2012年12月30日日曜日

fiscal cliff 協議は続く

28日(金)のfiscal cliff(財政の崖)に関する協議後、オバマ大統領が声明を出しています。民主・共和両党の協議は最後まで続くし、合意は可能だと強調する内容ですが、一方で、協議が合意に至らなかった場合、民主党のリードSenate Majority Leaderに対して、中間層に対する増税の回避、求職中の200万人に対する失業保険の延長、将来的な協調を目指した協議の継続を目的とした法案を提出するように求めるとも述べて、予防線を張っています。

I just had a good and constructive discussion here at the White House with Senate and House leadership about how to prevent this tax hike on the middle class, and I’m optimistic we may still be able to reach an agreement that can pass both houses in time. Senators Reid and McConnell are working on such an agreement as we speak.

But if an agreement isn’t reached in time between Senator Reid and Senator McConnell, then I will urge Senator Reid to bring to the floor a basic package for an up-or-down vote –- one that protects the middle class from an income tax hike, extends the vital lifeline of unemployment insurance to two million Americans looking for a job, and lays the groundwork for future cooperation on more economic growth and deficit reduction.

で、民主・共和の両党は引き続き協議をしております。ロイター通信によると、

・1月2日(水)に実施される1090億ドルの歳出一律削減を数カ月延長することやブッシュ減税の1年延期などが話し合われている。
・年収25万ドル以上の家族に対する増税の是非については意見の隔たりが大きい。
・オバマ大統領が求めている長期失業保険の延長についても合意には至っていない。
・相続税の減税打ち切りも決着していない。このままだと、1月1日(火)に税率が55%(現行35%)に上がり、控除額が100万ドル(現行500万ドル)に下がってしまう。

ということのようです。

なんか全然ダメっぽいんですけど、そうでもないんでしょうか。

2012年12月28日金曜日

fiscal cliff の協議が大詰め

いわゆる財政の崖(fiscal cliff)問題に関する協議が大詰めを迎えています。オバマ大統領はハワイでのクリスマス休暇を早めに切り上げて共和党側との協議に臨むようです。まぁ、そもそもクリスマス休暇をとっている場合かよ、っていう気はしますが、前回のエントリ以降の動きについてまとめておきます。

ちょっと前のCNNの報道によると、オバマ大統領は17日の月曜日に増税される家族の年収を40万ドル以上にしてもいいよという提案をしています。これまでは25万ドル以上としていたわけだから、増税の対象となる家族は減ることになって、共和党的には嬉しいでしょ? というわけです。

詳しい内容はWSJのこのページが、随時アップデートされるみたいなので、ここにコピペ。

Obama’s Latest Proposal

Revenue
$1.2 trillion to $1.3 trillion: New revenue raised over 10 years under Mr. Obama’s latest offer. Key features:

Raise tax rates on income above $400,000
Increase tax rate on capital gains and dividends to 20% from 15% for income over $250,000
Increase estate-tax rate to 45% from 35% (exempting first $3.5 million of assets per person, down from first $5.12 million)
Limit top value of some tax deductions
Permanently extend the alternative-minimum tax relief

Spending Cuts

$400 billion: Health-care spending cuts through changes to programs

$200 billion: Spending cuts to nonmandatory health

$200 billion: Discretionary spending cuts, including $100 billion from defense

$130 billion: Chained CPI savings

一番最後に出てくるchained CPIによる歳出削減というのもミソらしい。さきほどのCNNの記事などによると、Social Securityの受給額は物価に連動するようになっているのですが、chained-CPIを採用すれば、物価変動の幅が従来の方法よりも小さめに見積もられるようになる。chainde-CPIの場合、ある商品の物価が上がった場合、消費者はその商品ではなく、代わりのもっと安価な商品を買うようになることを考慮にいれるからだそうです。ということで、Social Securityの支給額も小さくなって、歳出削減の効果がある。これまた共和党にとっては嬉しいでしょ? というわけです。

これに対して、共和党のベイナー下院議長は18日の会見で、「オバマ大統領の提案は1.3兆ドルの税収増に対して、8500億ドルの歳出カットしか想定しておらず、バランスのとれたアプローチとはいえない」と批判。そのうえで、、「年収100万ドル以上に対する増税だったら認めてもいいよ」という提案を行います。いわゆる「プランB」とよばれるやつで、ベイナー下院議長は20日に下院で法案を投票にかけると宣言しました。

この記事によると、プランBはBudget Control Actに基づく歳出の一律削減や社会保障制度の改革には触れていない不完全なものなようですが、副大統領候補だったライアン下院議員や影響力のある反増税活動家のGrover Norquist氏らの支持を獲得。共和党的にはこのプランBを下院で通過させてしまえば、「次は歳出カットでオバマ大統領と民主党が妥協する番ですよ」と迫れるとの皮算用もあったようです。あと、歳出一律カットの問題については、「国防費のカットは一律じゃないよ」という別の法律を作って対処するという作戦もとった。でも結局は共和党内から十分な支持を得られず、ベイナー下院議長はプランBを投票にかけることを断念します。共和党内には「増税は絶対に嫌」という議員が多いうえに、早くからオバマ大統領や民主党がプランBへの反対を表明していたため、「上院を通るわけがない」という判断があったようです。ちなみに、国防費のカットは一律じゃないよ法案は投票にかけられて、215-219で可決されています。(参照)

このプランBの失敗を受け、オバマ大統領は21日の会見で、「あと残り10日しかない。98%の米国民に対する減税の継続に関しては誰も反対していないんだから、それをやらない理由はない」と強調してハワイへ出発。そのオバマ大統領が27日、ワシントンに帰ってきたというわけです。

CNNの記事によると、28日午後3時から、オバマ大統領、バイデン副大統領、ベイナー下院議長、ペロシHouse Minority Leader、リードSenato Majority Leader、マッコーネルSenato Minority Leaderによる協議が行われるそうです。


なんか共和党内にいる「増税絶対反対派」を納得させるために、一旦、財政の崖から落ちて税率を現状よりも上げたうえで、そこから税率をちょっと引き下げて「減税を実現したんだ」というロジックを展開するなんていう話もあるみたいです。めんどくさい話ですね。

写真はハワイから戻ってきたオバマ大統領。

2012年12月11日火曜日

income mobility

以前、このエントリーの最後で、「低所得者が高所所得者になったり、低所得者の子供が高所得者になる割合が少なくなっているんだっけ?」みたいなことを書いて、また調べときますとしていたんですが、Foreign Affairsに丁度いいエッセイが出てました。

It's Hard to Make It in America (How the United States Stopped Being the Land of Opportunity)というタイトルで、Lane Kenworthyというアリゾナ大学の教授が書いたものです。ちなみにRobert DenhardtとJanet Denhardtのコンビはアリゾナ州立大学です。どうでもいいですが。

これによると、この50年で女性は男性よりも大学を卒業するようになり、収入面でも男性に追いついているし、白人と黒人の差は徐々にではあるが縮まっている。でも、生まれた家庭環境による差は広がりつつあるということのようです。

つまり、米国内の家族を所得の多い方から順番に並べて5つのグループに分けたとして、1960~80年代に一番下の所得グループの家庭に生まれた子供は、大人になったときに真ん中以上の3つのグループにいる確率は30%でしかない。完全に機会が均等であれば、確率は60%であるはずだから、一番下の所得グループに生まれた子供は人生における機会が少ないということになる。逆に一番上の所得グループに生まれた子供は、80%の確率で真ん中以上のグループにいることができる。また、こうした機会の格差は1970年代までは縮まっていたが、最近は広がっている。さらに米国での機会の格差はオーストラリア、カナダ、デンマーク、フィンランド、ドイツ、ノルウェー、スウェーデン、イギリスよりも大きい。フランスやイタリアとは同程度。

there is general consensus among social scientists on a few basic points. First, an American born into a family in the bottom fifth of incomes between the mid-1960s and the mid-1980s has roughly a 30 percent chance of reaching the middle fifth or higher in adulthood, whereas an American born into the top fifth has an 80 percent chance of ending up in the middle fifth or higher. (In a society with perfectly equal opportunity, every person would have the same chance -- 20 percent -- of landing on each of the five rungs of the income ladder and a 60 percent chance of landing on the middle rung or a higher one.) This discrepancy means that there is considerable inequality of opportunity among Americans from different family backgrounds.

Second, inequality of opportunity has increased in recent decades. The data do not permit airtight conclusions. Still, available compilations of test scores, years of schooling completed, occupations, and incomes of parents and their children strongly suggest that the opportunity gap, which was narrowing until the 1970s, is now widening.

Third, in a sharp reversal of historical trends, there is now less equality of opportunity in the United States than in most other wealthy democratic nations. Data exist for ten of the United States' peer countries (rich long-standing democracies). The United States has less relative intergenerational mobility than eight of them; Australia, Canada, Denmark, Finland, Germany, Norway, Sweden, and the United Kingdom all do better. The United States is on par with France and Italy.

その理由としては、高所得グループの子供は両親ともにそろっていて、親が勉強の面倒をみてくれたり、学校以外での活動に時間をとって充実した生活を送れるけれど、低所得グループの子供は両親がそろっていないことも多くて勉強に専念できないことや、高所得者層が住む地域の学校は総じて低所得者層が住む地域の学校よりもレベルが高いこと、低所得グループの子供は大学の学費が払えないこと、製造業の海外流出で限定的なスキルでも安定的に収入を得られるチャンスが減ったこと、低所得グループの子供は低所得グループの子供と結婚する傾向が高く、高所得グループの子供は高所得グループの子供と結婚する傾向が高いので、格差が世代間で引き継がれていくこと、などが挙げられています。

解決策として提示されているのは、

・0~4歳の5年間における親の収入が3000ドル増えれば、子供が大人になったときの所得は20%増えるという調査結果があるので、米国でも子供手当てを導入するべきだ。ちなみにカナダ子供2人の家庭で年間3000ドル、低所得だったら6000ドル。

・あまり若いうちにできちゃった結婚しても収入が不安定だから、子供たちにはまず勉強して、安定的な収入のある仕事について、その後で結婚して子供を作るように教育する。

・育児休暇や公的な幼児教育の充実。こうした分野での州政府の活動を連邦政府として支援する。

・低所得グループの子供でも大学に入りやすくする。一番下の所得グループに生まれた子供でも、4年制大学を卒業した場合は、53%の確率で真ん中以上の所得グループに入ることができる。(機会均等な社会での確率である60%に近い) 北欧では公立の4年制大学の授業料はタダだ。

・子供のいる家庭だけでなく、子供がいない人にも税控除を拡大する。そうすれば自分が教育を受ける余裕ができる。

・すべての世帯に対して増税して、得られた税収を教育にあてる。収入の格差は解消しないけど、機会の格差は解消できる。高所得者にだけ増税して収入の格差を縮めても、低所得者の機会が増えるわけではない。

・affirmative actionの対象を人種や性別から家庭環境にシフトさせる。例えば、大学が入学者を選ぶ際に、厳しい家庭環境で育ってきた高校生を優先する。

といった感じ。

で、エッセイの最後の部分は、

Fortunately, the United States' experience and that of other affluent nations suggest that the country is not helpless in the face of economic and social changes. There is no silver bullet; a genuine solution is likely to include an array of shifts in policy and society. Even so, a fix is not beyond the United States' reach.

となってます。


うんうん。そうだよね。


ところで、income mobilityについて書かれたこんな本を見つけました。

surprising conclusionsって何なんでしょう。気になる。

2012年12月10日月曜日

fiscal cliff はどうなった。

このところfiscal cliffのことを気にしていなかったので、どうなってんのか調べておいた。

オバマ大統領は11月29日にガイトナー財務長官を「特使」として共和党に提案を行っています。この内容は文書では公開されていないみたいですが、報道によると内容は以下のようなものらしい。【CNNの記事】【CNBCの記事】【WSJの記事】


・10年間で1兆6000億ドルの税収増。このうち9600億ドルは年収25万ドル以上の富裕層向けの税率引き上げ、キャピタルゲインや配当への課税の強化でまかなう。さらに今後の税制改正で6000億ドルを捻出する。相続税を2009年の水準まで引き上げることや、控除などの見直しを含む。

・Budget Control Actで定められた財政支出の一律カットの1年延期。

・景気刺激策、失業保険の拡充などで500億ドルの支出増。

・債務上限問題が2011年のような混乱を起こすことを避けるため、大統領が債務上限を引き上げる権限を握る。

・メディケアなどへの支出を4000億ドル減らす。詳細は来年協議する。

この提案を行ったうえで、ガイトナー財務長官は12月2日のCNNの番組"State of the Union"でも、「税率引き上げがない限り、fiscal cliff問題での合意はない」と宣言したりしています。(参照) 妥協する気は全くないぞという感じですね。


これに対して共和党は12月3日、文書でオバマ大統領に遺憾の意を表明。(参照) それによると、

・1兆6000億ドルなんていう額は、大統領選で主張していた額の2倍じゃないか。

・歳出カットの4倍もの税収増を見込んでおり、とてもじゃないけど、大統領自身が主張してきた「バランスのとれたアプローチ」とは言えない。

・大統領側は「1ドルの税収増に対して、2.5ドルの歳出カットを行っている」と説明しているが、それは過去の歳出カットも含めた計算じゃないか。

・債務上限を取り払うとはどういうことだ。

・こんな不真面目な提案を出してくるようでは、我々は下院を通過した"Budget Resolution"に基づいた対応をとるしかない。


などと主張しています。で、その対応の内容はというと、


・メディケアの抜本的な改革で、受給者に保証内容の選択肢を与えるようにする。貧しい人や病気の人にはサポートを厚くし、富裕層へのサポートは削る。現在の高齢者には影響が出ないようにする。これによってメディケアの支出は抑制されて、維持可能なものになる。

・メディケイドも改革して、州政府の裁量を大きくする。受給者の状況を改善しながら、10年間で8000億ドル近くを節約できる。

・Federal employee compensationやSupplemental Nutrition Assistance Programの改革で数千億ドルを節約する。

とのこと。

さらに具体的には、オバマ大統領が作った"National Commission on Fiscal Responsibility and Reform"のErskine Bowles共同議長が2011年11月1日に行った提案を例に挙げています。この提案は、税率アップではなく控除などの見直しにより8000億ドルの税収増を確保し、mandatory spendingで9000億ドル、discretionary spendingで3000億ドルの歳出カットを行うとしたもので、共和党側は「完璧な解決策ではないけど、公平な妥協点だ」としています。


これに対してオバマ大統領側からは歩み寄りの姿勢はないようで、共和党のベイナー下院議長は8日の会見で協議について「進展はない」と表明しています。 (参照) ただ、10日になってオバマ大統領とベイナー下院議長が話し合いの機会をもっています。詳細は明らかにされていませんが、“the lines of communication remain open”ということのようです。

で、今後の行方について、ワシントンポストの記事がややこしくて面白い。(参照) 簡単にまとめてみると。

・最高税率は35%~39.6%の間で落ち着く可能性がある。

・増税の対象を25万ドル以上ではなくて、37万5000ドルとか50万ドルとかにするかも。

・民主党は税収増を1兆2000億ドルにまで妥協する用意があるようだ。

・共和党は8000億ドルに抑えたい。上院を通過したMiddle Class Tax Cut Actでも8310億ドルだったのだから。

・オバマ大統領は社会保障費のカットを3500億ドルにおさえたい。共和党は8000億ドルを狙っている。

・歳出一律カットを延期するための暫定的な歳出削減もやる。そのうえで抜本的な歳出カットを協議がまとまらなければ、歳出一律カットと増税をセットにしてやる。デッドラインは来年秋。(多分)

・世論調査によると、協議が決裂したとすれば、大半の国民が共和党に責任があると考えている。

・だから、共和党内にはMiddle Class Tax Cut Actを下院で通しちゃって、富裕層への税率アップを認めちゃえという声もある。ただし、この法律には緊急失業保険の延長とか債務上限の引き上げとかは含まれていない。増税さえ認めてしまえば、共和党側が民主党側に妥協を求めるという構図を作ることができる。

・ただし下院でMiddle Class tax Cut Actを通すというのはそれほど簡単ではない。共和党から30人ぐらいの賛同者を出さなければならないけれど、各議員にとって簡単に妥協しちゃうことは選挙対策上好ましくないからだ。


写真はベイナー下院議長。バスケットボールで有名なゼイビア(Xavier)大学を卒業後、中小企業経営を経て、1990年の下院選挙でオハイオ州8区から出馬して初当選。以来、下院一筋22年。2年ごとに選挙やって、ここまでたどり着くっていうのは偉いもんですなぁ。

2012年11月26日月曜日

Pivot to Asia

オバマ政権はアジアシフトを志向しているとかいうんだけど、なんでそんなことをしているのかよく知らない。TPPなんかは成長著しいアジア市場向けの輸出を増やして景気を回復させようっていうことらしいけど、それだけが理由なのか不安なので調べておいた。

クリントン国務長官がForeign Policyの2011年11月号のに寄稿した論文"America's Pacific Century"によると、米国はこれまでイラクとかアフガンにリソースをつぎ込んできたけど、イラクの戦争は落ち着いて、米軍はアフガニスタンから撤退することになった。そこでこれからはリソースを効率的に使っていかなければならないんだそうです。その意味で、アジア太平洋地域に、外交面でも経済面でも関与していくことが大事だという判断らしい。

As the war in Iraq winds down and America begins to withdraw its forces from Afghanistan, the United States stands at a pivot point. Over the last 10 years, we have allocated immense resources to those two theaters. In the next 10 years, we need to be smart and systematic about where we invest time and energy, so that we put ourselves in the best position to sustain our leadership, secure our interests, and advance our values. One of the most important tasks of American statecraft over the next decade will therefore be to lock in a substantially increased investment -- diplomatic, economic, strategic, and otherwise -- in the Asia-Pacific region.

