そういった意味でも面白い。
ウエストレイクは多作な人みたいなので、しばらく楽しめそう。
2017年6月13日火曜日
TOEFL(10回目)結果
TOEFL10回目の結果が出ました。
Reading29, Listening30, Speaking17, Writing22で、98点
9回目が Reading26, Listening27, Speaking15, Writing22 で、90点
8回目が Reading29, Listening27, Speaking17, Writing21 で、94点
7回目が Reading26, Listening24, Speaking19, Writing20 で、89点
6回目が Reading26, Listening26, Speaking15, Writing21 で、88点
5回目が Reading23, Listening26, Speaking15, Writing20 で、84点
4回目が Reading25, Listening21, Speaking15, Writing18 で、79点
3回目が Reading14, Listening19, Speaking17, Writing15 で、65点
2回目が Reading20, Listening21, Speaking13, Writing17 で、71点
1回目は Reading10, Listening18, Speaking10, Writing14 で、52点
わはは。これはつまり、SpeakingとWritingが全然上がっていない、というやつです。
Speakingで過去最高点(19)が出ていれば、100点に届いたのに。
まぁ、最高点が19点っていうのは、なかなかに情けない話ですけど。
受験時の予想が100点前後だったので、予想通りの結果といえます。(本当は100点超期待していたけど)
インプット系のReadingとListeningに自信があったのは間違いじゃないかった。
アウトプット系(特にSpeaking)に不安があったのも間違いじゃなかった。
そしてインプットの向上がアウトプットの点を後押ししてくれるというのは幻想だった。
ということで、TOEFLで100点超をとろうと思ったら、アウトプットの向上が不可欠ということです。
そのためにはアウトプットを意識的に練習することが必要だということです。
7年ぶり10回目の受験にして、当たり前の知見を得ることになりました。
ただ、ちょっと言い訳させてもらうと、2015年11月に英検1級には合格しているんですよ。
このときの2次試験(面接形式)は100点中82点。
内訳は、short speech 27/30、 interaction 27/30、grammar and vocabulary 16/20、pronunciation 12/20。
ネイティブスピーカーとコミュニケーションを取れるだけの能力がないわけじゃないんだと思うんですよね。っていうか、そう信じたい。
英検の2次は面接形式だから、こちらの発言の趣旨がうまく伝わらなくても、面接者が追加質問してくれるので、それに答えることで考えを伝えられます。
あと、周りに人もいないし、制限時間もシビアではないので、ゆっくりとハキハキと話すことができます。
でもTOEFLの場合は、制限時間1分の枠内で、マイクに向かって話すという形式ですから、より高度なスピーキングのスキルが求められる。
周りに他の受験者がいるので、なんかこっぱずかしい感じもある。他の受験者がリスニングしているのに、下手な発音で話すのって何かアレじゃないですか。
くっそぉ。悔しいなぁ。でも「取りこぼし」があったわけじゃないから、すぐに再チャレンジしても成果は期待できない。
100点超めざすなら、TOEFLのスピーキング対策をとる必要があるんだと思います。
それと、やっぱり発音をもうちょっと向上させないとダメなんだろうな。練習してないからな。
このあたりが向上した自信がつけば、再受験するかも。でも、どうやったら自信をつけられるかは分からない。
Reading29, Listening30, Speaking17, Writing22で、98点
9回目が Reading26, Listening27, Speaking15, Writing22 で、90点
8回目が Reading29, Listening27, Speaking17, Writing21 で、94点
7回目が Reading26, Listening24, Speaking19, Writing20 で、89点
6回目が Reading26, Listening26, Speaking15, Writing21 で、88点
5回目が Reading23, Listening26, Speaking15, Writing20 で、84点
4回目が Reading25, Listening21, Speaking15, Writing18 で、79点
3回目が Reading14, Listening19, Speaking17, Writing15 で、65点
2回目が Reading20, Listening21, Speaking13, Writing17 で、71点
1回目は Reading10, Listening18, Speaking10, Writing14 で、52点
わはは。これはつまり、SpeakingとWritingが全然上がっていない、というやつです。
Speakingで過去最高点(19)が出ていれば、100点に届いたのに。
まぁ、最高点が19点っていうのは、なかなかに情けない話ですけど。
受験時の予想が100点前後だったので、予想通りの結果といえます。(本当は100点超期待していたけど)
インプット系のReadingとListeningに自信があったのは間違いじゃないかった。
アウトプット系(特にSpeaking)に不安があったのも間違いじゃなかった。
そしてインプットの向上がアウトプットの点を後押ししてくれるというのは幻想だった。
ということで、TOEFLで100点超をとろうと思ったら、アウトプットの向上が不可欠ということです。
そのためにはアウトプットを意識的に練習することが必要だということです。
7年ぶり10回目の受験にして、当たり前の知見を得ることになりました。
ただ、ちょっと言い訳させてもらうと、2015年11月に英検1級には合格しているんですよ。
このときの2次試験(面接形式)は100点中82点。
内訳は、short speech 27/30、 interaction 27/30、grammar and vocabulary 16/20、pronunciation 12/20。
ネイティブスピーカーとコミュニケーションを取れるだけの能力がないわけじゃないんだと思うんですよね。っていうか、そう信じたい。
英検の2次は面接形式だから、こちらの発言の趣旨がうまく伝わらなくても、面接者が追加質問してくれるので、それに答えることで考えを伝えられます。
あと、周りに人もいないし、制限時間もシビアではないので、ゆっくりとハキハキと話すことができます。
でもTOEFLの場合は、制限時間1分の枠内で、マイクに向かって話すという形式ですから、より高度なスピーキングのスキルが求められる。
周りに他の受験者がいるので、なんかこっぱずかしい感じもある。他の受験者がリスニングしているのに、下手な発音で話すのって何かアレじゃないですか。
くっそぉ。悔しいなぁ。でも「取りこぼし」があったわけじゃないから、すぐに再チャレンジしても成果は期待できない。
100点超めざすなら、TOEFLのスピーキング対策をとる必要があるんだと思います。
それと、やっぱり発音をもうちょっと向上させないとダメなんだろうな。練習してないからな。
このあたりが向上した自信がつけば、再受験するかも。でも、どうやったら自信をつけられるかは分からない。
2017年6月4日日曜日
TOEFL(10回目)受験
TOEFLを受けてみた。前回は2010年6月。7年ぶり10回目。
これまでの結果は以下の通り。
9回目が Reading26, Listening27, Speaking15, Writing22 で、90点
8回目が Reading29, Listening27, Speaking17, Writing21 で、94点
