2018年3月31日土曜日

自己PR

No.32

料理の元祖を名乗っている店がある。

親子丼とかカツカレーとかハヤシライスとか、元祖と名乗られると、なんとなく美味しいような気がしてくる。「創業者の○○が大正○年に…」といったようなうんちくが店内で紹介されていたりすると、美味しい気分がプラスされる。多少値段が高くても許せる気になるものだ。

そう思って「元祖焼き鳥」という看板を掲げた店に入ったら、実に普通の焼き鳥屋だった。味はそれなりに美味しいが、店内にうんちくはない。そもそも、鳥肉を串に刺して焼くだけの料理なんだから、大昔からあったって不思議じゃないのに、「元祖」を名乗っているあたりが胡散臭い。店員の対応がやたらと遅いこともあって、どんどん不信感が高まる。普通の焼き鳥屋なら許せるような、ちょっとしたことでも気にさわる。

自己PRの看板が逆効果になるケースがあることをふまえ、謙虚に暮らしていこうと思う。


2005/8/8

眼鏡かぶり

No.31

電車のなかで、かっこいい眼鏡をかけている男の人が座席に座っているを見た。

金属のフレームが青っぽい色で、耳にかける部分が微妙な感じにうねっている。「おお、かっこいいな。こだわりがあるんだな」と思って、ふと、隣を見ると、隣に座ってる男性も、同じような眼鏡をしている。青っぽい金属のフレームで耳にかける部分が微妙な感じにうねっていた。

どちらもスーツ姿なのだが、服装や髪型にもちょっとしたこだわりがある。ひょっとしたら、ファッション関連の業種で働いているのではと思わせるようなたたずまいだ。でも、かけている眼鏡が隣とカブっている。せっかくのお洒落ムードも台無し。

その二人は座席に座ったまま寝ていた。もしもどちらかがこの状況に気付いたら、ちょっとうつむき気味になって、静かに席を立つのだと思う。


2005/8/5

かゆいところをかく

No.30

子供のころ、蚊に刺されたり、あせもになったりした場所をかいていると、親から「余計にかゆくなるからかくな」と怒られた。

なんとなく分かるような気もするが、よく考えれば、理不尽極まりない。「かゆくなるからかくな」というだけでは、今のかゆみに対する解決策はどうなる。「かくな」というのなら、かゆみを止めるための代案を示してもらいたい。

あと、咳をしていたら、「余計に咳がでるから、咳をするな」と言われたこともある。こちらはさらに理不尽。咳を止められるぐらいなら、最初から咳などしていない。

かゆい場所をかいている時、大人になって良かったと思う。


2005/8/5

カネの問題

No.29

背が低くて体が小さいので、ちょうどいいサイズの服が見つからない。

最近になって、SサイズとかXSといったサイズもよく見かけるようになったが、以前は少し大きめのサイズの服を着て、「仕方ない」と思っていることが多かった。どうせ仕方なく着る服なのだから、それほど真剣に選ぶこともない。着るものに大してこだわってこなかったのは、体が小さいことも理由のひとつだと思う。

と、思っていたら、先日、誰だったか体が小さいという人が、「子供のころから体が小さくて、いつもあつらえの服を着ていた。それで服装へのこだわりができた」という文章を書いているのを読んだ。

どうやらカネの問題らしい。


2005/8/3

クールビズ

No.28

クールビズに否定的な人と話したことがある。

お上がクールビズと言い出しただけでネクタイを外すのはよくない、とか、ネクタイを外しただけでお洒落になったような気になっているのはカッコ悪い、どうせやるなら、服装をトータルに見直さなければならない、というのが否定的な立場を取る理由らしい。

私は今年になってネクタイを外したクチだが、そんなことを言われても困る。暑いから「ネクタイを外したいな」と思っているところに、「ネクタイを外してもいい」というムードが盛り上がってきたから、便乗して外しただけだ。それに、ネクタイを外したから、お洒落になるわけじゃないという意見には賛成だが、だからといってネクタイをしていればお洒落だというわけでもあるまい、とも思う。どちらにしても大してお洒落じゃないのなら、暑くない分、ネクタイを外した方がましだ。

ただ、私は通勤途中にスーツの上着を着ていて、職場につくと上着を脱ぐ。職場ではまずウチワを使って、汗だくになった体を冷やすのが日課といってもいい。

自分でも何を考えているのか分からない。


2005/8/2

2018年3月13日火曜日

"The Shortest History Of Europe"

“THE SHORTEST HISTORY OF EUROPE”という本を読んだ。

John Hirstというオーストラリアの歴史学者が2009年に出した本です。ウィキペディアによると、9カ国語に翻訳されているとのこと。米国を離れたもので、ちょっと欧州のことでも勉強してみよう、そのためにはまずは歴史からということで、読んでみました。この本を選んだのは、アマゾンで星がたくさんついていたからです。

イントロダクションの冒頭が素晴らしいです。

If you like to skip to the end of a book to see what happens, you will enjoy this book. The endings start soon after it begins. It tells the history of Europe six times, each from a different angle.

