No.2
出張で京都に行っていた先輩がお土産におはぎを買ってきてくれた。
その先輩は結構味にこだわるタイプで、そのおはぎはお気に入りの一品とのこと。
せっかくなので1個もらった。
ところが私はおはぎなどほとんど食べたことがなく、その美味しさが分からない。
先輩が何かコメントを欲しがっているのは分かるのだが、思いつく感想は
「やわらかいですね」ぐらいのもの。最後に「うまかったです」とだけ言ったものの、
本当は「中のおもちが小さすぎる。あんこばかりだ」と思っていた。
なんとなく流れる気まずい雰囲気。おはぎなんて買ってきた、あんたが悪いと言いたい。
こんなことを書いている間も先輩は隣で仕事をしている。ドキドキものだ。
2005/6/23
2018年1月19日金曜日
2017年9月26日火曜日
TOEFL(11回目)結果
TOEFL11回目の結果が出ました。
Reading29, Listening28, Speaking19, Writing24で、100点。一応、目標達成です。
今年6月に受験した前回(10回目)の点数は
Reading29, Listening30, Speaking17, Writing22で、98点でした。
受験時の手応えとしては、Rがダウン、Lがやや減、Sがアップ、Wがダウンで、100点はいかないという予想でした。結果としては、Rで踏みとどまり、Wが予想外にアップした結果、合計で100点を超えたという結果です。
Rは1問目が難しいと感じました。ただし2,3問目を早めに終わらせて、最後の10分ぐらいで1問目も見直しにあてたのがよかったと思います。確か、ひとつ解答を修正しました。
Lは前回が30点ですから、2回連続の満点は難しかった。ただ、リスニングのスキルは昔に比べて格段に上がっている気はします。
課題として取り組んだSは2点アップどまり。1カ月ちょっとのDMM英会話で「話し慣れ」しただけでは大幅な得点アップはならなかったという結果です。20点あれば嬉しかったけど。うちわけとしては、1,2問目がFiar。3,4問目もFair。5,6問目がLimitedです。DMM英会話でも感じていた、複雑な事柄を説明しようとすると、ちょっと自信がなくなるという感じの現れでしょうか。ただし、DMM英会話を続けているうちに、少しずついろんな構文を使って話せるようになってきた実感はありましたから、もうちょっと長い期間やっていれば、5,6問目もFairにできるような気はします。
Wはよく分かりません。2問目で「やっちまった」と思ったわけですが、実際はそうでもなかったのでしょうか。過去最高の24点です。1問目がGoodで、2問目がFairというのは前回と変わりません。ちなみに語数は300語ちょっとです。
2007年1月にアルクのヒアリングマラソンを始めてから(参照)、94点までは2年で到達。そこから100点まで上げるのに、8年以上の年数を要したことになります。ただし94点のときと今の状態を比べると、英語力は格段に上がっている気はしています。まぁ、それでも「英語が少しできます」というぐらいでしょうか。あと10年ぐらいすれば、「英語できます」と自信を持っていえるようになるかもしれません。ならないかもしれないけど。
ちなみに、
2010年6月に受験した9回目は、
Reading26, Listening27, Speaking15, Writing22 で、90点
2007年3月から2008年12月にかけて受験した8回目以前は、
8回目が Reading29, Listening27, Speaking17, Writing21 で、94点
7回目が Reading26, Listening24, Speaking19, Writing20 で、89点
6回目が Reading26, Listening26, Speaking15, Writing21 で、88点
5回目が Reading23, Listening26, Speaking15, Writing20 で、84点
4回目が Reading25, Listening21, Speaking15, Writing18 で、79点
3回目が Reading14, Listening19, Speaking17, Writing15 で、65点
2回目が Reading20, Listening21, Speaking13, Writing17 で、71点
1回目は Reading10, Listening18, Speaking10, Writing14 で、52点
でした。
Reading29, Listening28, Speaking19, Writing24で、100点。一応、目標達成です。
今年6月に受験した前回(10回目)の点数は
Reading29, Listening30, Speaking17, Writing22で、98点でした。
受験時の手応えとしては、Rがダウン、Lがやや減、Sがアップ、Wがダウンで、100点はいかないという予想でした。結果としては、Rで踏みとどまり、Wが予想外にアップした結果、合計で100点を超えたという結果です。
Rは1問目が難しいと感じました。ただし2,3問目を早めに終わらせて、最後の10分ぐらいで1問目も見直しにあてたのがよかったと思います。確か、ひとつ解答を修正しました。
Lは前回が30点ですから、2回連続の満点は難しかった。ただ、リスニングのスキルは昔に比べて格段に上がっている気はします。
課題として取り組んだSは2点アップどまり。1カ月ちょっとのDMM英会話で「話し慣れ」しただけでは大幅な得点アップはならなかったという結果です。20点あれば嬉しかったけど。うちわけとしては、1,2問目がFiar。3,4問目もFair。5,6問目がLimitedです。DMM英会話でも感じていた、複雑な事柄を説明しようとすると、ちょっと自信がなくなるという感じの現れでしょうか。ただし、DMM英会話を続けているうちに、少しずついろんな構文を使って話せるようになってきた実感はありましたから、もうちょっと長い期間やっていれば、5,6問目もFairにできるような気はします。
Wはよく分かりません。2問目で「やっちまった」と思ったわけですが、実際はそうでもなかったのでしょうか。過去最高の24点です。1問目がGoodで、2問目がFairというのは前回と変わりません。ちなみに語数は300語ちょっとです。
2007年1月にアルクのヒアリングマラソンを始めてから(参照)、94点までは2年で到達。そこから100点まで上げるのに、8年以上の年数を要したことになります。ただし94点のときと今の状態を比べると、英語力は格段に上がっている気はしています。まぁ、それでも「英語が少しできます」というぐらいでしょうか。あと10年ぐらいすれば、「英語できます」と自信を持っていえるようになるかもしれません。ならないかもしれないけど。
ちなみに、
2010年6月に受験した9回目は、
Reading26, Listening27, Speaking15, Writing22 で、90点
2007年3月から2008年12月にかけて受験した8回目以前は、
8回目が Reading29, Listening27, Speaking17, Writing21 で、94点
7回目が Reading26, Listening24, Speaking19, Writing20 で、89点
6回目が Reading26, Listening26, Speaking15, Writing21 で、88点
5回目が Reading23, Listening26, Speaking15, Writing20 で、84点
4回目が Reading25, Listening21, Speaking15, Writing18 で、79点
3回目が Reading14, Listening19, Speaking17, Writing15 で、65点
2回目が Reading20, Listening21, Speaking13, Writing17 で、71点
1回目は Reading10, Listening18, Speaking10, Writing14 で、52点
でした。
2017年9月19日火曜日
"Let's Pretend This Never Happened"
"Let's Pretend This Never Happened (A Mostly True Memoir)"という本を読んだ。Jenny Lawsonという女性ブロガーが2012年4月に出した本です。
J.A. Konrathの小説のユーモアが好きでもっと読んでみたいと思うのですが、この人の小説はユーモアかつグロなところがあるので、あんまり沢山読むものでもありません。そこで何かユーモアだけの本はないものかと思って、ファミリーガイで有名なSeth MacFarlanの小説を読んでみたりもしたのですが、なんかイマイチな感じでありました。そんなことを考えているころ、出張で出かけたとある地方空港の本屋さんで「読んだことがある本が置いてあるかなぁ」なんてぶらぶらしていたら、"Humor"をいうコーナーがあるのを見つけました。なるほど、"Humor"でひとつのジャンルになっているのか。
そんなわけでアマゾンで"Humor"と検索してみたら、一番上に出てきたのがこの本でした。4000件近くもレビューがついているので、よく売れた本なのでしょう。で、読んでみました。かなり面白かったです。
内容を説明するのは難しいので、第1章の冒頭部分をそのまま引用します。
Call me Ishmael. I won't answer to it, because it's not my name, but it's much more agreeable than most of the things I've been called. "Call me 'that-weird-chick-who-says-"fuck"-a-lot'" is probably more accurate, but "Ismael" seems classier, and it makes a way more respectable beginning than the sentence I'd originally written, which was about how I'd just run into my gynecologist at Starbucks and she totally looked right past me like she didn't even know me. And so I stood there wondering whether that's something she does on purpose to make her clients feel less uncomfortable, or whether she just genuinely didn't recognize me without my vagina. Either way, it's very disconcerting when people who've been inside your vagina don't acknowledge your existence. Also, I just want to clarify that I don't mean "without my vagina" like I didn't have it with me at the time. I just meant that I wasn't, you know... displaying it while I was at Starbucks. That's probably understood, but I thought I should clarify, since it's the first chapter and you don't know that much about me. it's like my American Express card. (In that I don't leave home without it. Not that I use it to buy stuff with.)