7回目が Reading26, Listening24, Speaking19, Writing20 で、89点
6回目が Reading26, Listening26, Speaking15, Writing21 で、88点
5回目が Reading23, Listening26, Speaking15, Writing20 で、84点
4回目が Reading25, Listening21, Speaking15, Writing18 で、79点
3回目が Reading14, Listening19,Speaking17,Writing15 で、65点
2回目が Reading20, Listening21, Speaking13, Writing17 で、71点
1回目は Reading10, Listening18, Speaking10, Writing14 で、52点
8回目が留学前の最後。9回目は留学の最終盤に受けたものです。
留学の最終盤の方が留学前より点が下がっています。スピーキングが悪くなってんのね。
9回目の受験時のブログ
9回目の結果のブログ
受験の感想としては、リスニングの精度はこれまで以上に上がっていると思うんですね。
全部分かる。「うんうん、分かった、分かった。もういいよ。で、何が聞きたいの?」って思うぐらい分かる。
もっと言えば、「どうせ、こういうことを聞くんでしょ」っていうぐらいまで思う。
リスニングパート自体の点はもう27点とかになっているから、それほど上積みは期待できません。
でも、スピーキングとライティングのパートでも、出題には会話や講義の音声が含まれるわけだから、
このリスニングの精度の高さは大きな前進だと思います。
ただ、問題はアウトプットですよね。
そりゃ、最高点だった8回目(留学前)と比べても、さらに合計5年の米国生活が積み重なっていますから、
アウトプットの点でもレベルは上がっているんだとは思う。そう思いたい。
でもスピーキングとかね。やっぱね。ダメだね。
一応、答えるべきことは分かっているけど、スムーズにペラペラと話せるわけじゃない。
とりあえず言葉は口から出てくる。でも、それを文章として完成させようとすると、
ちょっと考える時間が必要だったり、文法的にねじれが生じてしまったりといった感じです。
制限時間があるので、このあたりはなかなか難しい。
会話の要約する部分で時間を使いすぎて、自分の意見を述べる部分が早口になってしまうこともあった
まぁ、実生活では制限時間付で英語を話す機会はあまりないですどね。
発音は普通です。特に練習したことないですし、ネイティブみたいに話すつもりもない。
ライティングも、出題が終われば、書くべきことが頭に浮かんで、すぐに書き出すことができた。
単語数も、意識しなくても、出題時に示される適切な語数をちょっと超えるぐらいになった。
ざっと書いて、読み直したら、ちょうど時間が終わるぐらいの感覚です。
ということで、そんなにひどい点ではないと思う。
それぞれのセクションで自己新がでれば、Reading29、Listening27、Speaking19、Writing22で、97点。
ここから、SpeakingとWritingがどのぐらい上乗せされていて、
ReadingとListeningでどれぐらい取りこぼしているかっていう感じでしょうか。
プラスマイナスが同じぐらいであれば97点ですが、
受験してみた感覚としては、100点前後っていう予想。
スピーキングやライティングのアウトップットのスキルが上がっているわけじゃないですけど、
出題時のインプットの精度があがっていることが点数を後押ししてくれていると信じたい。
まぁ、赤っ恥をかくことは覚悟のうえです。
受験前は、これで100点超えてなければ、もう一度チャレンジしようかと思いましたが、
まぁ、今回以上のパフォーマンスが出ることもないでしょうから、100点未満でも受け入れます。
受験時間は3時間半ぐらい。長い。疲れる。受験料は195ドル。昔より高くなっていないか?
これまでの結果は以下の通り。
9回目が Reading26, Listening27, Speaking15, Writing22 で、90点
8回目が Reading29, Listening27, Speaking17, Writing21 で、94点
7回目が Reading26, Listening24, Speaking19, Writing20 で、89点
6回目が Reading26, Listening26, Speaking15, Writing21 で、88点
5回目が Reading23, Listening26, Speaking15, Writing20 で、84点
4回目が Reading25, Listening21, Speaking15, Writing18 で、79点
3回目が Reading14, Listening19,Speaking17,Writing15 で、65点
2回目が Reading20, Listening21, Speaking13, Writing17 で、71点
1回目は Reading10, Listening18, Speaking10, Writing14 で、52点
8回目が留学前の最後。9回目は留学の最終盤に受けたものです。
留学の最終盤の方が留学前より点が下がっています。スピーキングが悪くなってんのね。
9回目の受験時のブログ
9回目の結果のブログ
受験の感想としては、リスニングの精度はこれまで以上に上がっていると思うんですね。
全部分かる。「うんうん、分かった、分かった。もういいよ。で、何が聞きたいの?」って思うぐらい分かる。
もっと言えば、「どうせ、こういうことを聞くんでしょ」っていうぐらいまで思う。
リスニングパート自体の点はもう27点とかになっているから、それほど上積みは期待できません。
でも、スピーキングとライティングのパートでも、出題には会話や講義の音声が含まれるわけだから、
このリスニングの精度の高さは大きな前進だと思います。
ただ、問題はアウトプットですよね。
そりゃ、最高点だった8回目(留学前)と比べても、さらに合計5年の米国生活が積み重なっていますから、
アウトプットの点でもレベルは上がっているんだとは思う。そう思いたい。
でもスピーキングとかね。やっぱね。ダメだね。
一応、答えるべきことは分かっているけど、スムーズにペラペラと話せるわけじゃない。
とりあえず言葉は口から出てくる。でも、それを文章として完成させようとすると、
ちょっと考える時間が必要だったり、文法的にねじれが生じてしまったりといった感じです。
制限時間があるので、このあたりはなかなか難しい。
会話の要約する部分で時間を使いすぎて、自分の意見を述べる部分が早口になってしまうこともあった
まぁ、実生活では制限時間付で英語を話す機会はあまりないですどね。
発音は普通です。特に練習したことないですし、ネイティブみたいに話すつもりもない。
ライティングも、出題が終われば、書くべきことが頭に浮かんで、すぐに書き出すことができた。
単語数も、意識しなくても、出題時に示される適切な語数をちょっと超えるぐらいになった。
ざっと書いて、読み直したら、ちょうど時間が終わるぐらいの感覚です。
ということで、そんなにひどい点ではないと思う。
それぞれのセクションで自己新がでれば、Reading29、Listening27、Speaking19、Writing22で、97点。
ここから、SpeakingとWritingがどのぐらい上乗せされていて、
ReadingとListeningでどれぐらい取りこぼしているかっていう感じでしょうか。
プラスマイナスが同じぐらいであれば97点ですが、
受験してみた感覚としては、100点前後っていう予想。
スピーキングやライティングのアウトップットのスキルが上がっているわけじゃないですけど、
出題時のインプットの精度があがっていることが点数を後押ししてくれていると信じたい。
まぁ、赤っ恥をかくことは覚悟のうえです。
受験前は、これで100点超えてなければ、もう一度チャレンジしようかと思いましたが、
まぁ、今回以上のパフォーマンスが出ることもないでしょうから、100点未満でも受け入れます。
受験時間は3時間半ぐらい。長い。疲れる。受験料は195ドル。昔より高くなっていないか?
