2017年2月25日土曜日

眼鏡をクイっとする

眼鏡のブリッジのところをクイっと押し上げるのには理由がある。

高校時代から眼鏡をかけていている。もう30年近いキャリアだ。これまでに眼鏡をクイっと押し上げてきた回数は、文字通り数えられないぐらいということだろう。眼鏡はかけているうちに、すこしずつ下にズレ落ちていく。その程度があまりに大きくなると、なんか鼻のあたりが気持ち悪いので、クイっと押し上げるのだ。

あと、眼鏡が少しだけズレ落ちた状態からでも、クイっと押し上げることがある。少しズレ落ちただけでも目とレンズの距離が変わってくるので、ピントがしっかりと合わなくなることがあるからだ。特に遠くの物を見ようとして「なんかよく見えないなぁ」と思ったときは眼鏡をクイっと押し上げると、きちんとピントが合って見やすくなったりする。

最近、気づいたのだが、道を歩いていて反対方向から美人らしき人が歩いてきたとき、眼鏡をクイっとすることが多い。

女性の皆さんは、遠くから歩いてきた男性が眼鏡をクイっとしたら、にっこりと微笑みかけてあげて欲しいと思う。

2017年2月18日土曜日

タバコデビュー

そろそろタバコデビューしてもいいんじゃないか。

なんだかんだで44歳になった。長男は来春から中学2年生で、次男も小学2年生になる。長男はもちろん、次男も週末に「とぉちゃん遊ぼ」と言うことも少なくなった。これからは週末に自由な時間を使えるようになったのだ。ただ44歳ともなると、老後の心配もせねばならない。すでに平均寿命の半分ぐらいだと思う。あんまり長生きしすぎると、貯金が尽きてしまうのではないかなんてことを考えたりもする。

そこで考えたのだが、今からタバコを吸い始めるというのはどうだろうか。ちょっと調べたところによると、1日に吸うタバコの本数×年数で得られる数字が600を超えると飛躍的に肺がんになる可能性が高まるらしい。つまりこれから1日15本ペースで吸い始めれば、40年で肺がんになる。84歳。ちょうどいいんじゃないか。

44歳でタバコデビューした新人だということを隠しておけば、以前流行ったチョイ悪な雰囲気にもなるのではないか。もう近所の公園で子供と遊ぶこともないのだから、渋いチョイ悪を目指したっておかしくない。それにきっと、タバコは美味しいものなのだろう。これだけ健康に良くないと言われていても、未だに結構な数の人が吸い続けていることが証拠だ。

ただし問題がないわけではない。1日にタバコを15本も吸うだけの体力がない気がするのだ。2、3本吸ったら、「もうダメ。気分悪い」ってことになりやしないか。

心配しなくても、そのうち死んじゃうじゃないかと思う。

2017年2月8日水曜日

"The Undoing Project: A Friendship that Changed Our Mind"

"The Undoing Project: A Friendship that Changed Our Mind"という本を読んだ。今日、読み終わりました。

「マネー・ボール」で有名なマイケル・ルイスが2016年12月6日に出した本です。
マネー・ボールはメジャーリーグのオークランド・アスレチックスがこれまで注目されてこなかった、プレイヤーに関する統計上の数値を重視して、独自のチームを作り上げて強豪チームを育て上げるという話です。随分と前に日本語で読んだことがあります。とても面白い本でした。

マイケル・ルイスはその後もたくさんの本を出しているのですが、いずれも未読でした。でも、また新しいしい本を出したということで、買ってみた次第です。

マネー・ボールみたいな話を期待して読むとハズレの本だと思います。ただ、これはこれで面白いです。


この本も第1章こそは、NBAのヒューストン・ロケッツのGMになったDaryl Moreyがマネー・ボール的なチーム作りを目指すところから始まります。実際、いろんなデータを駆使して、そこそこの強豪チームを作り上げるわけですが、この本はそこで終わるわけではなくて、「それでもやっぱり、完璧なチーム作りは難しい」という結論に落ち着きます。というのも人間の心理というものは、「理論的に正しい選択肢が分かっているときでも、間違った判断をしてしまうような仕組みになっているから」だということです。

ニューヨーク・ニックスで2012年にブレークした、ジェレミー・リンがそうした例の一人です。リンはほとんどのNBAプレイヤーよりも素早くプレーできる選手でしたが、長らくスカウトやコーチたちの目にとまることはありませんでした。選手の素質を見極めるプロである彼らがリンのスピードに気づかないわけがないのですが、それでもやっぱり「リンを使ってみよう」という判断が出なかったのです。それは中国系アメリカ人であるリンの姿が、彼らの頭にある「良いプレイヤー」のイメージからかけ離れていたから。目の前に素晴らしいスピードの選手がいるのに、それを見落としてしまっていたというわけです。