何を言っているんでしょうかね、この人は。
とまぁ、こんな風に、ついついおかしなことばかり考えてしまうローソンさんの妄想日記みたいな趣の本です。
なので、学ぶべきこととか、そういうものはありません。ただ、若い頃にLSDを使ったときのエピソードとかは面白かったです。
A guy I knew had a house on the outskirts of town and offered to host a small LSD party for me and several other people in our group who'd never done acid before either. So we called Travis and asked him to bring over enough acid for six of us that night. Travis arrived and told us the drugs were on their way, and about fifteen minutes later a pizza delivery car pulled up. The delivery guy came to the door with a mushroom pizza and an uncut sheet of acid. The delivery guy was in his late teens, about two feet shorter than me, and very, very white, but he did have a piercing and a pager (which was very impressive, because this was still back in the early nineties, although probably the pager was just used for pizza orders). His name was Jacob. Travis told me later that anyone could by acid from Jacob if they knew the "secret code" to use when you called the pizza place. At the time I thought it was probably something all cloak-and dagger, like "One pepperoni pizza, hold the crust," or "A large cheesy bread and the bird flies at midnight," but in reality it was probably just "And tell Jacob to bring some acid," because honestly neither of them was very imaginative.
Jacob sold Travis the acid for four dollars a hit, and then Travis turned around and sold it to us for five dollars a hit, which was awkward and also a poor profit margin. We each took a hit and Travis said that for another ten bucks he'd stay and babysit us to make sure we didn't cut our hand off. This wasn't something I was actually worried about at all until he mentioned it, but now that the thought was implanted in our heads I became convinced that we would all cut our hands off as soon as he left, so I handed him a ten. Travis cautioned us that if we thought the house cats next door were sending us threatening messages, they probably weren't. And he warned us not to stare at the sun because we'd go blind (which might have been great advice if it hadn't been ten o'clock at night). "Ride the beast... don't let the beast ride you," our wise sage advised us.
このあと、実際にLSDを使ってみて、なんだかんだとバタバタとした展開があります。
ローソンさんのことですから、全部が全部本当というわけじゃないと思いますけど、こんな感じの軽いトーンでドラッグパーティーが開かれるもんなんだなという点が興味深い。知り合いの知り合いみたいな距離感の交友関係から、ドラッグを使うことを目的としたパーティーを開くというお誘いがあって、ちょっと不安だななんて思いながらも、値段もそんなに高くないし、友達もやるっていうし、ちゃんとした「保護者役」もいてくれるというから、ちょっと使ってみようかっていうノリですね。
米国では薬物依存が大きな問題になっているわけですが、今の若者の間でもこんな雰囲気のパーティーが開かれているのだとすれば、好奇心の方が勝ってしまうというのも分からんでもないです。ローソンさんはことのきのLSDでみた幻覚から醒めた後で、幻覚中に自分がとった行動を知って、もうLSDはやらないと思ったそうです。だからまぁ実際の話、一度使えば絶対に後戻りできないというものでもないんじゃないかとも思います。もちろん「ダメ、絶対」ですけどね。最初のLSDの経験が良い記憶として残ってしまえば、常習化していくでしょうし、常習化すれば依存にもつながるのでしょう。でも、「ダメ、絶対」にも関わらず、「ダメ、絶対」になっていない事情の裏には、こんな雰囲気があるんだなということです。
いや「ダメ、絶対」ですからね。ダメですよ、本当に。
J.A. Konrathの小説のユーモアが好きでもっと読んでみたいと思うのですが、この人の小説はユーモアかつグロなところがあるので、あんまり沢山読むものでもありません。そこで何かユーモアだけの本はないものかと思って、ファミリーガイで有名なSeth MacFarlanの小説を読んでみたりもしたのですが、なんかイマイチな感じでありました。そんなことを考えているころ、出張で出かけたとある地方空港の本屋さんで「読んだことがある本が置いてあるかなぁ」なんてぶらぶらしていたら、"Humor"をいうコーナーがあるのを見つけました。なるほど、"Humor"でひとつのジャンルになっているのか。
そんなわけでアマゾンで"Humor"と検索してみたら、一番上に出てきたのがこの本でした。4000件近くもレビューがついているので、よく売れた本なのでしょう。で、読んでみました。かなり面白かったです。
内容を説明するのは難しいので、第1章の冒頭部分をそのまま引用します。
Call me Ishmael. I won't answer to it, because it's not my name, but it's much more agreeable than most of the things I've been called. "Call me 'that-weird-chick-who-says-"fuck"-a-lot'" is probably more accurate, but "Ismael" seems classier, and it makes a way more respectable beginning than the sentence I'd originally written, which was about how I'd just run into my gynecologist at Starbucks and she totally looked right past me like she didn't even know me. And so I stood there wondering whether that's something she does on purpose to make her clients feel less uncomfortable, or whether she just genuinely didn't recognize me without my vagina. Either way, it's very disconcerting when people who've been inside your vagina don't acknowledge your existence. Also, I just want to clarify that I don't mean "without my vagina" like I didn't have it with me at the time. I just meant that I wasn't, you know... displaying it while I was at Starbucks. That's probably understood, but I thought I should clarify, since it's the first chapter and you don't know that much about me. it's like my American Express card. (In that I don't leave home without it. Not that I use it to buy stuff with.)