2017年5月31日水曜日
"A Million Ways To Die In The West"
"A Million Ways To Die In The West"という本を読んだ。"Family Guy"で有名なSeth MacFarlaneの同名の映画の小説版です。
ちょっと前にシンプソンズの脚本に参加したことがあるというライターのエッセイを読んだのですが、これが面白くかつ読みやすかった。
https://www.wsj.com/articles/the-prom-a-survival-guide-for-parents-1494593931?tesla=y
で、このライターが何か本を出していないかと思って探してみたけど見つからなかったもので、それならファミリー・ガイのセス・マクファーレンの本だったら面白いんじゃないかと思って読んでみた次第です。
まぁ、面白かったことは間違いないですが、「お勧め!」っていうほどのものでもないです。
1882年のアリゾナを舞台に繰り広げられるコメディです。主人公はアルバートという男で、ヒツジ牧場を経営する気の優しい男。このアルバートと、美人の彼女ルイーズ、親友のエドワードとその恋人のルス、金持ちのフォイ、お尋ね者のクリンチ、その妻のアナたちが主要な登場人物で、まぁ、なんだかんだとドタバタするという話です。
ストーリーは単純です。まぁ、ちょっと凝った昔話みたいなもんです。だから話の筋道というよりは、主人公たちのキャラとか会話とかを楽しむタイプの本です。
例えば、エドワードとルスは実に仲の良いカップルなのですが、ルスは売春婦でエドワードもそのことを知っています。しかもルスとエドワードはそういった関係には至っていない。エドワードはなんとかそういう関係に持ち込みたいと思わないでもないのですが、ルスから「私たちはクリスチャンだから、婚前交渉は持つべきじゃない」と言われると、「そんなもんかなぁ」と思ってしまう。まぁ、そんなおかしなシチュエーションが面白いっていう本です。
だから面白いんです。でも、2時間ほどの映画と本にまとめたわけだから、映画で見た方が面白いんだと思います。
本を読むときに期待するほどの面白さではないと思います。
すぐに読める点はよかったです。
ちょっと前にシンプソンズの脚本に参加したことがあるというライターのエッセイを読んだのですが、これが面白くかつ読みやすかった。
https://www.wsj.com/articles/the-prom-a-survival-guide-for-parents-1494593931?tesla=y
で、このライターが何か本を出していないかと思って探してみたけど見つからなかったもので、それならファミリー・ガイのセス・マクファーレンの本だったら面白いんじゃないかと思って読んでみた次第です。
まぁ、面白かったことは間違いないですが、「お勧め!」っていうほどのものでもないです。
1882年のアリゾナを舞台に繰り広げられるコメディです。主人公はアルバートという男で、ヒツジ牧場を経営する気の優しい男。このアルバートと、美人の彼女ルイーズ、親友のエドワードとその恋人のルス、金持ちのフォイ、お尋ね者のクリンチ、その妻のアナたちが主要な登場人物で、まぁ、なんだかんだとドタバタするという話です。
ストーリーは単純です。まぁ、ちょっと凝った昔話みたいなもんです。だから話の筋道というよりは、主人公たちのキャラとか会話とかを楽しむタイプの本です。
例えば、エドワードとルスは実に仲の良いカップルなのですが、ルスは売春婦でエドワードもそのことを知っています。しかもルスとエドワードはそういった関係には至っていない。エドワードはなんとかそういう関係に持ち込みたいと思わないでもないのですが、ルスから「私たちはクリスチャンだから、婚前交渉は持つべきじゃない」と言われると、「そんなもんかなぁ」と思ってしまう。まぁ、そんなおかしなシチュエーションが面白いっていう本です。
だから面白いんです。でも、2時間ほどの映画と本にまとめたわけだから、映画で見た方が面白いんだと思います。
本を読むときに期待するほどの面白さではないと思います。
すぐに読める点はよかったです。
2017年5月20日土曜日
"Courage to Soar: A Body in Motion, A Life in Balance"
"Courage to Soar: A body in Motion, A Life in Balance"という本を読んだ。リオ五輪の女子体操で団体と個人総合、跳馬、床で金メダル。平均台で銅メダルをとったシモン・バイルズの回想録です。まだ20歳。痛快なお話でした。
前のトレバー・ノアの本が大変な子供時代を過ごした話でした。シモン・バイルスも母親がドラッグ中毒で、子供のころに祖父母に引き取られたという話を聞いたことがあったもので、どんなサクセスストーリーなのかと思って読んでみた。
ただ、あまり子供時代に家族のことで苦労したというわけではなさそうです。というのも、シモンは実の母親との生活をよく覚えていないんだそうです。
実の母親のシャノンさんは祖父の前妻との間の子供。シャノンさんは前妻のもとで育ち、シモンの姉(7歳上)、兄(3歳上)、シモン、妹(2歳下)を生みました。しかしドラッグなどへの依存症で、行政から育児放棄と認定されてしまいます。で、シモンが3歳のとき4人の子供たちは保護施設を通じて、ボランティアの里親のもとに引き取られる。しばらくして、テキサス州に住む祖父母が4人のきょうだいを引き取ることになります。
その後、4人は一度、オハイオ州に住むシャノンさんのもとに戻りますが、シャノンさんはドラッグをやめられなかった。それでも姉と兄は実の母親であるシャノンさんと暮らしたがったので、結局、2人はオハイオ州に住む祖父の姉のもとに、シモンと妹は祖父母のもとに戻ることになります。2002年12月24日、シモンが5歳のときのことです。そして2003年11月に、祖父母は2人と正式に養子縁組みし、シモンと妹の両親となります。この日からシモンは祖父母のことを、"Dad"、"Mom"と呼ぶようになります。
オハイオ州の話ですから、ヒルビリー・エレジーを思い出してしまいますが、シモンはどうもこのシャノンさんという女性にシンパシーを感じられないみたいです。
こんな一文があります。
Shanon still calls Adria and me on birthdays and holidays, but we don't have much contact beyond that. Some days, I feel a little bit sad for her. It's not that I ever wanted to go back to live in Ohio, but I do wish she'd been able to make better decisions when she was younger.