なんでアジアが大事かというと、アジア市場への参入によって米国の輸出が増やすことができるからです。だからアジア太平洋地域の安全を確保することが重要になる。南シナ海の航行の自由の確保や、北朝鮮の核開発を阻止、アジア太平洋地域における軍事活動の透明性を高めることが大切なわけです。

Harnessing Asia's growth and dynamism is central to American economic and strategic interests and a key priority for President Obama. Open markets in Asia provide the United States with unprecedented opportunities for investment, trade, and access to cutting-edge technology. Our economic recovery at home will depend on exports and the ability of American firms to tap into the vast and growing consumer base of Asia. Strategically, maintaining peace and security across the Asia-Pacific is increasingly crucial to global progress, whether through defending freedom of navigation in the South China Sea, countering the proliferation efforts of North Korea, or ensuring transparency in the military activities of the region's key players.

なんかそのまんまですね。アメリカは財政的に厳しくて、Budget Control Actなんかでは国防費も含めて一律削減ってこともありえる。米国内では「海外に関与すべきじゃない」という声もあるわけですが、それでもヒラリーは「関与しないわけにはいかない」(we cannot afford not to)としています。その理由は、やっぱり、米国企業にとって新しい市場を開拓し、核拡散を防止し、商取引や航行のためにシーレーンの安全を確保することが米国の繁栄と安全の確保にとって重要だからです。

With Iraq and Afghanistan still in transition and serious economic challenges in our own country, there are those on the American political scene who are calling for us not to reposition, but to come home. They seek a downsizing of our foreign engagement in favor of our pressing domestic priorities. These impulses are understandable, but they are misguided. Those who say that we can no longer afford to engage with the world have it exactly backward -- we cannot afford not to. From opening new markets for American businesses to curbing nuclear proliferation to keeping the sea lanes free for commerce and navigation, our work abroad holds the key to our prosperity and security at home. For more than six decades, the United States has resisted the gravitational pull of these "come home" debates and the implicit zero-sum logic of these arguments. We must do so again.

だからこそ、安定化してきたイラクやアフガニスタンから、今後重要性が増してくるアジア太平洋にリソースを移していこうということです。南シナ海では中国が周辺国と領有権争いをしているし、東シナ海では日本との尖閣問題もあるわけですしね。


でも、こうしたアメリカのスタンスは間違っているんじゃないのという指摘もあります。Foreign Affairsの2012年11・12月号にボストン大学のローバト・ロス(Robert Ross)教授のThe Problem Wiht the Pivotという文書が載っていますが、これは、中国が南シナ海や東シナ海で軍事活動を活発化せているのは国内のナショナリズムを落ち着かせるためで、中国の軍事的な野心や脅威が高まっているわけではないのに、アメリカが軍事力のアジア太平洋シフトを加速させてしまった結果、かえって中国との緊張関係を強めてしまっているという内容です。

Beijing’s tough diplomacy stemmed not from confidence in its might -- China’s leaders have long understood that their country’s military remains significantly inferior to that of the United States -- but from a deep sense of insecurity born of several nerve-racking years of financial crisis and social unrest. Faced with these challenges, and no longer able to count on easy support based on the country’s economic growth, China’s leaders moved to sustain their popular legitimacy by appeasing an increasingly nationalist public with symbolic gestures of force.

Consider China’s behavior in such a light, and the risks of the pivot become obvious. The new U.S. policy unnecessarily compounds Beijing’s insecurities and will only feed China’s aggressiveness, undermine regional stability, and decrease the possibility of cooperation between Beijing and Washington. Instead of inflating estimates of Chinese power and abandoning its long-standing policy of diplomatic engagement, the United States should recognize China’s underlying weaknesses and its own enduring strengths. The right China policy would assuage, not exploit, Beijing’s anxieties, while protecting U.S. interests in the region.


中国と米国の動きとして挙げられている具体例はこんな感じです。

■中国の実力とナショナリズム抑制のための対外強硬姿勢
・中国はこの10年、米国の脅威となるような艦船を配備していない。中国がアメリカに対抗する手段は1990年半ば以降に配備されたディーゼル潜水艦ぐらいのものだ。

・中国の陸軍、空軍の装備のうち現代的といえるものは30%未満。潜水艦でも55%しか現代的といえない。中国軍は米軍には対抗しえない。

・中国はリーマンショック後の世界経済の低迷と無縁ではない。

・中国国内の暴動は2008年の12万件から、2010年には18万件に増えている。

・中国政府はこうした中国の実力や問題点を認識しているが、多くの中国人はこれまでの経済成長で西側に対抗できるという自信を深め、ナショナリズムが高まっている。

・2010年1月に米国が台湾に武器を売った際、中国はこの取引に関連する米国企業に経済制裁を実施した。

・2010年9月の尖閣諸島周辺で中国漁船が海保の船に衝突した際も、反日活動が強まった。

・こうした対外的な強硬姿勢はナショナリズムを抑えることを目的としている。


■中国の対外強硬姿勢に対する米国の対応
・米国は1997年に初めて潜水艦をヨーロッパからグアムに移したときからアジア太平洋シフトを進めている。

・2009、10年の中国の対外強硬姿勢で、アジアの国々は「米国は中国に対抗できるのか」と疑問に思い始めた。

・オバマ政権は過去の政権によるアジア太平洋シフトを加速させた。例えば、日本との合同演習の拡大、フィリピンへの武器売却、オーストラリアへの海軍配備、インドネシア、ニュージーランドとの協力関係の改善とか。

・これまでの政権は、米国が航行の自由を重視することを明確にするだけでアジア太平洋の紛争悪化を抑制できたけど、クリントン国務長官は2010年にハノイで、フィリピンやベトナムをサポートすることを宣言した。

・ブッシュ政権は在韓米軍の40%を引き上げるなど、韓国の米軍を縮小したけど、オバマ政権は韓国との軍事演習の拡充や新たな防衛協定の締結、在韓米軍の増強などの対応をとっている。

・米国はこれまで中国を刺激しないためにベトナムとの協力関係拡大には慎重だったが、オバマ政権はベトナムとの軍事演習や防衛協定締結の動きを進めている。


■米国の対応への中国の反応
・こうした米国の動きを中国政府は快く思っていない。

・その結果、中国は北朝鮮の非核化に消極的になり、北朝鮮への経済支援を強めるようになった。

・2011年、中国はベトナムによる海底調査を妨害した。

・中国は南シナ海での原油採掘を発表している。

・中国は2006年~10年の間、国連安保理での対イラン制裁決議に賛成しているが、2012年の決議では拒否権行使をちらつかせ、日米欧がイランへの経済制裁を強めるなか、イランとの間で新たなイラン産原油購入契約を結んだ。


こういう分析が的を得たものかどうかは分かりませんが、こんな風に考える人もいるということで。

写真はクリントン国務長官。最近、三輪明宏化している気がします。

2012年11月23日金曜日

1993年07月17日(9日目) シベリア鉄道

1993年07月17日(9日目) 晴れ

Jにシャーペンを借りる。朝から何もすることがなく、通路に出るとコワイにーちゃんもいるし、どーしようもなく、ひたすら経ゼミを読む。

食堂車に昼食をとりに行くと、何故か青シャツのおじさんと相席するようにウェイトレスに言われて、おじさんの前に座る。何とかボイルドチキンとサラダとジュースを頼んだが、このチキンがまだ生でかたくて味がない。フォークが曲がってしまうほどである。しばらくすると、コワイにーちゃんの1人、指なしの男がなぜかおじさんの隣に座る。Jがズドラーストビーチェをかますと、にーちゃんは3人に握手を求めてきた。日本人2人はわけが分からなかったが、おじさんは非常に嫌な顔をしていた。中途半端な昼飯を終え、コンパートメントに戻る。その後、お昼寝。

止まった駅でアイスクリームを買おうとするが、5万ルーブルで200ルーブルのアイスを買おうとするおっさんに阻まれて玉砕。腹を立てる。なんだかんだで晩飯のフライドエッグとボルシチを食った。あと、中国の予定を立てたりして討論会に入る。ガンの告知からマスコミのあり方まで幅広い議論であったが、結局、「悪いことはしない」ぐらいである。国連だってガリの思惑で動いたりするんだから、誰も信じられないではないか。一人ひとりが良く生きることが大事。そのことをみんなに知らせるべく生きる私だ。うーん、かっこいい。イェイ。


★食堂車のくだりを読み返しながら、「何が起こるのか」とドキドキしましたが、結局何も起こらないという衝撃展開でした。
★最後の部分は、何がかっこいいのが自分でも分かりません。

1993年07月16日(8日目) バイカル湖、イルクーツク、シベリア鉄道

1993年07月16日(8日目) 晴れ

今日はNにボールペンを借りる。今日、朝起きて飯を食った後、バイカル湖を眺めながら歌ったりする。総曲数6曲。Fool On The Planet, Wonderful Tonight, Winter Comes Around, Lovin' You, はだかの気持ち、カルアミルクという豪華メドレーである。部屋に戻って、しばらくしてからロビーで絵ハガキを書いたのだが、面倒くさい。しかも綺麗な絵なハガキは手元においておきたいというジレンマにはまってしまい苦労する。

一時間遅れのバスに乗り込み、イルクーツクに向かうが、寝てしまう。インツリーストホテルで絵ハガキを出して食料を買い込むつもりが、6時に閉まるはずのPOST OFFICEが6時前に閉まっていて出せない。ロシア人は実にいーかげんで、ホテル内のキヨスクの売り子がすぐにいなくなってしまい、なかなか買えない。困る。

JがFAXを送って、お釣りをなかなかもらえないでいるうちに鉄道の時間が迫り、私なんぞ小心者だからビビってしまう。困ったもんだ。

列車に乗り込んでから、ホテルで買ったポテトスティックを食べるが、バター臭い。どーもバリバリの日本人である私は外国の食事が向かないらしい。困る。

更に困るのは隣のコンパートメントのおっちゃんはコワイ人らしい。Nの話では、3人で大声で話ながら吸い終わったタバコを窓に投げつけるような人らしい。しかも、イレズミだの、ブレスレッドだの、やたらと腕がにぎやかだ。前の列車のあたたかさが懐かしい。困ったもんだ。


★わざわざバイカル湖まで行って、歌って帰ってきただけのようです。ただ、このとき歌っていて非常に気持ちよかったことは覚えています。

2012年11月18日日曜日

アメリカはどうすんの?

オバマ政権の対応も調べてみた。

オバマ大統領は就任から半年経った2009年7月、カイロ大学で演説しています。(参照) ここでオバマ大統領は、イスラエルとパレスチナの双方の事情に理解を示しながらも、唯一の解決方法は、イスラエルとパレスチナが平和に暮らせる2つの国を作るべきだとしています。

For decades then, there has been a stalemate: two peoples with legitimate aspirations, each with a painful history that makes compromise elusive. It's easy to point fingers -- for Palestinians to point to the displacement brought about by Israel's founding, and for Israelis to point to the constant hostility and attacks throughout its history from within its borders as well as beyond. But if we see this conflict only from one side or the other, then we will be blind to the truth: The only resolution is for the aspirations of both sides to be met through two states, where Israelis and Palestinians each live in peace and security. (Applause.)

これを受けて行われたのが、前のエントリでまとめたネタニヤフの演説で、パレスチナの武装解除とかいろいろ条件を付けてはいるものの、two-state solutionを一応は支持しています。

In my vision of peace, there are two free peoples living side by side in this small land, with good neighborly relations and mutual respect, each with its flag, anthem and government, with neither one threatening its neighbor's security and existence.

ただし、パレスチナ側からみると、イスラエルがtwo-state solutionを支持しているとは思えない。アッバス大統領は9月の国連演説で、結局のところ、イスラエルはtwo-state solutionを拒絶しているのだと言っています。

There can only be one understanding of the Israeli Government's actions in our homeland and of the positions it has presented to us regarding the substance of a permanent status agreement to end the conflict and achieve peace. That one understanding leads to one conclusion: that the Israeli Government rejects the two-State solution.

パレスチナはtwo-state solutionとはオスロ合意に基づいて1967年の6日間戦争前の国境線を尊重するものであるとしています。そしてイスラエルが嘆きの壁とか聖墳墓教会とか岩のドームがある東エルサレムでの入植活動を続けていることを許すことができないということらしい。パレスチナは東エルサレムを首都として独立することを望んでいるとのことです。

The core components of a just solution to the Palestinian-Israeli conflict do not require effort to discover, but rather what is needed is the will to implement them. And marathon negotiations are not required to determine them, but rather what is needed is the sincere intention reach peace. And those components are by no means a mysterious puzzle or intractable riddle, but rather are the clearest and most logical in the world. This includes the realization of the independence of the State of Palestine, with East Jerusalem as its capital, over the entire territory occupied by Israel since 1967, and the realization of a just, agreed solution to the Palestine refugee issue in accordance with resolution 194 (III), as prescribed in the Arab Peace Initiative.

イスラエルは直近でも、東エルサレムでの入植活動を継続しています。(参照) イスラエルにすれば、東エルサレムを含むヨルダン川西岸は1947年の第1次中東戦争後はヨルダン領だったけれど、6日間戦争の結果、イスラエルがヨルダン川西岸を占領して、その後、1994年のイスラエル・ヨルダン平和条約でイスラエルとヨルダンの国境線がヨルダン川ということになったのだから、東エルサレムはイスラエルのものだということでしょう。一方、パレスチナにすれば、6日間戦争での占領地はオスロ合意で無効になっているのだから、東エルサレムはイスラエル領であるはずはないということでしょう。


で、アメリカなんですが、2011年5月にオバマ大統領が声明を発表して、1967年の国境線が交渉の土台となるべきだとしています。パレスチナ寄りっぽいですね。ただし、"with mutually agreed swaps, so that secure and recognized borders are established for both states"としているので、東エルサレムをどうするとかいうことは交渉すればいいんじゃないのということかもしれません。

So while the core issues of the conflict must be negotiated, the basis of those negotiations is clear: a viable Palestine, a secure Israel. The United States believes that negotiations should result in two states, with permanent Palestinian borders with Israel, Jordan, and Egypt, and permanent Israeli borders with Palestine. We believe the borders of Israel and Palestine should be based on the 1967 lines with mutually agreed swaps, so that secure and recognized borders are established for both states. The Palestinian people must have the right to govern themselves, and reach their full potential, in a sovereign and contiguous state. (参照)

そしてイスラエルには自衛の権利があるとして、イスラエルのヨルダン川西岸からの撤退はパレスチナが非武装化されることが前提だとしています。このあたりはイスラエル寄りです。

As for security, every state has the right to self-defense, and Israel must be able to defend itself -– by itself -– against any threat. Provisions must also be robust enough to prevent a resurgence of terrorism, to stop the infiltration of weapons, and to provide effective border security. The full and phased withdrawal of Israeli military forces should be coordinated with the assumption of Palestinian security responsibility in a sovereign, non-militarized state. And the duration of this transition period must be agreed, and the effectiveness of security arrangements must be demonstrated.

エルサレムの将来とパレスチナ難民の扱いについては協議のなかで解決すればいいということのようです。

These principles provide a foundation for negotiations. Palestinians should know the territorial outlines of their state; Israelis should know that their basic security concerns will be met. I’m aware that these steps alone will not resolve the conflict, because two wrenching and emotional issues will remain: the future of Jerusalem, and the fate of Palestinian refugees. But moving forward now on the basis of territory and security provides a foundation to resolve those two issues in a way that is just and fair, and that respects the rights and aspirations of both Israelis and Palestinians.

つまり、とりあえず1967年の国境線を前提とすることと、パレスチナの非武装化とヨルダン川西岸からの撤退について合意する。そのうえで、東エルサレムとパレスチナ難民については協議しましょうと呼びかけているわけですね。


最近のイスラエルによるガザ攻撃に関しては、ネタニヤフ首相に対して「自己防衛の権利」を認めるとともに、事態を悪化させないための方策についても協議しています。(参照) ただし、事態を悪化させない云々は、ハマスが攻撃を止めることを条件としてということのようで、これも2011年5月の声明の内容に沿ったものだといえる気がします。

MR. RHODES: Yes. Yesterday the President spoke with Prime Minister Netanyahu. He’s spoken with him each [nearly every] day since this situation unfolded. He reaffirmed again our close cooperation with the Israelis. They discussed the Iron Dome system, which the U.S. has funded substantially over the last several years, and which has been successful in stopping many of the rockets that have been fired out of Gaza. They also addressed the fact that they’d like to see a de-escalation provided that, again, Hamas ceases the rocket fire, which precipitated this conflict.(参照)

イスラエルは根にもっている

では、なんでイスラエルはヨルダン川西岸から撤退しないのか。以前のエントリイランといえばイスラエルでまとめたネタニヤフ首相の2012年の国連演説では、「パレスチナは武装解除したうえで、イスラエルをユダヤ人の国だと認めなければならない」と言っていたぐらいだったので、調べてみたところ、ネタニヤフ首相は2009年にバル=イラン大学で行った演説というのを見つけた。(参照)

これによると、どうもイスラエルは建国直後にアラブ諸国から総攻撃を受けたことを根にもっているらしい。イスラエルはなんだかんだでアラブ5カ国を撃退したわけですが、心には深いトラウマが刻まれていたのです。なんて可哀想な子。さらに1967年の第3次中東戦争(6日間戦争)も、他の国がイスラエルを締め付けた結果だとしています。

In 1947 when the United Nations proposed the Partition Plan for a Jewish state and an Arab state, the entire Arab world rejected the proposal, while the Jewish community accepted it with great rejoicing and dancing. The Arabs refused any Jewish state whatsoever, with any borders whatsoever.

Whoever thinks that the continued hostility to Israel is a result of our forces in Judea, Samaria and Gaza is confusing cause and effect. The attacks on us began in the 1920s, became an overall attack in 1948 when the state was declared, continued in the 1950s with the fedaayyin attacks, and reached their climax in 1967 on the eve of the Six-Day War, with the attempt to strangle Israel. All this happened nearly 50 years before a single Israeli soldier went into Judea and Samaria.