で、こうした話が第2章以降も続くのかなと思ったら、いきなり話はイスラエルの心理学者、ダニー・カーネマン(Danny Kahneman)の話になります。で、第3章は同じくイスラエルの心理学者、エイモス・トベルスキー(Amos Tversky)の話になります。なぜかというと、この2人が「分かっていても間違えてしまう人間の心理」について研究した第一人者だからです。まぁ、言ってみれば、錯視の問題みたいなもんです。同じ長さの線でも、<ーーー>となっているのと、>ーーー<となっているのでは長さが違って見えます。「同じ長さだ」と分かっていても、やっぱり違う長さにみえる。こういった問題は、視覚以外の分野でも起きているんじゃないかということです。

ダニーとエイモスはいろんな実験をします。例えば、高校生を2つのグループに分けて、

グループAには、8×7×6×5×4×3×2×1=? という問題、
グループBには、1×2×3×4×5×6×7×8=? という問題を出して、

5秒以内に答えを出すようにお願いします。5秒ですから、カンで答えるしかありません。

するとグループAの答えの平均は2250で、グループBの答えの平均は512でした。冷静に考えれば2つは全く同じ問題ですから、カンで出した答えの平均は同じになってもよさそうなものです。でも前者の方が圧倒的に大きな数字になってしまうのです。(本当の答えは40320ですが)

これはグループAの問題は最初に大きい数字が出てくるために高校生たちが「大きな数字」のイメージに引っ張られてしまい、グループBではそれとは逆の効果が出たということです。

また、別の実験では、

あるグループに「100人の人がいて、このうち70人がエンジニアで、30人が弁護士です。ここから1人を選んだとき、その人が弁護士である確率は何%でしょう」と尋ねると、尋ねられた方は「30%」と正しい答えを出します。

しかし同じ状況を提示したあとで、「選ばれた1人はディックという30歳の男性です。ディックは結婚はしていますが、子供はいません。能力が高くて意欲も高いです。きっと仕事で成功するだろうと期待されて、みんなから好かれています。さて、ディックが弁護士である確率は何%でしょう」と尋ねると、回答者の反応にばらつきが出ます。ディックに関する説明の部分には、彼が弁護士かエンジニアかを示す情報は一切含まれていないにも関わらずです。

つまり、人間は全く関係のない情報が加わることで、当たり前の確率の計算ができなくなってしまうということです。


こうした研究は、こんな奇妙な質問を投げかける実験にもつながります。

選択肢A:50%の確率で1000ドルがあたるくじ引き
選択肢B:確実に500ドルがもらえる

あなたはどちらを選びますか?


この場合、多くの人が選択肢Bを選ぶそうです。どちらの選択肢でも期待値は同じなわけですが、人間の心理には不確実な大きな喜びよりも、確実な中程度の喜びを選ぶ傾向があるということです。つまり、失敗するリスクを避けるわけです。

では、次の場合はどうか。

選択肢A:50%の確率で1000ドルを失うくじ引き
選択肢B:確実に500ドルを失う

あなたはどちらを選びますか?


この場合、多くの人が選択肢Aを選びました。どちらの選択肢でも期待値は同じなわけですが、この場合、人々は「リスクテイカー」となるわけです。


こうした人間の心理の不合理性を示す出来事は「面白いなぁ」だけの話じゃなくて、現実の世界にも大きな変化をもたらしています。例えば、

病気の患者に手術のリスクを説明するとき「90%の確率で生存できます」と説明すると、82%の患者が手術を受けることを決断するが、「10%の確率で死にます」と説明すると、54%の患者しか手術を決断しないそうです。同じデータを説明しているのに、患者の反応は全然違うということです。

あと、結腸ガンの検診の際、肛門から内視鏡を入れて腸内を診察するわけですが、これがなかなか不愉快なもので、一度検査を受けた患者が次の検査を受けたがらないという問題があるそうです。で、ある病院で実験が行われます。一つのグループには一定時間の診察が終わったら、すぐに内視鏡を引き抜く。もう一方のグループには、同じ時間の診察が終わった後、内視鏡を直腸のあたりまで引き抜いたところで3分間ストップさせます。この3分間は、検診をしている間よりは不快感が少ないけれど、やっぱり不快であることには変わりがないということです。で、術後に患者に尋ねたところ、次回の検査を受けてもよいとの回答は2番目のグループの方が多かった。2番目のグループは、トータルでの検査時間は1番目のグループよりも3分間長いのですが、それでも「最後の3分間の不快感が1番目のグループよりも少なかった」ので、次回の検査への抵抗感が薄れたのだということです。"Last impressions can be lasting impression"なんだそうです。