笑っちゃうぐらい、あっさりしています。シャノンさんにもいろいろ事情があったんだろうと思いますけどね。まぁ、だからといってシモンに何ができるっていうわけじゃないでしょうけど。
祖母は一番最初に4人のきょうだいを引き受けるとき、かなり不安だったそうです。4人は自分とは血のつながりがない子供たちだし、上の2人は物心がついていてシャノンさんに懐いている。しかも自分自身の2人の息子がどちらも高校生になって、子育てが一段落ついたばかり。そんなところに、また複雑な事情を抱えた幼い子供たちの面倒をみなければならないわけで、尻込みする気持ちも分かります。
ただ、そのとき、祖母の相談に乗っていた養子を育てた経験がある女性が、祖母にこんなことを言ったそうです。
"the Lord doesn't make any mistakes. And he never gives you more than you can handle."
この言葉に勇気づけられて、祖母は4人の面倒を見ることを決意したんだとのこと。ベリーズ出身の祖母はなかなか信仰に篤い人みたいです。
そんなシモンが体操を始めるきっかけは、祖父母の家にトランポリンがあったからだそうです。最初の里親の家にもトランポリンがあったんですが、そのときはシモンがケガをすることを心配する里親がトランポリンで遊ぶことを許してくれなかった。でも、祖父母の家だと、高校生の兄2人が見守るなかで遊ばしてもらえた。そのトランポリンが大好きで、ピョンピョンピョンピョン跳んでいたそうです。
で、6歳のときの保育園の遠足の行き先が、雨のため、牧場から体操クラブがある体育館に変更になった。その体育館でシモンがピョンピョンピョンピョン飛び跳ねているのをみて、体操クラブのコーチがクラブにスカウトしたんだそうです。このとき、遠足の行き先を体操クラブに変更したのは、保育園でバイトをしていた兄たちだった。まぁ、なんかマンガみたいな展開があるもんです。
あとは怒濤のサクセスストーリーになります。もちろんジュニアの米国代表に僅差で入れなかったとか、プレッシャーがきつかったとか、高校に通うかホームスクーリングにするかで悩んだとか、段違い平行棒が苦手でトカチェフをマスターするのに7カ月かかったとか、ケガしたとか、トップアスリートならではの苦労はあります。それぞれがほんの数年前の出来事だったりするわけで、10台の女の子としての実感がこもっています。大変だったでしょう。
ただ、やっぱり超恵まれた展開もあります。
特に最初の世界選手権制覇の後の2014年2月、体操を始めてからずっとコーチをしてくれた女性が突然、体操クラブを辞めることになったときのエピソードはすごい。シモンはこの女性コーチのもとでずっと練習したいと思うわけですが、女性コーチの移籍先が決まっているわけじゃないし、移籍先が決まったところでシモンが通える場所になるかどうかは分からない。今の体操クラブに残留するのが一番の安全策ですが、やっぱりシモンのことを一番理解してくれいるのはこの女性コーチだというジレンマがあります。
子供のころから夢見てきたオリンピックまで2年あまりというなかでのこのピンチ。これを切り抜けた方法は、
「祖母(養母)が女性コーチのために新しい体育館と体操クラブを作る」
というもの。
祖母は看護師としてキャリアを積んできた人で、14カ所の老人ホームを共同経営するほどにまで成功した人だそうです。で、その持ち分を売却して資金を作り、体育館を建て、新しい体操クラブを作ってしまった。その名もワールド・チャンピオン・センターです。もちろん、すぐに体育館ができるわけじゃないですから、シモンは最初の半年は元の体操クラブの体育館に間借りして、その後は倉庫を改装した仮の体育館を使って練習を続けたんだそうです。マンガ的ですが、本当の話です。
ということで、期待していた苦労話ではなかったですが、小柄でも体操が大好きな天才少女がいろんな苦労をしながらも、優しい祖父母や兄や妹に支えられながらマンガ的な展開で連戦連勝を重ね、最後にはオリンピックでの勝利をつかみ取るという痛快なストーリーではあります。
これはこれで面白かった。
前のトレバー・ノアの本が大変な子供時代を過ごした話でした。シモン・バイルスも母親がドラッグ中毒で、子供のころに祖父母に引き取られたという話を聞いたことがあったもので、どんなサクセスストーリーなのかと思って読んでみた。
ただ、あまり子供時代に家族のことで苦労したというわけではなさそうです。というのも、シモンは実の母親との生活をよく覚えていないんだそうです。
実の母親のシャノンさんは祖父の前妻との間の子供。シャノンさんは前妻のもとで育ち、シモンの姉(7歳上)、兄(3歳上)、シモン、妹(2歳下)を生みました。しかしドラッグなどへの依存症で、行政から育児放棄と認定されてしまいます。で、シモンが3歳のとき4人の子供たちは保護施設を通じて、ボランティアの里親のもとに引き取られる。しばらくして、テキサス州に住む祖父母が4人のきょうだいを引き取ることになります。
その後、4人は一度、オハイオ州に住むシャノンさんのもとに戻りますが、シャノンさんはドラッグをやめられなかった。それでも姉と兄は実の母親であるシャノンさんと暮らしたがったので、結局、2人はオハイオ州に住む祖父の姉のもとに、シモンと妹は祖父母のもとに戻ることになります。2002年12月24日、シモンが5歳のときのことです。そして2003年11月に、祖父母は2人と正式に養子縁組みし、シモンと妹の両親となります。この日からシモンは祖父母のことを、"Dad"、"Mom"と呼ぶようになります。
オハイオ州の話ですから、ヒルビリー・エレジーを思い出してしまいますが、シモンはどうもこのシャノンさんという女性にシンパシーを感じられないみたいです。
こんな一文があります。
Shanon still calls Adria and me on birthdays and holidays, but we don't have much contact beyond that. Some days, I feel a little bit sad for her. It's not that I ever wanted to go back to live in Ohio, but I do wish she'd been able to make better decisions when she was younger.