で、エジプトとヨルダンはイスラエルと平和条約を結んだから友好的な付き合いができるようになった。でも、パレスチナはそうじゃないんだと。

また、イスラエルがヨルダン川西岸から撤退すれば、パレスチナだって友好的になるんだよという指摘に対しては、「何度も撤退しようとしたけど、その度にイスラエルに対するテロが増えるじゃないか」と反論します。「2005年にガザから撤退して、入植地も引き上げたけれど、結局、ガザではハマスが勢力を増して、イスラエルにロケット弾を撃ち込んでくることになったじゃないか」などと言っています。

A great many people are telling us that withdrawal is the key to peace with the Palestinians. But the fact is that all our withdrawals were met by huge waves of suicide bombers.

We tried withdrawal by agreement, withdrawal without an agreement, we tried partial withdrawal and full withdrawal. In 2000, and once again last year, the government of Israel, based on good will, tried a nearly complete withdrawal, in exchange for the end of the conflict, and were twice refused.

We withdrew from the Gaza Strip to the last centimeter, we uprooted dozens of settlements and turned thousands of Israelis out of their homes. In exchange, what we received were missiles raining down on our cities, our towns and our children. The argument that withdrawal would bring peace closer did not stand up to the test of reality.

だから、パレスチナは「イスラエルがユダヤ人の国である」ということも認めてないんでしょ? となる。ここで聴衆からは拍手です。

Even the moderates among the Palestinians are not ready to say the most simplest things: The State of Israel is the national homeland of the Jewish People and will remain so. (Applause)

あと、パレスチナ難民はイスラエルから出て行ってもらいたい。だって、イスラエルはユダヤ人の国なのだから。難しい問題かもしれないけれど、イスラエルは世界中から数十万人のユダヤ人を受け入れてきたんだから、アラブ諸国にも同じことができないわけがないとも言っています。

さらにネタニヤフ首相は「パレスチナの武装解除」も求めている。そうしないと、ガザで実際に起こったようにハマスみたいなグループがパレスチナを支配する可能性があるからです。イスラエルはパレスチナの武装解除が確実に行われない限り、パレスチナ国家に同意することはないと断言しています。

We cannot be expected to agree to a Palestinian state without ensuring that it is demilitarized. This is crucial to the existence of Israel - we must provide for our security needs.

そうなれば、イスラエルとパレスチナが仲良く暮らせる日がくる。別にパレスチナをイスラエルの支配下に置こうとしているわけじゃないんだそうです。

But, friends, we must state the whole truth here. The truth is that in the area of our homeland, in the heart of our Jewish Homeland, now lives a large population of Palestinians. We do not want to rule over them. We do not want to run their lives. We do not want to force our flag and our culture on them. In my vision of peace, there are two free peoples living side by side in this small land, with good neighborly relations and mutual respect, each with its flag, anthem and government, with neither one threatening its neighbor's security and existence.


もの凄く強い軍隊を持っていて、核兵器も持っているだろうとされているイスラエルが涙ながらに、「お前らが俺のことを嫌っているから、俺だってお前らを嫌いなんだ」と訴えてるような、深いトラウマを背負った不良少年のような、そんなイメージですかね。それもこれも誕生直後に受けた虐待のせいです。難しい子だなぁ。

ヨルダン川西岸もややこしいぞ

ヨルダン川西岸地区について調べるために、イスラエル建国から遡ってみた。

イスラエルの建国前はイギリスの二枚舌外交とか三枚舌外交とかそういうのがあったのだと思う。でも、なんだかんだいって、1947年に国連決議181が採択される。これはイギリスが統治していたパレスチナのうち、56%をユダヤ人の土地、42%をパレスチナ人の土地と定め、エルサレムは国連の統治下に置くという内容です。

で、これをユダヤ人は歓迎して、1948年5月、国連決議181に基づいてイスラエルの建国が宣言されます。

ACCORDINGLY WE, MEMBERS OF THE PEOPLE'S COUNCIL, REPRESENTATIVES OF THE JEWISH COMMUNITY OF ERETZ-ISRAEL AND OF THE ZIONIST MOVEMENT, ARE HERE ASSEMBLED ON THE DAY OF THE TERMINATION OF THE BRITISH MANDATE OVER ERETZ-ISRAEL AND, BY VIRTUE OF OUR NATURAL AND HISTORIC RIGHT AND ON THE STRENGTH OF THE RESOLUTION OF THE UNITED NATIONS GENERAL ASSEMBLY, HEREBY DECLARE THE ESTABLISHMENT OF A JEWISH STATE IN ERETZ-ISRAEL, TO BE KNOWN AS THE STATE OF ISRAEL.(参照)

ところが、これを他のアラブ諸国は認めなかった。まさに独立を宣言したその日に、レバノン、シリア、トランスヨルダン、イラク、エジプトの5カ国がイスラエルに対して宣戦を布告します。ところが生まれたばかりのイスラエルは、この5カ国をやっつけてしまう。恐ろしい子です。その結果、イスラエルはパレスチナの80%を領有することになった。あと、ヨルダン川西岸地区(東エルサレムを含む)はトランスヨルダンのもの、ガザ地区はイスラエルのもの。このとき引かれたグリーンラインが、今でも地図とかで見かけるイスラエルとパレスチナ自治区の境界線になります。

アラブ側は1964年にパレスチナ解放機構(PLO)を設立。イスラエルへのゲリラ闘争を始めます。これに対してイスラエルは1967年6月、エジプト、ヨルダン、シリア、イラクに攻撃を加えて、たったの6日間でヨルダン川西岸、ガザ、シナイ半島、ゴラン高原を占領してしまう。強い軍隊っていうものはあるもんです。

ところがこれには当然、国際社会が大反発しまして、1967年11月に国連安保理決議242が採択される。イスラエルに対して、直近の紛争で占領した地域から撤退せよという内容です。しかし、このうちシナイ半島は1978年にエジプトに返還されましたものの、その他のヨルダン川西岸、ガザ、ゴラン高原ではイスラエルによる占領が続いた。ここから先は、2つ前のエントリ「ガザとハマスとイスラエル」の内容で、1993年のオスロ合意でイスラエルはヨルダン川西岸とガザをパレスチナの領地として認めたけれど、ガザ地区の占領は2005年まで続いた。

で、暢気な私は「ヨルダン川西岸からはイスラエル軍は撤退していないの? オスロ合意ではパレスチナの土地だと認めたんでしょ?」なんて思ったわけですが、これはもう当然、撤退していないわけです。今年9月にパレスチナ自治区のアッバス大統領が国連で行った演説によると、ヨルダン川西岸を占領しているイスラエルは、ユダヤ人の入植をどんどん進め、移動の自由を制限し、自治政府による市民へのサービス提供を妨害し、農地の耕作や灌漑も邪魔しているらしい。ヨルダン川西岸の60%の地域は、イスラエルによる絶対的な支配にさらされている。

At the same time, the occupying Power continues to tighten the siege and impose severe restrictions on movement, preventing the Palestinian National Authority (PNA) from implementing vital infrastructure projects and providing services to its citizens, who are also being prevented from cultivating their land and deprived of water for irrigation. It is also obstructing the establishment of agricultural, industrial, tourism and housing projects by the private sector in vast areas of the Occupied Palestinian Authority, which are classified as areas subject to the absolute control of the occupation, which encompasses approximately 60% of the West Bank. The occupying Power continues to deliberately demolish what the PNA is building, projects funded by donor brethren and friends, and destroying PNA projects involving the building of roads, simple homes for its citizens and agricultural facilities. In fact, over the past 12 months, the Israeli occupying forces demolished 510 Palestinian structures in these areas and displaced 770 Palestinians from their homes. These illegal measures have caused great damage to our economy and impeded our development programs and private sector activity, compounding the socio-economic difficulties being endured by our people under occupation, a fact confirmed by international institutions.

なんか非道の限りを尽くしているという感じですね。「西岸地区は平和なんですかね」なんて言って申し訳なかった。すまん。

2012年11月16日金曜日

上院は55対45

大統領選と同時に行われた上院選で、メーン州から立候補して当選していた無所属で新人のAngus King上院議員が民主党と連携することを決めました。もう一人の無所属候補であるバーモント州のBernie Sanders上院議員は以前から民主党と連携していますから、上院の勢力図は民主党55(うち民主系無所属2)対、共和党45ということになります。

キング上院議員は民主党とも共和党とも連携を表明しないことも考えたらしいですが、そうなると委員会のメンバーに入れなかったりする可能性もあるので、民主党との連携を表明したとのこと。ただしあくまで独立派であるとの立場も崩しておらず、「共和党の政策に自動的に反対するというわけじゃない」としてます。(参照、APの記事@WP)

ガザとハマスとイスラエル

イスラエルがパレスチナ自治区のガザ地区に攻撃を加えています。なんだかよくわからないので調べておいた。大きな流れは外務省のサイトから。

ガザ地区は1993年9月に調印されたオスロ合意で、ヨルダン川西岸地区とともにパレスチナ自治政府の管轄化におかれた地域です。この合意は、イスラエルとパレスチナがお互いを承認したうえで、5年以内にヨルダン川西岸地区とガザ地区に暫定的なパレスチナ自治政府と評議会(elected Council)を設立することが目的です。1994年5月にはカイロ協定が結ばれて、暫定自治期間は1999年5月までであることを確定。1996年1月に両地区でパレスチナ自治政府長官選挙が行われた。しかしこの年の6月にイスラエルでリクードのネタニヤフ政権が発足すると、イスラエル軍の撤退は遅れがちになって、結局、暫定自治期間が終わってしまう。

1999年5月にイスラエルで労働党のバラク政権が発足して和平プロセスが前進するかに思えたが、リクードのシャロン党首がイスラム教の聖地でもあるエルサレムの神殿の丘を訪問したことをきっかけに、イスラエルとパレスチナの間に大規模な衝突が起こった。このときシャロンを警備するために数百人の武装警官が配備されており、それに対して一部のパレスチナ人が石を投げたことがきっかけだったらしい。(参照、NYT) 2001年にそのシャロンが首相になると、イスラエルとパレスチナの紛争は激化。2002年にはイスラエルがパレスチナ過激派の侵入を阻止するために西岸地区を取り囲むように壁を作ることを決めた。

2004年に死亡したアラファト・パレスチナ自治政府長官の後を継いだマフムード・アッバースは、2005年1月にパレスチナ自治政府の大統領に就任し、和平実現に向けて動き出す。この年の2月には、エジプトのムバラク大統領、ヨルダンのアブドラ国王、パレスチナ自治政府のアッバース大統領、イスラエルのシャロン首相による首脳会談で軍事活動の停止が合意され、9月にはイスラエル軍がガザから撤退した。

しかし2006年1月のパレスチナ立法評議会選挙では、イスラエルへの武力闘争継続を掲げるハマスが多数を占め、ハニーヤ首相が就任。ガザ地区でイスラエル兵士が拉致される事件が起きた。イスラエルのオメルト政権はこれを機にガザ地区に侵攻。さらにパレスチナ内部でもファタハとハマスの抗争が激しくなり、2007年3月にアッバース大統領主導でハマスのハニーヤ首相による非ハマス系の閣僚を登用した挙国一致内閣が発足するが、6月にはハマスがガザ地区を武力で制圧。アッバース大統領はハニーヤ首相を罷免して、ファイヤード首相が任命された。


で、そんなハマス主導のガザ地区とイスラエルの間ではずっと争いが続いていた。2008年12月から翌年1月には、ハマスによるロケット弾攻撃への報復としてイスラエルが空爆、地上侵攻を実施。1400人のパレスチナ人が死んだ。イスラエルでは2009年、リクードのネタニヤフ氏が首相として連立政権を運営しています。

今回、イスラエルによるピンポイント爆撃で死亡したハマス軍事部門最高幹部のジャバリ氏は、対イスラエル攻撃をとりしきっていた人で、2006年のイスラエル兵士拉致事件も主導したらしい。今年だけでもガザからイスラエル南部には750ものロケット弾が打ち込まれていたそうで、選挙を前にしたネタニヤフ首相は強硬姿勢をみせる必要があったという分析がなされています。(参照、NYT)

イスラエルにもパレスチナにも和平を実現したい人は決して少なくないみたいですが、「徹底的に戦いたい」と思っているらしい人たちもいるもんだから、いつまでたっても紛争は終わらないという感じでしょうか。2005年9月のイスラエル軍のガザ撤退で、丸く収まればよかったのに、ハマスみたいな人たちが出てくるんですよね。ハマスにはハマスの理屈があるのかもしれませんけど。あと、みんな武器を持ってるんだよな。

ところで西岸地区は平和なんですかね。何かあったら調べておきます。


写真はイスラエル軍の攻撃を受けるガザ地区。

2012年11月15日木曜日

オバマ会見

オバマが14日に会見してます。大統領就任後としては初めてです。(参照)

Fiscal Clifff(財政の崖)については、これまで通り、すでに上院を通過しているMiddle Class Tax Cut Actを共和党多数の下院が通過させれば、とりえあずは年間所得25万ドル以下の世帯への減税は実現できるとしています。

で、25万ドル以上の世帯に対してどうするかについて、記者から「クリントン時代の税率(最高税率で39.6%)にする以外の選択肢は考えていないのか?」という趣旨の質問があったのですが、それに対しては、「新しいアイデアにたいしてはオープンだ」と答えています。

With respect to the tax rates, I just want to emphasize I am open to new ideas. If Republican counterparts or some Democrats have a great idea for us to raise revenue, maintain progressivity, make sure the middle class isn’t getting hit, reduces our deficit, encourages growth, I’m not going to just slam the door in their face. I want to hear ideas from everybody.


共和党のマケイン上院議員とグラハム上院議員が、スーザン・ライス国連大使がリビアの領事館襲撃テロ後の会見で「襲撃はテロではなく、暴動が偶発的に領事館への襲撃につながった」という趣旨の説明していたことを理由に、国務長官への就任に反対すると表明していることについては、人事はまだ決まっていないとしたうえで、「ライス国連大使は当事手元にあった情報に基づいて会見しただけで、それを理由に彼女の評判を貶めるのはとんでもないことだ」と答えています。「襲撃の経緯の分析について文句があるなら、彼女のところじゃなくて、俺んところに来い」「彼女がeasy targetだと思ってんだろう、ゴルァ」的なことも言っています。かっこいいですね。で、ライス国連大使が最適な人材だと判断すれば、国務長官に任命するんだそうです。

As I’ve said before, she made an appearance at the request of the White House in which she gave her best understanding of the intelligence that had been provided to her. If Senator McCain and Senator Graham and others want to go after somebody, they should go after me. And I’m happy to have that discussion with them. But for them to go after the U.N. Ambassador, who had nothing to do with Benghazi, and was simply making a presentation based on intelligence that she had received, and to besmirch her reputation is outrageous.

(中略)

But when they go after the U.N. Ambassador, apparently because they think she’s an easy target, then they’ve got a problem with me. And should I choose, if I think that she would be the best person to serve America in the capacity of the State Department, then I will nominate her. That's not a determination that I’ve made yet.


イランの核開発問題については、外交的な解決が一番だとしています。この数カ月のうちに、イランと国際社会の対話をもって、問題解決を目指したいとのこと。

With respect to Iran, I very much want to see a diplomatic resolution to the problem. I was very clear before the campaign, I was clear during the campaign, and I’m now clear after the campaign -- we’re not going to let Iran get a nuclear weapon. But I think there is still a window of time for us to resolve this diplomatically. We’ve imposed the toughest sanctions in history. It is having an impact on Iran’s economy.

There should be a way in which they can enjoy peaceful nuclear power while still meeting their international obligations and providing clear assurances to the international community that they’re not pursuing a nuclear weapon.

And so, yes, I will try to make a push in the coming months to see if we can open up a dialogue between Iran and not just us, but the international community, to see if we can get this things resolved. I can’t promise that Iran will walk through the door that they need to walk through, but that would be very much the preferable option.


気候変動問題についての質問も出ています。温室効果ガスの排出量増加が気候変動に影響を与えていることについては確信をもっているそうですが、雇用や経済成長を無視するような気候変動対策には賛成できないそうです。

And I am a firm believer that climate change is real, that it is impacted by human behavior and carbon emissions. And as a consequence, I think we've got an obligation to future generations to do something about it.

(中略)

I don't know what either Democrats or Republicans are prepared to do at this point, because this is one of those issues that's not just a partisan issue; I also think there are regional differences. There’s no doubt that for us to take on climate change in a serious way would involve making some tough political choices. And understandably, I think the American people right now have been so focused, and will continue to be focused on our economy and jobs and growth, that if the message is somehow we're going to ignore jobs and growth simply to address climate change, I don't think anybody is going to go for that. I won't go for that.


シリアの反体制派が統一組織である「シリア国民連合」を結成して、フランスがシリアの代表として承認したことについては、オバマはシリア国民連合をシリアの人々の望みを代表するものだとは認めるけれど、亡命政府としてはまだ認めないつもりだそうです。イスラム過激派がシリアの反体制派に加わっているという話もあるので、そう簡単には判断できないようです。

We consider them a legitimate representative of the aspirations of the Syrian people. We’re not yet prepared to recognize them as some sort of government in exile, but we do think that it is a broad-based representative group. One of the questions that we’re going to continue to press is making sure that that opposition is committed to a democratic Syria, an inclusive Syria, a moderate Syria.

We have seen extremist elements insinuate themselves into the opposition, and one of the things that we have to be on guard about -- particularly when we start talking about arming opposition figures -- is that we’re not indirectly putting arms in the hands of folks who would do Americans harm, or do Israelis harm, or otherwise engage in actions that are detrimental to our national security.