何を言っているんでしょうかね、この人は。
とまぁ、こんな風に、ついついおかしなことばかり考えてしまうローソンさんの妄想日記みたいな趣の本です。
なので、学ぶべきこととか、そういうものはありません。ただ、若い頃にLSDを使ったときのエピソードとかは面白かったです。
A guy I knew had a house on the outskirts of town and offered to host a small LSD party for me and several other people in our group who'd never done acid before either. So we called Travis and asked him to bring over enough acid for six of us that night. Travis arrived and told us the drugs were on their way, and about fifteen minutes later a pizza delivery car pulled up. The delivery guy came to the door with a mushroom pizza and an uncut sheet of acid. The delivery guy was in his late teens, about two feet shorter than me, and very, very white, but he did have a piercing and a pager (which was very impressive, because this was still back in the early nineties, although probably the pager was just used for pizza orders). His name was Jacob. Travis told me later that anyone could by acid from Jacob if they knew the "secret code" to use when you called the pizza place. At the time I thought it was probably something all cloak-and dagger, like "One pepperoni pizza, hold the crust," or "A large cheesy bread and the bird flies at midnight," but in reality it was probably just "And tell Jacob to bring some acid," because honestly neither of them was very imaginative.
Jacob sold Travis the acid for four dollars a hit, and then Travis turned around and sold it to us for five dollars a hit, which was awkward and also a poor profit margin. We each took a hit and Travis said that for another ten bucks he'd stay and babysit us to make sure we didn't cut our hand off. This wasn't something I was actually worried about at all until he mentioned it, but now that the thought was implanted in our heads I became convinced that we would all cut our hands off as soon as he left, so I handed him a ten. Travis cautioned us that if we thought the house cats next door were sending us threatening messages, they probably weren't. And he warned us not to stare at the sun because we'd go blind (which might have been great advice if it hadn't been ten o'clock at night). "Ride the beast... don't let the beast ride you," our wise sage advised us.
このあと、実際にLSDを使ってみて、なんだかんだとバタバタとした展開があります。
ローソンさんのことですから、全部が全部本当というわけじゃないと思いますけど、こんな感じの軽いトーンでドラッグパーティーが開かれるもんなんだなという点が興味深い。知り合いの知り合いみたいな距離感の交友関係から、ドラッグを使うことを目的としたパーティーを開くというお誘いがあって、ちょっと不安だななんて思いながらも、値段もそんなに高くないし、友達もやるっていうし、ちゃんとした「保護者役」もいてくれるというから、ちょっと使ってみようかっていうノリですね。
米国では薬物依存が大きな問題になっているわけですが、今の若者の間でもこんな雰囲気のパーティーが開かれているのだとすれば、好奇心の方が勝ってしまうというのも分からんでもないです。ローソンさんはことのきのLSDでみた幻覚から醒めた後で、幻覚中に自分がとった行動を知って、もうLSDはやらないと思ったそうです。だからまぁ実際の話、一度使えば絶対に後戻りできないというものでもないんじゃないかとも思います。もちろん「ダメ、絶対」ですけどね。最初のLSDの経験が良い記憶として残ってしまえば、常習化していくでしょうし、常習化すれば依存にもつながるのでしょう。でも、「ダメ、絶対」にも関わらず、「ダメ、絶対」になっていない事情の裏には、こんな雰囲気があるんだなということです。
いや「ダメ、絶対」ですからね。ダメですよ、本当に。
2017年9月17日日曜日
TOEFL(11回目)受験
TOEFL11回目を受験してきました。
今年6月に受験した前回(10回目)の点数は
Reading29, Listening30, Speaking17, Writing22で、98点でした。
今回の手応えとしては「やっちまったなぁ」という感じです。
とりあえずReadingの1問目が難しいと感じた。得意種目でつまづいた形で、前回より1、2点は下がっているかも。
Listeningは前回とさほど変わらない手応え。でもまぁ前回が満点ですから、1点マイナスぐらいは覚悟せねば。