笑っちゃうぐらい、あっさりしています。シャノンさんにもいろいろ事情があったんだろうと思いますけどね。まぁ、だからといってシモンに何ができるっていうわけじゃないでしょうけど。
祖母は一番最初に4人のきょうだいを引き受けるとき、かなり不安だったそうです。4人は自分とは血のつながりがない子供たちだし、上の2人は物心がついていてシャノンさんに懐いている。しかも自分自身の2人の息子がどちらも高校生になって、子育てが一段落ついたばかり。そんなところに、また複雑な事情を抱えた幼い子供たちの面倒をみなければならないわけで、尻込みする気持ちも分かります。
ただ、そのとき、祖母の相談に乗っていた養子を育てた経験がある女性が、祖母にこんなことを言ったそうです。
"the Lord doesn't make any mistakes. And he never gives you more than you can handle."
この言葉に勇気づけられて、祖母は4人の面倒を見ることを決意したんだとのこと。ベリーズ出身の祖母はなかなか信仰に篤い人みたいです。
そんなシモンが体操を始めるきっかけは、祖父母の家にトランポリンがあったからだそうです。最初の里親の家にもトランポリンがあったんですが、そのときはシモンがケガをすることを心配する里親がトランポリンで遊ぶことを許してくれなかった。でも、祖父母の家だと、高校生の兄2人が見守るなかで遊ばしてもらえた。そのトランポリンが大好きで、ピョンピョンピョンピョン跳んでいたそうです。
で、6歳のときの保育園の遠足の行き先が、雨のため、牧場から体操クラブがある体育館に変更になった。その体育館でシモンがピョンピョンピョンピョン飛び跳ねているのをみて、体操クラブのコーチがクラブにスカウトしたんだそうです。このとき、遠足の行き先を体操クラブに変更したのは、保育園でバイトをしていた兄たちだった。まぁ、なんかマンガみたいな展開があるもんです。
あとは怒濤のサクセスストーリーになります。もちろんジュニアの米国代表に僅差で入れなかったとか、プレッシャーがきつかったとか、高校に通うかホームスクーリングにするかで悩んだとか、段違い平行棒が苦手でトカチェフをマスターするのに7カ月かかったとか、ケガしたとか、トップアスリートならではの苦労はあります。それぞれがほんの数年前の出来事だったりするわけで、10台の女の子としての実感がこもっています。大変だったでしょう。
ただ、やっぱり超恵まれた展開もあります。
特に最初の世界選手権制覇の後の2014年2月、体操を始めてからずっとコーチをしてくれた女性が突然、体操クラブを辞めることになったときのエピソードはすごい。シモンはこの女性コーチのもとでずっと練習したいと思うわけですが、女性コーチの移籍先が決まっているわけじゃないし、移籍先が決まったところでシモンが通える場所になるかどうかは分からない。今の体操クラブに残留するのが一番の安全策ですが、やっぱりシモンのことを一番理解してくれいるのはこの女性コーチだというジレンマがあります。
子供のころから夢見てきたオリンピックまで2年あまりというなかでのこのピンチ。これを切り抜けた方法は、
「祖母(養母)が女性コーチのために新しい体育館と体操クラブを作る」
というもの。
祖母は看護師としてキャリアを積んできた人で、14カ所の老人ホームを共同経営するほどにまで成功した人だそうです。で、その持ち分を売却して資金を作り、体育館を建て、新しい体操クラブを作ってしまった。その名もワールド・チャンピオン・センターです。もちろん、すぐに体育館ができるわけじゃないですから、シモンは最初の半年は元の体操クラブの体育館に間借りして、その後は倉庫を改装した仮の体育館を使って練習を続けたんだそうです。マンガ的ですが、本当の話です。
ということで、期待していた苦労話ではなかったですが、小柄でも体操が大好きな天才少女がいろんな苦労をしながらも、優しい祖父母や兄や妹に支えられながらマンガ的な展開で連戦連勝を重ね、最後にはオリンピックでの勝利をつかみ取るという痛快なストーリーではあります。
これはこれで面白かった。
2017年5月6日土曜日
"Born A Crime: Stories from a south African childhood"
"Born A Crime: Stories from a south African childhood"という本を読んだ。南アフリカ出身のコメディアン、Trevor Noahが南アフリカでの少年時代を振り返った本です。2016年11月発刊です。
ノアさんは2015年9月から、アメリカのコメディセントラルというケーブルテレビ局で"The Daily Show"の司会をしています。政治風刺を売り物にしたコメディ番組です。前任のJon Stewartはとても人気があったのですが、引退することになって、その後任として米国では無名の南アフリカ出身のコメディアンが抜擢されたと話題になった人です。
番組はyoutubeで見ることができます。どれも面白いです。
https://www.youtube.com/channel/UCwWhs_6x42TyRM4Wstoq8HA/featured
で、そんな面白いノアさんの本ですから、面白いんじゃないかと思って読んでみました。そしたら、想像以上に面白かった。生涯最高の本に認定します。
まず、ノアさんの出自なんですが、1984年2月20日、南アフリカのヨハネスブルグで生まれています。つまり1990年のネルソン・マンデラ釈放前で、アパルトヘイトが続いていたころです。で、ノアさんの母親はXhosa(コサ)族の黒人女性ですが、父親は当時南アに駐在していたドイツ系スイス人。当時はアパルトヘイトのもとで、異人種間の性交渉は犯罪でしたから、ノアさんは存在自体が犯罪の証拠だったということになります。