2012年11月14日水曜日

不倫将軍ペトレイアス

CIA長官を辞任したペトレイアスさんの不倫問題がややこしいのでまとめておく。タイトルは書いてみたかっただけで、ペトレイアスさんのことを「将軍」と呼ぶかどうかは定かでありません。

事が露見した発端は、フロリダ州タンパに住むジル・ケリーさんが脅迫メールを受け取ったことにあります。ケリーさんは5月に友人のFBI職員に相談。このFBI職員はFBIのサイバー犯罪を担当するチームに事件を持ち込んで、捜査が始まります。

The FBI agent who started the case was a friend of Jill Kelley, the Tampa woman who received harassing, anonymous emails that led to the probe, according to officials. Ms. Kelley, a volunteer who organizes social events for military personnel in the Tampa area, complained in May about the emails to a friend who is an FBI agent. That agent referred it to a cyber crimes unit, which opened an investigation.(参照、WSJ)

この捜査から脅迫メールの送り主はペトレイアス氏の伝記の著者として知られるポーラ・ブロードウェルさんであることが判明。ケリーさんは夫のスコットさんとともにペトレイアス氏夫婦と家族ぐるみの付き合いがあったのですが、ブロードウェルさんはケリーさんとペトレイアス氏が交際していると思ったらしい。で、「なんでブロードウェルさんが怒るの?」と調べてみたところ、ペトレイアス氏とブロードウェルさんが不倫関係にあることが分かった。

この不倫関係はペトレイアス氏もブロードウェルさんも認めています。軍関係者の不倫(adultery)は内規(Uniform Code of Military Justice)によって禁じられています。不倫をしていると、敵対国のスパイとかから、「不倫を家族にばらされたくなければ、機密情報をわが国によこせ」みたいな脅迫を受ける可能性があるからだそうです。

で、ペトレイアス氏がブロードウェルさんに機密情報を漏らしていたかという点なんですが、FBIは早々に「情報漏洩はなかった」と結論づけた。ブロードウェルさんのパソコンから機密情報にあたる可能性のある文書が見つかっているのですが、ペトレイアス氏は「俺から漏れたんじゃない。べつの奴からじゃないの」と言っているらしい。

FBI agents contacted Petraeus, and he was told that sensitive, possibly classified documents related to Afghanistan were found on her computer. He assured investigators they did not come from him, and he mused to his associates that they were probably given to her on her reporting trips to Afghanistan by commanders she visited in the field there. The FBI concluded there was no security breach.(参照、APの記事@シカゴトリビューン)

ただ、ブロードウェルさんが機密情報を握っていた可能性はある。ブロードウェルさんは10月にデンバー大学で行った講演で、9月11日のリビアでの領事館襲撃テロについて、「CIAは領事館でリビアの武装勢力のメンバーを拘束していた。襲撃の目的は彼らを解放することにあった」と話している。CIA側は「そんなことしてないしー」とコメントしていますが、もしかしたら機密情報を知りえるブロードウェルさんの言っていることが正しくて、情報漏洩や領事館警備のまずさを認めたくないCIAが虚偽のコメントをしているのかもしれない。

"I don't know if a lot of you have heard this, but the CIA annex had actually taken a couple of Libyan militia members prisoner and they think that the attack on the consulate was an effort to get these prisoners back," Broadwell said.

A senior intelligence official told CNN on Monday, "These detention claims are categorically not true. Nobody was ever held at the annex before, during, or after the attacks."(参照、CNN)

ペトレイアス氏の辞任は9日。15日にはリビアでの領事館襲撃事件について上院で証言する予定だった。やましいところがあるペトレイアス氏は議会で証言したくなかったんでしょう。

で、事の発端となったケリーさんなんですが、この方もアフガニスタン駐留国際治安支援部隊(ISAF)のアレン司令官と不適切なメールを交換していたことが分かっています。なんか2万から3万ページ分の情報を交換していたとのことで、国防省による捜査が始まっています。ケリーさんは軍関係のボランティアイベントでアレン氏とペトレイアス氏と知り合った。両氏はケリーさんと家族ぐるみの付き合いで、ケリーさんのtwin sisterが関わった親権争いで証言するほどだったそうです。

Kelley had gotten to know both Petraeus and Allen as a volunteer setting up social events at MacDill Air Force Base outside Tampa, headquarters of U.S. Central Command.

The relationship was evidently close enough that both men intervened in a child custody battle involving Kelley's twin sister, Natalie Khawam.(参照、ロイター)

この不適切な交信問題の結果、アレン氏は北大西洋条約機構(NATO)欧州連合軍最高司令官への転出が凍結された。ISAF司令官には留任。

あと、FBIによる捜査が少なくとも夏には始まっていたのに、議会に対する正式な通告が大統領戦後までなかったことに議会が怒っています。CIA長官の不倫は機密情報の漏洩につながる恐れがある重大案件なのだから、捜査でペトレイアス氏の名前が浮かんだ時点で議会に報告すべきだというわけです。一方、FBIは「早い段階で情報漏洩はなかったと分かったので、議会には報告しなかった」としています。

上院のIntelligence Committeeのダイアン・ファインスタイン(Dianne Feinstein)委員長は、ペトレイアス氏に議会証言させるように求めるとともに、FBIが捜査を通告しなかったことに憤っています。(参照、CNN)

ちなみに、最初にケリーさんから相談を受けたFBI職員は捜査自体からは外された。で、FBIの上層部が事件を闇に葬り去ろうとしているんじゃないかと恐れて、共和党のデービッド・ライカルト(David Reichert)下院議員に情報提供しています。ライカルト下院議員はFBI職員に、下院の多数党院内総務のエリック・カンター(Eric Cantor)下院議員に電話するようにアレンジしています。10月27日のことです。でも、カンター院内総務は自分のスタッフにFBIに連絡するように言っただけで、「情報源が確かではない」として、ジョン・ベイナー(John Boehner)下院議長らには連絡しなかった。(参照、ABC)

大統領選の最中にFBI職員がCIA長官のスキャンダルを捜査しているんですよ。で、FBI上層部から捜査から外れるように言われる。なんとか捜査を進めたいとして議員に接触するんだけれど、議員がバカで反応してくれない。ハリウッド映画なら、どんな展開になったでしょうね。っていうか、このFBI職員って、めちゃくちゃヒーロー気分になったんじゃないだろうか。

まだまだ事件は進行中ですが、これまでのタイムラインが、CNNのサイトにあります。

2012年11月12日月曜日

ブッシュ減税終了とバフェットルール


オバマ大統領が再選されて、次はFiscal Cliff(財政の崖)への対応です。ブッシュ減税の終了による消費の下押しと、Budget Control Actで定められた予算規模の自動的なカットなどが景気を下押しすると予想されているわけですが、オバマとしてはどうしようとしているのか調べておいた。歳出カットの方はよく分からないので、ブッシュ減税の終了なんかについて。

まずブッシュ減税とは何ぞやということですが、これは2001年のTax Relief, Unemployment Insurance Reauthorization, and Job Creation Act(EGTRRA)と、2003年のJobs and Growth Tax Relief Reconciliation Act(JGTRRA)で実施された減税措置で、所得税やキャピタルゲイン課税と配当課税の税率が引き下げられ、所得税の最高税率は35%、キャピタルゲイン課税の最高税率は15%になった。2012年末にこのブッシュ減税が失効すると、所得税の最高税率はブッシュ減税前の39.6%、キャピタルゲイン課税の最高税率は20%に戻ってしまいます。配当課税は普通の所得としてカウントされることになる。

で、オバマとしては選挙中から中間層への減税は続けて、年間所得25万ドル以上の世帯には増税しますよと約束してきた。(参照) ということで11月9日の演説では、「とりあえず25万ドル未満の世帯には減税を延長することには異論はないはずでしょ?」と共和党に呼びかけています。

民主党はすでに7月25日、25万ドル未満の世帯への減税を延長するMiddle Class Tax Cut Act(参照1)(参照2)を上院で通しています。tax bracketを修正して、25万ドル未満の減税を継続、25万ドル以上は増税しようという内容です。だからオバマは11月9日の演説では、「共和党さえ賛成してくれれば、協議に時間はかからないよね」と言っています。ちなみに、このMiddle Class Tax Cut Actの採決は51対48。民主党のJim Webb(D-VA)と民主党系無所属のJoseph Lieberman(I-CN)が共和党とともに反対しています。

あと、先ほどのオバマの公約では25万ドル以上の世帯への増税のほか、Buffet Rule(バフェットルール)についても書かれています。バフェットルールは、年収100万ドル超の世帯のなかに、所得税とpayroll taxを合わせた実効税率が年収25万ドル未満の中間所得層の実効税率よりも低い世帯があるということを問題視したもので、「年収100万ドル超の世帯の実効税率を30%以上にしよう」というルールです。

ホワイトハウスの資料によると、年収5万ドル~10万ドルの世帯の実効税率は平均13%、10万ドル~25万ドルの世帯では18%。100万ドル以上の世帯だと平均で20~26%ということですから、25万ドル未満の世帯よりも高いわけです。でも100万ドル超を稼いでいる世帯のうち2万2000世帯では実効税率が15%未満になっていたりすることもある。ヘッジファンドのマネジャーが、収入を「キャピタルゲイン」として申告して、税率を15%にしたりしているかららしいです。バフェットルールが成立すると、2012~22年の税収は$46.7 billion増えると試算されています。(参照、このメモの冒頭にブッシュ減税の簡単なまとめがあります)

ちなみに民主党はバフェットルールについて定めたPaying a Fair Share Actを上院に提出し、4月16日に51人の賛成を得ていますが、共和党がフィリバスターでブロックしています。共和党は何がなんでも増税反対の姿勢をとっているというわけです。

2012年11月9日金曜日

懐かしの骨ブログ

先ほどの低所得から高所得への移動について留学時代のブログに書いてあるかと思って調べてみたら、どうも書いていなかったっぽい。骨とか若奥様とかバスケットボールのことは書いてあるけど、肝心なことは書いてないや。ちぇっ。

留学時代に使っていたパソコンにはいろいろとデータが残っているはずです。ただ、このパソコンは故障して電源が入らなくなっているんですよね。修理した方がいいかなぁ。

でもその代わりにオバマケア法案について書いたエントリを見つけた。(参照) 当時は民主党がマサチューセッツの上院補選で破れて59議席になったばかりで、共和党によるfilibusterが可能になった時期だったんですね。このころ共和党はノリノリだったみたいです。

ちなみにこのときにマサチューセッツで勝った共和党のブラウンさんは、今回の選挙で民主党のElizabeth Warrenさんに負けています。

マイノリティの支持、マジハンパねぇ


大統領選はなんだかんだで現職オバマ大統領の完勝という結果でした。選挙人は303以上。接戦州として挙げられていた11州のうち、ノースカロライナを除く9州で勝利を収めた(フロリダはまだ結果が出ていない)。「投票人が同数になったらどうしよう」なんて心配して損しました。バカみたい。

失業率を回復させられない「弱い現職」と、金持ちイメージのいけすかない「弱い対立候補」の対決で、なんでオバマが完勝できたかについてはいろいろと解説もありますが、なんだかんだで「オバマは選挙が上手かった」というものをよく見かける。ウォールストリートジャーナルのこの記事(原文の見出しは、Big Bet Six Months Ago Paved Way for President)なんか読むと、よくもまぁやるもんだと思います。ちなみにこのWSJ日本語版の記事は日本の新聞に載せるとすると、12字×525行あります。なげぇ。

あと選挙戦の結果について「アメリカは分断されているんだ」と分析する話もよく見ます。でも、アメリカの何がどう分断されているのかよく分らないので、米メディアによる共同出口調査の結果をみてみた。CNNのこのページがすごく分りやすい。

まず、Vote by Raceのところで驚くのは、白人だけでみると59%がロムニー支持であること。ロムニー完勝じゃんって感じです。でも、黒人の93%、ヒスパニックの71%、アジア系の73%がオバマ支持。Vote by Gender and Raceのところでは、黒人女性の96%がオバマ支持。黒人のおばちゃんは熱狂的です。でも、「アメリカって白人の方が多いんだから、ロムニーが勝つんじゃないの?」って思っちゃうわけですけど、投票者の28%が非白人っていうことなんで、そこで圧倒的な支持を得ることができるオバマは最初から優位なわけです。

なるほど、このグラフをみると、「アメリカはここで分断されてます!」って線を引けるぐらいだな。このオバマに勝とうとするなら、共和党も黒人を候補者にすれば良かったのにね。

次に、Vote by Incomeのところをみても、「あぁ、ここで分断されているのかな」という気がする。世帯収入が5万ドル未満の人たちは60%がオバマ支持。逆に世帯収入5万ドル以上の人になるとオバマ支持は45%で、ロムニー支持が53%になる。投票者の割合では、5万ドル以上の方が多数派なわけですが、5万ドル未満の人たちのオバマ支持の水準が強いために、全体ではオバマが盛り返すという結果になる。

Most Important Issue Facing Countryなんかもそうで、アメリカが抱える最大の問題は経済だと考える人が59%で最多。この人たちの間ではロムニー支持の方が多い。財政赤字が問題だと考える人たちのなかでもロムニーの支持はかなり強い。ただ、ヘルスケアが問題だという人が投票者全体の18%いて、この人たちの75%がオバマを支持している。ここでもやはり、2割程度の人たちの熱狂的な支持がオバマを後押ししているわけです。

負けたロムニー陣営は悔しいでしょうね。多数派の支持はロムニーにあるわけですから。下院選挙では共和党が多数を占める背景にはこうした事情があるのでしょう。下院の候補者全員がオバマというわけじゃないです。また、マイノリティの圧倒的支持というゲタをはかせてもらっても、全体ではオバマの得票率が50%にすぎなかったということは、やはりオバマは「弱い現職」だったことの現れだと思います。

そういえば選挙前、職場の先輩に「やっぱロムニーは金持ちだから嫌われるんですかね」と尋ねてみたとき、「そんなことないよ。アメリカ人は金持ち好きなんだよ」っていう返事だったな。ロムニーが嫌われたわけじゃないけど、オバマ支持の熱狂がかろうじて上回ったって感じですね。


まぁ、アメリカが分断されているというイメージは分った気がする。じゃぁ次は「どうして分断されているのか」っていうことになるんですが、これは「有色人種は白人にはなれない」ってことに尽きるんですかね。オバマは黒人と白人のハーフですから、なんとか橋渡しをしたいという理想をもっているんでしょうけど、実態は有色人種からの圧倒的な支持での勝利であって、白人からの強い支持は受けられていない。

あと、「低所得者はどんなに頑張っても高所得者にはなれない」っていうのもあるかもしれない。このあたりの事情は「家族政策(Child and Family Policy)」の授業でやったな。確か、低所得者が高所得者になったり、低所得者の子供が高所得者になる割合が少なくなっているとかいう話だったような気がする。うろ覚えですけど。もしかしたら逆だったかもしれない。また調べておきます。

2012年11月5日月曜日

選挙人の「裏切り」もあるのか?

CNNで「大統領選がタイになった場合、どうなるか分らんよね」みたいなことを言っていた。え? ロムニーが勝ちなんじゃないの? と思ったもんだから調べてみた。

大統領選でいずれの候補も過半数に達しなかった場合、大統領の選任は下院に委ねられます。下院は共和党が優位なので、ロムニーが選ばれる可能性が高い。また前々回のエントリーで紹介した合衆国憲法修正12条の規定によると、副大統領は上院が選ぶことになります。上院は現在、民主党がわずかに優位ですから、ここではバイデンが副大統領に選ばれる可能性が高い。すると大統領ロムニー、副大統領バイデンというねじれ状況が生じることになります。

根が素直な私は「だって憲法で定められているんだから仕方無いじゃん」と思ってしまうわけですが、ところが実際はそうでもない。有権者が大統領選で投票しているのは、あくまでも「選挙人」に対してです。でも、選挙人が実際に想定通りの候補者に投票するかどうかは分らない。例えば、州レベルでは共和党を支持したオハイオの選挙人の一部が民主党に投票しちゃうとか、そういったこともあるかもしれない。

CNNの7月26日の記事によると、過去の選挙においても10%ぐらいの選挙人は「投票結果と違う候補に投票しよっかなぁ」と考えたりするものらしく、選挙人は一部の勢力からロビー活動を受けたりもしている。実際にワシントンDCの選挙人が投票を棄権したり、ミネソタの選挙人が違う候補に投票することもあったとのことです。

後者の例については、こんな記事があります。2004年の選挙でミネソタ州は大統領にジョン・ケリー、副大統領にジョン・エドワードを選んだにも関わらず、10人の選挙人のうちの1人が大統領と副大統領の両方にジョン・エドワードを選んで投票した。結局、この「大統領にジョン・エドワード」の投票は無効とされて、この大統領選の投票人総数は238ではなくて237になった。

まぁ、ミネソタのケースはミスで起こった事態のようですが、ロビー活動の結果、選挙人の裏切りが起こる可能性があることには変わりありません。「投票人が同数になるかもしれない」というような状況では、1人の選挙人が棄権したり、投票が無効になったりすることが結果を左右することになります。大統領と副大統領がねじれてしまうという事態を回避するという大義名分のもと、熾烈な工作活動が繰り広げられるのかもしれません。

投票人による投票は12月17日。同数になった場合の下院による大統領選出は2013年1月7日の見通しだそうです。

2012年11月4日日曜日

もしもそうなったらどうなのよ

で、今回の大統領選挙でもしも269対269になったらどうなるのか。

大統領を決める投票を行うのは現在の下院です。議席数は民主党190、共和党240、欠員5と、共和党が圧倒しているわけですが、もしかして「州単位で1票」という下院が大統領を決める際のルールによって、勢力が拮抗したりしているかもしれません。ということで、このページで調べてみた。

すると、州内の下院議員の数で共和党が多数派である州は全部で33州。民主党が多数なのは14州。同数なのは3州です。大統領選が269対269となった場合はロムニーが勝つ可能性が極めて高そうです。

