1993年07月09日(初日) 晴れのち曇、夜には小雨
伏木まではひどく暑い。出国手続きする人も、手続きを待っている人も、船の中の人も皆、不慣れである。アントニーナなんたら号の甲板に、阪神の帽子を被った謎の美女を発見。我々の話題の中心となるが、MUSIC HALLで話しかけてきたのは、伏木で会った一瞬遠目にはみゆきちゃん似かと思ったが、実際にはそうでもなかったピンクのリュックの女性であった。
この船にはMUSIC HALLなるものがあって、夜毎宴が繰り広げられているらしい。この船には酒の入ったおっちゃんが多く、我々の部屋のトイレを借りて、我々を困らせる者も現れる。海外旅行では現地人より、日本人に気をつけた方がよいようだ。まぁ、我々も似たようなものかもしれないが。
あと書くことといえば、Jがよく寝る。しかも寝起きはよくない。また、船中の食事は質、量ともにまずまず。ただし、パンはカスカスであまりうまくない。シベリア鉄道内でもこんな感じのパンを食うことになるのだろうか。少し不安であるが、まぁ、旅とはこんなものであろう。何でも食べなければ世界には出れないと、宇治の木幡から来たという内装屋のおっちゃんも言っていた。
このおっちゃんによると、我々は30歳まで頑張れば楽な暮らしができるそーだ。一理あるようだが、別に楽な暮らしをするために生きているのではないと考えるのは、若さゆえであろうか。
あと、私はロシア語の会話が全く覚えることができない。完璧に覚えたのはスパシーバぐらいで、これも明日になれば覚えているかどーか疑わしい。ズトラストヴィーチェ(?)やスパコーイナイノーチやオーチェニ・フクスーナは極めて怪しい。
最後に例の阪神美女はアイヌ系と噂されるヒゲオヤジと、ロシアの人らしいオカンが一緒にいる。
夜になって船の揺れが激しく、Nが苦しそうである。にもかかわらず、隣の部屋のロシア人グループは日本オヤジに負けず騒々しい。最初のうちは許せたが、ちょっぴり腹をたてつつある自分がいる。あー、揺れが激しい。これ以上書くと、Nの二の舞である。では、スパコーイナイノーチ。
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