もう設定からして、私が想像したことがなかった世界。もちろんアパルトヘイトがあったことは知っていたわけですが、そこでの生活がどんなものであったかということは考えたことがなかったし、そのアパルトヘイトの枠からはみ出た人たちがいることも想像したことなかった。
で、そんな話なので、実にしめっぽい話になるのかと思うところですが、そんなことはないです。どこを読んでも笑えてしまう。
ノアさんは両親が白人と黒人ですから、南アの人種的な分類では"ミックス"ということになります。ただ、異人種間の混血というのは何世代も前から起きていることですから、一口に黒人といっても肌の色の濃さは様々です。だから、真っ黒な肌でない人はノアさん以外にもいるわけで、そういう人たちはひとまとめにして「カラード」と分類されます。カラードでいることは犯罪ではありませんでした。また、このほか、アパルトヘイト下での南アにはインディアンという分類もあって、白人と黒人とカラードとインディアンは、それぞれ別の地区に住まねばなりませんでした。就くことができる仕事にも制限がありました。
で、どこまで肌が黒ければ黒人で、黒さが薄ければカラードになるかとか、どこまで肌が白っぽかったら白人になるのかというのは、人種登録を担当する役人のフィーリングで決まるそうです。両親がともに白人と分類されていても、肌の色が濃いめの子供が生まれてくることもあります。「鉛筆テスト」なんていうものもあったそうで、髪の毛に鉛筆をさして下に落ちたら白人、巻き毛のせいで下に落ちなかったらカラードと分類される。まぁ、そのぐらいのいい加減な基準です。
さらに馬鹿げた話ですが、アパルトヘイト下での南アでは日本人は白人に分類されていました。自動車や電子機器を南アに輸出するために駐在する日本人に不都合があれば、南ア経済に不利益が生じるからです。でも、中国人は黒人だったそうです。まだ経済力が強くなかったせいでしょう。
つまりアパルトヘイトなんていうものは、まったく何の根拠もないルールだったわけです。そしてノアさんの母親のパトリシアさんは意味のないルールに従うことが大嫌いで、なおかつおそろしく頑固な人でした。
パトリシアさんはコサ族の家庭に育ちましたが、一緒に住んでいた母親よりも、別居中だった父親に懐いて、9歳のときに母親に対して「お父さんと一緒に住めみたい」と申し出ます。で、父親が迎えにきたのですが、この父親が困った人で、何の説明もなしにパトリシアさんを妹の家に預けてしまいます。パトリシアさんは、父親と一緒に暮らすつもりが、おばさんと暮らすことになったわけです。
で、このおばさんはいろんなところから子供を預かって、畑仕事とかをさせて生活の糧をえている人でした。家には14人の子供がいたそうです。子供たちは十分な食事を与えられず、パトリシアさんは犬や豚のえさを食べて空腹を満たしたこともあった。なんかグリム童話みたいな話ですが、そんな現実もあるということです。
ただ、パトリシアさんにとって幸運だったのは、このおばさんの住む村には白人の牧師が運営するミッションスクールがあったのです。当時、黒人に白人と同等の教育を与えることは禁止されていましたが、使命感にかられた牧師たちがこうした学校を開くことがあったらしい。そこでパトリシアさんは英語を学びます。読み書きができるようになると、そのうち畑仕事ではなく衣料品の工場で働くことができるようになり、工場で食事にもありつけるようになります。そして21歳のとき、おばさんが病気になったことをきっかけに母親のもとに戻り、タイピングを学び、秘書の仕事でお金を稼げるようになります。パトリシアさんは一家の稼ぎ手として働き続けます。しかしいくら稼いでも家族のためにお金がなくなっていく生活に耐えられなくなって、母親の家から逃げ出します。22歳のときです。
パトリシアさんが逃げ出した先は、ヨハネスブルグのダウンタウンです。でも当時、黒人がヨハネスブルグに住むことは違法です。パトリシアさんは隠れるようにして暮らすしかありません。
そんなパトリシアさんを助けてくれたのがヨハネスブルグで暮らす同じコサ族の売春婦たちです。彼女たちの顧客は南アに駐在する外国人たちです。南アの法律を気にする必要もない立場ですし、彼らにとっては売春婦が身近で暮らしている方が都合がよかったようで、黒人の売春婦たちに住む場所を提供していました。パトリシアさんは秘書として稼いだお金で家賃を払い、住む場所を確保します。なんかグリム童話の世界から、なんかの近未来アニメみたいな雰囲気に移っていますが、やっぱりそんな現実もあるんでしょう。
そんな生活をするなかで知り合ったのが、ドイツ系スイス人のロバートさんです。パトリシアさん24歳、ロバートさん46歳。そこにどんな恋愛感情があったのか、なかったのかは分かりませんが、パトリシアさんは「子供を生むのを手伝って欲しい。生まれた子供に責任を持つ必要はないし、お金を払う必要もない。ただ精子が欲しいだけ」と切り出します。
そんな形で生まれたのがノアさんです。
"on February 20, 1984, my mother checked into Hillbrow Hospital for a scheduled C-section delivery. Estranged from her family, pregnant by a man she could no be seen in public, she was alone. The doctors took her up to the delivery room, cut open her belly, and reached in and pulled out a half-white, half-black child who violated any number of laws, statutes, and regulations--- I was born a crime. "
こんな話、面白いに決まっているでしょう。ただ、この本の面白さはこんなものじゃないです。とにかくめちゃくちゃ面白いのです。
まぁ、とにかくいろんなエピソードが出てきます。いちいち紹介するのはやめておきますが、