ちなみにBattleground Statesをみてみると、

ペンシルバニア(D7、R12)
ウィスコンシン(D3、R5)
ミシガン(D6、R9)
ネバダ(D1、R2)
オハイオ(D5、R13)
アイオワ(D3、R2)
ニューハンプシャー(D0、R2)
コロラド(D3、R4)
バージニア(D3、R8)
フロリダ(D6、R19)
ノースカロライナ(D7、R6)

という具合です。Dは民主党、Rは共和党。


まぁ、要は共和党は2010年の下院選挙で大勝ちしているので、どこの州では共和党が多いわなというだけの話ですね。2010年の選挙では、選挙前の民主党255、共和党178、欠員2という情勢だったのが、現在の共和党圧倒の情勢にひっくり返ったわけだから。にも関わらず、大統領選で共和党が勝負を有利に進められないのは、やっぱりロムニーが弱い候補だからなんでしょう。

2012年11月3日土曜日

引き分けってあるのかよ

米大統領選の投票人の数は538人です。ですからオバマとロムニーが269対269で同じ人数になる可能性もあります。

で、先日のBattleground Statesの票をみてみると、ロムニーがバージニア、フロリダ、ノースカロライナを抑えて、コロラドをひっくり返して、さらにネバダとアイオワととると78人。すでに固めている191人と合せて269となります。もしかしてもしかするともしかしたら、両者が同人数になるかもしれない。ということで、その場合の手続きを調べておいた。

このあたりの規定は合衆国憲法の修正12条に定められています。

修正12条(1804年)

選出人は、それぞれの州で集会し、大統領及び副大統領を無記名投票で選出する。そのうち少なくとも1名は、選出人と同じ州の住民であってはならない。選出人は、無記名投票で大統領として投票する者を、そして別の無記名投票で副大統領として投票する者を指名する。選出人は、大統領として投票されたすべての者と副大統領として投票されたすべての者及びそれぞれの得票数の別個のリストを作成し、署名し認証した上で、封印を施して上院議長に宛て、合衆国政府の所在地に送付する。―――上院議長は、上院及び下院の議員の出席のもとで、すべての認証を開封し、投票を数える。―――大統領としての最大得票を得た者は、その数が選出された選出人の総数の過半数であれば大統領となる。過半数を得た者がいなかった場合には、下院は大統領として投票された者のリストの中から3名を超えない最多得票数の者の中から、直ちに投票によって大統領を選ぶ。ただし、大統領を選ぶ際には、投票は州を単位にして行われ、各州の議員団は1票を有する。この場合の定足数は、3分の2の州から1名以上の議員が出席していることであり、選出のためにはすべての州の過半数を要する。そして下院に選出する権利がありながら次の3月4日までに大統領を選出しなかった場合には、大統領が死亡した場合や他の憲法上の職務執行不能の場合と同様、副大統領が大統領として職務を行う。―――副大統領として最多数の得票を得た者は、その数が選出された選出人の総数の過半数である場合には、副大統領となる。過半数を得た者がいない場合は、上院がリストの最多数を得た2名のうちから副大統領を選ぶ。このための定足数は、上院議員の総数の3分の2であり、選出には総数の過半数を要する。しかし憲法上の大統領の職につく資格を欠く者は、合衆国副大統領の職につく資格を有しない。*修正20条第3節により修正



つまり、269対269で同点の場合や、候補者が3人いて268対267対3とかいう場合は、いずれの候補も過半数の270に達していない。そうなると下院が投票によって大統領を決めることになります。ただし、各議員が1票もっているというわけではなく、全50州が議員団として1票ずつ投じて、過半数の26をとった候補者が大統領に選ばれるというわけですね。

で、このページによると、こうした下院が大統領を選ぶという事例は過去に2度あるそうです。1度目は1800年のジェファーソンが当選した選挙。2度目は1824年のジョン・クィンシー・アダムズ大統領が当選した選挙です。

ただし1度目は修正12条ができる前ですから、合衆国憲法2条1節3項に基づいたものでした。条文はこのページで確認できますが、当時は選挙人は1人が2票持っていて、過半数以上の最多得票者が大統領、次点の者が副大統領になるという制度だった。で、当時の選挙人の総数は138。ジェファーソン様と副大統領候補のアーロン・バーが所属する民主共和党は過半数となる73人からの支持を集めたのですが、73人全員がジェファーソンとバーに投票したために、過半数を超える同数の得票者が出てしまった。その結果として、下院による大統領選出になったわけです。本来であれば、民主共和党は73人のうち72人はジェファーソンとバーに投票して、残りの1人がジェファーソンと「バーではない誰か」に投票して、ジェファーソン73票、バー72票とする計画だったのですが、手違いで同数になったらしい。

で、ここからもややこしいんですが、1800年の大統領選と同時に行われた下院選挙は、民主共和党が68議席、連邦党が38議席をとった。でも、当時の大統領と下院の任期は1801年3月4日からだったので、新しい大統領を選ぶのは1798年の選挙で選ばれた下院なわけで、議席配分は民主共和党46、連邦党が60だった。つまり、ジェファーソン、バー組の民主共和党は少数野党だったわけです。

で、この連邦党支配の下院が、民主共和党のジェファーソンかバーかを大統領に選ぶわけですが、連邦党の議員は民主共和党のリーダーであるジェファーソンを大統領に選びたくない。そこで当時の全16州のうち、連邦党優位の6州はバーに投票。民主共和党と連邦党の勢力が拮抗する2州は白票を投じた。ジェファーソンは8州からの支持を集めたものの、過半数の9州には届かないわけです。ということでこの下院での投票は1801年2月11~17日にかけて、36回の投票を繰り返した。最後の36回目では、これまで白票を投じていたメリーランド州とバーモント州がジェファーソンに投票して、10州からの支持を集めたジェファーソンが大統領に選出されたというわけです。

で、これはちょっとマズいだろうということで、1804年に合衆国憲法の修正12条が成立した。

で、1824年の選挙ですが、当時は連邦党が崩壊していて、民主共和党から4人が大統領選に立候補。誰も過半数を取ることができず、下院がこのうち上位3人から大統領を選ぶことになった。1825年2月9日に下院での投票が行われ、当時の24州のうち、アダムズが13州をとって大統領に選ばれた。このときに投票したのは1822年の選挙で選ばれた下院です。

2012年11月1日木曜日

Battleground States

アメリカ大統領選まであと1週間を切っています。ということで、RealClearPliticsで現状をチェックしておいた。

今のところ両者が接戦を演じているのは11州。この11州の選挙人146を両者で奪い合っている状況です。逆にこの11州を除いた39州はほぼ票が固まったといわれいて、選挙人の総数はオバマが201、ロムニーが191。つまりロムニーが逆転するには、11州の146票のうち79票を取らねばならない。

そこでこの11州をオバマ支持が強い順番にならべてみると、

ペンシルバニア(20)
ウィスコンシン(10)
ミシガン(16)
ネバダ(6)
オハイオ(18)
アイオワ(6)
ニューハンプシャー(4)
コロラド(9)
バージニア(13)
フロリダ(29)
ノースカロライナ(15)

という具合です。カッコ内は選挙人の数。

現状では下から3つ(バージニア、フロリダ、ノースカロライナ)がロムニー優勢で、選挙人の数は合計57。79までもっていくには、あと22票足りないという計算です。

となると、コロラド、ニューハンプシャー、アイオワの3州をひっくり返しても19票ですから、まだ3票足りない。ということは、オハイオまでひっくり返さないといけないんですね。なるほど、オハイオが重要な州だと言われるわけだ。

また、オハイオさえひっくり返してしまえば、あと6票でオバマを逆転できる。となると、6票をもぎとるのに一番手っ取り早いのは、もっともオバマ支持の割合が少ないコロラドをひっくりかえすこと。アイオワやニューハンプシャーはどうでもいいということになる。

ということでロムニー陣営的には、バージニア、フロリダ、ノースカロライナを守りつつ、オハイオ、コロラドを攻める。逆にオバマ陣営はこのうち一つでも確保すれば勝てるわけで、オハイオ、コロラドの地固めに入るという感じですかね。

コロラドのオバマ支持率はロムニー支持率をわずか0.6ポイント上回っているだけなので、これはどう転ぶか分らない。オハイオはオバマの2.3ポイントリードなので厳しいかも。


ちなみにこの11州の9月の失業率をみてみると、

ペンシルバニア(8.2)
ウィスコンシン(7.3)
ミシガン(9.3)
ネバダ(11.8)
オハイオ(7.0)
アイオワ(5.2)
ニューハンプシャー(5.7)
コロラド(8.0)
バージニア(5.9)
フロリダ(8.7)
ノースカロライナ(9.6)

失業率が高いほどロムニー支持が高かったりするかと思ったのですが、そうでもないです。ただ、ロムニー陣営がミシガンとコロラドをひっくり返して22票超を確保するパターンもあるかもしれません。ミシガンはオバマの3.0ポイントリードですが、失業率が低いオハイオよりも攻めやすいかも。

妄想は止まりませんな。あと、RealClearPoliticsは便利すぎ。

2012年10月29日月曜日

1993年07月15日(7日目) バイカル湖

1993年07月15日(7日目) 晴れ

朝目覚める。夢を見た。悲しいことだ。バイカル湖に向かうバスの中で窓の外を眺めながら、"Fool On The Planet"を思い出すと、思わず感動する。ホテルに着いてしばらくして昼食にする。その伝票に「15万ルーブル」とあるのか「1万5000ルーブル」とあるのかでモメるが、2万ルーブルを渡すとちゃんとお釣りがきた。半信半疑で店を出たが、晩飯が7000ルーブルぐらいだったので正しかったのだろう。

リストビアンカに向かう前に洗濯物を出すか出さないかで少し腹を立てる。しかし所詮、怒りを持続できる性格でもないのですぐ忘れる。4人でリストビアンカまでてくてく歩いたが、風光明媚であることと、牛がいたこと、小学校2年の女の子が描くゆおな三角屋根に窓とカーテンとお花、さらに煙突まであるような家ばかりであったことが印象に残り、特に街までは行かなかった。

帰り道に見つけたプライベート・ショップという看板にひかれて本道をそれて歩いていると、偶然、有名な教会にたどり着く。思わず写真をとったりする。どーせ暇なので夕陽になるまでバイカルのほとりにいようということで、石を投げたり、名前を彫ったりしながら時を過ごす。のんびりしたもんだ。どーもこの時にペンを落としたらしい。今、Jのシャーペンを借りている。

それからカメラのバッテリーが切れそうだ。おとんもいい加減なもんである。モスクワーのゴーリキー通りとマルクス通りの交差点にあるナショナルホテルの一階にだいたい売っているらしい。もしなければグム百貨店にもあるそーだ。

晩メシ食ってシャワーを浴びて星を見る。まだ少し空が明るいせいか淡路島のときのような満点の星空ではなかったが、まぁよく見えた。砂漠に期待をかけながら、寝たりしよっかな。

1993年07月14日(6日目) シベリア鉄道、イルクーツク

1993年07月14日(6日目) 曇り

電車の中は何も起こらず、またしてもだらだらと昼になる。でも遠くの山のふもとに一面霧がたちこめていて、何とも不思議な光景だったので写真を撮っておいた。経ゼミはますます難しく困ってしまう。

ウラン・ウデの前の駅でジャガイモを200ルーブルで買う。「スコーリカ・ストーイト」を使うことに成功。ウラン・ウデではアイスクリームを買おうとしたが、オレンジ・エード(600ルーブル)を買っているうちに売り切れてしまう。結局、野望を果たせないまま再び列車に乗る。

ウラン・ウデを過ぎてしばらくすると、隣のコンパートメントのお父さんがドアをノックして、バイカル湖が見えると教えてくれた。通路には人が鈴なりで、私は気分がすぐれないというSとコンパートメント内で待機。ほとぼりが醒めてから、ゆっくりと見ることにする。

しばらくして通路に出てみると、人も少なくなっていたので座ってバイカル湖が見えるのを待っていると、ちょうど湖が見える頃に隣のコンパートメントの女の子が出てきて窓の外をながめだした。絶好のシャッターチャンスと思ったが、すぐお母さんが手前に立ったので撮る気がうせてしまう。(しばらく後に似たような写真は撮れた)

再びコンパートメントにひっこんで、女の子の気をひこうと「ウサギ」「カエル」などとやっているうちに、Jのマジックショーが始まる。マジックはウケたらしく、Jは車掌室に呼ばれてしまう。残った3人で洋楽の話をしているうちにイルクーツクに着く。

夜のロシアは真っ暗で、なぜかみんな急ぎ足でホテルに到着。ジュースを900ルーブルで買い、シャワーを浴びて日記を書く。止まっている場所で寝るのは久しぶり。ぐっすり9時まで眠ろう。明日は一応、Jのアラームで起きることになっているのだが、彼はアラームもセットせずに眠っている。大丈夫だろうか。あと、このホテルには日本人の団体がいて興ざめだ。一応私たちも団体だが、気概が違う。

2012年10月24日水曜日

イランといえばイスラエル

イランといえば、9月下旬の国連総会でイスラエルのネタニヤフ首相が爆弾の絵を持ちながら、何やら吠えていたので、今更ながら調べておいた。全文はこちら

ネタニヤフ首相が演説したのは9月27日の国連総会。

曰く、

・イスラエルは平和を愛する国であり、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教が共存できる世界を望んでいる。

・しかし中世的な価値観を持ったイスラム原理主義者はこうした考えに反対していて、イスラムの価値観で世界を征服しようとしている。

・イスラムの価値観を持った軍や武装組織は、イランのイスラム革命防衛隊からアルカイダまでいろいろある。

・これらの組織は人類をイスラムの教義が絶対視され、無慈悲な争いが続いた時代にまで引き戻そうとしている。

・彼らの試みは失敗するだろうが、問題はそれまでにどれだけの人命が失われるかだ。

・70年ほど前、狂気に支配されたイデオロギーが世界を征服しようとした。その企みは失敗したが、数百万人の命が失われた。企みに反対した人たちは長く待ちすぎたのだ。

・同じ失敗を繰り返してはいけない。

・核武装したイランについて理解するには、核武装したアルカイダを想像してみればいい。

・イランは核武装しない状態でも様々なことをやってきた。

・2009年には国内の民主化運動を暴力的に押さえ込み、今はイランの取り巻きたちが子供も含めた何万人ものシリア人を殺している。

・イラクやアフガニスタンでは米兵殺害にも関わっている。イランの代理人は、ベイルートやサウジアラビアでもアメリカ人を殺している。レバノンやガザでもテロ活動を続けており、何千発ものロケットやミサイルがイランの代理人ともいえるテロリストの手でイスラエルに打ち込まれている。

・2011年にはテロリストのネットワークは5大陸の24カ国にまで広がり、外交官を殺すためにホワイトハウスから数ブロックしか離れていないレストランで爆弾テロを計画していた。

・もちろんイランは虐殺を否定している。そして毎日のようにイスラエルの破壊を求めている。

・こうしたイランの行動を前提として、核武装したイランについて想像せねばならない。

・国際社会は核武装したソ連を押さえ込むことができたのだから、イランも同じようにできるはずだというかもしれないが、それは危険な仮定だ。

・マルクス主義者には自爆テロをするような者はいなかったが、イランにはそういう人間はいくらでもいる。

・ソ連はイデオロギーと自らの生存の選択を迫られて、自らの生存を選んだ。でも、多くの中東専門家が指摘するように、イランにとって「相互破壊」は抑止力にはならず、核戦争につながる誘因になる。

・ラフサンジャニ元大統領はこう言っている。「一発の核爆弾をイスラエルに対して使えば全てが破壊される。しかし、そのイスラム世界が傷つけられるだけのことだ」「こうした結末について真剣に考えることは非合理的なことではない」。("The use of even one nuclear bomb inside Israel will destroy everything, however it would only harm the Islamic world." "It is not irrational to contemplate such an eventuality.")

・私はこの15年間、イランの核武装を阻止するべきだと言い続けてきた。

・手遅れになりつつある。イランの核武装に向けた計画が中断されることはない。

・20年近くにわたって国際社会は外交によってイランの核武装を食い止めようとしてきたが、失敗してきた。

・オバマ大統領のリーダーシップのもと、イランに対して史上類をみない厳しさの経済制裁が課されており、効果が出ている。しかし、経済制裁がイランの核武装計画を止めることができていないという事実にも目を向けねばならない。

・IAEAによると、イランは2011年だけで地下核開発施設の遠心分離器の数を2倍にした。

・この最終段階において、イランの核武装を食い止める唯一の方法は、イランの核武装計画に明確なレッドラインをひくことだ。

・レッドラインは戦争を誘発するのではなく、戦争を阻止するのだ。

・集団防衛について明記したNATO憲章はヨーロッパの平和の維持に貢献してきた。

・キューバ危機の際、ケネディ大統領が引いたレッドラインが戦争を回避した。

・今年、イランがホルムズ海峡を閉鎖すると言ったとき、アメリカがレッドラインを引いた結果、イランは引き下がった。

・レッドラインはイランの核武装計画の核心的な部分、ウラン濃縮に関連づけて引かれるべきだ。

・イランは来年春、遅くとも来年夏には、中程度のイラン濃縮を終え、最終段階に入るとみられる。

・最終段階に入ってしまえば、核爆弾に必要なウランを手に入れるまでに数カ月、悪くすれば数週間で済んでしまう。

・だから、イランが中程度のイラン濃縮を終える段階、ここにレッドラインが引かれるべきだ。(where should the red line be drawn? The red line should be drawn right here………….. Before Iran completes the second stage of nuclear enrichment necessary to make a bomb.)



