2011年12月21日水曜日

The Life of Lazarillo de Tormes and of His Fortunes and Adversities


"The Life of Lazarillo de Tormes and of His Fortunes and Adversities"を読み終わりました。以前、スペイン人のAさんが来日した際、「スペインにはピカレスクという言葉があって、面白い本があるから教えてやる」と言われたのですが、その後、帰国したAさんから送られてきた本です。メッセージには「日本文化からすれば奇妙に思えるかもしれないけれど、この本はスペイン(あとラテンアメリカ)の文化を理解するのに役立つよ」と書かれていた。ためになったです。

この本は1554年にスペインで発行されたもので、それの英語訳です。原本はところどころページが抜け落ちているそうで、この英語訳でも抜け落ちたページは白紙になっています。

ラサリーリョという貧乏な少年が、いろんなご主人様に仕えて生活の糧を得ていくというのがあらすじ。で、どのあたりがスペイン文化かというと、ラサリーリョはとても「ずる賢い」。例えば、盲目のご主人が持っているワインを勝手に飲んだり、別のご主人が箱の中にしまっているパンを食い散らかして、ネズミの仕業にしたりといった具合。あと、免罪符売りのご主人様が相棒とグルになった大芝居の結果、免罪符をバンバン売ってしまう様子を見て、大いに感心したりする。ラサリーリョ少年は悪意があって嘘をつくというわけではなくて、生きていくためには嘘も必要といった感じなので、それほど不道徳な感じの話ではないですが、カトリック教会が発売禁止処分にしたこともあったようです。

で、面白いのは最後のエピソード。少しお金持ちになったラサリーリョはあるご主人様の紹介で女性と結婚するのですが、その女性は実はそのご主人様との間に子供がいた。つまり人を騙してお金持ちになったラサリーリョが最後は騙されてしまうわけです。でも、ラサリーリョは怒ったりしない。「今、僕は彼女のことを愛しているんだから、いいじゃないか」というわけです。この後もラサリーリョと奥さんとご主人様の3人は良好な関係維持したということで話が終わります。

これがAさんの言うスペイン文化のエッセンスなんですかね。一言でいうと「嘘もあり」。生きていくためには嘘をつかなければならないときもある。だから嘘をつかれたときでも相手を許してやる。そういえば、ラサリーリョに騙された人たちはラサリーリョを追い出したりはするけれど、決して「非道徳的だ」とか「罰を与えろ」とかは言ったりしていないんです。ラサリーリョは人に決定的な危害を与えるような嘘はついていませんしね。

そうなると、Aさんが話していた「駅員のいないところでは電車賃を払わない」「太陽光発電の買い取り制度で発電量を水増しする」なんていうのも、許容範囲の嘘なのかもしれません。別に誰かを傷つけようってわけじゃないですから。日本にもずる賢い主人公が成功する話ってのはありますけど、やっぱり基本線は「誰も気づいていなくても、お天道様がみていらっしゃる」っていうところです。

まぁ、そう考えるとラテン系の人たちが時間とか約束にルーズなのも許せるかな。国家的なデフォルトってのは問題ですけど。

0 件のコメント:

コメントを投稿