問題のSpeakingですが、6問中2問は回答の時間配分をミスして「タイムアップギリギリで回答を詰め込む」形になってしまいました。一応、この1カ月ちょっとDMM英会話に取り組んで「話し慣れ」はしたつもりなんですが、どこまで点が上がるかは分からない。前回のスコアを見直してみたところ、1,2問目がFair。3,4問目がLimited。5、6問目がLimitedでした。これがすべてのセクションでFiarになってくれていると嬉しいんですがね。
で、Writingなんですが、2問目の設問が「それとそれを比較するの?」っていうようなテーマで、回答の内容に自信が持てない。ここが一番「やっちまった」と感じているところなんですが、これは自分のスキルというよりは出題に振り回された感じがする。1問目はまぁ、できたと思います。前回は、1問目がGoodで、2問目がFair。今回も同じようなものじゃないでしょうか。でも点数的には下がっている予感がプンプンします。
トータルで考えると、Speaking以外で3,4点は下がっていると覚悟しています。それでも100点に到達しようと思えば、Speakingで5,6点上げなければならないわけですが、せいぜい3点アップぐらいが関の山じゃないかと。ということは最終的な点数は98点とか97点あたりで、残念ながらミッション達成ならずってことになります。
これほど結果が出るのが楽しみじゃないTOEFLも珍しい。
ちなみに、
2010年6月に受験した9回目は、
Reading26, Listening27, Speaking15, Writing22 で、90点
2007年3月から2008年12月にかけて受験した8回目以前は、
8回目が Reading29, Listening27, Speaking17, Writing21 で、94点
7回目が Reading26, Listening24, Speaking19, Writing20 で、89点
6回目が Reading26, Listening26, Speaking15, Writing21 で、88点
5回目が Reading23, Listening26, Speaking15, Writing20 で、84点
4回目が Reading25, Listening21, Speaking15, Writing18 で、79点
3回目が Reading14, Listening19, Speaking17, Writing15 で、65点
2回目が Reading20, Listening21, Speaking13, Writing17 で、71点
1回目は Reading10, Listening18, Speaking10, Writing14 で、52点
となっております。
今年6月に受験した前回(10回目)の点数は
Reading29, Listening30, Speaking17, Writing22で、98点でした。
今回の手応えとしては「やっちまったなぁ」という感じです。
とりあえずReadingの1問目が難しいと感じた。得意種目でつまづいた形で、前回より1、2点は下がっているかも。
Listeningは前回とさほど変わらない手応え。でもまぁ前回が満点ですから、1点マイナスぐらいは覚悟せねば。
問題のSpeakingですが、6問中2問は回答の時間配分をミスして「タイムアップギリギリで回答を詰め込む」形になってしまいました。一応、この1カ月ちょっとDMM英会話に取り組んで「話し慣れ」はしたつもりなんですが、どこまで点が上がるかは分からない。前回のスコアを見直してみたところ、1,2問目がFair。3,4問目がLimited。5、6問目がLimitedでした。これがすべてのセクションでFiarになってくれていると嬉しいんですがね。
で、Writingなんですが、2問目の設問が「それとそれを比較するの?」っていうようなテーマで、回答の内容に自信が持てない。ここが一番「やっちまった」と感じているところなんですが、これは自分のスキルというよりは出題に振り回された感じがする。1問目はまぁ、できたと思います。前回は、1問目がGoodで、2問目がFair。今回も同じようなものじゃないでしょうか。でも点数的には下がっている予感がプンプンします。
トータルで考えると、Speaking以外で3,4点は下がっていると覚悟しています。それでも100点に到達しようと思えば、Speakingで5,6点上げなければならないわけですが、せいぜい3点アップぐらいが関の山じゃないかと。ということは最終的な点数は98点とか97点あたりで、残念ながらミッション達成ならずってことになります。
これほど結果が出るのが楽しみじゃないTOEFLも珍しい。
ちなみに、
2010年6月に受験した9回目は、
Reading26, Listening27, Speaking15, Writing22 で、90点
2007年3月から2008年12月にかけて受験した8回目以前は、
8回目が Reading29, Listening27, Speaking17, Writing21 で、94点
7回目が Reading26, Listening24, Speaking19, Writing20 で、89点
6回目が Reading26, Listening26, Speaking15, Writing21 で、88点
5回目が Reading23, Listening26, Speaking15, Writing20 で、84点
4回目が Reading25, Listening21, Speaking15, Writing18 で、79点
3回目が Reading14, Listening19, Speaking17, Writing15 で、65点
2回目が Reading20, Listening21, Speaking13, Writing17 で、71点
1回目は Reading10, Listening18, Speaking10, Writing14 で、52点
となっております。
2017年8月30日水曜日
"The Curse of Cash"
"The Curse of Cash: How Large-Denomination Bills Aid Crime and Tax Evasion and Constrain Monetary Policy"という本を読んだ。2016年にハーバード大学のケネス・ロゴフ教授が出した、100ドルとか1万円みたいな高額紙幣がいかに犯罪や脱税に使われていて、金融政策の足かせにもなっているかということを解説した本です。タイトルそのまんまですね。
ロゴフ教授といえば、"This Time is Different"という国家の財政破綻の歴史について書いた本で有名になった人です。留学中にとった授業で教科書に指定されていたことと、その授業でBをとってしまったことが懐かしい。バーマン教授には心から御礼申し上げます。
で、この本でいわんとすることはさきほど書いた通りです。実際には高額紙幣がどのぐらい使われていて、それがどのぐらい犯罪や脱税に関わっているかなんていうことはオフィシャルな統計で示せるわけではないのですが、ロゴフ教授は入手可能なデータを駆使して、さらにそこに色んな仮定を重ねて、自説を補強していきます。現金がいかに闇経済で使われているかというのは、以前に読んだExorbitant Privilegeでも触れられていました。まぁ、具体的な規模は分かりませんが、そりゃそうだろうなという気はします。