熱弁です。国際社会としてレッドラインを明確に示せば、イランは核開発計画を放棄するんじゃないかという趣旨のようですが、具体的にはどうしろというんでしょうかね。

次のアメリカの大統領とイスラエルが共同で「核濃縮の最終段階に入ったらただじゃおかないぞ!」と宣言すればいいのかもしれませんが、次期大統領がオバマかロムニーかによって情勢が変わってくるのかもしれません。

2012年10月20日土曜日

米国の対イラン制裁とハイパーインフレ

イランに対する経済制裁の結果、イランですごいインフレが起こっているらしい。ということで、米国のイラン制裁について調べておいた。

米国のイラン制裁は何度も何度も行われているけれど、最近では今年2月5日のExecutive Order 13599が話題になった。EO13599はこちら。これに関するホワイトハウスの声明はこちら。財務省の声明はこちら

で、これらの文書によると、この大統領令で、イラン政府、イラン中央銀行、イランの金融機関が米国内で保有している資産を凍結(blocked)。さらに、この凍結対象となっている組織(イラン政府、イラン中央銀行、イランの金融機関)と取引がある組織の資産も凍結された。財務省の声明では「これまではイランとの取引を”拒否”するように求められていただけだったけど、今回は”凍結”されることになる」と解説されています。

このあたりのニュースは当時の日本でも注目されて、イランからの原油輸入取引に関わっている日本の銀行の資産も凍結されちゃうんじゃないかと心配されたりもした。でも結局、日本と米国が協議をした結果、「日本はこのところずーっと、イランからの原油輸入を減らしてきているので、日本の金融機関が資産凍結の対象になったりはしないよ」ということで落ち着いた。よかった、よかった。

でも、良くないのはイランの方。この制裁によってイランの通貨、リアルには売り圧力がかかる。イランと海外の貿易が減るのだから、取引通貨としてのリアルは必要とされなくなるという見方が強まりますから(多分)。このリアル安の結果、イラン国内の輸入品の価格が上がることになって、イラン国民は困る。本来であれば、イラン政府が為替市場で外貨売りリアル買いの介入を行って、リアルの価値を維持したいところなんだけれど、制裁の影響はイラン政府にも及んでいるわけで、イラン政府には介入するだけの外貨準備がない。つまり原油をバンバン売って、外貨を獲得して、それを為替市場で売るということができないわけです。その結果、リアルは暴落モードに入って、国内の物価はハイパーインフレーション状態に突入している可能性もある。(参照)

暴落モードのきっかけは、イラン政府が食料や医薬品などの生活必需品を輸入する企業への支援策として、輸入用の外貨を割り当てる制度を作ったところ、「いよいよ外貨準備が尽きているんじゃないか」というパニックを呼び込んでしまったというものという説もある。(参照)

なるほどなぁ、経済制裁っていうのはこんな風な影響が出るものなんだなぁと。となると、なんですかね。イランでも暴動が起こったりするんでしょうか。イランが核開発疑惑を払拭できれば事は収まるのかもしれませんが、どうなんですかねぇ。


ただ、ちょっと面白い話もある。イランは紙幣の印刷を海外企業に頼っていて、その企業がイランへの紙幣供給を止めているので、インフレは加速しないかもしれないという話です。ほんまかいなという理屈ですが、ジョンズ・ホプキンス大学の偉い先生のコメントがニューヨークタイムズに載っています。(参照)

ハイパーインフレってどうやったら止まるんでしょうね。ジンバブエのケースでは米ドルそのものを決済通貨として使うようになった結果、ハイパーインフレが止まったってことらしいですけど、制裁を受けているイランでそのような政策が取れるはずもないです。

2012年10月17日水曜日

Budget Control Act of 2011とFiscal Cliff

Budget Control Act of 2011について調べておいた。

成立は2011年8月2日。
内容はこんな感じ。サマリーはこちら

・FY2012-2021の予算のうち、裁量的経費について国防関連も含めて自動的にカットする
・public debtのリミットを14.294 trillionから、$400 bn分だけ引き上げる
・議会からの反対がなければ、さらに$500 bn引き上げることができる
・同じような手続きで、さらに$1.2 trillion分引き上げることができる
・Joint Select Committee on Deficit Reduction(Super Committee)を作って、FY2012-2021にかけて$1.2 trillion以上の歳出削減のための合意を目指す

で、このSuper Committeeで何らかの合意がなされれば、予算の自動的カットを回避できるかもしれなかったけど、実際には合意に至らなかった。ということで、FY2012は$21 bn分の歳出抑制が行われ、FY2013から自動的な歳出カットが行われるということみたいです。(参照)

一方、オバマ大統領はこの法律に基づいて、11年9月にdebt limitを$900 bn分引き上げて、12年1月にさら$1.2 trillion分の引き上げを議会に要請した。(参照) この要請も認められて、今の債務上限は$16.394 trillion。で、この上限も来年1月ごろに突破するかもしれないという話もある。(参照)

とまぁ、こんな状態ですが、12年末にはブッシュ減税が期限切れとなって、13年1月からは増税となります。ブッシュ減税って10年にも期限切れになりかけたんだけど、オバマ政権が12月にTax Relief, Unemployment Insurance Reauthorization, and Job Creation Actを成立させて、期限が延長されていたのです。Congressional Budget Officeによると、現行法に基づいて、自動的な予算カットや増税が行われれば、FY2013の財政赤字は$607 bn(GDP比4%)も圧縮されます。経済成長が抑制されて税収が圧縮されるなどの効果を考慮しても、やっぱり$560 bnも財政赤字削減効果がある。(参照)

ただし、これでよかったよかったというわけではなくて、景気が下押しされることへの不安も大きい。これがいわゆるFiscal Cliff問題というやつですね。ウィキペディアによると、バーナンキさんが12年2月の議会証言で初めて使った言葉らしいです。(参照)


へぇ。

2012年10月12日金曜日

1993年07月13日(5日目) シベリア鉄道

1993年07月13日(5日目) 晴れのち曇って、ちょっと雨も降る

なんにも起こらないね。朝11時頃に目を覚まし、Сковоропино駅に降りる。別に何も売っていないし、することもなくて、外の空気を吸っただけで帰る。次の駅で降りたときはギョウザの変形版みたいなのにネギをまぶした様な、おそらくはマンタというやつであろうものを売っていたが、How much? がわからず断念する。帰ってから調べたが、また忘れた。再び調べ直さなければ。

列車に戻ると少しばかり経ゼミを読んでお昼寝である。この頃まで他の人間とはほとんど口をきかない。Sなんぞは1時頃まで寝ていた。ウラジオで買った時計が遅れていて、まだ10時ぐらいだと思っていたらしい。実にのんびりした生活である。

駅に止まって目を覚まし、ちょっと外の空気を吸って戻ってくると、流石にみんな元気が出てきたらしい。会話も交わされる。下ネタ、スカトロネタに続き、ノスタルジーネタも加わる。あまりにも暇なもんだから、虹が見えると盛り上がる。こうしてしげしげと虹を眺めるのも久しぶり。ロシアの虹は色濃くでっかく、力強い。虹を見ながら"Still love her"なんぞを口ずさむと思わずセンチメンタルな気分になってしまい腹が立つ。ロシアに来ても考えることはたいして変わらない。

暇ついでに白い馬がいただけで野良馬だと盛り上がる。川が見えると川だといって盛り上がる。日本にいると考えもしないだろうが、どれもこれも綺麗である。その綺麗な風景がごく当たり前に続いている。日本にいても綺麗な風景はごく当たり前に存在するのである。人工的に作られたビルだって高速道路だって、きっと綺麗だろう。でもそんな綺麗なものがごく当たり前に存在することに気づかせてくれるのは、日常と時間と義務から我々を解放してくれるこの鉄道の効用であろう。きっと日本も捨てたもんじゃない。

食堂車でチキンとサラダとボルシチを食べて満足である。経ゼミも肝心なところでもうひとつ納得ができない。まぁ、読むことに意義がある。意外と当たり前のことを見落としているのかもしれない。理解しようという義務感からはなれて、シベリア鉄道的にのんびり読もう。



★冒頭の駅名はキリル文字で書かれているのですが、アルファベットではSkovorodinoと表記するようです。

★ご存知かもしれませんが、"Still love her"というのは、あのTM Networkの名曲です。(参照)

1993年07月12日(4日目) シベリア鉄道

1993年07月12日(4日目) 晴れだけど途中ちょっと雨

さすがに電車の中では何も起こらない。朝起きたのは10時すぎ。だらだらパンを食べたり、ジュースを飲んだり、本を読んだりして過ごす。いくつかの駅に止まったが、別に降りるつもりもなく、だらだらする。

窓から見える風景はハバロフスクまでは湿原みたいな感じであったが、ハバロフスクをすぎてしばらくすると、ふつーの草原というかなんというか。夕方頃見えた景色はきれいであった。

食堂車でも食事をしたが、まずまず美味である。キャビア+ゆで卵とボルシチ、更にハンバーグがついて2800ルーブルぐらい。でも、オレンジジュースはまずかった。

4人の会話は下ネタからスカトロネタに移り、ますます男臭さを増している。今、夜の11時ぐらいだが、まだ太陽の光でほの明るい。下手したら星が見れないのでは。

電車の揺れや狭さにも慣れ、車内にも危険な雰囲気もなく、可愛らしい子供と太ったおばちゃんを視界の端に入れながら、通路の外をながめていると、たっぷりと異国情緒にひたれる。明日もこんなだらだらした1日であることを嬉しく思いながら、便所に行くことにする。

2012年10月9日火曜日

ベネズエラあれこれ

ベネズエラでチャベス大統領が選挙戦で勝利しました。事前の報道では対立候補のカプリレスさんが結構いい闘いをするんじゃないかと言われていましたが、結局は得票率で10ポイントぐらいの差がつきました。で、米国なんかからは蛇蝎のごとく嫌われていて、国内でも不満が高まっているといわれているベネズエラで、なんでチャベス大統領が再選できたんでしょうっていうことで、ちょっとだけ数字をみてみた。世界銀行のdatabankというサイトが超便利です。

とりあえず名目GDPをみてみると、成長率は04~08年は20%台後半から30%台後半という猛烈な勢いです。ただしこれは、この期間のインフレ率が平均25%という事情がありまして、実質GDPでは5~18%という成長率になります。リーマンショック後の09、10年は実質GDPの成長がマイナス3.2%、マイナス1.5%となりますが、11年は4.2%成長。もちろん先行きには不安があるんでしょうが、チャベスの施政下で経済がボロボロになったとか、長期低迷から抜け出せないということではないように思います。ベネズエラは原油埋蔵量がサウジアラビアよりも多いということらしくって(参照)、問題はその富をどうやって分配するっていうことなんじゃないか。

で、チャベス大統領は貧困対策で大きな成果を上げているっていうことらしいので、そのあたりのデータもあるかと思って、Poverty headcount ratio at national poverty lineというデータをみてみた。National Poverty Lineっていうのは、こういうことらしい。この数字をみていると、チャベス就任前の1998年は人口の50.4%が貧困状態だったけど、この数字は09年には28.5%まで下がっている。Poverty headcount ratio at $2 a dayという数値でも、98年の20.4%が、06年に12.9%に下がっているので、まぁ、そういうことなんじゃないだろうか。

あとベネズエラは治安が悪化しているという記述もよく見かけたのでIntentional homicides(10万人あたり)というのも調べてみると、98年の19.4が、2000年以降に増加基調に入って、09年は49になっている。

っていうことで、原油がジャバジャバ出てくるベネズエラでは、経済はインフレ問題は抱えながらも実質ベースでも経済成長は続いているし、貧困対策では成果が出ているわけです。だからチャベスが当選するのはそんなに不思議な気もしない。ただまぁ、治安も悪くなっているし、反米路線は鮮明ですから、「アメリカとビジネスしたいな」なんて思っている人たちからすればチャベスは邪魔なんでしょう。それに「21世紀型の社会主義」を目指すということですから、民主主義とか資本主義を求める人たちからしてもチャベスは不都合。そんな人たちがベネズエラでも増えてきたけど、やっぱりチャベスを支持する人たちも多いってところですかね。

まぁ、ちょっと調べただけなんで、また機会があったら勉強しておきます。ベネズエラの歴史とか何も知りませんし。

2012年10月3日水曜日

ソニーの初代社長

ソニーの初代社長は前田多門さんといいます。井深大でも盛田昭夫でもない。

ソニーのサイトによると、

1946年5月7日の昼、総勢二十数名の小さな会社「東京通信工業」(現ソニーの前身、以下東通工)の設立式が始まった。社長には戦後すぐの内閣で文部大臣を務め、文化人でもあった井深の義父の前田多門(まえだ たもん)になってもらい、専務に井深、取締役に盛田が就いた。(参照)

とのことです。

井深さんは2代目社長。3代目が盛田さんで、4代目が岩間和夫、5代目が大賀典雄、6代目が出井伸之。

テストには出ないので、忘れてもいいです。

2012年10月1日月曜日

米大統領選

アメリカの大統領選が11月6日にあります。RealClearPoliticsによるまとめでは、今のところ現職のオバマ大統領が共和党のロムニー候補を4.1ポイントリードしているそうです。ロムニーさんは金持ちすぎて嫌われているようで、なんとなく「オバマで決まりなんじゃないの」っていう雰囲気もあります。そんななか今さらなんですが、米大統領選のあれこれについて調べてみました。

まず「大統領選なんて現職が勝つに決まってんじゃないの?」と思ったもので、ちょっと調べてみたところ、第二次世界大戦後の米国の大統領選挙はこれまで16回ありまして、このうち現職が出馬したのは10回。で、現職がそのまま勝って2選を果たしたのが7回。つまり現職の勝率は7割ということで、基本的には現職は勝って当然ぐらいのイメージでいいんだと思います。

では今回の大統領選はオバマさんが勝って当然の情勢かというと、なかなかそうともいえない。再選を果たした7人の現職のうち5人は9月時点の世論調査で対立候補に10ポイント以上の差をつけている。つまり現職はぶっちぎりで勝つのが当たり前なんだけれど、9月時点で4.1ポイントしか差をつけられていないオバマさんは現職のわりには苦戦している。

しかも現職が負けた3つの選挙戦は、いずれも大統領選段階(11月)の失業率が7%を超えているという共通点がある。つまり「失業率を7%未満にできない現職大統領」は再選できないというわけです。現在の米国の失業率は8%超という状態ですから、オバマさんが悪いジンクスを踏襲してしまう可能性もある。

では、失業率を7%未満にできない現職大統領を相手にして、ロムニーさんは健闘しているのかというと、実はそんな感じでもない。11月の失業率が7%超で現職が破れた3回の選挙では、対立候補は9月時点の世論調査で悪くともポイント差なしにまで現職に迫っている。ロムニーさんは失業率を7%未満にできない現職大統領に対して、9月時点で4.1ポイントのリードを許しているわけで、大して強い候補ではないということだと思います。

ちなみに現職大統領を破った3人の候補というのは、1976年にフォード大統領を破ったカーターさん、1980年にカーター大統領を破ったレーガンさん、1992年に父ブッシュ大統領をやぶったクリントンさんです。1976年のフォード大統領は、74年のウォーターゲート事件で辞任したニクソン大統領の後任として副大統領から昇格した人ですから、人気がなかったのは当然。このフォード大統領が敗れた選挙を例外とするならば、現職大統領を破ったのはレーガンさんとクリントンさんだけということになります。では、ロムニーさんがレーガンさんやクリントンさんに匹敵するほどの対立候補といえるかどうかというと、これはもう甚だ疑問だというしかありません。

つまり今回の大統領選は「失業率を7%未満にできない大統領」対「大したことない対立候補」という図式。まぁ、なんか盛り上がりに欠けるのもうなずけますけど、弱弱対決で接戦になるんじゃないですかね。


あと、大統領選と失業率について調べて気づいたんですが、大統領選からの4年間で失業率を下げた大統領というのは、トルーマン(2期目)、ケネディ+ジョンソン(1期目)、ジョンソン(2期目)、カーター、レーガン(1期目)、レーガン(2期目)、クリントン(1期目)、クリントン(2期目)となりまして、レーガンの2回以外はすべて民主党です。

逆に任期中に失業率を上げた大統領というのは、アイゼンハワー(1期目)、アイゼンハワー(2期目)、ニクソン(1期目)、ニクソン(2期目)+フォード、父ブッシュ、子ブッシュ(1期目)、子ブッシュ(2期目)で、例外なくすべて共和党。ただしオバマ大統領は民主党として初めてこのリストに名前を連ねることになるかもしれません。前回大統領選時(2008年11月)の失業率は6.8%でしたから、ちょっとハードルは高い。

1993年07月11日(3日目) ウラジオストク

1993年07月11日(3日目) 曇り、晴れとみせかけて雨

なんだか知らんが、今日は疲れた。まず朝、あのモジャオが向かいのコンパートメントであったことに気づく。話が筒抜けだったのではという話もあったが、結局無視してしゃべり続ける。

ウラジオに着くと、上陸までに2時間程待ったのでは? やはり入国手続きに時間をかけるのかと思っていると、一発で終わる。さて、いよいよウラジオ観光と思っていると、両替をする場所が見つからない。困っているうちん、1ドル700ルーブルという現地人が現れ、そのレートで手をうつ。このときJはちょとだけしか両替しなかった。レートが気に入らなかったらしい。

次に手荷物をあずけることにしたのだが、いくらかかるのか、何時まで引き取りができるのか、全くわからない。しかし、ここはさすが旅慣れたJである。ペンと言葉を巧みに用いて情報を仕入れ、無事に預けることができた。

ウラジオの街に出ると小雨。この悪天候の中、展望台にのぼり、雨にけむったウラジオベイを見下ろす。情緒がないこともない。雑多な船の甲板がいとをかし。

それから博物館の前にゆくと、物売りの少年が寄ってくる。私はレーニンのバッヂと絵はがきを買ったのだが、Nの買ったマカロフバッヂがうらやましい。その後、Sの強い主張でウラジオホテルでリッチなランチ。ウェイトレスのお姉ちゃんは親切で、我々にとても評判が良かった。

しかしそれよりも、ここでは謎の日本人、カメ田とアレックスがいたのである。カメ田はモスクワに自費留学している人で、ロシア語が上手い。アレックスは正に謎。何を考えているのか私にはわからない。最初は物売りかと思ったが、そうでもなく、ボートに乗ろうと言ったり、泳ぎだしたり、わけがわからない。親切なのは結構なのだが、行動の主導権を握り、時に友人とわけのわからん事を話したりするので、私はあまり快く思っていなかった。2時間ほど一緒にいたのだろうか、ついに我々はウラジオ駅でアレックスを振り切り、再び4人での行動に戻った。

まず念願のシベリア鉄道に備えるための買出しである。あっさりジャイケンで負けた私とNがが買いに行くことになった。しかし実際は私は荷物持ち程度で、交渉はほとんどNがやった。私などはロシア語で数も数えられないのである。旅行前の不勉強を深く恥じる。

でもなんとかパンも買え、ひたすら鉄道の時間を待つ。8時から12時半までの長丁場であったが、Sの下ネタ作戦や地べたに座りむ同化作戦でなんとかしのぐ。

私とNで列車を捜し(これも実際はNだけの活動である)、列車に乗り込むが、この列車がまた、狭い、暑い、きたないと三拍子そろったうえに、縦横の激しい揺れ、更にはシーツが濡れているという条件である。みんな怒りでテンションが高くなるが、疲れのせいか皆、寝つきが早い。今、起きているのは私だけか?

