2012年9月27日木曜日

なんなんだ尖閣

尖閣問題がよく分らないので、中国政府が9月25日に発表した「釣魚島は中国固有の領土である白書」というのを読んでみた。中国の基本的な立場をまとめたものらしい。

それによると、

1)釣魚島は中国固有の領土である
2)日本は釣魚島を窃取した
3)米日が釣魚島をひそかに授受したことは不法かつ無効である
4)釣魚島の主権に対する日本の主張にはまったく根拠がない
5)中国は釣魚島の主権を守るために断固として闘う

ということのようです。

それぞれのポイントを簡単に要約してみると、

1)釣魚島は中国固有の領土である
明代の1403年に完成した「順風相送」という本に釣魚島などの地名が記載されている。また1372~1866年にかけて明、清の朝廷が琉球王国に使節(冊封使)を派遣する際、釣魚島は中継地点として使われていた。1650年の琉球王国最初の正史「中山世鑑」には、「久米島が琉球王国の西端である」という趣旨の記述があり、釣魚島は琉球王国の領土に含まれていない。明代、清代の地図では釣魚島が海防範囲に組み入れられており、1871年の「重纂福建通史」は、釣魚島が台湾府クバラン庁(現・宜蘭県)に属していたとしている。また、日本で最も早く釣魚島について記述した1785年の「三国通覧図説」では、釣魚島は中国大陸と同じ色で表示されている。

2)日本は釣魚島を窃取した
日本は1879年に琉球を併呑して、沖縄県と改名。さらに甲午戦争(日清戦争)の最中である1895年1月に釣魚島を沖縄県の管轄下に編入した。しかし日本が釣魚島の調査を始めた1885年から95年の編入までの過程は秘密裏に行われており、釣魚島の主権に対する日本の主張は国際法に定められた効力をもたない。95年4月の馬関条約(下関条約)で「台湾と付属島嶼」が日本に割譲されたが、釣魚島はこの付属島嶼に含まれていた。

3)米日が釣魚島をひそかに授受したことは不法かつ無効である
1941年12月に中国政府は日本に宣戦布告し、43年12月の「カイロ宣言」で、日本が窃取した東北四省や台湾などを中華民国に返還すると定めた。45年7月のポツダム宣言は、「カイロ宣言の条件は必ず実施されなければならない」としている。日本はこのポツダム宣言は45年9月に受諾した。45年10月、台湾が中国政府に回復され、72年9月に中日共同声明で日本は台湾が中国の不可分の一部であることを理解し、尊重することに合意した。1951年9月に日本が米国と結んだサンフランシスコ講和条約では、米国が委任管理する南西諸島のなかに釣魚島は含まれていない。しかし琉球列島米国民政府は52年2月、53年12月に公布した68号令(琉球政府章典)と27号令(琉球列島の地理的境界に関する布告)で、釣魚島を管轄下に組み込んだ。71年6月、米国は日本と沖縄返還協定を結び、琉球諸島と釣魚島の施政権を日本に返還したが、これに対して中国は「釣魚島などの島嶼を返還地域に組み入れたことは全く不法なことだ」と指摘。台湾当局も断固たる反対の意を示した。71年11月、米国務省は声明で、中日双方の相反する領土権の主張においては、米国は中立的な立場をとることを表明した。

4)釣魚島の主権に対する日本の主張にはまったく根拠がない
日本は72年3月の「尖閣諸島の領有権についての基本見解」で、釣魚島は元々「無主地」であって、馬関条約で清国から割譲されたわけではなく、サンフランシスコ講和条約で南西諸島の一部として米国の施政下におかれ、沖縄返還協定で日本に返還されたとしている。また、中国はサンフランシスコ講和条約で米国の施政下に釣魚島が含まれていた事実になんら異議を唱えてこなかったとしている。しかし、これらは間違いだ。

5)中国は釣魚島の主権を守るために断固として闘う
中国は1951年8月、サンフランシスコ講話会議が開催される前に、「その内容と結果のいかんに関わらず、すべて不法であり、無効であるとみなす」との声明を発表している。71年の沖縄返還協定の採択に際しても、釣魚島は昔から中国の領土であるとの声明を出した。58年、中国は領海に関する声明を発表し、釣魚島が中国に属することを宣言。92年の「中華人民共和国領海および隣接区法」では、「台湾および釣魚島を含むその付属諸島」が中国の領土であると定めている。2000年代に入ってからも、主張を続けている。1970年代の中日国交正常化の際には、両国の先代の指導者たちは「釣魚島の問題を棚上げし、将来の解決にゆだねる」ことについて共通認識に達した。


ということなんだそうです。


つまり、中国は、

・釣魚島は14、15世紀ごろから中国の領土として認識され、使用されてきた
・それが1895年の馬関条約で日本に割譲された
・しかし1945年に日本がポツダム宣言を受諾したことで、馬関条約は無効となり、釣魚島は中国に返還されたはずだ
・51年のサンフランシスコ平和条約によって米国が委任管理した南西諸島のなかに釣魚島は含まれていなかった(釣魚島は中国に返還されているのだから、当然ということか?)
・琉球列島米国民政府は52~53年の布告で釣魚島を管轄下に組み込み、71年の沖縄返還協定で釣魚島も日本に返還したというが、中国は反対の意を示してきた。米国も領土問題に関しては中立であることを認めている

との主張のようです。


日本の主張はまた調べてみます。

3 件のコメント:

  1. 今日は。 良く調べられていますね。 参考にさせていただきました。 

    特に、福建通史は、New York TimesのNicolas Christof氏が、その記事の中で、尖閣については、中国の主張に理があると考える証拠として、何回も引用している資料ですね。

    http://kristof.blogs.nytimes.com/2013/01/05/chinas-new-leader-and-the-islands-dispute/

    色々調べてみると、日本もしっかり論理武装しないと、思った以上に議論が紛糾して、簡単にいかないのではないかと思い始めました。

    政府レベルは勿論ですが、国民レベルでも、きちんと理解しておきたいですね。

    返信削除
  2. >jp astreaさん
    コメントなんてめったにつかないもんで、チェックしていませんでした。レスが遅くなって申し訳ないです。

    福建通史みたいな19世紀の資料までさかのぼっちゃうと、何が本当か分からなくなっちゃう気がしますね。日本としては、中国は1970年代まで尖閣に対する領有権を明確に主張してこなかった、という点を追及するのが一番な気がします。

    Christof氏の主張もまた読んでみます。ありがとうございました。

    返信削除
  3. 長崎純心大學教員いしゐのぞむより投稿します。
    西暦19世紀どころか15世紀まで溯っても無主地ですよ。
    尖閣の西側に西暦千四百六十一年からチャイナ國境線が存在しました。
    詳細はlivedoorブログ「尖閣480年史」の諸リンクでどうぞ。
    http://senkaku.blog.jp/?p=2
    「三國通覽圖説」についてもご覽下さい。以下引用です。
    http://senkaku.blog.jp/archives/2258655.html
    臺灣と尖閣との色が異なってゐることに注目を要する。チャイナ主張を完全に否定し、尖閣が臺灣の附屬島嶼ではないと示す着色である。尖閣史の初心者は、ただ「尖閣と臺灣とは別の色」と記憶しておけば簡單である。チャイナ側はまづ「下關條約で臺灣の附屬島嶼だった」といふ公式主張を取り下げねば、本圖は意義をなさない。

    返信削除