あと、金融政策については、マイナス金利政策の効果が高額紙幣によって損なわれると主張します。中央銀行は景気を刺激するために金利を引き下げるわけですが、政策金利がゼロにまで到達してしまうと、そこから先は金利を引き下げることはできない。そこで量的緩和政策なんていうのが発案されたわけですが、それがどのぐらい景気を刺激する効果があったかどうかはよく分からないわけです。そこで、日本や欧州はマイナス金利を採用するようになりました。ところが中央銀行がマイナス金利をかけて景気を刺激しようとしても、預金者が銀行口座のお金を現金化してしまえば、そこにはマイナス金利の影響は及ばないわけです。だから、大きなお金の金額の現金化のツールである高額紙幣が金融政策のあしかせになっているといえるという主張です。
ロゴフ教授はここから、だから高額紙幣は廃止するべきだ。各種カードによる電子決済が普及している先進国だったら十分に可能だし、それで犯罪を抑え込み、金融政策の効果も大きくなるんだったら、いいことじゃないかと話を進めます。
こういう主張をすると、中央銀行の通貨発行益(シニョレッジ)が失われるからだめだとか、低所得者はカードなんて持っていないんだから困るだろうとか、犯罪者は高額紙幣が廃止されたって別の抜け道を見つけるだろうとか、マイナス金利みたいな銀行から強制的にお金を巻き上げるようなことをしていいのかとか、いろんな反論が出るそうです。で、ロゴフ教授は、そうした反論の有効性をひとつひとつ検証して、やっぱり高額紙幣廃止によるメリットの方が大きいですよね、と結論づけます。
まぁ、それだけの本です。ハーバードの教授が高額紙幣を廃止したらいいんじゃないのと思いついて、自説の正しさを証明するために反論を丁寧につぶしていく。ただ、個人的には高額紙幣廃止で犯罪が抑制できるんだからそれでいいじゃないかと思うんですが、別にそこまで説明してくれなくてもいいよっていう感じもします。「電子決済が普及しているんで、高額紙幣はなくてもいいですよね」って一言だけ言ってくれれば、みんなそれで納得するんじゃないか。
ただしシヨレッジについて丁寧に説明してくれるのはありがたかったです。中央銀行は通貨を発行することで利益を得られるっていうのはいろんなところで見聞きするんですが、具体的にはどういうことが行われているのかよく分からなかったからです。「何か物が欲しいときに印刷機を動かして好きなだけ紙幣を作っているの?」なんていう風にも思えるわけですが、実際には以下のような手順を踏んでいるそうです。
1.政府が収入以上にお金を使って、それを賄うために債券(debt)を発行する
2.中央銀行が市中からdebtを買い取る。この際、electric bank reserve (which are the electric equivalent of cash)を発行する
3.bank reserveに対して中央銀行が払う利息よりも、debtから得られる利息の方が大きいので中央銀行には長期的に利益が出る
2のところがミソなんでしょうけど、中央銀行は市中からdebtを買い取るときに売り手である銀行に現金を渡すわけじゃなくて、銀行の当座預金の残高の数字を変更するだけなわけですね。これが現代における通貨の発行だというわけです。で、いつでも引き出し可能な当座預金につく利息は、政府が発行した債券につく利息よりも小さい。だから3のところで中央銀行に利益が出る。これがいわゆるシニョレッジ(通貨発行益)というわけです。
だから、高額紙幣が廃止されて、印刷機を動かせなくなっても、中央銀行は利益を出すことができます。ロゴフ教授は"even if paper money revenue disappeared completely, the central bank would still earn money from electronic reserves"と明言しています。
ちなみにこの通貨発行益は中央銀行から政府に納められます。結局、政府は一切損をしていないようにも思ってしまいそうですが、実際には当座預金についた利息分は政府の負担が生じているのだと思います。ここは私の勝手な理解です。
また、ロゴフ氏は高額紙幣を廃止する際には、政府・中央銀行は債券を発行して高額紙幣を買い取らねばならない(it will have to issue ordinary interest-bearing debt to buy back the currency it is retiring)と書いています。
ここのところは直感的によく分からなかったのですが、多分、こういうことです。
1.「高額紙幣を廃止するぞ」とのお達しに従って、銀行が金庫に入っている大量の1万円札を中央銀行に持ち込む
2.中央銀行は銀行から受け取った金額を銀行の当座預金に電子的に記入する
3.でも、この受け取った大量の1万円札は無効になったただの紙切れだから、現金としてはもう使えない
4.だから、中央銀行の損失を埋めるために、政府は債券を発行して資金を調達せねばならない
どうでしょう。これで正しいんでしょうか?
とまぁ、こんなことをつらつらと説明している本です。
This time is differentのときは「そうか。やっぱり政府が負債を積み上げすぎるのは問題だな」という気がしましたが、今回は「知らんがな」という感は否めません。
ロゴフ教授といえば、"This Time is Different"という国家の財政破綻の歴史について書いた本で有名になった人です。留学中にとった授業で教科書に指定されていたことと、その授業でBをとってしまったことが懐かしい。バーマン教授には心から御礼申し上げます。
で、この本でいわんとすることはさきほど書いた通りです。実際には高額紙幣がどのぐらい使われていて、それがどのぐらい犯罪や脱税に関わっているかなんていうことはオフィシャルな統計で示せるわけではないのですが、ロゴフ教授は入手可能なデータを駆使して、さらにそこに色んな仮定を重ねて、自説を補強していきます。現金がいかに闇経済で使われているかというのは、以前に読んだExorbitant Privilegeでも触れられていました。まぁ、具体的な規模は分かりませんが、そりゃそうだろうなという気はします。
あと、金融政策については、マイナス金利政策の効果が高額紙幣によって損なわれると主張します。中央銀行は景気を刺激するために金利を引き下げるわけですが、政策金利がゼロにまで到達してしまうと、そこから先は金利を引き下げることはできない。そこで量的緩和政策なんていうのが発案されたわけですが、それがどのぐらい景気を刺激する効果があったかどうかはよく分からないわけです。そこで、日本や欧州はマイナス金利を採用するようになりました。ところが中央銀行がマイナス金利をかけて景気を刺激しようとしても、預金者が銀行口座のお金を現金化してしまえば、そこにはマイナス金利の影響は及ばないわけです。だから、大きなお金の金額の現金化のツールである高額紙幣が金融政策のあしかせになっているといえるという主張です。
ロゴフ教授はここから、だから高額紙幣は廃止するべきだ。各種カードによる電子決済が普及している先進国だったら十分に可能だし、それで犯罪を抑え込み、金融政策の効果も大きくなるんだったら、いいことじゃないかと話を進めます。