読む気になります。つまり、科学の発展について古代から現代まで、宗教の広がりについて古代から現代まで、政治制度の発展について古代から現代まで、といった具合に、個別のテーマにそって歴史を簡潔に振り返っていきますよということです。

で、その前に、欧州の歴史や文化を形づくる重要な3つの要素についての説明や、おおざっぱな古代と近代と現代の区別についての説明がついています。

欧州の歴史や文化を形づくる重要な3つの要素というのは、古代ギリシャ・ローマの文化、キリスト教、ゲルマン民族の戦士たちです。

古代ギリシャ・ローマの文化は、論理を重ねていけばシンプルな答えがみつかるはずだという信念に基づいています。こうした思考法は現在に至るまで、科学の発展の礎になっています。アリストテレスやプラトン、ソクラテスといった哲学者が積み重ねた思考であるとか、アルキメデスやピタゴラスが生み出した数学の基礎となる考え方は、ローマ帝国のもとでも絶対的な教養として受け継がれていきました。

キリスト教は、その前にあったユダヤ教の一神教という形式を受け継ぎつつ、ユダヤ人以外でも入信できるスタイルをとりました。それにキリスト教というのは「隣人を愛せよ」「頬を打たれたら、反対側の頬を差し出せ」といった風に、基本的には平和的な宗教というのも特徴的です。ひとつの神のもとで人々が平和に暮らすことが理想だというわけで、欧州で多くの人に信じられるようになりました。

そしてゲルマン民族の戦士たちは、ローマ帝国を侵略します。で、面白いのは、ゲルマン民族は侵略して略奪することはしても、統治するという能力には欠けていたということ。このためローマ帝国後の欧州には中国のように巨大な帝国が生まれることはありませんでした。

欧州の歴史は、この3つの要素がからみあって、展開していきます。

最初のころ、ローマ帝国はキリスト教を弾圧します。ローマ皇帝は各国が帝国に従う限りは各国の自治に寛容でしたが、キリスト教徒は神にしか従いません。これがユダヤ教であればユダヤ人だけの話で済むわけですが、キリスト教は万人に対して開かれているので放っておくと、どんどん信者が広がっていくやっかいな存在です。

ところが313年、ローマ皇帝のコンスタンチンが自らキリスト教徒になるという、奇跡が起きます。キリスト教はローマ帝国の国教になりました。ローマ帝国の庇護のもとで、キリスト教は法王をトップとして各地の教区に司教や神父を配置するヒエラルキー型の統治システムを築きあげていきます。キリスト教のルールは結婚や相続といった生活上の問題にも適用されるようになり、さらにお布施のような形での徴税システムもつくられていきます。

で、このローマ帝国がゲルマン民族の進入を受けて分裂し、西ローマ帝国が滅びます。でもゲルマン民族は統治には関心がないですから、キリスト教の統治システムは生き残る。一方、ローマ帝国のもとで発展したキリスト教の統治システムは、古代ギリシャ・ローマの文化の影響も強く受けています。例えば、キリスト教の正当性を示すための説明は、古代ギリシャで発達した論理的な考え方に基づいてなされています。こうした古代ギリシャ・ローマの思考法は、キリスト教を通じて、ローマ帝国が滅んだ後も欧州に広がっていきます。

で、ゲルマン民族の戦士たちなんですが、自分たちの力では税金を集めることもできません。なので各地を侵略したゲルマン民族のリーダーたちは王となったうえで、侵略した土地を仲間たちに分け与えます。そのうえで、戦争の必要があれば、兵隊を出すことを約束させます。ゲルマン民族の戦士たちというのは、戦うことが好きで戦士であることに誇りを感じているけれど、それ以外のことはどうでもいいのです。こうした約束をした仲間たちは、分け与えられた土地を統治して、貴族になっていきます。彼らは土地を私有財産のように扱うようになり、王の統治を絶対的なものとは受け止めないようになっていきます。こうした「支配者の力は限定されるべきだ」というものの考え方は、欧州の政治文化のバックボーンとなりました。

そして当然ながら、ゲルマン民族の戦士たちはキリスト教徒になります。統治のためにはキリスト教のシステムに頼るしかないのです。平和的な宗教であるはずのキリスト教も少しずつ変質します。戦うことに誇りを感じるゲルマン民族の戦士たちは、キリスト教のもとで良い行いのために戦う騎士になり、異教徒から聖地を取り戻すため、騎士団がつくられたりします。騎士は弱い者、特に高貴な女性を守ることにも誇りを持ちます。これも欧州文化のひとつの要素として受け継がれていきます。

西ローマ帝国の滅亡(476年)から1400年ごろまでを中世というそうです。

まぁ、このあたりが第1章ですね。

こうしたバックグラウンドを頭に入れたうえで、この後に続く、ルネサンスとか宗教革命とか産業革命とかフランス革命とかロシア革命とか、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの流れとかについての説明を読んでいくと、「なるほど」と思わせられるという仕掛けの本です。いずれも簡潔に大変面白く書かれているのですが、それでもいちいち紹介していると大変な分量になるので割愛。