どんな苦難に見舞われても教会通いをやめないパトリシアさんに振り回されるノアさんの抵抗とか、
家のなかにトイレがない生活の悲しみとか、
いろいろあって出会う機会がなくなった父親との再会と喜びとか、
チョコレートの万引きでの退学を肌の色で免れた話とか、
生涯最高の美少女とのデートと意外な真実とか、
高校時代から音楽の違法ダウンロードでお金を稼いでいた話とか、
存在自体が違法なミックスとして黒人とも白人ともカラードともしっくりいかない感覚とか、
そうしたなかでもどのグループとも「面白いアウトサイダー」としてつきあえる術を身につけた話とか、
言葉ができることの大切さとか、
「ヒトラー」という名前のダンサーと巻き起こした騒動とか、
南アの闇市のなかで暮らす人々とお金を稼ぐ方法とか、
無登録車の運転で逮捕された話とか、
もうとにかく色々です。
面白いなかにも、シリアスなトーンは残ります。何しろアパルトヘイトの下で十分な教育を与えられなかった黒人たちの生活は、アパルトヘイトがなくなった後でも苦しい生活を続けざるをえないのです。パトシリアさんがお金を稼げるようになったのは幸運にも英語教育を受ける機会があったからですし、ノアさんの生活が違法ダウンロードでお金を稼げるようになったのは、たまたま白人の知り合いがCDライターをくれたからです。ノアさんはアパルトヘイト後の黒人の生活について、「魚の釣り方は教えてもらったけど、釣り竿が手に入らない状態だ」と説明します。貧困から這い上がれないでいる黒人たちの実態も実感をもって説明されています。
あと、最後の章はシャレになりません。パトリシアさんが後に結婚した男の家庭内暴力でノアさんたちの生活が危機にさらされたというエピソードで、結局、この男はパトリシアさんとの離婚後、パトリシアさんの頭を拳銃で撃つことになります。とんでもない話です。でも最後のシーンは笑えるのです。どう説明したって、この感覚は伝わりそうにないですけど、人間と神様と母親と子供と愛情とユーモアに関わるイメージが同時にぶわっと頭の中に広がるような感じです。
いろんな学びが得られる本です。それでいて説教くさくない、エンターテインメントとして読める本でもあります。
ノアさんは2015年9月から、アメリカのコメディセントラルというケーブルテレビ局で"The Daily Show"の司会をしています。政治風刺を売り物にしたコメディ番組です。前任のJon Stewartはとても人気があったのですが、引退することになって、その後任として米国では無名の南アフリカ出身のコメディアンが抜擢されたと話題になった人です。
番組はyoutubeで見ることができます。どれも面白いです。
https://www.youtube.com/channel/UCwWhs_6x42TyRM4Wstoq8HA/featured
で、そんな面白いノアさんの本ですから、面白いんじゃないかと思って読んでみました。そしたら、想像以上に面白かった。生涯最高の本に認定します。
まず、ノアさんの出自なんですが、1984年2月20日、南アフリカのヨハネスブルグで生まれています。つまり1990年のネルソン・マンデラ釈放前で、アパルトヘイトが続いていたころです。で、ノアさんの母親はXhosa(コサ)族の黒人女性ですが、父親は当時南アに駐在していたドイツ系スイス人。当時はアパルトヘイトのもとで、異人種間の性交渉は犯罪でしたから、ノアさんは存在自体が犯罪の証拠だったということになります。
もう設定からして、私が想像したことがなかった世界。もちろんアパルトヘイトがあったことは知っていたわけですが、そこでの生活がどんなものであったかということは考えたことがなかったし、そのアパルトヘイトの枠からはみ出た人たちがいることも想像したことなかった。
で、そんな話なので、実にしめっぽい話になるのかと思うところですが、そんなことはないです。どこを読んでも笑えてしまう。
ノアさんは両親が白人と黒人ですから、南アの人種的な分類では"ミックス"ということになります。ただ、異人種間の混血というのは何世代も前から起きていることですから、一口に黒人といっても肌の色の濃さは様々です。だから、真っ黒な肌でない人はノアさん以外にもいるわけで、そういう人たちはひとまとめにして「カラード」と分類されます。カラードでいることは犯罪ではありませんでした。また、このほか、アパルトヘイト下での南アにはインディアンという分類もあって、白人と黒人とカラードとインディアンは、それぞれ別の地区に住まねばなりませんでした。就くことができる仕事にも制限がありました。
で、どこまで肌が黒ければ黒人で、黒さが薄ければカラードになるかとか、どこまで肌が白っぽかったら白人になるのかというのは、人種登録を担当する役人のフィーリングで決まるそうです。両親がともに白人と分類されていても、肌の色が濃いめの子供が生まれてくることもあります。「鉛筆テスト」なんていうものもあったそうで、髪の毛に鉛筆をさして下に落ちたら白人、巻き毛のせいで下に落ちなかったらカラードと分類される。まぁ、そのぐらいのいい加減な基準です。
さらに馬鹿げた話ですが、アパルトヘイト下での南アでは日本人は白人に分類されていました。自動車や電子機器を南アに輸出するために駐在する日本人に不都合があれば、南ア経済に不利益が生じるからです。でも、中国人は黒人だったそうです。まだ経済力が強くなかったせいでしょう。
つまりアパルトヘイトなんていうものは、まったく何の根拠もないルールだったわけです。そしてノアさんの母親のパトリシアさんは意味のないルールに従うことが大嫌いで、なおかつおそろしく頑固な人でした。
パトリシアさんはコサ族の家庭に育ちましたが、一緒に住んでいた母親よりも、別居中だった父親に懐いて、9歳のときに母親に対して「お父さんと一緒に住めみたい」と申し出ます。で、父親が迎えにきたのですが、この父親が困った人で、何の説明もなしにパトリシアさんを妹の家に預けてしまいます。パトリシアさんは、父親と一緒に暮らすつもりが、おばさんと暮らすことになったわけです。