こういう主張をすると、中央銀行の通貨発行益(シニョレッジ)が失われるからだめだとか、低所得者はカードなんて持っていないんだから困るだろうとか、犯罪者は高額紙幣が廃止されたって別の抜け道を見つけるだろうとか、マイナス金利みたいな銀行から強制的にお金を巻き上げるようなことをしていいのかとか、いろんな反論が出るそうです。で、ロゴフ教授は、そうした反論の有効性をひとつひとつ検証して、やっぱり高額紙幣廃止によるメリットの方が大きいですよね、と結論づけます。
まぁ、それだけの本です。ハーバードの教授が高額紙幣を廃止したらいいんじゃないのと思いついて、自説の正しさを証明するために反論を丁寧につぶしていく。ただ、個人的には高額紙幣廃止で犯罪が抑制できるんだからそれでいいじゃないかと思うんですが、別にそこまで説明してくれなくてもいいよっていう感じもします。「電子決済が普及しているんで、高額紙幣はなくてもいいですよね」って一言だけ言ってくれれば、みんなそれで納得するんじゃないか。
ただしシヨレッジについて丁寧に説明してくれるのはありがたかったです。中央銀行は通貨を発行することで利益を得られるっていうのはいろんなところで見聞きするんですが、具体的にはどういうことが行われているのかよく分からなかったからです。「何か物が欲しいときに印刷機を動かして好きなだけ紙幣を作っているの?」なんていう風にも思えるわけですが、実際には以下のような手順を踏んでいるそうです。
1.政府が収入以上にお金を使って、それを賄うために債券(debt)を発行する
2.中央銀行が市中からdebtを買い取る。この際、electric bank reserve (which are the electric equivalent of cash)を発行する
3.bank reserveに対して中央銀行が払う利息よりも、debtから得られる利息の方が大きいので中央銀行には長期的に利益が出る
2のところがミソなんでしょうけど、中央銀行は市中からdebtを買い取るときに売り手である銀行に現金を渡すわけじゃなくて、銀行の当座預金の残高の数字を変更するだけなわけですね。これが現代における通貨の発行だというわけです。で、いつでも引き出し可能な当座預金につく利息は、政府が発行した債券につく利息よりも小さい。だから3のところで中央銀行に利益が出る。これがいわゆるシニョレッジ(通貨発行益)というわけです。
だから、高額紙幣が廃止されて、印刷機を動かせなくなっても、中央銀行は利益を出すことができます。ロゴフ教授は"even if paper money revenue disappeared completely, the central bank would still earn money from electronic reserves"と明言しています。
ちなみにこの通貨発行益は中央銀行から政府に納められます。結局、政府は一切損をしていないようにも思ってしまいそうですが、実際には当座預金についた利息分は政府の負担が生じているのだと思います。ここは私の勝手な理解です。
また、ロゴフ氏は高額紙幣を廃止する際には、政府・中央銀行は債券を発行して高額紙幣を買い取らねばならない(it will have to issue ordinary interest-bearing debt to buy back the currency it is retiring)と書いています。
ここのところは直感的によく分からなかったのですが、多分、こういうことです。
1.「高額紙幣を廃止するぞ」とのお達しに従って、銀行が金庫に入っている大量の1万円札を中央銀行に持ち込む
2.中央銀行は銀行から受け取った金額を銀行の当座預金に電子的に記入する
3.でも、この受け取った大量の1万円札は無効になったただの紙切れだから、現金としてはもう使えない
4.だから、中央銀行の損失を埋めるために、政府は債券を発行して資金を調達せねばならない
どうでしょう。これで正しいんでしょうか?
とまぁ、こんなことをつらつらと説明している本です。
This time is differentのときは「そうか。やっぱり政府が負債を積み上げすぎるのは問題だな」という気がしましたが、今回は「知らんがな」という感は否めません。
2017年8月17日木曜日
"The Healing of America"
"The Healing of America: A Global Quest for Better, Cheaper, and Fairer Health Care"という本を読んだ。T. R. Reidという、慢性的な肩の痛みを抱えるジャーナリストが世界各国の医者にかかりながら、各国の医療制度について探求し、米国の医療保険制度の問題点をあぶり出すという内容です。2010年8月出版。オバマケア関連法案成立して間もないころですね。
とても面白かった。American Sicknessよりも格段に読みやすい。米国医療がいかにしてダメになっていったかということはAmerican Sicknessでこれでもかと言わんばかりに書かれていたわけですが、こちらのThe Healing of Americaでは、他の国はどうしてダメになっていないのかということが書かれています。さらに、かつてはダメな制度だったのに改革に成功した、台湾とスイスのケースも紹介しています。なのでAmerican Sicknessよりも救いがあります。
書かれていることは単純。米国の医療制度をまともなものにするには、国民が「全員が医療保険に加入できるべきだ」という考え方で一致できるかどうかがキモだということです。世界の医療保険制度はいろんな仕組みがありますが、米国以外の先進国はすべてこの考え方に基づいています。
ところが米国ではこういう主張をすると、必ず「社会主義化された医療制度だ! ムダだらけで、革新も生まれない。国民の医療への選択肢も狭められる。自由を尊ぶ米国の理念に反する」という反発が出ます。そういった主張に、現在の医療保険制度で恩恵を受けている医療保険会社や医療機関、製薬会社が乗っかってロビー活動を展開するので、議会は動きがとれなくなります。オバマ大統領に上院60議席、下院過半数の議席を与えたって、問題は解決できなかったわけですからなかなか根深い問題です。
そこでリードさんは、こうした「社会主義化された医療制度だ!」という批判は的外れだと繰り返し説明します。
まず、他の先進国の医療制度は別に社会主義化されているわけではないという点です。
リードさんは先進国の医療制度を以下のように分類します。
ビスマルク型(ドイツ、日本など)=医療保険提供者が民間、医療サービス提供者も民間
ベバリッジ型(英国、北欧など)=医療保険提供者が国、医療サービス提供者も国
国民健康保険型(カナダ、韓国など)=医療保険提供者は国、医療サービス提供者は民間
まぁ、ベバレッジ型は国が全面的に関与していますから、バリバリの自由経済主義者からみれば「社会主義的」といえるかもしれません。でも英国を社会主義国だと思う人は多くはないです。あとビスマルク型や国民健康保険型は民間が関与していますから、社会主義ってわけじゃないですよね。
ただし、こうした民間が関与する仕組みでも規制はきついです。例えばビスマルク型として取り上げられている日本は、医療保険は主に企業別の医療保険組合が提供していて、医療サービスも民間がやっているわけですが、医薬品の価格なんかは政府がコントロールしているわけです。それは「すべての国民が医療保険に加入できるべきだ」との考え方から正当化されます。こうした厳しい規制のおかげで日本の医療費は国際的にみて安いですし、しかも患者は自由に医療機関を選べる。