そうそう、Jがルーブルを手に入れるとき、トリックにひっかかり、30ドルを2ドルにして返されてしまった。あの旅人でマジシャンのJでさえトリックにひっかかるのである。恐るべきロシア人。私などトリックにひかっかっても気づいてないだけかもしれない。

この列車の揺れの中、書くのはしんどい。もう便所に行ってねる。


★天気のところの「みせかけて雨」というのは、愛読していた「がんばれタブチくん」に出てくるクワタのキャラクターを意識したものです。

★「雨にけむったウラジオベイ」というのは、アルフィーの曲「ふたりのGraduation」に出てくる「雨にけむる TOKYO-BAY」という歌詞を意識したものですが、別にアルフィーのファンというわけではないです。

★いろいろと分かりにくいところの多い文章ですが、おつきあい頂ければ幸いです。

1993年07月10日(2日目) 船中

1993年07月10日(2日目) 曇のちちょっと晴と思ったら少し雨も降ったらしい

ロシア人は大量の食事をとるらしい。朝食から異常に量が多いのである。おまけにお茶の時間まであるから、私は生まれて初めてではないかというぐらい大量の食物を摂取した。こんな食事をするからロシア人はでっかいのだろう。踊っていたおねーさんもデカイ。水夫のオヤジもでかい。

そうそうデカイといえば、謎の美女(レイナというらしい)の父にして、木彫り職人、更には宗教活動も行い、一説にはホモだとも噂されるモジャイスキーもでかい。船の上では運動不足になってしまうので私もモジャイスキーの様になってしまうのではないだろうか。しかし明日ウラジオに上陸すれば、あの荷物を持って半日以上活動せねばならない。おそらくモジャイスキーになっている暇は無いであろう。

それから今日は入門経ゼミを読んだ。私は勉強家であるなーとつくづく感心する。シャワーも浴びた。おそらくイルクーツクまで浴びることはないだろう。狭かったが、結構さっぱりした。

さっぱりと言えば、あの宮沢りえ主演の豪姫がビデオルームで流れていた。ラストシーンだけみると実につまらない映画であったことが想像される。映画館で見た人は気の毒なことだ。

昼間にナースと話をした。別にこれといった話もしてないが、彼女は夜勤明けにカバンに水をつめて、富山県内から伏木港に行き、この船に乗り、昔バレーボールをやっていたそーだ。連れの友達は船酔いがひどいらしい。

明日はいよいよ本土上陸。まずシベリア鉄道のチケットをつつがなくもらえるかという不安を抱いている今日このごろである。

それにしてもJはよく寝る。

1993年07月09日(初日) 船中

1993年07月09日(初日) 晴れのち曇、夜には小雨

伏木まではひどく暑い。出国手続きする人も、手続きを待っている人も、船の中の人も皆、不慣れである。アントニーナなんたら号の甲板に、阪神の帽子を被った謎の美女を発見。我々の話題の中心となるが、MUSIC HALLで話しかけてきたのは、伏木で会った一瞬遠目にはみゆきちゃん似かと思ったが、実際にはそうでもなかったピンクのリュックの女性であった。

この船にはMUSIC HALLなるものがあって、夜毎宴が繰り広げられているらしい。この船には酒の入ったおっちゃんが多く、我々の部屋のトイレを借りて、我々を困らせる者も現れる。海外旅行では現地人より、日本人に気をつけた方がよいようだ。まぁ、我々も似たようなものかもしれないが。

あと書くことといえば、Jがよく寝る。しかも寝起きはよくない。また、船中の食事は質、量ともにまずまず。ただし、パンはカスカスであまりうまくない。シベリア鉄道内でもこんな感じのパンを食うことになるのだろうか。少し不安であるが、まぁ、旅とはこんなものであろう。何でも食べなければ世界には出れないと、宇治の木幡から来たという内装屋のおっちゃんも言っていた。

このおっちゃんによると、我々は30歳まで頑張れば楽な暮らしができるそーだ。一理あるようだが、別に楽な暮らしをするために生きているのではないと考えるのは、若さゆえであろうか。

あと、私はロシア語の会話が全く覚えることができない。完璧に覚えたのはスパシーバぐらいで、これも明日になれば覚えているかどーか疑わしい。ズトラストヴィーチェ(?)やスパコーイナイノーチやオーチェニ・フクスーナは極めて怪しい。

最後に例の阪神美女はアイヌ系と噂されるヒゲオヤジと、ロシアの人らしいオカンが一緒にいる。

夜になって船の揺れが激しく、Nが苦しそうである。にもかかわらず、隣の部屋のロシア人グループは日本オヤジに負けず騒々しい。最初のうちは許せたが、ちょっぴり腹をたてつつある自分がいる。あー、揺れが激しい。これ以上書くと、Nの二の舞である。では、スパコーイナイノーチ。

街道を遼かにゆく

今は2012年なわけですが、今からさかのぼること19年前、大学3年生だった私は友人3人と一緒にウラジストクからシベリア鉄道でモスクワに行って、そこから飛行機てタジキスタンだかカザフスタンだかに入って、そこから鉄道で中国新疆ウイグル自治区のウルムチに入って、さらに鉄道で上海まで行って、そこから船に乗って神戸まで戻るという旅行をしたことがある。

で、そのときつけていた日記が手元にある。せっかくなので、「街道を遼かにゆく」のタグで公開していこうと思います。私も内容は全然覚えていないのでドキドキなんですが、ほぼ20周年なんでまぁやってみようかなと。

基本的には原文ママです。文体は「である」調になっています。ただ、同行した友人の名前は、イニシャル(SとNとJ)でごまかします。

2012年9月29日土曜日

こうなのか尖閣

サンフランシスコ平和条約から沖縄返還協定までの流れを中国側の主張に沿ってみると、

1951年9月のサンフランシスコ平和条約では釣魚島は米国の委託統治地域に含まれていなかった。
1952年2月の68号令、1953年12月の27号令で、琉球列島米国民政府は勝手に委任管理の範囲を拡大し、釣魚島を管轄下に組み込んだ。
1971年6月の沖縄返還協定で釣魚島が日本に返還された際、中国は抗議した。

となります。

で、ちょっと疑問に思ったのですが、中国は1952、53年に米国が尖閣諸島を管轄下に組み入れた際に何の抗議もしなかったのかという点。白書では「1958年に領海に関する声明を発表し、台湾およびその周辺諸島は中国に属すると宣言した」とは書いてありますが、随分と時間があいている。中国が本当に尖閣諸島を自国領土だと認識していたのだったら、68号令、27号令が出た時点ですぐに猛烈に抗議していたはずじゃなかったのか。

あと、中国は下関条約で日本に割譲された尖閣諸島はカイロ宣言やポツダム宣言で中国に返還されたという立場のようですが、それだったら、その時点で尖閣諸島への実効支配を進めるような手段をとっているはずではなかったのか。

まぁ、そんなことを考えていると、外務省サイトのQ&Aのなかにある「1968年秋、日本、台湾、韓国の専門家が中心となって国連アジア極東経済委員会(ECAFE:UN Economic Commission for Asia and Pacific)の協力を得て行った学術調査の結果、東シナ海に石油埋蔵の可能性ありとの指摘がなされ、尖閣諸島に対し注目が集まった」ことを背景として、1971年の沖縄返還協定を機に中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めたのかなという気がします。

一方、昔の話については、14、15世紀ごろに尖閣諸島を実効支配していたのは中国だったんだけれど、その後、誰も利用していない無人島になっちゃって、それを1895年1月に日本政府が管轄下においたということなんだと思う。ただ、この手続きが国際法上有効なのかどうかは分りません。でも、有効じゃなかったからといって、「尖閣は中国のもの」という結論になるわけでもない気がする。そんなこと言い出したら、世界中の国境がガタガタになっちゃうんじゃないのか。


ただ、領土をめぐる問題というのは今に始まったことではないわけです。にもかかわらず、日中間の経済的、文化的な交流は拡大してきたわけで、まぁ、しばらくすれば仲直りの機運が出てくるんじゃないですかね。中国人だって日本車や日本企業の建物を壊したところで何のメリットもないことは気づくでしょう。あんな映像みせられたら、どんな外国企業だって「中国に投資することのリスク」を再認識するだろうし、「最近、中国の賃金も高くなってきたこともあるから、次の工場はベトナムかミャンマーに建てようかな」と思うかもしれない。

日本としては政治的には闘いつつ、あと中国の暴動のひどさを国際社会に訴えつつ、ユニクロ着て中華料理を食っていればいいんだと思います。

どうなんだ尖閣

尖閣問題についての日本の主張を調べてみました。まぁ、外務省のサイトをみただけですけど。

ちなみに前回、中国側の主張をまとめるために読んだ「釣魚島は中国固有の領土である白書」は、人民日報日本語版のサイトにあります。

で、日本側の主張なんですが、

・日本は国際法の手続きに則って尖閣諸島が無主地であることを確認し、1895年1月に尖閣諸島を領土に編入した。(←中国は「釣魚島は古来から中国の領土だった」「日本は釣魚島編入の手続きを秘密裏に進めており、国際法上の効力はない」と主張)

・なので1895年5月の下関条約(馬関条約)によって、中国から日本に割譲されたものではない。(←中国は「馬関条約で中国から日本に割譲された」「(馬関条約を否定した)『カイロ宣言』『ポツダム宣言』『日本降伏文書』に基づき、釣魚島は台湾の付属島嶼として台湾といっしょに中国に返還されるべきもの」と主張)

・1951年のサンフランシスコ平和条約で日本が放棄した領土に尖閣諸島は含まれておらず、南西諸島の一部としてアメリカの施政下に置かれた。(←中国は「アメリカの施政下におかれた南西諸島に釣魚島は含まれていない」「アメリカは52年2月の68号令、53年12月の27号令で、釣魚島を管轄下に組み込んだ」と主張)

・1971年の沖縄返還協定で尖閣諸島は日本に返還された。(←中国は「沖縄返還協定には声明を発表して抗議している」と主張)

・中国は1970年後半に尖閣諸島周辺で石油開発の動きが出てきたことを受けて、尖閣諸島の領有権を問題とし始めた。(←中国は「中国はサンフランシスコ平和条約に反対。1958年には領海に関する声明を発表して、釣魚島の領有を主張している」と主張)

ということです。意見があいませんなぁ。


まず「日本は尖閣諸島は無主地であることを確認のうえで領土に編入した」という日本の主張が正しいかどうかですけど、中国は「順風相送」「中山世鑑」とかいった古い文献を持ち出したり、手続きの正当性に疑問を投げかけて否定しています。これに対して、日本側はさっきの外務省サイトからリンクされているQ&Aで、「(中国の指摘は)いずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とは言えません」とだけ反論しています。でも、これだけじゃ日本の主張が正しいのかどうかよく分りません。

次は「尖閣諸島は下関条約で中国から日本に割譲されたものではない」という日本の主張について。下関条約第2条では「奉天省南部」「台湾と付属島嶼」「澎湖列島」が日本に割譲されることになっています。で、中国は魚釣島は白書で「台湾の付属島嶼としてともに日本に割譲された」と主張している。下関条約は台湾の付属島嶼がどの島であるかは明示していなくて、細かい範囲は両国から選出した境界共同画定委員が決めるとなっています。この画定委員がどんな判断を下したかは、ちょっとインターネットで検索してみたぐらいでは分りません。多分。ちなみに下関条約はこちら

「サンフランシスコ平和条約で日本が放棄した領土に尖閣諸島は含まれていない」という日本の主張については、サンフランシスコ平和条約を読めば分るんじゃないか。で、読んでみると、放棄する地域について定めた第2条に「台湾および澎湖諸島」が含まれている。中国的には釣魚島は台湾の付属島嶼なわけだから、「台湾と書いてあるんだから、その付属島嶼である釣魚島も含まれているに決まっている」と言いたいのかもしれません。日本にすれば「付属島嶼なんてどこにも書いていないじゃんかよ」ということでしょう。で、アメリカが委託統治する地域を定めた第3条には「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む)」というのが入っている。尖閣諸島は北緯25~26度ぐらいですから、まぁ、尖閣は南西諸島に含まれているのかなという気もします。サンフランシスコ平和条約はこちら

沖縄返還協定で尖閣諸島が日本に返還されたことについては、中国も認めています。白書によると、1971年12月30日に「米日両国政府が沖縄『返還』協定で、中国の釣魚島などの島嶼を『返還地域』に組み入れたことは、まったく不法なことであり、これは中華人民共和国の釣魚島などの島嶼に対する領土主権をいささかも改変し得るものではない」と抗議したとしています。つまり、1951年のサンフランシスコ平和条約で米国に統治委託された地域に魚釣島は含まれていなかったので抗議しなかったけど、71年の沖縄返還協定の範囲には魚釣島が含まれていたので抗議したということじゃないでしょうか。

このあたりの経緯が日本からすれば、「中国は尖閣周辺で石油が出るかもという話になったので急に領有権を主張し始めたのではないか」という主張につながるんだと思います。


長いので、続きます。

2012年9月27日木曜日

なんなんだ尖閣

尖閣問題がよく分らないので、中国政府が9月25日に発表した「釣魚島は中国固有の領土である白書」というのを読んでみた。中国の基本的な立場をまとめたものらしい。

それによると、

1)釣魚島は中国固有の領土である
2)日本は釣魚島を窃取した
3)米日が釣魚島をひそかに授受したことは不法かつ無効である
4)釣魚島の主権に対する日本の主張にはまったく根拠がない
5)中国は釣魚島の主権を守るために断固として闘う

ということのようです。

それぞれのポイントを簡単に要約してみると、

1)釣魚島は中国固有の領土である
明代の1403年に完成した「順風相送」という本に釣魚島などの地名が記載されている。また1372~1866年にかけて明、清の朝廷が琉球王国に使節(冊封使)を派遣する際、釣魚島は中継地点として使われていた。1650年の琉球王国最初の正史「中山世鑑」には、「久米島が琉球王国の西端である」という趣旨の記述があり、釣魚島は琉球王国の領土に含まれていない。明代、清代の地図では釣魚島が海防範囲に組み入れられており、1871年の「重纂福建通史」は、釣魚島が台湾府クバラン庁(現・宜蘭県)に属していたとしている。また、日本で最も早く釣魚島について記述した1785年の「三国通覧図説」では、釣魚島は中国大陸と同じ色で表示されている。

2)日本は釣魚島を窃取した
日本は1879年に琉球を併呑して、沖縄県と改名。さらに甲午戦争(日清戦争)の最中である1895年1月に釣魚島を沖縄県の管轄下に編入した。しかし日本が釣魚島の調査を始めた1885年から95年の編入までの過程は秘密裏に行われており、釣魚島の主権に対する日本の主張は国際法に定められた効力をもたない。95年4月の馬関条約(下関条約)で「台湾と付属島嶼」が日本に割譲されたが、釣魚島はこの付属島嶼に含まれていた。

3)米日が釣魚島をひそかに授受したことは不法かつ無効である
1941年12月に中国政府は日本に宣戦布告し、43年12月の「カイロ宣言」で、日本が窃取した東北四省や台湾などを中華民国に返還すると定めた。45年7月のポツダム宣言は、「カイロ宣言の条件は必ず実施されなければならない」としている。日本はこのポツダム宣言は45年9月に受諾した。45年10月、台湾が中国政府に回復され、72年9月に中日共同声明で日本は台湾が中国の不可分の一部であることを理解し、尊重することに合意した。1951年9月に日本が米国と結んだサンフランシスコ講和条約では、米国が委任管理する南西諸島のなかに釣魚島は含まれていない。しかし琉球列島米国民政府は52年2月、53年12月に公布した68号令(琉球政府章典)と27号令(琉球列島の地理的境界に関する布告)で、釣魚島を管轄下に組み込んだ。71年6月、米国は日本と沖縄返還協定を結び、琉球諸島と釣魚島の施政権を日本に返還したが、これに対して中国は「釣魚島などの島嶼を返還地域に組み入れたことは全く不法なことだ」と指摘。台湾当局も断固たる反対の意を示した。71年11月、米国務省は声明で、中日双方の相反する領土権の主張においては、米国は中立的な立場をとることを表明した。

4)釣魚島の主権に対する日本の主張にはまったく根拠がない
日本は72年3月の「尖閣諸島の領有権についての基本見解」で、釣魚島は元々「無主地」であって、馬関条約で清国から割譲されたわけではなく、サンフランシスコ講和条約で南西諸島の一部として米国の施政下におかれ、沖縄返還協定で日本に返還されたとしている。また、中国はサンフランシスコ講和条約で米国の施政下に釣魚島が含まれていた事実になんら異議を唱えてこなかったとしている。しかし、これらは間違いだ。