で、このおばさんはいろんなところから子供を預かって、畑仕事とかをさせて生活の糧をえている人でした。家には14人の子供がいたそうです。子供たちは十分な食事を与えられず、パトリシアさんは犬や豚のえさを食べて空腹を満たしたこともあった。なんかグリム童話みたいな話ですが、そんな現実もあるということです。
ただ、パトリシアさんにとって幸運だったのは、このおばさんの住む村には白人の牧師が運営するミッションスクールがあったのです。当時、黒人に白人と同等の教育を与えることは禁止されていましたが、使命感にかられた牧師たちがこうした学校を開くことがあったらしい。そこでパトリシアさんは英語を学びます。読み書きができるようになると、そのうち畑仕事ではなく衣料品の工場で働くことができるようになり、工場で食事にもありつけるようになります。そして21歳のとき、おばさんが病気になったことをきっかけに母親のもとに戻り、タイピングを学び、秘書の仕事でお金を稼げるようになります。パトリシアさんは一家の稼ぎ手として働き続けます。しかしいくら稼いでも家族のためにお金がなくなっていく生活に耐えられなくなって、母親の家から逃げ出します。22歳のときです。
パトリシアさんが逃げ出した先は、ヨハネスブルグのダウンタウンです。でも当時、黒人がヨハネスブルグに住むことは違法です。パトリシアさんは隠れるようにして暮らすしかありません。
そんなパトリシアさんを助けてくれたのがヨハネスブルグで暮らす同じコサ族の売春婦たちです。彼女たちの顧客は南アに駐在する外国人たちです。南アの法律を気にする必要もない立場ですし、彼らにとっては売春婦が身近で暮らしている方が都合がよかったようで、黒人の売春婦たちに住む場所を提供していました。パトリシアさんは秘書として稼いだお金で家賃を払い、住む場所を確保します。なんかグリム童話の世界から、なんかの近未来アニメみたいな雰囲気に移っていますが、やっぱりそんな現実もあるんでしょう。
そんな生活をするなかで知り合ったのが、ドイツ系スイス人のロバートさんです。パトリシアさん24歳、ロバートさん46歳。そこにどんな恋愛感情があったのか、なかったのかは分かりませんが、パトリシアさんは「子供を生むのを手伝って欲しい。生まれた子供に責任を持つ必要はないし、お金を払う必要もない。ただ精子が欲しいだけ」と切り出します。
そんな形で生まれたのがノアさんです。
"on February 20, 1984, my mother checked into Hillbrow Hospital for a scheduled C-section delivery. Estranged from her family, pregnant by a man she could no be seen in public, she was alone. The doctors took her up to the delivery room, cut open her belly, and reached in and pulled out a half-white, half-black child who violated any number of laws, statutes, and regulations--- I was born a crime. "
こんな話、面白いに決まっているでしょう。ただ、この本の面白さはこんなものじゃないです。とにかくめちゃくちゃ面白いのです。
まぁ、とにかくいろんなエピソードが出てきます。いちいち紹介するのはやめておきますが、
どんな苦難に見舞われても教会通いをやめないパトリシアさんに振り回されるノアさんの抵抗とか、
家のなかにトイレがない生活の悲しみとか、
いろいろあって出会う機会がなくなった父親との再会と喜びとか、
チョコレートの万引きでの退学を肌の色で免れた話とか、
生涯最高の美少女とのデートと意外な真実とか、
高校時代から音楽の違法ダウンロードでお金を稼いでいた話とか、
存在自体が違法なミックスとして黒人とも白人ともカラードともしっくりいかない感覚とか、
そうしたなかでもどのグループとも「面白いアウトサイダー」としてつきあえる術を身につけた話とか、
言葉ができることの大切さとか、
「ヒトラー」という名前のダンサーと巻き起こした騒動とか、
南アの闇市のなかで暮らす人々とお金を稼ぐ方法とか、
無登録車の運転で逮捕された話とか、
もうとにかく色々です。
面白いなかにも、シリアスなトーンは残ります。何しろアパルトヘイトの下で十分な教育を与えられなかった黒人たちの生活は、アパルトヘイトがなくなった後でも苦しい生活を続けざるをえないのです。パトシリアさんがお金を稼げるようになったのは幸運にも英語教育を受ける機会があったからですし、ノアさんの生活が違法ダウンロードでお金を稼げるようになったのは、たまたま白人の知り合いがCDライターをくれたからです。ノアさんはアパルトヘイト後の黒人の生活について、「魚の釣り方は教えてもらったけど、釣り竿が手に入らない状態だ」と説明します。貧困から這い上がれないでいる黒人たちの実態も実感をもって説明されています。
あと、最後の章はシャレになりません。パトリシアさんが後に結婚した男の家庭内暴力でノアさんたちの生活が危機にさらされたというエピソードで、結局、この男はパトリシアさんとの離婚後、パトリシアさんの頭を拳銃で撃つことになります。とんでもない話です。でも最後のシーンは笑えるのです。どう説明したって、この感覚は伝わりそうにないですけど、人間と神様と母親と子供と愛情とユーモアに関わるイメージが同時にぶわっと頭の中に広がるような感じです。
いろんな学びが得られる本です。それでいて説教くさくない、エンターテインメントとして読める本でもあります。
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