ベバレッジ型は医療保険も医療サービスも国が主体です。そのおかげで患者は病院に行っても請求書を受け取ることはありません。それだったら患者が好きなだけ病院に行くことになって医療費が高騰しそうなものですが、「国はすべての人を保険でカバーするけれど、すべての医療行為をカバーするわけじゃない」という立場をとっているため、たいしたことのない病気であったりすれば病院にかかる前に行くことになる"general practitioner"のオフィスの段階で「病院に行かなくていいですよ。様子をみましょう」ということになる。また、すべての医療費は国民の税金で負担することになりますから、有権者や政治家も医療費の無駄遣いには敏感です。「94歳の女性への人工関節手術を認めるべきか」「50歳以上の男性すべてに前立腺がんの検査を認めるべきか」といった問題が、医学的なエビデンスの基づいて議論されたりします。
国民健康保険型も医療保険を国が提供するわけですから、どんな治療に対しても費用を払うというわけではないです。医療サービスは民間ですから、民間同士の競争がありますし、国がいくらでも医療費を払ってくれるわけじゃないので、コスト意識が働きます。
もちろん、それぞれの制度には問題点があります。日本なんかは「医療従事者の報酬が低い」なんていう問題点も指摘されます。ベバレッジ型の英国や北欧は米国に比べて税金が高いです。国民健康保険型のカナダなんかは、緊急性がない治療の場合は、受診までに数カ月~1年以上も待たねばならないという問題があります。
ただ、それだって米国の医療制度よりは格段にいいわけです。一人あたり医療費は安いし、健康を維持できる年齢も高い。どこの国だって「米国みたいにはなりたくない」と思っています。それなのに、どうして米国が現在の米国の医療制度にこだわる必要があるのかというわけです。
リードさんはさらに、米国内の「他の国の医療制度は自由を尊ぶ米国の理念に反する」という意見も的外れだとします。それは米国の医療制度のなかには、すでにこれらの仕組みが根を張っているからです。
例えば、高齢者向け公的医療保険のメディケアは国が医療費を負担して民間が医療サービスを提供していますから国民健康保険型です。退役軍人向けには専門の病院もありますから、これは医療保険も医療サービスも国が提供するベバリッジ型です。そのほかの企業が提供する医療保険に加入している米国人にとっては、ビスマルク型の医療保険制度が存在しているわけです。
ただ、米国には「全員が医療保険に加入できるべきだ」という理念がないために、どの制度からもこぼれてしまっている人たちがいます。メディケアに入れるほど年寄りではないし、低所得者向けのメディケイドに入れるほど所得が低いわけでもないし、医療保険を提供してくれる会社に勤めているわけでもないし、退役軍人でもないという人たちですね。この人たちは行き所がないです。利益目的の保険会社に高い保険料や高い自己負担額を強いられ、病院からも高い医療費を請求されて、生活を維持できなくなってしまうような人たちです。さらに医療保険を提供してくれる会社に勤めていたけど、病気で仕事を続けられなくなって退職したら、医療保険がなくなったなんていう事態も起きるわけです。
また、こうした医療保険制度のパッチワーク状態が余計なコストを生みます。オバマケアはこのパッチワークに拍車をかけました。
リードさんはこう書いています。
Facing an entrenched army of well-financed and powerful interests determined to preserve the status quo, Obama declared from the start that he would not seek to replace the existing health care system with a simpler, cheaper model. "We have to build on what we've got already," Obama said. The result was an enormously expensive and complicated piece of legislation ---the "Obamacare" bill runs to 2,400 pages of legalese ---that retains most of the structure of the U.S. system ....
もちろんリードさんはオバマケアが結果的に無保険者を大幅に減らすであろうことや、保険会社が病歴のある人の加入を断ることを禁じる制度を作ったことは高く評価しているわけですが、根本的な問題解決にはほど遠いということなんでしょう。
あと、リードさんは医療保険制度の抜本的な改革に成功した台湾やスイスの取り組みも詳しく取り上げています。どちらも、まず最初にリベラル側が「全員が医療保険に加入できるべきだ」と声を上げ、それを国民が熱狂的に支持し、保守側が人気とりのためにそれを受け入れたという展開だったようです。あと、どちらも経済が好調だったという背景もあるそうです。
米国では2016年に民主党の大統領候補指名争いで健闘したバーニー・サンダース上院議員が"single-payer"のシステムを目指しています。これは医療保険を国が提供するという意味です。オバマケアの失敗を踏まえたうえで、より抜本的な改革を実現させるということなのでしょう。
じゃあ、2020年の大統領選で79歳になったサンダース氏が当選。そのときには2018年の中間選挙と大統領選と同時に行われる議会選挙で、上下両院ともに民主党が過半数を握っていて、サンダース氏が訴える抜本的な医療保険制度改革をトランプ政権にこりた共和党も受け入れる。そんなシナリオはどうでしょうか。
どうでしょうか。米国人のみなさん。
とても面白かった。American Sicknessよりも格段に読みやすい。米国医療がいかにしてダメになっていったかということはAmerican Sicknessでこれでもかと言わんばかりに書かれていたわけですが、こちらのThe Healing of Americaでは、他の国はどうしてダメになっていないのかということが書かれています。さらに、かつてはダメな制度だったのに改革に成功した、台湾とスイスのケースも紹介しています。なのでAmerican Sicknessよりも救いがあります。
書かれていることは単純。米国の医療制度をまともなものにするには、国民が「全員が医療保険に加入できるべきだ」という考え方で一致できるかどうかがキモだということです。世界の医療保険制度はいろんな仕組みがありますが、米国以外の先進国はすべてこの考え方に基づいています。
ところが米国ではこういう主張をすると、必ず「社会主義化された医療制度だ! ムダだらけで、革新も生まれない。国民の医療への選択肢も狭められる。自由を尊ぶ米国の理念に反する」という反発が出ます。そういった主張に、現在の医療保険制度で恩恵を受けている医療保険会社や医療機関、製薬会社が乗っかってロビー活動を展開するので、議会は動きがとれなくなります。オバマ大統領に上院60議席、下院過半数の議席を与えたって、問題は解決できなかったわけですからなかなか根深い問題です。
