2012年11月16日金曜日

ガザとハマスとイスラエル

イスラエルがパレスチナ自治区のガザ地区に攻撃を加えています。なんだかよくわからないので調べておいた。大きな流れは外務省のサイトから。

ガザ地区は1993年9月に調印されたオスロ合意で、ヨルダン川西岸地区とともにパレスチナ自治政府の管轄化におかれた地域です。この合意は、イスラエルとパレスチナがお互いを承認したうえで、5年以内にヨルダン川西岸地区とガザ地区に暫定的なパレスチナ自治政府と評議会(elected Council)を設立することが目的です。1994年5月にはカイロ協定が結ばれて、暫定自治期間は1999年5月までであることを確定。1996年1月に両地区でパレスチナ自治政府長官選挙が行われた。しかしこの年の6月にイスラエルでリクードのネタニヤフ政権が発足すると、イスラエル軍の撤退は遅れがちになって、結局、暫定自治期間が終わってしまう。

1999年5月にイスラエルで労働党のバラク政権が発足して和平プロセスが前進するかに思えたが、リクードのシャロン党首がイスラム教の聖地でもあるエルサレムの神殿の丘を訪問したことをきっかけに、イスラエルとパレスチナの間に大規模な衝突が起こった。このときシャロンを警備するために数百人の武装警官が配備されており、それに対して一部のパレスチナ人が石を投げたことがきっかけだったらしい。(参照、NYT) 2001年にそのシャロンが首相になると、イスラエルとパレスチナの紛争は激化。2002年にはイスラエルがパレスチナ過激派の侵入を阻止するために西岸地区を取り囲むように壁を作ることを決めた。

2004年に死亡したアラファト・パレスチナ自治政府長官の後を継いだマフムード・アッバースは、2005年1月にパレスチナ自治政府の大統領に就任し、和平実現に向けて動き出す。この年の2月には、エジプトのムバラク大統領、ヨルダンのアブドラ国王、パレスチナ自治政府のアッバース大統領、イスラエルのシャロン首相による首脳会談で軍事活動の停止が合意され、9月にはイスラエル軍がガザから撤退した。

しかし2006年1月のパレスチナ立法評議会選挙では、イスラエルへの武力闘争継続を掲げるハマスが多数を占め、ハニーヤ首相が就任。ガザ地区でイスラエル兵士が拉致される事件が起きた。イスラエルのオメルト政権はこれを機にガザ地区に侵攻。さらにパレスチナ内部でもファタハとハマスの抗争が激しくなり、2007年3月にアッバース大統領主導でハマスのハニーヤ首相による非ハマス系の閣僚を登用した挙国一致内閣が発足するが、6月にはハマスがガザ地区を武力で制圧。アッバース大統領はハニーヤ首相を罷免して、ファイヤード首相が任命された。


で、そんなハマス主導のガザ地区とイスラエルの間ではずっと争いが続いていた。2008年12月から翌年1月には、ハマスによるロケット弾攻撃への報復としてイスラエルが空爆、地上侵攻を実施。1400人のパレスチナ人が死んだ。イスラエルでは2009年、リクードのネタニヤフ氏が首相として連立政権を運営しています。

今回、イスラエルによるピンポイント爆撃で死亡したハマス軍事部門最高幹部のジャバリ氏は、対イスラエル攻撃をとりしきっていた人で、2006年のイスラエル兵士拉致事件も主導したらしい。今年だけでもガザからイスラエル南部には750ものロケット弾が打ち込まれていたそうで、選挙を前にしたネタニヤフ首相は強硬姿勢をみせる必要があったという分析がなされています。(参照、NYT)

イスラエルにもパレスチナにも和平を実現したい人は決して少なくないみたいですが、「徹底的に戦いたい」と思っているらしい人たちもいるもんだから、いつまでたっても紛争は終わらないという感じでしょうか。2005年9月のイスラエル軍のガザ撤退で、丸く収まればよかったのに、ハマスみたいな人たちが出てくるんですよね。ハマスにはハマスの理屈があるのかもしれませんけど。あと、みんな武器を持ってるんだよな。

ところで西岸地区は平和なんですかね。何かあったら調べておきます。


写真はイスラエル軍の攻撃を受けるガザ地区。

0 件のコメント:

コメントを投稿