2012年10月1日月曜日

1993年07月11日(3日目) ウラジオストク

1993年07月11日(3日目) 曇り、晴れとみせかけて雨

なんだか知らんが、今日は疲れた。まず朝、あのモジャオが向かいのコンパートメントであったことに気づく。話が筒抜けだったのではという話もあったが、結局無視してしゃべり続ける。

ウラジオに着くと、上陸までに2時間程待ったのでは? やはり入国手続きに時間をかけるのかと思っていると、一発で終わる。さて、いよいよウラジオ観光と思っていると、両替をする場所が見つからない。困っているうちん、1ドル700ルーブルという現地人が現れ、そのレートで手をうつ。このときJはちょとだけしか両替しなかった。レートが気に入らなかったらしい。

次に手荷物をあずけることにしたのだが、いくらかかるのか、何時まで引き取りができるのか、全くわからない。しかし、ここはさすが旅慣れたJである。ペンと言葉を巧みに用いて情報を仕入れ、無事に預けることができた。

ウラジオの街に出ると小雨。この悪天候の中、展望台にのぼり、雨にけむったウラジオベイを見下ろす。情緒がないこともない。雑多な船の甲板がいとをかし。

それから博物館の前にゆくと、物売りの少年が寄ってくる。私はレーニンのバッヂと絵はがきを買ったのだが、Nの買ったマカロフバッヂがうらやましい。その後、Sの強い主張でウラジオホテルでリッチなランチ。ウェイトレスのお姉ちゃんは親切で、我々にとても評判が良かった。

しかしそれよりも、ここでは謎の日本人、カメ田とアレックスがいたのである。カメ田はモスクワに自費留学している人で、ロシア語が上手い。アレックスは正に謎。何を考えているのか私にはわからない。最初は物売りかと思ったが、そうでもなく、ボートに乗ろうと言ったり、泳ぎだしたり、わけがわからない。親切なのは結構なのだが、行動の主導権を握り、時に友人とわけのわからん事を話したりするので、私はあまり快く思っていなかった。2時間ほど一緒にいたのだろうか、ついに我々はウラジオ駅でアレックスを振り切り、再び4人での行動に戻った。

まず念願のシベリア鉄道に備えるための買出しである。あっさりジャイケンで負けた私とNがが買いに行くことになった。しかし実際は私は荷物持ち程度で、交渉はほとんどNがやった。私などはロシア語で数も数えられないのである。旅行前の不勉強を深く恥じる。

でもなんとかパンも買え、ひたすら鉄道の時間を待つ。8時から12時半までの長丁場であったが、Sの下ネタ作戦や地べたに座りむ同化作戦でなんとかしのぐ。

私とNで列車を捜し(これも実際はNだけの活動である)、列車に乗り込むが、この列車がまた、狭い、暑い、きたないと三拍子そろったうえに、縦横の激しい揺れ、更にはシーツが濡れているという条件である。みんな怒りでテンションが高くなるが、疲れのせいか皆、寝つきが早い。今、起きているのは私だけか?

そうそう、Jがルーブルを手に入れるとき、トリックにひっかかり、30ドルを2ドルにして返されてしまった。あの旅人でマジシャンのJでさえトリックにひっかかるのである。恐るべきロシア人。私などトリックにひかっかっても気づいてないだけかもしれない。

この列車の揺れの中、書くのはしんどい。もう便所に行ってねる。


★天気のところの「みせかけて雨」というのは、愛読していた「がんばれタブチくん」に出てくるクワタのキャラクターを意識したものです。

★「雨にけむったウラジオベイ」というのは、アルフィーの曲「ふたりのGraduation」に出てくる「雨にけむる TOKYO-BAY」という歌詞を意識したものですが、別にアルフィーのファンというわけではないです。

★いろいろと分かりにくいところの多い文章ですが、おつきあい頂ければ幸いです。

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