とまぁ、こんな風なわけで、2人が切り開いた新しい心理学の分野は、心理学以外の分野にも影響を与えていったわけです。

ところが、そのうち、2人の間に亀裂が入ります。2人の共同研究は高く評価されたのですが、どういうわけかエイモスの方の名声ばかりが高まっていったからです。

エイモスという人は、話をした人なら誰でもすぐに「この人、めちゃくちゃ頭いいなぁ」と気づかせてしまうような天才肌で、数学や統計についても詳しかった。自分の専門外の分野の学者と話をしていても、30分もすれば相手の学者のほうがびっくりしてしまうような深い洞察を披露したり、的確な疑問点を提示してみせたりできた人だったそうです。そんなエイモスにとって、ダニーはかけがえのない、一緒にいて最も心が安らぐ友人でした。2人の研究室には2人以外の誰も入れず、周囲の人間たちは外で2人の笑い声を聞くしかなかったそうです。

しかしダニーの方は、エイモスのそばにいると、自分がエイモスの陰に隠されてしまったような気分になるのです。そんなわけで、ダニーは次第にエイモスとの共同研究を敬遠するようになります。


そうしたなかダニーは独自の発想で、さまざまな人間の心理が引き起こす不合理な行動とその法則を見つけ出していきます。そのなかのひとつが、"rules of undoing"というものです。

例えば、

AさんとBさんは同じ時間に出発する2つの飛行機に乗る予定でした。2人は同じリムジンに乗って空港に向かいましたが、渋滞につかまってしまって、結局、飛行機の出発時間よりも30分遅れて空港に到着しました。

Aさんは空港でこう言われました。「あなたの飛行機は定刻通りに出発しました。あなたは30分、間に合いませんでした」
Bさんは空港でこう言われました。「あなたの飛行機は遅延が出たんです。でも5分前に出発しちゃいました」


こういう状況の下では、Bさんの方がAさんよりも不満に思う度合いが大きい。AさんとBさんは同じ行動をとって、どちらも飛行機に乗り遅れたにも関わらずです。

ダニーは、こうした不満の大きさは、「実現しなかった現実の望ましさ」と「実現しなかった現実の可能性」の関数として定義できると考えました。さっきの飛行機のケースでは、「実現しなかった現実の可能性」をみてみると、Bさんの方がAさんよりも大きかった。あと5分だけでも渋滞を早く抜けられていたら、Bさんは飛行機に乗れていた可能性があったからです。

さらにダニーは、「後悔」と「不満」と「嫉妬」についての違いも定義します。

「後悔」は実現しなかった現実への道筋が「ありえる場合」、「自分が別の行動をとればよかった」と思う感情。

「不満」は実現しなかった現実への道筋が「ありえる場合」、「周りの環境が異なっていれば良かったのに」と思う感情。

「嫉妬」は実現しなかった現実への道筋が「ありえなくても」、実現しなかった現実のイメージがありありと描ける状況で起きる感情。

という具合です。


そして、

「人は元に戻さねばならない現実が多ければ多いほど、現実を元の戻そうとは思わなくなる。地震で知人を失った人は、落雷で知人を失った人よりも、あの人が生きていれば良かったのにと思う度合いは少ない。地震がもたらす被害は広範囲なので、『もしも地震がなければ』と思うことが難しくなる」

「出来事が起きてから時間がたてばたつほど、別の現実もあったのではないかと思う度合いは小さくなる」

といったルールを導き出します。


さらに「日常から非日常への心理的な距離は、非日常から日常への心理的な距離よりも遠い」というルールも発見します。

例えば、

ある銀行員がある日、いつもと「同じ」道を通って通勤したら、赤信号を無視して突っ込んできたドラッグ中毒の若者が運転する車にはねられて死んだ場合と、
ある銀行員がある日、いつもと「違う」道を通って通勤したら、赤信号を無視して突っ込んできたドラッグ中毒の若者が運転する車にはねられて死んだ場合では、

前者の方では「いつもと違う道を通っていれば良かったのに!」とは思いにくい。いつもと同じ状況から、いつもと違う状況に発想を移すことは難しい。
後者の方では「いつもと同じ道を通っていれば良かったのに!」と思いやすい。いつもと違う状況から、いつもと同じ状況に発想を移すことは簡単。