そこでリードさんは、こうした「社会主義化された医療制度だ!」という批判は的外れだと繰り返し説明します。
まず、他の先進国の医療制度は別に社会主義化されているわけではないという点です。
リードさんは先進国の医療制度を以下のように分類します。
ビスマルク型(ドイツ、日本など)=医療保険提供者が民間、医療サービス提供者も民間
ベバリッジ型(英国、北欧など)=医療保険提供者が国、医療サービス提供者も国
国民健康保険型(カナダ、韓国など)=医療保険提供者は国、医療サービス提供者は民間
まぁ、ベバレッジ型は国が全面的に関与していますから、バリバリの自由経済主義者からみれば「社会主義的」といえるかもしれません。でも英国を社会主義国だと思う人は多くはないです。あとビスマルク型や国民健康保険型は民間が関与していますから、社会主義ってわけじゃないですよね。
ただし、こうした民間が関与する仕組みでも規制はきついです。例えばビスマルク型として取り上げられている日本は、医療保険は主に企業別の医療保険組合が提供していて、医療サービスも民間がやっているわけですが、医薬品の価格なんかは政府がコントロールしているわけです。それは「すべての国民が医療保険に加入できるべきだ」との考え方から正当化されます。こうした厳しい規制のおかげで日本の医療費は国際的にみて安いですし、しかも患者は自由に医療機関を選べる。
ベバレッジ型は医療保険も医療サービスも国が主体です。そのおかげで患者は病院に行っても請求書を受け取ることはありません。それだったら患者が好きなだけ病院に行くことになって医療費が高騰しそうなものですが、「国はすべての人を保険でカバーするけれど、すべての医療行為をカバーするわけじゃない」という立場をとっているため、たいしたことのない病気であったりすれば病院にかかる前に行くことになる"general practitioner"のオフィスの段階で「病院に行かなくていいですよ。様子をみましょう」ということになる。また、すべての医療費は国民の税金で負担することになりますから、有権者や政治家も医療費の無駄遣いには敏感です。「94歳の女性への人工関節手術を認めるべきか」「50歳以上の男性すべてに前立腺がんの検査を認めるべきか」といった問題が、医学的なエビデンスの基づいて議論されたりします。
国民健康保険型も医療保険を国が提供するわけですから、どんな治療に対しても費用を払うというわけではないです。医療サービスは民間ですから、民間同士の競争がありますし、国がいくらでも医療費を払ってくれるわけじゃないので、コスト意識が働きます。
もちろん、それぞれの制度には問題点があります。日本なんかは「医療従事者の報酬が低い」なんていう問題点も指摘されます。ベバレッジ型の英国や北欧は米国に比べて税金が高いです。国民健康保険型のカナダなんかは、緊急性がない治療の場合は、受診までに数カ月~1年以上も待たねばならないという問題があります。
ただ、それだって米国の医療制度よりは格段にいいわけです。一人あたり医療費は安いし、健康を維持できる年齢も高い。どこの国だって「米国みたいにはなりたくない」と思っています。それなのに、どうして米国が現在の米国の医療制度にこだわる必要があるのかというわけです。
リードさんはさらに、米国内の「他の国の医療制度は自由を尊ぶ米国の理念に反する」という意見も的外れだとします。それは米国の医療制度のなかには、すでにこれらの仕組みが根を張っているからです。
例えば、高齢者向け公的医療保険のメディケアは国が医療費を負担して民間が医療サービスを提供していますから国民健康保険型です。退役軍人向けには専門の病院もありますから、これは医療保険も医療サービスも国が提供するベバリッジ型です。そのほかの企業が提供する医療保険に加入している米国人にとっては、ビスマルク型の医療保険制度が存在しているわけです。
ただ、米国には「全員が医療保険に加入できるべきだ」という理念がないために、どの制度からもこぼれてしまっている人たちがいます。メディケアに入れるほど年寄りではないし、低所得者向けのメディケイドに入れるほど所得が低いわけでもないし、医療保険を提供してくれる会社に勤めているわけでもないし、退役軍人でもないという人たちですね。この人たちは行き所がないです。利益目的の保険会社に高い保険料や高い自己負担額を強いられ、病院からも高い医療費を請求されて、生活を維持できなくなってしまうような人たちです。さらに医療保険を提供してくれる会社に勤めていたけど、病気で仕事を続けられなくなって退職したら、医療保険がなくなったなんていう事態も起きるわけです。
また、こうした医療保険制度のパッチワーク状態が余計なコストを生みます。オバマケアはこのパッチワークに拍車をかけました。
リードさんはこう書いています。
Facing an entrenched army of well-financed and powerful interests determined to preserve the status quo, Obama declared from the start that he would not seek to replace the existing health care system with a simpler, cheaper model. "We have to build on what we've got already," Obama said. The result was an enormously expensive and complicated piece of legislation ---the "Obamacare" bill runs to 2,400 pages of legalese ---that retains most of the structure of the U.S. system ....
もちろんリードさんはオバマケアが結果的に無保険者を大幅に減らすであろうことや、保険会社が病歴のある人の加入を断ることを禁じる制度を作ったことは高く評価しているわけですが、根本的な問題解決にはほど遠いということなんでしょう。
あと、リードさんは医療保険制度の抜本的な改革に成功した台湾やスイスの取り組みも詳しく取り上げています。どちらも、まず最初にリベラル側が「全員が医療保険に加入できるべきだ」と声を上げ、それを国民が熱狂的に支持し、保守側が人気とりのためにそれを受け入れたという展開だったようです。あと、どちらも経済が好調だったという背景もあるそうです。
米国では2016年に民主党の大統領候補指名争いで健闘したバーニー・サンダース上院議員が"single-payer"のシステムを目指しています。これは医療保険を国が提供するという意味です。オバマケアの失敗を踏まえたうえで、より抜本的な改革を実現させるということなのでしょう。
じゃあ、2020年の大統領選で79歳になったサンダース氏が当選。そのときには2018年の中間選挙と大統領選と同時に行われる議会選挙で、上下両院ともに民主党が過半数を握っていて、サンダース氏が訴える抜本的な医療保険制度改革をトランプ政権にこりた共和党も受け入れる。そんなシナリオはどうでしょうか。
どうでしょうか。米国人のみなさん。
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