こうした内容は日本でも高校の世界史なんかで習ったりするのかもしれませんが、私には新鮮でした。ギリシャ・ローマの文化は絶対的な教養、ゲルマン民族は野蛮な人たち、キリスト教の権威というのは統治システムに基づいたもの、といったイメージも、この本を読まなければ持つことがなかったように思います。いちいち説明するまでもない常識なのかもしれません。

これからは個別のテーマについての本を読んでいきたいと思います。

2018年3月4日日曜日

耳が大きくない

No.27

動物園でゾウを見た。耳が大きくない。

せっかくテレビでゾウを見て「耳がでかい」とはしゃいでいたのに。結構ショックだ。どうやら、アフリカゾウの耳は大きいが、インドゾウの耳はそれほどでもないらしい。

ほかにも、トラだって、アムールトラとかベンガルトラとかの種類がある。ライオンだって、アフリカライオンとインドライオンがいるようだ。ちなみに、アムールトラはベンガルトラより大きい。インドライオンはアフリカライオンより小さく、たてがみも短い。ゾウとかトラとかライオンとか、ひとくくりにされがちなメジャーな動物にも差がある。きっとそれぞれにこだわりもあるのだろう。「アムールと一緒にすんじゃねぇよ」とか。

これからゾウの特徴を尋ねられることがあれば、「アフリカゾウ? それともインドゾウ?」と聞き返したい。


2005/8/1

男前

No.26

男前も大変だと思う。

男前だとやっぱり目立つし、普通にしていてもカッコつけてるように思われる。だらしない姿をしていると、それはそれでマイナスポイントとして目立つだろう。年を取って、ハゲたり太ったりしたら、「昔はカッコよかったのに」と残念がられる。本人としてはどうしようもないのに、勝手に評価が下がっていくのだ。

あと、男前にも色々ある。やや太めの眉毛がきりっと伸びていて、目も大きくて、鼻筋もシュッと通っているような、「昔の映画スター」的な顔は今どき流行らない。女性の場合より、男前の基準は大きく変化するような気がするだけに、男前の方々には、心よりお見舞い申し上げたい気持ちで一杯だ。

これからも世間の視線に負けずに頑張ってもらいたい。


2005/7/29

小銭を落とす

No.25

お釣りをもうらうとき、よく小銭を落とす。

落とさないようにと思って手を大きく開いたりすると、指の間から小銭が落ちる。店員さんは「あっ。すみません」などと謝ってくれるが、謝らなければならないのはこっちだ。心の中で「私が指の間を大きくあけていたばっかりに」と恐縮する。

小銭を落とすのは、なるべく早くスムーズに支払いを済ませたいと思って、すぐに手を引っ込める傾向があることが原因なような気がする。しかし、そんな「格好つけたい」という思惑の結果は、しゃがんで小銭を一枚一枚拾い上げるという格好悪い姿。

小銭を落としても無視して店を出るぐらいになれれば、本当に格好よくなれる気がする。


2005/7/28

ゾウの耳

No.24

テレビで見ていて思ったのだが、ゾウの耳はでかい。

ゾウのいえば、鼻の長さばかりが注目されがちだが、耳の大きさも半端じゃない。見れば見るほど大きな耳だ。なんだかテンションが上がってくる。

すごいぞ、すごいぞ。顔よりも大きな耳だ。しかも2枚もあって、パタパタしている。これは大発見ではないのか。「ゾウの耳はでかい」。

これからゾウの特徴を尋ねられることがあれば、「耳がでかい」と答えることにしたい。


2005/7/27

刑事コロンボ

No.23

時折、職場のどこからか流れる携帯電話の着メロが気になる。

どうやら「刑事コロンボ」のテーマ曲のようだ。ただ、着メロはすぐに止められてしまうので、確信はもてない。しかも私の背中側の席から流れてくるので、誰の携帯が鳴っているのかも分からない。昔の水曜ロードショーで刑事コロンボを放送するときに流れていたテーマ曲は、特徴のある音とメロディーなので間違いないとは思うのだが、絶対とは言い切れない。

刑事コロンボは大好きだ。もしもそんな着メロがあるのなら、私だって使いたい。それに、そんなシブい着メロを使っているのは一体誰なのかにも興味がある。

もしかしてすごい美人だったりして。その彼女とコロンボの話題でものすごく盛り上がったりしたらどうしよう。それがきっかけで仲良くなったりして、あんなことになったり、こんなことになったりしたらどうしよう。どうすればいいんだろう。確認したい。でも確認できない。もどかしくてたまらない。

仕方がないので、着メロが止められた後、自分で続きを小声で口ずさんだりしている。とびっきりの美人が話しかけたりしてくれないだろうか。


2005/7/26