ということです。


ダニーはこうした独自の発想についてエイモスとの共同研究は避けていましたが、アイデアについてはダニーに話していました。そしてあるとき、エイモスと一緒に出席した発表会の場で、ダニーはこうしたルールについて講演して、聴衆から大いに関心を集めました。すると、ある参加者がダニーとエイモスに向かって、「こんな発想は、お二人のどちらから生まれるんですか?」と尋ねました。ダニーとエイモスは2人の間の亀裂については公にしていなかったので、この参加者は2人の共同研究の成果なのだと思い込んだわけです。

するとエイモスが答えました。「私とダニーは、そういったことについては話さないことにしているのです」

この一言がダニーにとってはエイモスと決別する決定的なきっかけになったそうです。この発表内容はダニーのものです。そしてエイモスは、この参加者から、ダニーを称える発言をするチャンスを与えられたようなものです。ところがエイモスはこのチャンスを無視した。それがダニーには許せなかった。そしてダニーは別の研究者との共同研究として、論文"The Undoing Project"を発表します。

とまぁ、だいたいこんなことが書かれている本です。この他にも様々な研究結果に関する実例が出てきて面白いです。


2人の研究に関しては、経済学者から強い反発を受けたことにもページが割かれています。ダニーとエイモスに言わせれば、「人間の心理は合理的ではない誤った選択肢をとらせる。しかもその誤り方には法則性がある」というわけです。となると、「人間はシステマチックに間違う。だから市場だってシステマチックに間違っている」という結論になります。経済学は「人間は合理的に行動する」ということを前提にして発展してきたわけですから、そりゃ経済学者にすれば面白くない話です。

しかし2人の研究を受け入れるべきだと考える経済学者も出てきて、「行動経済学」という分野を開拓していきます。2人の研究成果のうち"Prospect Theory"は、今では経済学の分野で2番目に引用されることが多い論文だそうです。

こうした経済学への貢献が評価されて、ダニーは2002年にノーベル経済学賞を受賞します。しかし共同研究者だったエイモスは受賞できませんでした。1996年にガンのために亡くなっていたからです。エイモスは亡くなる前、毎日のようにダニーと話していたそうです。


多分、心理学のパートの部分だけの話を知りたいのなら、ダニー・カーネマン自身の著作を読んだ方がいいのかもしれません。それはそれで面白いことは間違いなさそうです。そこにダニーとエイモスの人間ドラマを付け加えたところが、この本のキモなのだと思います。ただ、時系列が結構ぐちゃぐちゃなので、ドラマを追いにくいところがあります。時系列でたどっていくと、いろいろと筋書き的に矛盾が生じるのかなと推察します。

このほか、2人の研究とイスラエル軍の関わりとか、イスラエルにおける中東での立場とか国民が共有している危機感の話とかがあって、これはこれで興味深いです。イスラエルの歴史っていうのも勉強してみたいですね。


この本は大統領選後に出版された本です。だから人間が非合理的な判断をシステマチックにしてしまうということと、ドナルド・トランプが当選したことを重ね合わせて読んでしまうところもあります。行動政治学なんていう分野があったりするんでしょうか?

"Bloody Mary"

"Bloody Mary"を読んだ。直前に読んだシカゴ市警を舞台にした小説"Whiskey Sour"の続編です。
期待にたがわず楽しめました。12月下旬に読了しています。


内容を本人の公式サイトから引用すると、

Start with a tough but vulnerable Chicago cop. Stir in a psychopath with an unique mental condition that programs him to kill. Add a hyperactive cat, an ailing mother, a jealous boyfriend, a high-maintenance ex-husband, and a partner in the throes of a mid-life crisis. Mix with equal parts humor and suspense, and enjoy Bloody Mary—the second novel in the funny, frightening world of Lieutenant Jacqueline "Jack" Daniels.

When Jack receives a report of an excess of body parts appearing at the Cook County Morgue, she hopes it's only a miscount. It's not. Even worse, these extra limbs seem to be accessorized with Jack's handcuffs.

Someone has plans for Jack. Very bad plans. Plans that involve everything and everyone that she cares about.

Jack must put her train wreck of a personal life on hold to catch an elusive, brilliant maniac—a maniac for whom getting caught is only the beginning...


この本の前書きに書いてあるのですが、大きな謎の判明が中盤で出てきます。「途中で謎が分かっちゃうわけだから、そこから先の展開は読めないでしょ?」という狙いだそうです。確かにほとんどのミステリは大きな謎を解くまでに至る経緯を楽しむわけですから、途中で謎が解けたら、そこから先の展開は読者には想像できません。あと、残酷な描写は控えめにしたそうです。


まぁ、この狙いがうまくいったかどうかは別にして、面白いストーリーでした。次作も読みます。