5)中国は釣魚島の主権を守るために断固として闘う
中国は1951年8月、サンフランシスコ講話会議が開催される前に、「その内容と結果のいかんに関わらず、すべて不法であり、無効であるとみなす」との声明を発表している。71年の沖縄返還協定の採択に際しても、釣魚島は昔から中国の領土であるとの声明を出した。58年、中国は領海に関する声明を発表し、釣魚島が中国に属することを宣言。92年の「中華人民共和国領海および隣接区法」では、「台湾および釣魚島を含むその付属諸島」が中国の領土であると定めている。2000年代に入ってからも、主張を続けている。1970年代の中日国交正常化の際には、両国の先代の指導者たちは「釣魚島の問題を棚上げし、将来の解決にゆだねる」ことについて共通認識に達した。


ということなんだそうです。


つまり、中国は、

・釣魚島は14、15世紀ごろから中国の領土として認識され、使用されてきた
・それが1895年の馬関条約で日本に割譲された
・しかし1945年に日本がポツダム宣言を受諾したことで、馬関条約は無効となり、釣魚島は中国に返還されたはずだ
・51年のサンフランシスコ平和条約によって米国が委任管理した南西諸島のなかに釣魚島は含まれていなかった(釣魚島は中国に返還されているのだから、当然ということか?)
・琉球列島米国民政府は52~53年の布告で釣魚島を管轄下に組み込み、71年の沖縄返還協定で釣魚島も日本に返還したというが、中国は反対の意を示してきた。米国も領土問題に関しては中立であることを認めている

との主張のようです。


日本の主張はまた調べてみます。

2012年5月22日火曜日

Bringing Up Bebe

"Bringing Up Bebe"という本を読みました。

サブタイトルは、One American Mother Discovers the Wisdom of French Parenting ということで、Pamela Druckerman という米国人女性がフランスでの子育てで気づいた、フランス流子育てとアメリカ流子育ての違いについて書いた本です。車のなかで聞いていたラジオでこの本を取り上げていて、「フランスの子供は生後数カ月で一晩中夜泣きをせずに寝るようになるんです」という言葉を聞いたのがきっかけで購入。うちの長男は大変に夜泣きがひどくて、かなり大きくなってからも夜中に泣いて嫁さんにだっこされたりしていたもんですから、「どういうことだ?」という思いで読んでみた次第です。それはそれは大変に面白かったです。

米国の子育て事情は日本(我が家)と似ているところがあるらしい。Pamelaさんの長女も3カ月のころに1晩に7、8回は起きていたらしく、Pamelaさんはそのたびに15分ほど抱っこしてたそうです。アメリカではそれが当たり前で、子供が1晩通して眠れるようになるのは8カ月とか9カ月はたってから。ひどければもっとかかる。ところがフランスの母親たちは、自分の子供が4カ月で1晩中眠るようになっても、「他の子たちよりも随分と遅いのよ!」とボヤくらしい。

その違いの理由が、子育てに対する考え方の違いだというのです。例えばフランスでは、子育ての専門家は母親たちに「たとえ生まれて間もない時期でも、子供が泣いたときにすぐに抱っこするようなことはしてはいけない。子供たちが眠り方を覚える機会を与えてあげるべきだ」と教える。人間の睡眠には浅い眠りと深い眠りのサイクルがあって、子供が夜泣きをするのは浅い眠りのとき。子供たちは経験を重ねるうちに眠りが浅くなっても再び深い眠りに落ちることができるようになるのだけれど、初めのうちは眠り方が分らないものだから泣いてしまう。そのとき、親が子供を抱き上げてしまえば、かえって眠りを覚ますことになって、子供たちは深い眠りに落ちることができない。だから、泣いている子供を抱っこするのは子供たちから眠り方を覚える機会を取り上げているようなものだ! これがフランス流なんだそうです。素晴らしい。8年ほど前に嫁さんに教えてあげたかった。

アメリカでも似たような"Sleep Training"という考え方はあるんだけれど、母親たちは「なんか子供に対して残酷なことをしている」と感じてしまう。だからついつい抱っこする。でもフランスでは「眠り方を覚えさせる」というのはスタンダードな育児法なので、母親たちは自責の念を感じることはない。その結果、子供たちが早い時期に眠り方を覚えられるようになるというわけ。

もちろんフランス流も、「子供が泣いても放っておけばいい」というのではなくて、「すぐには抱っこせずに、じっくりと待って、子供の様子を観察していなさい」ということだそうです。本当に具合が悪いとかいうときだと何分経っても泣き止まないこともあるので、そのときは抱っこして様子を確認せねばならないわけです。

このほか、フランスの子供はレストランで食事が出てくるまでの間、行儀よく待っていられるとか、ベビーカーから出たいといって泣き喚いたりしないとか、いろんな話が出てきます。これらの秘密も「子供の要求にはすぐには反応せずに、待たせる」という点にある。夜中に泣いてもすぐには抱っこしないのと同じです。

例えば、フランスでは食事は決まった時間に与える。間食の時間も決まっている。それらの時間外で子供が「おなかがすいた」と言っても、間食は与えないのが当たり前だそうです。まぁ、そうすると、子供たちは初めのうちは泣いたり叫んだりするんでしょうけど、何ももらえないことがわかると我慢することを覚える。フランスの母親の感覚は「確かにおなかはすいているんだろうけど、それで死ぬわけじゃない。それよりも待つことを覚えるほうが大事だ」といったものなんだそう。そうして子供が待つことを覚えると、レストランでも行儀よくしていられる。その結果、家族全員が幸せに食事を楽しむことができて、そのことによって子供自身も幸せな時間をすごせる。

その一方で、親も食事を無理強いしたりはしない。子供が何か初めての食材を食べたがらないときは、「最低でも一口はかじりなさい。それもいやなら、においだけでもかぎなさい」というのがフランス流。アメリカでは泣いて嫌がる子供を怒鳴りつけて食べさせるような母親がいるわけですが、そんなことをしたら食事が楽しいものでなくなってしまう。それは家族全員にとって不幸なことだというわけですね。その代わり、母親は次に同じ食材をだす時には、調理法やソースを変えたりして、子供が食べる気になるように仕向ける。


なんか、身につまされる話ですねぇ。うちの次男なんて嫁さんがトイレから出てくるのさえ待っていられなくて、トイレのドアの前で大泣きしますからね。可愛いんですけど、困ったもんです。親がヘトヘトになるまで、癒してきますからね、あいつは。



あとこの他にも「あるある」エピソードは満載です。フランスでも日本と同様に、働く母親にとって保育所を確保するのは大問題。Pamelaさんはフランスで子供を公立の保育所に入れようとするんですが、なかなか競争率が高い。そこで役所に対して手紙を書くんですね。「これこれこんな事情で、うちは子供を保育所に入れられないと大変なことになっちゃうんです」って訴えるわけです。あるよねぇ~、日本でもそういう手紙書くよねぇ。あとフランスの母親は子供を公園で遊ばせているとき、ベンチかなんかに座って母親同士の会話で大人の時間を楽しんだりするらしい。でも、アメリカのスタンダードでは一緒に滑り台も滑るし、ジャングルジムにも登る。子供の後をついてまわって、なんだかんだと声をかけたりする。フランスで子育てしているアメリカ人のPamelaさんはそんなことをしている自分がすごく余裕のない必死の子育てをしているような気分になるんだそうですが、日本だったら別にそんな気分にならなかったでしょうね。日本の母親も子供たちと一緒に遊ぶ派が多数でしょうから。


とまぁ、こうしたフランス流子育てが定着すると、母親の負担も少なくなって、いわゆる「子育てしやすい環境」っていうのが整うんだと思います。で、女性の社会進出も進む。2009年のOECDのデータによると、フランスの出生率は1.99で、日本の1.37とは比べ物にならない。そしてオランド大統領の内閣は半数が女性です。ただしこの本では、男性の育児参加の話はあまりでてきません。フランスの母親は男性の育児参加にはあまり期待していないらしく、「男たちには子育てなんていう繊細な仕事はできやしないのよ」ってな感じだそうです。

というわけで面白い話がありすぎて、ここでは書ききれません。フランス流子育てに何の問題もないということはないんでしょうが、アメリカ流や日本流の子育てで辛い思いをすることがあるのなら、フランス流に目を向けてみるのも一案かと思います。Pamelaさんによると、こうしたフランス流子育ての起源はルソーの「エミール」にあるそうです。あと、1970年代にラジオ番組の子育て相談で人気を博したFrancois Dolto(フランソワーズ・ドルト)さんという女性がいて、この方の教育法にも大きな影響を受けている。なるほどねぇ。子育ては文化ですな。


写真はPamelaさんと、長女と双子の弟たち。

2012年4月18日水曜日

The Fortune Tellers


"The Fortune Tellers"を読み終わった。

どっかのサイトで「米国の経済報道の実態を描いた本」として引用されていたので買ってみた。実際には米国のITバブル期のドタバタぶりを、金融市場とマスコミ報道の関係から振り返ってみたという趣旨の本です。ジム・クレイマーがワーワー吠えているのはこれまでにも読んだ金融市場モノと同じですが、ウォールストリートジャーナルの記者とかCNBCのキャスターとか著名アナリストなんかも扱っているところが私には目新しかった。仕事がバタバタして読むのに時間がかかったけど、面白かった。

ただねぇ、登場人物が多すぎ。それに関する固有名詞もたくさん出てくる。CNBCだけだったら分かるけれど、それがやっている番組の名前、それに出てくるキャスターの名前、CNBCの社長の名前と、CNNがやっている番組とキャスターと社長の名前までがきちんと区別されていないと、「あれ? この人はCNBCの人だっけ、CNNの人だっけ」ってことになる。同じようなことが紙媒体の記者とコラムの名前とか、インターネットサイトの名前と筆者の名前とか、そういうのがゴチャゴチャになってしまってなかなかスムーズに理解が進まない。「テレビ朝日で久米宏がニュースステーションをやっていたとき隣に座っていたのは小宮悦子」っていうのは日本のおじさんには常識なわけですが、米国におけるそういう常識が頭に入っていないのでちょっと辛い。もちろん、初出のところでは説明があるのですが、しばらくして出てきたら忘れてますもんね。登場人物が多いので読み返す気にならない。

米国で経済ニュースが注目されるようになったのは、1973年のオイルショックとか1979年のクライスラー救済なんていうニュースが出てから。1980年にはCNNが出来て、夜の経済ニュース”Moneyline"が始まる。キャスターはLou Dobbsというおじさんです。1989年にはCNBCが出来て、経済ニュースに軸足を置いた放送を始める。そんななか朝の番組"Squawk Box"で、証券取引所からその日の取引材料をレポートするMaria Bartiromoという綺麗なお姉さんがアイドル的な人気を博したりする。彼女は番組の前にいくつかの投資銀行のアナリストたちに電話して情報を入手。番組のなかで「本日、ナントカ投資銀行が、ホニャホニャ株式会社の格付けを引き上げることが分かりました」なんてスクープすると、ホニャホニャ株式会社の株価がぐーんと上がったりする。視聴者はそういった情報を手に入れたくて、Bartiromoのレポートに釘付けになるわけです。CNBCは番組作りの際にESPNのスポーツ番組を参考にしていたそうで、金融ニュースはショーになっていた。

記者としてはウォールストリートジャーナルのSteve Lipinが活躍します。1998年5月にダイムラーとクライスラーの合併をスクープした人です。ちょっとした噂話にとびついて「スクープだ!」なんて騒ぐことを嫌って、実際に企業が行動を起こすまでギリギリまで引きつけて、発表当日にパッスーンと書くのが信条なんだそうです。Lipinは合併を支援する投資銀行や法律事務所にネットワークがあって、そこからネタをとって企業側でウラを取る。企業側も、Lipinに合併に事前に知らせれば、記事の扱いは大きく、好意的になるし、スクープの日と発表当日とで2日連続で紙面を独占できる。まぁ、WIN-WINの関係ですな。Lipinのライバルは、CNBCのDavid Faber。彼らは特ダネ競争に勝ち抜くため、深夜、休日をいとわず働きます。彼らにとって特ダネをとった時の快感は、クセになるものだったんだって。へぇ。

ただ、投資銀行のアナリストが取引先の企業の悪口を言ったことで解雇されてしまうなんていうケースもあった。経済誌のコラムなんかでも、イケイケドンドンな内容が人気を博す。ITバブルの時期は、企業にとって都合の良いニュースや分析しか流れなくなって、それを材料に一斉に株価が上がるという状況が続いていた。IPO銘柄だと、「株式公開からたった3カ月で株価が10倍になった!」みたいな話がゴロゴロあったんだそうです。偽のブルームバーグのサイトが作られて、そこに出た偽ニュースを材料にとある企業の株価が高騰したなんていることもあった。

まぁ、そういった信じられないような浮かれっぷりがずーっと書かれています。最後に書かれていた例え話が面白かったので引用してみます。


例えば、あなたがSchlock.comという会社に投資したいと思ったとして、その会社の戦略とか将来性とか過去の株価とかをいろいろ調べて、思い切って1株50ドルで100株を買ったとする。2週間後、Maria Bartiromoが番組で、聞いたこともないモルガンスタンレーのアナリストがSchlock.comを格下げしそうだと言って株価が5ドル下がり、1週間後にGene Marcialがビジネスウィーク誌でSchlock.comが買収のターゲットになっていると書いて株価が10ドル上がり、さらに実際にはそんな買収はなかったことで株価が15ドル下落。で、インターネットサイトで「BarronsがSchlock.comについてネガティブな記事を書くようだ」という噂が流れて株ががさらに3ドル下がる(実際にはちょっとポジティブな記事だった)。2カ月後、Schlock.comは1年前の2倍にあたる1億ドルの利益があったと発表するけど、とっても賢いウォールストリートのアナリストたちの予想を下回ったということで株価は12ドル下がる。で、Jim Cramerがウェブサイト”Street.com”で、「俺はSchlock.comのCEOが嫌いだから、持ち株を全部売ってやった」と書く。CNBCがSchlock.comについてのニュースを出すときはいつでも株価下落を示すチャートが画面に出ている。あなたはたまりかねて、2500ドルの損を抱えて持ち株を全部売ることになる。そしたら次の週になって、ウォールストリートジャーナルのコラム"Heard on the Street"が、Schlock.comが次世代製品を出すと書いて、株価が14ドル上がる。歯ぎしりしたって、遅いんだけどね。


現実に起こったことは、Schlock.comが利益が2倍になったと発表しただけ。なのに、外野が勝手にゴチャゴチャ騒いで株価が乱高下するというわけです。

2000年、ナスダック株式指数4500ドルを突破しましたが、2002年には1100ドルぐらいまで下落しました。ちなみに今は3000ドルぐらい。上昇基調にあります!


写真はもちろん、Maria Bartiromoさん。

2012年2月9日木曜日

So What's the Difference?


"So What's the Difference?" という本を読み終わりました。サブタイトルは、a look at 20 worldviews, faiths and religions and how they compare to Christianityとなっていまして、世界中の宗教や信仰を比較して、キリスト教とどこが違うかを比べてみようという本です。前に読んだ本で、スペインのピカレスクな考え方に関心したもんですから、世の中の他の文化について分かるんじゃないかと思って購入。ちょっと狙いからははずれた本でしたが、キリスト教信者の立場が分かって面白かったです。著者はFritz Ridenourという人。キリスト教の人です。

キリスト教と他の宗教の比較の前にカトリックとプロテスタント(Evangelical)とギリシャ正教(Eastern Orthodoxy)の比較から始まって、さらにはユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、仏教との比較に進み、さらには「カルト」扱いで、エホバの証人、モルモン教、さまざまなニューエイジ信仰との比較に続きます。

面白いのは豆知識的な話です。モハメッドもブッダも孔子も死んだけど、キリスト教信者は「キリストは生きている」と信じているとか、「三位一体はキリスト教信者にとって最も理解と説明が難しいテーマだ。どうやったら神とキリストと精霊が、ひとつの神だと言えるのか?」とか。やっぱりキリスト教信者でも理解しがたいんだ。あと、キリストが十字架上で死ぬことによって人間の原罪は償われたということは、「スピード違反で捕まったけど、お金持ちの伯父さんが罰金を払ってくれたようなもの。人間の罪はキリストの死で償われたけど、人間が罪を犯したことには変わりがない」とかね。いろいろと大変だ。

あと、カトリックではキリストの弟子であるペテロの権威を重視して、その後継者であるローマ法王をありがたがるわけです。一方、プロテスタントはペテロ~ローマ法王のラインじゃなくて、キリストの言葉である聖書自体を重視する。あと、あと、プロテスタントは聖書に権威を求めるけれど、その解釈は結構自由だとか。

カルトについてもいろいろと面白い話があります。個別訪問とか人通りの多いところで「ものみの塔」とか配ったりしているエホバの証人は、1914年にアルマゲドンが起こると予言していて、それからもいろいろと予言を外しているなんていう話はカルトっぽい。著者がエホバの証人と並んで「最も成功したカルト」として位置づけるモルモン教も1890年までは一夫多妻制を認めていて、2代目教祖のブリガム・ヤングは20人の奥さんがいて、57人の子供がいた。カルトだぁー。

ただ、この著者はちょっとカルトに過敏なところがあって、ポケモンも「カルト的なおもちゃだ」とか言ったりする。ポケモンカードにかかれたモンスターを”召還”するところがカルト的だということらしいんですが、そりゃちょっと考えすぎです。あと進化論もビッグバンの前の世界について証明できているわけじゃないから、科学じゃなくて宗教。しかも神の存在を否定しているから、カルトだそうです。キリスト教以外はみんなカルト。


アメリカにはこんな人が沢山いて、それなりに影響力があるんでしょう。ややこしい国だな。